ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
遠坂凛の聖杯戦争、その初戦はとてもではないが“優雅”とは言えないものだった。
サーヴァントを召喚したものの、召喚事故を“うっかり”起こしてしまった為サーヴァントが記憶に混乱が見られるなどと言い、真名が分からないまま街に出た。
召喚したのは赤い外套の弓兵だ。気障で皮肉屋で凛を割と苛つかせたりするが、人の好さが滲み出るサーヴァントだった。そんな彼と凛は新都、冬木を回り、敵マスターとサーヴァントを探していたのだが――よりにもよって、彼女達が最初に見かけたのが、三つの陣営による三つ巴の戦闘だった。
青い戦装束の槍兵、小柄な少女騎士、そして……黄金の狂戦士。
遠目に見ただけで、凛は本能的に悟った。あれは化物だと。まさかクラスがバーサーカーとはこの時は思いもしていなかったが、マスターとしての透視能力で見たパラメーターが桁外れに高い。
筋力がA+で、敏捷と耐久、魔力がAランク。そして幸運の値までBランクと、極めて強力なサーヴァント。ランサーと、恐らくはセイバーと思しきサーヴァントとの三つ巴なのだろうが、二騎が同時に狙っているため実質二対一でありながらなお圧倒している。
被っているその兜で、凛には彼の真名が解った。世界中の文明圏で教科書に載っているのだ。“アルケイデス王の兜”として。神話の英霊としてか史実の英霊としてかによって真名は変わるだろうが、あの黄金のサーヴァントは間違いなく、
「―――へ、ヘラクレス……!? 都市部の聖杯戦争でなんてバケモノ喚び出してんのよ……!? あんな奴の宝具なんかぶっ放したら地図から冬木が消えるじゃないっ!」
悲鳴じみた凛の弱音は、冬木を管理するセカンド・オーナーとしての立場と、一人の冬木市民であるが故のものだ。
ヘラクレスの武勇を示す逸話の一つに、ヘーラクレースの柱がある。ジブラルタル海峡だ。もしもその逸話を宝具に昇華した形の代物があれば、間違いなく日本列島が真っ二つに割れるほどの威力を発揮するだろう。断じて文明圏で暴れさせてもいいサーヴァントではない。
斃さねばならない。
それはマスター以前に、セカンド・オーナーとして、冬木市民として危機を未然に排除する責務である。故に凛は決断したのだ。今にも敗れ去りそうなランサーとセイバーを支援する形で、なんとしてもヘラクレスを斃す。アーチャー単騎では勝ち目が見えないからでもあり、それが万全の策だ。
「アーチャー、やれるわね? あの二人を援護して! ……アーチャー?」
「――――」
「アーチャー!」
「――ああ、了解した」
赤い外套の弓兵はヘラクレスと少女騎士を目にするや、呆然としていた。遠目に視認して――混乱していた記憶が
例え地獄に落ちようとも、忘れる事のなかった騎士王との邂逅。そして、
アーチャー、真名をエミヤ。彼はマスターの指示を聞き、戦慄と共に体が震えるのが分かった。それは恐怖か、はたまた歓喜か。判然としない感情を押し殺し、アーチャーは戦闘屋として意識を切り替える。
マスターである凛の命令が来たのだ。ならばサーヴァントとして応えねばなるまい。生半可な攻撃では全く意味がないだろう。なら全力でやる。例えなんと思われたとしても、卑怯卑劣と詰られても構うものか。
今、エミヤはサーヴァントに徹していた。凛の危惧も分かるからだ。だが――
(バカな。私は……オレは、バーサーカーに
完成した自身が、あの最強の戦士を相手にどこまでやれるのか、知りたくて堪らないでいる。そんな未熟者のような高揚を恥じるが、悪くない気分でもあった。
アーチャーは凛を抱き上げると一気に跳躍しその場から離れていく。「ちょ、ちょっとアーチャー!? 逃げる気!?」と凛が喚くのに苦笑した。
「凛、勘違いするな。私は逃げている訳じゃない。あの距離からでは却ってこちらが捕捉される。まだ離れねば、
「え……? うそ、結構――っていうかもう滅茶苦茶離れてる気がするんだけど……?」
「不足だ。大英雄ヘラクレスは弓兵としての適性も高い。彼のアーラシュ・カマンガーほどの射程はないにしろ、その弓の威力は私など遠く及ばないだろう。最低限、反撃が来ても死にはしない程度の距離から狙撃せねば話にならん」
「弓持ってないでしょ、アレ。槍はなんでか持ってるけど……」
「ならば槍を投げてくるのだろうな。何をされても驚くには値せん。そういう相手だ」
そう言って、エミヤは凛を抱えて新都のビルに降り立った。三騎のサーヴァントが戦闘を繰り広げる戦場、そこから実に二キロメートルは離れた地点である。
「下がっていろ、凛」
「! ……ええ、分かったわ。アーチャー、貴方の力、ここで見せて!」
「フ――――I am the bone of my sword. (体は剣で出来ている)」
エミヤは自身唯一の固有武装である洋弓を顕し、投影した偽・螺旋剣を弓につがえ、魔力を充填していく。
その魔力の奔流に凛は息を呑んだ。人間には及びもつかない高密度、高濃度の魔力。自然災害を彷彿とさせられる。狙いを定め、エミヤは酷薄に目を細めた。
オーダーは、援護。しかしそれは不可能だ。周りの連中に
中る、その確信。凛にはもう目視できる距離ではないが、アーチャーの射が余りにも綺麗だったから――目を奪われると共に確信できた。中った、と。
だが“鷹の目”を持つエミヤは見た。偽・螺旋剣を撃ち放った瞬間、ヘラクレスの眼が間違いなくこちらを捉えたのを。
「―――
咄嗟だった。反射だった。
「“
しかし、その兵装の選択を誤った。否、エミヤは間違いなく正しい選択をしている。この大英雄の盾以外でヘラクレスの魔槍を凌げる道理はない。
展開した瞬間、流星の如く飛来した白亜の魔槍が激突する。紅色の花弁が瞬時に四枚も砕け散り、エミヤは瞠目して歯を食い縛る。この魔槍に追尾機能はない、盾を破棄し回避を取るしかない。だが――今、エミヤの後ろには凛がいた。
回避は成らず、故に防ぎ切る他にない。エミヤは吼えた。ヘラクレスがランサーであれば贋作の盾など粉砕されていただろう、しかし彼はバーサーカーである。魔槍の真価を発揮できず、エミヤはアイアスの盾を最後の一枚まで消費して、なんとか防ぎ切る事に成功した。
瞬間。
エミヤに突き刺さる、ヘラクレスの憤怒に染まった殺気。魔槍が担い手の許に帰還するのを尻目にぎくりと体が強張りかけるも、エミヤはこの場に残るマズさに舌打ちし凛に言った。
「――撤退する。狙撃地点の割れた狙撃手など脅威足りえん。態勢を立て直すぞ」
「あ、アーチャー……貴方、その手……っ!」
しかし凛は眼を見開いて、エミヤの右腕を凝視する。
全魔力をアイアスの盾に注ぎ込んだ故だろう。魔槍の威力が伝播して砕けたのだ。
血が滴り、骨折しているエミヤは負傷している。聡い凛は気づいていた、アーチャーだけなら躱せたのに、自分が居たから正面から受けて立つしかなかったのだと。
マスターである自分がサーヴァントの足を引っ張った、そしてその結果として、アーチャーが負傷した。その事にショックを受けている凛を、エミヤは叱咤する。
「凛ッ、この程度は時間を置けば回復できる、今は退く他にない! 二度目も防げると思うな、アレはヘラクレスだぞ――!」
「……! ごめんなさい、撤退するわ!」
凛はアーチャーの檄に我に返り、悔しげに唇を噛みながら身を翻した。
冬木のセカンド・オーナー、遠坂凛。その初陣は彼女の才覚からすると信じられないほど苦々しく、そして屈辱的な結末を迎えたのだった。
凛は反省していた。
アーチャーが負傷したのは自分の責任である。自身のサーヴァントの特性も理解せずに同行し、あまつさえ足手まといになってしまったのだ。
マスターとしての責務、義務として戦場に立つのが遠坂の流儀。少なくとも凛はそう信じていたが、それに拘泥する余り出しゃばり、またしてもアーチャーの足を引く可能性がある。
ならば大至急対応しなければならない。アーチャーのクラス別スキルに“単独行動”があるのだから、アーチャーには独立して動く許可を与えるべきだろう。
だがそれではいざという時、アーチャーを令呪で支援できない。どうするべきかを、アーチャーが遠坂の館で傷を癒やしている間ずっと考えていた。
妙案は浮かばない。自分達が手を拱いている間、戦況が動くのは確実だろう。時間を置けば置くほど、ヘラクレスを擁するアインツベルンが有利になっていくのは自明。迅速に動くべきだが……。
(桜……衛宮くん……)
あの場には、予想外な事に
まさかあの二人が聖杯戦争に参加――あるいは巻き込まれているとは思いもしなかった。
手をきつく握り締める。こうして行動できない今、座している間にあの二人が死んでしまったら……凛は歯痒い思いで知恵を振り絞る。今後、どう動くべきか策を練らねばならない。
そんな時だ、霊体化し傷を癒やすのに専念していたアーチャーが、凛に緊迫した様子で声を掛けてきた。
(凛、報告がある)
「……何?」
(心して聞け。此度の聖杯戦争、どうやら通常通りとはいかないらしい。――たった今“聖杯”から通達があった)
「………?」
訝しげに耳を傾ける凛に、アーチャーは恐るべき事態を告げ――
(
「……え? ……ちょっ!? ちょっと何よそれぇ!?」
遠坂凛は、はしたなくも叫ばずにはいられなかった。
もはや座していられる時は過ぎ、凛は動き出さねばならなくなった。
アーチャーの傷が癒えるのを待っている余裕はない。今動かねば、総ての状況から置いて行かれる気がしてならず。
凛は、自身の後見人にして聖杯戦争の監督役、言峰綺礼に事情を詳しく聞きに行くべきだと判断した。
――その矢先だった。
「ッ! 下がれ、凛! サーヴァントだッ!」
「――――」
彼女は、マスターを失い彷徨っていた、美の化身も斯くやといった美貌の弓兵と遭遇する。
実体化し双剣を投影して構える赤い弓兵に、麗しき弓兵は露骨に舌打ちした――