ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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十七夜 影

 

 

 

 緊迫の刻、打ち出されるは白き球。

 迎え撃つは常勝の王。円卓を束ねし聖剣の騎士。

 切って落とすと唸りを上げる白球に、赤き竜の化身は敗けるものかと気炎を吐いて、聖剣に代わりその手に担う金属バットを一閃する。

 

 ――果たして、蒼き閃光が閃いた。

 交錯した白球は引き分けを謳うように騎士の背後へと飛翔し、騎士のバットは敗北を認め虚空を馳せる――

 

 バットを振る威力たるや凄まじく、くるくるとセイバーの頭の上で青いヘルメットが一回転した。

 横薙に切り払う様に振るわれたバットを構えたまま、無言でセイバーは立ち尽くす。

 完璧に捉えた。人間だったら首を刎ねていた。その確信がある。手応え、角度、タイミング、全て完全だった。だが――己は敗れた。

 球が、前に飛ばなかった。その現実への理解が追いつくや、セイバーはがっくしと膝をつき、敗北への絶望に顔を暗くする。そこへ――

 

「今のはファールチップだから落ち込むことはないぞ。それよりまた次が来る、構えるんだセイバー!」

「え? イッキュウニュウコン、今ので終わりでは――」

 

 士郎の声に振り返った瞬間、ストライクゾーンど真ん中を白球が通り過ぎる。

 

「………」

「………」

「………おのれ、騎士の立ち合いで騙し討ちとは卑劣な! キリツグにも劣る卑怯な振る舞い、騎士として耐え難い侮辱だ!」

「………」

 

 許しておけんと剣の騎士は憤慨し、バットを手に再起する。

 

 いつまでもアインツベルンの侍女の服を着ているのは気が引けるという事で、前回の聖杯戦争時に着ていたという男性用のダークスーツを買い求めて着込んだセイバーである。バーサーカーとのペアルックだなと指摘したら、私が最初なんです! と気恥ずかしげに主張していたのが記憶に新しい。

 

 自らのサーヴァントが、思いの外バッティングセンターでのフリーバッティングを楽しんでいる様を生暖かい目で見詰め、士郎はその隣で黙々とバットを片手で振る巨漢を一瞥する。

 打ち損じたのは最初の一球。うっかり金属バットを一振りで粉々にし、中てた球を消し飛ばしてしまった時だけだ。後は淡々と場外級の当たりを量産している。単純な流れ作業は好むところだと告げた様は作業に従事する会社員のようであり、傍から見ていると微塵も楽しそうには見えなかったが――しかし本人的には充分楽しんでいるらしいので何も言わずにおく。

 

「えいっ! とぉぅっ! やぁっ!」

 

 そのまた隣で、イリヤスフィールがバットを振り回していた。

 バットの重さに振り回され、体をふらつかせて空振りを連続する小さな少女。顔を赤くし汗を流して懸命に白球を追う様は一心に微笑ましい。頑張れと応援したくなる。

 最後の一球で、やっとバットに球を掠らせたイリヤスフィールが、ぱぁっと顔を輝かせる。バットを放り投げて士郎に駆け寄ってくるや、興奮気味に両手を振って戦果を報告してきて士郎は思わず頭を撫でてしまっていた。

 

「シロウっ、わたしやったよ! 当てれた!」

「そうか、スゴイなイリヤは。……いや本当にスゴイぞ。百三十キロの速球に当てるとか、イリヤは運動神経もいいんだな」

「えっへへー。わたしに不可能はないっ。もっと褒めてもいいわよ?」

 

 頭を撫でられると擽ったそうにはにかみ、自慢げに胸を張った。ぱこすかとホームランを量産する自らのサーヴァントは見ないことにしているらしい。

 バーサーカーはまともに球を打ち返せるようになったセイバーの打球に、自身の打球を当てるという超人技を披露して楽しみだし、セイバーが躍起になって強い打球を放ちはじめている。

 周囲のどよめきなど歯牙にもかけず、まるで親戚の子供をからかうようにして遊んでいるバーサーカーに、セイバーは顔を真っ赤にしてムキになっていた。

 

 幾ら運動神経がよくとも、それを支える体力は見た目よりも少ない。イリヤスフィールは火照った体をもどかしそうにしながら、上質なコートを脱いで士郎に渡してくる。

 

「わたしはもういいかな。お兄ちゃんはやらないの?」

「ん、ああ……」

 

 ――言い澱んだのは、こんなふうに遊んでいて良いのかという、ある種の後ろめたさと焦りがあるから。

 桜が攫われている。良からぬことに巻き込まれている。なのに彼女の捜索の最中に、こんなことをしていては申し訳ない。桜を助け出せなかったら、士郎は一生後悔する。その想いが、どこか苛立ちを抑えた気持ちにさせるのだ。

 何やら人の心の機微を察するのが苦手らしいセイバーは気づいていないが、イリヤはそれを見透かしている。透明な悪意を滲ませる事もなく、冷徹な眼差しで天真爛漫に微笑んだ。

 

「サクラが気になるのね」

「………」

「大丈夫よ。少なくとも殺されはしないから」

「………なんで言い切れるんだ?」

 

 確信を持って言うのに怪訝なものを感じ、士郎は我知らず目つきがきつくなる。

 イリヤスフィールは微笑を深めた。

 

「お兄ちゃんには教えてあげよっかな。多分……ううん、ほぼ確実にマキリはサクラに聖杯の欠片を埋め込んでる。金ぴかはどうやってかそれを知った。だからサクラを攫った。ならサクラが何をされるかなんて簡単に分かるわよ」

「………何をされるんだ?」

 

 聖杯戦争の概要は知っていても、システム自体に詳しいわけではない士郎では察しがつかないらしい。イリヤスフィールは一瞬隠して誤魔化そうかとも思ったが、アインツベルンを滅ぼした以上は特に隠す気にもなれない。

 少女にとってこの聖杯戦争が終われば、それで人間としては“終わる”のだ。如何なるしがらみも、何も、意味がない。なら隠さずに、士郎のために話しておくのもいいかもしれないと思い直した。

 

「――あのね、お兄ちゃんには特別に教えてあげるけど、もともと冬木の聖杯は二つあるの。一つが大聖杯、冬木の土地を聖杯降霊に適した霊地に整えていく機能を持つ、超抜級の魔術炉心よ。これがサーヴァントを召喚するのに必要な魔力を、霊脈を枯らさないように六十年懸けて吸い上げ蓄えてるの。マスターを選び、令呪を配布するのがこの大聖杯ね。

 そしてわたしが小聖杯――脱落した英霊の魂を回収して、大聖杯を動かす為の炉心。小聖杯だけで万能の願望器として機能させることができるけど、大聖杯の本当の目的は――って、ここはお兄ちゃんにはどうでもいいかな。要するに、サクラはわたしの役目である小聖杯になってる。だから少なくとも聖杯戦争が終わるまで殺されはしないわ」

 

 わたしに会うまでは、とは伝えない。桜は殺すのだ。イリヤスフィールの存在意義を奪うモノと成り果てた故に。

 士郎は、イリヤスフィールが桜を殺すつもりでいる事など欠片も想像がつかず、素直に理解が追いついていない事を告白した。そのついでに疑問を発する。

 

「……よく分からない。けどアイツが桜を聖杯戦争が終わるまで何処かに監禁して、俺達に出くわさないようにさせたらどうするんだ?」

「それはないんじゃないかしら。だって考えてみて? ……これはサーヴァントには隠さなきゃいけないことだから秘密にしてほしいんだけど、小聖杯は脱落したサーヴァントの魂を燃料として蓄えるの。なら金ぴかが何を狙ってるにしても、小聖杯を完成させなきゃいけない。そのためには過半数のサーヴァントを脱落させて、サクラに回収させようとするはず。わたし達が先に他のサーヴァントを倒して、その魂を回収したらサクラは完成しないわ。そうなったら金ぴかはサクラを連れて先に他のサーヴァントを倒して回るか、わたしが回収した魂を手に入れるためにわたしを殺しに来る。――ほら、何もこっちからアイツらを探さなきゃなんないわけじゃないって分かるでしょ?」

「……俺達が先に他のサーヴァントを倒して回れば、アイツは絶対に俺達を殺しに来る……ってことか」

 

 そしてイリヤスフィールを殺す。士郎はそれを捨て置けない。例えイリヤスフィールでなくとも許せないと思うのだろうが、この少女と触れ合い無邪気に慕ってくれる、切嗣の忘れ形見を殺させる事など見過ごす事などできるはずもない。

 

「そ。だから無理して探し回る必要はないのよ。わたし達がするべきなのは、金ぴかを探し出すんじゃなくて、他のサーヴァントを見つけて倒すことよ。なら話は簡単よね? 聖杯戦争は夜にするものなんだから、まともなマスターとサーヴァントは徘徊する。それを見つけて倒せばいい。日のある内は好きに過ごしていいの。苛ついててもしょうがないから、お兄ちゃんも気を抜いてた方がいいんじゃない? 今からその調子だと、気疲れして何かポカしちゃうかもよ」

「………そう、だな。ああ、その通りかもしれない」

 

 それでも腹に据えかねるものがあるのか、士郎の歯切れは悪かった。イリヤスフィールは苦笑して腰に手を当て、士郎が納得しやすい提案をする事にする。

 元々必要だと思っていた事へ、話を運べると見たのだ。

 

「――じゃあこうしよっか、お兄ちゃん」

「……?」

「昼間はお兄ちゃんを鍛える。夜は聖杯戦争をする。お兄ちゃんは魔術師としてもへっぽこだし、セイバーの支援ができるように――とまでは言わないけど、最低限自衛ができるようにはした方がいいわ。そうしたらいざという時に助かるかもしれないし」

「……いいのか? でもイリヤが俺に魔術を教えてくれるにしても……」

「あ! わたしの事バカにしてるでしょ!? 確かに純正の魔術師みたいに理論だって指導はできないけど、少なくともお兄ちゃんよりはずっっっと知識もあるんだからね! そ・れ・に! 鍛えてもへっぽこはへっぽこだろうから、バーサーカーとセイバーに鍛えてもらうこと!」

「いぃ!?」

 

 イリヤスフィールの宣告に士郎は声が裏返るほど驚いた。

 咄嗟にバーサーカーを見る。あの大英雄に鍛えられる? ……死ぬ未来しか見えないのは何故だ。セイバーはなんだかんだ安心感があるが、強すぎる威圧感を持つバーサーカーに鍛えられるとなれば死んでしまいそうな気がしてならない。

 そんな義兄(おとうと)の反応に、イリヤスフィールは溜飲を下ろしたらしい。にこにこと笑みを浮かべて士郎の腕を取った。

 

「じゃ、今から帰ろ。帰ったらすぐセイバー達に鍛えてもらってね。夜はわたしの時間なんだから!」

「……死なないよな、俺」

「だいじょーぶ。それに期待してもいいのよ? だって――ヘラクレスに鍛えられて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだから」

 

 なんでもない、自身のサーヴァントの自慢なのだろう。

 しかしどうしてかその言葉は士郎の耳にこびりつき。微かな期待が、確かに宿った。

 

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ。白い聖杯を戴く一行は帰路についていた。

 朱色に染まる世界。衛宮邸への道は人気が少ない故に、四人で並んで歩んでも不自由はない。そんな時だ――不意に、イリヤスフィールが足を止める。

 唐突に立ち止まったイリヤスフィールに士郎が振り向くと、セイバーとバーサーカーまで立ち止まっている。

 どうかしたのか。そう訊ねると、イリヤスフィールは無言で立ち尽くすばかりで返答がない。代わりというわけではないのだろうが、セイバーが険しい表情で美貌を固め、自らのマスターへ答える。

 

「シロウ。どうやら今回の聖杯戦争……一筋縄ではいかないようです」

「それってどういう……」

「――下がれ。エミヤシロウ、マスター」

 

 ずい、とバーサーカーに肩を掴まれ、後ろに追いやられる。踏ん張ろうにもまともに抵抗すら出来ない膂力に、士郎は圧倒されながらも文句を言おうとした。

 だが言えなかった。前に出たバーサーカーはイリヤスフィール――と、ついでに士郎を護る形で立ち塞がる。彼の(おお)き過ぎる背中に隠れてよく見えなかったが、確かに視えた。目の前に――ひとつの、影のようなモノが現れたのを。

 

「セイバー。取り決め通りだ。私が敵を討つ。貴様がマスター達を護れ」

「はい。ですが危ないと判断すれば助太刀しましょう」

「何が――」

 

 二人の遣り取りに、士郎は状況の把握に努めようとした。突然の緊迫感に、もしかしてと悟る。

 

 イリヤスフィールが顔を強張らせ、呆然と呟いた。

 

「そんな――サーヴァントが、七騎追加された……?」

「……な、なんだって……?」

「話は後にしろ。()()()()()()()()()()()()を始末する」

 

 士郎までも呆気に取られるのを窘め、バーサーカーは皮肉げに嗤って吐き捨てた。

 彼の眼前に立つ……否、自然発生した亡霊の如く()()()()()()のサーヴァントに、バーサーカーは失笑を禁じ得なかったのだ。

 

 それは、バーサーカーだった。いや――より正確に言うならば、墨汁で塗り潰されたように黒い()()()()()だったのだ。

 己に酷似した影法師。ただし鎧や武具はない。そして明らかに()()()()()、完全な狂戦士である。あまつさえマスターがいないのだろう。現界したはいいが、ものの数分とせず消滅するのは免れない存在の希薄さがあった。

 だがその数分で充分である。運悪く出くわしてしまったイリヤスフィールや士郎を、容易く殺してのける災害だ。黒いバーサーカーが声無き声で咆哮するのに――バーサーカーは武装すらせずに嘆息した。

 

「まるで噂に聞く、酔った後の私のようだ。なるほど、これならばポルテがからかって来たのにも頷ける。――見苦しい。疾く失せろ。昏々と屍を晒せ」

 

 サーヴァントである以上、同じ聖杯戦争に自身と同じ真名を持つサーヴァントと遭遇する可能性も零ではない。

 狂気に呑まれた己という存在、それは女神ヘラに次ぐ憎悪の対象。この手で殺せる機会が得られたならば是非もなかった。

 狂化しているという事は、保有するスキルすらろくに機能していない証拠である。恐れる必要は微塵もない。故に果断にバーサーカーが馳せた。

 即応して影法師が迎撃せんと身構え――しかしいとも容易くバーサーカーの拳撃がその顔面に突き刺さる。防禦の為に掲げられた腕をすり抜けるような穿孔、着弾の瞬間に暴風が吹き荒び士郎達の髪を靡かせた。

 たたらを踏んだ影法師は成す術がない。マスター不在によるパラメータの低下、理性なきが故の技量の喪失。力と技で遥かに勝る同一人物に敵う道理はない。

 

 空中に蹴り上げられた影法師が、追撃のために跳躍したバーサーカーの足刀を首の付け根に受け、藁の如く吹き飛んでいく。

 

「――――?」

 

 仕留めんと、着地した刹那に地面を蹴ろうとしたバーサーカーだったが、彼は不意に急制動を掛けて立ち止まった。

 

「――――」

 

 もはや、見守るイリヤスフィールには声もない。

 呆然と()()を見る。

 

 衛宮邸のすぐ外に。まるで、何気なく立ち寄ったかのように佇む黒い影。

 サーヴァント、ではない。深海に揺蕩う暗黒の陽炎――それが、吹き飛んで消滅した影法師を呑み込んだ。

 とぽん、と。水面に石を擲ったような音と共に、影法師が更に深い影に喰われる。

 

 瞬時にセイバーとバーサーカーが武装した。本能的に悟ったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 触れた瞬間に逃れる術なく()()される。例え戦士王、騎士王、英雄王であろうとも。

 

 しかし、その深海の影の如きモノは……バーサーカーを見た瞬間、恐れをなしたように消え去った。

 

 まるで夢幻のように。何一つ痕跡のないまま。

 なんだったんだ、今の……そう呟く士郎をよそに、イリヤスフィールは呆然と囁く。

 成り損ないとはいえ、まがりなりにもサーヴァントが死んだというのに、その魂が彼女の中に入らなかった。それはつまり、アレは――

 

「……サクラ?」

 

 この時、白き聖杯の少女は、大聖杯が異常をきたしているのを悟った。

 

 桜を通して、何か善くないモノが胎動している――

 

 

 

 

 

 

 

 




【作者からのお願い】展開予想を書き込むのはほんとやめてね。モチベに関わるからね! 作者との約束だ!!

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