ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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二回目のお話。前のお話を見逃さないでね。

――神統記についての知識は皆無な作者だッ!いい子の皆、それについては完全スルーで御願いする!作者との約束だッ!
エロースについてマウント取られて作者の心はボロボロなのは秘密。

作中、はたけやま氏より頂いた支援絵を掲載してます。本当はもっと後に、神話編のラストに使うべきだと理性は言ったんですけど、どうしても早く使いたい衝動に負けてしまい載せちゃいました☆
すみません、はたけやまさん。作者の脆弱な精神力だと我慢が! 効かなかった! けどはたけやまさんの絵が凄かったのが悪い(責任転嫁)





8.4 戦神、猛りの捌け口を欲す (上)

 

 

 

 

『わたしの伯父、ヘラクレスはわたしに武器の扱いと、戦いの術を与えてくれた。それはわたしが伯父の旅に追い縋れる力をつけた。

 だが真にわたしを助けたのは、ヘラクレスが授けてくれた智慧の財産だと断言する。伯父は誰も敵わない勇者だったが、同時に思慮深い賢者でもあり、わたしはここに伯父の言葉の一部を書き残しておきたくなった。

 

 まだ旅の道連れがわたしと、何やら小動物のように、動くもの全てを怖がっているような、臆病な牝鹿だけだった時のことだ。夜となり、火を焚き、その灯りに照らされながら、わたしと伯父は星を見上げていた。

 

 【イオラオス。お前は私の如くに強くは成れん。しかし人としての強さとは、精神力と武力の他に、その思慮深さにこそ宿るものだ。思慮の健全さこそ最大の能力であり智慧である。それは自らの本性に従って物事を理解する力であり、真実をその言動にて実行することを可能にするだろう。力で及ばぬならば智慧を絞れ。考える力だけは如何なる者にとっても唯一無限となるもの、扱う者が真に思慮深ければ、それだけで賢者と呼ばれるに足る。

 心に刻めイオラオス。魂には眼があるのだと。その眼だけが真理を見透かせる。この世は何処に向かえど争いばかりが目につくだろう、そしてその数多の諍いが最初に犠牲にするのが真実だ。難しいのは争いに於いて死を避けることではない、不正を避けること。不正とは死よりも速く走り、降り積もった過ちが禍を招く。この旅の中でお前は賢者となれ、知識の多寡では量れぬ真実の賢者となるのだ。これから先、お前よりも優れた者と幾らでも出会うことだろう。だが嫉むな。嫉妬は魂の腐敗となる。魂が腐ればそこにある瞳も曇り、お前を度し難い愚物へと貶めるだろう】

 

 当時のわたしは伯父の言葉の半分も理解できなかった。どこか世界から浮いているような、浮世離れしていた伯父は変わり者で、また変なことを言っているだなんて思ったものだ。だが、だからこそわたしは、愚かだった。そしてその時は愚かでよかったと思う。なぜなら愚かだったからこそ、特に考えもせずに伯父の言葉に従い、そして今のわたしがいる。

 誇りとは、根拠が必要だ。そしてその根拠とは、自らが歩んできた過去にある。だからわたしは胸を張って自分を誇ろう。わたしの人生に、わたしは何も恥じるものがないのだ。そしてこれからも偉大なるヘラクレスについていこう、わたしの使命は伯父の真実をこの書に書き記し、残し続けることだと固く信じる。

 以後、伯父を語り継ぐ者は多くなるはずだ。その中で伯父の姿が歪み、誤り、間違った形で伝えられることもあるかもしれない。わたしはそれは我慢のならないことだと感じている。故にここに伯父の姿を絵に描いておこう。どうか失われることなく、わたしが何よりも敬愛するヘラクレスの真実が歪むことがありませんように。

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そういえば、一つ書き忘れていたことがある。

 伯父は勇者であり賢者であるが、時に短慮を働き、向こう見ずに行動する愚者でもある。怒りの値が一定を超えると、ヘラクレスは暴威の化身となってしまうのだ。

 およそ短所と言えるものの見つからない英雄ヘラクレスの欠点らしい欠点は、其れだけだと思う。後、酒だけは飲ませてはならない。

 

    −イオラオスの手記−より抜粋』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 憐れにも気を失った王女の姿に、臨界を振り切っていた怒りへ冷水を浴びせられた。

 アルケイデスは自嘲する。湧き上がった赫怒の念に血を沸騰させ、瞬間的に短慮な手に訴えた己の底の浅さを。自身の振る舞いは侮蔑してやまない器の小さな小人のそれ。力を持った幼稚な男のものである。

 自制心を取り戻す。が、怒りは弱まれど一向に鎮まる気配なし。己の手を引っ掻き、悶え苦しむ邪神を一瞥する。喉を掴んだ腕の力は弱めておらず、むしろエロースの抵抗に煩わしさを感じて強めてしまっていた。

 本気で握力を強めれば、そのまま胴と首が泣き別れになるだろう。さぞかし凄惨な光景となる。不死とはいえそうなれば治癒するのに時間は掛かるはずだ。そうしていないだけまだ有情ではあるまいかと自問する。

 

 恐怖に染まったアイエテスの目を思い出し、アルケイデスは嘆息した。

 

「……なるほど。コルキスの王女が被害を受けたか。では相手は……」

 

 探るまでもあるまい。アルゴノーツの旅には女神ヘラと戦女神アテナの加護がある。王女を惑わして得をする人物と言えば、他ならぬイアソン以外に有り得ない。

 イアソンに視線を向けると、本能的にかぶんぶんと首を横に振るイアソンがいた。オレは関与していない! 必死にそう訴えかけてきている。それは事実だろう。イアソンは性根の捻じ曲がった輩だが外道ではない。助けを請うたとしても幼気な王女を惑わそうという発想はないはずだ。

 

「諒解した。この手口、ヘラの仕業か。アプロディーテはこんな迂遠な手は打つまい。……ハッ! 侮られたものだな、イアソン! アルゴノーツ!」

 

 事態を察し発露したのは嘲笑である。

 凡そアルケイデスらしからぬ憎しみの滲んだ放言に、イアソンのみならずアルゴノーツの面々もまた困惑した表情で顔を見合わせた。

 女神であるヘラとアプロディーテを呼び捨てに言い捨てたアルケイデスに、頭をガリガリと乱暴に掻いたカイネウスが進み出てくる。そして皆の疑問を代弁する形で問いを投げた。

 

「ヘラクレス! いきなり出てきて何を抜かすかと思えば……誰が舐められてるって? そこの船長はともかくよ」

「おい、それどういう意味だカイネウス! ……後これは親切心で言うんだけどさ、相手見て態度選べよ? ヘラクレスのヤツ明らかにブチキレてるぞ」

「ぁっ……」

 

 イアソンの忠告を受けたカイネウスが、腹を抑えて顔を青褪めさせた。いつぞやに、アルケイデスの拳を受けて悶絶させられた記憶が呼び起こされたらしい。生まれたての子鹿の如く脚を震えさせ、体を萎縮させていくカイネウスに、アルケイデスは不服げな気分を味わいながらも断言した。

 

「……フン。愚問だな。いいか、ヘラはお前達を愚弄している。何故なら奴はこう言ったも同然だ。『イアソンを助け、その旅を無事に終えさせるには、アルゴノーツではなくコルキスの王女の力が必要だ』と。つまり私やお前達は不要だと断じている。そうではないと言うなら何故、エロースを遣わし権能を行使させ、王女に恋心を植え付けた? 何故イアソンに助力させようとするのが我々ではなくコルキスの王女になる? 順当に考えればイアソンに必要なのは我々だろう。苦楽を共にした同胞である我々でなければならない。それを妨げるように、こんな幼気な王女に恋心を植え付け助力させようとした。ヘラは私達を馬鹿にしているのだ! お前達などではなんの力にもならんと!」

 

 ざわめきが生まれた。自尊心の強い英雄という人種には耐え難い屈辱となるだろう。

 

 ――古代。ギリシア世界に於いて、原初の人類は『黄金の時代』に生きていた。クロノスが最高神であった時代だ。働かなくとも大地には豊かな実りが生まれ、神々の飲み物ネクタルが川に流れていた故にそれを飲んで暮らしていた。限りなく長寿であり、その時代の人々は神に近い存在だった。

 クロノスよりウラノスに、その後のゼウスが最高神の座に就いた当初、時代は『白金の時代』と呼ばれた。百年間を子供のまま過ごし、大人になると僅かにしか生き残らなかった。神を敬わぬからとゼウスに滅ぼされたのである。その後に『青銅の時代』が誕生したが、似たような末路を辿った。

 

 そして当代。最高神ゼウスはこの時代の人類を称して『英雄の種族』と名付けた。後には『英雄の時代』と題されるのだろう。

 英雄の種族には神々との間に生まれた半神半人が数多くおり、彼らは誇り高く、優れた能力を備え、膨大な数の冒険譚を遺した。英雄達は死後、至福の世界エリュシオンに送られるという。

 これはギリシア世界に生きるなら常識であるとすら言えた。であるからこそ英雄達は至福の世界エリュシオンに導かれるために、自分にとっての誇りと英雄らしさを保とうとすることに躍起になっている。そんな彼らが何を嫌うのか、それは単純明快。

 

 面子を潰されること。

 

 それは総ての英雄の逆鱗である。一度受けた仇を忘れず、必ず復讐しようとする者が多いのは、彼らの価値観がそうであるように、仇をなされていながら泣き寝入りをするのは()()()()()()()という認識が共通事項だからなのだ。

 異端の思想と思考を持つアルケイデスとてこの世界に三十年近く生き、暮らしてきたのだ。そんなもの把握している。何を言われるのが我慢ならぬのか、どう焚き付ければ同意を得られるのかを知っていた。そしてアルケイデスのヘラへの憎しみは本物、彼が語る言葉はこれ以上無いほど真に迫っており、何よりも熱が籠もっていた。

 

 最も感化されたのは、意外なことにカイネウスだった。

 元はカイニスという名の女だった彼は、その美しい容姿に目をつけられ海神ポセイドンに強姦されている。その悲劇を二度と体験したくなかったカイニスはポセイドンに願い、不死身の男の体を授かった。

 その背景があるカイネウスは、アルケイデスほどの熱量はなくとも神嫌いであることに間違いはなく、彼の心情に無意識に共感し誰よりも強く煽られたのだ。

 

「ふっ――ふざっけんなぁ! オレ達が要らねえだと!? オレ達の力が、オレの力が役に立たないだと!? ふざけんな、例え神であっても赦せねぇ! 最悪の侮辱だ!」

 

 それはヘラへの不信。怒り狂うカイネウスにアルゴノーツにも怒りが伝播していく。

 口々に怒号を発する英雄達を見渡したアルケイデスは、鷹揚に頷いてみせる。遅れて玉座の間へ入ってきたヒッポリュテやイオラオス、アタランテ、テセウス、テラモンが何事だという顔をしていたが、アルケイデスは扇動者のごとくに言い放った。

 悲劇というよりも単なるすれ違いだ。

 アルケイデスはイアソンとアイエテスの交渉の内容に大方のあたりをつけていたが、イアソンのみに試練を課しているとは思わなかったのだ。アルゴノーツとイアソンは彼の中で等号で結ばれており、試練を課すならアルゴノーツ全員に対するものだと思い込んでいたのである。

 

 そしてアイエテスは『ヘラクレス』に絶大な恐怖を懐いていた。彼が放った放言を否定する気力など無かったのだ。必然、アルケイデスの言が押し通される。

 アルケイデスの誤解が、自身の嫌う強者の傲慢による押し付けであると気づかなかったのは幸いだと言えよう。場の勢いのまま押し通した結果――少なくともこの場の『人間』には不幸な結末が齎されなかったのだから。もし誤解に気づいていれば即座に撤回して陳謝し、悲劇が起こっていただろう。

 

「ならば思い知らせてやろう。我らの力はアルゴノーツとして在る限りイアソンのものだ! 我らの剣はイアソンのために振るわれる! その意志の下に我らはイオルコスに集い、この壮大な冒険に出た。それをヘラの侮りで最後を穢されるなど赦されるものではない! そうだろう!?」

『然り! 然り! 然り!』

「イアソン、号令を掛けるがいい。私も含め、我らアルゴノーツはお前の武器として力を振るうだろう。その意志の固さをお前は今、目にしたはずだ」

 

 ――この時、アルケイデスの誤解を冷静に認識していたのはイアソンのみだった。いや、アイエテスも認識していたが、口をつぐんでいる。

 いける、とイアソンは確信した。なし崩しに仲間達の力を借りられる。アイエテスは完全にアルケイデスに萎縮していた。無理もない、同じ神であり、それも遥か高位のエロースの惨状を現在進行形で見せつけられているのだから。エロースは未だ、アルケイデスに首を鷲掴みにされ、暴れ回っていても大英雄の手はぴくりとも動いていない。

 意に反せば同じ目に合うと誤認するのも無理はない。イアソン達はアルケイデスがそんな真似をする男ではないと知っているが、アイエテスはアルケイデスもまた乱暴で粗野なギリシアの英雄の種族の一員だと決めつけているのだ。

 

 それに、イアソンはアルケイデスの言葉に感動していた。

 

 仲間達はその力をイアソンのものだと言ってくれた。アルゴノーツとして在る今だけは、誇り高い英雄達が自分のために力を使うと宣言してくれたのだ。

 これに勝る喜びがあるか? イアソンは歓喜していた。仲間達との強烈な絆を感じていた。

 

「……ああ! ありがとう、皆! 私……オレのために、皆の力を貸してくれ!」

 

 応! その返事が繰り返される。イアソンは満面の笑みでアイエテスを見た。

 憎たらしくも勝ち誇った顔に、アイエテスは悔しげだ。――と、そこにまた、アルケイデスによる無自覚な追撃が入った。

 

「……そういえば、コルキス王。貴国の至宝を戴くのに、試練を受けたとあってもタダで貰い受けたのでは座りが悪い。そこで私がコルキスに辿り着くまでに集めた財宝を献上する。どうか納めて欲しい」

「………」

「ぶっ……! へ、ヘラクレス、君もしかしてわざとやってるのかい?」

「……? 何がだ?」

 

 アルケイデスの合図で、コルキスの兵士が荷台を牽いて玉座の間にやってきた。

 そこにあった金銀財宝は山のようであり、アイエテスが呆然とするのを見たイアソンは、財宝の量とアイエテスの様子に噴き出してしまった。

 案の定気づいていないアルケイデスに、イアソンはもう堪える気にもならずに大笑いをする。

 

 魂の捻れた青年の、快活で爽快な笑い声が木霊し、それが収まると、アルケイデスは漸く思い出したかのように手に握る神を見下ろした。

 

「――さて。エロースよ。コルキスの王女に射た矢の呪いを解くがいい。そうすれば今回だけは見逃そう」

 

 握力を弱めると、気道が広がりエロースは咳き込んだ。折れていた首が治っていく。

 そうしてエロースは憎悪すら籠もった目でアルケイデスを睨み据えて。

 

 アルケイデスの言葉を、拒絶――した。

 

『ごど、わる……ゴホッ、がホッ』

「……今、なんと言った? 私の耳が遠くなっていたかな……断ると言ったのか?」

 

 絶対零度の眼差しに殺気が宿る。並の神経の持ち主なら即座に前言を撤回するだろう威圧感に、しかしエロースは叫んだ。

 大英雄の恫喝に屈しないかのように。

 

『断る、と言った! わたしはアプロディーテ様の、忠実なる下僕! アプロディーテ様の命令を果たした、それを無かったことにする気は、わたしにはない!』

「ほう……大した忠義だ。心底不愉快だがな」

 

 アルケイデスにとっても、エロースの忠義は見上げたものだ。しかし今は意識のないメディアにとってははた迷惑なものである。

 そしてアルケイデスにとって、人の心に関する領分は、例え信仰する軍神や死の神からの要請であっても譲らぬものである。今……アルケイデスの脳裏に、中道の剣に秘めた切り札と言える神毒の存在がよぎった。

 

 だがそれはまさに秘中の秘。使い道は既に決まっている。こんな所では使えない。

 

 アルケイデスは通告する。最後通牒だった。

 

「エロース。私は貴様に掛ける慈悲は持ち合わせていない。それを踏まえて答えよ。貴様が神であっても、手心を加えると思うな。……呪いを解け。さもなくば……」

『断ると、言ったぞ! ヘラクレス!』

「………」

 

 『ヘラクレス』の目に、危険な光が宿る。エロースは己は不死の神であるからと、恐れた様子はない。

 大英雄は、短く告げる。来い、と。

 空間を跳躍して召喚された白剣が左手に握られる。エロースを片腕のみで宙吊りにしたアルケイデスが、エロースの体を白剣で串刺しにする構えを見せた。

 

「……最後だ。呪いを解け、エロース」

『神に、対する、その不遜……不敬……万死に値すると、知れ……! ヘラクレス!』

 

 露骨な嘆息は誰のものか。アルケイデスは白剣を突き込まんとし、

 

「よせっ! アルケイデス!」

 

 唯一止められる女が、アルケイデスの暴挙を食い止めた。

 

 

 

 




今回は上・中・下に分ける予定です

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