例年通り、血反吐を吐く思いで捻出した貴重な休みを使い、雄英体育祭に足を運んだ。
他のヒーロー達と同じく、青田買いのためだ。本当は自宅で爆睡していたいところだが、ここを逃せば将来的に詰んでしまう。そう体を鞭打って、どうにかこうにか観客席にたどり着く事が出来た。
速攻で寝た。
爆睡だった。隣の観客が「あんた、競技が始まったぞ?」なんて起こそうとしたりもしたが、その程度で3徹した人間を起こせる訳が無かった。
結局起きたのは全競技が終了し、表彰式も終わった時だった。
「あんた、家で寝てた方が良かったんじゃないの?」
そう安くないチケット代と本当に体育祭に参加したかった人を思ったのだろう、帰り際に隣の人がそんな事を言ってきた。
自分でもそう思う。だが人には無理を押してやらねばならない事があるのだ。
で、どうだった。
『ばっちし。今年は2人も見つけたよ。1人はペルソナ使い。それもシャドウそのまんまなんて珍しいの使ってる。センスもあるみたいで、体育祭も最後の方まで生き残ってた。後は……サマナー向きのが1人。これがまた凄い奴でさー。あたし、契約もしてないのに命令に従っちゃった』
命令?
『そうそう。あたしの事を迷子か何かと思ったみたいでさ。ここは生徒以外入っちゃいけないから、客席に戻ってそこで見ててね、なんて言われて。そしたら体が勝手に動いて客席に向かっちゃったの。あそこまでの強制力は普通のサマナーの命令でも無いかも』
今年は大当たりかもしれない。
徹夜で仕事を片付けた甲斐があったというものだ。例年なら見える奴が1人いればいい方で、しかも個性なんかはてんで役に立たないパターンだったりする。それが今年はどうだ。もしかしたならば、もしかしたならば、なにもかもがうまく……
それで名前は?
『えっとね、確か――
*
口田甲司は悩んでいた。
職場体験先をどうするか、それはもう真剣に悩んでいた。
既に放課後となった教室で、提出期限10分前だというのにまだ決めかねてるくらいには、延々延々と悩み続けていた。
「急いては事を仕損じるとはいえ、いくら何でも考え過ぎじゃないか?」
甲司の様子に見かねた調子で、隣の席の常闇が声を掛けてくる。甲司はそれにうーん……と呻きを返すだけで、まるで聞こえちゃいない。
甲司の後ろの席に座る砂藤も気になったらしく、焦燥感に煽られまくっている甲司を指差し尋ねる。
「常闇、口田は何をそんなに悩んでいるんだ?」
「口田も1件だけ指名を受けていただろう。だがそこが武闘派の事務所らしくてな」
「あー、確か口田は救助系希望だったっけ」
砂藤の言う通り、口田は表だって戦うような個性をもっていない。だから救助を主にするヒーローになろうと思っていた。
なので個性との兼ね合いも考えて、職場体験先も海難救助か山岳救助を行う事務所に行こうと考えていたのだ。
そこに舞い込んできたのが、クズノハなんとかとかいうヒーロー事務所からのお誘いである。
ヒーローにやたらと詳しい緑谷曰く、
「クズノハ……えーと、陰陽師ヒーローだったかな確か。式神って個性で色んなもの召喚して戦うヒーローだったはず。凄い実力を持っているって言われてるけど、表立って活躍してないんだよね。マスコミの取材とかも全部断っているみたいだし。それにしても口田君はよくクズノハの事を知っていたね。ヒーローオタクでも知らない人がほとんどなのに……えっ!? 口田君に来ていた指名ってクズノハからだったの!? なんで!?」
こっちが聞きたいと甲司は思う。そもそも体育祭ではどうにかこうにか騎馬戦まで参加する事は出来たが、そこで自分は終わったのだ。目に見えた活躍なんかもしていないし、本当に何で指名されたのか分からない。
しかし緑谷は何かしら思い当たるものがあるようで、
「……でも待てよ。クズノハの戦力は式神が主力らしいし、もしかしたら式神って口田君の個性で扱えるんじゃないかな?」
式神。甲司はなんとなく人型に切り抜かれた紙を思い浮かべる。ロボットだって操れないのに、紙切れなんかを扱えるんだろうか。
ともかく、緑谷の説明はそんなところだった。
そんな参考に出来るような出来ないような説明を聞いてから早二日。甲司は未だに決められてない。
「……5分切ったぞ」
常闇が知らせた。そんな事言われても困る。この48時間、睡眠不足になるくらい考え続けてまだ決めれていないのだ。それを後たかだか300秒で決めろだなんて横暴が過ぎる。
「悩むのは分かるけどよー。せっかく指名されたんだし行ってみればいいんじゃないか? キツい場所だったとしても1週間で終わる話だしよ」
砂藤が勧めた。他人事だからって適当過ぎる。
それに甲司は何故か予感しているのだ。この選択が、この先の人生全てを変えてしまうだろう事を。
「……後60秒」
「おい、とりあえず職員室に行った方がいいんじゃないか? 相澤先生の事だし、時間に間に合わなかったら勝手に体験先決めるそうだし」
言われて、いかにもやりそうだと甲司も思った。それから職員室までの距離を思い浮かべる。300メートルくらい。
「……30秒」
ガタンッと大きな音を立てて、甲司は教室から飛び出した。後ろから「頑張れっ!」と砂藤の声が聞こえる。
大丈夫、10秒で100メートル走ればいいだけだ。10秒の壁なんてヒーローからしたら無いに等しい。
廊下を駆け抜け、階段を駆け下り、下校する生徒の海をかき分け甲司は走る。とっくに30秒過ぎてる気がするのは気のせいだ。
そうだ。先生には救助系の事務所にしてくれと頼もう。たしかに式神とか気にならなくもないけど、なりたいのは動物達と人を助けるヒーローだし。
心臓が張り裂ける寸前に、職員室の前にたどり着く事が出来た。ちょうど担任の相澤がドアから出てきたところだった。
「先生っ!!」
「……口田か。遅かったな」
自分でもびっくりする程大きな声で呼び止めたというのに、相澤はまるで動じなかった。いつものように淡々と事実を語ってくる。
「時間を過ぎたから、俺がお前の体験先に決めておいたぞ。言っておくが先方にも既に連絡を入れてあるから、撤回なんて出来ない……ヒーロー業をしていれば1分1秒を争う事が多い。時間厳守と出来なかった場合の対応を学べ」
その言葉は体に浸透すると、一気に疲れが沸いてきた。甲司はどっかり床に尻餅をつくと、
「それ、で……その……どちらに……!」
「どちらにも何もお前を指名したのはクズノハ事務所だけだろう? そこにお願いするのは合理非合理以前に礼儀の問題だ」
まだなんかあるのか? と胡乱な目を向けてくる相澤に、甲司は首を振って返した。相澤は「廊下は走るなよ」とだけ言って、その場を去っていく。
後に残された甲司はしばらく立ち上がれなかった。
ウグイスの鳴く声が響く。子ども達のざわめく声も聞こえる。外は気持ちの良い五月晴れで、どこかに行くにはちょうどいい。
甲司が修羅道に堕とされたのは、そんな日の事だった。