ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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9.8 そして神話は史に交わる

 

 

 

 

 

「ミイラ……?」

 

 世界を広く旅した経験を持つアルケイデスだが、そんなものが存在していることを聞かされ文化の違いを痛感させられた。

 木乃伊(ミイラ)とは太陽信仰に基づくものだという。

 人為的加工、もしくは自然条件によって乾燥され、長期間に亘って原型を留めている死体のことをミイラと云うらしい。アルケイデスの識るエジプトにはなかった風習だったが、異界のエジプトでは当たり前に行われているものらしかった。

 

「生命とは終わるもの、然れど巡るもの。太陽の如く昇って生は始まり、日が沈むように命は終わる。その循環は天の理、終わった命もまた始まるものです。ゆえに死したる命が現世に戻る時、魂の入る器がなければ困ってしまう。ゆえのミイラなのです」

 

 褐色の肌をした清楚な少女は、可憐な唇から歌うように信仰を語る。華美な御座に腰掛けるラムセスに酌をして、アルケイデスに向けて一礼した。

 興味深い話ではあった。異文化ゆえの教えだろう。なるほどと思わされる。その死に対する考え方は、アルケイデスの蒙を拓く新鮮な刺激があった。

 小さく頷きながら盃の中の水を呷る。興味本位に彼は訊ねてみた。

 

「王も……いやファラオだったか。それも死後はミイラとされるのか?」

「はい。もちろん。ラーメス様やわたしも、死後はそのようにされるでしょう」

「実物を見たわけではないし、見たいと思ったわけでもないが、王侯貴族の棺や墳墓を築いた上で、やはり財宝も安置されるのだろうな」

「ご賢察です、ヘラクレス様」

 

 肯定を返される。そうだろうなとアルケイデスは思った。王の墓に莫大な財宝が埋められるのは珍しい話ではない。

 あくまで雑談の席、深刻に物事を考えているわけではないが。各地を旅する内に、アルケイデスにはその手の知識があったゆえに言及した。

 

「ネフェルタリ。お前の知見には様々なことを教えられた。ラムセス、もちろんお前もだ。建築学をお前から、帝王学を……些か意外だったがネフェルタリから。感謝の思いしかない」

「フン。無知な勇者など駄馬にも劣ろう。余やモーセを下すほどの者が、武勇一辺倒の愚物であるなど寛大な余であっても看過できぬ。ゆえ、慈悲を賜わしてやったまで。だがしかし……余はともかくネフェルタリの智慧に触れたのだ、篤く感謝するのが筋ではある。礼は当たり前のものとして受け取ってやろう」

 

 尊大にラムセスは言った。上機嫌そうだ。というより、今の所機嫌の悪いラムセスを見たことはなかった。ネフェルタリとモーセが共にいるからというのはあるだろう。

 しかし度々異国の文化や風習について聞き出し、事あるごとに手合わせし、自身の武勇を高めていくにつれてアルケイデスのことも認めるようになったからでもある。

 ラムセスという男は誰にでも平等だが、自身の認めた数少ない者に関しては特に熱を入れる気質なのだ。そうした彼の居丈高な人間性を受け入れ難い者はいるだろう、だがアルケイデスには好ましいものとしか映らない。

 だが()()を言えば機嫌を害するだろうなとは頭の片隅で思った。しかし言わないという選択肢は取らない。多少の不興を買うことになろうと、ためになると判断したなら告げる。人に嫌われる勇気というのも、時には必要なものだ。

 

「王の道を志して以来、私は時折り理想の未来について思いを馳せるようになった」

「む……?」

「人の世が人の手で廻る……人の世界だ。王も民も人であり、あらゆる悲劇も、幸福も……人の営み故に生まれるだろう。善なる者、悪徳に染まる者、どちらにも傾く中庸の者……人の道から外れた外道とて同様だ。神に依存しない人の世であっても人は人ゆえに愛憎を生む。これはもはや摂理と言えよう。この神代を……例えるなら『卒業した』人の世界を理想とするが、そんな世界であっても人の本質は何も変わらない」

「そう……なのかもしれませんね」

 

 ネフェルタリは頷いた。聡明な乙女だ、今の常識の及ばぬ未来についても、有り得ると考えられるのだから。ラムセスとてそうだ。無言で先を促してくる。

 

「いつかは我らも死ぬ。我らのおらぬ世が訪れる。そして記録は永遠だが記憶と感情はその限りではない。私の偉業は残り続けるだろう、ファラオとなったラムセスの事業とて記録として遺る。しかしそこに捧げられた畏敬、崇拝の念は年を経るごとに廃れていく。これは何者にも覆せぬ記憶の風化だ。で、あるなら――不届き者がお前達の墳墓に侵入し、そこにある財宝を狙うだろう。宝とは人の欲望を擽るものだからな。ゆえに下手をしなくとも、お前達のミイラも無事に済む道理はない」

「――ほう。それは、なんの確証があっての言だ? 勇者……いや未来の勇者王。他の者が言えば問答無用で縊り殺す不敬である。言え、なんの根拠がある? ファラオたる余と、ネフェルタリの聖骸が盗掘されるなど……赦されることではないッッッ!!」

 

 今のエジプトでは断じて有り得ぬ、神をも恐れぬ罪悪だ。しかし遠い未来なら有り得なくはない、柔軟な思考を持つラムセスはそうと理解できたからこそ、思わず席を蹴倒す勢いで立ち上がった。

 ファラオとは絶対、神にして王である超越者だ。ラムセスはファラオとなることで完成する少年、ゆえにアルケイデスの言葉は断じて受け入れられぬと激怒して。ネフェルタリはそんな彼の手をそっと抑える。落ち着いてくださいと、小声で囁いて宥めた。ラムセスはアルケイデスを睨む。しかし少ししてふっと息を吐いた。ネフェルタリのお蔭で怒りが鎮まったらしい。

 

 ――アルケイデスの言はただの予想だったが、それは正鵠を射ていた。

 

 ネフェルタリの骸は度重なる盗掘の被害に合い、()()()()()()()()()状態となるのだから。

 遙か未来の聖杯戦争で、ラムセス……オジマンディアスの英霊召喚の条件として、ネフェルタリの遺品でしか太陽王を喚び出せないのは、最愛のネフェルタリの惨状を知ったからである。ネフェルタリの遺品を持つということは、盗掘の片棒を担いだ赦されない大罪人であるからこそ、召喚主を即刻殺すつもりでオジマンディアスは召喚されるのだ。尤も……この世界線では、そんな無残な状態に、ネフェルタリがなることはない。

 何故か。

 それは数多の人々と文化に触れた、異端の思想保有者が此処にいるからである。

 

「根拠か? それは私が各地で見た人々の営みと、人の欲望を知るがゆえだ。古の神々への信仰が廃れ、あるいは神々の侵略により土着の信仰が失われ、神から人に堕ちた者もいる。人の欲望には限りがない、その一事を以て永遠に続く信仰や王朝が存在しない証と断じられる。分かるはずだラムセス。それを防ぐ方法はお前の成すものだけだと」

「……遙か未来にまで誇られるファラオとなれ、と。つまりは激励か。フン、戯けたことを抜かす。余の怒りを買う恐れをそうも平然と犯して檄を送るなど……」

「それともう一つ。一人の女をそこまで想えるラムセスにだから言いたい。……同じ墓に入れ、ラムセス。ネフェルタリと。死後も永遠にいたならば、偉大なファラオであるお前の傍で、最愛の女を護り続けられるだろう」

「へ、ヘラクレス様っ!?」

「同じ、墓に……!? よ、余が……ネフェルタリと……ふ、ふは、フハハハハハハ!! ヘラクレス、貴様……それは良い! 良いぞ! はは、そうしてやろう!!」

 

 アルケイデスの提言の、どこに恥ずかしがるところがあるのか。

 二人の反応はまさしく少年少女のそれで、ああ――どんな傑物でもその人間味にこそ惹かれるものがあるなと、微笑ましくて堪らぬものがあった。

 死後も共にいて、最愛の者を護り続けられる……それはアルケイデスの深層心理にある願望であり、理想であり、夢想であった。それを自分と同じ人の世を超越した器を持つラムセスに重ねていたのである。自分には無理だったことを、成し遂げてもらいたい故の激励。自覚はないが、アルケイデスは彼らに己とメガラを幻視して目を細めた。

 

 そこに、ドタドタと慌ただしい足音が近づいてくる。機嫌を直していたラムセスも、ネフェルタリも眉を顰めた。王子とその親友であるネフェルタリが客人であるアルケイデスのいる場所に、そんな足音を立たせながら駆けてくるなど無礼である。

 首を刎ねるかと怒りを懐くラムセスだが、駆け込んでくるなり叫ばれた報告に、ラムセスは困惑させられることとなる。

 

「報告! 報告でございます!」

「何事だ、騒々しい」

 

 若い神官だった、苛立ちも露わにしているラムセスに、彼は言った。

 

「空気の神シュー様、魔術神ヘカ様より神託です! 世界が……この世が、別の世と交わろうとしていると!」

「な、何……?」

 

 それはあらゆる人々の立脚点となる世界の変質である。

 今、どんな神にも阻めぬ、取り返しのつかない世界の異変が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急ぎ外に出たラムセス達とアルケイデスを迎えたのは、ナルナ人のモーセだった。

 険しい表情で、高台から辺りを見渡す彼が指し示す。

 

「こっ、これは……!?」

 

 ラムセスすら声を上擦らせ、動揺を隠せない。アルケイデスもまた驚愕に目を剥いていた。

 天上に坐す太陽が()()ある。世界を包む空間が歪み、地面が二重に重なり、剥離と接合を繰り返して波打っている。民達が頭を抱えて蹲り、世界の終わりだと悲嘆に暮れていた。

 此の世を司る理の変容、変質。無理矢理に紋様の異なる織物を繋ぎ合わせるかのような、万物万象の歪みが生む鳴動。地殻変動など問題にもならぬ驚天動地の異常事変。人など立ってもいられぬはずの振動の中、誰もが揺れも感じない異様な空間。

 天地をエジプトの偉大な神々が飛び交い、必死に元の世界の姿に戻そうと抗うも、それですらどうにもならぬ。強大な神々の権能ですら抵抗できない変化の津波は、ラムセスだけでなく総ての者を動転させた。

 

「……何が起こっている!?」

「ら、ラーメス様……」

「ネフェルタリ! 余の傍を離れるな! モーセ、分かっているな!?」

「ああ! ……ヘラクレスさん、いざという時は――」

「任せると良い。お前はラムセスとネフェルタリを近くで護れ。私は外敵が現れたのならそちらに対する。――ケリュネイア!」

 

 アルケイデスの呼び声に、疾風となって金色の牝鹿が駆け寄ってくる。

 即座に鎧兜を身に着け、中庸の剣を装備し、弓をケリュネイアに預けるとその背に跳び乗る。例え何が来ても、世界を終わらせる怪物が現れたとしても、友誼を交わした者達のためにも戦う覚悟があった。

 ――その覚悟を試すように、空間が裂ける。

 そこには暗黒があった。虚数があった。世界の表層の裏にある、虚数空間。そこには大地母神にして天空、混沌の女神であるガイアの怪物が潜んでいた。

 

 ()()()。桁外れに。まず目に入ったものを、ただの壁としか認識できぬほどに。

 

 それは、造形は人間に似ていた。だが余りにもデカすぎる。その巨体は、宇宙の星々と頭の頂点が接するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達するほど。

 腿から上は人間と同じだが、その下からは巨大な神毒蛇(ヒュドラ)がとぐろを巻いた形をしている。無尽蔵の力を持つがゆえに疲労を無効とし、肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持っている。あらゆる種類の声を発することができ、声を発するたびに山々が鳴動する規格外の存在力があった。

 其の名は、ガイアの生んだ史上最大にして最強の怪物神。魔獣神テュポーン。完全武装の最高神をも打倒せしめる、宇宙崩壊の理。

 

 誰もが固まった。ラムセスとモーセ、アルケイデス以外の総ての者が。

 多くの神々すら身動き一つ取れない。一部の神々が、未だ眠っているその魔獣神のいる空間を、権能を使い咄嗟に閉ざして事なきを得る。

 

 あんなものが動き出せば、エジプトの神話世界は脆くも滅び去るだろう。例えエジプトの神々がアレを滅ぼしたとしてもだ。

 

「アレは……なんだ……?」

 

 全身から冷や汗を流しながら、ラムセスが呟く。戦慄を隠せない。ラーやホルスに匹敵するか、それ以上の魔獣神の存在を、一瞬とはいえ未知のモノを視認して正気を保つどころか言葉を発せられる彼は、なるほど人類史に冠たる王に相応しい精神力であると言えた。

 だがアルケイデスは。声を出せなかった。

 恐怖した……というのはある。だがそれ以上に、彼は伝え聞いた覚えがあったのだ。あのテュポーンの姿を、少年時代のペリオン山で……恩師ケイローンから。

 

 なんとか捻り出す。

 

「テュポーン、だと……?」

 

 アルケイデスが固まった理由は、恐れだけではない。この天地を満たす異変の正体がなんとなく分かってしまったのだ。

 異界の存在であるはずのテュポーンを目撃したことで、彼は元の世界とこの世界が、神託の通りに交わろうとしているのだと理解した。自分がこの世界に迷い込んだのは、その前兆だったのかもしれない。

 

「知っているのか?」

 

 ラムセスの鋭い詰問に、うなずく。

 

「あれは私の元いた世界にて、最強とされる魔獣神だ」

「……そういうことか。これは、余の世界と貴様の世界が交わる前兆かッ!」

「私の存在が、凶兆となったか」

「戯け! 仮にも()()()()()()であろうが! 太陽の化身たるファラオの師なのだぞ、凶兆なわけがあるかッ!」

 

 自嘲するアルケイデスを、ラムセスが叱り飛ばす。

 その言葉に大英雄は目を瞬かせた。

 

「むしろ誇れッ! 貴様は余の世界を広げ、余の威光を更に遠くにまで届かせる一助となれたのだとッ!」

「……フン。物は言い様だな」

「――民達よ、恐れるなッ! これは世界の終わりではない! 我らの世界の拡張、すなわちさらなる繁栄への階であるッ! 目を背けるな、もう二度と見ることのない光景であるぞ! 立ち上がり、その目を見開け! そして焼き付けよ! これこそが余の栄光の一欠片であるッ!!」

 

 ラムセスが両手を広げ、よく響く声で朗々と謳った。それこそが真理にして事実であるのだと。

 

 人々は恐れをなんとか抑え、世界の変化をその眼にした。

 空の太陽が一つに重なる。地平線が一つに束ねられる。何もかもが元通りになっていく中で、何人かの人影が大地の上に像を結びはじめているのが見えた。

 何者かと眼を細める。そのシルエットには見覚えがあった。半年ぶりに眼にするそれらは――まさに。

 

「イオラオス!? ……アタランテ、ヒッポリュテか!?」

 

 世界が重なったことで、行方の知れなくなったアルケイデスを探して放浪していた仲間達がそこにいて。

 もう一人、見知らぬ女が、共にいた。

 

 その女こそ女神ヘカテーである。別の神話(テクスチャ)に迷い込んだアルケイデスを探し出すために、神に祈りを捧げたイオラオス達に応えて権能を行使し、同じ世界線ながら異なる位相に存在したアルケイデスを第二魔法の領域にある大魔術で見つけ出し呼び出したのだ。

 それが、異なるテクスチャで深い縁を結んでしまったアルケイデスを、その異なるテクスチャごと釣りだしてしまった。いや、二つのテクスチャがアルケイデスという糸で絡められ、交わってしまった事故である。

 

 こうして、アルケイデスはギリシアとエジプトのテクスチャを重ねてしまったのだ。

 

 

 

 

 




チラ見えしただけで、テュポーンと戦ったりはしません。

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