ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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注意。残酷な描写があります。Fakeのアルケイデス並の悪意があります。どうってことねぇだろと感じる程度の方もいるでしょうが、念の為注意喚起しておきます。






九幕 怒りの日、報復の時(下)

 

 

 

 

 

 地中海(ギリシャ)世界に於ける巨人種は、全宇宙を最初に統べた原初の神々の王ウーラノスと、(ウーラノス)の母にして妻である大地(ガイア)との子に当たる存在だ。

 

 ウーラノスは果てしなく巨大な体躯を誇り、全身に無数の銀河系が鏤められた宇宙を常に纏う、何者にも斃せぬ無敵の存在であり、大いなる王であるウーラノスは男性美の極限でもあった。故に彼の古王は自らの子であるキュクロプスらとヘカトンケイルの醜さを嫌悪し、見るに堪えぬと見捨て幽谷(タルタロス)に幽閉してしまう。

 これに怒りを覚えたガイアは、ウーラノスとの間に産まれたティターン十二神の末子クロノスに命じ、魔法金属アダマスの鎌でウーラノスの寝込みを襲わせその男根を切り落とさせてしまう。

 男神の支配権は男根の有無で定まる。去勢されてしまったウーラノスは力を失い、また男根を斬り落とされた事を恥じて去ってしまった。そうして空位となった最高神の座に、クロノスが巨神(ティターン)を率いて就いた。

 

 ――斯くしてウーラノスの切り落とされた男根から滴り落ちた血が、ガイアに触れて産まれたのがギガース、異称『ギガンテス』である。

 

 原初の大地母神ガイアは、大地のみならず天空に到る『世界』そのものを司る女神であり、謂わば彼女こそがギリシャというテクスチャそのものとすら云える。地球という惑星を指してガイアという名があるのに対して、共通の名を生まれ持った女神ガイアは地球と密接に繋がる神格となり、その加護は極めて巨大なものであった。故にガイアの加護はギガースに対し絶大なアドバンテージを齎したのだ。

 すなわち『神に敗北しない』加護である。

 オリュンポスの神々はティターンをも超える高位神格の集まりであり、特にゼウスを筆頭にその戦闘能力は絶大で、ガイアですら彼らを容易く打ち倒せるモノを産み出せるわけではなかった。故に辛うじて戦闘を成立させ得るギガースが目をつけられたのだ。

 かねてよりオリュンポスの増長は目に余るものがあり、ガイアはこれを罰せる存在を探していたのだ。然しギガースでは十回戦っても完敗するだろう。それほどまでに力の差がある。だがガイアからすると十回戦って負けようと、その次に勝てるのなら問題はない。故にガイアはギガースに加護を与えたのだ。神に敗北しない……広義の意味合いに於いて『神では殺せない』力を。

 

 其の加護を抜きにしてもギガースは脅威だった。燃え盛る樫の木の棍棒や、権能こそないもののオリュンポスの神にも引けを取らない怪力を武器とし、彼らの攻撃は充分に神々を戦闘不能にしてしまえる危険性を持っている。

 ギガースは母の命令に応えてオリュンポスを排さんと息巻いていた。光り輝く鎧を纏うギガースの首魁は奇しくもティターンやオリュンポスと同じ十二体。オリュンポスがティターンに取って代わった様に、自分達が次代の覇権を握るのだと野望を燃やした。

 

 数百体に及ぶ巨人達は海を裂き、山々を蹴散らし、猛然とオリュンポス山に進行していく。其処に立ちはだかる者が現れた。

 

 大神、海神、女神王、戦女神、戦神、鍛冶神、太陽神、月女神、酒醸神、魔術神、運命神の三姉妹。十三柱の神々である。

 そしてその中に一人、人間がいた。だからどうだというのだ、とギガースは嘲笑う。たかが人間、踏み潰して終わりである。然しとうの人間は、ギガースが明らかに地形を変えて進撃してくるのを目にして貌を顰めている。

 

「此処が異界である事は分かる。然し人界になんの影響もないのか……?」

『影響はあるさ。何言ってんだよ』

 

 射手であるからか、距離を自ら詰めに向かわないでいたアポロンがアルケイデスの疑問に返す。露骨に嘲る色合いの返答に、然し無色の視線が向けられた。

 太陽神は肩を竦める。

 

『表と裏、星の上に貼り付く織物(テクスチャ)の多重構造。冥府、楽園、天界、人界。それと同じ区分の、ちょっと邪魔な人間の在れない神の庭なんだよ。もちろん影響が出るまでの時間差はある。だから人界にそれが出る前に、こっちで地形を手直ししてやれば何事もない。人間である君は何も心配しないで、その馬鹿力で暴れるだけでいい』

「そうか。それを聞けて安心した」

 

 人智を超える大破壊が巨人の進撃だけで撒き散らされ、その迫力たるや肝を潰して余りある。山河を砕き、大陸の破片を散らし、山脈を踏み躙って来る様はさながら世界の終わりの日。それを目にして怯む者は神の内には一柱たりとも存在せず、そしてそれはアルケイデスもまた同様だった。己も本気で暴れたらこれ以上の大破壊を刻めるのだと――本能的に理解しているからだ。

 ゼウスの右腕が帯電し、雷霆が撃ち出される。ティタノマキアに於いて揮われた最大出力の雷光ともなれば、宇宙全体を揺るがす衝撃波を発し、瀑布の如き雷火によって敵陣を一網打尽にしてしまうだろう。雷撃は全空間を焼き払い、地平線の果てまでの天地を逆転させ、地球はおろか全宇宙、万象の根源たるカオスをも灼熱の裡に滅する。

 だが人界ではその力を大幅にセーブされるだろう。そして最大出力をなんの遠慮もなく発揮できる異相に在っても、此度の敵はそこまでする必要はない。火力の多寡などでどうこうできる手合いではないのだ。

 果たして眩いその一撃でギガースの軍勢は壊滅した。だが、戦闘不能に陥っただけである。広域を薙ぎ払った雷霆ですら、ギガースは倒れ伏して呻いているだけである。見ればギガースの首魁の十二体は各々が小島を持ち上げて盾としてやり過ごし、倒れたのは名もなき巨人ばかりであった。

 

 その雑兵に等しい巨人ですら、死んでいない――どころか、灼かれた皮膚がたちどころに回復していくではないか。あと一分としない内に立ち上がってくるだろう。

 アルケイデスはおろか不死の神々ですら、受ければ半死半生となるのは免れない出力の雷霆を受けて、だ。

 

「――なるほど、確かに私の力を借りねば打倒は叶わんな」

 

 アルケイデスはゼウスや神々からの、自身への特別扱いに改めて納得する。

 人間の力を借りねば斃せない……然し人間の軍勢を幾ら集めても無意味だろう。そもそも生き物としての規格が違うのだ。人間サイズの槍や剣で幾ら突き刺しても、あれだけの巨体では蚊に刺されたようなものでしかないのだから。

 故に必要なのは群ではく、究極の個。巨人にすら通じる豪力がなければ話にもならない。アルケイデスは白弓を構える。神の戦に加担するのは面白くないが、味方として神の力を測れる場にいる機会をふいにする気もない。

 片膝立ちになって放つは奥義・射殺す百頭。視界全てを射程とする英雄にとっては曲射をするまでもない距離だ。直射し、アルケイデスの矢が大気を引き裂き飛翔する。狙い違わず矢の悉くが倒れていた巨人の眼球を、あるいは頭蓋骨を貫通する。そのまま脳を破壊し次々と即死させていった。その剛弓にギガースが瞠目する。自身らと比べ掌程度の大きさしか無い人間の放った矢で、まさか自身らを殺せるものだとは想像だにできなかったのだ。

 

 ギガースから慢心が消えた。アルケイデスを明確な脅威として認識する。然しその上で恐怖が過ぎる。彼らは智慧の足らぬ野蛮な身であるが、戦の勝算に対しては正確に認識していた。

 ガイアの加護がなければ、自分達はゼウス一柱のみで壊滅させられる危険がある。ゼウス単体ではなく、その武器である雷霆が桁外れに強すぎるのだ。

 故に巨人は戦慄する。神の如何なる攻勢も軽視していたが、これからはそうはいかない。戦闘不能に陥れば、その瞬間にあの矢が飛んでくる。そうなれば死ぬという恐怖が巨人の心身に怯懦を縛り付ける。然しその恐怖を打破せんと或る巨人が馳せた。

 

 ギガースの長、巨人王ポルピュリオーンである。炎のように濃い朱い髪と髭を蓄え、淡い燐光を放つ鎧を着込んだ剛力の巨人。両脚は竜鱗に覆われ、手にした燃え盛る樫の木の棍棒は龍脈の如き偉容を持つ。

 最長老であるアルキュオネウスに並ぶ実力を誇るポルピュリオーンが先頭を駆けると巨人の首魁らは奮起した。どのみち戦わねばならないのだ、ならば厄介なあの人間と、一撃で自分達を戦闘不能に追い込めるゼウスを仕留めねばならない。中でも特に巨人王ポルピュリオーンはアルケイデスの脅威を深刻に捉えていた。自分達ではオリュンポスには勝てぬ、然し殺されもしない。故に何度も挑み神々が疲弊して力を失くすまで戦い続けるつもりで居た。その戦術の前提を覆す人間はなんとしても仕留めねばならない。

 ポルピュリオーンは走り抜け様に小島を片手で担ぎ上げ、アルケイデスに投擲する。唸りを上げて飛来する大質量は、彼ら巨人の手首から先程度の体長しか持たない人間など蟻のように潰してしまうだろう。視界全体を埋め尽くすそれは、さながら天が落ちてきたかの様――然しアルケイデスは嘆息し、弓を背負って拳を鳴らした。

 

「いたずらに大地を擲つとは……」

 

 図体の大きさに見合った脳は持っていないらしいな、と。うっそりと嗤い、両手で小島を受け止めた。

 ポルピュリオーンは瞠目する。投げつけた島がピタリと制止したのだ。まさか人間があの質量を平然と受け止めるとは夢にも思わなかったのである。そして駆け続けるポルピュリオーンの頭の上を、自身が投げつけた小島が飛び越えて、ぴったりそのまま元の位置に投げ戻されるのを、どこか呆気に取られた心境で見上げてしまう。

 アルケイデスは両手を叩いて土砂を払い落とし、その背中から白亜の魔槍を取り出した。巨人の体長と比べると爪楊枝に等しいそれは、夥しい魔力を渦巻かせる。ポルピュリオーンの脳裏に警鐘が鳴り響いた。

 

「“鉦を穿つか、地鳴らしの槍(エノシガイオス・トリアイナ)”」

 

 超振動に槍が啼く。迸る蒼き魔力は渦潮の如く槍に巻き付き、投じられた魔槍が一直線にポルピュリオーンの心臓を穿たんと迫った。

 受ければ薄紙を裂くように貫かれる。その確信を懐いた巨人王は咄嗟に腰に帯びた剣を抜き放った。長大な其れは山脈の如く。逆巻く風を切り裂いて振るわれた鋼が魔槍を迎撃する。然し激突の瞬間、熱したナイフでバターを切るように易々と剣が砕かれた。だが辛うじて軌道が逸れ、魔槍はポルピュリオーンの鎧を削り、肩から鮮血を噴出させて彼方に飛び去る。ポルピュリオーンは唖然としながらも脚を止めなかった。なんとしてもあの人間を殺さねばならぬと。

 

 だが。

 

 させじとでも云うのか。火星の光を帯びた真紅の神性が頭上より飛来する。

 

『“紅き星、軍神の剣(マーズ・ウォー・フォトン・レイ)”』

『ッ!? チィ――ッ!』

 

 叩きつけられる神軍の威を束ねた赤光の柱。紅蓮の棍を振り上げ迎撃する巨人王。激突の瞬間、ポルピュリオーンは両手の骨が砕ける音を聞いた。

 だが、構わず振り抜いて、火星を司る神格が二百メートルに迫る巨人の如き光体で立ち塞がるのを睨みつける。真体を晒した戦神マルスは鬼神の如き形相の巨人王に凄絶に嗤いかけた。

 

『よぉ、()()()()()共ン中じゃあ、貴様が一番噛み応えがありそうだ。少しばかり俺と遊んでけよ――なァッ!』

『ウヌは、アレス――!? 暗愚な軍神如きが小癪な……!』

『ハッハハハ! 何年前の話をしてやがる――!』

 

 大神に伍する力を持つマルスが渾身の力で殴り掛かる。光の剣は捨てた、殺せぬなら意味はないと、ならば愉しむだけだと言わんばかりに。

 巨人王は無手で迫る戦神に紅蓮の棍を振るった。だが不死なのはマルスも同じ。腕の骨に亀裂が奔るのも構わず盾として受け止め、そのまま同等の体躯を誇る巨人王の懐に飛び込むと顔面に拳打を叩き込んだ。

 たたらを踏んで後退し、よろめいたポルピュリオーンが片膝をつく。拳撃の威力に愕然とする。以前戦った軍神アレスとは比較にもならない。ポルピュリオーンは信じられない思いで誰何した。

 

『ギ、貴様……ッ、アレスではないな――!? 何者だ、オリュンポスに貴様のようなモノなど!』

『莫迦が。答えるのもアホらしい。精々抗え、抵抗しろ、無様に踊れや。俺の愛しのサンドバッグちゃんよォ――ッ!』

『待――』

 

 吐き捨ててマルスが疾走する。巨人王が立ち上がるのを待たずに蹴りつけ、その巨体を吹き飛ばす。壮絶な轟音を上げて地面を転がり、地響きと共に追撃を仕掛ける戦神をアルケイデスが諌めた。

 

「マルス様、はしゃぎ過ぎだ……!」

『ハッ――五月蝿ぇよ! 幾ら殴っても斬っても絞めても死なねえ素敵なサンドバッグちゃんがいるんだ、憂さ晴らしさせろよ――オラ、オラ、オラァ! ハハハハハ! どうしたよ抵抗しろよ死なねえなら死ぬまで殴るぞポルピュリオーンッ!』

 

 本来なら神々を大いに苦しめ、ゼウスが奸計を練り嵌め殺す大敵を、マルスは倒れたポルピュリオーンに馬乗りになってその勇壮な顔面に拳を振り下ろし続ける。

 一方的だ。鼻血が吹き出、歯が欠け、面が陥没しては再生していく。返り血を浴びながら凄絶に嗤うマルスはまさに暴虐の戦の化身である。敢えて両腕を自由にされていると悟りながらも、苦し紛れに反撃するポルピュリオーンの拳打を胸に、貌に受けながらもマルスはまるで怯まない。

 その脇を二柱の狩猟神が駆け抜ける。太陽神と月女神だ。隼のように駆け、太陽神アポロンは巨人エピアルテスの足元を駆け回り撹乱し、月女神アルテミスは巨人グラディオンを翻弄する。その様にアルケイデスは嘆息した。

 

 オリュンポスとギガースの力の差は歴然だ。弱って戦闘不能になった巨人にトドメを刺して回る単純な作業になりそうである。

 然し折角の戦場。一体ぐらいは独力で仕留めようかとアルケイデスはすっかり染み付いた仕事人気質を元に行動する。狙うはポルピュリオーンに代わり神々を苦戦させる最長老の巨人アルキュオネウス。複数の不死の神を相手に対等に戦う剛力のギガースである。

 

 魔槍に呼び掛け、担い手を穿たんと飛翔して来るそれを掴み取ると、鎧の背部の留め具に固定して走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルケイデスは神々を別の巨人の元に向かわせ、自身はアルキュオネウスと単独で相対した。見上げるような巨人の全身を、アルケイデスは剣で斬り裂き、矢で射抜き、槍で貫いた。

 それでも死なぬアルキュオネウスに困惑する。試しに空中に叩き上げて斬殺するも、効果がない。ギガースの中に不死の存在がいるなど想定外だったが、梟に変じてアルケイデスの肩に留まったアテナの助言に納得する。なるほど、その手の不死かと。

 生誕の地であるパレネの地に仁王立つアルキュオネウスは、その地に在る限り不死身なのだ。そして神々をも退ける豪腕を振るえる。カラクリさえ判明すればアルケイデスは手古摺らなかった。アルキュオネウスの脚を掴んだアルケイデスは、巨人を引き摺りパレネから引き離す。アルキュオネウスの必死の抵抗も、神々すら凌駕する豪腕を前にすれば儚かった。あえなくパレネから離され、アルケイデスに縊り殺されてしまう。

 

 アテナはそれを見届けて自身の獲物へ襲い掛かった。ポセイドン、ヘカテー、ヘファイストス、運命の三女神モイライ、ゼウス。総てが各々の敵を相手に優勢に戦っている。後はアルケイデスがトドメを刺して回るだけでいい。

 こんなものか、と戦士王は拍子抜けだった。神々の戦、大戦。それがこうも圧勝に終わりそうなのに落胆する。これでは本懐を遂げるには足りない。できるとすれば、精々が一柱を手中の玉にする程度だ。

 

 アルケイデスは周囲を見渡す。そして――総ての神の眼が自身を捉えていないのを確認し、そして意識も向いていないのを感じると。

 密かに担いでいた()()()()()()を取り出した。

 それは被った者の気配、声、あらゆるものを隠し通す“冥府神の隠れ兜”である。被る者の生死は問わない。故にアルケイデスは頭蓋骨にそれを被せ、透明でゼウスすら気づけぬそれを持ち込んでいたのである。

 

 さて、と呟き。アルケイデスは獅子の兜を外して、代わりに隠れ兜を被った。

 

 忽然と戦士王の姿、気配が掻き消える。然し戦の只中ゆえに誰も気づかない。そのまま、アルケイデスは。

 悠々と走る。駆ける。平然と神々の脇を通り抜け、或る女神の元に忍び寄った。

 

 本来戦うはずだったポルピュリオーンは、戦神マルスによって常時半死半生にされている。ポルピュリオーンを相手にしていれば苦戦を強いられ、押し込まれていたのだろうが、今その女神が相手をしている巨人はギガースの首魁ポルピュリオーンほどの力量は持っていない。

 彼の女神は月女神アルテミスを素手で圧倒できる実力がある。事実相手の巨人は辛うじて対抗できているだけで、神に対して敗北しない加護がなければ既に敗北していただろう。

 

 そこに、アルケイデスがやって来る。彼は極めて平静で、自然だった。煮え滾る溶岩のような憎しみなど欠片も感じさせない。

 表に出るものは何もなく。裡に秘めたものは冷淡で。冷め切り、凍り、冷徹な眼差しでその背後から抱き竦める。

 

『なッ――何者っ、妾に触れる不届きも――ゴッ』

「嗚呼……素敵だ。夢にまで見たぞ、この瞬間を……」

 

 アルケイデスの手刀が女神の喉笛を貫き、声帯を抜き取っていた。

 悍ましい所業である。然し清々しい声が女神の耳朶を打つ。巨人は呆気に取られていた。突如として女神が固まり、その喉から鮮血を噴いたのだ。

 声帯を奪われ声を喪った女神は藻掻く。然し両腕を折られ、グシャグシャに骨が握り潰されて。軟体となった腕を背中に回されて、左腕と右腕を綱のようにされて()()()()のだ。脚も同様にされる。そして背中で纏められ、海老反りにされた。悲鳴を上げようにも声が出ない。女神は突然現れた戦士を見て総てを悟った。

 無限の憎悪を秘めた眼光、その意志は翳らぬ。それを見て復讐者は嬉しげだった。

 

「ヘラクレス。ヘラの、栄光。この名を帯びたその時から――ああ、其れ以前から。ずっ……と、こうしてやりたかった……」

 

 恍惚として。絶頂すらしかけて。アルケイデスは、隠れ兜を女神に被せた。

 無残な女神が掻き消える。誰にもその気配を探れない。女神は最後に、信じられない宝具を見て目を見開いていた。

 身動き一つ取れず、声も上げられない女神を担ぐ。

 さて、と彼は呟き、女神が相手取っていた巨人を見た。

 

 凄惨な惨殺の現場を目撃した巨人に、アルケイデスは無限の悪意を滴らせて微笑みかける。

 

「さあ、選手交代だ。この身は『ヘラの栄光(ヘラクレス)』らしいからな、いと尊き女神の栄光を貴様に魅せてやろう」

『へっ、ヘラを殺ったのは貴さ、ギィッ!?』

 

 最後まで言葉を紡げなかった。巨人をアルケイデスは矢で射殺した。抜き手も見せぬ神速の早打ちである。そして巨人を掴むと、そのまま遥か果て――幽谷(タルタロス)へと投げ放つ。

 そして叫んだ。尽きぬ歓喜に震えそうなそれを、必死に悲痛なそれへと塗り替えて。

 

()()()()()()ッ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!!」

『なんだとッ!?』

 

 その叫びに真っ先に反応したのは大神ゼウスだった。タルタロスに堕ちていく巨大な影を見るや雷霆を振るわんとするも、それでは妃ごと傷つけかねず逡巡する。

 アルケイデスはすかさず矢を射掛け巨人の骸をハリネズミにした。確実に殺したという目に見える形にし。

 

『ヘラぁ!』

 

 愛は、やはりあったのだろう。ゼウスが叫ぶ。

 

 巨人は、幽谷に堕ち。そして、女神は姿を消した。

 後日女神を捜索しに多くの神々が駆り出されるも、ついぞその姿を見つけられる者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




→お持ち帰り。

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