ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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感想を見て、幾つか盲点なものがあり、なるほどなぁ。そういう見方もあるよなぁ。ってなりました。
そして、やはりイオラオスも頭ギリシャだったか……となってるのに苦笑い。落ち度はたしかにイオラオスにもあるんだけども。もう少し信じてあげて!()


あっ、ちなみに二話目です。





六幕 同行者との訣別

 

 

 

 

 全てを語り終えたイオラオスを前に、アルケイデスは天を仰いだ。

 憔悴し切って項垂れる甥を見る目は同情と憐憫。然しそれ以上に、仮にも自分の指南を受け、最も長く旅を共にした故に、自分に近い思考形態を持っているはずの甥の迂闊さと軽挙妄動に、忿懣やる方ない気持ちを拭えない。

 アタランテが死んだ。事故死と言えるだろう。胸を締め付けられるような激しい哀しみに声が出せない。細い息を長く吐き出し、なんとか落ち着く。無理矢理にでも現実を受け入れる。だが、アルケイデスはポツリと溢さずにはいられなかった。

 

「……イオラオス。実を言うと、私は……お前と、アタランテを……実の息子、娘のように想っていた」

「……っ」

 

 びくりと反応する甥から視線を切る。イピクレスは悲愴な表情で、覚悟を決めている様で。それは無用だと、優しく声を掛けてやるわけにはいかない。最悪の場合、この手で斬る事も検討し、実行せねばならないだろう。

 イオラオス。聡明で沈着とした青年。彼が暴挙に及んだ理由は心底分かる。だが共感できるのはアルケイデスだけだ。他の……少なくとも大多数からは情状酌量の余地なしと断じるはずである。――カリュドンまでは、何も問題ない。ケンタウロス族の戦士二人を殺したのは正当防衛だ。アルケイデスが同じ立場にいても殺していただろう。愛する者を強姦しようとする下衆だ、斬り殺しても良心は痛まない。だがその後がマズかった。

 

 アルケイデスは自身の価値観と周囲のそれのズレとの付き合い方を学んできた。擦り合わせ、妥協し、落としどころを常に模索して生きてきた。だからだろうか、イオラオスを赦すわけにはいかないのだと、断言できてしまう。

 

「だが……それとこれとは、話は別だ。残念だが……お前は死罪が相応だろう」

「兄さん、ちょっと待って」

「解っている。()()()()()()のだ。母であるお前が気づかぬ道理はあるまい」

「……?」

 

 言うまでもないだろう。真実、甥という人間を理解しているなら、誰であっても不自然さと違和感に呻かざるを得ない。

 

 本当ならイオラオスは、ゼウスの聖域にある女神キュベレーの神殿を破壊し、たまたま居合わせた信徒を皆殺しにした時点で神罰が下り、既に死んでいるか完全に人の姿ではいられなくなっているはず。それがないという事は、その件についてはキュベレーはイオラオスを赦したのだ。間が悪く、運が悪く、自分の下した神罰が原因で、意図せずして最愛の妻を殺させてしまったからだろう。

 多くの神は傲慢だが、然し例外のヘラ以外は自身の司る理と神罰には厳格である。神殿を穢れた魔獣の血で汚した罰として、アタランテとイオラオス、そして二人の子を獅子の姿にしたが、罰は其処で終わりだったのだ。愛する者を喪う悲しさはキュベレーも実感として知っている。息子にして夫である神が死んだ時、嘆き悲しんで復活させているのだから。故に赦した。目を瞑った。何も見ていないと知らないふりをしてくれた。

 イオラオスが生きて、人の姿をなんとか保ちながらも無事にやってこれた時点で、アルケイデスにはキュベレーが悪神とは思えない。キュベレーの視点から見ると、下した罰は正当で、その後は情け深い対応をしている。これで他の神なら無視は難しかったはずだ。

 

 だがオリンピアという、現在神々の注目の集まる国にいる中で、人払いをする前に及んだ狼藉……これは流せない。女神を罵倒し、建築の最中の物とはいえ神殿を破壊したのだ。例え温厚なヘスティア神でも赦せないし、赦さないだろう。

 神には面子というものがある。それで生きていると言っても過言ではない。人々の畏怖と信仰をなくせば、弱体化は避けられまい。そして自然や概念を司る神々の弱体化は現実にも悪影響を及ぼす。例に出したが、ヘスティア神の神格が脆弱化すれば、彼女の司る全てが形骸化し、人々の心に変容を齎して、人々の意識はヘスティア神の司るものを軽んじるようになるだろう。

 故にだ、もはや優しいだの厳しいだのという領分を超え、神であるならイオラオスを罰さねばならない。悪神であっても、善神であっても。戦神マルスなら自分の手で殺すべく直接降臨してくるはずだ。

 

 だが、喩えどんな理由があったとしても、身内を獅子に変えたキュベレーに対するアルケイデスの心象は最悪の一言である。

 だからと言って、イオラオスを赦す理由にはならないのが辛い所。神という超自然的な存在に、軽はずみな対処は自殺行為だ。キュベレーの理屈は頭では理解できる、彼の女神に責任はない。然しそれとこれとは話は別だ。アタランテをイオラオスに殺させる因果の一端を担った……それだけで憎むに足る。異端の精神が叫んでいるのだ、正しい理屈などよりも身内の方が大切だと。

 

 理不尽な私情である。そんなことは指摘されずとも弁えている。だが感じるモノを否定できない。だが――いや、ともあれ今の問題はそこではない。キュベレーへの筋違いな憎しみも横に置く。問題はイオラオスだ。どう罰するか、考えねばならない。

 

 死罪。これが最も適当だ。だが妹の息子を、甥を……共に旅をした者を殺したくはない。王として私情を排し処罰する……? 暴君アルケイデスはクソ喰らえだと内心吐き捨てる。だが実際問題として、イオラオスに何も咎めずにおれば、国体が著しく脆弱化してしまう。神々の権威を利用している段階なのだ、今のオリンピアは。

 故に罰を下すのは必定、避けられない。ではどうするか、だが。

 

 ――そもそもイオラオスの行動は粗が目立つ。

 

 この点にアルケイデスは違和感を覚えていた。彼は甥の能力に全幅の信頼を置いている。武力にか? 否だ。その知性と勇敢さにだ。断じて武力にではない。

 アルケイデスがヒッポリュテと共にサラミス島に向かい、その道中でトロイアの噂を聞いて盛大な遠回りをしていた時、イオラオスとアタランテは二人で旅行に出た。これは分かる。気持ちはよく分かるのだ。アルケイデスも伴侶と結ばれたら、喜んで旅行を企画していただろう。実際にヒッポリュテとサラミス島に向かったのは、そうした側面がある。

 旅の最中、カリュドンの猪狩りに参加した。これも分かる。二人の実力なら、喩えその大魔獣がトロイアに現れた海嘯の獣に匹敵していたとしても、逃げ切る程度はできるだろうし、大物を狩れるなら参加したいと思う気持ちは分かるのだ。特にアタランテなどは狩人である。腕試しがしたくなるのも道理だろう。

 襲い掛かってきたケンタウロスを殺す。これも分かる。寧ろよくやったと褒めてやりたい。横恋慕してきたカリュドンの王子に対して、これを諦めさせたのも良い。文句なしだ。そしてカイネウスが誘ってくるのに乗る……これも、まあ、知己からの誘いなのだ、特に断る理由もなかったのなら乗るのも分かる。此処までは普段のイオラオスだ。

 

 だがそこからのお粗末さはなんだ? 本当にイオラオスがやったのか?

 

 アタランテとまぐわっていたのなら、どれぐらいの周期で身重になるのか、アルケイデスの傍でメガラを見ていたイオラオスが知らないわけがない。失念するはずがない。なのにそれを計算に入れずに、迂闊に旅を続けていたのはなぜだ。カリュドンでの魔獣狩りを終えた頃には危険水域に入っている頃だろう。

 カイネウスがあからさまに戯けた愚行を仕出かした時、マズイと理解していながら、どうして即座に離脱しなかった? 挙式をあげたい誘惑に駆られただと……? ……馬鹿げている。その頃にはカリュドン近くまでオリンピア建国の噂は届いているはずだ。そしてイオラオスは旅の心得として、噂などの伝聞には常に神経を尖らせている。そうしていたからカリュドンでの魔獣狩りの事を知れて、参戦できたのではないか。アタランテと正式に婚姻関係に成りたかったのなら、オリンピアに帰ってくればいいだけの話。そこでなら安全に、アルケイデスが全力で成功させてやれた。イオラオスもアタランテも、アルケイデスが式を取り持つだろうと簡単に予測が付き、喜んでくれるはず。

 なのに何故帰ってこようと考えなかった? 馬鹿なのか? イオラオスらしさが欠片もないではないか。アタランテもそうだ。どことも知れぬ地で、イオラオスと婚姻関係になれると頭がお花畑になる女ではない。むしろ冷静に、冷徹に、身の安全について考えるはずだろう。アタランテは子供が好きだ、自分が愛する男との子供を身籠っている可能性を考えないはずがなく、安全策を確実に執るはずなのだ。

 だのに、ペイリトオスとの共同の結婚式で、ケンタウロスに襲われるまでその地に留まってしまっている。有り得ない失態だ。イオラオスはおろかアタランテも頭に蛆が湧いたのか。

 

 粗と不自然さはここから更に目を覆うものになる。

 

 ケンタウロス族に、カイネウスが殺された――それはどうでもいい。その後、ヒュライオスとロイコスを殺した仇と気づかれた……どうやって? カリュドンでの一件からさほど時が経っていないのに、イオラオスとアタランテの特徴をどこで知った?

 ケンタウロス族が総出で殺しに掛かってきた……? 追撃された……? 追手を延々と出されただと……? ケイローンは例外として、基本的に奴らは野蛮だ。ギリシャの英雄に更に輪をかけて。然し優れた戦士でもある。勝ち目のない戦いはしない。にも関わらず甚大な被害を出しながら執拗にイオラオス達を追った……? 此処でイオラオスはオリンピアの方角に逃げないどころか、各地に散らばっているアルゴナウタイの面々に助けを求めず孤軍奮闘した……?

 愚か極まる。いつからイオラオスは悲劇の英雄譚の主役を気取る阿呆になったのか。それに不自然なのはそこだけではない。確かにイオラオスの武勇は並大抵の英雄に勝るものだが、それでもケンタウロス族の総勢を上回れるほどではない。そんなにまともに戦い続け、疲弊してしまえば討たれてしまうだろう。

 なのに勝っている。アルケイデスの知らないところで成長していたとしても、度が過ぎているのだ。しかも身重のアタランテを護りながら戦えるまでに強くなるなど有り得る話ではない。

 

 大神の聖域に入り、そこにあった女神キュベレーの神殿にアタランテを隠した……これは、まあ、いい。然しなんの断りも入れないとはどういう了見だ? 喩えイオラオスがアルケイデスとの旅の中で、神への敬意や好感が皆無になっていたとしても、神を軽んじる戯けた振る舞いをした事はなかった。脅威だからである。

 なのにアタランテを護る目的があったというのに、その神の領域を無断で扱うなど迂闊を通り越して自殺志願としか思えない。これで罰しない神はまずいないだろう。この時点で神罰を下さなかったキュベレーは、寛大であるとすら言える。

 その後。ケンタウロス族に捕捉されて戦闘に入る……ここまで来れば不可抗力ではある。然しなんだ、なぜ多くを殺されなおもケンタウロス族は逃げなかった? どうしてイオラオスはそこまで戦えた? イオラオスが殺されて終わるはずの戦闘であるのに、なぜ勝てた。なぜ――ケンタウロス族は全滅するまで戦い、最後の一人がイオラオスから魔獣の毛皮を奪えた? 更に魔獣化したケンタウロス族の戦士を、既に死に体であったというイオラオスはなぜ倒せた?

 曰く『覚えていない』らしい。

 

 ……馬鹿げている。その力も、何もかも。

 

 違和感に気づけば不自然さしか無い。その後、イオラオスは誤ってアタランテを殺してしまった。それは分かる。悲しいだろう、辛いだろう、悔しくて遣る瀬なくて死にたくなるだろう。だがその事に気づかせてくれた無関係のキュベレーの信徒達を皆殺しにした……? 神殿を破壊した……? キュベレーはそれを罰しなかった……?

 キュベレーが罰さなかったのは、まあ分かる。イオラオスに同情し、また人目のない領域だから一度だけ見逃してやろうという寛大さを見せたのかもしれない。然しイオラオスの蛮行はなんだ。怒り狂って無関係な人間を殺戮する……? 断言しても良い。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 話を全て統合すると、アルケイデスは込み上げるものを感じた。

 ()()だ。憎しみを交えた赫怒の炎が脳髄を灼き尽くす勢いで燃える。

 

「……プロメテウス」

『なんだろうか、王よ』

 

 囁きに、脳裏へ返る声がある。

 遠く……王宮の方に気配がある。緊急時の連絡手段として、両者はパスを繋いで意思の疎通を行う魔術で接続されていた。

 使い魔契約に似て非なるものだ。どちらが主人というものではなく、またどちらかが使い魔というわけでもない、対等な契約である。

 

「……作為を感じる。イオラオスとアタランテ、そしてケンタウロス族は思考の誘導の魔術を受けたのではないか?」

『例えば誰に』

「……ゼウスだ」

『それは違うと言っておこう。こうなると解っていたかもしれないが、大神はケンタウロスをカイネウスにぶつける以外は何もしていない』

 

 だが、と。ギリシャ世界に於ける人類創造の神は、感情を押し殺した意地の言葉を王に伝えた。偽りを教える事はないという契約故に。意図的に黙っているのは不実であると弁えているから。

 

『一連の流れに神々は手を下しておらず、あらゆる人間、魔術師も関与していないと思われる。ならばこれは、所謂“抑止力”と呼ばれるものの仕業だろう』

「抑止力……?」

『謂わば運命の奴隷だ。定められた運命のレールから外れたモノを、元の運命に押し込むために働く世界の理、それが霊長の抑止力だ。アタランテとやらは、そのような末路を迎える定めで、辻褄合わせのために種々の手段をそれとなく執る。例えば今回のように誰かの意識、思考を誘導したり、敵うはずのない敵を倒すために後押しをしたりもする。おまえの甥とアタランテとやらはその通りの道を踏み、結果としてアタランテは死んだ。イオラオスが生きているのは、本当ならアタランテは死ななかった可能性を示唆し、その補填としてイオラオスの今の姿があるのかもしれない。アタランテが半獣になるのが本当なのだろう』

「………それは、つまり………なんだ? アタランテは………世界に殺されたとでも言う気か? イオラオスの愚行も………世界の意志だと?」

 

 震えを抑え、アルケイデスは呟く。プロメテウスは残酷なまでに誠実で、決して隠し事をせず、彼は素直に推測を伝える。

 そう、あくまで推測だ。然し智慧比べでゼウスに勝った事もある神の推測である。信憑性は限りなく高い。

 

『そうだ。全て……ん、全て……? いや、一部前言を撤回する。何者かは知らないが、一度神が関与したかもしれない部分がある』

「――それはどこだ」

『当方の推理に過ぎないが、イオラオスとやらがキュベレーの信徒を殺戮した時だ。あれは、抑止力が働く所ではない。然しイオラオスが自分の意志と怒りで無闇に剣を振る者ではないとしたら、ここで神か魔術師の業を受けたのだろう。当方に分かるのはそれだけだ』

 

「……………」

 

 アルケイデスは瞑目する。プロメテウスへの信頼が揺らいでいた。抑止力……その話が確かなら、人理の案件……つまりはプロメテウスの管轄ではないか。

 その揺らぎを見抜いているのだろう。プロメテウスは嘘偽り無く告げる。

 

『王よ。当方は確かに人理構築を目指す神格だ。然し一つの世界(テクスチャ)に在る神に過ぎず、例えばエジプトや、インド、極東……それら以外の世界にも同じ様な神格は必ず一柱はいる。そして当方の言う人類とは、あくまでギリシャのそれだ。人類に黄金の時代を――そう望む当方は、あくまでギリシャ世界の人類の味方である。ゆえに確約しよう。抑止力とはおよそ総ての世界を股にかけるもの、当方の預かり知るものではない。その抑止力がギリシャのより善き人理構築を妨げるなら、当方はこれを凌駕するべく活動するだろう』

「……信じよう」

 

 短く返す。そして未だに震えているイオラオスを見下ろした。

 イピクレスが慈悲を願ってこちらを見ている。ヒッポリュテは事の成り行きを見守っている。マタルヒスは無言で佇むのみ。

 双子の獅子が、みゃー、みゃー、と鳴いていた。父を守ろうと、牙の生え揃っていない口を開いて、懸命にアルケイデスを睨んでいた。

 

 再び、瞑目する。

 

 静寂が場を打った。誰も身じろぎ一つしない。

 やがてアルケイデスは目を開く。そして誰にも憚らずに堂々と告げた。

 

「我が監視者、プロメテウス神よ。罪人イオラオスからの聴取を終え考えが纏まった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『――いいだろう、その要請に従う』

 

 プロメテウスが王宮から大音声を上げて諒解を示した。

 そして天へ還っていく。今しがたプロメテウスが推理したものを、アルケイデスの考えとしてキュベレーに説明しろと言ったのだ。

 キュベレーは、それで納得してくれるはずだ。アルケイデスの中で、見当外れな憎しみが消し去られる。キュベレーに非はないばかりか、寸毫たりとも憎むべきものではないと認識したからである。

 

 自分勝手なものだ。アルケイデスは自嘲する。そして、イオラオスを見た。

 

「裁きを伝える。心して聞け、イオラオスよ」

「……うん」

「如何なる事情があれ、妻を手に掛け、神殿を破壊し、無関係な信徒を殺戮したばかりか、今また女神を罵倒した罪は重い。本来ならこの場で首を刎ねる所だが、私の考えでは貴様の罪は今挙げた内の半数も満たしていない。故に問う罪は神殿の破壊、女神への罵倒である」

「ぇ……?」

 

 困惑する甥に、伯父は冷酷に告げる。甥には罰が必要だと思った。

 罰されたいはずだ。殺されたいはずだ。そうでなければああも恐れもせず女神を罵倒するはずがない。アタランテを殺してしまった己を、アルケイデスに殺して貰いたかったのだろう。

 だがそんな事はしない。アルケイデスは目に意志を籠める。

 

(貴様は大人だ。男だ。いつまでも私に甘えるな)

 

 そして、せめてもの願いを込め、またイオラオスに死んでほしくない故に裁く。

 

「イオラオス。貴様を追放する。二度とオリンピアに近づくな。そして三つの誓約を課そう。生涯これを護り、遵守して生き、償い続けよ。いいな?」

「そ、んな……伯父上、待ってくれよ、おれは、伯父上に――」

「今の貴様に死は慈悲でしか無い。生きろ……それが罰だ。喩え辛くとも。その苦しみを背負って生き続け、己の子らを見守り続けよ。さあ誓約を課すぞ、心して聞け。

 ……一つ、今後新たに妻を迎えるべからず。貴様の妻は貴様が手に掛けたアタランテだけだ。

 一つ、死ぬまで旅を続けよ。一つの街、集落に留まってよいのは一年のみとする。

 一つ、二度と神の所有する聖域へ侵入するな。

 ――いいな、イオラオス。貴様は……お前は生きろ。死にたくても、死ぬな。私よりも長く生き、私がどのように死んだかを知れ。お前の使命はまだ、生きているぞ」

「伯父、上……」

 

 裁定は終わった。キュベレーに問うも、この裁きで納得してくれたらしい。特に何もなかった。

 アルケイデスは甥に背を向ける。再会を果たしたばかりなのに、永遠の別離を決定させられた哀しみに震えそうなのを堪え。ヒッポリュテとマタルヒスを連れ、誰もいない地に呆然と跪くイオラオスを見ようとはせず。

 すれ違いざま、アルケイデスはイピクレスに言った。お前は好きにしろ、と。妹は頷いて「ありがとう、兄さん」と呟いた。

 

 

 

 

 

 以後、イオラオスはイピクレスに連れられてオリンピアを去っていった。

 

 それから先の人生でオリンピアより遠ざかっていく中、イオラオスは彼なりに考え、自分の意志でオリンピアの――ひいてはアルケイデスのために活動していく事になる。

 母と、人間に戻った二人の子供達を連れ。自身は半獣半人の姿から人間に戻るのを拒絶して。課された誓約を死ぬまで護り続けた。

 

 エジプトに向かい、伯父の盟友のために一年間ヒッタイトと闘い。

 各地の生活形態、文化、歴史を記し。

 旅を続け、老いた母を看取り、成人した子供達を独り立ちさせ、一人で旅を続け。

 遠くの地に在りながら、アルケイデスの記録を取り続けて。

 

 そして、アルケイデスが死んだ時、一度は筆を折った。

 

 老いて、死ぬまで、イオラオスは各地を放浪した。

 

 彼の全盛期は“輝ける同行者”である。然し最もよく知られるのは、オリンピアより追放された後の“放浪の賢者”にして“知識の保護者”としてのイオラオスであり。

 陰ながら伯父を支援し続け、ギリシャとエジプトの衝突の危機を幾度も防いだと語り継がれた。

 

 イオラオスは、独りで死んだ。その遺体を発見した者は、ひどく穏やかな死相に、一瞬ただ眠っているだけのように見えたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




賛否両論かもしれませんが、イオラオスくんはこれでフェードアウト。彼の道とアルケイデスの道は、今後一切交わらずに終わります。

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