思いの外、僕はナナカマド博士と助手の皆さんに暖かく迎え入れられた。その背景にはワタルのチョイスしたお菓子が美味しかった事の他に、僕がポケモンマスターと呼ばれるトレーナーの一人に名を連ねているのが大きな影響を与えているのだろう。
生来人付き合いが苦手な僕にとって慮外の展開であったが、ミュウにとっては想定の範囲内もいいとこだったらしく僕の膝の上に澄まし顔で座りながらお菓子を食べている。時折ぼうっと開いた僕の口にもスッとお菓子を差し込んでくるあたりとても器用だ。あ、次はその抹茶味のでお願いします。ミュウは花の咲くような笑顔でお菓子を僕の口元に差し出す。
「あの、私のポッチャマがすいませんでした!」
挨拶もほどほどにと一同で卓を囲んでから数分、気不味い雰囲気の中で口火を切ったのはヒカリちゃんという女の子だった。ヒカリちゃんは先程の青いポケモン(ポッチャマというらしい)のトレーナーでこれから旅に出る予定だったのだが、ポッチャマとの意思疎通不全でどうにも上手くいってなかったのだとか。余談だが当のポッチャマもお菓子が気に入ったのか黙々と食べている。
『別に気にしないでいいわよ。非を問うなら勢いでポッチャマを倒してしまった私たちにもあるわ』
「でも……」
挨拶とかを除いた、細かい会話は全てミュウが行う。これはカントーで旅をしていた時からずっとこうだった。僕がやりたがらないというのもあるし、交渉事はミュウがやった方が上手くいくからというのもある。とにかく、彼女は僕にとって常に最良の結果を齎してくれるという事だ。きっと今回も恙なく話を纏めてくれるのだろう。
助手の方に出されたお茶を啜りながら辺りを見渡す。ミュウが構ってくれないと僕はいつも暇になる。
助手さんからはどうにも距離を感じる。僕が元チャンピオンだから気軽に話しかけ難いのだろう。僕から話しかけるのはもっと難しい。
ナナカマド博士からは熱視線を感じる。僕が元チャンピオンだから研究者として興味があるのだろう。顔が怖いから目を逸らした。
ポッチャマと目が合った。彼は何とも言えない表情をしていた。そういえばシンオウ地方のポケモンは彼が初めてだ。よし、彼と話そう。僕はそう決めた。僕はポケモンとの会話は苦手ではなかったりする。少なくとも人間とよりかは大分話し易い。
「やあポッチャマ」
「ポ」
「随分若く見えるけど、君って何才なの?」
「ポッチャ」
「へえ、やっぱり若いね。……将来の夢とかあったりする?」
「ポー……。ポチャッポポチャ!」
「……そのツノの大きいエンペルトっていうのはポッチャマ界では格好良さの印なんだね」
「ポ!」
「そういえばさっきは何で外に出ようとしてたの?」
「ポー。ポッチャポ。……ポポチャ?」
「いやいや気にしてないよ。そっちこそ大丈夫だったかい?」
「ポッポチャマ!」
それから何分か話してみると、彼は存外親しみ易いポケモンだった。こちらを気遣う余裕があれば、お菓子の味を讃えるために詩を誦んずる教養だって見せた。生憎と僕は種族ポッチャマの間で口伝される詩にまでは精通していなかったけれども黄色い嘴から紡がれるソレからは弛まない勉学の証しが聞き取れる。
『ふふっ。あなたがそんなに楽しそうに誰かとお喋りするのなんて久しぶりね』
それからまた暫くポッチャマに、種族ポッチャマの詩を教えて貰っていると自分の話を終えたミュウが混ざってきた。彼女は僕が誰かと話しているのを見るといつも楽しそうにする。
「ポッチャマのジョーク、結構面白くて」
「ポポー」
ミュウも一緒に話そうよ、そう提案しようとした時、横からもう一つ声がかかる。
「あの! ……アッシュさんはポッチャマの言ってる事が分かるんですか?」
「ふむ、ポケモンと意思疎通できる人間は私も何人か見たことがあるが、アッシュ君ほど自在に話すのは見た事ないな」
ソファーから僅かに腰を浮かせながら聞いてきたのはヒカリちゃんだった。それとナナカマド博士も。僕は博士の強面に怯えながら返事をする。
「こ、こんにちは」
「カントーのトレーナーは皆ポケモンと会話できるのかね?」
「さ、さあ。実績を出す人なら少しくらいは、で、出来るんじゃないでしょうか」
「ポッチャマは何て言ってますか!?」
「え、えーっと」
「ポ」
「お腹空いたって言ってる。……言ってます。ハイ」
「お菓子食べたばっかりなのに?!」
うわぁ、もう嫌。無理、しんどい。
博士は怖いし、ヒカリちゃんもちょっと押しが強いし。別に自分のポケモンの事を知りたいと思うのは悪い事じゃないけど、自分で会話してほしい。あとなんかミュウもじっと僕を見てるし。
「な、何?」
『あなた以外には無理よ、ソレ』
「それ……?」
『ポケモンと会話すること。どんなトレーナーでも私たちポケモンの言葉を明確な言語としては理解出来ないもの』
「え、でも」
『何となくの雰囲気や仕草で感情を読み取ることは出来るかもしれないけどそれだけね』
「…………?」
『通訳頑張ってってこと』
「ぅぅ……」
彼の容姿が神様の手によって創作された芸術なら、彼の才能は世界を創造する際の失敗から生まれた
彼は自分の才能をあまり特別視していないけれど、ポケモンの声を聞けるというのは世のトレーナーが求めて止まない能力だ。ポケモンの声が聞こえるというだけでこの世界の人間は如何様にも生きていけるのだから。
ヒカリさんとポッチャマの通訳に奔走する彼を見つめる。必死でいっぱいいっぱいになる彼の姿もまた久方ぶりだった。余裕を無くして目の前の事だけを考えて、それでいて楽しそうで。まだポケモンバトルに不慣れだった頃は負けないために彼も私も皆んなも必死になったけどいつしかそれも無くなってしまったから。
私たちは強くなり過ぎたのだ。勝って、勝って、勝ち進んで、勝つ事が当たり前になったとき世界は途端につまらなくなった。勝負事は負ける可能性があって初めて勝ちたいと思える。私たちは勝つ為ではなく負けない為にしか戦えなくなった。だから世界がこんなにも狭く感じるのだ。
愛しいものを見つめ続ける。そこには私が初めて好きになった笑顔がある。
『……なるほどなぁ』
シンオウに来て良かった。ここに余分なものは何も無い。氷雪の厳しさはきっと私たちを初心に帰らせてくれるだろう。彼が勝てない時がやがて来るだろう。
来なければ、私が作ろう。
勝てない敵を、雪に閉ざされた地獄を、より強い敵を、彼が笑っていられる世界を。そしてまた彼と勝つのだ。共に勝って喜びを分かち合おう。一緒に笑おう。彼の喜びだけがこの世の真実なのだから。
うふふ、えへへ。
彼の幸せを想えばそれだけで私は幸せになれる。
あなたの幸せが永遠に続きますように。
『可愛いなぁ、綺麗だなあ』
「ミュウ? 何か言った?」
『ううん、何も言ってないわよ?』
そして、その為の第一手だ。
私たちに勝てる最強のトレーナーを育てなければいけない。最強だなんて陳腐な言葉だと思ったけれど、とても良い言葉だ。レッドさんにもグリーン君にも劣らない絶対性。必要な能力を必要なだけ詰め込むために出来るだけ無垢な素材が良い。えへ、ヒカリさんも随分といいお願いをしてくれた。
『……ねえ』
「どうしたの?」
『さっき話してたのだけれどヒカリさんがね、良かったらシンオウを回るのについて来てくれないかって』
「んー、僕なんて役に立たないと思うけど」
『たまにバトルの相手をするくらいで良いと思うわよ。基本的には私が面倒を見るのだし』
そう言うと彼は顎に手を当てて迷い出した。きっと断らないだろう。彼は人も、ポケモンも、バトルも嫌いになった訳ではないのだから。
「まあ、それならいいんじゃない」
さあ、落ちる場所は今決まった。
シンオウの何処よりも高い場所で彼に最高をプレゼントしよう。