ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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なんかアイアスが筋肉マッチョになると想われてるけど、作中で書いたのは全部メディアの被害妄想。
実際は金髪長身美女。スキル天性の肉体持ち。筋肉量はペンテシレイア級ぐらいとしてます。出番はあるにはある。しかし短いでしょうな。

今回短め。


12.1 ミュケナイ王の餞別

 

 

 

 

 貴様の最後の勤めは冥府に赴き、冥府の番犬ケルベロスを借り受けてくる事だ――そこまで言ってミュケナイ王は玉座の肘置きに凭れ、やっと肩の荷が下りたと嘆息する。

 

 神の課す禊の儀、其れは決して安易なものであってはならない。いずれも神意に沿う……少なくともこれ以上はないと想われる難度でなければならないのだ。

 エウリュステウスは王だ。だが王とはなんなのか、彼はその立場故に熟考し答えを出している。神代最盛の御世、神権授受者こそ王。即ち――王は『神の奴隷』である。

 神は多くの民草、人間を個として認識できない。偶然眼につく者はいたとしても、多くに対して極めて無関心である。然し民草という信仰基盤がある故に存在している事だけは把握し、それでも個別に認識するのは煩わしい故に彼ら雑草の代表として王というモノを設置しているに過ぎない。

 恐らくそうと思い至れる王など地上には少ないだろう。何せエウリュステウスすら、ヘラクレスという究極の個の脅威に晒され、被害妄想的に怯えていなければ、己の固執する王の座の意義について思いを馳せようとはしなかったのだから。

 

 雑草。民草。それらの総意、代表として王はいる。そして神はその王を通して民を見るのだ。王が悪なれば民も悪。王に神への敬意がないのなら民にも無し。故に王の罪は民の罪。神の視点とはそうしたものだ。

 

 故にヘラクレスという、ヘラに睨まれている英雄に課す試練は考え得る限り最大の難度でなければならないのだ。もしも容易な勤めなど課そうものなら、ヘラはエウリュステウスに怒りを覚えるだろう。ひいてはそれは、ミュケナイに災いを齎す。

 ギリシャ世界、地中海の中心であるミュケナイで、そのような災禍が巻き起これば、たちどころに諸国は混沌の坩堝に叩き落とされるだろう。王としてそのような事は決して看過できないものだ。

 

 然し『金獅子(ヘラクレス)』が踏破に難儀する試練など、そう簡単に用意できるものではない。

 

 獅子王、神毒蛇を筆頭に、怪物犇めく魔境であったペロポネソス半島は、至強の豪勇により一掃され。一つの勤めの難度が名高い英雄の生涯を賭すだけのものを既に十一も片付けている。十年と経たずしてだ。にも関わらず其れ以外の偉業を数多く片手間に成し遂げ、比類できる者など世界全体を見渡しても見つからない勇名を轟かせた。

 これより最後の勤めに向かう事となるヘラクレスがこのアルゴスにいる。彼の存在は無視できない抑止力となり、近年稀に見る泰平を近隣諸国に齎している。ヒトはおろか神ですら大人しいものとなっているのだ。

 無論ギリシャ世界が完全な平和など享受できるはずもない。どうしたって彼らは民の一人ひとりに至るまで英雄の種族。血の気は多く、力こそ至上であり、略奪の誘惑に駆られる者は断じて少なくない。ヘラクレスがいると分かっていても、まさか悪事を働いた所に鉢合わせる訳がないと楽観視する者も各地に散見された。中には自分の方がヘラクレスより強いと自惚れる者もいる。

 

 最近の代表例は、リビアを通っていた英雄ヘラクレスに遭遇してしまったアンタイオスという神格である。海神ポセイドンと原始の大地母神ガイアの息子である彼は、大地に触れている間はガイアのバックアップを受ける事ができ、星の触覚と同様の異能を発揮できる異能を保有していた。即ち対峙した者よりも上回る力を発揮できる、無敵の力だ。アンタイオスは通りかかった旅人を次々と襲い、これを屠るとその髑髏を父ポセイドンの神殿に捧げていたのだ。

 彼は驕り高ぶり、相手がヘラクレスであると知っていても挑んだ。果たしてヘラクレスに勝る剛力を発揮し、彼の金獅子をも苦戦させる。武の技量で上回るヘラクレスは、何度もアンタイオスを打ち倒すがその度に死から復活し、倒される度にその力を増大させていった。しかしヘラクレスは僅かな勝機を見極め、アンタイオスの弱点を見抜く。大地に触れていなければ星の触覚が如き力を発揮できぬと看破した彼は、空中に大賊アンタイオスを打ち上げ、そのまま撲殺してのけたのである。

 

 不死であるはずの純血の神格だった彼は、しかしそのままあっさりと死んだ。彼の悪行を知り怒りを見せたヘラクレスが、暴虐な神を嫌っている事もあり躊躇なく残虐に彼を殺したのだ。五体を引き裂き、頭部を柘榴の如く砕き、四肢を微塵に切り分け、四方に封じて肉片を獣の餌としたのだ。

 不死(しなず)のアンタイオスの意識は其処で痛切に祈った。死なせてくれ、と。『痛い』程度で済まぬ絶望に大神ゼウスへ死を希った。そうして彼は死に、ヘラクレスは不死の神をはじめて殺してのけた逸話を打ち立てた。

 そんなヘラクレスを、神々は恐れた。死が救いとなるほどの容赦無き殺害方法を編み出した彼を心底恐れた。以後雑多な神々は誰一人としてヘラクレスの前に姿を現さず、鉢合わせようものなら即座に逃げ出すようになったのである。

 神を殺す『自死』の強制。それを実行し成功させるような者になど関わり合いたくもないというのが神の本音だろう。

 

 ――この例はヘラクレスの常軌を逸した武勇を雄弁に物語っている。にも関わらず、ギリシャ世界の英雄の種族達は、一度己の力を過信し、安易に欲望を遂げられる図抜けた力があれば容易に悪の畜生道に堕ちた。

 

 故に治安が良くなろうとも、完璧ではない、完全な平和など訪れない。ミュケナイとて王のエウリュステウスが、正統な王位継承権を持つヘラクレスを恐れ、嫌っていたならば、近い将来争いが起こっていただろう。他ならぬエウリュステウスとヘラクレスの王位を巡った戦争が。

 無論、今はそんな懸念はない。ヘラクレスが明言したからだ。己は王に成ると。ミュケナイではない別の地で。それに嘘はないと信じられたエウリュステウスには、もはやヘラクレスへの隔意はなかった。むしろさっさと勤めなど終えてどこへなりとも消えてしまえとすら思っている。

 

 英雄とは須らくヘラクレスの如く在るべし。英雄の模範とは彼であり、規範とすべき在り方である――其の様に讃えられる彼の英雄は、エウリュステウスの手に負えるものではないのだ。己は凡人であると否が応にも思い知らせてくる大英雄が煩わしくて堪らない。

 だからこそ、彼はヘラクレスからの相談にも快く乗った。善意ではなく、されど悪意でもなく、とにかく視界から消えてほしい一心で。

 

「最後の勤めに関しては諒解した。だがその前に、エウリュステウスよ」

「なんだ。様をつけろ無礼な野郎め」

「無駄な争いを起こさずに王位に就ける国に心当たりはあるか?」

 

 悪態を吐くもさらりと流され、エウリュステウスは露骨に舌打ちする。

 この質問に答えないエウリュステウスではない。他所の国で王になってくれるなら、彼の懸念事項は解消される。この件に関しては全面的にバックアップしてやるつもりである。

 

「チッ……あー、そうだな。ヘラクレス、オマエが『王冠寄越せコラ』とでも脅せば、気骨のない玉無し野郎ならさっさと王座を明け渡すんじゃないか」

「………」

「睨むな。ただのキングジョークだ」

 

 そう言いはするも、エウリュステウスは本気ではあった。実際ヘラクレスに恫喝されれば、エウリュステウスだって逃げ出している。

 良識的というか、理解不能なまでに相手を慮る男であると、エウリュステウスはヘラクレスに関して理解している。理解できないものとして理解しているのだ。故にこんな冗談も言えてしまう。キングジョーク、などと。

 

「……そうだな。オリンピア辺り、いいんじゃないか」

「何故だ?」

「あそこは継承者のいない老い耄れが王だ。老い先短い老い耄れが、ほそぼそと暮らしてるど田舎だよ。兵隊は少ない。娯楽、産業にも乏しい。オマエが王座を譲ってほしいとでも言えば嫌とは言わないだろ」

「……私は己の名を嵩に着て脅すつもりはない」

「奪っても利益の少ない国で王に成りたいなんて奴なんざいない。オリンピア王も継承者がいないことに焦っている。王に成りたいって立候補したのがヘラクレスなら、喜んで王位を渡して隠棲するだろうよ。慎ましやかな余生が望みなんだとさ」

「……ふむ」

「ついでにアドバイスだが、オマエ個人のツテがあるだろ。イオルコス、コルキス、アテナイ、サラミス、トロイア。こんだけの国と繋がりのある奴なんざオマエぐらいのものだ。建国に際して支援を要請しろ。そしたら速やかに面倒な問題は片付くさ」

「貴様は支援してくれないのか?」

 

 にやりと笑いかけられ、エウリュステウスは失笑した。図太い男だ。計算高い。さらりとミュケナイを省略していた事を見落とさない抜け目のなさまである。

 

「エリュマントスの猪」

「……?」

「クレータの牡牛、ディオメデスの人食い馬、ヘスペリデスの黄金の林檎。……ゲリュオンの牛は無理だが、オマエが試練で手に入れてきた物は、あらかた全部くれてやる。それで充分だろ」

 

 瞠目するヘラクレスに、エウリュステウスは鼻を鳴らした。

 もともとミュケナイにはなかったものだ。手切れ金代わりにするなら丁度いい。それにミュケナイばかり栄えてしまえば、却って動乱の火種になる。近隣諸国からの妬みは買うべきではない。

 

 それに扱いきれるものでもなかった。ヘラクレスに押し付けたなら、あの怪物共も大人しくなるだろう。

 

「ありがたい。この恩は忘れ――」

「忘れろ。恩に着るな。さっさと行け。十二個目の勤め、差し詰め『十二の試練』か? さっさと終わらせてミュケナイから消えろ。オリンピアでもどこでも行って早く王に成れ。それがオマエの俺に対する恩返しだ。それ以外は要らない」

 

 分を弁えない者は早死する。エウリュステウスは分を弁えていた。さっさと枕を高くして眠られる日々に戻りたい。

 軽く会釈をして去っていくヘラクレスの背を、ミュケナイ王は深い溜め息と共に見送る。そろそろお別れだなと、知らず笑顔が浮かんだ。彼は、ヘラクレスが勤めを果たせないなどとは微塵も考えていなかった。

 

 

 

 

 


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