ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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二回目。
およそ質問の類いは受け付けかねるので注意。他感想への言及も避けるように。感想じゃないものを書かれても、その、困る。




六夜 動き出す歯車

 

 

 

 

「それじゃあ、留守番お願いね。リズ、セラ」

 

 行ってらっしゃーい。ひらひらと手を振る侍女姿のリズの態度をセラは射殺さんばかりに睨みつけ、楚々とした所作で頭を下げる。行ってらっしゃいませお嬢様、と。こうやるのだとお手本を示すように。

 全く見ていないリーゼリットに、セラはこめかみをひくつかせ。そんな彼女達を背に今日も今日とて少女は往く。

 

 最近のイリヤスフィールは、バーサーカーに肩車をされるのがお好みだ。然しそれは余り淑女らしくないと、広い肩にちょこんと乗る。十歳前後と言っても通じる小柄な体躯故か、大柄なバーサーカーの肩にすぽんと収まるのである。

 古代の戦士は現代風の衣装で、主君に伴われて夕暮れの街を練り歩く。

 イリヤスフィールは朝の景色を好む、昼の忙しなさを好む、夕方の侘びしさを好む、夜の静けさを好む。そこに雪が降っていれば尚の事、機嫌を良くした。バーサーカーに乗るのも好きだが、同じぐらい自分の足で歩き回るのも気に入っていた。

 流石に何日も練り歩くと、目に映る全てが物珍しいとは言えなくなる。それでも、イリヤスフィールは新都を散策する。何が楽しいのか、ビルの屋上まで行って高い景色を望む事もあれば、なんの変哲もない公園でブランコに乗ってみたりもした。面白いけどバーサーカーの方が乗り心地はいいわ、なんて。バーサーカーとしてもコメントに困る感想を言われた事もある。

 

 そんな――冬木の地を知悉していくイリヤスフィールだが、一度しか近寄っていない場所があった。

 

 衛宮切嗣の館。いや、武家屋敷、というのだったか。旅館のようでもある。衛宮士郎という、実父の養子を見に行った際に一度だけ近くに寄ったが、それ以来彼女は衛宮邸を避けるようにしていた。

 実の父が死んでいる。復讐の相手が死んでいる。情報としては知っていても、そこに行って現実のものにしたくない。切嗣の死を実感したくない。その逃避が、少女の足を遠ざけているのだ。そしてだからこそ、衛宮士郎という義弟に執着する。

 イリヤスフィールは遠くを覗くように、遠視の魔術を使い衛宮士郎が通うという学園を視ていた。放課後という奴なのだろう。下校していく少年少女達が帰宅したり、寄り道の相談などをしている。最近、在校生が事件性のある事態に巻き込まれた故に、部活動は休止されているらしく、部活というものを覗けなかったイリヤスフィールは立腹していた。

 

 ブカツの邪魔をするだなんて、許せない。元凶を見つけたら潰しちゃうんだから。

 

 そんな義憤なのか、私怨なのか、言葉の上ではよく分からない台詞が、十割私怨である事をバーサーカーは理解している。彼女もやはり、こうした生活に憧れがあるものなのだろうかと、その胸中を想像してみた。

 そして、バーサーカーは気づく。恐らくイリヤスフィールは気づいていないだろう。散漫な意識で、赤いコートを着た女子生徒が帰宅していくのを眼で追っていたから。その反対側の帰路に着いている少年と少女を見落としている。

 赤毛の少年と、やや幸薄そうな少女だ。

 

「………?」

 

 先日は、あの少年に対し偏見を持っていた。前回の聖杯戦争で勝利したにも関わらずアインツベルンを裏切った衛宮切嗣、その養子。であれば相応の訓練を積んだ、俗世にそぐわぬ異端の身の上であろうと。端的に言って、魔術師であると思っていた。令呪の兆しがあったのも、その偏見を助長させていたと言える。

 然しどうだ。傍らの少女……何やら善からぬ性質の少女と連れ立って歩む少年は、極普通の少年のように視えた。

 鍛えてはいる……だが推測できる運動能力は戦士というほどではない。専門の訓練を積んでいない体だ。歩き方、視線の運び、その身に励起する脆弱な魔術回路……注意深く観察していると、彼は……周囲を見下すでもない、真摯な姿勢の持ち主であると。外道を歩む魔術師ではなく、陽だまりに生きる凡夫であるという感想しか湧かない。

 バーサーカーは困惑した。冷酷で冷徹な魔術師であると思っていたのだ。聖杯戦争に参加するような手合い……特に令呪を宿すような人間が、尋常の理に生きる者であるはずがないと無意識に考えていた。もしや誤りなのか? 疑問が生じる。もしも衛宮士郎が魔術師の血腥い世界に生きていないなら、無慈悲な復讐の対象とするのは不憫だ。イリヤスフィールの復讐を否定する気はない。その資格がない。だが……穏当な結末に軟着陸するように取り計らう程度はしてもいいのではないか。

 

 いや、或いはこの身をも欺く擬態であるのやも知れぬ。バーサーカーは、見るだけでは解らぬものを確かめる事にした。

 

「マスター」

「なぁに?」

 

 声を掛けると、イリヤスフィールはバーサーカーに顔を向けた。絶大な信頼の滲む、純朴な瞳である。

 バーサーカーは、衛宮士郎を見掛けたことを報告しなかった。今は彼の存在に触れるべきではない。デリケートな問題だからだ。

 

「気になるものを見つけた。暫し離れるが、何かあれば呼ぶといい」

「……何を見つけたの?」

「今後の動静に関わる儀だ。マスターにとって、善きものとなるか、そうとならぬか、見極めに向かう」

「またそんな言い草……いいわよ別に。たまには独り歩きもしてみたいしね。けど、いい加減誤魔化すような物言いは禁止! 次からは許さないんだから」

 

 リンにちょっかい掛けに行こーっと。鼻歌などを歌いながら、イリヤスフィールが歩いていく。その様に苦笑を漏らした。令呪の繋がりで互いの危機は知れるが、守るべき者から離れるなど愚の骨頂である。なるべく急いで戻ろうと決めて、早速行動に移る。

 イリヤスフィールに見られては()()。悟られるのも駄目だ。仮にも王たる者が召使いや下僕のように振る舞うのは気が引けるが、生憎と王の称号に拘りがあるでもない。王の名よりも、その名とこの身に付き従った者の方が遥かに価値がある。

 バーサーカーは少年と少女に先回りした。その眼前に立ちはだかる。

 厳つい風貌、精悍な面構え。鋭い眼光――並ならぬ黒服の偉丈夫が、サングラス越しに自身らを見据える様に、無形の威圧感を感じて二人はたじろいだ。特に少女の怯え方が酷い。露骨に震えて、少年の袖を掴む。

 衛宮士郎はバーサーカーに圧倒されながらも、会釈をして通り過ぎようとする。然しその前に腕を伸ばして通さなかった。

 

 足が止まる。衛宮士郎は顔を青ざめさせる少女を庇いながら胡乱な目を向けてきた。そして先日、一度だけ会った事があるのを思い出したらしい。暗い夜道での邂逅だった故に気づくのが遅れたようだ。生唾を呑み込んでいる。

 

「……あの、何か?」

「エミヤシロウ」

 

 名を口にされ、衛宮士郎はギョッとした。まさか名前を知られているとは思いもしなかったらしい。――少女は、青い顔から更に血の気をなくし、白くさえなりつつある。

 その怯え様は尋常ではない。ないが、今は彼女に一瞥だけ向け衛宮士郎に注視する。

 

「お、俺の名前を……」

「知っている。そして、不躾で悪いが一つ質問をする。心して答えよ」

「……答えなかったら。いや、答えられなかったらどうする……んですか……」

 

 丁寧語に切り替えたのは、見るからに目上の人間に見えているからだろう。対等な物言いをしない分別がある。

 衛宮士郎は、目の前の偉丈夫を警戒しているようではなかった。単に傍らの少女の様子がおかしいことに気づき、心配しているだけである。それをつぶさに見て取りながら問いを投げる。

 

「名乗らぬ非礼は許せ。質問に答えずともよい。ただ聞けばいい」

「……?」

 

「聖杯。この言葉に聞き覚えはあるか?」

 

「ッ……」

「は……?」

 

 衛宮士郎は呆気に取られた。意味がわからないという表情。然しそれよりも、少女の過敏な反応にこそバーサーカーは目が行った。関係者かと流石に気づく。であれば、この者が話に聞いた間桐桜なのだろう。

 

「聖杯……? ……って、あの、キリスト教の?」

「……知らぬならいい」

「え? いや、質問って今の……?」

 

 困惑する少年の反応に、バーサーカーは確信する。

 魔術師ではない。魔術は使えるかもしれないが、その心根は外道のそれではなく、ましてや聖杯戦争についても知らない、完全な部外者だ。

 無辜の民ではないか。偏見に目を曇らせていた自身を恥じる。だがどんな少年なのかその人間性を視る気になった。反応次第で、これから己がどうするかを決めよう。

 

「エミヤシロウ、気を強く持て」

「――な、なんなんだよ、あんた。何もかも急過ぎる。少しは解るように言ってくれ」

「気を張れと言った。死ぬぞ」

「ッ……!?」

 

 忠告に、衛宮士郎は息を呑む。やおら立ち昇ったバーサーカーの殺気が陽炎の如く空間を歪曲させていた。徐々に強まる弱火が、万物を焼き焦がす灼熱の大火へと変ずるような、鬼気。それを受けて本能的に身構えた衛宮士郎に、バーサーカーは最大限の加減を加え、殺気を凝縮し視線に乗せる。

 サングラスをズラし、上目遣いに少年の目を射竦めた。

 一般人でも耐えられる、ギリギリのライン。本気であれば精神死を免れないそれを、少年に浴びせる。その余波で少女の腰が砕けた。その場に座り込み、呆然とする少女には目をやらず、衛宮士郎の本質を覗き込む。

 

「ッ……!」

 

 少年は、立っていた。怯えはある、然しこれは……極大の恐怖の中でも硬直しない、どこか壊れた精神性の――戦士の資質を持つ貌が視えた。

 殺気を霧散させる。いや、殺す気はないのだから、ただの威圧だ。己を脅威と見て、身構える衛宮士郎から一歩離れた。

 

 そして、頭を深く下げる。

 

「え……」

「すまなかった。試すような真似をした事、謝罪する。今後は関わらんとは言わんが、その代わりに忠告しよう。――早くサーヴァントを喚べ。情けない話だが、貴様は無関係ではいられない。詳しく知りたくばその少女……マトウサクラに聞くといい」

「――ぁ」

 

 頭を上げ、背中を向ける。現実感の欠如したような表情で自分を見る少年の視線と、少女の絶望した色を感じながらも、淡々と忠告を重ねた。

 

「我がマスターと共に、また会うことになる。その時は、貴様にサーヴァントがいようと、いまいと、結果は変わらん。私は貴様を殺す事になるだろう」

「殺――!?」

「己が死を避けたくば、サーヴァントを喚べ。そうでなければ、私としても如何ともし難い。助命は叶わん」

 

 それから、と。バーサーカーは首を巡らし、横目に少女を見た。びくりと大きく跳ねた間桐桜を、衛宮士郎は背中に庇う。

 完全な善意だ。バーサーカーは善意で忠告する。無知な者に何を言っても無駄と知りながらも。

 

「それから、最後に一つ。――その娘とは早急に縁を切れ。善からぬモノに変じる予兆があるぞ」

「――うるさい。いきなり出てきて、訳の分からない事ばかり言いやがって。桜と縁を切るだなんて馬鹿な事、誰がするか」

「そうか。ならば大切にしろ。堕ちるか、堕ちぬかは貴様次第だ」

 

 完全に敵を見る目を向けられているのは分かってはいる。痛痒はない。生まれたての猫が、分厚い獅子の鬣に噛み付いた所で何も感じないのと同じである。

 然し無辜の民からそんな目を向けられると、若干居心地が悪くはあった。

 その場を後にする。あの少年ができるだけ強く、忠実なサーヴァントを喚べる事を戦神に願う。簡単に踏み潰せてしまうような雑魚だったら、今のままだと諸共に殺してしまわねばならないだろう。

 

 イリヤスフィールは夜にしか聖杯戦争をしない。なら朝と昼に、あの少年と出会うように図り、多少関係の変化を促すべきかもしれなかった。

 

 ――自身が衛宮士郎と間桐桜、その日常を破壊した自覚はある。だが必要だった。こうしなれけば、無辜の民を殺す事になる。

 己の信条は捨て、マスターの為だけに尽くすと決めているが……。

 

『早く喚び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん』

 

 イリヤスフィールも、衛宮士郎が完全に無関係な一般人とは思っていない。あの時の言葉でその認識を悟っていた。

 だからこれは、マスターのため。白い少女の心の安寧のため。復讐の相手が、何も知らない存在のままでは良心が痛むだろうと……まさに傲慢な暴君らしい考えだった。

 誤魔化しだ、これも。捨て切れない倫理があったのだろう。だから余計な事をした。無辜の民を殺す罪悪を犯す判断に迷ってしまい、助け舟を出したのだ。

 

 気掛かりなのは、あの少女。必要な事だったとはいえ、心の均衡が不安定そうで。己がそれにトドメを刺したのだとしたら、善からぬモノになり害を振りまく存在に堕ちた時、処理するのはこの身の責任となるのだろう。

 

「その時は――いや、今はまだ詮無き事か」

 

 倫理と目的と甘い夢想。ひたすらに守護する者の幸福のため、力を尽くすだけのことだ。

 

 

 

 

 


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