身を刺すような冷気を受けて、生まれ育った故郷に戻りたいと心底思った。もしも今すぐカントーに帰らせてくれるのならちゃんと仕事をしてもいい。だから、ね。ダメかな? やっぱりダメか。
腰に付けたボールを試しに撫でてみる。やはり長年連れ添ってきた彼女はうんともすんとも言わない。僕が誰よりも頼りにしてる相棒はつい先日に喧嘩をして以来、ボールの中に引き篭もってしまった。
「なあ助けてくれって、頼むよ。……僕にシンオウはちょっと寒すぎるんだ」
必死に懇願するも返事は来ない。びゅうと北風が吹き付けて僕はまた身を縮めた。今すぐにでもポケットに手を突っ込みたいのをぐっと我慢する。なんとか彼女の機嫌を取って助けて貰わないと町に到着するまでに死んでしまいそうだ。
そもそもアレは喧嘩ですらなかった。自分が悪いのは明白だったのだ。ただし心当たりが多過ぎて何を謝ればいいのかが分からない。
リーグの賞金をパチンコで使い切ったのがいけなかったのか。それともアイスを彼女の分まで食べてしまった事か。もしかすると彼女のお陰で就けた定職を三日で辞めたのがいけなかったのかもしれない。
どの理由であっても僕が悪い。……いや、でも。悪くないのかもしれない。
そもそも僕がこうなったのも全部ワタルとかいうドラゴン狂いのせいなんだ。ワタルが仕事を辞める条件としてシンオウに来させたのであって、それが無かったら僕は今も自宅のベッドでごろごろしていた。もしワタルが存在しなかったら僕はシンオウの森で迷子になる事なんて無かった筈なのだ。
許すまじドラゴン使い。しかもアイツはドラゴン使いを自称しながらパーティの半分はドラゴンタイプじゃない。純エスパー統一の僕を見習ってほしい。
「……ミュウ」
僅かばかりの希望に賭けて彼女の名前を呼んでみる。
薄桃色の小さい幻のポケモンが僕の唯一の手持ちだ。凡庸な僕とは違い、彼女は超が付くほど優秀だった。戦闘は勿論のこと、変身で人の姿に化けて僕の身の回りの世話だってしてくれる自慢の万能ポケモンなのだ。
だけどそんなミュウも今はボールの中で。ミュウのいない僕は、はっきり言って何も出来ない。背負ったバックパックの中には、折り畳み式のフライパンを始めとした各種お役立ち調理器具が入っているのだろうけれど僕には使い方がよくわからなかった。情けないことにオボンの実とオレンの実の違いも分からないのだ。料理なんて夢のまた夢である。
「お腹空いたなぁ」
日は既にだいぶ傾いていて、辺りはすっかり夕闇に包まれようとしている。鬱蒼とした森の何処かでヤミカラスが鳴く声がした。
日が落ちからまでに町に着くのは無理だろうから今日はここで野宿をするしかない。マッチやライターも無いから自力で火を熾せず暖はとれそうもない。だが幸いにも毛布は持っていたのでソレに包まれば辛うじて夜は過ごせそうだった。
「あんまり夜冷え込まなければいいけど」
また、びゅうと風が吹く。
「寒いなあ」
どうしよう。毛布一枚では凍死してしまうかもしれない。せめて火が熾せれば、ライターを持ってさえいればと今更に悔やむ。別に真面目に生きていた訳ではないけど、まだ死にたくもなかった。僕が死んだらカントーに残してきた幼馴染もきっと悲しむだろう。
「うう……ぐすっ……ミュウぅ……」
寒さのせいで耳がジンジンと痛み思わず涙が出る。やっぱりシンオウになんか来なければよかったのだ。カントーに残っていれはこんな辛い思いをする事もなかった。
「僕が、僕が悪かったから……。何でもするから助けてくれないかな……僕には君がいないとダメなんだよ……」
ぐずっていると近くて遠い所で溜め息を吐く音が聞こえた。
そして、腰に付けたボールがポンッと軽快な音を立てながら開く。
『はぁー、全く私がいないとほんとにダメダメなんだから。……ほら、お腹空いてるんでしょ? シチュー作ってあげるから泣き止みなさいな』
ボールから出てきた薄桃色のミュウはそのまま少女の姿に変身し、僕の頭を撫でる。
ネコ耳付きフードのあるパーカーを着た薄桃色の髪の幼い少女。ポケモンなのに今まで見たどんな人間よりも可愛い。
「ミュウ……その、ごめんね?」
『もう怒ってないわよ。あなたがダメ人間なのは今に始まった事じゃないもの』
そう言うとミュウは念力で集めた薪に火を付けてくれた。焚火も、僕を抱きしめてくれるミュウも、どうしようもなく暖かかった。
【私の独白】
片手で鍋を掻き混ぜながら、もう片方の手で火を灯す。ポケモンでありながら人間の体を持っていないと出来ないこの動作にも随分と慣れたものだとしみじみ思う。
グツグツに煮込まれたシチューに少しだけ掬い味見をする。うん、我ながら良い出来だと思う。これなら彼も喜んでくれるだろう。初めは上手く作れなくて何度も焦がしてしまっていたけれど、最近ではもうそんな事も無くなった。
私はふと自分の主人に目を向けた。つい先程までぐずっていた主人は表情を一変させて私の作るシチューを今か今かと待っている。
いかに世界広しと言えども手持ちのポケモンに世話をここまで焼かれているのも彼くらいのものだろう。普通は人間がポケモンの世話をするのだと彼の友人が言っていたのを思い出す。私だってそれに賛成だ。ポケモンよりも自活能力が低い人間なんて始めて見た。もし私が人間の姿になれなかったら彼はどうやって生きていくつもりだったのだろうか。彼の世話はピカチュウでは出来ないのだ。
『シチュー出来たわよ。まだ熱いからしっかり冷ましてから食べてね』
わぁい、と彼は表情を綻ばせる。基本的に無表情を貫いている彼ではあるが私と二人きりの時は割と顔に出してくれる。心を許されている証左だと思うと、少し胸が暖かくなった。
『はぁー、可愛い……』
「何か言った……?」
『……別に何も言ってないわよ』
私のご主人様は、本当に可愛いと思う。何となくで生きている緩さも、私がいないと何も出来ないダメさも、全てが愛おしくて愛おしくて堪らない。
いつまでも守ってあげたいと思ってしまう。これが母性なのかなぁ。私、ポケモンなのに。しかも多分彼より歳下なのに。
意外に思われるかもしれないが、私は人間で換算すれば旅にすら出させて貰えないような年齢である。主人がポンコツだから、私がしっかりせざる得なかったから、いつからか周りからは年相応に扱われなくなった。
だけどまあ、そんな生活も悪くない。むしろ良い。
いつか彼も自分の世話をしてくれる人間の女性を探すのだろうけれど、それまでは私が独り占め出来る。多少婚期が遅れてもポケモントレーナーとして積み上げた名声があるから引く手は数多だろうしね。
『ん、ご飯食べ終わったなら寝ましょうか。明日は早く出発するから』
食器を片付けると、テントの中で二人並んで横になる。
ふと喧嘩になった理由、というよりは破られた約束を思い出した。別に私はアイスを食べられたとか、お金を使い果たされたくらいでは怒らない。そもそもポケモンはお金に興味なんて無いし。アイスを食べられたのはちょっとムカついたけど、ソレも彼が幸せそうに食べるのなら笑って許してしまう。
『ねえ、起きてるかしら』
念の為に声を掛けたけど返事はなかった。そう、寝てるのね? うふふ、えへへ。とびきり可愛い寝顔だこと。
私は笑みを浮かべて、薄く唇を舐める。
……いただきます。
『──んっ、ちゅ……んゆ……ぷは』
彼の甘い甘い唇に吸い付く。日々の労働の対価だ。これくらい貰っても文句は言われないだろう。
おやすみなさい。大好きです。
あなたが明日も幸せでいられますように。