ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
「そういえばランサーって、結局わたし達の偵察に来たのよね」
不意に思い出したと言わんばかりの疑問に、バーサーカーは今更だなと内心呆れていたが、それを表には出さずに頷いてみる。間違っていないからだ。
冬木大橋とやらの歩道を歩いていると、未遠川の全貌を遠望できる。夕陽が地平線の果てに消えていく光景は、古代とはまた異なる趣きがあるように視えた。
「そうだ。でなければ、奴に掛けられた令呪の意図が読めなくなる」
無言は無視とも取れる。明らかに返答を期待されている故に肯定した。夕暮れ時は、日本では逢魔が時と云うらしい。だからだろうか、陽のある時の無邪気な少女が、徐々に夜の冷酷な妖精へと移り変わりつつある。
バーサーカーの返しに、イリヤスフィールは小首を傾げた。不審な点があるらしい。バーサーカーとしても、些か腑に落ちない点である。
「でもランサーって、バーサーカーを除けば独りで他のサーヴァント全部殺せちゃうでしょ? 魔槍ゲイ・ボルク、その能力は見てないけど、それだけの力が本来あるように視えたわ。なのにどうして令呪まで使って、わざわざランサーほどの英霊を威力偵察に使っていたのかしら。慎重なのはいいけど、ランサーほどの格のサーヴァントにやらせたとなると、マスターはとんでもない無能って事になるわ」
「私もそれは考えていた。伝承では詳細は知れないだろうが、英霊の座に招かれた者ならば、『原因の魔槍』の真髄は知っているはず。即ち因果逆転……当たらぬはずの槍を心臓に直撃させる、半権能とでも云うべき絶技だ。誇張抜きで、奴ならば余程の相手でもない限り不覚は取るまい」
ランサー、真名をクー・フーリン。アイルランドの光の神の子。つまるところ、太陽神の子だ。
太陽神と云えば密告者であったり、軽薄な好色漢といったイメージがバーサーカーには先走るものだが、よその神話ではそうした側面がピックアップされる事は少ない。
クー・フーリンの父、破邪の太陽神ルーもギリシャのそれとは比較にならぬ善神であり、子煩悩だ。ヒンドゥー教の太陽神スーリヤ、エジプトのラー、メキシコのケツァルコアトル、メソポタミアのシャマシュなども良い例だ。
またクー・フーリンの父は万能であり、クー・フーリン自身も父の器用さを受け継ぎ多くの芸を持つ。豊富な引き出しと確かな実戦経験、恐るべき戦闘術、宝具と身体能力を有し、その実力は槍兵の英霊の中でも間違いなくトップクラスである。
知名度補正の関係上、現在の日本では霊基の劣化が著しいようだが、それでも都市部で行われる聖杯戦争の性質に則した規模に纏まっているとも取れる。対人戦に限定し、対軍以上の攻撃規模を制限される中で言えば、逆に理想的なサーヴァントになったとも解釈できるのだ。アインツベルンの城へいとも容易く潜入した腕前から見ても、王としてのバーサーカーなら彼を暗殺者の如く立ち回らせ、魔槍での一撃離脱を命じ敵対陣営を駆逐していたはずである。そしてそれを実現し、確実な勝利をマスターに捧げる事がクー・フーリンになら出来るのだ。
それをしないマスター。余程の無能か、あるいは別の目的があると見るべきであり、敵の無能を期待するよりは何かの狙いがあると考えた方が建設的である。バーサーカーはそう捉えているが、イリヤスフィールの見方はそんな戦略的なものでもないようだ。
「あの男の調子だと、他の陣営にもちょっかいを掛けそうね」
「ああ。私とだけ交戦するようでは、初見の相手は倒さずに生還しろなどという令呪は不要だ。その命令からして全陣営のサーヴァントと交戦するのだろう。だが奴の性格を考えれば、簡単に倒せてしまう相手なら初見であっても屠るだろうな」
「……ムカつくわ」
「ん?」
「じゃあ、わたしもする」
「………?」
「全部のマスター、サーヴァントと会うわ。殺すかどうかはその時に決めるけど、聖杯であるわたしには聖杯戦争の参加者の願いを聞く義務があるの。叶えるかは別として、だけど」
またぞろ奇妙な事を言い出したものだ。冬の聖女の末裔、自然の嬰児であるホムンクルスの最高峰、イリヤスフィールが軽い調子で続ける。子供の駄々のようであり、然し聖杯である自身に誇りを持っているからこそとも取れる。
嘆息した。
「ではマスター、ランサーの時のように倒せる所まで追い詰めたとしても、場合によっては逃がすという事か?」
戦略性を鑑みるに愚の骨頂ここに極まれり、という奴だ。
「そうよ。分かってるじゃない」
「無駄だとは思うが、忠告しよう。……やめておけ。私は何が相手であっても必ず勝とう、だが無用なリスクは犯すべきではない。逃した相手が徒党を組み、私を倒すための陣営として複数のサーヴァントが仕掛けてきたらどうする? それでも私は敵を倒すだろうが、流石にマスターを護り切れるとは断言できかねるぞ」
「守りなさい。でないと許さないわ」
「……無茶を言う」
「バーサーカーは最強なんだもん。なら少しぐらいワガママ言ってもいいじゃない」
さも当然のように言われる。バーサーカーは最強なのだと。
その通りだと肯定するしかなかった。自身にも駆け抜けた歴史がある。最強の座を護り続けた自負がある。この身に勝る英霊などいないと、身に纏う金獅子の矜持に掛けて断言しよう。
だが、と反駁するのは容易い。然し試すように言われては、六騎のサーヴァントが同時に仕掛けて来ようと撃破してのけると言うしかない。その程度の試練、とうの昔に潜り抜けているのだ。
バーサーカーは冷静に自身の戦力を思い返した。金獅子の甲冑、海嘯の魔槍、そして伝承型宝具という切り札。サーヴァントとして再現できる限りのステータス、スキル。統括して運用する己自身の経験と技量――総合して客観視するに、我こそが最強であると自認する。そうでなければならない。小さき者が信じるのなら、なおさらに己が立つ頂きの高さこそを至高とせねばならないのだ。
故に肯定する。受け入れる。イリヤスフィールの不合理を聞く存在としてではなく、至強の戦士である己として。英霊としての自分が持つ歴史に懸けて、最強であると証明する。
「よかろう。マスターは思うがまま振る舞い、幾らでも私に試練を寄越すがいい。お前ならエウリュステウスの如く善き方に事を運ぶだろう」
「……え?」
バーサーカーの宣言に、イリヤスフィールは一瞬の間を空けて困惑した声を漏らす。
「どうかしたか?」
「な……なんでもないわ」
ならいい。バーサーカーが頷くのに、少女は微妙な顔をした。
エウリュステウス。ヘラクレスが生前に成した十二の功業を課した暴君である。彼は最終的にヘラクレスと和解したが、嫌がらせとも言える試練を幾度も大英雄に課した。
実際は、どうやら好意的にヘラクレスに思われているらしいが、流石に神話に語られるエウリュステウスと同列に扱われるのには
否定的な事を言えばバーサーカーの機嫌が悪くなると察して、咄嗟に誤魔化したイリヤスフィールの判断は英断であった。流石の小さな暴君もこの時は空気を読んだ。
「……早速行くわよ」
「何処へだ?」
「喚び出されていないサーヴァントは、あと二騎だけ。ランサーの他にあと三騎がもう冬木にいる。けど他のサーヴァントがどこにいるかだけは分からないから、監督役のいる教会に顔を見せに行くの。要は単なる義理立てね」
「了解した」
面倒だけど、とイリヤスフィールは結ぶ。確かに面倒だが筋は通すべきだ。例え他の陣営が挨拶一つしなかったとしても、それは自分もそうしなくてもいいという免罪符にならないのだから。
「アインツベルンの例年通りの参戦、確かに承った。此度こそ貴君の一族の悲願が叶う事を、私は心より祈ろう」
荘厳な教会だった。
だが、どこか寒々しい空気がある。
日本人離れした長身の神父は、口元にこびりついた笑みを湛え、本音としてイリヤスフィールの――アインツベルンの悲願が成就する事を祈っていた。
冬の聖女の末裔は、す、と目を細める。狸ね、と。自然の嬰児の本能的な慧眼が、その男、言峰綺礼の妖しさを見抜いたのだろう。
人間が人間の本質を見抜くのは、初見ではほぼ不可能と言える。それこそ超常的な神秘の時代を生きたか、異能に近しい眼力を持たない限り。
だがイリヤスフィールは純粋な人間ではない。聖杯なのだ。視る者の本質を汲み取る能力が本質的に優れている。そのイリヤスフィールの眼が断じるのだ。精霊に近い存在が、言峰綺礼は誰よりも神父らしからず、それでいて誰よりも神父らしい男なのだと。矛盾を孕む社会不適合者、されど人間社会に順応し潜む破綻者。
心より祈られても、それを好意的に受け取らない。受け取るのは危険だと、イリヤスフィールは感じていて。そして本来教会の敷地に立ち入るのは禁じられているサーヴァントである者も、同様に断じていた。
然し、バーサーカーは言峰綺礼に幾分か好意的である。イリヤスフィールに比べればという話で、誤差の範囲内ではあるが。
その身に積んだ過酷な修練の痕跡が見て取れたからである。既に錆びついて、残骸程度と言えるのだろうが、それでもその男の過去にある探求は嘘を吐かない。戦士であると言える。内面は度外視するとして、バーサーカーはその修練の痕跡にこそ、最低限の敬意を払うに値するとして評価している。
「中立の監督役が、特定の陣営の勝利を祈っても良いのかしら?」
「無論、特別扱いではない。私は誰の勝利をも祈り、同時に道半ばに破れた悲嘆を汲もう。アインツベルンの悲願成就は、我々教会としても成してもらいたいものなのだ」
「……本心?」
「本心だ。誓って嘘偽りではない。そも、主に仕える者が虚偽を働く道理はないのだから。それに……誰に渡るとも知れぬ超抜級の魔力炉心など、どこの馬の骨とも知れぬ者に渡る事は教会は看過できない。扱いの用途が決まっている御三家ならば、その手の心配も不要だろう」
イリヤスフィールの鋭い眼を受けても、言峰綺礼は小揺るぎもせず徹底して事実、真実のみを口にした。
本心である。本音である。本当である。その目はバーサーカーに向いた。
「――そして由緒あるアインツベルンだからこそ、サーヴァントの立ち入らぬ中立地にサーヴァントを連れた事も咎めまい。特別扱いと言えばこれになるのではないか?」
「よく言うわ。聖堂教会の元代行者、そんな男のいる所に、護身の武器も携えずに踏み込む訳がないじゃない。ともすると貴方がわたしの脅威になる可能性があるんだから」
「ふむ。物事に絶対はない故に、その警戒は正しい。例えばそのサーヴァントに襲われそうになれば、私としても自衛のためその身を狙うだろう。サーヴァントを屠るには、マスターを狙うのが定石であり、脆弱な人の身では活路が他にないのだから。万が一もないと知りながら、私は火に誘われる蛾のように飛び込むだろう」
「………」
「そしてその危険がない今は、少なくとも私がイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの身を狙う理由がない。故に無用な警戒だと私見を伝える」
「……いいわ。今はその言葉を鵜呑みにしてあげる。精々中立を崩さない事ね、出しゃばってるのを見掛けたら殺すわ」
「肝に銘じよう」
言峰綺礼は動じない。舌打ちしそうになるイリヤスフィールでは、この神父の相手をするには経験が足りないらしい。
リンの言った通りね、食えない奴。胸中にそう溢してバーサーカーに告げる。帰るわ、と。その脳裏に、パスを通じてバーサーカーの助言が届く。目をぱちくりさせ、そして微かに微笑む。試してみるわ――。
「見送りは必要かね?」
神父の言葉に、背を向けた少女は振り向きもしない。
「いらない。なんでかしらね、貴方を見てると無性に殺したくなるもの。ついて来たら貴方に何をするか、わたしでも分からないわ」
「それは残念だ。――ああ、最後に一つ」
「なに?」
出入り口の門に向けて歩いていたイリヤスフィールは、立ち止まる。やはり振り向かない。その小さな背中に、神父は質問の体で訊ねてきた。
「アインツベルンの本家が、潰えているという。原因が何か知――」
「――あ、それ? アインツベルンを潰したのはわたしよ。だってわたしがいるんだもの、わたしより“上”が有り得ない以上は、存続する価値なんてない。だから研鑽の歴史に、このわたしが終止符を打ってあげたのよ」
神父は、一瞬の間を空けて、問いを投げた。その立場には無関係であるはずなのに。
「……ふむ。ああ、知っているのだろうが、私は前回の聖杯戦争で序盤に脱落したマスターだった。その時に君の母君を見掛ける機会があったのだが……イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、君は母と自身の生まれた家を滅ぼした事に、何か思うことはなかったのかね? 罪の意識があるなら、告解を行う用意があるが」
「――何を言うかと思えば、つまらない男ね」
イリヤスフィールは、視線だけ背後に向けて、神父を嘲笑った。
なんてつまらないのかと。なんて退屈な男なのかと。それに男は表情を動かさない。いや、固まらせたのだ。内面の感情を抑えるために。
「答える義理はないわ。それにわたしに罪の意識はないもの。あそこはわたしの家だけど、わたしの家族は一人もいなかったから。人形ばかりの玩具の館を仕舞っただけで、どうして罪の意識があると思ったの? キレイ、貴方……
「――――」
それっきり、イリヤスフィールは振り返らずに教会を後にする。サーヴァントとの念話ではしゃいでいるのを隠して。
バーサーカーはなんで何か聞かれるってわかったの? 本音で答えればきっと面白い顔が見れるって。ま、確かにあの鉄面皮が固まるのを見れてよかったけど。――そんな遣り取りがあるのを知らず。
言峰綺礼は、人知れず吐き捨てた。ありったけの失望を込めて。
「ああ――奇遇だな。私も同じ感想だよアインツベルン。
お前の母を殺したのは自分だと言えば、あの澄まし顔も崩れるだろうか。
衛宮切嗣と最後に戦ったのは自分だと言えば、多少は見れた顔になるだろうか。
破綻した邪なる聖者は、それでイリヤスフィールへの関心を完全に失くした。