ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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毎日投稿を目指すとはなんだったのか……






8.3 逆鱗を射る

 

 

 

 バタフライ効果。

 それは力学系の状態にほんの微かな変化を与えてしまうと、その微小な変化が無かった場合とは、その後の状態が大きく異なってしまう現象のことを云う。

 遠くで羽撃いた蝶の羽で、気候に変化が生じるのなら、観測誤差を完全になくせない限り、正確な長期予測は根本的に困難なものとなる――無論そんな提言はこの神代に成されるものではない。

 

 しかしそれが正しい推論であったのなら。

 蝶の羽撃き一つで多くの予測を変えられてしまうのなら。

 もしも蝶ではなく竜が、定められたものより外れ力強く羽撃いた時、それは予測や予想を遥かに超えて、運命すらも歪めるものとなるのではないか。

 

 言うまでもなく暴論である。だがしかし、暴論故に成立してしまうものも確かにあるのだ。

 

 ()()()()ならこうはならなかっただろう。しかし、其処に居たのは神ならぬ人の栄光。ギリシア神話に於ける最大最強の大英雄だ。

 彼が本来のものとは異なる在り方を定め、その通りに歩んだ結果、生じた狂いは竜の翼による羽撃きを超える変化を齎してしまう。

 それが善きものであれ、悪しきものであれ、狂った歯車は既に回りだしているのだ。起こり始めた変化は今、大きく加速していく。

 

 

 

 

 

 

 

 目にした者の眼球が潰れるのではないか、そんな妄想を掻き立てられる華美な一行であった。

 獅子を象る兜と金色の鎧、日差しを照り返し己が威光を示す存在感はただならぬ物。神獣の牝鹿に跨がり先頭を往く者の名は誰もが知る。『ヘラクレス』だ。

 それに並び、鍛え込まれた筋肉の目立つ見事な駿馬に騎乗せしは、不毀の大槍を手に提げている黒髪の女戦士。精悍としていながら凛と咲く花弁の如き美貌は真っ直ぐ前を向き『ヘラクレス』に付き従っている。

 そして見るからに突出した二人の後ろには、これ以上は積み切れない山ほどの金銀財宝を荷とした、豪奢で上質な装飾の施された馬車が続いている。それを牽く二頭の馬を御者の少年が操り、同じ馬車の天蓋の上に野生の中に佇む姫が如き深緑の美女、優美な美貌の少年、無精髭を生やした逞しい男が乗っていた。

 

 大通りを真っ直ぐ進む彼らを止める衛兵はいない。

 

 この一団が先刻来訪したアルゴノーツを名乗り、これらの財宝はコルキス王アイエテスへの贈り物であると言われたのだ。その財宝の煌めきに目を奪われた群衆だったが、まさか王への贈り物を届ける一団を阻むわけにはいかない。憧憬の眼差しで『ヘラクレス』率いる英雄達が王宮を目指すのを見守るしかなかった。

 

 ――しかし。彼らの到着に仲間であるアルゴノーツも気づいてはいなかった。

 

 先にコルキスに到達していたイアソン率いるアルゴノーツは、遅れてくるであろう英雄旅団を待つことはなく、ひと足先にアイエテスに謁見を願い出ていたのだ。気づけと言う方が無理がある。

 ここでイアソンらがアルケイデスが追いついて来るのを待っていれば、と責めるのは簡単だ。しかしそれは流石に酷というもの。イアソンは一応、コルキスに到着した折に仲間達へ提案はしている。陸路で来る予言者や、アルケイデスを待ってから行こうと。しかし逸るゼテス、カライスの兄弟はヘラクレスが追いついてくるのを待つ必要はないと言い募った。カイネウス含む一部の者達もその意見に賛同した。

 ゼテスらのそれは、決して自信過剰で軽率な振る舞いではない。確かにゼテス兄弟については『ヘラクレス』にいい感情を懐いてはいなかった。その強さや功績に嫉妬を懐いている。だが態々何時来るのか分からない連中を待つまでもなく、自分達なら使命を遂げられると信じていた。実際に『ヘラクレス』抜きに果たした幾つかの冒険もある。このまま彼に頼り切った姿勢で居たら、アルゴノーツの得られる栄光は『ヘラクレス』に齎されたものだと噂されかねない。

 アルゴノーツにも名誉欲はあった。寧ろそれは人一倍強い。イアソン自身、自分の力でアイエテスを説き伏せられる根拠のない自信があった。故にイアソンが結局、彼らに圧される形でアイエテスとの交渉に臨んだのは責められる話ではないだろう。実際に、彼らには女神の加護があるのだから。

 

 それに。

 

 イアソンらはアルケイデスの離脱後、金羊毛をコルキスに齎したプリクソスの子供の船が難波し、のっぴきならない状態にいるのを助け出していた。

 プリクソスの子をアイエテスは邪険に出来ないだろう、彼の父親の存在なくしてコルキスに金羊毛は無かったのだ。彼を助けて国に帰らせたとなれば、アイエテスはイアソンらに会わないわけにはいかない。その計算は正しかった。

 

 ――計算違いがあるとすれば、それは彼らが遠い異国の地の王であるアイエテスの人柄や血筋を知らなかったことにある。

 

 アイエテスは太陽神ヘリオス、女神ペルセイスの子供だ。魔女キルケーの兄であり、キルケー同様魔術に長け不死である、ミノタウロスの母パーシパエの兄である。

 純粋な神と女神の子であるアイエテスもまた霊格こそ低いものの受肉した神だった。司るもののない雑多な神の内の一柱でありながら、人間の国を直接統べる王の座に就いているのは、このコルキスでの王位が父母からの贈り物であるから。本心では王の座に興味も関心もないが、敬愛する父母からの贈り物とあっては粗雑にも扱えない。その意識と王位への関心の無さからくる無欲な統治によって国は栄え、アイエテスは国民からも深く敬愛される王であると認められていた。

 神ゆえにだろうか。身内への愛情は殊更に深い。イアソンがプリクソスの子供を助け出して来たことには素直に喜んだものだ。だが低位ではあるが神である故に、アイエテスは猜疑心が強く、また迂遠な手法を好むところがあった。アイエテスはプリクソスの子を都合よくイアソン達が救出したという事象に陰謀があると深読みする。

 

 深読みはしたがアイエテスの考えは正しい。イアソンが使命を果たせるように手助けする女神ヘラによる陰謀だ。プリクソスの子をイアソンが救ったのは偶然ではない。

 しかしアイエテスは誤解した。他の神による謀略ではなくイアソンの奸計であると認識したのだ。そうとなると途端に胡散臭い者に見えてしまう。アイエテスは完全にイアソンらが煩わしい者に見え、早々に殺してしまいたくなった。

 しかし遥か遠方よりやって来たアルゴノーツを刑死させたのでは風聞が悪い。そこでアイエテスは神らしい一計を案じる。すなわち無理難題を吹っ掛けて失敗させるのである。アイエテスにはイアソンらへ国の秘宝を与えてやる気など欠片もなかった。

 

「――貴兄らの欲するところは理解した。なるほど、正統な王位を手にするためには、我が国の秘宝が不可欠と。知っておるだろうが金羊毛は所持する者の国を富ませる秘宝中の秘宝だ、しかしそんなものがなくともコルキスは豊かに成れているし、よほどの無能が王でもない限りは現在の繁栄を保てるだけの土台がある。そして予は無能ではない。であるならば、元より我が国でも有効に扱えているわけでもない……と、言えないこともないのだろう。金羊毛を貴兄らに与えるのも吝かではないな。プリクソスの子を保護してもらった恩義もある」

「話が分かりますね。いや、助かります」

 

 アイエテスの言葉にイアソンは笑顔を見せた。楽勝だという思いが顔に出ている。どこか人を見下したような軽薄さが見え隠れしていた。

 人に近い神である。彼の子供は神としての血脈に連なっていても、司るものがなければ魔力が膨大なだけのただの人となるだろう。しかしアイエテスは神なのだ。不快げに眉を顰め、イアソンという英雄を内心評価する。

 

(この男……果たして予が格別の慈悲を賜わすに値する者か? ただの俗物ではないか……魂が捻れておる、正統な王とやらに成ったところで理想とする統治などできまい)

 

 人ならざる視界と視点を持つ神にして王である。その洞察力はイアソンの本質を見抜いていた。己の課す試練をとても突破できるとは思えない。

 何の問題もないなとアイエテスは結論した。ここで死なせてやるのがこの男にとっても幸福だろう。この男に統治されることになる民にとっても。

 

「だが予とて一国を預かる王だ。大事な客人とはいえ言われるがまま国宝を譲り渡したとなれば予の沽券に関わる。近隣の国々の侮りにも繋がろう。故にイアソン、貴兄に試練を課そう」

「……試練、ですか?」

「如何にも。力と勇気を試させてもらう。コルキスを彷徨う青銅の蹄を持つ二頭の雄牛に引き具をつけ、軍神アレスの野を耕し、カドモスがテーバイで播いた竜の歯の半分、それを戦女神より予が賜ったものを播くのだ。そうすれば耕された土から兵士が湧いてくる。その儀を以て試練の完遂と認めよう」

「な――」

 

 不満げだったイアソンは、アイエテスの言に目を剥いた。

 青銅の蹄を持つ二頭の雄牛というのは軍神アレスの所有物。火を吹く聖獣だ。そしてアレスの土地に竜の歯などを播けば、強力な兵士が出現するのは目に見えている。

 剛力な上に火を吹く雄牛に焼き殺されるか、その後に現れる兵士に斬殺されるか。それを超えろとアイエテスは言ったのだ。イアソンの独力のみで。

 

 イアソンは自覚している。自分の武力なんて大したものではない。雑多な兵士一人には引けを取らないが、それだけだ。自分は智慧で戦う英雄なんだぞ! 心の中で自分に合わない試練を出すアイエテスを罵る。

 だが否とは言えなかった。すぐ後ろにはアルゴノーツがいる、彼らの前で恥を晒すことはとてもではないが出来なかった。アルゴノーツのカリスマ的リーダーである自分だからこそ。アルゴノーツに誇りを持っているからこそ。絶対に情けない姿は見せられない。苦渋を呑み込む心地でその試練を受諾するしかなかった。

 

「わか、りました。ええ、この私が見事その試練を突破してみせましょう」

(安い鍍金を貼りおって。もう少しばかりからかえば、小賢しい面も掻き消えようが。こんな小僧の面を変えても面白くもないな)「……鎧兜も付けず、剣と盾も持たず、よくも強がるものだ……大方おんぶにだっこで此処まで来たのだろうが……」

 

 小さくアイエテスは呟いた。遠い異国の地であるコルキスまで、更に遠方にまで鳴り響く勇名の持ち主『ヘラクレス』ならば余裕綽々に成し遂げるだろうと。そもそのヘラクレスが来れば、アイエテスも大人しく宝を引き渡すことも考えたかもしれない。だがいない、いないのならその可能性を考える必要はない。

 

「……なんか、思ってたのと違います……」

 

 遠い国の勇者達が謁見を願ったということで、愛娘のメディアは物見遊山の気分でここに顔を出していたが、大した見世物にもならずに落胆していることだろう。

 物足りなさそうにメディアは呟く。

 純真無垢で夢見がち、目に入れても痛くない可愛い娘には悪いが、早々に失望してもらおう。どだい英雄といわれる人種など、ろくなものではないのだ。素敵な王子様と吟遊詩人の詠う物語のような恋に憧れているのはいい、しかし憧れは憧れのまま終わらせて、身の丈に合った相手を見繕って婿に宛てがうことで幸せにしてやりたい。アイエテスの親心は愛娘の残念そうな表情に、彼女の儚い理想が崩れ去りそうなのに喜んだ。

 

 その、時。

 

 ふとアイエテスは自分に近い気配を感じて顔を上げた。神の気配だ。それも――何も司らぬ己よりも、遥かに高位な神の気配。

 金縛りに遭ったように愕然とした。『何者だッ!』と神としての側面で誰何する。応える声はない、しかし権能が放たれるのを確かに知覚した。

 

 それが、金色の矢の形をしていて。その金の矢が、メディアの胸の真ん中に突き立った瞬間、アイエテスは総てを悟った。

 

 イアソンの後ろ盾になっている神がいる。そしてその神はイアソンを成功させるべく小賢しい真似をした。それは恋心を司る神エロース。

 金の矢は、射られた者に堪えられない燃え滾る恋心を植え付ける――

 

『メディアッ!?』

 

 アイエテスは脆弱ながらも神威を発しながら悲鳴を上げた。

 訳が分からないのはイアソンである。アイエテスが玉座を蹴倒す勢いで立ち上がったかと思えば、突然娘を振り返って叫んだのだ。

 そのメディアは、可憐な貌を呆然とさせ、自身の胸に突き立った只人に視えぬ矢を見詰める。そして再び貌を上げたメディアの目は、既に正気のそれではなくなっていた。

 自身を襲った何もかもを忘却し、目に入ったイアソンを熱い眼差しで見詰める。

 ここでもまた、イアソンは戸惑った。彼にはレムノス島の女王に対する想いがある。ついでに言えば未成熟な乙女など眼中にもない。鈍くもないイアソンは、自分に慕情を向ける王女の視線を敏感に察知していた。

 先程まで自分になんの関心も寄せていなかった王女が、突如自分への恋に落ちた。控えめに言って訳がわからない。もっと言えば気色悪かった。なんの由縁もない相手との恋物語など、イアソンの感性からすれば理解不能であり、メディアのそれもまた同様でしかないのである。

 

 端的に言って、不気味だった。

 

 アイエテスは咄嗟に叫ぶ。吼えるようにイアソンに命じた。

 

「ッ……! イアソン殿、悪いが謁見の儀はこれまでとする! 召使いに案内させるゆえ、今宵は離れの別宅にてゆるりと休むといい!」

「え、ええ……分かりました。私も旅の疲れがあります、ここは一旦――」

 

 下がらせてもらいます。

 

 イアソンはそう言おうとして、言えなかった。背後から生じた爆発的な殺気を感じたのだ。

 アルゴノーツは元より、この場に集っていた総ての者が戦慄し、鳥肌を立たせ、咄嗟に殺気のする方に目を向ける。その気配は玉座の間に向かっていた。

 だんだん近づいてくる。すわ不届き者かと全員が身構え、その余りに強大な殺気に誰もが絶望していた。扉の向こうまで来た輩は、途轍もない化物だと。

 

 玉座の間に通じる鉄門が、弾き飛ばされるように開いた。

 

「へ、ヘラクレス……?」

 

 真っ先に反応したのは、この瞬間に彼の手を借りたいと願っていたイアソンである。

 獅子神王の鎧兜で身を固めたヘラクレス――アルケイデスは殺気だったままイアソンを一瞥し、そのまま視線を切ると、ズンズンとアイエテスの前まで進み出た。

 

 あまりの恐ろしさに歯を鳴らす。アイエテスは固まった。傍らのメディアなど、恋の熱を忘れたように震え上がり、腰が抜けたのかペタンとその場に座り込んでしまう。

 この時、全員がやっと気づいた。

 アルケイデスは、その右手に一人の少年とも青年ともつかない、有翼の男の首を掴んでいたのだ。凄まじい握力で握られているのだろう、首はへし折れ、貌は赤黒く変色し浮き出た血管は破裂して血が噴出していた。人間なら既に死んでいる。生きているということと、その身の神性からして、神なのだろう。アイエテスは頭の片隅で、コヤツはエロースだと確信する。

 

 アルケイデスは憤怒に染まった形相をエロースに向け、アイエテスに問うた。

 

「――許可無き登城の段、平にお詫び申し上げる。しかし悍ましき神威を感じ、こうして押し入らせてもらった。処罰は如何様にも受けよう。だがその前に、一つ聞きたい。この人心を操る外道めが権能を行使した疑いがある。誰かが被害に遭ったはずだ。それは――誰だ?」

「…………」

 

 アイエテスは、反射的に、腰砕けになっている愛娘を見た。その視線を辿り、アルケイデスはメディアに視線を向ける。

 

 か弱き王女は、その視線に震え上がり――恐怖の余りその場で失神した。

 

 

 

 

 




トラウマ&逆鱗に触れる(心を操るor狂気in)
ダブルを突かれたら温厚で慎重なアルケイデスも、つい殺っちゃうんだ☆

感想でエロスはカオスから生まれた始原の神。真の愛を司る超偉い神だという情報をいただきました。
しかし作者はその説をはじめて知りました。アレスとアプロディーテの子供で、アプロディーテの忠実な下僕という説を採用してます。拙作ではその設定だとご理解いただければ幸いに存じます。

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