ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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繋ぎ回。流していくので、次回が本番?です。





6.5 神への不信感、悲劇を起こさず

 

 うだるような熱さだった。

 

 ()()のではない、()()のである。

 

 手に汗握り、全身から珠のような汗を噴き出し、興奮の余りに血潮を滾らせ、熱した鉄板の上に立っているような灼熱の闘気に燃えている。

 誰かが叫んだ。雄叫びだ。昂揚した気合は超え難き壁を乗り越えんと挑むもの。この場に冷静な者など一人も居ない。平静を装える者など一人も居ない。超えるのだ、超えたいのだ。是が非でも我が身の限界の先にある領域に一歩でも多く踏み込みたいのだ。渇望する、力を。希求する、技を。身につけんとする、武を。武人として覚醒した戦士は英雄の何たるかを思い知る。これが英雄、これこそが英雄。

 超えたい。その身が立つ領域に立ちたい。頂点の座に手をかけ、同じ世界を見たい。望むのは其れだけ。望みは其れだけ。同じ地平を見んがため只管に疾走する。体ごとぶつかって玉砕する。何度砕け、挫け、膝を折ろうと何度でも立ち上がり挑み続ける。止まればこの武人として最高の一時が終わるという強迫観念に突き動かされている。こんな夢のような、自身が練磨され一秒ごとに進化していく時間が終わってしまう。打ち続けろ、撃ち続けろ、殴り続け、挑み続け、駆け続ける。

 

 絶えることのない気炎を燃やす挑戦者を迎える絶対強者、最強という名の玉座に腰掛ける王者もまた獅子の如く静かに燃えていた。

 解るのだ。一分一秒ごとに、挑戦者達が加速度的に強くなっていくのが。無駄を削ぎ落とし続けて、洗練されていく武の技が。知らず笑みを浮かべる。担う武量、未だ並ぶ者なく。懐く力量、古今に於いて最大無比。故に手加減はしている、枷は負っている、しかし自身に赦した限りの力を尽くし、最大限の敬意を以て相対するものの熱気に応じていた。

 

 ――此処はドリオニア。レムノス島より出航したアルゴノーツが、ヘレスポントスを経て、半月の航海の後に立ち寄ったドリオニア人の王国。

 

 治めるはドリオニア人の王キュージコスである。腕の立つ益荒男達に対して殊更に友好的だった。彼自身がゼウスらの母神レアーの聖獣である獅子を討ち取る猛者であり、アルゴノーツがドリオニアを訪れるのと時を同じくして、長くドリオニアの王国を苦しめた六本の腕を持つ巨人を退治したのを、王として感謝し手厚く歓迎してくれたのだ。

 そんなアルゴノーツはキュージコスに対して友情を感じた。故に彼らはキュージコスの求めに応じて武闘祭に参加し、そこで変則的な試合をおこなったのだ。

 

 ギリシア最強の英雄であるヘラクレスと、総ての英雄たちの総当たり戦である。

 

 ドリオニアの腕に覚えのある戦士たちも参加し、武闘祭はキュージコスの記憶にないほどの盛り上がりを見せた。ヘラクレスはイアソンによって縛りを与えられている。

 地面に刻んだ真円より一歩も出てはならない。左腕は防御にしか使わず、右腕は攻撃のみ。両脚は攻撃にも防御にも使ってはならない。また一人に対して五回攻撃を受けたらそこで敗北の判定を下す――理不尽なほどに厳しいルールだ。だがヘラクレスはそれを是とした。不条理なまでに過酷な柵の中でも勝利して魅せてこそ英雄だと嘯いてみせたのだ。

 

 テセウスが挑んだ。力を律しているとはいえ、一人で真っ先に――猛然とヘラクレスの立つ領域に近づかんと挑戦した。

 カストル、ポリュデウケス、ゼテス、カライス、テラモン、アドメトス、ペレウス、カイネウス、アタランテ、イオラオス――ドリオニアの戦士たち。誰もが勇んで挑み、限界まで粘り続けて己の限界を超えようとした。

 

「いけっ、右だ! ああっ、そうじゃない! 左に回り込め! いけいけヘラクレスも疲れてきてるぞ! 休ませるな!」

 

 イアソンは握り拳を作って手に汗握り、盛んに声援を送っていた。彼もまた英雄たちの生み出す熱気に当てられ血を熱くしていたのだ。

 叡智こそを尊び、部下の武力は己のものと考えるイアソンだが、この時ばかりは自分に武力がないことを悔しがり、それを誤魔化し紛らわせるために誰よりも熱心に声を上げている。アルゴノーツもそれに応え、ヘラクレスに土を付けるために果敢な姿勢を崩さない。

 

 やがて日が沈むと武の宴は終わる。アルゴノーツも、ドリオニアの戦士たちも地べたに座り込んで疲労困憊のまま互いの健闘を称え合い、ヘラクレスは最後まで立っていたが全身から汗を噴き出し肩で息をしていた。

 危なかった、とヘラクレスは思う。特に最後に対峙したテセウスの粘り腰は舌を巻く思いで、何度か良い(もの)を貰ってしまい下手をすると円の外に追い出される所だったのだ。

 

 キュージコスはアルゴノーツに多くの食糧と水を工面してくれて、アルゴー号の整備までしてくれた。壮年の王は爽やかにアルゴノーツを送り出し、またいつかアルゴノーツのメンバーが訊ねてきたら歓迎すると満面の笑みを浮かべていた。

 気持ちの良い王である。ヘラクレスは大いに感心したものだ。自身に良縁を齎してくれるミュケナイ王エウリュステウスやアドメトス、テラモン以外はロクデナシの王ばかりを見てきたヘラクレスは、彼のような王ばかりであればまだ迎合しやすい世界だったろうにと胸中に溢したほどに良心的だった。

 

 ふと、思いつく。ヘラクレスは神への不信感から、それとなくイアソンやアルゴノーツに警戒を呼びかけた。

 

「キュージコス王は気持ちの良い男だった。だがそれとは関係なく、彼の王はティタンの神の一柱にしてオリンポスの神王の母である女神、レアの聖獣を殺めている。領地を荒らす害獣故に退治したらしいが、神がそんな人のおこないを斟酌するとも思えん。ともするとキュージコス王に害を成さんとする可能性がある。何が起こっても冷静に対処することだ」

 

 それとは別に、アルゴノーツやヘラクレスも与り知らぬことだったが、六腕の巨人は女神レアがキュージコスを罰するために遣わしたモノである。それを殺めているアルゴノーツもまた、レアに睨まれていた。

 ――女神に呪われ、多くの神々と出会い、その器と性根を図ってきたヘラクレスの言である。心配のし過ぎだと笑い飛ばす者はいなかった。英雄ともなると必然的に神々と接触する機会を得る者もいる。彼らの知る神ならば有り得ると、却って納得されたほどだ。

 

 そうして夜に航海に出たアルゴノーツは、凄まじい逆風を受けた。キュージコス王に持たせてもらった海図を見るに、不自然なほど強い風である。ヘラクレスは嘆息した。イアソンは冷や汗を流し、不安げにアルゴノーツの預言者に訊ねる。

 

「な、なあイドモン……君はどう見る?」

「……予言はそんなに便利でもないぞ。が、まあ……出来過ぎではあるわな」

 

 自身の死の運命をアルゴノーツの冒険に見ていながら参加し、レムノス島でも自ら進んで女を抱いていた好色な預言者は、イアソンの不安を煽るようにあっけらかんと返した。予言するまでもなくおかしいだろうと暗に言っている。

 ほどなくしてアルゴー号は凄まじい逆風に負け、元来た航路に押し戻されていく。すると夜の闇の中、後ろから何隻かの船が薄っすらと見えてきた。

 軍船である。殺気を感じた。応戦の構えを見せるアルゴノーツを制止する。ヘラクレスは半ば確信していた。自身の手は下さず、人によって相討たせる神の常套手段であると、普遍的な神への嫌悪感から決めつけてすらいた。レムノス島でアプロディーテを軽蔑していた意識も手伝って、ヘラクレスは強い風にも掻き消されない大音声を発する。

 

「貴様らは何者だ! 我らはイアソンを戴くアルゴノーツであるッ! 我らをそれと知りながら襲い戦うというのなら、欠片ほどの慈悲もなく――皆殺しにするぞォッ!!」

 

 その怒号に夜の闇の向こう側にいる軍船から動揺が感じられた。戦意が萎えたのを確認したヘラクレスはイアソンらを振り返る。

 我らを相討たせんとする神の奸計だ、戦う必要はない。ヘラクレスがそう言うと、アルゴノーツは神の陰湿な手口に顔を顰めていた。恩義を受けたキュージコスと戦い、手に掛けてしまうかもしれなかったのだ。神への不信感が蔓延する。その空気はむしろ、ヘラクレスにとっては居心地の良いものだったが……抜け目なく、そして周到なヘラクレスはこの船にゼウスの意志が宿っているのを忘れていなかった。

 これ以上神への不信感を強くする前に行動する。アルゴー号がキュージコスの乗る船に寄ると、ヘラクレスは彼の王に助言した。これは女神レアがキュージコスの罪を、我らと相討たせて下すつもりのものに違いない。狩りで得た獲物を生贄にし、供物として捧げる祭典を開くといい、と。そしてヘラクレスは預言者イドモンに言った。

 

「イドモン、お前はアルゴノーツを代表してドリオニアに残れ」

「なんだと?」

「お前はイアソンに付き合えば死の運命が待っているのだろう。死ぬと分かっていながら敢えてやって来たお前の勇気は買うが、死なずに済むならそれに越したことはあるまい。ドリオニアでの祭典に参列し、女神レアの機嫌を窺い、その後に陸路でコルキスを目指すと良い。我らがコルキスに着いた後、最低一ヶ月は待つ」

「ぬ……。……イアソン、ヘラクレスはこう言っているが船長はお前だぞ。お前の決定に従おう」

 

 イドモンは悪あがきのようにイアソンに水を向けるが、とうのイアソンはあっけらかんと告げた。

 

「いいんじゃないか? 言う通りにしてくれ」

「イアソンッ、貴様……わたしは船に不要だと言うかッ」

「違うって。君の予言の力は惜しい。死なないで済むんならその方がいいし、もし無事に生きて帰ってこれたら君には私の補佐をしてほしいんだ。未来の王の補佐をする預言者なんて、この船の大事な仲間である君にしかできないことだ。信頼してるからこそ、イドモン……君が陸路でコルキスを目指すのは充分に『有り』だと思う。駄目かい?」

 

 そうも頼まれればイドモンの面子は保たれる。溜飲を下ろしたイドモンは、忌々しげにヘラクレスを睨んでからキュージコスに付き従った。

 それから数日間、アルゴー号は逆風に悩まされ続けたが、やがて順風が吹き始めアルゴー号は進めるようになる。キュージコスとイドモンはやり遂げたのだ。

 

 イドモンは後に、コルキスで合流する。険しい陸路を乗り越えてやって来た彼は、開口一番にヘラクレスに嫌味を言ったという。『女神レアは六腕の巨人を殺した、我らアルゴノーツについてもお怒りだった。ワシに感謝しろよ、ワシが行って女神の怒りを鎮めねばきっとそちらの旅はもっと過酷になっていただろうからな』と。それにヘラクレスは陳謝し、彼にいつか借りを返すことを約束したことで和解することになる。

 斯くしてアルゴノーツは一路、コルキスを目指す。途上、ミュシア国で山や自然を守る精霊ニュンペー達の踊りを見たり、ベブリュクス人の王国で来訪した外国の者を拳闘試合で撲殺していた王アミュコス――海神ポセイドンの子から拳闘を求められ、応じた不死身のポリュデウケスが返り討ちにして撲殺したり、殺到したアミュコスの部下を根切りにしたりと冒険は続いた。

 

 そうして彼らは、サリュミュデソスの地に住まうという盲目の預言者ピネウスに、航海の助言を求めることになる。

 

 ――しかしそこでヘラクレスは一時アルゴノーツから離脱することになるのだ。

 

 何故ならその近辺には、ヘラクレス本来の目的の地である、アマゾネス達の国があるのである。そしてその道中にはカウカソス山――人類に火を齎した神プロメテウスが鎖に繋がれている。ヘラクレスは此処でプロメテウスと会い、その足でアマゾネス族の国へ乗り込んで、その後にイアソン達に追いつくことを誓った。

 

 こうしてアルゴー号の冒険から、暫しの間ヘラクレスと()()()()は離脱したのだった。

 

 

 

 

 

 

 




今回は端折っていったわよー。

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