【音楽雑誌ラメンドから──とある天才少年ピアニスト・インタビューより抜粋】
ピアノをしていて良かったことですか?
うん。僕にとってピアノとは人生そのものですからね。
ピアノしていて良かったことと聴かれても、ピアノをできて良かったとしか答えられません。
得をしたことを無理に言うなら、こういう雑誌のインタビューで仕事を貰えることでしょうか。
僕は幾つがCDを出したり番組を出させて貰ってますので、同じ年頃の子達と比べると収入がありますが、安定しているわけではありません。
将来のことを考えて、貯蓄はできるだけしたいですね。いきなり海外ツアーしたくなるかもしれませんし(笑)現実的にいえば、海外留学とかですか。
ああ、そういえば。
ありましたよ、ありました。ピアノをしていて良かったこと。
僕が小学校頃にある凄い同級生がいたんですよ。
言ってはなんですが、僕、結構良い学校通ってたんです。
その中でも一番優秀な子達が集められるクラスにいたんですよ。
向こうは覚えてないと思いますが、その中に今売り出し中のアイドルバンドの子もいましてね。
ああ、ちなみに凄い同級生っていうのはその子じゃないです。その子も他と比べて飛び抜けていましたが。
なんというか、その人は色々と規格外でして、同じ年頃の子とは一度も思えませんでした。
クラスや学年どころか学校全体のリーダー、みたいな。先生でもあの人に意見を言えたのは担任の先生だけでしたよ。
学校に通っていた殆どの子があの人に何かしらの感情を持っていたでしょうね。
僕の場合は尊敬ですが、中には心酔したり自ら従僕したりする子もいました。
あまりにも凄すぎて怖がっていた子もいましたよ。
この話をすると大抵の人が話半分にしか信じてくれないし、実際、彼に会わなければその凄まじさを本当に理解できるはずもない。
だから、あの時期は怖かった──。
学校の定番行事といえばまず最初に文化祭。次に運動会だろう。
尤も文化祭を行うのは大半が高校であり中学校でしないとこもある。小学校に関してはやるところが珍しいほうだろう。
他にも行事が幾つかある。文化祭をやらない小学校ではお祭りや学芸会などが行われ、体育会とは別に球技大会や町内マラソン。春には新入生歓迎会。冬にはクリスマス会をする場所もある。セレブ学校では近隣学校との親睦パーティーや新入生歓迎会とは別に懇親会など学校によって様々だ。
運動会を終えたとある小学校も次の行事に向けて準備を行っていた。
定番の行事が一つ、音楽会。
先の運動会では宛ら合戦の如き熾烈極まる闘争を繰り広げていた生徒たちであるが、次の音楽会に向けては滾った血潮を和らげ、穏やかに練習に励む日々を費やしていた。
とある学年を例外に除けばであるが。
今日の講堂は音楽会の練習で三年生が貸し切っており、今まさに演奏の
だが、小学生の演奏にしては重々しく、厳格な音楽だった。
荘厳で冷徹な調べ。聴くものは圧倒される音圧。
嘆くように慟哭する
風より駆け抜けて疾走する弦五部《シュトライヘル》。
終末を告げる角笛が如き
杲々たる音色は一切不要。深遠からの
響き説くは終末の予兆。
皆、平伏し、知るがいい。ダビデとシビラの預言の通り、世界が灰燼に帰す。
どれほど逃れようが審判者は訪れ、等しく総てが厳しく裁かれる。
我らが楽団より響き渡れ、死の号砲よ。恐怖に怯えし者共よ、慈悲深き眠りと復活を。
量りしてぬ恐ろしさを讃えよ。
──しかあれかし。
「
威容な演奏は一人の少年の言葉によって中断される。
安心した吐息が隅から聞こえた。生徒たちの演奏に気を飲まれていた担任教師たちだ。
逆に演奏を中断された生徒たちは緊張した様子。何人か生唾を飲み、全員の視線が一人の少年に向けらていた。
演奏を指揮していた
「私は卿らを賞賛している」
言葉とは裏腹に彼の声は冷たかった。
氷を抱きしめたほうが平気だと思わす冷ややかさ。重圧。息苦しさで眩暈を起こしている者さえいた。だが、逃げられない。堕ち掛ける意識は目の前にある存在感で無理矢理引き上げられる。
陰々滅々とした声で純心は言葉を続けた。
「演奏を始めてから数ヶ月。初めて楽器を手にする者もいる中、よくぞ此処まで出来るようになった。これらは総て、卿らの努力の賜物に他ならない」
音楽会は各学年と音楽系部活に分かれて演奏し、
音楽に精通している生徒が全くいなければもう一つの曲も学校側が決めるが、学年に数人くらいは音楽に関係しているので実例は少ない。
この学年の生徒たちも音楽に精通しているものは多く、特に先程までピアノを弾いていた少年はコンクールで入賞を何度も経験している。
だが、今回の中心になっているのは運動会でも組代表を務め、指揮者を担当する黄金の獣のこと小笠原純心であった。
理由は彼が指揮者をした方が一番見栄えするという多数決である。
次に彼は何故かクラシック曲に精通しており、他に音楽へ携わる生徒たちと話し合って自由曲が決められた。
曲はオーストリアの音楽家、三大巨匠の一人であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの有名なものを合奏。
バイオリンを始めとした弦五部やティンパニなど初めて楽器に触る者が多かったが、半数以上は声楽を担当して器楽はできる者、あるいはできるようになった者がすることになった。
小学生の楽器といえばリコーダーや鍵盤ハーモニカをイメージするだろうが、その二つ以外で演奏すること自体も珍しくはない。オーケストラ宛らの演奏も既に一つ、二つ上の学年が去年の音楽会でやっているので異例でもなかった。
異例であるのは三年生たちが代表に選んでしまった小笠原純心である。
総てを愛しているという思想から勘違いされやすいが、純心は総てを赦す平和主義者ではない。
人並みの善悪の区別はあり、過ちや悪行は咎め、その上で愛しているのだ。
そして、何故だか彼は音楽に強い関心があり、音楽に精通するものすら舌を巻くほど理解して、愛してもいる。
何が言いたいのかと言えば、小笠原純心という少年は音楽に対して滅茶苦茶厳しかった。
「だが──失敗が赦されるわけではない」
この言葉で震え上がらなった人間の方が少ないだろう。
泣きそうな子供もいる中、嗚咽で彼の言葉を妨げることはできない。
皆、厳粛に諫言を聴き受けている。
「失敗は赦されるなど唾棄すべきだ。失敗からの成功は勿論ある。しかし、それは時と場合だ。
戦場で味方を誤って撃ち殺しても良いのか。単なる戯れで人を殺しても良いのか。人生を決める勝負で敗北しても良いのか。
良いわけがあるまい。たった一度の失敗だけで総てが終わりになることなど幾らでも存在する。
此度の音楽会もその一つだ。本番で失敗しても罰されることはないだろう。
罰されないということは赦されない。汚名返上の機会があるかもしれんが、そんなものは偶然舞い降りた奇跡に過ぎない。奇跡に縋るな」
反論する声は上がらない。
たがか音楽会でと、彼の前で言えるものは誰もいなかった。幾ら鼠が叫んだところで、獅子の咆哮には敵わないからである。
一時期は純心が唯一特別視している氷川紗夜に助け舟を求めようとしたこともあったが、生真面目な彼女は厳しい姿勢に異を唱えることはない。
むしろ賛同しており、共感している。好感度の増しだ。純心の恋愛は順調のようである。
誰も助けるものはいない。しかし、逃げ出す者もまたいなかった。
彼らが純心に抱いているのは恐怖ではなく、畏敬の念が強い。
畏れているが同時に敬っているのだ。
そして彼は自分たちを期待している。そうでなければ褒め言葉一つも出てこず、練習している曲も難易度が低いものへとすぐ切り替えているはずだ。
何より彼を担ぎ上げたのは自分たち。ならば彼の期待に応えるのが責務である。
至高の黄金を讃えるならば、それ相応の覚悟と力が必要なのだ。
「百奏でれば、百やり遂げよ。では再開だ。卿らの音で怒りの日を奏でるがいい」
『
「失敗すれば自分は朽ちた楽器になり果てるのだと、そのような気概を持って挑め」
え、なにそれ怖い。
しかし、結局はこの学年の殆どは純心を敬っているので、既に手遅れなのである。
恐怖を抱えながら今日も三年生たちは音楽を奏でるのであった。
「やっと練習が終わったよ~」
講堂を出ながら氷川日菜が疲れた顔で背筋を伸ばす。
「何度も同じ曲ばっかり演奏してつまらないなぁ」
「仕方ないでしょう。皆、貴方とは違うんだから本番で失敗しないように練習は当然よ」
妹の愚痴に対して、苦言を零す紗夜。
練習が始まってすぐ、日菜は課題曲を一日で出来るようになった。その日に初めてバイオリンを触ったにも関わらずだ。
対する紗夜もバイオリンを担当しており、最初の日菜と同じように出来るまで二ヶ月かかった。他の子と比べても上達は目を見張るものがあるが、まだ失敗することがある。
練習中でミスを犯さなかったのは日菜とピアノ担当の少年だけだ。
それ以外の者達は一度は指揮者の純心に注意されている。それは紗夜も例外ではない。むしろ特別扱いをして不問にすれば周りから顰蹙を買うし、そんなことしたら彼女の好感度も下がる。
純心はプライベートと仕事は分ける男なのだ。毎度の事ながら小学生には思えない。
けれども、注意される機会は全体的に少なくなっている。本番前にはトラブルでもない限り演奏で失敗することはなくなるだろうと紗夜は見立てだ。
だが、気の緩みは失敗に繋がるだろうと戒める紗夜は、この後個人練習をするつもりである。
練習中で使っているバイオリンは学校のものであり、持ち出すことはできない。仮に持ち出せても防音設備が整っていない屋内でバイオリンは練習できないだろう。
音楽室や講堂は音楽関係の部活か事前に予約した他の学年が音楽会に向けての練習で使用している。しかし、学内であれば今の時期、空き教室で借りた楽器を使い練習して良い許可が下りていた。
今日は宿題が出てないので放課後になるまで、紗夜は空き教室で一人練習しようと考える。
紗夜が一人でいると決まって日菜か純心がやって来るが、今回は断固として自分一人で練習する所存だ。
妹には負けたくないし、あの少年にみっとも無い姿を見られるのは何となく嫌になる。
「ねぇねぇ、おねーちゃん! ずっと同じ曲ばっかりで飽きちゃったし、音楽屋さんに行こうよ」
「…………。何をしに?」
内心意気込んでいた紗夜に妹から水が刺された。
「そりゃあ、違う曲も耳に入れないと頭が可笑しくなるからだよ。実際、同じ音楽を永遠に聴かせるのは拷問になるんだよ」
「そう、初耳ね。なら、家に帰って一人で行きなさい。私は学校で練習するから」
「ええ!? 一緒に行こうよぉ!」
駄々を捏ねる日菜。この妹は練習もさせてくれないらしい。
「一人で行けばいいじゃない」
「やだ! おねーちゃんと行く!」
人目を気にせず日菜は我侭を叫ぶ。二人の周りには同じ学年の生徒がおり、僅かに視線も集まってきた。
このまま突っ撥ね続ければ自分が悪者になってしまう。
疎ましく思いながらも、涙目になっている妹を見て観念した。
「──わかったわ。でも、家に帰ってからね」
「やった! おねーちゃんとお出かけだ!」
先程までの泣き顔は嘘だったように笑顔になる日菜。
あまりにも嬉しそうにはしゃぐ妹を見て、紗夜は知らず知らず頬を緩める。
苦手意識を抱いていても──
紗夜の言葉通り、一度家に帰ってから改めて出掛ける二人。
「それで音楽屋さんと言ったけど具体的に何処に行きたいの? あまり遠い場所は駄目よ」
保護者抜きで出掛けることは度々あるが、子供だけでの遠出は親から禁止されていた。
好奇心旺盛の日菜はよくそれを破ることがあるが、姉である紗夜は言いつけを守っていた。以前、純心の手で遠方のテーマパークに連れて行かれたが、本人の意思は無関係なので無罪だと主張する。
「駅近くにある大きなビルのとこの! 前々からどんな場所か気になってたんだ」
「態々専門店に行くの?」
てっきり近所のミュージックストアに行くかと思った紗夜だが、日菜が言ったのはCDやMVのDVDだけではなく楽器や音響機材も販売している専門店だ。
そこまで音楽に関心がないので行ったことはないが見覚えのある場所であり、距離もそこまでないので向かうことに問題はない。
「近くのお店だと在り来たりだし、折角だから行ったことがない場所に行きたいなって」
「……まぁ、いいわ」
少し考えた紗夜は日菜の提案に乗った。
無理に目的地を近所に変えたところで今更楽器の練習はできないし、そのような場所なら技術書でも置いてるだろう。買うお金はないが、バイオリンの練習本でも覗ければ紗夜の得になる。
「よーし、じゃあ出発進行~!」
日菜の掛け声と共に二人は目的の場所に向かった。
平日の夕方前だが、既に駅近くには学校帰りの中高生たちや帰社する労働者で人は多かった。
道中、逸れないよう手を繋ぎながら話し手は日菜で紗夜は聞き手に回りながら歩き、特にトラブルもなく目的地と辿りつく。
「大きいわね……」
「大きいね!」
二人とも同じ意味だが篭った念は違った。
通りかかって目にすることはあったが、実際入り口前まで来ると建物の大きさをより実感できる。五階建てのビルはその辺りのデパートより巨大な建造物だ。大人でも広くて高いと思うものは子供ならその倍は感じる。
日菜は見知らぬ大きな場所へ足を踏み入れることへ興奮し、紗夜は逆に圧倒され気後れしていた。
「日菜、離れて迷子になったらダメよ」
「うん、わかった!」
繋いだ手をぎゅっと強く握り締め、二人は同時に自動扉を潜った。
子供だけで来店してきたことへ少し驚く受付嬢を脇目に二人は案内板を眺める。
「ところで日菜は何処に行きたいの」
「う~んと最初はCDとか置いてる場所がいいかな」
「それなら近所のお店でも良かったじゃない」
「そんなことないよ。こんな大きなお店なら普段気にしないような曲や知らない曲が流してたり、紹介されているかもしれないでしょう。日菜ちゃんはそれを求めているのです」
「まぁ、いいわ。その後は書籍コーナーに寄ってもいいかしら?」
「うん、いいよ。もしかしてバイオリンの練習本でも見たいの? おねーちゃんはもう弾けてるんだから必要ないと思うんだけどなぁ」
「まだミスすることがあるわ。音楽の先生はバイオリンが解らないし、前々からバイオリンを習っている子も自分の練習があるから上達したいなら独力しないと」
「おがさーに教えて貰えばいいじゃない。おがさーなら喜んで教えると思うのにな。ていうか既に何回か教えてもらってない?」
以前にも説明したが、『おがさー』とは日菜が勝手に呼んでいる純心の渾名だ。
指揮者として選ばれた後に知れ渡ったことだが、小笠原純心の家芸には琴があるが彼自身は何故か純和風文化とは異なるクラッシクに精通していた。
殆どの楽器も扱え、特にバイオリンは名手と呼んでも良いほどの腕前である。
妹がその名を口にすると紗夜は微妙な顔を浮かべた。
「彼に教えてもらうと、その……偶に後ろから手を取ったりするから恥ずかしいわ」
「おお、まさに手取り足取りだね。イケメンじゃなかったらセクハラだよ」
「顔が良くてもセクハラよ」
「でも怒らないあたりおねーちゃんも満更じゃないじゃないわけだ?」
「教えてもらっている身だから我慢しているだけよ。彼自身も教えるときに邪な気持ちは出してないわ。そもそも彼がその気なら──」
そこまで言って面白そうにニヤニヤする妹の顔に気づき、彼女は口を閉ざす。
「──行くわよ」
「あぁ、引っ張らないでよ~!」
抗議する声を無視してエスカレーターに向かう紗夜。
そこで置いてけぼりにしないあたり、彼女もまだまだ優しい姉なのだ。
二人が辿りついたフロアは定番のCDが置いてある場所だ。
メジャーからマイナーまで。ジャンルも様々。CDは勿論、レコードもある。
BGMの他にも数多くの音楽がそこかしこから響いており、人も歩いているので店内で一際騒がしい場所だった。
「着いたけど、どうするの?」
「目的は音楽の探索だがらぐるっと回る。るんとしたものがあるといいな~」
るんとは日菜が良く使う独特の感情表現である。他にも色々あるが姉である紗夜も全て把握してはいない。
「好きにしなさい」
すっかり探検気分の日菜を自由に歩かせた。
まるで犬の散歩である。繋いだ手はリードというところか。日菜は犬よりも猫だが。自由気侭に生活するのが類似している。
日菜が道化師のようなバンドの店頭MVを足を止めて眺めてると、特に興味を持てなかった紗夜は何となく周囲を見渡した。
きらり。
人や商品で入り組んだ店内で輝いたものを彼女は見つけた。
先程噂をした故か、なんという偶然か。
少し離れた場所に見慣れた黄金の髪を目に映す。
「何を見ているの?」
姉がどこかに注視していることに気づいた日菜に声をかけられ、紗夜は我に返る。
「え? 別に。あそこに小笠原さんいたからちょっと驚いただけよ」
「おがさー? あっ、本当だ。やっほーおがさー!」
「ちょ、ちょっと日菜!?」
日菜に引っ張られ、紗夜は純心の傍に近づく。
呼び掛けの声で気づき、彼も二人の存在を知った。
「おや。斯様な場所で奇遇だな」
「そうですね……」
純心は二人と、特に紗夜に強い視線を送ると、嬉しそうに微笑む。
大人子供関係なく大抵の女性の心を射止める破顔。最近では慣れたが、日菜が原因とはいえ此方から急に呼びかけた事もあり、紗夜は恥ずかしそうに顔を背ける。
「私はおねーちゃんとお出かけしてるんだけど、おがさーは何しているの?」
黙ってしまった姉の代わりではないが、思わぬ場所で思わぬ相手と遭遇した日菜が興味深そうに尋ねる。
姉のこともあるが、個人としても日菜は小笠原純心に関心があった。
在り来たりなものを好まない彼女は規格外の純心は好感のもてる対象なのである。他の女子とは違って尊敬も恋愛感情もないが、興味を引かれるものといえば格別の存在だった。
「私は予約CDを取りに来ただけだ」
「なんだ、ふつーな理由だね」
「何を期待していたのか解らぬが、私も平凡な男だ。在り来たりな理由で店に来ることもある」
「う~ん。──なら、平凡な男の人におねーちゃんはあげれないね」
「ひ、日菜貴女はいきなりなに言ってるの!?」
悪戯を思いついたような顔でそんなことを言った日菜に人目憚らず紗夜は怒鳴る。
しかし、純心の態度は変わらず即座に切り返しの言葉が返ってきた。
「紗夜を娶るのに卿の許可は必要なかろう」
「め、めと!? 貴方も何を──」
「だが、卿の言葉も尤もだ。これからも精進をして、紗夜に相応しい男になろう」
「頑張ってね。私は努力したことがないから、どう頑張るのか解らないけど。おがさーならきっと、おねーちゃんのハートをトゥンクできるよ」
「貴方たちはさっきから何を意味の解らないことを言ってるの!?」
そもそも、既に人間の極地にいるような人間が何を努力するのか。自分が努力が足りない凡人と思っている紗夜には理解できなかった。
二人の傑物はそんな大好きな相手の反応を十分に楽しみつつも、これ以上すれば不機嫌になると悟っていたため別の会話を始める。
「ところでおがさーはどんなCD買ったの?」
「日本ではあまり知られてないが、海外のロックバンドだ」
「貴方たち、さっきから私を無視して──て、ロックですか?」
怒りがこみ上げていた紗夜だったが、純心の意外な言葉で冷静になった。
特別驚く内容でもないのだが、相手のことを知ってる紗夜はその異質さを不思議に思う。
「お家は琴。学校ではクラッシク。そして今回はロックと随分と幅が広いのですね」
「音楽のジャンルに差別はしない」
総てを愛しているゆえか、彼には特定のものに拘ることはなかった。
恋をした紗夜だけが例外なのである。
「邦楽やクラシックと比べるとロックサウンドは聴き慣れていないので新鮮さを感じるがね」
「貴方も日菜とは違った意味で手当たり次第ですね」
「卿らはロックに興味はないのかな?」
「私はあまり聴かないなぁ~。普段聴くのはアイドルの歌とかだよ」
「私は音楽自体学校で習うまで然程意識してませんでした。今は練習もしていることもあり、クラシックに少し興味を持ちましたが」
「ならば其処に今日、私が買ったものを試聴できる場所がある。最近は練習で同じ曲ばかり聴いて少し飽きてるのではないか? 偶には普段聴かない曲でも聴いて気張らしにするといい」
「おお! まさにそれが目的で今日ここに来たんだよ。おねーちゃん、一緒に聴こう!」
「私は────」
普段の紗夜ならばロックなど騒がしいだけだと断じて拒否していただろう。
しかし、目の前の純心に勧められたものを無下にすることは、彼女の中で拒否反応が出た。
彼の言葉通り、日菜ほどではないが最近は同じ曲ばかり耳にしていたので、偶には聴いたことない曲を耳にするのも良いではないかとも考える。
「そうね、なら少しだけ」
「では、こちらだ」
紗夜も提案を受け入れたので純心は二人に試聴方法を説明した。
日菜と共に差し出されたヘッドホンを頭につけて、紗夜は耳をすませる。
──始まりは雷撃の如き突然だった。
想像以上の激しい音に紗夜は驚くが、不快な顔はしなかった。
学校で練習している曲も豪快だが、耳から響き渡るサウンドは異なる熾烈を感じる。
粗雑だと思わせるが、楽器を練習したことで紗夜は流れる演奏が如何に精巧であるか理解した。
魂の叫けびで異国の言葉を紡ぐボーカルの歌声。深く支えるドラムとベースの律動。特に掻き毟るようで繊細なギターに惹かれた。
聴いたことがあるはずなのに、聴いたことがない。知らない世界に没頭した。
だが、それは唐突に終わる。
「──あれ?」
「うーん、偶にはこういう曲もぎゅいいんて来て良いね」
満足そうにヘッドホンを外す日菜の横で、紗夜はヘッドホンをつけたまま呆然とした。
「日菜は満足そうでなによりだが、紗夜はどうかしたか?」
様子が可笑しいことに気づいた純心が訝しんで尋ねる。日菜も不思議そうに姉を眺めいた。
紗夜は困ったような声を出す。
「曲、途中で終わってしまいました」
「あくまで店頭の試聴だからな。そういうものだ」
「そうですか。そういうもの、なんですね」
残念そうにヘッドホンを外し、元にあった場所に戻す紗夜。
そんな彼女に対し純心が探りなど入れず、すぐ核心を突く。
「この曲がそれほど気に入ったか」
「え? 私は別に──」
「奥ゆかしいのも魅力だと思うが、時には誤魔化することがそれの冒涜にもなることを知るがいい」
「!?」
「気に入ったのなら、気に入ったと認めればいい」
純心にそう言われた紗夜は少し押し黙った。
しばらくすると、彼女は名残惜しそうに先程までつけていたヘッドホンに触れる。
別にロックサウンドを聴くのは初めてではないのに、先程の曲を耳にした途端衝撃を受けた。
音楽会の練習で音楽に対しての意識が変わったのが発端か、激しいロックミュージックは紗夜の琴線に触れたのである。
少し前までロックなど粗野な雑音だと何所か軽んじていたので、自分でも偏屈だと思っている彼女は簡単に認められない。
しかし、純心に諭されると、不思議と本音が零れ落ちた。
「そうですね。気に入りました。まだまだ聴いていたかったですね」
「ならば、これを貸し与えよう」
その言葉を待ってたかのように、純心は手に持っていた袋と懐から取り出した円形の機械を紗夜の目の前に差し出す。
「それは?」
「卿が聴いてた曲のCDだ。私が買ったものを勧めたのだから手元にあるのは当然であろう。しばらくの間、このCDプレイヤーで聴くといい」
「──いえ、お気遣いしてもらわなくて結構です。貴方はそれを買いに来たのでしょう」
CDプレイヤーを持っていることを考えれば、彼は家に帰るのを待たずして曲を聴こうとしていたのだと解る。
それほど楽しみしていたことを、いきなり自分が奪うことは気が引けた。
聴いた曲が自分に衝撃を与えるくらい気に入ったことは事実だが、口惜しいが我慢する。
だが、紗夜の遠慮など純心には関係ない。
「惚れた女が欲しているのだ。ならば一秒でも早く満足させてやるのが男の役目だろ」
「小笠原さん……」
「借りるのが嫌であればこのCDは卿にそのまま贈ろう。プレゼントだ。CDプレイヤーは此処で新品のものを買い渡すことにして、私の分のCDは改めて買い直せばいい」
「何でもないのにプレゼントなんて貰えません」
観念した紗夜は困ったように頬を緩める。
「……私の負けです。素直に借りますね」
そう言いながら紗夜が差し出されたものを受け取ると、純心は満足そうに頷いた。
「うむ、素直でない卿も好きだが素直な卿も好きだぞ」
「まったく、貴方はすぐそういうことを言うんですから……」
人目もあるのに平気で求愛、いや恋する言葉を口に出す純心に紗夜は苦笑をする。
「じ────」
「?」
「じ──────」
傍らに視線を感じた紗夜が振り向くと、真顔で見つめてくる日菜に気づく。
紗夜は何処か居心地の悪さを感じた。
「日菜、なに?」
「別になんでもないよ。おがさー、頑張らなくても大丈夫そうだね」
「慢心はせぬさ」
「貴方たちは何を言っているの?」
二人の会話を意味を理解できなかった紗夜は首を傾げるのであった。
それから紗夜はロックに嵌った。テレビではよく音楽番組を気にするようになった。
妹と違って殆ど無趣味だった紗夜に彼女の両親は少し驚きつつも、静かに音楽番組を見ている彼女を微笑ましく見守る。
純心から最初に借りたCDは既に何十回も繰り返し聴いており、新たに借りたCDも何回も聴いた。
貸されたCDは海外バンドが多かったが、暇潰しで外国語を学んだ日菜に負けじと彼女も勉強していたので敬遠することなく聴き入る。
音楽会が終わってすぐ二学期が終わる頃にはすっかり紗夜はロックの虜になっていた。
──その日は二学期の終業式で学校が帰ってきた紗夜はすぐに家から出た。
理由は学校が一旦お休みになったので、長く借りたCDとプレイヤーを純心に返す為である。
真面目な彼女は一部の生徒が違反している娯楽品を学校に持ってくることはせず、律儀に学校外で渡すことにしたのだ。
空はまだ昼過ぎだというのに白い雲に覆われて薄暗く、呼吸をすれば白い吐息を簡単に見られる。
あと数日で年が変わる寒空の下、待ち合わせの公園に紗夜は辿りつくと相手は既に其処にいた。
彼以外に誰もいないので、黄金の髪は余計に目立っている。
「お待たせしました」
「いや、それほど待っておらんよ」
紗夜と同様、一旦家に帰ってからこの場所に来た純心は待ち人を迎える。
「早速ですがこれを。長い間、お貸しして頂きありがとうございました」
「私としてはそのまま与えても良かったのだがな」
貸したものが入った紙袋を受け取りながら言った純心の言葉に、紗夜は呆れた。
「以前も言った覚えがありますが、何でもないのにプレゼントなんて貰えませんよ」
「ああ、その言葉は覚えているとも。理由がない限り、卿は贈り物を受け取ってくれぬようだ」
そう言いながら純心は受け取った紙袋を引っ込めると、反対の手で小さな包装箱を取り出した。
「ならば、理由があれば問題あるまい。クリスマスプレゼントだ。聖夜ぐらい哀れな男からの捧げものを受取ってくれないかね、 マイン・ゲッティン」
そう、今日はクリスマス。二学期の終業式をこの日にする学校は珍しくもない。
思わぬプレゼントに目を丸くした紗夜は冷えた頬を赤く染めて、困ったような笑みを浮かべる。
「……ここで受取らないほうが失礼ですよね。わかりました。ありがたく受取ります」
「ああ、感謝するよ」
「何を言うんですか。お礼を言うのは私の方なのに。開けても良いですか?」
「勿論。それは既に卿のものだ」
紗夜は丁寧に包装を解くと、中には小型の機械があった。
何の機械かは紗夜は見た瞬間理解する。
「これは……」
「装飾品でも良かったのだがね。卿が今、一番欲している物は何なのかと考えればそれに至った」
それはモバイルCDプレイヤー。外装色は紗夜好みの
音楽を聴く際に、昨今はデータ圧縮でパソコンや手軽に携帯で聴くのが主流であるが、音質に拘るならばCDから直接聴いた方が良いのだ。
データ圧縮は如何しても音質が劣化してしまう。不便だが本来の曲の持ち味を楽しむならCDプレイヤーを選ぶ音楽好きは多い。
純心もその一人であり、紗夜も彼にモバイルCDプレイヤーを返した後は一人で聴くためお年玉で自分のものを買うつもりだったのだが、まさかプレゼントされるとは思ってもいなかった。
下手に高価な装飾品を渡すよりも、この方が今の紗夜には好ましい。彼女は驚きつつも、今回は喜びが勝った。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「それは良かった。このままデートでも誘いたいところだが、家で日菜が待っているのではないか?」
「そうですね。この後は家族でクリスマスパーティーをする予定です」
「何所の家庭も同じだな。私の家でもそうだ。名残惜しいがこれ以上は妹君に恨まれるので帰るとしよう。では、良い聖夜を」
「ああ、その前に一ついいですか……」
帰ろうとした純心だったが、紗夜の呼びかけに足を止める。
まさか呼び止められるとは思ってもいなかったので何事かと不思議に思い、その緩んだ僅かな隙を狙って、紗夜は彼の手にポケットから取り出していた小さな小包を握らせる。
「クリスマスプレゼントです」
「─────」
「ああ、勘違いしないでくださいね。これはCDを貸してくれたお礼や日頃の感謝の気持ちなので深い意味はありません。貴方に貰ったものに比べると本当に些細な物ですが」
言葉にしたのが紗夜の正直な気持ちであるが、いきなり自分からプレゼントをしたら彼はどんな顔をするか。喜んでくれるのか。
後はこの一年は振り回されたのだから、少しぐらい驚かしてもいいはずだと意気込んだ。
けれど純心からもプレゼントを貰ったので、今更自分方からプレゼントしても期待した成果は得られないと彼女は思っていた。
「─────」
しかし、本当に珍しく。もしかすれば初めて見たかもしれない純心の意表を突かれた顔。
紗夜は双子の妹がするような、悪戯に成功したような笑みを浮かべた。
彼女は最近学び、きっと彼も知っている異国の言葉を贈る。
「フローエ・ヴァイナハテン。良い聖夜を」
妙に目が怖いライオンのキーホルダー。
似ているから選んだと言われたその贈り物を、彼は何年経った後でも大事にしている。
怒りの日はただの音楽会で発表する曲です。流出なんてしませんとも。
お気に入り1000いきました。褒められているのに最近飢えてたので嬉しいですね。
皆様の感想や評価は創作の励みになります。
誤字脱字の指摘が多く、今回も多そうですが更新優先で頑張ります。