「……。お待たせしました」
「然程待ってはおらんよ。その不機嫌そうな顔は今回も私が先に待ち合わせ場所にいたのが不満なのだな」
「わざわざ、口に出さなくても結構です」
嘲笑するような純心に紗夜は不貞腐れて頬を膨らませる。
日曜日は、殆どの人間にとって休暇の日という認識。少し曇り空だが、天気予報では雨が降るには至らない。近くなった日差しを隠すので晴天よりは外出しやすい。
週に一度の休暇を満喫するため、家族サービスや一人で街に繰り出す者たちは数多。
無論、恋人たちも何組かはいる。彼ら彼女らは普段よりも恋仲と共に過ごす時間を増やすため、様々な策を弄していた。
それは若き、小学生カップルでも同じこと。尤も、片方は小学生と呼ぶには見た目も中身も常軌を逸しているが。
氷川紗夜と小笠原純心が交際して、既に一年以上が経過した。
周囲の人間は祝福したり、仰天したり、様々。
純心に思いを寄せていた女性たちの多くは絶望したが、彼女も壊されてすぐ別れると薄黒い期待を持った。
しかし、純心が一年以上長く一人の女性と交際しているのは初めてであり、彼女たちの惨めな念願は徐々に灰となっている。
純心の両親はやっと身持ちを固めたと安心した。小学生でそう言われてしまうのはどうかと思うだろうが、過去の所業で弁明もできない。
紗夜の家族は早々恋人ができたことを母親は喜び、父親は複雑な心象。
紗夜の双子の妹である日菜とはいうと、現在はご立腹である。
別に日菜は純心のことを嫌ってはおらず、二人が付き合ったときは誰よりも祝福した。
だが、それで姉との時間が減るのを我慢できる彼女ではない。
除け者にされる回数が増えれば増えるほど、彼女の不満は溜まった。
下校するときは純心を別にして紗夜と二人だけで帰ろうとするし、紗夜が純心と出かけようとすると自分も一緒にと駄々を捏ねるのだ。今日も紗夜が出かけるときいじけていた。
しまいには、紗夜との時間を賭けて純心と勝負する事態になっている。
回数は日を重ねることに増えており、肉体的な勝負は男女の差があるためしてないが、互いに尋常ならざる才能の持ち主なので勝敗は拮抗していた。
勝負内容は多岐にわたり、どちらが多くの異性を魅了できるかという勝負では互いに100人までいったところで、勝負を知った紗夜に等しく罰せられている。
このように学校や自分の家では日菜の目があるため、落ち着いて純心と一緒に過ごすことができるのは外出するときだけだった。
「時間はまだあるが、先に会場へ行くかね?」
「そうですね。時間丁度になるとあまり良い場所を確保できませんから……」
二人が向かうのはインディーズバンドが演奏を行うライブハウスである。
チケットは既に購入済みだが、立ち見の自由席であり、早めに並んでおかなければ端の方に追いやられてしまうのだ。
純心は音楽に強い関心があり、バンド演奏も自ら足を運んで聞きに行くことがある。その彼の影響を受けて、紗夜も以前からバンド演奏に興味を持っていた。
二人のデートといえば、七割がライブ鑑賞であり、一割が別系統の音楽鑑賞、残りの二割は音楽に関係ない場所へ出かけたりするが、大半紗夜のために犬がいる施設なのはご愛敬。
その中で、インディーズバンドのライブ鑑賞に向かう回数は少ない。
純心の音楽に対する品定めは厳しいので、プロのでも技術がトップクラスでなければ足を向けない。
純心の意識だけが高い訳ではないことは、彼が指揮した学年演奏が県主催コンクールに学校代表に選ばれ続け、最優秀賞を授与し続けていると言えば解るだろう。
見た目が高校生でも純心は小学生であることには変わりないので、時間制限や保護者同伴が必要な場合もあるが、向かう先のライブ、コンサート、イベントはどれも実力あるアーティストばかりである。
純心と紗夜が体験した中で一番大規模な音楽祭は、去年の夏フェスの一つ。
尤も、遠方で泊りがけだったため、純心側の親族が保護者として同伴し、話を聞いた日菜も我儘を言ってついてきた。
誘われたとき、紗夜は純心だけと一泊すると思いパニックになったが、終わってみればデートというよりも小旅行だったので、複雑な気持ちになった。ライブは楽しかったが。
このようにプロの生演奏を聴きなれている二人だが、今日のようにインディーズの音楽に触れる機会もあった。
音楽をするものは何も大手だけでない。むしろ、個人で楽しむ者たちの方が多いだろう。
人が多い街であればあるほど、路上ライブなど彼方此方に溢れている。運が良ければプロを引退したアーティストがゲリラライブをするが、紗夜はお目にかかったことがない。
二人が向かうライブも路上ライブで宣伝していたところを見かけたのだ。紗夜たちが仲睦まじく歩いていたところ演奏が耳に留まり、そのまま今日のライブを知って、参加することにした訳だ。
道順は前もって互いに確認し、二人は並びながら迷いなく目的地に向かう。
ちらりと、紗夜は隣の純心を見上げた。
一年掛けて紗夜の身長も伸びたが、純心も同じくらい伸びたので差は縮まらない。
そして、変わらないのは身長差だけではなかった。
二人で出かけ慣れているのだが、これは付き合う前から同じである。
そう考えると、前々から距離が近かったのだと解って恥ずかしくなるが、恋人になった後でしたデートは当初こそ緊張したものの、あれ? これは普段と変わらないわね、とすぐに落ち着いたときは微妙な気分になった。
晴れて恋人なり、周りに遠慮なく堂々と一緒にいることができるが、それ以外はこの一年間殆ど進展がない。
元々親密であったからであろうが、
よって、自ら何度か動いたが、未だ彼女にとって満足した成果を上げていない。
手始めとして手を繋いでみようと思ったが、純心と紗夜の身長は30センチ以上もあり、手を繋ぐと隣で歩き辛いのだ。更に純心の手が紗夜よりもかなり大きいので、恋人繋ぎは彼女が全開に手を広げる必要があり苦痛が伴う。
他にも色々試したが上手くいかないことが続き、一年以上経過している。
今でも恵まれているのだろうが、恋人になって抑える必要がないと思うと、どんどん我儘になってしまう紗夜だった。
「紗夜──」
不意に名前を呼ばれると同時に、紗夜は左肩を掴まれて、純心の体へ凭れ掛かるように抱き寄せられる。
どうやら、通行人との接触を防いだようだ。
「すみません、余所見をしてしまって」
紗夜が不注意を詫びるも、純心は特に叱ることなく微笑む。
「私を見ていたようだが、何か用かな?」
「いえ。ただ、貴方と身長の差が変わらないので。周りからは大人と子供が並んで歩いているように見えているのかな、と」
嘘ではない。余所見をしていた最中に考えていたものとは違うが、紗夜が心配していることの一つではあった。
その不安を純心は一笑する。
「他者がどう思うが卿と私が恋仲である事実だろう。それに、周りの視線を気にするくらいなら、私だけを見ておけば良い。道は私が導こう」
「──、もう、貴方は平気ですぐそんなことを言うのですね」
「不満かね?」
「いいえ。満足です」
大きな体に凭れながら紗夜は照れ臭そうに微笑む。
進展がなくても恋仲にならなければこうやって甘えられないなと思いつつ、黄金のように眩しい恋人と共に歩く紗夜であった。
問題なくライブハウスにたどり着いた紗夜たちは、既にライブ鑑賞をして帰路についている。
目的のバンドは期待通り、中々聴き応えのある演奏であり紗夜は満足していた。
音だけ聞けばプロと遜色のない演奏でもアマチュアからは抜け出せないのだと、音楽の厳しさも改めて感じている。
純心は目をつけていたバンドがプロになる様は喜ばしいことだと語っていたが、それが容易でないことを音楽に触れる度に痛感していた。
だからこそ、己が鍛え、洗練された技術で認められることは尊いものなのだろう。
そういう会話をしている内に、空は赤く染まっていく。
まだ時間があれば、喫茶店や公園で門限まで過ごすのだが、まだ小学生である二人は互いに夕方の内に帰らないといけない門限があるのだ。
「中学生になれば、門限が少し延びるといいのですけど……」
純心の腕にしがみつきながらライブの感想を話していた紗夜だったが、分かれ道が近づくにつれて興奮が収まり、寂しさが滲み出す。
毎度のことだが、デートの終わりというものは切なくなる。
「中学生になればなったで、会う時間も減るだろう。互いに違う学校なのだから」
「それは、そうですけど……」
進路の話をされて、紗夜は更に気を落とした。
二人とも来年は小学六年生であり、共にその先の進学も決まっている身だ。
紗夜は妹の日菜と共に、進学校である羽丘女子学園の中等部の入学を希望している。即ち、純心とは別の学校の進学する予定なのだ。
「まぁ、万が一もある。互いに受験を失敗したら近所の中学へ共に通うこともあろう」
「私は兎も角、貴方は万が一もないでしょう」
純心が通う予定の学校も進学校であり、二人とも入学には受験が必要だ。
尤も、純心の学力を考えれば万が一も失敗はあり得ない。
逆に紗夜は万が一の為に、入試のための勉強が必要だ。彼女の成績は優秀でほぼ確実に入学できると言われているが、万全の準備をするのに損はない。
何より、年々と日菜に対抗する意識が高まってきている紗夜は、単に入学するだけではなく、妹よりも良い成績で入学することを目論んでいた。
双子の妹は勉強をしなくてもずば抜けた成績で入試を終えると確信している紗夜は、既に受験勉強に取り組んでいた。
来年は更に本腰を入れるため、純心とこうやって共に過ごす機会は更に減るだろう。
「ならば、今の内に思い出を増やしておこう。卿が飽き足りて受験に身が入るようにな」
「…………、小笠原さんは一杯思い出を増やしたら満足なんですか?」
少し考えた後、様子を窺うように紗夜が尋ねると、純心は一笑する。
「まさか。私は貪欲でな。食らえば食らうほど、もっと欲しくなる」
それを聞いた紗夜は少し目を見開いた後、満足そうな微笑みを浮かべた。
聞きたかった言葉であり、信じていた言葉。
何より彼らしい言葉に、紗夜の胸は温かくなる。
「私もですよ。いっぱい思い出を作っても、きっと貴方に会いたくなるわ」
「ならば会いにくればいい。私も会いたければ会いに行くさ」
当然のように言ってのけた純心の言葉に、紗夜はくすりと笑った
「それだったら、それこそ勉強を疎かにしそうですよ」
「なに、卿は真面目だ。愛欲に溺れて総てを台無しにする女に私は惚れていない。加減はできるだろう」
「そうですね。少なくとも貴方よりはできるかと自負しています」
「心外だな。これでも前よりは自制ができているほうだが」
「ほんとうですか?」
加減知らずも代名詞な恋人に疑いの目を向けたところで、分かれ道、といっても紗夜の家のすぐ傍、に到着した。
名残惜しいが紗夜は絡めた腕をほどいて、純心の正面に立つ。
「ここまで、ですね」
「あぁ。では、明日、学校でな」
「……私も携帯を持っておけば、帰ってからも連絡できるのですが」
「中学になってから貰うのであろう。それまで我慢するしかあるまい」
携帯を互いに持つ恋人たちならば、デート終わりでも連絡を続けて寂しさを紛らわせるのだろうが、既に持っている純心とは違って、紗夜は中学に入るまで所持できない。
一度、純心が買い与えようとしたが、親の許可もいるので断ったものを、今更惜しく思う。
夕暮時に見つめ合っている二人。
見上げた黄金の瞳は、茜色の輝きが溶け合って美しく、いつまでも眺めていたいが、ここでそれをしたら近所の目もあるので、紗夜は数秒だけで我慢した。
「では──」
後ろ髪を掴まれる思いで、背を向けようとした紗夜だったが、少し思い出したことあり、衝動的に呟いた。
「また明日。純心──くん」
限界だった。
顔を真っ赤にした紗夜は逃げように家まで走った。
ずっと名前を呼びたくて、でも呼び捨ても恥ずかしくて、けれど「さん」、とつけるのは躊躇って、ああ呼んでしまった。
次にあった時、同じように呼ばないといけないのか、そんな悩みはしばらく経ってから。
まだまだ初心な少女は、自分の気持ちで一杯だった。
そんな可愛らしい恋人の背中を見送った純心は、大きく息を吐く。
「やれやれ、やっと名を呼んでくれたか。先は長そうだな」
恋仲になってから自制することが増えた獣は、その渇きも良しと楽しんだ。
そして二つの年月の後、彼女ら、彼らは中学生となる。
無垢だけで許される時代は終わったのだ。
『どっちが一緒に紗夜と帰るかヴァンガードで勝負中』
「私は恋をしている。ゆえに果てろ、勝つのは私だ! 我が女神に捧ぐ花と散れ!」
「言うね、でも勝つのは私! 私とおねーちゃんの踏み台になってよ!」
「二人とも学校でカードゲームはしたら駄目じゃないっ!」
とういう訳で、新章突入で時系列は中学生編になりますが、一応短い予定。
しかし、小学生編も初期想定よりも話数が多いので、これも長くなるかも。