ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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8.2 英雄旅団の進撃

 

 

 ――殺気――轟音、驚愕、激痛――奇襲、応戦――

 

 後の救世主の教えを弾圧せし国の象徴、その元となる神竜は不届きな挑戦者達に向け咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ドラコーン)の棲家は既に、一国を燃やし尽くして余りある火炎地獄の様相を呈していた。

 

 十Km四方は最早火の海と化し、激甚なる劫火に呑まれている。開けた平原には爆炎によって草木の一つすら残っていない。今後数十年は不毛の死の大地と化していた。

 全長二百メートルはあろうか。地下より這い出た巨大な蛇の如き体がうねるだけで大地に轍が残される。禍々しき蛇身は焔のように紅く、鱗は紅玉のように煌めいていた。七つの首から伸びた七つの頭には王冠を貫く形で大剣が如き大角が生え、広げた両翼が大気を掴まえると飛翔する。

 引き裂かれた絹の如き音を発し、渦を巻きながら空に飛翔した竜はまさに強大な竜種の中でも頂点に近い霊格の持ち主だ。あるいは君臨者そのものと言えるだろう。幻想種最強の種の名は伊達ではない。

 だが羽撃(はばた)く竜に、最強の種としての慢心、ましてや油断など寸毫たりとも存在しなかった。そんなもの――その身に刻まれた裂傷に、余裕諸共に切り捨てられている。胴に刻まれた傷跡から鮮血が噴き出て、侮れば敗れるのは己であると超越者たる魔竜は悟っていた。

 

 (ころ)さねばならない。滅ぼさねばならない。これから先、滅多なことでは相対することのないだろう恐るべき強敵である、出し惜しめる相手ではない。

 七つの顎が開かれる。口腔に膨大な……神の権能に等しい莫大なる魔力が溜め込まれていく。これまで幾度となく放った豪炎を遥かに凌ぐ全力の竜王の砲声(ドラゴン・ブレス)だ。回避は赦さぬ、防御もさせぬ、掛け値なし全身全霊の一撃を以て恐るべき敵手を殲滅する――!

 七つの冠が紅く光った。放たれた其れは焔の津波。光と熱を孕む燃焼現象を極限まで高めた其れは、太陽神の権能による火炎の掃射に匹敵する。世界の四分の一を焼け野原とし、大陸の一部を溶解させ世界の表層(テクスチャ)をも損傷させる至大の破壊炎。もはや敵を滅ぼすだけでは飽きたらぬ、何もかもを焼き払う災害の極致。

 

「――(これ)なるは獣の骨。神なる鉄器を打ち鳴らし、剣打つ音色に威を載せよ。

 “誓約されし栄光の剣(マルミアドワーズ・ネメアー)”――友よ、謳え。“射殺す百頭(ナインライブズ)”ッ!」

 

 ――其れを。正面から斬り裂き霧散させる不条理こそが竜なる王の敵。

 

 手にした白剣は激大の白光を放ち、万物の視界を潰さんばかりに燦めいて。担い手の意に応え在りし日の神威を纏う。大英雄の込めた魔力を刀身の裡で圧縮、加速し、放たれる光の斬撃が担い手の奥義によって縦横無尽に振るわれた。

 波高五百メートルの津波に等しい豪炎の絨毯が、地より這い上がり天を目指す九つの白光の柱に斬り裂かれる。七対の金色の眼に力が籠もり、空に羽撃く巨いなる蛇竜は刮目した。

 

 劫炎の津波を斬り裂くや、其処から金色の影が飛び出してきたのだ。

 

 四足の獣。神速で疾走する金色の牝鹿には、黄金の獅子の鎧兜を纏い、獅子神王の毛皮で編まれた外套をはためかせし勇者が騎乗している。振るった剣は白い残光を発し、その柄を口に咥えた勇者は後ろ手に白弓を取り出した。竜をも超える神速で駆ける獣の上で狙いなど定まらぬはず、竜はそう思う。だが本能的に防御と回避を同時におこなうようにその力を使った。

 死の大地と化した領域に、青々とした草木が復活の息吹を上げる。豊かに実り、壮大に成る大樹は聖なるもの。竜の首にも比する遠大な幹が多数の壁となって勇者の眼前に聳え立つ。邪なる破壊の炎と聖なる国造りの森林生成、それこそが後に戦神マルスへ討たれる魔竜パラディウムの真髄である。

 

射殺す百頭(ナインライブズ)

 

 ――意に介さず。精製した大矢を九本同時に弦に番え、間を置かずに射つ。放たれるは対幻想種へ形態変化した奥義。如何なる弓の名手であっても、放った矢の軌道は変えられぬ摂理があるのに――射線から逃れた魔竜パラディウムは驚愕した。

 躱せない。神造の城壁にも匹敵する大樹の連なりを貫通し、何処までも追尾してくる竜頭を模した光の矢。その数を九つから五つに減衰させながらもその脅威は健在。木片と倒壊する大樹の隙間を縫って走る牝鹿が一瞬減速した。

 

「我が弓と矢を以って太陽神と月女神の加護を願い奉る――」

 

 僅かな間に追い縋ってきた俊足の女狩人が、真横に伸ばした勇者の腕を足場に跳躍する。天穹の弓は限界まで引き絞られ、片目を細めてその指が狙うは天を舞う赤き竜。

 魔竜は自身を追う光の矢を、蛇行するように飛行して辛うじて間を稼ぎ、五つの首が溜めた魔力で火焔を吐き出し相殺したところだ。

 

「この災厄を捧がん――『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』!」

 

 其れは『弓に矢を番え、放つという術理』そのものが具現化したアタランテの切り札たる祈りの結晶。雲より高き天の御座へと二本の矢を撃ち放ち、太陽神アポロンと月女神アルテミスへの加護を訴える。太陽と月の神々はその訴えに対し、敵方への災厄という形でアタランテに加護を与え、暫しの間を要した後に豪雨のような光の矢による広範囲射撃をおこなう。

 敵味方の区別すらない絨毯爆撃。魔竜は自身の上空に神意が集まるのを感じて、反射的に上方を見上げた。

 

 その隙を得られると端から見抜いていたのだろう。英雄旅団の連携に遅滞はない。

 

 脚を止めた牝鹿の真横に二人の英雄が駆けつける。魔竜が気づいた時にはもう遅かった。左右に広げた大英雄の手に片足を乗せた左右の英雄、“輝ける同行者”イオラオスと軍神の子たる戦士長ヒッポリュテ。高々と天高く投げ飛ばされた両者は全力を尽くす。

 

「カッコいい文句が無くて悪いねぇ!『強靭を示せ、縫い目絶ちの短剣(キュプリオト・スパタ)』ァアッ!」

 

 第一撃は、魔竜の蓄えていた財宝の山に眠っていた短剣、その一刀。剣柄に獅子の刻印が成された宝玉を持つ、豪奢な拵えの名剣である。その強靭な造りに反して軽量であり、扱いやすさが最大の特徴だ。イオラオスは器用な少年だった、その技と気構えは偉大な伯父に叩き込まれている故に、扱いの容易な宝具を極僅かな時間のみで使い熟すに至っている。

 その鋭利な斬撃は、アルケイデスに付けられた裂傷を拡大する。自身の剣が強大な竜なる王の体を傷つけるには至らぬと弁え、最大限の効果を発揮する攻撃を見切った。

 

 ――しかし曲がりなりにもその剣は、遥か後のマケドニア王家に受け継がれる宝剣である。彼の生涯に亘る酷使に堪えた結果その力の大半を喪失し、強靭さしか残さないものだが、それでも今現在は充分以上の効力を発揮した。

 『あの小さき者は脅威とはならぬ』という魔竜の見切り。それが正確だった故に、正面切っての正々堂々なる奇襲となった。弱き者でも立ち回りと的確な攻撃を効果的におこなえば、それは絶対強者に痛痒を刻む一矢となる。侮りの報いに魔竜は虚を突かれ、一瞬体が凝固する。そしてその一瞬の間に、続けざまに飛来した女戦士長がアルケイデスに次ぐ損傷を刻んだ。

 

 しごいた名槍と彼女の肢体に、『戦神の軍帯(ゴッデス・オブ・ウォー)』より注ぎ込まれた神気が宿る。そして想像を超える戦への高揚に軍神の血が励起し、軍神招来・狂戦咆哮(アーレウス・アマゾーン)が発動していた。

 増大した身体能力は神の域。半神としての神の部分が最大限に発揮された軍神の巫女は凄絶に嗤った。手にした宝槍もまた魔竜の財宝の一部ゆえに、ヒッポリュテは皮肉めいて宣い勇躍する。

 

「自らが溜め込んだ宝に貫かれる自滅の因果を馳走しよう。なに――遠慮はするな。これは私の奢りだッ!『不毀の大槍(マルテ・イレクトリズモス)』!」

 

 棍棒のように太い赤い柄、岩石のように巨大な穂先を持つ大槍は、さながら軍神アレスの所有する二本の巨槍に近しい意匠だった。

 自滅の因果とはよく言ったもの、それは鍛冶神が軍神に渋々贈った両槍の試作の槍であり、習作なるそれは廃棄されたものだった。魔竜はそれを見つけ、蓄え――その槍が軍神の娘に渡って自身に突き立てられたのである。

 

 胸に突き刺さる大槍。心臓には届かなかった。だが穂先より迸る悍ましき紫電から、軍神の神気と血を発露する女戦士長によって、傷ましい狂乱の気が魔竜へと送り込まれた。

 

 絶叫が上がった。身の毛もよだつ魔竜の悲鳴。眼が眩んだ魔竜の頭に、アルケイデスほどではないが怪力を誇るテセウスが或る物を投擲する。魔竜が生成した大樹を地面より抜き取るや、それを投げ槍の要領で無数に投げつけたのである。

 凄まじい質量の衝撃に昏倒しかける魔竜の全身に、下からアルケイデスの矢が無数に襲い掛かり、更に上空からアタランテの宝具が降り注ぐ。敵味方の区別すらない殲滅の雨が、地面に着地したイオラオスとヒッポリュテ、そして近くに居たテセウスに降り注ぐ。

 それを、大盾を装備したテラモンが護った。

 降り注ぐ矢から、両手に持った大盾で三人の仲間を守護する。テラモンは他の者達と違いそこまでの武勇はない。しかしせめて防御という一点に限っては、仲間の足を引っ張らぬと気負えるだけの重量感がある。果たして激闘の末、半死半生に陥った魔竜パラディウムは、もはや竜の誇りをズタズタに切り刻まれて、死に物狂いで飛び去っていく。

 

 脇目も振らず一目散に逃げていく魔竜を見ながら、アルケイデスは仲間達を振り返った。

 

「追撃するか?」

「やめてあげて」

 

 真顔でイオラオスが応じる。その眼には魔竜への哀れみもある。流石に酷かった。しかしそれよりも懸念すべきは、

 

「これ以上追い詰めたら、辺り構わず破壊しまくって、目も当てられない惨状が広がるだけだろ」

「……それもそうか」

 

 アルケイデスは納得する。その惨状を超えて生き残り、勝利は掴めるだろう。しかし周囲の被害を無視してまで仕留めようとは思わなかった。

 少なくともあれだけ痛めつけたのだ、復讐を目論まなければ二度とこの地には戻るまい。

 

 ――魔竜パラディウムの受難は続く。遠く逃れた魔竜が休むために大地に降り立つと其処には苛立ち収まらぬ軍神がいたのだ。

 女神ヘラに絶縁を申し伝えた直後の、隠す気のない真の姿を晒している戦神が、いたのだ。

 果たして魔竜は断末魔の悲鳴を上げる。多くの神にも劣らぬ幻想種も、溢れ出る力を持て余している闘争の概念の化身たる者には敵うべくもなかった。

 結果として七つに分割された魔竜の骸はその地の肥やしとなり、丘となる。中でも一際立派な丘はパラディウムと呼ばれるようになった。

 

 こうして魔竜の棲家から財宝を回収した英雄旅団は、一路コルキスへの道を往く。その道中でまた幾つかの諍いと、喜劇とも言える逸話を残しながら。

 だがまあ、それはまた別の話である。ヒッポリュテとケリュネイアの決闘、テラモンの嫁探しに始まる酒乱アルケイデスの出現、アタランテとテセウス決死の挺身による酒乱轟沈――それらはイオラオスの伝記のみに記されているのだろう。

 

 舞台は移ろい、英雄旅団はコルキスに到着する。

 

 そこでは既に、到着したイアソン達がいて。アイエテス王に謁見している最中であった。

 

 

 

 

 

 




本当は三話ぐらい使いたかった。けど話の本筋じゃないから一話にした。
本当はもっと手強く激闘する魔竜さんを書こうとしたんだ。割を食わせてすまない
すべては次の魔女リリィさん登場のために。早く書きたかったんだ…

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