ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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今日二回目。前のも見落とさないでね。




第一節 放浪の賢者(前編)

 

 

 

 疑似霊子変換投射(レイシフト)は無事に完了した。

 レイシフト。其れは人間を擬似霊子化し、生命の持つ魂をデータ化させ、異なる時間軸、異なる位相に送り込み、これを証明する空間航法である。

 遥か未来、約三千五百年先から時間を超え渡って来た少女は、まず周囲の光景を確認――しなかった。真っ先にカルデアとの通信を試み、大切な人の顔を見て、声を聞く。

 

「こちらマシュ・キリエライト。ドクター、聞こえますか?」

『――ああ、幸い今の通信状況は良好だよ。そっちの状況はどうだい?』

 

 若干ノイズが掛かっているものの、マシュは確かに映ったロマニの顔を見て。彼の声を聞いて。ホッと胸を撫で下ろした。そしてロマニの質問に慌てて周囲を見渡す。

 実体化した黒騎士がマスターの周囲を警戒している。その左手にはカルデアから支給された短機関銃、右手には鉄剣が握られている。彼は心得たもので、レイシフト直後のマスター・マシュの隙が大きい事を狂化していながら理解し、独断で彼女の身辺を警戒していたのである。それにマシュは眉を落とし謝罪する。

 

「あ……すみません、ランスロット卿。気が抜けてました」

「Ga……lahad……」

「――ランスロット卿、マスターは反省しているらしい。余り責めてはなりませんよ」

 

 ランスロットに続いて実体化したのは円卓随一の弓騎士トリスタンである。

 生前からの彼の友人が窘めるのに、黒騎士は無言で一瞥を返したのみだった。

 トリスタンがその無愛想な様子に嘆くのに、太陽の騎士が実体化しマシュの脇を固めながら苦笑した。

 

「ああ……私は哀しい。ランスロット卿、卿が狂化しているからか、無二の友である私とすら話が通じないとは……」

「嘆くことはありませんよ、トリスタン卿。ランスロット卿は貴公の諫言が云うまでもない事だから無視したのです。ランスロット卿は心配するほど怒ってはいません」

「………」

 

 マシュには黒騎士が何を言っているのか、また何を思っているのかが朧気に理解できるのだが、それは言わずにおいた。隠しておこうと考えたのではなく、特に発言する意味を見いだせなかったのだ。

 ……()()()()()()()()()()()()()。理由は、それだけである。事実狂戦士のサーヴァントと他のサーヴァントが、意思の疎通を万全に行えるとも思えない。ならばマスターである自分との意思疎通が叶っている今、問題視する必要性がないと判断したまで。合理的である。

 

 円卓を代表する三騎士は、自然体のまま既にその心身は戦場の騎士のものへと切り替えられている。例えどれほど油断しているように見えても、彼らには微塵も隙がない。

 彼らは心底から自らのマスター、マシュを守護する使命感に燃えているのだ。か弱い乙女であるのもある、然し何よりも彼女の精神性からその危うさを悟り、身命に替えてでも守り抜くと誓っていた。その為なら騎士の道に背く事になっても構わないとまで。

 黒騎士に到っては、そんな雑念すら無く一切の躊躇なく剣を振るうだろう。例え相手が女子供の姿形をしていたとしてもだ。敵なら殺すのである。狂戦士である彼には容赦がなく、手加減などするはずもない。

 

 裏にある覚悟を露ほども感じさせない、和やかな騎士達の遣り取りにマシュ・キリエライトは微笑む。そしてトリスタンに訊ねた。

 

「トリスタン卿、ご歓談のところ申し訳ありませんが、周囲の索敵をお願いしてもいいでしょうか?」

「構いませんよ、マスター。では……」

 

 トリスタンは柔和に応じる。幸いにもレイシフトした先は拓けた土地である。彼の視力を以てすれば労せず遠くまで見渡せるのだ。

 常は閉じている双眸を開き、彼は辺り一帯を隈なく見渡した。円卓一の美丈夫という謳い文句に偽り無く、その所作全てに華がある。マシュには効果はないが。

 

「終わりました。報告致します。脅威となるエネミーは今のところ見当たりません。前方に海岸、右方に城塞都市、左方に小規模の森林、後方には何もありません」

「海岸? えっと……ドクター?」

『うん、トリスタン卿の言う通りだよ。補足すると年代は紀元前1503年、時間は午後の三時過ぎほどで、君達の向いている方角が西だ。都市があるのが北だよ。それから……現在地は、その時代で言うイオルコスだね』

 

 ロマニの補足にマシュは呟く。イオルコスですか、と。

 それは国名である。彼女の知識の中にもあった。もちろんサーヴァントである円卓の騎士達も生前から識っている。

 

「――というと、()()イアソン王が治める国ですね」

「ええ。彼のオリンピア王ヘラクレスの盟友であり、アルゴナイタイのリーダーです。然し正確な年代は分かりかねますが、もしかすると()()()()()()()と同じ時代なのかもしれないのですね……」

 

 嬉しそうに、滾るものがあるように、太陽の騎士ガウェインが溢す。

 アーサー王伝説にあるように、彼らの時代ですらヘラクレスと云えば稀代の戦士で、比類無き無双の大英雄なのだ。その王道、武勇伝は騎士達には学べる所が多々あり、彼に憧れて剣を執る者もいたほどである。

 在りし日のアーサー王など、中道の剣マルミアドワーズを発掘した時の喜び様は、まるで童心に返ったかのようなはしゃぎぶりであった。その様を思い返し、ガウェインは微笑む。その後に剣に認められず意気消沈し、皆の生暖かい視線に気づくや顔を真っ赤にしながら俯いたアーサー王を見て、人の心がきちんとあったのだとなんとなく親近感を感じた者が多く居た。

 

 もしかすると、生前のヘラクレスと出会えるかもしれない。それは円卓の騎士に限らず、近代の偉人に至る総ての英霊が期待に胸を躍らせるものだった。

 騎士の道を志した時、至強の大英雄に憧れなかった者はいない。あらゆる勇士、勇者の原点にして頂点とまで讃えられる、無双の勲を手にした戦士の中の戦士なのだから。

 

『マシュ、方針を決めよう』

 

 ロマニが作戦を伝える。真面目に少女は頷いた。

 

「はい」

『まずはやっぱり現地の人と接触して情報を集めるべきだね。特異点化の原因を探るんだ。後、マシュ……すまないけど、今後はいつも通信が安定しているわけじゃない。時には音信不通にもなるだろう』

「え?」

『――けど忘れないでくれ。ボクはいつも君を見守っている。カルデアで待っている。だから無事に帰ってきてくれ。約束だ』

「……はい」

『円卓の騎士の皆、どうかマシュを……お願いするよ』

 

 ロマニの言葉に、マシュは露骨に動揺した。

 通信が安定しない、それはつまりロマニと話せないという事。不安そうにする彼女だが、ロマニの励ましを受けてなんとか頷く。騎士達も言われるまでもないと首肯した。

 

 仕方がないのだとマシュは理解している。西暦より過去へのレイシフトは余りにも成功率が低く、管制室のスタッフ全員が一丸になっても、紀元前へのレイシフト証明は膨大な時間がかかるのだ。

 今回なんてなんのノウハウもない。この第三特異点の反応が余りにも強かったから、なんとかノウハウを築きながら存在証明を確立させ、意味消失を防いでいる。カルデアのスタッフも戦っているのだ。そして勝ち続けている。だからここにマシュは存在できている。

 私は、ひとりじゃない。懸命にマシュは自分にそう言い聞かせた。震えそうだった。

 

「然しイオルコスですか。イアソン王の治める」

 

 空気を変えるようにトリスタンが呟く。彼は空気は読めない、然しか弱い少女の不安ぐらいは察せられた。同じく空気の読めないガウェインだが、これの話題に乗った。

 不和によって円卓は崩壊したという。然し彼らは一致団結していた。今の彼らに生前のしがらみはない。マシュを守るという意思の下、一枚岩となっていた。

 

「マスター、私はイオルコスのイアソン王について詳しくありません。どうかご教授いただけませんか?」

「え?」

 

 もちろん嘘だ。ガウェインはイアソンについて生前から識っている。サーヴァントとなってからは知識の穴が埋められているし、何よりマシュの持つ知識を共有しているため知らないはずがないのだ。

 だがマシュの心を励まし、会話をするために嘘を吐いた。優しい嘘だった。マシュはそれには気づかず、彼の言葉を真に受けて、馬鹿にするでも呆れるでもなく淡々と解説する。

 

「えっと、ガウェイン卿はアルゴナイタイの冒険についてはご存知ですか?」

「ええ、それはもちろん。然しそれ以後のイアソン王は特に武名を轟かせたわけでもありませんからね……いやはや自身の無知が情けない。教養についても修めていたのですが、恥ずかしい限りです」

「いえ別に恥じることはないと思います。なぜならイアソン王はアルゴナイタイと旅をして、イオルコスの王になった以降は、カリュドンの猪狩りに参加しただけですから。帰国した彼は宰相のイドモンに『王なのに国を空けてまで英雄ぶりたいとは滑稽だな。おまえはヘラクレスではない、似合わん真似はやめて大人しく国にいろ』と諌められ、以後は統治に専念していたので名を上げる機会はなかったんです」

「ほう……」

「ただその統治は優れたものだったらしいですね。施行された政策は独りよがりで欠陥だらけだと、諸国を旅して廻っていたイオラオスに酷評されてますが、そこをイドモンの補佐で真っ当なものに修正して上手くやっていたみたいです。これもイオラオスの記録ですが『性根の螺子曲がった者同士、上手く噛み合って奇跡的に真っ当な治世を築けている』とあります。そこからの記録はどこにも残されていませんし、神話にも語られていませんが、最後に一回だけイオルコスとイアソンの名前が出てくるところがあるんですよ」

「それはいったい?」

 

 要所要所で相槌を打つガウェインに、マシュは澱みなく話す。話している内に気が紛れてきたのか、顔色は良くなりつつあった。

 ふと、黒騎士が左右を見渡す。それに気づいたのはトリスタンだ。「どうかしたのですかランスロット卿」と声を掛けられるも、彼は怪訝そうにしているだけで、頻りに周囲を気にしている。トリスタンはそれに何を感じたのか、黒騎士に倣ってそれとなく周囲に視線を走らせる。

 

「トロイア戦争です。大神ゼウスの神意を受けたミュケナイ王アガメムノンに圧力が掛けられ、アカイアの連合軍に加わるようにイオルコスは要請されました。然しイアソン王はこれを断ります。復興の最中にある盟友の国の支援に忙しい、と。然しアガメムノンはこれに腹を立て、イオルコスに攻め込んだのです。その動きは電撃的で、イアソン王は嘗ての仲間達に助けを求めるも、応えた英雄達は間に合わずイオルコスは陥落。イアソン王は命からがら逃げ出すのですが、盟友のテラモンの許に落ち延びている最中にアガメムノンの軍に見つかり、討たれてしまいます」

「それは……なんとも。……ん? どうかしましたか、ランスロット卿、トリスタン卿」

 

 解説している内に熱が入ってきたのか、マシュは更に続ける。

 が、その横でガウェインはランスロットらの様子に気がついた。何事かと訊ねるのを尻目に、マシュは気持ちよく説明する。

 別の事に目を向け、意図的に不安を忘れようと彼女なりに必死なのだ。だから騎士達は責めない。迂闊だと指摘しない。

 

「これによってオリンピアの復興は遅れる事になりました。またアガメムノンはヘラクレスを恐れ、同時に自身の招集に応えなかった彼を疎ましく思って、イオルコスに続いてサラミス島にも攻め込みます。テラモンは妻のメディアの知恵と魔術の力を借りて撃退に乗り出すのですが、さしものメディアもアカイア軍の物量には押され、危ない所にまで追い詰められるのですが、この時十代に差し掛かったばかりの幼い王女、後の英雄旅団の二代目頭領となるアイアス――大アイアスが初陣として出陣し、ついにはアカイア軍の上陸部隊を押し返して、メディアの魔術によってアカイア軍はサラミス島への道を閉ざされ諦めました。この時、メディアは深手を負ったらしく、これを恨んだ大アイアスは、成人するとアカイア軍への復讐のためにトロイア戦争に参戦し、トロイア側に味方して活躍する事になります。許嫁のヒュロスとはこの時に夫婦になったそうです。……って、ガウェイン卿? 聞いて――」

 

「――――aaaaaaaaaッッッ!!」

「何者です! 姿を見せなさいッ!」

 

 黒騎士が宝具化した短機関銃を構え、鉄剣を抜き放っている。そして威嚇のためか咆哮した。同時にガウェインは太陽の聖剣を抜き放ち、トリスタンは薄く目を開いてその竪琴の弓に指を添えた。

 目を白黒させるマシュの耳に、ロマニからの警告が届く。

 

『マシュ! 警戒してくれ、君の近くに生体反応があるッ! くそっ、なんで気づかなかった!?』

「えっ? ……っ!」

 

「――何処からともなく聞こえてくる、姿のない声。見たこともないような鎧に身を包む腕利きの戦士が三人。不思議な装いと不可思議な気配の少女。そしてあたかも見てきたように語られる知識か。興味深いな」

 

 そっと、耳元で囁かれた声に、マシュは咄嗟に飛び退いた。マシュの後背に突如現れた風除けの外套とフードを纏う人影に、出し抜かれた形でマスターへの接近を赦してしまったトリスタンとガウェインは驚愕する。そしてその驚愕のために一瞬反応が遅れ。――然し狂戦士である黒騎士に、そんな驚き(余分)など絶無である。即座に飛び退いてきたマシュを背中に庇う形で前に出るや短機関銃を発砲した。

 轟く銃声。吐き出される弾丸。宝具化したそれの破壊力は破滅的である。

 だが、荒い生地のフードを被った人物は、豪奢な短剣を抜き放つや自身に迫る弾丸の悉くを切り払ってみせた。

 

 その技巧に驚嘆する間もない。銃弾を切り払うや、火花を散らしつつ後退した謎の男に向け、ガウェインが聖剣を構える。時刻は午後三時ほど。スキル【聖者の数字】により三倍の力を発揮できる時間帯。最強の騎士と化したガウェインは、マスターに向けて言った。

 

「――マスター! 戦闘許可をッ!」

「は、はいっ! あ、そうじゃなくて……待ってください! きっと現地の人です、対話を試みたいので、皆さん剣を収めてください!」

 

 ここまで気配を感じさせない相手が、自分達の警戒をすり抜けてマシュの背後に立ったという事実に、円卓の騎士達は最大級の警戒を目の前の男に向けていた。

 只者ではない。脅威は制圧せねばならない。戦闘に意識を傾けていた騎士達は、彼と一戦を交えるのも覚悟の上だったが、然しマシュの制止に騎士達はピタリと停止する。その様を面白そうに眺める男に緊張はなかった。

 

 恐る恐る、マシュが男に声を掛ける。

 

「すみません、突然攻撃してしまって」

「ん、謝るのか……? 普通ならここで一戦交えるのがギリシャ流なんだけどな。()()()もエジプト帰りだ、厄介な揉め事を未然に防いで気が立っていたところでもある。故郷の風を感じたいからわざとからかったんだが、あてが外れたよ。……それともわたしの知らない内にギリシャの流儀が変わったか?」

 

 マシュの第一声に、男は怪訝そうに首を傾げた。

 気配を断って近づいたのは確信犯らしい。不思議な人だなとマシュは思った。

 

 世捨て人のようだ。それに荒事を歓迎する、どこかヤケになっているような雰囲気もある。その生き方に慣れ過ぎて、皮肉めいた語調だった。

 

「あ、あの、貴方は……? 私はカルデアのマシュ・キリエライトといいます。お名前を聞かせてもらえませんか?」

「……? 調子が狂うな。覇気の欠片もない女にこれほどの戦士たちが従っている……? ……んー、ああそうだ、自己紹介だったか。まあいい、乗ってあげよう。といっても解っているはずだろう? わたしのこの剣はそれなりに知られたものだからな」

「……?」

「まさか知らないのか? ははは、これは参った。自意識過剰だったらしい」

 

 短剣を翳して見せてくるのに、マシュは首を傾げた。その反応に男は虚を突かれ、照れくさそうに頭を掻いた。

 彼はフードを外す。露わになったのは、精悍な男の顔だった。

 頬に浅い傷跡を残し、短く刈り上げられた金髪はくすんでいる。青い瞳は人生の酸いも甘いも噛み分けた、深い知性と厭世感に染まっていて、長身とも合わさって野生的な男の色気が立ち上っていた。

 

 ()()()()()()()()()()()男は名乗った。

 

「わたしはイオラオス。流石にこの名ぐらいは知っているんじゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 


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