感謝と申し訳なさ一杯です。
──卿に恋をしている。
──マイン・ゲッティン。どうか壊れず、この思いを受け取ってくれ。
黄昏時、金色と灼色が混じった輝く廊下にて、突如たる告白。
氷川紗夜にとって、思いを告げられるのは、初めての経験だった。
しかも、相手は学校全体で絶対的な存在感を放つ少年、小笠原純心。
聞くだけで酔うような声で熱も帯びるのも致し方もなく、 彼女の火照った体を冷たい風が撫でた。
「あ────」
光を灯った瞳を向けられ、ようやく反応できたのがこれだけ。
放心状態の紗夜に、純心は吐息混じりの笑みを零す。
「そう固まらないでくれ。元より此方の思いを一方的に伝えただけ。求めることは何もない」
「と、言われましても……」
紗夜はどうしたら善いか解らない。
彼女にとって、彼の告白は戸惑いしか生まなかった。
そんな乙女の内心を見透かしながら、純心は慈しむ目を逸らしはしなかった。
「困らせたのは詫びよう。だが、先程の言葉は虚言ではない。それだけは理解してくれ」
「……わかり、ました」
「感謝する」
搾り出した紗夜の返答に純心は満足する。
その姿に改めて彼に告白されたのだと自覚した紗夜は、体の熱を上げた。
「卿を困らせたこと、重ねて詫びよう。だが、伝えらずにはいられなかった」
すると純心は左腕を上げて、紗夜の顔に手を伸ばす。
触れられると思い、紗夜は瞼を閉じて身構える。
だが、一向に伝わらない感触。
視界を開くと、純心の手の平は自分の頬に触れる寸前で静止していた。
まるで、触れれば壊してしまいそうだと気づき、直前で止めたような手。
いつも自信に満ちた瞳は憂いた色を写しており、先程とは違った胸の鼓動を紗夜は感じた。
儚げな姿を見せながら、力強い声で純心は言葉を出す。
「これは意思表明であり開戦の狼煙だ。宣戦布告、卿の心を私は必ず振り向かせてみせよう」
純心は宣言した後、紗夜の毛先にも触れず伸ばした手を引っ込めた。
「ではな、氷川。また明日」
そう言い残し、純心は何もなかったかのようにその場を立ち去る。
残された紗夜が我に帰って動き出したのはしばらく経ってからだった。
それから紗夜は自分がどうやって家に帰ったのか覚えていない。
気づけば自分のベットの上で薄暗い天井を見上げていた。
帰ってきたら日菜に話しかけられたりしたが、疲れているからしばらく一人にしてと言って、姉妹共用の部屋で明かりもつけず閉じ篭もっている。
時計の音だけが響く薄暗い中で眠ることなく、覚醒された瞳で薄暗い闇を見つめていた。
ふと、紗夜は黄昏で起きた出来ことを思い返し、再び熱と戸惑いを生じさせた。
純心という男に『愛』を囁かれたのならば平然といれただろう。
何故なら彼は総てを愛している。
彼の愛に喜ぶ乙女たちは夥しい程いるが、彼の愛は遥か地平線の彼方まで等価値。
それゆえに彼の愛は価値があり、それゆえ彼の愛は無価値なのだ。
其の他有象無象と同列にされても感受する人間は、純心という魔性に堕ちた信者に他ならない。
しかし、そんな純心が紗夜に『恋』をしていると告げた。
恋とは好意以外何物でもない。
愛もまた好意ではあるが彼が普段から歌う広大な愛とは違い、深く切実な熱を感じた。
もしかしたら、彼が言った恋と愛に違いはないかも知れない。
それでも確実に解ることは、小笠原純心という少年は氷川紗夜という少女を好いているということ。
紗夜はその好意をどう受け止めて良いか解らない。
喜びは持てそうにないが、迷惑と切り捨てることもできない。
紗夜にとって純心という少年は特殊な価値観を持った妹以上の傑物。
豪胆であるが実直である。無頼が多い周りの男子と比べて責任感が強く、大人顔負けの強固な意思を持った少年。
そんな彼に自分が隣にいることなど紗夜には想像もできない。
彼の好意を受け入れるということは当然恋人になることだろう。
考えただけでの自分では釣り合いが取れていないと断言する。
第一に、恋愛感情のない相手とそういう関係になるこは考えられない。
相手を知らなくとも、その姿だけで喜んで彼の求愛を受け入れる少女淑女は数え切れないだろうが、生真面目な紗夜には無理な話だった。
これが妹の日菜ならば天才同士、変わり者同士お似合いだと紗夜は思う。
彼女が知る限り、二人は頻繁に話すことはないが、意気投合していた。少なくとも紗夜にはそのように見えていた。
仮に告白されたのが日菜ならば恋愛的感情がなくても、好奇心で付き合っていたのだろうか。
「おねーちゃん、そろそろご飯だよ」
日菜のことを考えていれば、丁度本人が遠慮がちに扉を開きながら呼びかけてきた。
自分の部屋でもあるのに気を使って入ってこない妹に罪悪感を抱きながら、紗夜は身を起こす
「わかった。リビングに行くわ」
「大丈夫? 疲れているならご飯ができるまで、まだ休んでていいよ」
普段は他人のことなどお構いなしに行動する日菜が紗夜に気を使って殊勝である。
胸がちくりと痛む。
紗夜は日菜のことが苦手だが、妹にそんな顔をさせたいわけでない。
「平気よ。すぐ行くわ」
心配させたくないのか。それとも姉として弱いところをあまり見られたくないのか。
どちらか解らない感情で、紗夜は強気な態度を見せながらベットから起きた。
だが、日菜はそんな紗夜の顔をじっと見つめる。
生まれてから傍にいる存在なのだ。片方が虚勢を示しても看破して当然である。
「無理しないで。学級委員の仕事で疲れているならリビングに行ってもお母さんの手伝いはしなくていいからね。お母さんには私から言っておくから」
「そんなことしたら後で私が文句を言われるわよ。妹にばかり働かせて自分はサボるなとかね」
実際、彼女たちの母親は紗夜が日菜よりも遅く帰ってきた理由を知っている為そんなことは言わないのだが、普段から妹と比べられている紗夜からは悲観的な想像しかできなかった。
「うーん、でも……」
それでも引き下がろうとしない日菜を見て、紗夜は考えた。
自分の顔が酷いことは自覚している。
仕事で疲れているのは嘘ではないが、ここで無理をしていないと言っても信じてはくれないだろう。
「日菜、あなた告白されたことある?」
ならばと、紗夜は一層のこと白状することにした。
聡い日菜ならば何れ解るはず。その時に騒がれたほうが迷惑だ。
それに自分自身誰かに話してみれば考えを整理できると思ったからである。
突然そんなことを尋ねられた日菜は案の定、狐につままれたような顔をした。
「え? ないよ。どうしたの突然」
「私、今日されたの」
「えぇえええっ!?」
すると日菜は暗雲な顔を晴れさて瞳を輝かさせる。
期待を
「誰? だれ? ダレ? 誰に告白されたの!?」
「小笠原さん」
「おがさーと!?」
ぼそりと相手の名前を告げると日菜はより一層驚いた。
なお、日菜は小笠原純心を『おがさー』という愛称で勝手に呼んでいる。
純心は数々の敬称や渾名がある、馴れ馴れしい愛称で呼ぶのは日菜くらいだろう。
予想以上の反応に母親から五月蝿いと言われないか心配した紗夜だが、注意する声は聞こえてこないので一先ず安心する。
「あまり騒がないで。お母さんに怒られるわよ」
それでも、次の瞬間にはそうなることを恐れて紗夜は日菜を嗜める。
日菜も母親に怒られるのは嫌なので、大きく開いた口を両手で抑えてコクコクと頷いた。
しかし、日菜が抑えたのは声量だけでテンションは鰻上りである。
「けどけど、おがさーに告られるなんて流石私のおねーちゃん! あれだよね?
おねーちゃんが態々告白されたと言うからにはおがさーがよく言っている『私は総てを愛している。ゆえに卿も愛しているとも』とかじゃないよね! なんて言われたの?」
「えっと、『卿に恋をしている』『マイン・ゲッティン。どうか壊れず、この思いを受け取ってくれ』だったかしら」
思い出しながら答えると日菜は「おお」と感心した。
日菜は暇つぶしで色んなことに手を出しており、その中には辞書の多読もある。
外国語の辞書も手を出しており、既に三か国語ほどの簡単な会話や単語を知る日菜は純心が言った言葉の意味が解った。
「やっぱりおがさー、キザイねぇ。 マイン・ゲッティンってドイツ語で私の女神でしょう? 他と違って面白いなー!」
なお、3ヶ月後に日菜も平凡な男子生徒から告白されるのだが、あまりにも普通の人間からの普通な告白であり、紗夜と比べて落胆し、その男子生徒は一生立ち直れない傷を負うの余談が待ち構えてたりする。
「ドイツ語。小笠原さんはドイツ人とのクォーターだったからその影響かしら。けど、女神なんて」
言葉の意味を知って更に恥かしいなった紗夜。
顔を赤らめた姉に気分を高揚させた日菜は興味津々で彼女に尋ねた。
「で、どうしたの?」
「? どうって?」
「告白されたんでしょう? OKしたの? それとも断わったの?」
「…………。どういう扱いになるのかしら。少なくとも彼と付き合うことはないわ」
「なら、断わったってこと?」
「いえ。はっきりと彼の気持ちを断わったわけでないわ。彼はそもそも私に、そ、その好意を言っただけで、交際を申し込んだわけではないの」
「好きって言っただけ?」
「そうなるのかしら。あとは私の心を振り向かせると言い残して帰ったわ」
「なるほどなるほど」
言葉に表すならば告白の件は保留になるのだろうか。
日菜は両腕を組みながら純心の行動を考える。
「契約申し込み前の交渉段階ってとこだね。そこらへんの男の子たちなら大して好感度上げてないのに突撃玉砕なのにおがさーはちゃんと企んでるね。おねーちゃんはこれから大変だよ」
「どういう意味かしら?」
「だって、おがさーはこれからおねーちゃんに好きになって貰うためにドンドンアプローチするってことだよ! あのおがさーだから子供染みたことはしないと思うな」
「うっ!」
日菜に指摘されて紗夜もその考えに至った。
相手は小笠原純心。
物の考えと行動は普通の小学生ではない。むしろその辺の大人たちより型破りだ。
明日、自分の机の上に薔薇の花束が飾られていても不思議ではない。登校、あるいは下校する紗夜をリムジンで待ち構えてお出迎え。豪華な貴金属を貢ぎ、夜景が見えるレストランを貸切にし招待する。そのような行動に出ても純心なら不思議でない。
言っておくが、純心の家は名家であるが金銭を湯水のように使える大富豪でない。
他の一般家庭よりは資産がある家柄ではあろうが、その子供が自由に使える金額など高がしれているだろう。
しかし、純心ならば在りえる。
無論、金で物を云わせた行動だけでない。事あるごとに紗夜に接触して過剰な行為を実践することもあるだろう。
紗夜は昔に日菜と見たことがあるアニメを思い出した。
学校を牛耳る金持ち四人組の一人がヒロインの少女した行動の数々。他の男と旅行するヒロインを追いかけて豪華客船を貸しきったり、自分の家のメイドにしたり、ヒロインの仲を認めてくれない母親に反発して実家から出たり破天荒の数々。
その男は横暴な人間のため最初は好きになれなかった紗夜だったが、最後までくると純粋で嫌いになれないと評価に落ち着いた。
しかし、彼女は自分がヒロインがされた行動をされるかもしれないと考え、頭が痛める。
「日菜、明日学校休もうかしら……」
「ずる休みは駄目だよ、おねーちゃん」
普段注意する妹から尤ものなことを注意された姉であった。
翌日、紗夜は危惧して日菜が期待したようなことは起こらなかった。
「ごきげんよう。氷川紗夜に氷川日菜。今朝も良い日差しだ」
「おっはよー!」
「……えぇ、おはようございます。寒くなってきましたから天気がいいと助かりますね」
告白された昇降口で偶然、氷川姉妹は純心と遭遇しそのまま普通に挨拶をする。
「今日はHRで体育祭の話をするが、念のために確認するかね?」
「そうですね。もう一度軽く準備しても損はありません」
そのまま歩きながら事務的な会話を始める純心と紗夜。
何かを期待していた日菜は味気ない仕事の内容に加えて会話に交じれないことに拗ねる。
紗夜と言えば、一先ず過大なアプローチはないと安心した。
だが、油断大敵。如何なるときに純心からの求愛が来るか解らないのでせめて覚悟だけは怠らなかった。
しかし、紗夜の不安は他所に、純心は前々からと変わらない態度で彼女と接していた。
二、三日過ぎると紗夜も緊張の糸は解け、疑念は完全に拭えないものの純心との会話は普通にでき普段の日常生活に支障はきたさなかった。
日菜といえばそんな二人を不思議そうに見つめる日々。純心が以前と同じ対応を紗夜にしているため、周囲の人間も特別騒ぐことはなかった。
そして、純心の告白からしばらく経ち、その日は訪れた。
風が強い日である。
まるで嵐でも近づいているのではないかと疑うような猛風。木々は最後の枯れた木の葉を散せ、地面からは土埃が舞っていた。
寒気に晒されながら、総勢824人。軍隊で例えるならば大隊に相当する人数だ。氷川姉妹と小笠原純心が通う小学校に在学している半数の生徒が一人の男の前に整列していた。
「卿ら──」
彼らの前に凛然と経つのは光の君、小笠原純心。
風に黄金の髪を靡かせながら、彼らの代表として告げた。
「人は平等ではない。生まれ。育ち。持った資質。予め決まっており、それを乗り越えるこそが努力、研鑽だ。だが、同じ時、同じ血を流しても、持ったものには届かない。
この戦い、我々は敗北者として定められている。卿らも解っているだろう。総力で我々は相手に劣っている。何故なら持った力量が違うからだ。
中には彼らに勝るものもいるだろう。だが、全体に置いて局地での勝利は意味がない。
戦とは大局を覆してこそ勝利なのだ。今現在、我々は敗北者と定められた
それが口惜しいと──思うか否か。覆したいと──思うか否か」
傲然で轟く純心の声はその場の全てに届いていた。
お前たちの努力は無駄だ。この戦いは始まる前から決まっている。
それは圧倒的な切言は耳にする者の脳を侵食していった。
魔性のカリスマを持つ男の声だ。半数は彼より歳上であっても自然と屈服する。
彼こそが心理であると傅く。
純心が命ずる。
「思うならば、抗え」
不遇の戦いに身を投じたくなければ、己の魂を焦がせ。
「根性論。気合。心行きだけで総ては変わらん。だが、始まりは常に其処からだ。
誰かに勝りたい渇望。誰かよりも先に行きたい渇望。勝利に飢えた渇望。運命などという枠組みから脱却したければ、在りえぬことを在りえると思え。
卿ら───何を欲する?」
答えは尋ねられるまでもない。
それを求めるためにこの場にいるのだから!
『
「承諾した」
万雷如き怒号を受けて、不気味なほど整った美顔が妖艶に微笑む。
「卿らに勝利の道を指し導こう。ない道なら壊して作るまで。共に行かん、栄冠の頂へと」
『
そうして、運動会が始まったのである。