ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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ケリュネイアの牝鹿で一年どころか一週間掛からなかったため、試練を考えるエウリュステウスにネタが尽きた模様。

王(考える時間をくれ!)

というわけでバタフライエフェクト発生。試練の順番が前後することに。
比較的簡単に思いつきそうで、時期的にいつでも構わない奴に変更。







5.1 軍神来たりて斯く語りき (上)

 

 

 エウリュステウスは激怒した。必ずやあの化物を誅さねばならないと決意した。

 

 多少は時間を潰せると踏んでいた女神の命令を、あの理解不能の化物は七日も掛けずに達成してのけたのだ。もはやエウリュステウスにはあの男こそがネメアの獅子やヒュドラに通ずる怪物に思えてくる始末である。

 ミュケナイ王は激怒する。それが逆上でしかないと解っていながらも怒りに猛る。立場上今の所は安全と解っているからこそヘラクレスを面罵できた。

 

「貴様! 解ってるのか!? 俺は普通の人間なんだ、そうポンポンと神託の勤めの内容を考え出せるわけじゃない!」

「………」

「貴様の罪を濯ぐのに相応しい勤めなんぞそうはないんだ、いくら最近ミュケナイが怪物の溢れる魔境扱いされていると言っても限度がある! 解っているのか!?」

「………」

「解っていない! 全く以て全然解っていない! いいか、聡明で可愛い俺の娘に感謝しろよこの化物め! 俺の娘が貴様の勤めに相応しいものを考え出してくれた、なんでもアマゾネス族の女王の持つ戦帯が欲しいのだとさ! くれぐれも! そう『くれぐれも』だ! あんまり早く片付けて帰ってくるんじゃないぞ!? 少しはゆっくり時間を掛けてから勤めに臨め! 俺の頭は勤めのことばかりでいっぱいなんだ、いい案が出るまで戻ってくるんじゃない! 解ったか!?」

「……善処しよう」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘラクレスは今、無性にエウリュステウスに対し罪悪感を感じていた。

 

 彼の王は良縁を持ってきてくれる恩人とも言える男だが、さしものエウリュステウスも無茶振りのネタが切れてきたらしい。

 強すぎて申し訳ない――そんな台詞を億面なく一切の嫌味なしに言えてしまうし、言われてもヘラクレスなら仕方ないで流されるのがこの男。しかし己の強さを自覚するヘラクレスは、まるで自重する気はなかった。

 折角の勤め、全力で取り掛からなくては勿体無い。種々の経験を積み上げるのに、己へ恐怖し殺意を持つ者からの試練は都合がいいのだ。

 だがまあクオリティの高い勤めを考えてもらうためにも、それなりのインターバルが必要だと言われてしまえば是非もない。アマゾネス族の女王の戦帯を手に入れるのは、ゆったりと気長にやっていこうと思う。強奪など論外なので交渉して終わらせたいものである。交渉力も必要になる未来もあるかもしれないのだ、知恵を絞っていこう。

 

 そういうわけで、ヘラクレスはその旨をエウリュステウスの家臣に伝えた。いつぞやヒュドラの件を無効とすると伝えに来た若い男で、その青年はヘラクレスに話し掛けられると挙動不審となり、話の内容を理解すると唖然とした。

 

「確かに言付けたぞ」

 

 言うだけ言って、ヘラクレスは旅支度を整える。イオラオスに馬と馬車を与えて御者とし、天幕付きの馬車の中には食料と水の満ちた壺を幾つも積んでいる。ヘラクレスは獅子の鎧と武具を身に着け、勇壮な紅い敷布を纏ったケリュネイアに跨った。

 さあ往くぞ。せいぜい大回りし、寄り道をしながらゆっくりとな――ヘラクレスはそう言って、これからの旅路に思いを馳せようとする。そんなヘラクレスの一行に、ある女神官が駆け寄ってきた。

 

「お待ちなさい、お待ちなさいヘラクレス!」

「………」

「なんだ、神官! 大上段に構えて偉そうに伯父上を呼ぶんじゃない!」

 

 イオラオスが怒鳴り返した。最近のイオラオスは機嫌が悪い。自分がヘラクレスについていったせいで、ヒュドラ退治の勤めが無効にされる口実にされたのだと自分を責めているのだ。

 ヘラクレスとしては気にしなくていいと本気で思っている。これからも是非付いてきてもらいたい。例え幾つ無効扱いされてもエウリュステウスが根負けするまで勤めを果たせばいいだけのこと。エウリュステウスのうんざりした顔が目に浮かぶようである。

 英雄の甥の怒声に、幾分か冷静さを取り戻したのか、女神官は立ち止まると呼吸を整え、居住まいを正して歩み寄ってくる。イオラオスの苛立たしげな様子を視線で制し、女神官を促した。

 

「そのように急いて何用だ? 私はこれより勤めに出る。余程のことでもない限りは用向きに従わんぞ」

「いいえ、従ってもらいます。太陽神アポロン様より授かった神託です」

 

 ぴくり、とヘラクレスの眉が動いた。鬣の翻る兜を外し小脇に抱えると、豪勇無双の大英雄は女神官を見据えた。威圧するまでもない。女神官はその視線の深さにたじろぐも、なんとか威厳を保ってあくまで厳かに告げる。

 

「――これより先、デルポイの参内路の途中にあるパガサイの野に巨人キュクノスが待ち伏せ、通行する旅人やアポロン様の信者の首を刎ね、それを以て自らの父である軍神アレスの社を作ろうとしています。トラキアではいざ知らず、アポロン様の領域であるデルポイでこのような暴挙は赦されません。アポロン様は神託を下し、ヘラクレスに巨人キュクノスの討伐を命じると申しました」

「この私に神々の諍いへ首を突っ込めと? 太陽神は私が軍神に睨まれることなど知らぬというわけか」

「ヘラクレス!」

 

 咎める神官の鋭い叱責が耳を打撃した。しかしヘラクレスは無表情に女神官を見据えたままだ。

 

「海神ポセイドンの子が軍神アレスの娘を犯した顛末を知らぬとは言わせん。アレスの丘と呼ばれる、神々の裁判の地にまつわる件は有名だ。軍神が司るは戦の暗黒面、凶暴で短絡的な面が目立つが、彼の神の子を想う心は真のもの。私が軍神の子を討てばその恨みは手を下した私に向くだろう。アレスは命じた者へ目を向ける性質ではない。太陽神は軍神の子を討った私に何か報いる物があるというのか?」

「ではヘラクレスよ、罪もない者を殺めるキュクノスのおこないは何とするのです。捨て置くというのですか?」

「問いに問いで返すな。無論捨て置けるものではない。おこないを改めさせ、罪を償う意志の是非を問い、償う気がないならば討とう。――それで。太陽神は軍神に睨まれる私に対する手当はないのか?」

 

 ――『これは、聞いていた話と違うかな?』

 

 ふと、声が天上より降ってきた。

 太陽の光が一筋、女神官とヘラクレスの間に降り注いでいる。ハッとして跪く女神官を尻目に、ケリュネイアの上から降りもせずヘラクレスは口を閉ざす。

 

「何が違う? 太陽神(・・・)よ」

 

 手振りでイオラオスを馬車の御台より降ろさせ、跪かせるとヘラクレスは堂々と訊ねた。それに神経質そうな、しかしそれを寛大な声音で覆い隠した気配がする。

 姿も表さずに太陽神は言う。

 

『ヘラクレスは神をも畏れぬ無双の勇者である。しかし道義を弁え、神に反する者ではない……そんなふうに聞いていた。わたしの命を聞かないとは思わなかったよ』

「聞かぬとは言っていない。神と神の諍いの種を撒くのだ、それに対する是非を問うていたまでのこと」

『へえ……ヘラクレスも恐れるものがあると見える。乱暴なだけのアレスに睨まれるのが恐ろしいのか』

「恐ろしい、恐ろしくないの話ではない。筋を違えるな、太陽神。我が身にのみ降り掛かる火の粉ならば如何様にも払おう。だが後の禍根となるのが解っているものを、むざむざそのままにしておくのは愚者の愚行である。私の言に一分でも粗があるのならば正すがいい」

『粗はあるとも。指摘してあげようじゃあないか』

 

 勿体ぶって、アポロンは居丈高に告げる。

 確信した。如何なる悪神にも受容の姿勢を見せよう、しかし()()は駄目だ。生理的に合わないし、合わせられない。

 衝動的に噴出するモノに、ヘラクレスは怒りを抑える努力を放棄した。

 

()()()()()()。命じられたのなら粛々と従うものだろう』

「――――」

 

 粗とはそれ。わざわざ言うまでもないだろうとでも言いたげですらある。

 す、とヘラクレスはケリュネイアの体に括りつけていた白弓を抜き取る。金色の弦を引き絞るや、大矢を精製して一息に射ち放つ。射ってから自身の自制心の脆さに苦い顔をしたのを、兜を被って覆い隠した。

 ヘラクレスの放った矢は、一切の高度変更も減速もなく、真っ直ぐに飛来して遠方のアポロンの神殿に突き立った。驚異的な精度、威力である。幾重にも重ねられた結界を突き破り、神殿の一角が倒壊したのに――場が凍りつく。冷え冷えとした、殺意すら滲む声音でアポロンは訊ねた。

 

『なんの、つもりだい?』

 

 女神官は恐怖に縮こまり……しかし、イオラオスは顔を伏せたまま喝采したいのを懸命に押し殺していた。そんなものなど意にも介さず、アポロンはヘラクレスを睨んでいる。大英雄は悪びれもせずに言った。

 

「粛々と従おう」

『………』

「だが軍神に牙を剥かれた際には、このように言わせてもらう。『私は軍神の子を討てと命じられたが、できるなら討ちたくないと太陽神に抗議した。しかし太陽神はあくまで討つことを望み、私はやむなく抗議の証として太陽神の神殿に矢を射掛けた。私には軍神に対し含むものはない』とな」

 

 ――往くぞ。

 

 ヘラクレスはイオラオスに言う。イオラオスは頷き、ニヤつきながら馬車を牽く馬の手綱を振るった。ケリュネイアは軽く地面を蹴って身を翻し、上機嫌に鳴いて走り出した馬車と並走する。

 去りゆく獅子の英雄の背に、底冷えのする神の声が掛けられた。

 

『……その傲慢、高く付くぞ。ヘラクレス』

 

 応えず、ヘラクレスは自問していた。なぜこのような振る舞いをしてしまったのか。生理的に受け付けないからと、衝動に突き動かされるなど未熟も良いところである。

 まだまだ精進が足りん。ヘラクレスはその一点のみを深く反省していた。

 

 ――第四の勤め、軍神の戦帯の入手。そこに至るまでの三つの大冒険……軍神との一悶着、一組の夫婦を巡っての冥府神ハデスへの謁見、英雄船アルゴノートへの参加……その始まりを告げる一幕であり、太陽神アポロンと英雄ヘラクレスの確執、その始まりを見た瞬間であった。

 

 

 

 

 


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