ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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はたけやま氏より授かったイラストを挿絵として使用させてもらいました。
失禁不可避の画力を見よ!(虎の威を借る狐




3.1 第二の勤め

 

 

 

 

 自身の肉体に備わった力なのか、はたまたネメアーの贈り物なのか。あれほどの死闘を制した後だというのに、全身の傷が塞がり血色も良くなった。

 血を流しすぎていたがそちらも問題はないらしい。失血死する可能性もあったのが、本人に自覚もなしに解消されているのになんとも言えない気分になる。

 だが死にたいわけではない。生きられる限り生きる。それでいい。傷が癒えた由縁が己の肉体なのか否かについては、ネメアーのお節介だとでも思っておくことにしよう。その方が些か気分が良い。

 

 今回の勤めにイオラオスは連れて来てはいなかった。というのも相手が『神』の名を冠する獣だということで、あの少年は力不足も甚だしく、足手纏いにしかならないのが目に見えていたのだ。

 故に彼はミュケナイでヘラクレスの帰還を待っている。三日以上帰っていないのだ、さぞかし心配しているだろう。安心させてやるためにも早く帰らねばならない。

 そう思うのに、どうにも足が重い。傷は癒えて、気力が戻ろうとも、流石に疲労そのものは回復していないらしかった。生まれて初めて体験した全力での殺し合い、それを三日間も掛けて続けたのだから、この疲労感も当然のものだろう。ヘラクレスはやむなくゆっくりとした足取りで帰還していく。

 

 道中は穏やかなものだった。ヘラクレスとネメアーの死闘の余波で、周囲に生息していた獣達は軒並み逃亡したのだろう。そうして二日も掛けてミュケナイに戻っていく途上のことだ。醜い小男が、荷台に腰掛けてヘラクレスの前で待ち構えていた。

 ヘパイストスである。まさかのタイミング――というより早さだ。ぴくりと眉を動かして、ヘラクレスは問い掛けた。

 

「オリンポスの神ヘパイストス。何用だ? まさかもう鎧を仕立ててきたとでも言うつもりか」

 

 まさかそんなはずはあるまい。その内心を隠さずに言うと、ヘパイストスはニヤリと笑った。

 

『そのまさかよ。そこもとから借り受けたネメアの獅子の骸、確かに鎧として鍛え直して来てやったわ。ついでに剣と弓、矢も持ってきてやったぞ』

「……何?」

 

 驚目に瞠らせ、二の句を告げずにいるヘラクレスに、ヘパイストスは率爾にからくりを説明した。そこは勿体振るところではない。

 

『我が父ゼウスは時を引き伸ばす権能も持つ。例えば一夜を三倍にするなどな。天候を司る故に昼と夜もゼウスの領分であると拡大解釈しておるのだろう。儂がゼウスに頼み工房内の時間を引き伸ばし、ザッと二ヶ月ほど掛け仕事をしたまでのことよ』

「……なぜ私にそこまでする? 同じ神を父とする以外に縁はあるまい。貴様に目を掛けられる由縁が分からん」

 

 疑問だった。ヘパイストスはゼウスの雷、アイギスの盾など様々な武具防具を仕立て上げた鍛冶の神だ。それが先日会ったばかりのヘラクレスのために、ゼウスに権能の行使を頼んでまで急ぎ、こうして自ら渡しに来てくれたことが理解できない。

 猜疑心の滲んだヘラクレスの詰問に、しかしヘパイストスは言う。ヘラクレスに『神とは度し難い愚か者ばかりではなく、中にはハデスやヘスティアのように悪神とは言えぬ者もいる』のだという認識を与える言葉を。それは後に、人類に火を与えた或る善神を救う端緒となった。ヘパイストスがヘラクレスの中にある、およそ総ての神へ無差別に向けていた憎悪の熱量をそのままに、限定的な指向性を与えたのだ。

 

惚れた(・・・)のよ』

「……は?」

『誤解はするな。儂は父とは違い男色の気はない。そこもとの武と、獣を相手に尋常に勝負しようという心意気が気に入ったのだ。ネメアの獅子とのアレは、血湧き肉踊る佳き戦であった。闘争を極限まで高めた尊いものであったよ。しかしな……そこもと程の英雄がなんの武器も持たず、防具も纏わずに闘ったのが儂には物足りんくてなぁ。しゃあないからな、儂が自らそこもとの戦装束と無二の武具を誂えてやろうと思ったまでのこと』

「………」

『儂が自ら持って参ったのは、自発的に鍛えた武具を遣いに渡して贈るのは筋が違うと考えたからよ。気にするでない』

 

 偏見に曇っていた目が、晴れたかのようだった。

 ヘパイストスの純粋な好意で、わざわざ神の身でありながら骨を折ってくれたという事実に、ヘラクレスは無性に恥ずかしくなった。

 ネメアーの毛皮と骸を半ば強引に持っていかれた時は気に入らないと思っていたが、そんなヘラクレスに対してこの神は無償の好意を示してくれた……。人と神ではなく、一個の人格としての器の違いをまざまざと感じてしまう。

 ヘラクレスはヘパイストスに詫びた。貴方を見縊っていたと。そう言うとヘパイストスは無骨に笑った。黙っておれば気づかんかったものを、わざわざ口に出して謝るとはばかな男よな、と。

 

 鍛冶の神は英雄を促した。さっさと手に取ってみよと。早速渡されたのはひと振りの剣である。

 

 223cmもの体躯を誇るヘラクレスと同程度の刃渡りを持つ、極めて長大な白鋼の剣。聖剣ではなく、魔剣でもない。ましてや神剣などでもない。飾り気はなく、柄頭まで白い雪のような剣だった。ヘラクレスをしてやや重量を感じるほどの重さと、異様な頑丈さを感じる。手に馴染んだ。これは? 視線を向けるとヘパイストスは腕を組む。

 

『儂が鍛えておった聖剣にネメアの獅子の牙と爪を込め鍛造したひと振りよ。生意気なことにな、儂の剣が持つ聖剣としての格を食い潰しおってな……だがまあ如何なる穢れにも染まらず、如何なる善業にも揺らがぬ中庸の剣となっておる。ただ硬く、欠けず、曲がらぬ。そこもとの魔力を刀身が増幅させ、圧縮・加速を繰り返す特性を持つように成った。いや、した(・・)。ついでに細工も施してな、そこもとの鎧とパスを繋いでおる故、鎧を着ておれば、喚べば何時何処であろうとも召喚できる』

 

 差し詰め銘は『誓約されし栄光の剣(マルミアドワーズ・ネメアー)』であろうなとヘパイストスは結んだ。

 

 試しに白剣を振るう。無造作に、されど精密な剣捌きを以て。

 ひゅ、と鋭利な風切り音が鳴る。一閃の余波は大地に裂傷を刻みつけ、深い斬線が残された。その剣技は既にして無窮の域へと届いている。

 しかしそんなものなど気にもならぬほど感動していた。剣の重心、癖、バランス。それをひと振りで把握したヘラクレスは、かつてない共感を得物に感じていたのだ。

 剣が軋まない。己の力で振るっても。ネメアーの牙と爪を束ねた白鋼を振るっているのだ、当たり前のことなのかもしれないが……全力で使える武器というのは、ヘラクレスにとって望外の宝であった。

 

 次いで渡されたのは同じく白い大弓である。普通の弓の三倍はある。弦は金色だ。

 

「これは……」

『察したか? 儂の鋼と獅子の脊髄で鍛え、鬣で編んだ弦を持つ弓よ。それで射た矢はダイレクトにそこもとの膂力を叩き込まれる。要は使い手の腕力次第で威力が増減するものだ。これもくれてやろう』

 

 矢筒を押し付けられる。筒と言っても、細身の剣の鞘の様だ。矢が無い。訝しげにヘパイストスを見る。

 

『そこもとが魔力を込めればよい。イメージした矢が精製されよう。物質の矢と魔力の矢、好きに使い分けるがいい』

 

 言われるがまま白身の筒に魔力を送る。すると不格好な矢が手の中に現れた。わざわざ手を翳さなくとも手の中に直接矢が精製されたのだ。

 失敗作を棄てると消滅する。改めてイメージを確りと持って矢を作る。槍のような大矢だ。金色に煌めく魔力の矢を、天に掲げて撃ち放つ。それは何処までも飛んでいき、ヘラクレスの視力でも捉えられない遠方まで飛来していった。

 呆気に取られる。その顔にヘパイストスは笑った。そこもとの作ったガラクタとは違うのだ、と。ヘラクレスは少し傷ついた。ガラクタか……。いや確かに、この弓と比べたらガラクタなのだろうが……。

 

 どうにも素直に喜べずとも、有り難く頂戴する。そしてヘラクレスは、着付けられるまま鎧を纏う。

 纏った感覚にヘラクレスは頷いた。全幅の信頼を寄せるに足る、と。改めて心の底からヘパイストスに礼を言った。そして誓約する。「これより先、我が振るうは鍛冶の神の鍛えた武具のみとする。命を預ける鎧はこれのみとする」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘラクレスが帰ってきた。

 

 その報に酒宴を開いていたエウリュステウスは驚愕し、酒杯を取り落としてしまう。

 ネメアの谷の獅子と、ヘラクレスの死闘の気配は、近隣諸国にまで伝わる夥しいまでの魔力反応と轟音、熱気を放っていた。三日間にも及ぶ血戦にエウリュステウスは恐怖し、それが途絶えてからやっと落ち着くことができた。

 それから幾日か過ぎ、ヘラクレスが一向に帰ってこないことで、ヘラクレスが死んだと思ったエウリュステウスは祝杯を上げていたのだ。

 これで枕を高くして眠れる。王位を脅かされることはない。そう思っていたのに、ヘラクレスは無事生きて帰ってきてしまった。

 

 いや、帰ってきただけならまだいい。

 

 帰還したヘラクレスの偉容に、獅子を退治した英雄の姿を一目見ようと大通りに押し寄せた民衆が魅入られてしまっていたのだ。

 ――人理を弾く金色の外套を翻し、獅子神王の鬣をなびかせる白鋼の兜と、見たこともない形状の全身鎧で身を包んでいる。その背には神威すら感じる無垢な獣の魂を形にしたような白剣と、同じ材質で出来た弓を帯び。腰に鞘のような矢筒を提げた姿。武勇に長けた無双の英雄の存在感も武装に見劣りしない。寧ろ互いが互いの格を高め合うような、ある種の共生関係が築かれているかの如き完成度があった。

 兜で顔は見えない。しかしこれはヘラクレス以外に有り得ない。誰もがその確信を強制的に抱かされる。圧倒的な武威と神々しさだった。力と力の融合により、もはやこれは神域の芸術品とすら形容できる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 呆然自失する民達の真ん中を進み、ヘラクレスが通り過ぎると民衆は腰砕けになる。宮殿へ辿り着いたヘラクレスは、宮殿から飛び出、期せずして出迎える格好となった上段のエウリュステウスを見上げる。両手で兜を外すと、顕になったのはやはりヘラクレスの顔だった。

 ざんばらとなった黒髪と精悍さの増した面構え。心中を見透かす紅い瞳。獅子の威風を身に着けたヘラクレスは、ただただ狼狽する王に宣言する。

 

「ネメアの谷の獅子、確かに退治した。これにて一つ目の勤めを終えたことを宣言しよう。さあミュケナイ王エウリュステウス、次の勤めを言え。迅速に片付け、我が身の禊としよう」

「な……」

 

 絶句する。エウリュステウスは唖然としていた。

 ネメアの谷の獅子はミュケナイ国の軍の総力を結集してなおも一蹴される化物だ。それも当然、獅子は神獣なのである。人が勝てる相手ではない。

 それを倒した。しかもその鎧と武器という、明確な証拠まである。それはつまり、つまりだ。ヘラクレスは――ミュケナイ全体を敵に回しても、単騎で上回るという証明に他ならないではないか。

 

 恐怖の余り気が遠のく。しかし自尊心と虚栄心で踏み留まった。本来なら国が解決すべき案件を勤めとして告げて、今は一刻も早く目の前からこの化物を遠ざけたい。その一心でエウリュステウスは早口に言った。

 

「わ、分かった……ヘラクレスよ、大儀である。だがすぐに行ってしまえ! 第二の勤めとして、レルネーに住み着いている多頭蛇を退治してこい! 分かったな!?」

「承知した」

 

 ヘラクレスは帰還したばかりだというのに、帰還したその足で早速とばかりに身を翻した。その背に煌めく金色の外套を、エウリュステウスは畏怖と忌避の籠もった眼差しで見詰め続ける。

 伯父を追ってイオラオスが駆けていく。それを見てやっと我に返ったエウリュステウスは自身を安心させるために自らへ言い聞かせた。

 

(だ、大丈夫だ……いくら奴が化物とはいっても、レルネーの蛇はネメアの獅子とは別種の怪物。腕っ節でどうこうできる手合いではないんだ。だが……)

 

 不安がある。

 

 レルネーの蛇とは、テュポーンとエキドナを親に持つ、ネメアの獅子の兄弟。獅子と同じくギリシア世界を代表する怪物。その名をヒュドラ。全宇宙最強の猛毒を持つ、解毒の出来ない最悪の毒を持つ不死の蛇。

 ヒュドラ種という毒の大蛇が各地に蔓延っているが、それらは所詮ヒュドラの子か、その模造品に過ぎない劣等種。総てのヒュドラの原典にして原種である神蛇の毒を受ければ神さえも苦悶の内に発狂し、その神格を腐らせてしまうだろう。ヘラクレスとて命はあるまい。

 だが……あの(・・)ネメアの獅子を退治したあの(・・)ヘラクレスだ。もしかすると、倒してしまうかもしれない。あの鎧を見て、エウリュステウスは絶望しそうだった。誰も奴を殺せないかもしれない――その予感は確信になりつつある。

 

 故にエウリュステウスは決断した。

 

(今、奴の甥がついて行ったな。もしも無事に帰ってきてしまったとしても、この勤めは独力で果たしたものではないと言い張って無効にしてやる。そして次からは……)

 

 ……もう、化物退治を勤めにするのはやめよう。厄介で面倒なだけの、遠方に出向かねばならないものだけにしよう。

 

 力で殺せないなら、奴が生きている間にミュケナイに寄りつけないような、時間の掛かる勤めばかりにしてやる。エウリュステウスはそう考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




誓約されし栄光の剣(マルミアドワーズ・ネメアー)
 ランク・A+
  種別・対軍宝具
 レンジ・1〜50
最大捕捉・500
ギリシア神話最大の英雄ヘラクレスの愛剣。広範囲を高火力で薙ぎ払うビームの出る剣だが、その種別は聖剣や魔剣、神剣ではない。強引に例えるとするなら、剣の形をしたネメアの獅子である。
かなりの強度を誇り、ヘラクレスすら破壊は至難。ヘラクレスが三日間全力で殴り続ければ折れる。鎧とセットで運用すると、喚べば空間転移してやって来る仕様。盗難対策。なおアーサー王伝説でこれを見つけたアルトリアは歓喜して聖剣から持ち替えようとしたが、とうのマルミアドワーズから拒否られてショボーンとすることに。おかげでマーリンに怒られずに済んだ。
「この世に残してたらネメアの獅子が再臨しかねない」と察知したマーリンに世界の裏側に送り込まれる。が、以後の伝説でも結構な頻度で出没したお騒がせ要員。鎧が現存している限り、どこに飛ばされても現世にしがみつくしつこさが売り。

なおヘラクレスはこれを流派ナインライブズで対人対軍対城対幻想種などなどの様々な種別で振るうものとする。

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