ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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はたけやま氏より挿絵をいただきました。

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これです。漏らす(確信)
はたけやまさん、ありがとうございました!





十五夜 正義の対義、黒染めの花(中)

 

 

 

 ぽと、と。藤村大河は、手に持っていた教材入りの手提げカバンを落とした。

 慣れ親しんだ衛宮邸。もう一つの我が家とも言える場所に顔を出した大河は、まるで自分を待ち構えていたかのように――いや実際に待っていたのだろう男を目にするや、思わず目を見開いて呆然とした。

 二メートルを優に超える体格に、機能性と瞬発力、持久力を兼ね備えた完璧な筋肉を限界まで搭載した偉丈夫。完璧に黒服を着熟し、着苦しさを感じさせない佇まいで黒のネクタイを締めている。嫌味にならない程度にシルバーアクセサリーで手首と首元を飾り、背中まで届く癖のある黒髪を纏めて後ろに撫でつけオールバックにした、武張っていながら理知に富んだ顔立ちと眼差しの巨漢。

 武道に精通した人間なら、その姿を目にした瞬間に本能の核の部分で悟るだろう。勝てないと。今すぐ逃げるべきだと。対峙する事を避け、何を置いても逃げ出すべきだ、と。遍く武道家の目指す精神と力の極致、総ての武術家が理想とするべき武神の領域。其処に到達した人智無踏の武の怪物、武という概念の化身――

 

 大河はしかし、我に返った。

 

 もしもこの男が殺気立ち威圧してきたなら腰砕けになり、身動き一つ取れなくなるところだっただろう。剣道五段、まさに達人とも言うべき腕前の大河をしてである。

 だが男は大河を威圧していない。むしろ理性と精神の巨大さを滲ませた、静謐とした眼差しで大河を見据えていた。彼が軽く会釈をした事で、衛宮邸の玄関を開いたまま固まっていた大河の意識は再起動する。

 

「あ、あの、どちら様でしょうか……?」

 

 彼の存在感が大きすぎる余り、傍らにいる小さな白い少女と、金髪碧眼の少女。そして弟のような間柄である少年を見落としていた。思わず丁寧に訊ねる大河だが、決して下手に出ている訳ではない。社会人である大河は、その気になれば誰にでも態度を改められる。

 ましてや客人は、三人ともが異国の人である。黒髪赤眼の偉丈夫と並べるとちぐはぐな印象を拭えないが、彼ら三人が衛宮邸をどういう縁か訪ねて来たのだろう。無体な事はされていないのは、険しい表情で黙りこくる士郎を見れば解る。彼らをお客様として相対する上で、礼を失した態度を取らない分別は当たり前のように備えていた。

 

「朝早くより失礼する。まず我が主人を紹介しよう。こちらが――」

「イリヤスフィールよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。タイガ、貴女のことはシロウから聞いてるわ。よろしくね」

「は、はあ……よろしく?」

 

 スカートの裾を掴み、ちょこんと頭を下げるイリヤスフィールの淑女然とした振る舞いと、その名前に大河は目をぱちくりとさせる。

 見るからに良家のお嬢様である。フォン、という名前からそれなりに知識を持つ大河はイリヤスフィールが貴族らしい事を察した。

 

 大河の呆気に取られた表情に、士郎は気まずさを覚える。姉同然の人をこれから騙そうというのだ。危険な戦いに巻き込まないためとはいえ、後ろめたさに気が咎めてしまうのは否めない。

 だが必要なのだ。大河は何も知らない一般人……剣道の腕前がどれほど立っていても魔術やサーヴァントには抵抗できない。割り切るしかないと、改めて気を張る。

 

「彼女はセイバー。……アルトリア・セイバーリンク。アインツベルン家に雇われた近接保護官(クロース・プロテクション・オフィサー)だ」

「お初にお目にかかる。ご紹介に与ったアルトリア・セイバーリンクです。私の事はセイバーとお呼びください」

 

 さらりと真名を変形させたものを告げるセイバーの表情は鉄の硬さだ。本心では不服だが、バーサーカーのサーヴァントであるヘラクレスに、以前の戦闘で聖剣を視られている。風王結界を打ち放った瞬間をだ。

 ランサーは見落としたようだが、もはや超絶の異能が如き眼力と動体視力を持つバーサーカーは見咎めていた。英霊の座に招かれた者なら、その聖剣の輝きを見誤ることはない。故に真名が割れているのだと昨夜に指摘され、セイバーは目眩がする思いに駆られたのは言うまでもないだろう。同盟を組んでいたとしても、できれば手の内は隠しておきたかったのだから。殊更に聖剣エクスカリバーは秘匿しておきたかったのだ。

 

 が、露見しているのなら是非もない。やや苦しい偽名も受け入れた。

 アルトリア・セイバーリンク、そう名乗った彼女は現在、アインツベルンの城から取り寄せられた侍女の白い服を纏っていた。セイバーに与えられた設定は、バーサーカーの告げた通りにアインツベルン家、イリヤスフィールの護衛というもの。

 そして、

 

「私はアルカイオス・ヘラクレイトス。イリヤスフィールお嬢様専属のボディガード、及び世話役だ。セイバーの直接の上役でもある。此度は彼、エミヤシロウに赦しを得てこの屋敷へ滞在している」

 

 アルカイオスとは、人間としての祖父の名だ。アルケイデスが本名だが、彼はアルカイオスとも呼ばれていた事もある。そしてヘラクレイトスという姓、これは冬木をイリヤスフィールと散策した折に目にしたゲーム店、そこで目にしたゲームの主人公の名をもじってつけたものだ。

 この世の何よりも憎悪するヘラの名に、神々を虐殺したクレイトスの名をくっつけただけである。しかしヘラクレイトスという名は実際に存在し、過去に哲学者として名を成している事を彼は知らない。

 

 何やら物々しい名乗りである。大河は紡ぐべき言葉を見つけられず、口をぱくぱくとさせた。だがなんとかして絞り出す。嫌な予感がしたのだ。

 良家のお嬢様に、見るからに腕の立つ近接保護官が二人も付いている。容姿からして外国の人という外見は、日本人的な偏見を彼女に懐かせるには充分なものだった。

 

「……貴方達は、いったい士郎になんの用があるんですか……?」

 

 声が震えず、腹と目に力を込めて問い掛ける大河に、バーサーカーは間を外すように言った。

 

「玄関先で立ち話というのも何だ。奥の方で話したいが、どうだろう」

「いえ、ここで結構です。私は士郎の保護者として早く聞かないといけません」

 

 むくむくと警戒心が沸き起こっているのだろう。何かあれば即座に踵を返し、警察を呼ぶ構えだ。状況の判断が正しい。そして人格者だ。バーサーカーは目を細める。好ましい女性だ、と。士郎は滅多にお目にかかれない極めて真面目な大河の様子に驚くしかないが、これが大人というものかと感心させられる。

 大河の普段の姿を見ていると忘れがちだが、彼女も立派な社会人で――姉貴分の大切な人なのだ。そう再認識するからこそ、騙しきらなくてはならないのである。

 

「そうか。であればこちらとしても話が早い。フジムラタイガ、申し訳ないが貴女には当分の間、この屋敷に近づかないでもらいたい」

「……訳を、聞かせてください。そのまま言われてはいそうですかなんて言えません。ウチの士郎に何か、あったんですか?」

「彼は間接的な立場から、直接的な問題の当事者となった複雑な身の上なのだが……まずは分かり易く説明しよう。こちらのお嬢様、イリヤスフィール嬢はエミヤシロウの養父、エミヤキリツグ氏の実子に当たる」

「――え? 切嗣さんの……お子さん!? この娘がですか!?」

「ええ、そうよタイガ」

 

 青天の霹靂だったのだろう。驚愕してイリヤスフィールを見る大河に、少女は平然と視線を受け止める。

 信じられないと瞠目する大河だが、その事実を呑み込む前にバーサーカーは続けた。

 

「アインツベルン家は現在、本家の方で厄介なお家騒動が起きている。その関係でお嬢様は家を離れキリツグ氏の縁故を頼り来日した」

「どういう事ですか?」

「それは言えない。部外者には口外してはならない事だ」

「私は部外者ではありません。士郎の保護者として知る権利と必要があるはずです」

「無い。キリツグ氏当人とその養子であるエミヤシロウ、ひいてはアインツベルン家の問題だ。保護者ではあってもエミヤ、アインツベルン両家とは縁故の関係ではない貴女が割って入っていいものではないからだ」

 

 にべもなく、有無を言わせぬ威圧感と共に跳ね除けられ、大河はグッと押し黙らされる。論理的に反論できなかったのではない、バーサーカーの威圧に恐怖して舌の根が凍りついてしまったのだ。

 それを見て畳み掛けるようにバーサーカーは言う。

 

「だが何も知らぬままでは収まりがつくまい。故に触りの部分だけは事情をお話ししよう。問題はキリツグ氏の生前の因縁だ」

「き、切嗣さんの、ですか……?」

「そうだ。彼はアインツベルン家に雇われた傭兵だった。その関係で彼は多方面から恨みを買っていてな、現在エミヤシロウはキリツグ氏を恨む人間から付け狙われている」

「え……?」

「命を狙われているのだ。その脅威から護るための我々だとも言える」

「ま、待ってください……! 命を狙われている!? 士郎がですか!? それに切嗣さんはそんなっ、そんな危険な事をするような人じゃ……!」

「彼の半生を、貴女は総て知っているのか?」

「っ……!?」

 

 知らない。知っている訳がない。バーサーカーも知らないが、これは完全にでっちあげたもの。後日、監督役の教会には公的機関への誤魔化し含め、手を回すようにイリヤスフィールの方から話を通す事になるが――切嗣がどんな人間だったかは、故人ゆえに好きにバックストーリーを練って押し付けさせてもらった。

 切嗣個人が実際に恐れられ、恨まれていた凄腕のテロリストだった事など些細な事である。

 大河は愕然とした。話された“一部”の事情に、顔面蒼白になる。バーサーカーの台詞は真に迫っており、説得力を感じさせられたのだ。大河が士郎を見ると、彼は重々しくうなずいて、口惜しげに大河に報告する。

 

「ほんとうだ、藤姉。……俺のせいで、桜が攫われてる」

「さ、桜ちゃんが!? どういう事なの!?」

「既にエミヤシロウは一度、襲われているという事だ。たまたま彼と共に居たマトウサクラは、エミヤシロウの眼前で攫われてしまっている。彼女の救出のために警察も動いている故、通報は無用だ」

「――――」

 

 ふら、と大河は立ちくらみを起こしてよろめいた。壁に手をついて、大河はバーサーカーを見る。次いでセイバーを、イリヤスフィールを見た。そして士郎に心配そうな顔をする。

 

「警察と我々は協力して事に当たっている。最大限エミヤシロウを護る努力はしているが、必要以上に警護の対象を増やす訳にはいかない。有り体に言おう、貴女がこの屋敷に近づけばそれだけ貴女に危険が迫る事になる。そうなればエミヤシロウの心の均衡が崩れ、心労が懸念されるだろう。ただでさえ精神的な負担の大きい事態の渦中にいるのだ、彼のためにも暫く離れていてもらいたいという要求も理解できるはずだ」

「………」

「申し訳ないが譲歩は出来ない。そして貴女の要求も何も聞けない。最悪、私の独断で貴女を無理にでも遠ざける事になる。できれば乱暴な真似はさせないでほしい」

「………」

 

 呆然と、タイガはバーサーカーを見る。

 見るからに堅気ではない男の口にしたお家騒動、そして士郎を襲った問題。それらから、彼女は不穏な想像を掻き立てられている。

 士郎は唇を噛んだ。口を開いてしまえば、何を言ってしまうか分からない。こんな嘘を吐き通す真似は、したくないのだから。

 

 大河はやがて、話の内容を咀嚼したのだろう。事実だと認識し、固い顔で頭を下げるしかないと思い、深々と頭を下げた。

 

「――士郎を、よろしくお願いします」

「ああ」

「桜ちゃんはどうなるんですか?」

「警察機関も密かに身柄の確保、保護を最優先で動いてはいるが、最悪彼女を人質にエミヤシロウの身柄を要求してくる場合も考えられる。無事を保証しても今は空手形になるだろう」

「そんなっ……」

「マトウサクラの救出にも可能な限り全力を尽くす。約束しよう。さあお引き取りを」

「……約束してください。士郎を護ると、桜ちゃんを助けると、でないと帰れません! だって、そんな……二人はまだ子供なんですよ!?」

「解っている。それで気が済むなら……エミヤシロウとマトウサクラを、元の日常に返す事を約束しよう」

「信じます。信じますから、どうか……お願いしますっ」

「っ……」

 

 頭を下げ、必死に頼む大河に、士郎は体を震えさせた。耐えられないと、踵を返してその場から遠ざかった。姉に等しい女性にあんな事をさせるのが耐え難いのだ。

 バーサーカーは大河から目を逸らさない。イリヤスフィールは、何かを想って目を閉じた。良い人ね、と。士郎が人に恵まれている事を理解して――昨夜の出来事を想起する。

 

 何度も頭を下げて、大河は衛宮邸から去っていった。後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら。

 

 それを見送って、セイバーが重々しく口を開く。

 

「――私は命に代えてでも、シロウを守らねばなりませんね」

「……聖杯に代えてでもか?」

「無論。私は聖杯がほしい。しかし、私の願いのためにシロウのご家族を悲しませる訳にはいかない。聖杯かシロウか、そのどちらかを選ばねばならなくなれば、私は迷いなくシロウを取りましょう。聖杯は……また、次の機会を待ちます。それがこの冬木の聖杯でなくても構わない。いずれ必ず手に入れる、私の契約は……聖杯を手に入れるまで続くのですから」

 

 思わず溢したセイバーの因果は、世界との契約だ。バーサーカーはそこから全てを察する事は出来ない。しかし彼女の誓いは尊ぶべきだ。

 士郎とイリヤスフィールの関係を確固なものとすれば、バーサーカーも士郎を手に掛ける必要はないと見ている。故にバーサーカーも、大河が去っていった方を見遣り、ポツリと巌のように固い誓いを口にする。

 

「私もマスターを守ろう。そしてマスターが守りたいものをも護る。――どうやら我々は、真の意味で同志となれそうだ」

「……はい」

 

 セイバーが頷くのに、イリヤスフィールは何も言わなかった。

 復讐、するつもりだったのに。彼女にはもう、そんな気がなくなってしまった。

 

 藤村大河という、士郎を大切に思う人がいる。その事実が、少女の心に小さな波紋を生んでいた。

 

 

 

 

 

 

 士郎は、思う。

 

 自分を孫のようにかわいがってくれる、藤村組の雷画。彼には、せめて自分から話しておこう。――切嗣から続く過去の因縁を、清算すると。

 それは自分にしか出来ない、というわけではないかもしれない。然しそれが彼らを巻き込まない唯一の方法である。

 

 

 


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