ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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9.9 二重神話隔世

 

 

 

 

 

 人間の神経と感性を極限まで尖鋭化し、研ぎ澄まし、更にその先にある限界を遥かに超越した大魔術が、息をするようにして組み上げられていく。度を越した神秘濃度に、神代の人間であるイオラオスですら怖気に震え吐き気を覚えた。

 芸術的で幾何学的な紋様が、壊れた羅針盤のように高速回転しながら、稠密にして精緻なる魔法陣を象っていく。月と死、魔術の叡智を司る『女神の神核』が、稀代の魔法使いすら赤子に見えるであろう神話回路を全力稼働させ、その神格の担う権能を全動員した大秘法を構築していっているのだ。

 魔道とは神秘学、つまりは学問。そしてギリシア世界とは即ち人類文明・文化の最先端。故に神代にあって最高峰、並び得るはずの他神話群の魔術の神をも置き去りにする魔道の叡智が此処に在る。彼の女神には呪文・魔術回路の接続という工程など無用だ。高速で紡がれる神言を聞き取れる者は絶無。彼女の愛弟子である魔女キルケーやメディアであっても聞き取れまい。

 

 ただ一言で大魔術を起動する女魔術師達よりもなお優越する神言は、しかし十秒もの詠唱時間を要した。

 

 通例に従うならば絶対に有り得ぬ、世界の均衡を崩しかねない大権能。この時代、この世界に於いてのみ、彼の魔術王に叡智を授けた他教の唯一神を凌駕する、智慧の女神ヘカテーによる一世一代、大魔法・死者蘇生に等しい奇跡が起こされようとしている。

 それは後の分類における第二魔法、平行世界の運営に類する領域の神秘。大源(マナ)小源(オド)にある天文学的な魔力を湯水のように燃焼させ、複雑怪奇にして壮麗な魔術式は空間と世界に干渉して閉ざされていた門を抉じ開ける鍵となる。

 探し出すのは人類史上最大の英雄だ。ギリシアの世界(テクスチャ)にとって欠かせぬ決戦力である。ギリシアの神々は彼の存在が突如消えたことに動揺し、それを探し出して連れ戻すためにあらゆる手を打とうとして。それを制し名乗りを上げたのが冠位英霊の魔術師をも上回る魔術神である。神代全盛の、神霊ではなく神そのモノであるが故におこなえる規格外の神秘の強権発動者だ。

 

 時代を下ればその絶対性は失われよう。しかし今この全盛時の魔術神とは、根源接続者の荒唐無稽なまでの万能さにも引けを取らない。事実上不可能はないのだ。それ故に最高神であっても軽んじられるはずがない。死の女王、無敵の女王とあだ名される女神ヘカテーこそは、ゼウスの力にも追随する影の実力者なのだから。

 そんなヘカテーの魔術式は、即座に行方の知れなくなった英雄を見つけ出す。そして無理矢理に元の世界への召喚を試みた。

 

 この時、ヘカテーのみが知覚した。

 

 地球という惑星の上に張り巡らされた多種多様な織物(テクスチャ)の一つに、アルケイデスが迷い込んで、他者との縁という錨を落としていることを。

 そしてそのアルケイデスをギリシア世界に戻すということは、錨という名の『縁』に絡められた他所の織物(テクスチャ)を、ギリシアという織物に習合させるに等しい所業であると。瞬間『過去』や『未来』ではなく『現在』を見通す千里眼の持ち主は、別の織物の住人達を余さず見透して。明晰な頭脳が齎す推測を弾き出してしまった。

 混沌とした物語が紡がれるだろう。少なくとも神々にとっては佳き文様を象るとは思えない。だがそれがどうしたというのだろう、逆にヘカテーは楽しげに嗤う。どのみち『ヘラクレス』が居なくなればこの世界線は剪定される。ギガントマキアを含め、どう足掻いても『ヘラクレス』は必要不可欠なのだ。その剪定事象をもゼウスならば阻み、己の世界の存続を成し遂げるのだろうが……少なくとも人類史は滅ぶ。

 

 神々の都合上、ここで取り止める理由はない。

 人間へのほんの僅かな憐憫から、止める理由が特に無い。

 ――こんな面白そうなことを止めるなんて、とんでもない!

 大義名分は我が手に在り。であれば躊躇う道理なし。ヘカテーは嬉々として二枚の織物を混ぜ合わせる暴挙に出た。

 尤も。例え誰がヘカテーと同じ力を持っていたとしても同じ事をしていただろう。人類史の存続、信仰基盤の喪失を避けるため。その先に待つのが凄絶な信仰の奪い合い、凄惨な侵略戦争の切欠になると知っていても。避ける術などこの時点で有り得ないのだから。ならば己の力で生存を望める神々の戦争に賭けるしかない。

 

 果たして二つの神話群は習合する。その際に生まれた空間の狭間に魔獣神の姿が垣間見えたことなど些細なことだ。

 

 エジプトの地に、ギリシア世界のテクスチャに存在しない、多数の神格の神威を感じたヘカテーは嗤った。歪んだ口元を上品に裾で隠し、穏やかに一礼すらして魅せる余裕を覗かせる。

 

 アルケイデスがいた。未来の聖者と太陽王がいた。この世界の太陽神、空気、魔術の神がいた。

 それとなくザッと視線を左右に走らせてギリシア神として見るに、戦力比は六対四でギリシア有利だ。これは単純に個々の神々には格の近い神はいるが、その数が比較にならないからである。ギリシアはオリンポス十二神を筆頭に、その神格の数は桁外れ。質が近いなら数に上回るギリシアが有利となるのは自明だ。

 しかし不確定要素を計算に入れれば、途端にその有利不利はあやふやになり、簡単に覆り得るものとなるだろう。オリンポスを疎むガイアやギガース、ガイアの子である魔獣神テュポーンなどがそれに当たる。特にテュポーンなどが本格的に暴れ出せば双方の神話に多大な傷跡を残すことになるだろう。

 

 トキの頭を持つ人型の神がこちらを見て何事かを書物に書き記している。書紀の神がヘカテーの容姿を書き写しているのだ。秘匿の魔術を幾重にも重ね掛けし隠蔽している故に、その力の詳細を知ることはできまい。姿を写されるぐらいなら気にせず、女神ヘカテーはアルケイデスを見るなり駆け出そうとしたギリシアの英雄達を制するため、敢えて慇懃かつ大仰に両手を広げた。

 右手にはメディアの錫杖によく似た、満月を象る魔術杖。ヘカテーの分体にして権能を宿した宝具だ。それが自身らの前に掲げられ、イオラオス達は自制する。未知の神々を前に軽はずみには動けない――ヘカテーは背後に庇う形になった、愛弟子の恩人の仲間が踏みとどまったのに薄く笑みを浮かべ、エジプトの神々に向けて語りかけた。

 

『ああ――異なる起源、異なる伝承、異なる摂理を支配せし異郷の神々。死と月を司りし、いと高き()の名は魔道の先駆者ヘカテーである。そなたらの神域、確かに丸ごと召し上げ、我らギリシアの神域と重ね合わせたぞ』

 

 流石はエジプトの偉大なる神々。荒ぶる軍神(セト)が苛立ちを露わにするのを天空(ホルス)が制する。魔道の先駆者と名乗られた幼い子供の姿の魔術神(ヘカ)が不快感を露わにする。

 輝きを強める太陽(ラー)をはじめとする、最高位に近しい神々が威圧感を高めるのにも笑みを消さず、ヘカテーは朗々と続けた。

 

『しかし誤解無き様。()は決してそなたらを害さんとしたのではない。そこにいるヘラクレス……()の属する世の存続に欠かせぬ者を取り戻すため、やむにやまれず力を振るったのだ。その事情は汲んでくれよう? どのみち()が何をせずとも、いずれはこのようなことが起こったのであるからな』

『……異郷の死と月、魔をカタチとする女神よ。此度の仕儀が起こした世界の理と天秤の偏り、総て把握した』

 

 応じたのはエジプトの神々、九柱神(エネアド)筆頭格の神。原初の水ヌンより自ら誕生し、他の神々を産み出した偉大な造物主。天地創造の神ラー・アトゥムである。

 太陽神でもあるラーは険しい声音で問い質した。

 

『貴様は己が何を仕出かしたか、自覚しているのか。貴様も我々も、この星に根差したモノではある。しかし其処に()()()があるのは何故か、解らぬとは言わせん。他の文明、文化、精神、それらの習合・競合を無くす為の境界である。それを、貴様は取り払ったのだ。これより先にあるものが何か、弁えているか? どちらかが滅ぶまで果てぬ絶滅戦争が起こりかねん』

『愚問。我らギリシア、斯様な侵略を幾度繰り返したか。その総てに勝利した故に我らが在る。そして先走ってはくれるな? 我々の戦が真の決着を見るのは神の手には拠らぬものよ。人の手に託されるであろう。共存し名を変えカタチを変え、ギリシアに属する異郷の神は星の数ほど在る。生存を期するならば庇護下の人の後押しをする他ない。今、()に手出しをすれば、それこそ神格を根こそぎ絶やす真の絶滅を懸けた開戦の角笛を吹き鳴らすことになろうよ』

 

 平然と異郷の最高神に嘯く様は、ギリシア世界神格群を秘密裏に掻き回すトリックスターの面目躍如である。血気盛んなエジプトの軍神は露骨に舌打ちし、苛立たしげに腕を組んで手出しを控える。軍神がひとまず矛を収めた以上、この場での開戦はないと見ていい。

 ラー・アトゥムはその金色の視線を異界より迷い込んだ英雄に向けた。アルケイデスはそれを神妙に受け止める。自身が迷い込みさえしなければこのようなことにはならなかったと自省する彼に、慈悲深く公平なラーは暖かく告げた。

 

『悔やむな、異郷の人の子よ。貴様に非はない。咎を負うべきは世の理、神代に終わりを齎さんとする史の働きよ。アラヤめが人の時代を求める余り拙速が過ぎたのだ。要らぬ動乱が起ころうと、人の身が負う責など無い。万物万象我が手中にある故に、あらゆる功罪もまた我がものである。罪に問われるべきは我だ』

「……ご厚情、痛み入る」

『ふむ。ふむふむ。ふぅむ。その度量、爪の垢を煎じて()の奉ずべき主神めに分けてくれぬか? たった今、頭が痛くなった』

『出来ぬ相談だ、ヘカテーとやら』

 

 クッ、と嗤うヘカテーとラーを他所に、アルケイデスは唇を噛んだ。どこか己に落ち度があるという思いが拭えない。

 そんな彼にラムセスは呆れた。

 

「自罰的なのは構わん。だがラーの言葉は余の言葉、余の言葉即ちラーの言葉である。余が赦す! 赦されたのだヘラクレスよ。ならば泰然と構えよ、そうせぬは不敬! 傲慢で在れ勇者であるならば! 貴様に足らぬは厚かましさよッ!」

「僕達の武を高めた師なんですよ、あなたは。そのあなたがそんな様だと、僕まで自責の念に駆られてしまいそうです」

 

 モーセにまで言われ、アルケイデスは頭を振った。なんとか薄い笑みを浮かべ、彼らに応える。

 

「分かった。私に咎はないのだな。ならば自省するだけ損と考えよう」

「フン。最初からそうしておればよいのだ。余は余の民に安寧を齎すファラオとなる者故に、争乱の種となるものは憎む。しかし貴様はそんな者ではないと先刻承知。いざとならば勇者の王よ、エジプトに君臨せし余と貴様が結べばよい。世の理がなんだ? そんなもの知らぬッ! 余が統べるのだ。何者にも成せぬ偉業も、余と貴様が結べば不可能など有り得んッ! 如何なる不条理も余の前に屈服するであろう!」

「そういうことだよ。何も気に病むことはない。ほら……あなたの世界の同胞たちが、あなたを迎えようとしている。さあ、行くと良い。例え万里離れようと、僕達はあなたのことを忘れない。共にいた日々は色褪せない。この別れは永遠じゃないんだ。いつかまた――今度は師弟じゃなく、対等な者として手合わせしてほしい」

「……ああ。モーセ、再会した時は拳を合わせよう。ラムセス、次は王としてまみえよう。その時が新しい伝説となると私は確信した」

「当然だ。行け、我が友にして師よ。……本当の名を余に預けるのは次で良い」

「さらばだ、我が弟子にして友よ」

 

 ケリュネイアに跨ったままだったアルケイデスは、突然訪れた別れを惜しむことなく疾走した。ケリュネイアはネフェルタリに寂しげに嘶いたが、ネフェルタリは爽やかに送り出す。牝鹿はそれで吹っ切ったように駆け、主を一党の元に運ぶべく前を見る。

 アルケイデス! 女王が飛びつくように抱きついた。正面から来たそれを受け止めたアルケイデスは微笑む。仕方のない奴だと。イオラオスは早速というように、苛つきながら紙と筆を取り出した。何があった、吐け! 伯父上! そう息巻く彼の性根にアルケイデスは苦笑いするしか無い。イオラオスの頭を抑え込んで、アタランテは安堵したようにアルケイデスに寄り添った。

 

 半年ぶりだ。一人で動いたばかりに、随分と長い道草を食ったものである。

 

 ――これより先に訪れる激動の時代、その寸前に生きる英雄達の邂逅はこうして終わりを見た。今はただ、再会を喜び合う。そして友として再会を誓い合う。

 太陽神ラー・アトゥムはそれを慈愛を込めて眺め、ヘカテーはそんなラーに曖昧な貌になっていたが。それを語るのは余分というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

ギリシアとエジプトのパワーバランス。エジプトは魔術に使う力は人間と同じ、つまり人間でも優れていれば神に並ぶ。エジプトの神話で対等に人間と話す神が多いのは実際対等に近いから…だったはず。
で、そうなると。変にエジプトつえぇ!ってやると、エジプトの人間達は神をも上回る優秀なやつがわりと居て、ギリシア蹂躙されかねないんです。相対的にヘラクレス級でもそんなに珍しくない強さ扱いに……。作者も赤竜の件で反省したんですが、同じ神代(紀元前)で極端に力関係が破綻する扱いはやめました。

実際はこのはずだ! という意見は沢山あると思います。しかしこの拙作の中だとこの通りだということで納得してください。マジレスするとパワーバランス考えすぎてエタりかけ一日休みました。

この話、作者から見ても賛否両論過ぎて俺は疲れたぞジョジョーっ!

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