一学期が終わり、夏も過ぎ去ったのは随分前になる。
その頃になると空気、雰囲気、関係性、様々なものが固定化さていく。
第一に二人の天才がいる三年A組に他の組は敵わないこと。
学級委員となった小笠原純心はクラス全体の成績水準を底上げし、氷川日菜が此処彼処で行動を起こしては周囲を驚かせた。
純心自身の実力も然ることながら、その統率力が圧巻である。
元々素質が高い児童の集まりではあったが、彼が先導することで学力も更に高めた。
定期的に行うテストでは満点でない生徒のほうが少ないほどである。
別に純心が勉強会を開いている訳ではない。
彼は請われれば開くこともあるが、自ら率先して行うことはなかった。
それでも、純心によってクラス全体の実力が伸びたのは確かなことである。
理由は単純明快。クラスの殆どが純心を心酔しているからだ。
優れた容姿。飛び抜けた能力。彼が放つ言葉は説得力がある。
指示も的確。それが自分たちの纏め役であれば気分も高揚は当然だ。
集団行動を主に行う人間とって、指導者とは上等であればあるほど良い。
指導者が上等であれば追随者も上等であろうと自然と働き、結果として集団全体の錬度を高めるのだ。
逆にもう一人の天才は混迷に満ちていた。
氷川日菜という少女は天才だ。だが、同時に天災でもある。
彼女はある時期、学校総ての部活に参加したことがあり、同時に総ての部活を辞めている。
総ての参加した部活に付いていけなかったわけでない。
彼女は天才。例え初めてやったことでも、次の瞬間には誰よりも上手くなっているのだ。
そして、彼女は自分が知らないものを知った後、こんなものかとすぐに棄ててしまうのである。
部活を真面目に打ち込んでいる者達にからすれば堪らない。
悪気はない。無邪気に日菜は努力した者の先を行く。
最初の頃は反感を買っていたが、最早そういう災害であると諦観されて行った。
二つの綺羅星は瞬く間に注目されていた。
そうなると傍にある星に目が届くのも自然である。
日菜の双子の姉である氷川紗夜。
しかし、日菜を知れば自然と姉である紗夜も知ることは解るが、それとは別に純心のことを知ると紗夜のことも知るのは話を聞いただけでは解せないだろう。
まず目に付く理由は紗夜が純心と同じ学級委員だからになる。
同じクラスの学級委員ならば自然と目に付くのは当然かと思うが、片や黄金の輝きを放つ傑物。普通の人間ならば霞んでしまう。
しかし、彼は普通の人間と言うには優秀だった。
氷川日菜が目立ち理由の一つが愛らしい容姿もあり、双子の姉である彼女の見栄えも良い。
能力も優秀だ。彼女のクラスは純心の強いカリスマ性で技量が並外れだが、紗夜はその中でも飛び抜けている。
はっきりとした位置づけで語るならば純心、日菜に次ぐ実力者だ。
極めつけは二人の天才に臆することなく接していることである。
妹である日菜には当然かもしれないが、大人ですら畏縮する純心にも彼女は平然と接していた。周りは天才の身内がいるから耐性があるのだと思い、その考えは遠くない。
──紗夜が純心と学級委員となったのは、あの本の貸し借りの件からすぐ後の頃。
最初は実力で男子代表を純心。女子代表を日菜にしないかと話があった。
だが、日菜に協調性や統率力を求めることができず、また本人にやる気の欠片もなかった。
そこで日菜の口から姉が去年も学級委員の経験があると話が出てきて、それを聞いた純心がならば共にやらぬかと誘ったのだ。
その一瞬に紗夜は周囲の女子からの嫉妬を浴びる。
気が重くなって辞退しようと紗夜は考えたが、彼女に嫉妬を向けた女子たちは誰も純心と共に仕事をする勇気がなく、結局学級委員をすることになった。
紗夜は良くやっていた。
他の者ならば潰れかねない純心との共同作業を彼女は何とかついていっている。
最初の一ヶ月は純心のペースに四苦八苦していたが、次の月には要領よくこなしていた。
寧ろ、純心の実力が高いことを良いことに上級生学級委員の一部が無理難題を押し付けてくるのを紗夜が抑制しているのだ。
自由奔放な妹と違い、姉の紗夜は規律と正義を重んじる。
相手が先輩や教師であってもそれは変わらない。理不尽な要求には正論を持って打破し、革新的な純心の行動や計画も誰より先んじて全うしている。
よって、紗夜の評価も高くなる。
傍から見たら紗夜は純心の秘書、あるいは懐刀のように見られていた。
一部では純心と紗夜は付き合っているのではないかという噂されている。
──無論だが、実際のところ事実は異なる。
紗夜自身、純心と共に学級委員をやっているというよりは、周りに言われている通り彼の秘書でもやっている感覚ではあった。
自らそう望んでいた訳ではなく、如何に効率よく純心と働けるのかと模索した結果、今の状態に落ち着いたわけだ。
そのように見られることに不満がないわけではないが、担った以上、責務を全うしようするのが氷川紗夜という少女なのである。
八歳にして責任感が強い。でなければ、学級委員になった最初の数日で泣き逃げている。
そして、一部の噂されている純心との関係だが、紗夜の耳に入ってきては下らない妄想の範疇だと彼女は一蹴していた。
他の人間と比べれば確かに話したりするが、半分以上が学級委員の仕事話で残る僅かなものは単なる日常会話。期待するような色彩豊かな思い出などない。
そもそもな話、小笠原純心という少年は総てを平等に愛している。
聖人悪人の区別はなく、また友人他人血族の区別もない。特別な例外は存在しないのだ。
「ですから、私から言うことは何もありません」
昼休みの中頃。
紗夜は花を摘み終えた矢先、見覚えのない同級生に呼び止められた。
先の言葉は話を聞いてから出た、紗夜のものである。
「そう。なら氷川さんは本当に付き合ってないのね?」
「他の方々にも同じ確認をされていますが、その通りです」
うんざりしながら百回以上繰り返したのではいかと思う台詞を吐き捨てる。
学校で紗夜自身に見覚えのない話しとなれば大抵が妹の苦情か純心とのことだ。
日菜の苦情に関しては、不満が大いにあるが姉なので解る。
純心のことに関しても学級委員に関することなら許容範囲だ。
しかし、純心に告白するのに自分との関係を毎度確認されないといけないかが解らない。
この質問が始まった頃はあまりにも同じ事を聞かれたので憤りを感じた。だが、返ってことを荒げることになると気づけば、坦々と対処するよう変わる。
今の相手も平然としている紗夜を見て、納得したように彼女の前から立ち去った。
これから、あるいは放課後でも彼女は純心に思いを告げるのだろう。
結果は目に見ている。
彼は万人を愛している。請われれば付き合うだろう。
だが、その先は破滅だ。誰彼構わずその愛を受け入れ、与える彼は只一人を見ない。
満足する者もいれば、満足しない者もいる。どちらも最後には碌な目に合わない。
それを解っていながら告白する女子が後を立たないのは、彼の魔性染みた魅力のせいだろう。
在校生で上級生から告白されたことは勿論のこと、噂では他校の中高生、教師まで彼に堕ちたという話だ。そして、その誰もが彼の愛を知り、受けきれず、自壊していった。
そのこと紗夜は純心を女の敵、とは考えない。
八方美人とは違うが、そのような男に自分達から近づいた女達の自己責任なのだ。
彼は性質が悪いが、誠実なのだ。それを勝手に期待し、勝手に壊れる者達の方が愚かだと思う。
さて、今回はどうなるのかと紗夜はついさっき会った相手に冥福を祈った。
二学期になると季節は日が沈むのが早い。冷えた空気が漂い始めた寒露である。
夕焼け色に染まった教室で、純心と紗夜は向かい合わせで作業をしている。
これは学級委員の仕事。近々、始まる体育祭での段取りだ。
段取りといってもクラスですることは参加種目決めと、割り振られた係を決める。後は競技対策ぐらいだ。
単に各自やりたい種目をやりたい人間にやらせるだけなら簡単だが、誰もが体育祭に積極的ではない。
予め此処の体育での成績や所属運動部での成果を調べ上げ、適材適所を振り分け置いてから会議で纏める。その方が時間の効率もよく、成果も上がりやすい。
人がいない教室での作業は外野からの視線を避けるため。
誰からがいれば余計な口出しが入るかもしれないと純心が危惧したことなのだが、紗夜からすれば彼に意見を言えるクラスメイトなど自分の妹しかいないと内心で考えていた。
「あとは、これで終わりです」
「そうだな。では、櫻井教諭に報告して今日は帰宅しよう」
前もって調べていたので、体育祭の内容を纏め上げるのは簡単だった。
あとはこれを帰る前に担任に報告し、明日のHRで話すだけである。
そのまま二人は共に教室から出ると、紗夜は昼に見かけた顔を見つけた。
少女は二人、正確には純心の顔を見ると、頬を染めながら話があると切り出した。
「それなら私が櫻井先生に報告してきます。では」
解っていたことなので紗夜は純心の反応を待たず、そのまま早歩きで去る。
他人の告白に聞き耳を立てる趣味はない。
そのまま紗夜は職員室で担任に報告し、あとは帰るだけだと下駄箱に向かった。
──すると、下駄箱の前に先程別れたはずの純心が一人で立っていた。
まるで待ち構えたように彼は紗夜を見つけると、いつも通り絵になる笑みを浮かべる。
「先程は気を使わせて悪いことをした。謝罪しよう」
「いえ、かまいません。ところで彼女は?」
「帰ったよ。期待させて悪いことをしたが彼女の申し出は断わった」
聞いて、紗夜は僅かに驚く。
その言葉だけなら理解できないが話を理解している彼女が聞けば純心は告白を断わったようだ。
今まで何度も告白を受けては破局していた彼だが、考えを改めたのか。
「──何より今日、告げると決めていたのでな」
沈んだ日によって茜色に染まっている昇降口には彼と彼女しかいない。
窓の向こうから部活に励む賑やかな声。
すぐ傍の喧騒であるはずなのに、遠い景色の響きのように耳に届く。
少し窓が開いていたのだろう。
黄昏時、ふわりと風が吹くと、紗夜は揺れた髪をそっと抑えた。
「紗夜」
純心に呼びかけられる。
そういえば。
こうやって名前で呼ばれたのは初めてではないかと。
紗夜が薄っすら疑問を抱くと、純心の唇が動く。
「卿に恋をしている」
──彼女が何を言われたのか、理解するのに時間が掛かった。
徐々に頬を赤らめる少女に彼は優しく微笑む。
「マイン・ゲッティン。どうか壊れず、この思いを受け取ってくれ」
笑いたければ笑えばいい。それはまるで、誰かが幾度も繰り返した言葉を真似ような台詞。
だが、彼に後悔はなく、偽りない本音だ。
総てを愛している男は、たった一人の女に恋をしたのだ。
小三です。