「っ─────」
「………………」
ほくそ笑む金髪の男の隣でむっすりとした少女がいた。
公道を走るリムジンの後部座席にて、二人の男女が重苦しい空気で鎮座する、ほくそ笑んだ金髪の男とむっすりとした少女。
男は黄金の獣という異名を持つ、この車の主である小笠原純心。所持者は彼ではあるが、大人びた外見とは違い未成年であるため雇った運転手に走行を任せていた。
仮に彼が免許を持っていたところで、このような高級車両には今のように専属の者へ運転を任せて、所持者が寛ぐのが通例であろう。あえて驚くに値すべき点を探すならば、これが名家である小笠原家所有ではなく、学生身分である純心が個人所有している点であろう。
純心は家業と学業の傍ら個人事業も勤しむ多忙な身。学生でありながら運転手付きの車を持つくらいには事業を成功させていた。
今回も仕事の為、己が所有する会社の一つに向かっていたのだが、その途中で自分の恋人である氷川紗夜が帰宅していたのを見つけたので、送り届けるため拾ったわけである。
こういうことは別に珍しくもなく、このようなことが起こるたびに紗夜は申し訳ない顔を浮かべながらも、内心では恋人との僅かな一時に喜んでいた。
だが、今の紗夜は不機嫌である。
普段から剣呑な態度が目立つ紗夜だが、恋人である純心の前であれば多少は和らぐ。そんな世界で唯一自分を曝け出すことができる相手を前にしても、愚痴一つ零さないのは相当重症だった。
しかし、そんな恋人に対して一切狼狽えないのが、小笠原純心という男。
むしろこの黄金の獣は、機嫌が悪い恋人の顔を愛でられる程の極太神経をお持ちだ。不機嫌な理由も察してるので余裕である。
今日はバンド練習だと言っていたにも関わらず、この時間に帰宅していたのは、またRoseliaの中でトラブルがあったからに違いない。
つい数日前も、Roselia内でトラブルが発生していた。
Roseliaのドラムである宇田川あこがバンド練習中に自分の姉を褒めていたのが紗夜の癪に障った為、一悶着起こったのだ。
ついぞ、姉の背を追うために、紗夜の双子の妹がギターを始めたのだ。
日菜が紗夜の真似をするのは毎度のことなので、覚悟はしてたつもりだが、まさかアイドルバンドでメジャーデビューするのは彼女も予想していなかった。
紗夜はプロという肩書に拘っていなかったが、アマチュアである自身とデビューするプロならば世間的にどちらが上か比べるまでもない。
そのことで気が立っていたこともあり、姉のことを話すあこが、コンプレックスである自分の妹と重なり生じ、暴発した。
どう考えても、紗夜の非。周りのバンドメンバーは戸惑いを隠せなく、被害者であるあこは完全に怯えていた。
これでは練習にならないとボーカルの湊友希那に叱責され、その日、彼女は帰らされる。純心が経営しているライブハウス、CiRCLEで起こった出来事だった為、そのトラブルはすぐ純心の耳に入り、今のように回収したわけだ。
後日、バンドメンバー、特にあこには誠意を込めて謝罪をしたそうだが、紗夜にとっては人生の汚点として刻まれただろう。
そして、此度。純心は紗夜の口から何かあったことを言い出すのを待っていたが、しばらくすれば嫌でも氷川家に到着する。
余裕があれば、純心もゆっくりと気遣ってやることも惜しまないが、生憎と彼は仕事に向かう途中であり、紗夜に付き合う時間は本日残り僅かだ。
もしも紗夜が動けぬほど精神が病んでいたら、その他の些事は後日調整して気に掛けていたが、今回はそこまで必要ないと考えた。
下手にそんなことをすれば、紗夜が後日、純心に対して申し訳ないと心労を増やすだけである。
今日も自分が経営するCiRCLEでの練習だったはずなので、調べればある程度何かあったのかすぐに分かるだろう。しかし、直接本人に聞く方が良いだろうと考え、純心にしては常識の範囲に収まった思考で口を開いた。
「では、そろそろ何かあったか話してくれないか?」
「Roseliaを抜けるわ」
純心が優しく尋ねると、紗夜は即座に言い放った。
彼女がバンドを抜けることは珍しくもない。しかし、今回ばかりは純心でも解せなかった。
「あれほど入れ込んでいたわりには随分と早いではないか」
今までのようにバンドの実力や意識の足りなさで抜けるのとは訳が違う。でなければ、紗夜はRoseliaというバンドにあれほど意気込んではいない。
紗夜の態度を考えると、以前と同じ過ちを犯してしまい、これでは駄目だと脱退させられたわけでもなさそうだ。それならば、彼女は今にも泣きそうな顔をしているはずである。
「あの人──湊さんが音楽事務所に単独でスカウトされたそうよ。それを偶然、宇田川さんと白金さんが見かけたわ」
「なるほど。それで?」
純心は湊友希那が音楽事務所にスカウトされる話を聞いても驚きはしない。
彼女が何度か音楽事務所にスカウトされたことがあるのを
整った容姿にあれ程の技量を持っていれば、自然と業界人に興味を持たれていても不思議ではない。
しかし、湊友希那はその誘いを今迄断わり続けていた。その理由も、
だが、紗夜の態度を見て考えるに、今回はそうでなかったらしい。
「スカウトを受ければ、事務所が揃えたメンバーでFUTURE WORLD FES.のメインステージに立てる。私たちとバンドを組んでコンテストを受けるよりも確実にフェスに出場できるわ。
そして、あの人は、何も答えなかった。ただ、黙っていた! そんなの肯定しているのと一緒じゃない!」
「ほぅ────」
烈火の如き怒号に純心は興味深く相槌を打った。
「私は本当に彼女の信念を尊敬していたのよ。なのに、お互いに高め合うと言って人を集めておきながら、自分だけのし上がればいい。そんな人に、私たちは利用された!
……失望とは、まさにこのことよ」
口を開いたことで紗夜は溜めていた鬱憤を吐き出し、最後は苦虫を嚙み潰したような顔で俯く。
純心に見っともない姿を見せてしまったと、紗夜は自己嫌悪した。
最近の自分は感情を制御できていない。ついこの前も、妹の日菜のことで無関係な宇田川あこに辛く当たってしまった。
苦難が己を蝕んだことで、周りに苛立ちを巻き散らすのは赤子と同類だ。
こんな自分を恋人はどう見ているのか。
飽きられてはいないだろう。今回でそうなるならば、紗夜は疾うの昔に捨てられている。それには感謝しているし、だからこそ甘えてしまう。
自分に同調し湊友希那を非難することは万が一にもありえない。
この黄金の獣が持つ総てを愛しているという価値観は鍍金ではないのだ。
仮に自分が惨い殺され方をしても、その相手に報復はするだろうが、恨みを一切抱きはしないはずである。
自分の恋人は、ここで残念だったと優しく抱き締める男でない。
挫けた人間に何かするなら、手を伸ばすのではなく、煽って鼓舞するか再起不能に追い込むかのどちらかだ。それはそれで是非もなしと、受け流すのもこの男らしい。
「くく」
そう思っていたからこそ、首を上げて目撃したものに紗夜は戸惑った。
「くくく…………ふははは!! あははははははははははははははははははっ!!!」
純心は高笑いしていた。
最初は抑えるような笑い声はすぐに狂喜を孕んだ叫びへと変貌する。空気が振動する爆音。車体は地震があったかのように揺れて、窓ガラスが震えた。
「ははは! あぁ、すまない! だがこれは、ふふっ──!」
紗夜の視線に気づいた純心は堪えようにも抑えきれないようだ。
「何を笑っているの?」
本当に不思議そうに紗夜は純心に尋ねた。
傍から見れば嘲笑されたと思われる光景であり、顔見知りの人間でもこの態度をすれば激怒するだろう。彼に歯向かう度胸があればだが。
紗夜はそんな男に畏縮せず立ち向かえる数少ない人間。
ゆえに、腹を立てれば文句は幾らでも言えるのだが、そう思い至れないまで珍しいものに彼女は狼狽えた。
「ふふふ、失礼。突然、笑ったことは幾らでも詫びよう。どれ程の責苦も甘んじて受けるぞ」
しばらくして、漸く純心は落ち着いたが、その笑みが消えてはいない。
「それは後でいい。先に何で笑ったのか教えてもらえる?」
「ふむ、そうだな。一言で言い表せないことをまず許せよ。
順を追って説示するが、まずは紗夜。卿は利用されたと言っていたが、それはお互い様だろ?」
「え?」
その言葉に紗夜の思考が一瞬止まる。
「卿の渇望はなんだ? 忘れてはいまい。日菜より己を誇示したい、その為にギターを始めたではないか。バンドもその為だけに組んでいるに過ぎない。
そもそも、卿等は友誼や信頼ではなく、互いの能力を見て手を組んでいたのではないか?
後から介入した今井リサ、宇田川あこ、白金燐子の三名は別にしても、紗夜と湊友希那はそのように手を結んだ。
卿は信念と言っていたが、そんなものは長く、語らう時間があってこそ初めて理解し合えるもの。実際、Roseliaはバンド以外でお互いに干渉しない約定であった。そうだな」
「…………え、ええ。そうよ」
「ゆえに。少なくとも紗夜は湊友希那の歌にしか興味がなかった。己の渇きを潤す為、彼女の声を欲した。だから、利用していたのはお互い様なのだ。
互いに己の渇望を満たす為、他者を利用し合った。そのような薄情な間柄、いつ瓦解しても不思議ではあるまい」
「っ…………」
紗夜は言い返すことができなかった。
そうだ。自分は湊さんの歌声を聞いたから彼女と組むと決めた。自分だけでは至れない高みの為に、あの人を利用していた。
Roseliaに馴れ合いは不要。私情を持ち込まず、切磋琢磨して互いを高め合うと言えば聞こえがいい。
しかし、裏を返せばそれは、互いの能力しか興味がなく、利用し合う関係だとも言えるだろう。
少なくとも、紗夜はそれを望んでいた。
私情で音楽をしていた私は、湊さんだけを責めるのは、お角違いかもしれない。
「ああ、勘違いするなよ。利用し合う関係といえど、裏切られれば怒りもしよう。卿の憤りは責められない正当なものだ」
押し黙る紗夜に純心は微笑む。
「しかし、卿はそれで終わらなかった。以前ならば、怒りや落胆はすれども、次にすぐ切り替えたはずだ。諦観し、割り切った後、迅速に冷静に沈着に処理した。
だが──紗夜。お前は失望した。それ以外にも感情を抱いた。
それが私には嬉しくて、同じくらい妬けたのだ」
「純心くん?」
先程、狂ったような笑いとは違い、心の奥に響く落ち着いた声音。
紗夜は純心を見ると、そこには苦笑する男の顔があった。
またも珍しい光景。そして、先程とは違い、そんな時ではないだろうに、紗夜は思わずときめいた。
「話を聞く限り、その気持ちは無駄になるかどうかは卿等次第だろうがな」
「? 言っている意味がわからないわ」
「悪いがこれ以上は無粋というもの。
これは卿等の問題。女の世界に男の出る幕などない」
それを聞いた途端、紗夜は難色を浮かべる。
純心の言ったことが全て理解できたわけでないが、結局のところ好き勝手に言葉を重ねたにも挙句、後は自分で解決しろと言っているのだろう。
だが、それは至極当然。相談には乗ってくれるだろうが、最終的に行動を決定するのは己のみ。でなけば、単なる操り人形に成り下がるのだ。
「案ずるな。卿は少し鈍いが愚かな女でない」
「…………」
甘味の欠片ほどない言葉だが、何処までも優しい声音。そう囁かれ、赤らめている女はいないだろう。
そんな状況ではないと解っているのに、紗夜は熱くなった顔を逸らすと、丁度車が見覚えのある景色で停車した。
「さて、そうこうしている内に家の前に着いたぞ」
「……送ってくれて、ありがとう」
そう言って、紗夜は扉を開き、外に出る。
本当はまだ話したいことがあったが、純心が多忙なのを知っている為、紗夜はこれ以上車内に居座ることはしない。
彼が話した言葉の意図は掴めないが、感じ入るものは確かにあった。それを原動力に、あとは自分で行動するしかあるまい。
「では、励めよ」
純心が手元の端末で運転席に指示すると紗夜が出て行った後部座席の扉が閉まり、車が発進する。
見送る紗夜の視線を感じながら、純心は手元を操作して音楽を流す。
それは、前々から聞いてみたいと思った曲だったが、既に解散したバンドであり、更に純心が欲したのはインディーズ時代のものだったので入手が最近になったものだ。
そのバンドの音楽はインディーズ時代では絶賛されていたが、プロになってからの評価はされず、そのまま消えてしまった音色。もう二度と、新しい音楽を聴くことはできない。
Roseliaの音楽が同じ末路になるかは、純心が言ったように彼女たち次第である。
「…………っ」
氷川家にて、苦痛を滲ませながら紗夜は自室でギターを弾く。
Roseliaがバラバラになったあの日から数日が経過した。
あの日、純心に家に送り届けて貰ってから翌日に友希那からメールが届いた。
『来週の練習予定、取り消す』
簡素で簡潔な文面を見て、紗夜は純心によって多少は和らいだ心が再び乱れた。
腹が立つ。やはり自分たちは、あなたにとって道具でしかなかったのか。
その苛立ちをかき消すように、紗夜はギターに没頭した。
なのに、満足する演奏ができない。一人で我武者羅に弦を響かせても、不満が溜まるだけだった。
ダメ……。こんなレベルじゃ………。……弾いても、弾いても苦しい……。
でも、私にはこれしない……!
たとえRoseliaがなくなっても……。
そう思った瞬間、胸の奥に一気に感情が込み上げ、ギターの音が止まった。
「あれ? 止めちゃうの?」
すると双子の妹、日菜が自分を見ていたことに気づいた。
「……日菜っ。勝手に入って来ないでって言ってるでしょ」
「入ってないよ。ほら。ドア開いてたから……」
日菜の言葉に偽りはなく、彼女は廊下にいて開いていた扉の隙間からこちらを見ていた。
扉を開けていたらその音で紗夜は気づいていたはずだ。普段、紗夜は戸締りをしっかりとする人間なのだが、それすらままならないほど、彼女は切羽が詰まっているのである。
「ん~~~? あれ? ……なんだろう?」
「なんだろって、なに? ちゃんと喋りなさいっていつも……」
「ん~……なんかおねーちゃんのギターの音、おねーちゃんぽくなった気がする」
「? あなたの説明はいつもわかりにくいの」
理解不能な言葉に紗夜は首を傾げた。
恋人の純心といい、双子の日菜といい、天才というものは何故自分の感性のみで話すのだと紗夜は心の中で溜息をつく。
「あ!! 教科書! 前は教科書だった! だけど今はおねーちゃん! って聴こえる」
「なによ……それ。早く出て行って。……忙しいんだから」
やはり理解不能だった。
紗夜は内心呆れながら、静かに日菜に出てくよう促す。
「ん? ……うん」
何処か不思議そうにして日菜が出て行く。
その入れ替わりに、机に置いてあった携帯が光った。
「? ……宇田川さんから動画メール……?
────!!」
それはいつの日だったが、練習中の光景を撮影したものだった。
最初は撮られるのは恥ずかしいと、燐子が拒絶したが友希那が後で自分たちの演奏を客観的に見れば上達すると言って結局収めたものである。
思えば確認してなかったその練習風景を見て、紗夜は息を飲んだ。
紗夜は自分を不愛想な女だと思っている。
しかし、画面の中、Roseliaの中でギターを爪弾く自分はとても楽しそうに笑っていた。
練習中……。…………私。いつからこんなに笑って…………。
「Roseliaがなくなったら…………、私は…………」
ようやく、数日前に純心に言われた言葉を理解した。
彼は知っていたのだろう。
何度かRoseliaのライブに来てくれたことがあったので、紗夜がどんな顔をしていたか。
そして、あの日、友希那に利用されたと思って、怒りよりも悲哀が勝っていたことも。
しばらくして、紗夜はギターをかき鳴らす。今の彼女にはそれしかできなかった。
相変らず満足ができない演奏。だが、今度は苛立ちではなく、哀愁が雪のように積もっていく。
冷えた心で、それでもギターを彼女は弾き続ける。
その後、少し時間が経ってから、友希那からRoseliaの全員に集まってほしいというメールが届いた。
獣殿専用運転手
(また会社に行く前に恋人と会ってるよ、この御方。流石起業した理由が女に貢ぐためと平然と言ったお人は違うぜ)
(って! いきなり笑い出した! ていうか後部座席は防音なんだけど! 車の後方はカメラで確認するから、運転席からじゃあ後ろの様子分かんないんだけど! どれだけ爆音で笑ってるんだ!? あ、防弾使用のガラスに亀裂が)
(うわぁ……。あんだけおっかない笑い声を間近で聴いてただろうに、家まで送ってあげた恋人様、めっちゃ乙女な顔で見送ってるやんけ。普通ドン引きだろう。どっちも一般人には推し量れへんな)