ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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二十一夜 白の陣、邂逅の夜(上)

 

 

 

 

 原始の世。今まさに文明を築いていかんとする古代。後の世界の中心国家となるローマ帝国の礎となる故に、その地に築かれた数多の伝説は、古代文明の最たる物の一つに数えられる。

 どこまでも広がる草原。果てなく広がる蒼穹。荒れ狂い、然れど凪ぎし大海原。悪心を招く神秘濃度は物理法則の無き故に、そこかしこを舞う精霊や神の遣いの雑多さよ。

 ポツンと虚空に漂う意識の中、ぼんやりとその世界を視る。

 狂った者がいた。雨雲の迫る天に不吉の予兆を視る。燃え盛る炎の中に、狂った男が妻子を投げ込んでいる。必死に止めようとする幼い男児と女を振り払い、そして――雨が降った。

 

 正気に戻った男の慟哭が天地を揺らがす。自決せんとする男を止めたのは、彼の父であり大神。

 

 男は報復を誓った。復讐を成さずに死ぬものかと魂に刻んだ。己を狂わし最愛の者たちを殺させた悪神を断じて赦さぬと、その心中に常に燃え盛る燎原の火を焚き続ける。

 灼熱のような生き様だった。男はやがて様々な出会いを経て、神と人の関係を刷新する道を志す。如何に困難な偉業であろうと決して折れない。戴く神に忠誠を、憎む神に恩讐を、愛す人に幸福を――そして、人が抗えぬ神に告別を成さんと進んでいく。

 友を作った。妻子を得た。国を築いた。原初の火を人類に齎した神を共犯者とし、二人三脚で進んでいった。復讐を成し――しかし、その代償に国を半壊させ。遂には人の身では志を遂げるには時が足りぬと悟り、男は己の神たる魂に刻印する。

 

 そうして彼は死に、神となった男は勝利と共に神として人に別れを告げた。それは分かたれた人としての己との訣別でもあった。

 

 人間の男が振り返る。今際の際、臨終する寸前――その目が、ふと自分を捉えた気がする。

 

『――この世全ての悪を敷いても、善を成しても良い。悔やみ、逃げても良いのだ。生きて、生きて、生き抜いて。そして願わくば、愛する者に尽くす人生を生きてほしい。

 人間は憎しみと嫉妬に狂い、いたずらに争う醜い獣だが。同時に何よりも度し難く、尊い……美しい生き物なのだと信じて……人生の旅を終えよ。振り返り、悔いはあっても未練はないと……笑って死ねるように』

 

 男はトロイアへの救援に出した自身の子供達に伝わるように、腹心に遺言を託して事切れた。

 それが――どうしてだろう。少女は自分に言われた気がしてひどく胸がざわめいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 握り締めた木刀、その構成材質を読み取り微細に把握し、脳裏に広げられた設計図に沿って魔力を通していく。

 すると――キン、と。鉄と鉄が打ち鳴らされたような幻聴と共に、強化の魔術が成功した。

 

「あれ……?」自分でも驚くほどすんなり成功し、士郎は呆気に取られた。これまで失敗だらけだった魔術行使がなんでこんなに簡単に成功したのか。

 考えられる要因は、昨夜イリヤスフィールに魔術の指導を受けた事のみ。

 魔術回路を開いただけでこうも変わると、今までの苦労が徒労であったのだと感じて士郎はドッと力が抜ける思いだった。

 

「……じゃ、次は投影ね」

 

 イリヤスフィールが寝惚け眼で言う。切嗣にそれを誰にも見せるなと厳命されていたが、まあイリヤ達にならいいかと軽い気持ちで投影魔術を行使する。

 強化の魔術よりも、士郎的には簡単な、息抜きに近い魔術である。台所で握り慣れた包丁を投影し、それをなんとなく掲げて検分する。そうするまでもなく細部に到るまで完璧に把握できているため、全く意味のない行動だったが。

 

「昨日も見せてもらったけど……やっぱり出鱈目ね。魔術っていうより異能の類いじゃない。ねえシロウ、一応訊いておくけど自分が何をしたか分かってるのかしら」

 

 道場である。冷たい空気に身震いするような夜、イリヤスフィールに促されてやって来たセイバーとバーサーカーは目を見開いていた。

 セイバーは純粋な驚き故に。しかし、バーサーカーは驚愕した直後に思案するような表情になっている。士郎は首を傾げた。彼はそこまで特別な事をした自覚がない。故に気負うでもなくさらりと返した。

 

「何をって、普通に投影しただけだぞ。まあ包丁とかは簡単な割に危ないからな、投影した後はすぐ消す事にしてるから安心してくれ」

 

 そういう事じゃない。イリヤスフィールの目はそう言っている。

 露骨に嘆息して、彼女は改めて士郎に説明する事にした。

 

「シロウのそれ、厳密には“投影魔術(グラデーション・エア)”じゃなくて、多分だけど“固有結界(リアリティ・マーブル)”の副産物よ」

「は? 固有結界……って、なんだ?」

「……シロウ、それは魔術師ではない私も知っています。あくまで知識でしか知りませんが……私の師であるマーリンが、それは魔術の最奥なのだと言っていました」

 

 最奥? セイバーの口から飛び出したビッグネームにも反応せず、士郎はあくまで無知を曝け出すように反駁し、腕を組んだ。いまいちピンと来ないのだ。

 そんな義兄(おとうと)にイリヤスフィールは頭痛を堪えるような表情になる。

 くどくどと解説するのは単純に面倒臭い。しかしこの場で講釈できるのが自分しかいないのだ。仕方なくイリヤスフィールは無知な士郎に教授する。教師役なんて柄じゃないのにと内心愚痴を溢しつつ。

 

「固有結界っていうのはね、個と世界、空想と現実、内と外を入れ替え現実世界を心の在り方で塗り潰す魔術の到達点の一つよ。魔法に最も近い魔術って言われてて、魔術協会では禁呪のカテゴリーに入れられてるわ」

「へえ……」

「へえ、ってシロウ……貴方のそれの事を言ってるんだけど……まあいいわ。ともかく、シロウの魔術回路はそれにだけ特化した異形のものなの。……異形とかわたしに言えた口じゃないけど。いい? 固有結界っていうのは、魔術理論"世界卵"を使い、殻という体の内外の境界線はそのままに、現実と心象風景を入れ替えるの。どれぐらい出鱈目なのか一口で言うと……普通の魔術師がシロウの魔術のカラクリに気づいたら、シロウをホルマリン漬けにして研究資料にしようとするぐらい出鱈目なのよ。分かる?」

「ホルマリン漬けは御免だな……」

 

 わざわざ説明したのに、どこかピントのズレた感想を溢す士郎にイリヤスフィールは嘆息した。苛つかないのは、馬鹿みたいな事を言っていながら士郎なりに危険度を理解したと察したからだ。

 しかし危機意識が薄い。理由があれば隠しもせず、使うのを躊躇しないだろう。そう確信させる危うさが士郎にはあった。自分に降り掛かる危険には無頓着な士郎の悪いところだ。

 

 と、不意にバーサーカーが問い掛ける。

 

「マスター。エミヤシロウの魔術……能力の限界点はどこにある? 例えば宝具の投影も可能なのか?」

「え? んー……多分できるんじゃないかしら。流石にAランク以上の宝具とか、神造兵装は無理だと思う。シロウの起源が“剣”だから、無理なく投影できるとしたら主に剣にカテゴライズされるものばかりだろうけど……それがどうしたの?」

 

 バーサーカーはマスターからの反問に、難しい顔で思案したまま答えず、さらに質問を重ねる。

 

「……いや。例えばの話だが、固有結界とやらは他者に引き継がせる事が出来るものなのか?」

「ええ。継承は可能よ」

 

 ただし、その場合は固有結界を展開する能力を魔術刻印として受け継ぐだけで、心象世界は全く別になり、能力そのものも異なるものになるが。

 しかし言葉が足りない。イリヤスフィールの答えにバーサーカーは納得してしまい、そして士郎の容姿を足元から頭頂部に到るまで見渡して鼻で笑う。

 ムッとする士郎である。コンプレックスに近い身長の低さを笑われた気がしたのだ。

 

「なんだよ」

「いや馬鹿にする意図はない。私の思い違いを笑っただけだ。先日セイバーとランサーと交戦していた際に狙撃してきたアーチャーがいたが、アレは恐らく貴様の祖先なのだろう」

「は? 俺の祖先……?」

 

 何せ能力が全く同じもののように見えたのだが、身長から体格がまさに大人と子供の差である。士郎の年齢的に、あそこまで劇的に背丈が伸びる事は考え辛い。

 ……実際は、士郎の中にある聖剣の鞘によって成長が遅れているだけで、最終的にはあの弓兵と同じ容姿になるのだが、聖剣の鞘の存在をまだバーサーカーは知らない故にそうした結論を出したのだ。

 

 きょとんとしたのはイリヤスフィールだ。数瞬呆気にとられ、考え込み、そして愕然とする。バーサーカーの勘違いはともかく、聡明な少女は彼の言葉の意味を悟った。

 そんなイリヤスフィールの驚愕を横に、バーサーカーはある一つの決意を懐く。

 

「貴様にはあのような戦法は取らせられん。私が貴様を正統派の剣士にしてやろう」

「……え?」

「武器は扱う者次第で善にも悪にもなる道具に過ぎんが、そこに込められる信念や誇りを蔑ろにする戦術は例え幾ら有効であっても許容できん。如何に道具に過ぎん代物でも宝具は別だからだ。例えばセイバー、貴様は自身の武器をエミヤシロウが投影できたとして、それを使い捨ての弾丸として放たれればどう思う?」

「私の剣をですか? ……それは、やはり面白くありませんね。私の今の剣なら所詮は一時の幻想と捨て置けるでしょうが……思い入れのある選定の剣を投影され、使い捨てにされれば不愉快かもしれません」

 

 セイバーの持つ約束された勝利の剣(エクスカリバー)は、星が鍛えた神造兵装である。如何に異能の能力でも完全な模倣は不可能だ。

 だがこれはあくまで仮定の話、セイバーはその前提に則って答える。

 バーサーカーも頷いた。そして士郎に言う。

 

「エミヤシロウ、貴様は剣に分類されるなら、宝具すらも投影できるかもしれん。だが忘れるな、宝具というのは英霊の象徴、無闇に贋作を作り出し使い捨てていいものではない。何故なら宝具とは英霊が強い愛着や誇りを持つものが多いからだ。“出来る”からと粗製乱造し、打ち捨てるように消費する様は元となった英霊の誇りを蔑ろにする所業となる。その事を覚えておけ。この時代の人間である貴様には、道具は道具でしかないではないかと共感し辛いかもしれんがな」

「……理解は出来るぞ。付喪神とは違うにしても、物を大事にするって考えは分かる」

「ならそれでいい。投影するなとは言わん、だが扱い方には気をつけよ。それと、こうするなと戒めるだけでは片手落ちだからな。私から貴様に、その能力の活かし方のアイデアを一つ、出しておこう。――その前にマスター、一つ訊くが固有結界とやらは現実世界に展開する形でしか使用できないのか?」

「え? うーん……そんな事はない、と思うわ。だって固有結界ってある種の異世界だもの。現実世界とは法則が違う。だから結界として使用したら世界からの抑止が掛かって長時間の展開は無理になるわ。魔術師ならそのリスクを無視する為に、例えば結界の展開を体の内側にだけ限定して燃費を良くするって方法も取ると思う。それが一番、概念的にも無理がないもの」

「この男の起源は剣、だったな。そして投影魔術は固有結界の副産物に過ぎないと。ならば――こんな真似は出来るか? 例えばエミヤシロウの固有結界を、一振りの剣としてカタチにするといった事は」

「――――」

 

 バーサーカーの発想は、収斂である。武人らしい思考だった。

 無限を以て唯一とする。その発想にイリヤスフィールは息を呑み、セイバーは戦慄する。それはつまり、

 

「……数多の剣を内包した、一振り。宝具すら内包した剣であれば、それは剣に於ける究極の一にも成りえますね」

 

 セイバーがそう溢し、己のマスターの秘めた可能性に驚嘆の目を向ける。士郎は全く理解が及ばず、セイバーの目に居た堪れない気分になった。そんなに凄いものなのか? と。そんな士郎を横に、イリヤスフィールは深く考える。知識を総動員して理論に無理がないか思考し。そして理論ではなく答えから入れる特性を持つイリヤスフィールは直感した。不可能ではない。謂わば固有結界の亜種だ。

 固有結界を攻撃的に解釈した概念結晶武装。自身の心象風景を剣として結晶化したものであれば、それは世界からの抑止の対象とはならない武器である。むしろ固有結界をそのまま展開するより余程無理がないとすら言えた。無論の事、それを成すには固有結界への深い理解が不可欠で、修練を必要とするだろうが。

 

「……セラを呼ぶわ。シロウにはうんと勉強してもらって、そこを到達点として目標にすれば、多分できる」

 

 ――そうして士郎にとっての天敵となる鬼教師が衛宮邸に赴任する事になったのだ。

 

 イリヤスフィールの返答に、バーサーカーは頷いた。

 

「ならばその剣を使い熟す技量は不可欠であろうさ。喜べエミヤシロウ。貴様を一端の剣の英雄に仕上げてみせよう。そのためには扱う武具から選定しなくてはならんな。エミヤシロウ、早速だが一つこれだと思うものを投影してみせよ」

「は? え? ……なんでさ」

「いいからやれ」

 

 命じられ、士郎は今まで見た事のある剣の中で、それらしいものを想像する。

 と言っても士郎が見た事のある剣など、夢の中で見たセイバーの剣か、気絶する寸前に垣間見えたアーチャーが狙撃してきた剣の矢の残骸……後は、藤村組で見せてもらった事のある日本刀ぐらいである。

 今の士郎には、宝具である剣の投影は気軽にはできないし、セイバーの剣は技量的にも許容値的にも不可。となれば、投影する剣は“刀”しかなかった。

 

 渋々刀を投影した士郎に、イリヤスフィールはパッと顔を明るくする。

 

「あっ! カタナ! それ知ってるわ! お爺様が言ってたもの。カタナはニホンジンの魂で、セップクとかカイシャクにも使われるのよね! ね、ね、やってみて! ニホンジンはシロウしかいないんだからシロウしかできないもの!」

「やったら俺が死ぬんですが。……なんかイリヤの日本観は間違ってる気がするぞ。刀に関しては間違っちゃいないかもしれないけどさ」

 

 気軽に切腹とかするものではない。今度そこのところじっくり話し合うべきかもしれないと士郎は思った。そんな彼から刀を受け取り、バーサーカーは日本刀を視る。

 偉丈夫である彼が刀を持つと、サイズが脇差のようにしか見えない。バーサーカーは刀の出来に感嘆した。

 

「……まるで工芸品だな。美しい剣だ。とても贋作とは思えん。……しかし切れ味はよさそうだが、脆い造りだ。これは叩き切るものではないな?」

「ああ。西洋の剣と日本の刀は違うからな。確か……引いて斬るものだったと思う」

「引いて斬る? ……こんな感じか」

 

 言いつつ、バーサーカーが刀を振るう。ビュッ、ビュッ、と風を斬る所作は精錬されていて、一流の刀使いのようだ。

 流石は無双の大英雄とでも言うべきだろう。はじめて手に取った武器を簡単に使い熟して見せる。しかも三回振った後は、その風切り音は風と風の隙間を通り抜けるような風切り音を残すのみとなる。そしておもむろに構えたかと思うと、超神速の九連撃が虚空に放たれた。

 

 如何なる剣豪をも両断せしめるのではないか。そう思わせる威力の剣技に道場が揺れる。うわっ! と士郎の口から悲鳴のようなものが溢れ、バーサーカーは慨嘆した。

 

「……未熟」

 

 恥じるように呟いたバーサーカーの手から、砕け散った刀が消滅していく。セイバーは微妙な表情で相槌を打つしかなかった。

 

「……今のは、私も回避できず斬られていたと思うのですが……」

「武技を振るい武具を壊すなど未熟者以外の何者でもあるまい。こんな様で指導はできん。エミヤシロウ、貴様に剣の技を教えるのは後日に回そう。体作りから入るぞ。そうだな……明日だ。明日には貴様にカタナの扱い方を教えられるように私自身を仕上げてみせる。それまで待て」

「一日でいいんですか……」

 

 思わず士郎は敬語で呟くしかない。達人は得物を選ばないと言うが、はじめて握った武器の慣熟を一日で済ませるつもりのバーサーカーに苦笑いもできない。

 武芸百般に精通する無双の豪傑がヘラクレス――アルケイデスである。彼に掛かれば英霊の域にある刀使いには及ばずとも、並の刀術の達人など相手にもなるまい。

 そうしてバーサーカーは失った刀の感触を反芻するように腕を振るいながら、暫し鍛錬に没頭すると言い残して道場から去って――行こうとした時だった。

 さあ私が相手です、とセイバーが士郎の鍛錬に付き合おうと息巻いた直後、イリヤスフィールがハッとして視線を転じた。

 

「――何か来る。結界を越えたわ。これは……サーヴァントと、人間?」

 

 屋敷に探知の結界が張られている故に、士郎も遅れて気がついた。侵入者だ。

 そう感知した瞬間――衛宮邸の周囲を囲う壁を粉砕する轟音が轟き、大音声が鳴り響く。

 

 

 

「――ヘラクレスッ! いるのは分かっているぞ! さあ今すぐにこの私と闘えッ!」

 

 

 

 

 

 


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