ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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匿名希望?のある御方から支援絵をいただきました。
ネメアの獅子の鎧を着たヘラクレスです。
これだ。


【挿絵表示】


すごい(コナミ)
すごすぎて、震えた。夜見たから迫力と威厳に(え、このイラストに負けない風格をここのヘラクレス出し続けないと駄目なの?)と戦慄してました。この場を借りて至高の御方に感謝を捧げ、この作品を完結させることをお約束します。目指せ毎日更新!(おととい? なんのことかしらんなぁ)

Q.こんなヘラクレスが敵として目の前に居ます。どうしますか?

A.しめやかに失禁。のち失神。もしくは心臓発作。





5.3 死の神に物申す (上)

 

 

 

 

 掛け替えのない思い出がある。愛し、愛され、慈しんだ妻と子供達。

 それを害され、事もあろうに我が罪とされた屈辱と、気が狂わんばかりの憤怒は忘れられるものではない。いや、あるいはもう狂っているのか。

 

 心の原風景は燃え盛る我が家、降り注ぐ豪雨。――懐いたのは不退転、恩讐の果てを望む復讐の道。

 

 今の己の第一の渇望は、例え何があろうとも変質することのない純粋な殺意と害意。この世のありとあらゆる激痛と呪詛を絡めて一切の慈悲なく奈落(タルタロス)に落とし、永劫に己が不死の身を嘆かせ苦悶の裡に魂を捻じ曲げさせ、この身に味わわせた以上の狂気の渦に浸らせる。

 最優先だ。何もかも、この恩讐の渇望より上位となる願いなど存在しない。これは決定事項であり、行動指針や原理の根底にして根幹である。ヘラの栄光などという名を付けられた恥辱も、その名が残り続ける絶望も、総て受け入れよう。呪わしき仇敵が神々の女王としての名声を残し続けたとしても構うものか。ただ報復を成就させ、その命と魂を冒涜し尽くす。其処に迷いなど介在する余地は絶無である。

 

 だが――矛盾があるのに気がついた。気づいてしまった。

 

 人生の総てを捧げる恩讐の路、その最中に懐いたのは戦士としての誇り、誇り高き友を下した故の英雄としての矜持。妹と甥という守るべき人々を再認し、彼らの子孫にも安寧をと願いはじめていた。

 そしてそのために担ぎ上げるべき神を見た。その神になら忠誠と信仰を捧げられると確信し、そのためなら労を惜しまぬという心意気を生み出し、英雄への道を志した。

 しかし陥穽がある。その神は忌むべきモノの子であり、神は父母を敬愛している。己はその父母の片割れか、あるいは双方を蹂躙する路に身を置いていた。

 親を想う子から……信仰し人々を導く神として担ぎ上げる神から……敬愛する親を奪い取り辱めるのだ。それは恥ずべきおこない、されど譲れぬもの。だがもしも目的を果たせたとして、己はその神に合わせる顔があるのだろうか。何喰わぬ顔で戦士として尽くしてもよいのか。煩悶する。苦しい矛盾だった。

 

「……だが、私はやる」

 

 やるべきことをやる、やると決めたことをやる。己が栄光のためでなく――仇を取り子々孫々の安寧のために泥を啜り、恥を呑み、背信した忠誠を示して……悪鬼羅刹、下劣畜生と罵られたとしても、仇の子である神を人々の仰ぐべき光とする。

 やはり私は、冥府にて永劫の責め苦を受けるべき卑劣漢だ。ヘラクレスはそう自嘲する。矛盾を抱えたまま突き進み、相反する想いと罪を隠し抜き、その報酬として尽きることのない裁きの炎で焼かれ続けよう。己に相応しい結末に向けて疾走する。断罪を受け入れる覚悟が免罪符などにはならないと弁えている。それでも往くのだ。

 迷わない。迷えない。ヘラクレスが往くのはそうした畜生の路。今更引き返せない、引き返すつもりもない。ならば邁進するのみなのは確定的に明らか。光り輝く英雄と成り、英雄の末路に相応しい幕引きに従う。輝く者は失墜する運命にあるものだから。

 

 小さな声で囁いたヘラクレスの覚悟。聴こえるはずもないのにケリュネイアは耳をぴこりと動かし、傍らを歩くヘラクレスの顔をぺろりと嘗めた。

 

「……どうした、気になるものでもあるのか?」

(………)

 

 気遣わしげなケリュネイアは、つぶらな瞳で主人をじっと見詰める。引き締まった表情のままヘラクレスは肩を竦める。流石に鎧兜を身に着けたまま行き続けると人目を引きすぎる故に今は平服姿である。武装は総て馬車の中で、馬車の車輪の廻る音がなだらかな風の吹き抜ける野の中に鳴り続けている。

 

 ケリュネイアから目を逸らし、淡々と歩き続けた。

 

 目的の地はアマゾネスの住む未開の地。熱帯雨林のうだるような暑さの国だ。そこに至るまで宛もなく、無意味に遠回りをしているのが現状である。

 軍神との邂逅から何日間も歩き通していた。もともとたっぷりと、不必要に時間を掛けておこなうつもりの第四の勤め。しかし無意味に時間を潰していたのでは勿体無い。近場の都市国家にでも出向き、何か困りごとがないか訊いて回りでもしようかと考えてみる。手頃な怪物でも、ネメアに匹敵するような怪物でも構いはしない。なんとなれば祖ペルセウスが相対したというゴルゴンでも構いはしなかった。

 英雄として名を上げるという実利と、困っている人を見過ごせない生来のお人好しな部分を満たせる一石二鳥のボランティア活動というわけだ。尤もそうした者がいない方がよほどマシなのは確かではあるのだが。

 

 雨の日も、曇の日も、晴れの日も、道を歩む。

 

 困ったことに何も見当たらない。魔獣、野盗の類は散見されるが、ヘラクレスを見るなり逃げ出す始末で、時折り見かける竜種は羽ばたいて大急ぎで飛び去っていく。どう見てもヘラクレスから逃げていた。

 ヘラクレス自身の発する強者の武威、ケリュネイアの保有する神獣としての格、ネメアの武具一式の神秘濃度。それらが放たれる一行になど誰が好きこのんで因縁を付けにいくものか。ヘラクレスは逃げるものは追わない、物悲しい目で見送る。仮にも魔獣、怪物と呼ばれるモノがそれでいいのか……嘆かわしいものだ。

 

 これはもう諦めて、諸国漫遊と洒落込んだ方がまだしも有意義だ。ヘラクレスは嘆息して行き先を考える。現在地はテッサリア地方だから、ここから最も近い都市は確かペライ――

 

「………む」

 

 卓越した視力を誇るヘラクレスの目が、あるものを捉えた。それは遠くに見えた城壁であり、その上の角に一人の女性が立っている。

 気に掛かり目を凝らすと、その女性は目を閉じて、何者かに祈りを捧げている。そして手にしていた盃を呷り、城壁から飛び降りた。ヘラクレスは目を見開いて即断する。ケリュネイアに飛び乗ると鋭く命じた。疾走(はし)れ!

 ケリュネイアが風となる。最初の一歩で全速力に到達した牝鹿は衝撃波すら撒き散らして五十Kmをものの数秒で駆け抜けた。ヘラクレスはケリュネイアに合わせて速力を殺すと、堕ちてきた女性を無傷で抱きとめる。

 

 予想外の感触に、女性は驚いて目を開いた。

 

 美しい、気品のある王女だ。アイスブルーの瞳と栗色の髪を持つ、貞淑な乙女――彼女は戸惑って誰何する。

 

「あ、あなたは……?」

「私が何者かなどどうでもいい。なぜ身を投げた。お前が死を選ぶ理由はなんだ」

 

 ケリュネイアから降り、女性を降ろしてやると、彼女は咳き込んで血を吐いた。蹲る乙女に苦い顔をする。飛び降りる前に毒を飲んでいたらしい。ヘラクレスは何か乙女が所以あっての死を選択したのだと察した。

 

「……貴方様には、関わり合いのないことです」

「そうだな。だが死に逝く者を見過ごせはしない。乙女よ、お前が死なんとする理由を話せ。場合によってはお前が死を選ぶに至った原因を解決してやろう」

「そんな……いえ、もしかすると、死ぬ前に貴方様に出会ったのは、神様の思し召しなのかもしれませんね……」

「………」

 

 薄れゆく意識を繋ぎ止める気がないのか、朦朧とした口調で乙女は語りだす。

 

 自分はペライ王アドメトスの妃であり、夫を愛していること。夫は昔、ゼウスの雷霆を創った巨人を殺した罪で、人間の奴隷として一年間仕えることになった太陽神アポロンを従えていたこと。夫は自分を娶るための試練に際してアポロンの力を借り、アポロンは夫の力となったこと。そしてアポロンは運命の三女神モイライから、アドメトスは若くして死ぬが、身内が身代わりになって死ねば助かる運命にあると聞き出したこと。そしてその運命の日が近づき、病に倒れたアドメトスが衰弱していっていること。しかし息子が死に瀕しても、アドメトスの父と母は代わりに死のうとはせず、自分が死んで夫を死の運命から救おうとしていること……。

 

 それらを、とつとつと語った。アルケスティスと名乗った乙女は、そうして語り終えるとひっそりと息を引き取った。

 

「………」

 

 ヘラクレスは苦虫を纏めて百匹噛み潰したような顔をしていた。忌々しい太陽神の名が出たのが非常に気に喰わない。

 死は絶対だ。しかし……これは駄目だろう。ヘラクレスはアルケスティスの遺体を抱き上げるとケリュネイアに乗り、城壁を示して飛び越えろと命じた。牝鹿は軽い跳躍で城壁を飛び越え、主人の命じるまま王宮に駆ける。

 自分達の頭の上を飛び越えていくヘラクレスに、ペライの人々は仰天して騒ぎを起こしていたが気にもしない。宮殿の前に来るとケリュネイアから降り、そのまま王宮に入る。

 

 直前、兵士たちが慌てて槍を交差させて言った。

 

「と、とまれ!」

 

 勇敢だった。だがヘラクレスは端的に告げる。

 

「どけ」

「ひっ、」

 

 恫喝しているふうではない。しかし兵士たちはヘラクレスの迫力に気圧され、思わず道を空けてしまっていた。ズンズンと進んでいったヘラクレスは、王の寝室を探る。何度か関係ない部屋を開け放ち、中の者をひっくり返るほど驚かせてしまいながら。

 そして見つけ出したのは、寝台で横たわる王らしき青年と、その傍らに侍る医者らしき初老の男。医者はヘラクレスを見るなり腰を抜かせた。無視して寝台に歩み寄る。そしてアルケスティスの遺体を王の横に寝かせると、眠っている青年を一喝した。

 

「――起きろッ!」

「……うわっ!?」

 

 最悪のモーニングコールである。静かな怒りを滲ませたヘラクレスが、押し殺した怒声で起床を促しているのだ。

 世界の終わりを見たかの如く、死人でも跳ね起きかねない勢いで、青年は死に瀕していた者とは思えない機敏さで寝台から飛び出した。

 

 そしてアルケスティスに気づく。顔が青褪めた。

 

「アドメトスだな。貴様、自らの死の運命を覆すために、己の妻を生贄にしようとしたのか」

「な……あんたは……? いや、そんなわけがあるか!」

 

 アドメトスはヘラクレスが何者か、聞こうとした。しかしそんなものよりも、認め難い問いを受けて激昂し、即座に否定する。それにヘラクレスはやや意外に思う。どうやら早合点してしまっていたらしい。激して黒髪を波打たせていたヘラクレスは怒りを瞬時に鎮め、溜息を吐くとアルケスティスの死に際を伝えた。

 

「この娘はお前が死の運命から逃れられるようにと、身代わりになって死んだ。貴様が強要していたのだとしたら、この場で貴様も後を追わせていたところだが……違うらしいな。どうやら悪であると断じられるべきはアポロンか」

 

 吐き捨て、ヘラクレスは踵を返す。

 嵐のように現れ、嵐のように立ち去るヘラクレスに、アドメトスは唖然としながらも問いを投げる。

 

「ど、どこに行こうっていうんだ……?」

「知れたこと」

 

 首をめぐらし、顔を半分後ろに向けたヘラクレスは、真紅の瞳で若きペライ王に告げる。余りにもあっさりと、なんでもないように。

 

「直にアルケスティスの魂を冥府に連れ去ろうと、死の神タナトスが来るだろう。その者の後を尾行()け、冥府に向かい冥府神ハデスに苦言を呈する。不当な運命により死に別れた者に、今一度の生を与え給えとな」

 

 死は、絶対である。しかし此度は例外だろう。

 

 知らなくても良い運命を知ったがために、愛する者を救うため、死ななくてもいい者が死ぬ。死の運命を漏洩したモイライも度し難いが、聞き出したアポロンはもっと気に喰わない。死は平等に訪れるもの……知らずにいれば、あるいは逃れる術があると聞かされなければ、アドメトスはそのまま死に……遺族は哀しみながらも喪に服することができた。

 人の死を、簡単に狂わせる。生と死は人の営みに欠かせないものだ。それを狂わせたモイライとアポロンにこそ責がある。愛する者同士を筋を違えた運命で死に別れるのを見るのも、聞くのも、知るのも我慢がならなかった。

 

 故にヘラクレスは、ハデスにすら物申すつもりだった。

 

 ――アルケスティスを返し給え。それが成らぬものならば、運命の三女神と太陽神アポロンに然るべき報いを与え給え。

 

 二つに一つを求める。なんとなれば一戦交える覚悟すら固めていた。

 

 

 

 愛し合う夫婦。そこに神が関わることは、ヘラクレスという男にとって最大の地雷の一つであった。それだけのことである。

 

 

 

 

 

 

 




ヘラクレス「今、会いに行きます」
ハデス「……え?」

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