本日は中秋の名月ですね。
忙しい人も、そうでない人も。今日くらいは足を止めて空を見上げてみると良いかもしれません。
こんにちは、ヒカリです。私がアッシュさんの旅路に同行するようになって早数日が経ちました。
私のような新米トレーナーがするにはあまりにも礼を欠いた図々しいお願いでしたが、それでも頼み込んでしまったのはアッシュさんが私の憧れの人であったからなのでしょう。
私たちシンオウ地方の住民は大抵の場合地元リーグのチャンピオン、シロナさんに憧れるのですが私は違いました。小さい頃にテレビで見たアッシュさんのリーグ決勝戦の熱気が忘れられずに憧れ続けてきたのです。そしてそれは私がトレーナーを目指す切っ掛けでもありました。母は私にトレーナーの才能は無い、コーディネーターになってコンテストに出場しなさいと言い続けましたが私はそれを聞き入れませんでした。
そしてアッシュさんと出会って、今へと至ります。
17戦17敗。私の戦績です。悔しい事に母の言葉は間違ってはいなかったのでしょう。ここまで見事に負けては認めざるを得ません。私もポッチャマも歩み寄ろうと努力はしているのに不思議と意思の疎通が上手くいかず負け続けました。
これは言い訳なんですけどね、最初の数戦は惜しい時もあったんですよ。ですけどもう少しで勝てそうって所で負けてからはそれも無くなっちゃって。
憧れの人の前で負けるのって恥ずかしいんだって初めて知りましたよ。出来れば、一生知りたくなかったとも思いますけど。
正直に言いましょう。私は、私は──
ヒカリちゃんと旅をするようになって数日が過ぎたが、彼女とポッチャマの関係は一向に改善される兆しが見えなかった。
トレーナー初心者が故におっかなびっくりで指示をだすヒカリちゃんとその指示を信じきれていないポッチャマ。経験の浅さに起因する不和と信頼不足は意気揚々と駆け出したルーキーに多々ある問題なのだが、それを冷静に受け止めるには少し現実を知らなすぎた。成長の見えない日々が不安を湖底の泥のように募らせ彼女の心に重くのしかかる。このままクロガネシティに着いてしまったら彼女はジムリーダーにあっさりと負けるのだろう。……その後は、想像するまでもない。
「……どうすればいいと思う?」
どうする、という問題では無いのは分かっていた。ポケモンとの絆は数式のように答えの出せるものではない。人とポケモンそれぞれが違った色を持っていて、その色が時間によって温められ、解け合うのを待つしかない。強いていうならそれが正解だ。
『私たちはそこに苦労した事は無いものね』
「残酷だなぁ」
『ええ。ホントに残酷よね』
僕は初めから皆んなと喋れたからポケモンとの意思疎通に苦労した事が無かった。今回の件だって、バトルに勝てないとかそういう問題があることは覚悟していたけど、そこで立ち止まるとは思ってもいなかった。
「トレーナーって大変だなぁ」
『……あなたもトレーナーなのだけれど』
僕はこの世の不条理を嘆きたかったのでミュウの言葉を聞き流して空を見上げた。快晴とは言えないけど割と晴れている。個人的には少し曇っているくらいが好きだけど土砂降りの雨よりはマシ。そんな天気だった。空を見ていたら目が痛くなってきたので、はい、と手渡されたサングラスをかける。ここは暗い世界だ。
ヒカリちゃんは真面目が取り柄なんだけど、それ故に思い詰め過ぎるのかもしれない。あの空を飛ぶムックルのように気ままに生きられたら彼女の世界はもっと楽しくなるのかもしれないのに。
「やぁムックル。今日はピクニックかい?」
「ムクッ!」
正解だったみたいだ。木に留まった子ムックルの群れのうち一匹が片翼を上げて返事をした。どうやら今日の空は飛び易いらしい。陽射しも暖かくて気持ちいいしね。存分に羽を伸ばして欲しいと思う。特に最近は天気が悪かったからね。冬のシンオウでは陽の光がとても貴重だ。陸の上で暮らす生き物は人もポケモンも関係なく、陽の光に当たらないと気が滅入ってしまう。
いつ見ても太陽とは不思議な存在だ。考えるのも馬鹿らしくなるほど遠い
それから暫くして、ムックル達とも取り立てて話す事が無くなったのでヒカリちゃんを探す。彼女は休憩時間にも休む事を良しと出来ずにポッチャマと会話をしようとしていた。
結局自力で見つける事が出来ず、ムックル達に頼んで探してもらうと、ヒカリちゃんは野生のビッパと戦っているところだった。平均してビッパはこのシンオウではあまり強くないポケモンとされる。ともすれば新米トレーナーの初戦の相手にされるくらいの強さ、ポケモンバトルの基礎を学ぶ相手だ。そんなビッパを相手にヒカリちゃんは苦戦している。
「酷いなあ」
「ムック」
「やっぱりキミもそう思うかい?」
やる気満々のビッパに対してヒカリちゃんはおろおろとしている。迷った末に出した指示は《あわ》だ。
「ポ、ポチャッ」
指示を受けてからポッチャマは動き出す。撃った《あわ》は指向性も威力も覚束ない。目をギラつかせたビッパは身体で受けたそのまま《たいあたり》をする。
「ポ!?」
「ポッチャマ!?」
「ビィィイイッッパ!!」
ポッチャマもビッパがそのまま突っ込んで来るとは思っていなかったのだろう。驚きに目を見開いたまま真正面から《たいあたり》を受けて目を回した。そしてビッパの雄叫びが虚しく響くのだ。
とうとうビッパにも負けて、ヒカリちゃんは泣きそうになりながらポッチャマを労う。その姿は痛々しくて対戦相手のビッパですら気まずそうな表情をしていた。そろそろ声かけるべきかなぁ。
「や、ヒカリちゃん。調子はどう?」
「……見ての通りですけど」
「あ、そのアドバイスとか……」
「もう何回もして貰いましたね」
「まあ負ける事は誰にだってあるから……」
「……アッシュさんにはありましたか?」
「ない、けど」
「うぅ……」
「う?」
「ぅぅ……うわぁぁぁんっ──!!」
「あ、待ってヒカリちゃん!」
ヒカリちゃんは走り出した。それは安息の地へだったり、夕日の向こう側へだったり、僕の居ない方へだったり。若さ故の健脚は彼女の姿をあっと言う間に森の中へ消したけれど、踏みしめられた大地に残る足跡と、点々と零れた涙が彼女の行方を物語っていた。
『彼女のぐずり方、少しあなたに似てるわね』
そう言って僕とヒカリちゃんの仕出かした事に溜め息を吐きながらも、しっかりと彼女の後を追って森へ入るあたり、やはりミュウは優しいのだと思う。
ミュウがヒカリちゃんを森から連れ戻して来たのは日が落ちるかどうかという時だった。思いっきり走って少しは落ち着いたのだろうか、ヒカリちゃんはミュウに手を引かれて歩いている。
ミュウにしては連れ戻すのに時間が掛かったなと思ったが、緋色の夕日がヒカリちゃんの顔色を隠しているのを見て、これを狙っての事かとも思い直す。
「どうしたものかなあ」
「ムク?」
僕とヒカリちゃんの間には夕食を摂っている時でさえ何とも言えない雰囲気が横たわっていた。悪いのは僕だ。僕には負ける側の気持ちなんて分からないから彼女に適切な言葉を掛けてあげる事が出来ない。
「酷いなぁ」
酷く傲慢で、醜い。
他人に強さを求めることも、自分に弱さを欲することも。どちらもまた自然の摂理に反しているのだから。
ふと、ムックルなら弱い仲間がいたらどうするのかが気になった。群れで暮らす彼の言葉を聞きたかった。それは強いものだけを集めて強く生きようとしてきた僕たちには出せない答えだろうから。
「ムックル、キミならこういう時どうする?」
「ムー……、ム!」
彼は少し迷った後、高らかに鳴いた。限界まで戦って鍛える。思ったよりシンプルな答えだ。そして僕はその答えが嫌いじゃない。
戦っても勝てない。今の彼女はそうだろう。
戦わなくちゃ勝てない。これも正解だ。
勝てないから戦わない。これは不正解。
勝つために戦う。勝ちたいから戦う。悪くない。
「ミュウは、どう思う?」
一応ミュウにも聞いたがその必要は無かったと思う。彼女は僕と同じ答えを出す。ずっと一緒に戦ってきたから、多少の差異はあれど辿り着く結論は変わらない。
『私が好きなのは、戦って勝つ、かしら』
当たり前の事を当たり前に。
深く考え過ぎて捻れてしまった物を元通りに直すには、一度全部忘れて最初からやり直すのがいいんだろう。僕がトレーナーとしての初心を教えてあげよう。
「ムックル、少し手伝って貰えないかな」