ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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アルケイデスは次回。
今回は幕間的な話。

感想であった『ハデスの隠れ兜って視覚的なものしか誤魔化せないはずじゃ?』とあったんです。
プリヤ見てないからFateで存在してる事を知らず、んで確認してきた。
ランクE……? うそやろ……? しかも兜じゃないし……布やし。帽子になってるし……。

ということでプリヤのはあくまで“原典”であり、ハデスの兜ほどの性能はないとします。雷霆とトライデントと同格の宝具がEランクとか腑に落ちないので。なので前話の能力がハデスの隠れ兜本来の物とします。


十幕 神々は女王を偲ばず

 

 

 

 

 ギリシャ最大の英雄の参戦により、巨人大戦(ギガントマキア)はオリュンポスの圧勝に終わった。

 

 だが神々に勝利を祝していられるような雰囲気はない。むしろ沈鬱で、素直に喜べない結果に暗澹たる有様であった。

 伝令神ヘルメスはハデスに侘びるも、然し至宝である『冥府神の隠れ兜』を紛失した事に激怒したハデスが直談判し、大神は苦渋の決断を迫られる。腹心の伝令神を幽谷に堕とし幽閉せざるを得なくなったのだ。

 そうしている間も、他の神々は大神の命令を受け、幽谷に堕ちたと思われる女神王ヘラの捜索に駆り出されていた。

 ヘラが巨人の悪足掻きによって幽谷に消え、探し出すにはヘルメスが適任だった。然し彼は獄中の身。その任を任せるわけにはいかず、一万年の刑期を終えるまで幽谷から出ることは赦されない。

 

 ゼウスは複雑だった。口煩く、罪を犯しても処断に困る大地母神でもあったヘラである。いなくなって気が楽になる反面、なんだかんだで妻として愛してはいたのだろう。ヘラがいない事で淋しさを感じてはいた。

 だがそれは、ヘラという美しい女を喪失した事で、その体を堪能できなくなった事の苛立ちを上回るほどではない。大神ゼウスはヘラと肉体関係を持つために、ヘラの提示した神々の女王の座と、前妻との離婚という条件を呑んだ男神である。自分の女を奪われた事への憤りに比べれば――ゼウスの喪失感など塵のようなものだった。

 然しそれはゼウスが殊更に薄情で、不誠実というわけではない。この時代、この世界に於いては、女というモノの社会的地位や男からの情の置き方は、ゼウスのそれが至ってスタンダードなものなのである。ゼウスが殊更に責められる謂れはないだろう。

 

 故に捜索が成果を上げずにいた時、オリュンポスの神々は炉を前に会議する際に出た話題へ怒りを示さなかった。

 

『ヘラがいねえんなら、空位となった女神王の座に誰かが就くべきと思うんだが、誰が適任かねぇ?』

 

 ヘラの行方が杳として知れなくなっても、微塵も関心を示さなかった戦神がそう言ったのだ。然しゼウスの眉がぴくりと跳ねる。

 

『アレス、貴様……実の母が危機に在るというのに、それを気にも掛けずに女王の空位を議題に上げるとは何事だ?』

 

 大神の剣呑な詰問に、然し戦神は平然としている。

 豪胆な火星の権神は父の圧力にも怯まず冷淡に混ぜっ返した。

 

『あ? 血縁上はそうだがな、俺はアレとは縁を切ってある。身を案じてやるほど情もねえ。んなもんで、どいつもこいつも芋引いて言い出せねえでいる事を俺が言ってやってんだ。それと親父殿よぉ。なんべんも言わせんなや。俺はマルスだ、アレスとかいう縁切った女の付けた名ぁなんざで呼ぶんじゃねえよ』

『――ほう、父に向かってその言い草、生意気な……』

『ゼウス。八つ当たりしたいんなら後にして。今までマルスの物言いを赦してたのに、今になって咎めるのは筋が違う』

 

 苛立ちから玉座を立ち、マルスを懲らしめてやらんとする大神を制止したのは、彼の姉にして頭の上がらない実姉ヘスティアである。

 鶴の一声にゼウスは怒りを呑み込む。ヘスティアの言は無視できない。最高権力者である大神であってもだ。それほどにヘスティアの権威は重く、高い。何より尊い。

 

 ヘラの不在に動揺しているのは、実のところ少数だった。アポロンとアルテミス、そしてヘパイストスぐらいなもの。アテナなどは欠伸を噛み殺し、デメテルは上の空で別の事を考え込んでいる有様だ。

 ヘラの人望の薄さが、不在となって表出している。ゼウスはなんとも形容し難い表情で黙り込んだ。

 

 マルスは肩を竦め、ポセイドンをはじめとする神々を見渡した。

 

『んじゃ、誰も仕切りたがらねえんで俺がやるが。文句ある奴はいるか? ってか、いろ。メンドクセェ……』

『言い出しっぺの貴様がやれ。本性を出しても忍耐強くない貴様の不覚だぞ、マルス』

『うっせぇぞアテナ。テメェが女神王やれや』

『断る。実力で言えば私が女神の中で随一だが、かといって女神王の職責を果たせるかと言われれば疑問を呈さざるを得ん。私は大女神と名高いデメテルを推すが?』

『……? ……あら、わたくし?』

 

 名が挙げられた事で意識が向いたのか、きょとんとして小麦色の髪をした女神が反駁する。苦笑するアテナの視線に、ふわりと微笑んで豊満な肢体を持つ美女デメテルは拒否した。

 

『わたくし、今でさえ多忙なのだけど。この上さらに職責を課されたら地上の豊穣を約束できないわ。もし不作に人の子が喘いで、捧げ物が少なくなり、わたくし達が飢える事になってもいいと言うなら考えるけれど』

『よし、デメテルは無しだ。じゃあアルテミス、アプロディーテ、貴様らは――』

『え、嫌よ』

『同上。何が悲しくて女神王の後釜に据えられなくちゃならないのかしら』

 

 月女神は端的に一刀両断し、元々ヘラと反目していたアプロディーテなど嫌悪も露わに吐き捨てた。

 マルスはニヤリと嗤う。イタズラ小僧のような笑みだ。

 

『デメテルは論外、アテネ、アルテミス、アプロディーテは辞退、と。親父はいつでも口出ししてくれよ? あくまで俺らの会議は参考程度だ』

『ふん……』

『んじゃ、オリュンポスの外から招くか? オリュンポスの座も空席があるんだしよ』

『それならば適当な神格は誰だろうな? 心当たりはあるか、アポロン、それにポセイドン』

『うげっ。こっちに振るなよアテナ……あー、そうだね。ヘカテーとか? あの無駄に偉そうでムカつく女。権勢欲強そうだし女神王の座に飛びつくんじゃないかな』

『戯けた事を抜かすなレートーの倅。アレは権勢欲が強いのではない、場を掻き回して混沌を愉しむ性悪よ。まだヘラの方が可愛げがあるわ。オリュンポスに招いてみろ、マルスめの属神エリスが如く不和を撒き散らして嗤うのが目に見えるわ』

 

 水を向けられ顔を顰めたアポロンの言に、ポセイドンが吐き捨てるように言った。

 意外なほど正確な評価に(おや)とデメテルは眼を見開く。

 ここのところ、ポセイドンは考え方が変わってきているらしく、女性への乱暴をしなくなりつつあるという。むしろ丁寧で、壊れ物を扱うように接しているのを、広い眼を持つデメテルは識っていた。だからといってデメテルはポセイドンへの評価を簡単に変えたりはしないが。

 

『ヘカテーは俺も無しだと思うぜ。ってかアレが近くに居たら親父の神経擦り切れるぞ……断言してもいい』

『………』

 

 マルスはアポロンの言に呆れる。秀麗な太陽神の美貌に苛立ちが過ぎるも挑発には乗らなかった。ゼウスも黙認している。実際ヘカテーが常日頃、女王として近くにいるのは好ましくないのだろう。

 

『ならどうするのよ。他に目ぼしい女神なんて、それこそ私達のお母様しかいないんだけど?』

『レートーか。ありっちゃありだな』

 

 アポロンはマルスを好ましく思っていないが、アルテミスに隔意はない。至って普通に会話はする。関心はないが、嫌ってもいない程度の関係である。父親が同じで、同性なら対抗心も出るのだろうが、異性なら余り気にするほどでもないのかもしれない。

 アルテミスの提案にマルスは考慮の余地はあると考えた。が、これにゼウスが気まずげに言った。

 

『……お前たちが真剣に考えてくれているのは分かる。然し、すまんがレートーは駄目だ』

『なんでよお父様?』

『もしヘラめが復帰した時、レートーが後釜に就いておれば、凄まじい嫉妬を買って身の安全が保証できん……』

『あー……じゃあ、前妻のテミスとの再婚も無しだな』

 

 物凄く納得したアルテミスとアポロンを尻目に、マルスが気まずげに頭を掻く。

 じゃあ、とマルスは笑う。快活な青年のように。嫌な予感がしたのか炉の女神は眉根を寄せた。

 

『ってこった。消去法であんたしか適任はいねぇぞ――ヘスティア』

『……やっぱり? あからさまにわたくしを話題に出さなかったからそんな気はしていたけど……わたくしには荷が重いっていうか……』

『マルス、我が姉は確かに格もある、尊い女神だ。だがな……流石に純潔の誓いと共に処女神である事を赦した者を女王には……』

『いいだろ別に。暫定なんだしよ、あくまで今は。それに、なあ? ヘスティア、あんたしかいねぇんだよ、いやホントに。格も、信仰の厚さも、ぶっちゃけヘラの上位互換だしな』

『えぇー……? うーん、困ったな……確かに女神王の座が空位なのはマズイし……仕事増えても敏腕神格なわたくしにはどうってことないけど……』

『だろ? ヘラが戻って来ちまっても、あんた相手に強く出られるほど度胸はねえよ。な?』

『でもだ、マルス。考えてもみなよ? 女王になるってことは、ゼウスと夫婦扱いになるんじゃない……?』

『なるな。が、問題じゃない。親父でもあんたには手出しできない。いっそ親父に禁欲生活でもしてもらうか?』

『マルス! こっ、この親不孝者めが! よくもそんな――』

『どうどう、そこ怒るポイントじゃないよゼウス。うーん……まあいいか。わたくしが暫定女王になる、それはいいよ。受け入れる。けど条件がある』

 

 ヘスティアはのんびりとしていた。周囲の空気に流されず、マイペースに構えているのはいつだってそうだ。

 天然なのか、計算づくなのか。それは些細な問題で。ヘスティアはゼウスを一瞥して言った。

 

『ゼウスさ、浮気だけど好きにしていいよ』

『!?』

『ただし! きちんと相手は口説くこと、伴侶のいるヒトを対象にするのは無し、騙したり策を練るのも無しだ。脅すのも権能を使うのも駄目。一人の男として口説き落とすんだよ? 振られたからって八つ当たりも理不尽に罰するのも無し! あと上手くいってもヤリ捨てとか赦さないから。産まれてくる子供を父無し子にするとか論外。事情があって離れなくちゃなんなくなってもフォローはきちんとする事! これが約束できるなら好きなだけ浮気していい。わたくしとゼウスはあくまで上辺だけの婚姻関係なんだからね』

『――――流石は、姉上………なんと慈悲深く懐が深い………!』

 

 ヘラとは違う、と溢すゼウスに。幾ら束縛がキツくて他の女に逃げていたとはいっても、夫のお前がそれを口に出すんじゃないとヘスティアは叱責した。

 会議が纏まる。そうして神々の女王の座にヘスティアが就任する事になった。

 あくまで暫定ではある、然しその一番最初の仕事として、ゼウスのだらしのない下半身事情を大幅に改善した事は大きな功績だった。

 

 ぽつりとヘスティアが呟く。

 

『……出来がいいのか悪いのか、判断に困るよ、まったく……』

 

 ――マルスは嘆息した。父からの隔意が年々増してきているのを感じつつ。

 

『あーあー。こりゃ、俺が消されるのも時間の問題かね……』

 

 大人しく消されるべきか、抗うべきか。どちらかにするにせよ、どうにもやる気が湧かず、悶々とする。鬱憤はまたも溜まるのだ。

 俺は楽しく喧嘩できりゃそれでいいんだがね、と。マルスは移ろう時代の流れを感じていた。どうせなら、時代に身を任せるとするかと戦神はぼんやりしながら思う。

 抗うも良し、潔く散るも良し。そうと定めながらも予感している。戦神の直感が、彼に戦の予感を齎していた。それも、途方もなく不吉な……。

 

 敬愛するゼウスとの敵対は避けられないと、明晰な頭脳を持つマルスは漠然と察知していたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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