ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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上・中・下の三部。





十四夜 正義の対義、黒染めの花(上)

 

 

 

 

 

 衛宮邸に招かれると、イリヤスフィールは目を輝かせた。

 

「すっごーい! 広ーい! ……わたしの城ほどじゃないけど」

「暮らすには良いが、防衛には向かんな」

「魔術師の工房にも向かないわね。だってこんな構造だと魔力を閉じ込めるなんて無理だもん。外に流れちゃうからあくまで別荘ってところかしら」

 

 夜である故か、灯りがなく肌寒い武家屋敷は侘しい雰囲気を持っている。

 日本独特の建築物であるため物珍しそうに外観を眺め、はしゃぎつつもさらりと自分の拠点ほどではないと評価するイリヤスフィール。

 そして戦士と魔術師としての目線でバーサーカーとイリヤスフィールが酷評し、家主の士郎を微妙な気持ちにさせた。

 防衛には不向きという論に、セイバーまでも否定しない面持ちなのに対し士郎は閉口する。この気持ちをなんと言い表してよいものか今一判然としない。まるで喉へ魚の小骨が刺さっているかのような気分だ。苦し紛れに「そもそも戦いの拠点として想定されてないんだよ」と呟くも、誰も聞いていないらしい。肩を落とす。

 

「……イリヤ、上がる時は靴を脱いでくれ。土足厳禁なんだ」

「そうなの?」

 

 玄関に入ると編み上げのブーツを履いたまま上がろうとするのを制止する。

 するとイリヤスフィールは小首を傾げ、立ったままブーツを脱ごうとしてよろめくのをバーサーカーに支えられた。

 何が気を急かしているのか、イリヤスフィールは淑女らしい振る舞いも忘れて、そのままバーサーカーへ礼も言わずに屋敷の中に駆け込んでいった。

 

「あ、おいイリヤ! 何処に行くんだ?」

「ちょっと探検してくるー!」

「おーい……」

 

 話したいことが山ほどある士郎は呆れながらも、()()()()()()らしいなと思い微苦笑する。

 仕方なさそうに彼女を追おうとする士郎へ、バーサーカーが声を掛けた。

 

「エミヤシロウ」

「……? なんだよ……えっと、バーサーカー? で、いいんだよな……?」

 

 敬語ではないあたり、士郎としてもバーサーカーに隔意がない訳ではない。というより普通に怖い。殴られれば一撃で死ねる。一度彼の脅威を肌で感じた故か本能的な恐怖が士郎を身構えさせ、士郎に目上の存在への態度を忘れさせていた。

 しかし言葉遣い程度で気を悪くするバーサーカーではない。応じて振り向く士郎へ、彼は訝しげに訊ねた。

 

「ああ。家主は貴様なのだろう。住人は貴様だけなのか?」

「……ぁ」

「一人で暮らすには些か広すぎる気がしてな。同居人がいるなら挨拶の一つでもするべきだろう」

 

 言われ、士郎は思い出した。

 藤姉と呼び慕う、冬木の虎である。明日の明朝には必ず顔を出すであろう彼女に、どう彼らの存在を説明したものかと顔を引き攣らせる。

 意外なほど常識的な事を言うバーサーカーに驚く事もできないまま深刻な表情になってしまった。まさか藤姉……藤村大河に聖杯戦争の事を説明できる訳もないのだ。

 絶対に巻き込みたくない。大河は士郎にとって、桜と同じ日常の象徴なのだ。どうするべきか頭を悩ませる士郎へ、バーサーカーは言う。

 

「まさか一人暮らしなのか?」

「あ、いや……夜は一人だけど明日の朝……ほぼ毎日顔を出してくれる人がいる。けど、藤姉は……その人は魔術の事も、聖杯戦争の事も知らないんだ」

「ふむ。……巻き込む意志はないのだな?」

「当たり前だ。ああ、くそっ、なんで忘れてたんだ……」

 

 悪態を吐く士郎へ、バーサーカーは思案するように腕を組む。

 黒服に、オールバックにした髪型と厳つい顔立ち。それらが体格とも合わさって凄まじい威圧感だ。内面から滲む力の塊が、なおのことそれを助長している。 

 バーサーカーはサーヴァントだ。聖杯戦争について、そしてそのマナーとも言うべきルール、暗黙の了解についても護るつもりではある。一般人を巻き込むのは彼としても本意ではない。故に彼はセイバーを一瞥した後に提案した。

 

「ではその件は私に任せるがいい。その者は保護者か?」

「あ、ああ……そのようなもの、だと思う」

 

 保護者? むしろ俺が保護してる気が……と一瞬思うもそれを呑み込む。

 というより、任せろとはどういうつもりなのか。彼の人となりは、それなりに解っているつもりではある。バーサーカーは完全にイリヤスフィールを第一の優先対象とし、彼女の意向と身の安全を何よりも優先するだろう。

 だから悪い企みをするわけではない、とは思う。しかしいまいち信用しきれないのは士郎がサーヴァントに関して多少は理解しているからだ。現代の一般人と対峙して大丈夫だろうかと心配になるのである。主に大河が。

 

「要は聖杯戦争の期間中、その者をこの屋敷に近づけねばよいのだろう。なに、私はこれでも一国を統べた王だ。弁舌にも多少覚えはある。穏便に事を済ませてみせよう」

「なら……頼んでもいいか?」

「任せろと言った。二言はない。ただし、貴様も口裏は合わせよ。私の言を肯定するだけでいい」

「……た、頼む……?」

 

 言い澱んだのはやはり不安だからである。士郎は曖昧に頷きながら踵を返し、今度こそイリヤスフィールを追っていった。そこに居間があるから寛いでてくれと言い残し。

 セイバーは無言で会釈し士郎を追おうとするのだが、それはバーサーカーが止めた。彼としては士郎とイリヤスフィールを二人きりにしたかったのだ。積もる話もあるだろうと察している。例え話がなかったとしても、暫くは水入らずな時間をもうけてやりたかった。幸いにも呼び止める口実はある。たった今、出来た。

 

「待てセイバー。貴様に話がある」

「私に、ですか……? しかし私はシロウに付いていなければ……」

「マスターはマスター同士、サーヴァントはサーヴァント同士だ。話というのは、エミヤシロウの縁者を遠ざける為に口裏を合わせるもの。貴様も無関係ではあるまい」

「……そういう事でしたら、確かに無関係とは言えませんね。シロウの心の安寧も、できる限り護りたい」

 

 セイバーはバーサーカーの誘いに乗る。彼女も良識的なサーヴァントだ。無辜の民を聖杯戦争に巻き込むつもりはない。故に自らのマスターの関係者を巻き込まないためと言われれば否とは言えなかった。

 まさか同盟を組んだばかりの相手を害しはしないだろうと判断する。それでも不安なのだが、イリヤスフィールが士郎を殺すつもりならわざわざ一対一にならずともいい。バーサーカーにセイバー諸共に殺せと命じればそれで済む話だからである。彼我の戦力差について冷静に受け止める度量はセイバーにもあった。

 

 バーサーカー。真名をヘラクレス。改めて彼の面貌を見て、嘗て見たイオラオスの手記の写本にあった肖像画と瓜二つであると再認する。彼の甥が万能の名に恥じぬ才覚の持ち主だったのが窺い知れた。

 剣使いとしての憧れが蘇り、浮足立ちそうな俗な感情をなんとか抑えつつ、セイバーはバーサーカーとの密談を行い、そうして自分達の“設定”を組んでいく。そうしてある程度の話が固まると、セイバーは密かに望んでいた事を最強の戦士に告げた。

 

「あの……バーサーカー。不躾で申し訳ありません。一つお願いがあるのですが、構いませんか?」

「構わんが、何を謙る? 私も貴様もサーヴァントである以上は対等だろう。頼みがあるというなら聞くとも。そして私に出来る事なら叶えよう」

「ありがとうございます。それでは……遍く戦士が憧れ、数多の騎士が憧憬を抱いた偉大な戦士王ヘラクレス。貴方に剣の手ほどきをお願いさせてください」

 

 幼い頃の夢が叶うかもしれないと思い頼み込むと、バーサーカーは一瞬、虚を突かれたように目を見開く。そして何を思い出したのか、懐かしそうに目を細めた。

 頭を下げる騎士王が――どこか未熟だったアイアスを思い出させたのだ。

 偶然だろうが顔立ちも似ている。扱う武器の違いや才能の毛色が違うが、彼女の申し出は在りし日の軌跡を思い起こさせた。だからつい、嬉しくなってしまったのだろう。顔が綻ぶ。

 

「英霊とは不変の存在だ。人々の信仰の形が変わらぬ限りな。故に成長はせんし、進歩もしない。サーヴァントとして現界したとしても、座に戻れば此度の事は全て“記録”にしかならんのだ。それでもやりたいと言うなら付き合おう」

「本当ですかっ! ……あ、いえ、すいません。気が昂ぶってしまい……それから、例え私の剣が限界を迎えていたとしても。技量が上がらないのだとしても。私にとっては、貴方に指南を受けるというのは得難い体験です。ですのでどうか、お気遣いなく」

 

 ――セイバー自身は純粋なサーヴァントではない。特殊な背景故に彼女はある種の“生き霊”として聖杯戦争に招かれている。

 故にセイバーだけは、他の英霊と違い()()()()()のだ。経験が無駄にはならない。単純な思い出作りにはならない。

 もしかすると……戦士としても多くの英雄を育てたヘラクレスの教えを受けられたなら、自分もさらなる高みに至れるかもしれない。その予感がセイバーを奮い立たせた。

 

 月下剣戟。

 

 屋敷の庭に出た二騎のサーヴァントは、剣を持たぬ空手にて空想の鋼を打ち鳴らす。

 憧れた戦士に指南を受けられる、降って湧いた望外の幸運にセイバーは頬を上気させていた。

 彼女をよく知る花の魔術師が視たなら。その様はまるで、剣の道を修め始めた頃の、少女のようですらあると微笑むのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリヤスフィールは想像よりずっと健脚だった。中々追いつけず、彼女の足音を追うのに難儀させられたのには驚かされてしまった。

 だがここは衛宮士郎のホームグラウンド。地の利はこちらにあり。イリヤスフィールはなぜか、その走る足を次第に緩めていっているのもあって、士郎は少女に追いつくことに成功した。

 

「ったく、どこまで行く気――」

 

 ようやくイリヤスフィールの背中を視界に捉え、士郎は声を掛けようとして――不意に口を噤んでしまう。

 追いついた小さな背中が、途方に暮れたように佇んでいたから……咄嗟に掛ける言葉を見失ったのだ。

 

 親とはぐれて迷子になったかのような、幼い子供のように立ち尽くす後ろ姿。白い少女が、手に触れると儚く溶けて消えていく雪のように視えた。

 イリヤスフィールは士郎に気づいてはいたのだろう、ゆっくりと振り返る。

 その目から、透明な雫を溢している少女に、士郎はギョッとした。

 なぜ泣いているのか。慌てて駆け寄ると、イリヤスフィールは淡く微笑む。まるで、自分よりも年上の少女のように見えて……一瞬、士郎はその微笑みに魅せられる。

 

「わたし、フクシュウに来たのに。その相手がもういないのって、悲しいね」

「――――」

 

 そして呟かれた言葉は、士郎の耳朶に濃く残された。

 探検と称して嬉々としながら衛宮邸を駆け回ったのは、実は切嗣を探してのものだったのだろう。

 そしてアインツベルンで聞かされていた、切嗣の死を事実であると受け入れてしまった。心の何処かで切嗣が生きていると信じたがっていたからこそ、少女は途方に暮れている。

 

 もう殺す事も――抱き締めてもらう事もできない。掛ける言葉が士郎には見つからなかった。射竦められたように立ち尽くしてしまう士郎を見て、寂しげにイリヤスフィールは冗談を口にした。

 

「わたしの家族、いなくなっちゃった」

「――俺がいるだろ」

 

 咄嗟に返した士郎に冗談の色はない。そしてイリヤスフィールも冗談めいているが、本音なのだろうと感じていた。

 目をぱちくりと瞬かせ、少女はふっくらとした雪のように微笑む。

 

「優しいんだ、シロウは」

「俺は()()なんだ。兄貴は――妹を護るものなんだよ。だから……家族がいなくなったとか言うな。俺はイリヤの前からいなくなったりしない」

「―――そう」

 

 言っている最中に恥ずかしくなったのか、ぶっきらぼうに言う士郎にイリヤスフィールは笑みを深める。

 嬉しいのだろう。切嗣が作った家族――忘れ形見。見失いかけていた大切な何かを、イリヤスフィールは透明な眼差しで見詰め。無色の瞳に、微かな暖かさを灯した。

 士郎の手を取り、令呪を撫でる。そうしながら祈るように自身の両手を士郎の令呪に重ね、蚊の鳴く声で誰にでもなしに囁きかける。

 

()()()()()、死なないでね」

「ああ」

「だって、わたしが殺すんだから。わたし以外に殺されるなんて許さないわ」

「――なんでさ」

 

 そんな冗談笑えないぞと軽く睨む士郎に、イリヤスフィールはころころと笑う。まるで天使のような可憐な笑みに、小悪魔めいたものを感じつつも士郎は見惚れた。

 知り合ってまだ間もないのに。殺そうとしてきた相手を、なんでもないように受け入れられる。その衛宮士郎の歪みは、今のところ二人の関係に良い方へ作用していた。イリヤスフィールは士郎のおかしさに気づけない。対人関係の構築の初心者だから。純粋に、士郎が優しいのだと誤認する。

 ほんとうにお兄ちゃんみたい、とイリヤスフィールは思った。すると、ふと溢してしまう。叶うはずもない夢想を。願いを叶える聖杯の少女ですら、叶える手段のない幻のような光景を――目を細めて、士郎を通して虚空に見る。

 

「キリツグもお母様も、もういないけど――シロウと、バーサーカー。皆ずっと一緒にいられたらいいのにね」

「――――」

「ね、シロウ。わたし、お兄ちゃんのこと好きになっちゃうかもしれないわ」

「……俺は、そういうのはまだ分からない。けど、イリヤを好きになる努力はする」

「正直ね。ま、それもそっか。昨日今日会ったばっかりだし、わたしはシロウを殺そうとしたんだもん。いきなり好きになってもらえる訳ない。……お兄ちゃん、いつか本当のカタチで、わたしの家族になってくれる?」

「ああ。イリヤの事を俺は知らなかったけど、爺さんの子供なら俺の妹だ。なら兄貴として、きちんとイリヤと向き合うよ。イリヤから逃げない。それでいいだろ?」

「うん」

 

 イリヤスフィールは安心したのだろう。ふらりとよろめく。

 一日の内半分は睡眠に当てなくてはならないほど、彼女の体力は少ない。それは彼女自身がそのように設計されて生まれた器だからだ。

 少女の華奢な体を咄嗟に受け止める。具合でも悪いのかと心配する士郎に、イリヤスフィールは言った。

 

「……シロウはわたしに話したい事とか、たくさんあるんだろうけど。ごめん、ちょっと疲れちゃった」

「寝るのか?」

「うん。だから、また明日。朝、一番に……わたしに、()()()()って言ってくれる……?」

「ああ」

「……うん。嬉しいな……とっても……シロウの話は、明日、聞いてあげるから……もう、おやすみなさい……」

「……おやすみ、イリヤ」

「………」

 

 士郎の声に、イリヤスフィールは薄く口元に笑みを刷き、そのまま意識を深く落としていく。最後に何か、イリヤスフィールの魔力が士郎に流れ込んだような気がした。

 なんなのだろう? よく分からないまま首を捻り、未知の感覚に包まれる。

 ――それは、イリヤスフィールの加護。

 聖杯の少女はこの聖杯戦争で士郎が最後まで生き抜く事を願った。ほとんど無いに等しい対魔力しか持ち得ない士郎は、イリヤスフィールの()()()()()()性質の魔力に抗えるはずもなく、あっさりと士郎を護る魔術が全身に浸透したのである。

 

 その日、士郎はぐっすりと眠れた。肉体的なもの、精神的なものも、綺麗に疲労が溶けている。

 

 寝込みを何かが触れてきた気がしたが、翌朝目を覚ました士郎は何も覚えていなかった。

 

 

 ヂ、ヂ、ヂ――と。翅の擦れる音が、苛立たしげに鳴っていた。

 

 

 

 

 


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