蒼が目を覚ましてから二週間ほど経ったある日の昼。
「久しぶりにお肉が食べたいわね……」
病室で他愛もない話をしていると、蒼が突然そんなことを言い出した。
「肉?」
「そう肉よ」
力強く蒼はそう答える。
蒼は今食事に制限はあるものの時々外食も許可されるようにはなっていた。
それを聞きつけてか病室にはおじいちゃんおばあちゃん達がおすそ分けをよく持ってくるようになった。自分の孫みたいに思っているのかもしれないな。
「唐揚げとか肉じゃがとかはおすそ分けで食べてたよな?」
「うーん、そういう肉じゃなくて」
「蒼ちゃんが言ってるのは焼肉とかステーキとかそういうのだよね?」
「そう!ういうのよ!なんか、ガッツリ食べたくなっちゃって……」
「確かにその類のものは食べてないよな」
「病院で焼肉なんて出来ませんしね」
「というかそんな重い食事して大丈夫か?」
消化に良くなさそうなものはまだ避けた方がいいんじゃないだろうか。まだやっぱり心配だ。
「確かに脂っこいものは胃の調子も考えるとちょっと良くないわよねー、なんて思っていた時期もあったわ。でも軽い食事ばかりしてきて気づいたの。あたしの身体があの程よく脂が乗っていて歯ごたえのあるお肉を欲しているということに……!」
蒼は拳を握り、妙に力の篭った声でそう訴えた。杞憂だったみたいだな。
まあ体調さえ問題ないなら食べたいものを蒼に食べさせてやって方がいいか。
「蒼がそこまで言うなら夕飯は焼肉にするか?」
「ほんと?やった!じゃあ準備しないといけないわね〜」
蒼は子供のような笑顔を向けた。それを見て俺もつい口角が上がってしまう。この笑顔を見せてくれるならやるしかないよな。
「まずは場所だな。どうする?病室でやるわけにも行かないし、うちでやるか?」
「そうねー。あたし達のうちでもいいけどお母さんパートだし、鏡子さんがいいならお邪魔しようかしら」
「あの人自分じゃ料理出来ないから喜ぶよ」
「あー」
蒼も鏡子さんの料理を食べたことがあるのだろう。複雑そうな顔がそう物語っていた。
「じゃあ一度、加藤家に寄ってそれから買い出しですね」
「藍も来るのか?」
「当然」
「そうか。ところで藍の車椅子は誰が押すんだ?」
**********
藍は蒼の車椅子を押していた。
そして俺は藍の車椅子を押していた。
「何となくそんな気はしてたけど想像以上にこれきついぞ」
二人分の体重と車椅子の重さを一身に受けながら外へ出た。
「羽依里、頑張りなさいよ〜♪」
蒼は楽しそうにころころと微笑んでいた。
ふんぬっ
「羽依里さんが頑張っている間に私は蒼ちゃんと……」
「何もしないわよ」
「そんな……蒼ちゃん……」
藍は少し寂しそうにしながらもいつものやり取りを楽しんでいるようだった。
「ところで最近のみきの水鉄砲の威力がまた上がったみたいだって良一が嘆いていたわよ?」
「私が改造したから。それにしてもあれだけの部品を取り寄せる駄菓子屋は未だに謎が多いです」
二人のなんでもない会話が妙に心地いい。
空には島の遠くに雲がぽつんと浮かんでいるだけで日を遮るものはない。まだ真夏、舗装された道路は徐々に熱を帯びてゆく。地の熱はじわじわと身体へと伝わり、天からは容赦ない日差しが身体に刺さる。
暑い……。
しばらく歩いて蒼がよく眠っていた木陰まで来た。
「ちょっと、休憩していいか?」
「……って羽依里、汗凄いわよ!」
「そうか?」
自分のシャツに目を向けると汗を吸収して、少し透けるくらいには肌に張りついていた。
「羽依里の裸が透けて……」
蒼が少し赤面してこちらをチラ見していた。
「このむっつり蒼め」
「む、むっつりちゃうわ!」
そんなコントをしていると藍がタオルを投げつけてきた。
もふっ
「とにかく、羽依里さん、早く拭いてください。蒼ちゃんの教育上よろしくないですし」
「ああ、そうだな。すまん」
「あ、あたしの教育上ってなによ!羽依里も認めてどうすんのよ!だいたい1回はその……全部見ちゃったし今更でしょーーー!」
「いやいや。それにしてもすぐ赤面するわ、感じやすいわ、ちょっと心配になってくるな」
「……んじやすいのは、は、羽依里だからだもん……」
蒼はそっぽを向いて、その頬は少し朱を帯びていた。
我が彼女ながら可愛い……。
「蒼ちゃん可愛い……。でも蒼ちゃんの操を奪った身はいつか滅却しなければ」
「いい笑顔で怖いことを言うな」
藍の言葉で少し身体が冷えた気がした。
木陰で涼みながら考えてみたが、やはり二人分の車椅子を押すのは無理がある気がする。
のみきでも手伝いに来てくれれば楽なんだがなぁ。
……
そう言えばあいつ鉄塔から唇読めたよな?
もしかして今呼べるか?
「のみきー、いるか?いるなら、藍の車椅子押しに来てくれないか?」
ばしゅんばしゅん!
高速の水が俺の顔を掠めた。
「危なっ!」
水鉄砲の当たった先を見ると、地面を抉って「一〇分マテ」と描かれていた。
おいおい、どんな曲芸だよ……。
あの水鉄砲、威力だけじゃなくて精度も上がってんのか。
「ふふ、みきちゃんが私のチューニングした銃を使いこなしてて嬉しい限りです」
その悪魔兵器の生みの親が不敵に笑っていた。
のみきを待つこと数分、良一の叫び声が島に響き渡り、それからほどなくしてのみきがやってきた。
十分とは良一の短い命のことだったのかもしれない。
「待たせたな。で、どこまで行くんだ?」
「ちょっと焼肉食べたくなったから、その買い出しをしようと思ってね。のみきも一緒にどう?」
「おおー焼肉かー。最近食べてなかったな。お言葉に甘えて私も参加させてもらおう」
「まず加藤家に向かうので、みきちゃんにはそこまで私を押していって貰いたいのですがお願いしてもいいですか?」
「もちろんだ」
俺は蒼を、のみきは藍を押していくいつもの感じとなった。
のみきが藍の車椅子を押してくれるおかげでだいぶ楽になった。
**********
「というわけで今日の昼は焼肉にしようと思うんですけど、どうですか?鏡子さん」
「いいわねー。最近暑いし、体力をつけるという意味でもちょうどいいものね」
「分かりました。じゃあ了承も貰ったことだし買い出しに行くか、蒼」
「そうね♪」
「羽依里くん、ちょっと待って。確か去年整理した蔵にバーベキューセットがあったはずだから、せっかくだし外でバーベキューにしない?使わないまま置いておくのも忍びなくて」
「あー、まあそれもいいか。三人ともどうだ?」
「異論はない」
「蒼ちゃんが良ければ」
「あたしは問題ないわよ」
どうやら肉をガッツリ食べれればどんなのでもいいらしい。かく言う俺もそうだが。
「あと、せっかくだし、天善と良一も誘おうぜ」
「そうだな。あいつらも呼んでおこうか。それは任しておいてくれ。スピーカーで呼びかければすぐだ」
「おう、頼んだ。じゃあ今度こそ行くか」
「そうね」
「そうですね」
「鷹原、私と藍はあいつら呼んで、バーベキューの準備をしておくよ。食材以外に足りないものがあったら買って来なきゃならんしな。だからお前達は先に行っといてくれ」
「ちょっと、みきちゃん!?」
のみきは気を遣ってくれてるようだ。今日は蒼と二人きりの時間が全く無かったしな。
「分かった。そっちはお願いするよ。俺と蒼は食材買ってくる」
「そうね。じゃ、行ってきまーす」
「そんな!蒼ちゃーーーん」
藍の叫びはセミの鳴き声にかき消されてしまった。
**********
蒼ちゃんと羽依里さんの背中が見えなくなった。
「みきちゃん、なんでこんな惨いことを……」
「藍がいつまでも蒼と羽依里を二人っきりにさせてやらないからだ」
「うう。そりゃ蒼ちゃんが幸せそうにしてるのは羽依里さんのおかげだと思いますが、買い出しの間蒼ちゃんと離れ離れなんて」
「いつもの散歩と同じだろう。だいたい2時間そこらで帰ってくるんだからこれくらい我慢してやるんだな」
「そんなーーー」
「藍ちゃんって、本当に蒼ちゃんのことが好きなのね……」
鏡子さんが苦笑いしてそう呟いた。
そう。私は蒼ちゃんが大好き。
だからこそ、羽依里さんとの関係も微笑ましく思ってる。それでも蒼ちゃんを独り占めしたい、と時々強い衝動がすることもある。矛盾したこの感情を共存させるにはどこかで妥協しなければならないことは分かっている。
それでも……。
でも、だからこそ、みきちゃんみたいにストッパーになってくれる人が居ることは幸せなことなのかもしれませんね。
**********
家を出てからすぐは蒼と喋りながら歩いていたが、こう暑いと頭も動かなくて会話も減る。
「それにしてもやっぱり暑いな」
「そうね……」
蒼?熱射病じゃない、よな?
「蒼大丈夫か?水持ってるんだし、時々飲んどけよ?」
「……うん」
蒼は車椅子の下の方からペットボトルを取り出して、水を口に含んだ。
そして……。
「むぐっ!!?」
蒼の唇は俺の唇と重なり、蒼はそのまま舌を入れてきた。
「んっ」
水と一緒に蒼の唾液も流れこむ。水と、蒼と俺の唾液が混ざりあって、それが通って喉を潤した。
唇をゆっくりと離し、俺と蒼の間に一筋の糸が引かれる。
「んちゅ……はぁ…」
「蒼……お前」
「えへへ……」
蒼の目はとろんとして、まるで寝ぼけているような……。
寝ぼけて……いるような。
そして、蒼はゆっくりとお昼寝タイムへと入っていった。
「すぅ……すぅ……、はいりだめよぉ、そんなところ……あん……」
「……」
何かがきれた音がした。
「こんな悶々させたまま自分だけ寝るなんて許さないからな!」
俺も水を含み、眠る蒼の口に舌を入れて唾液と一緒に流し込んだ。
「むぐっ!!?」
「んっ……む……」
蒼の喉が動いたのが分かった。
「……んっ……」
「ん…んっ…ちゅ……はぁ……」
「っっきゃああああああああああああぁぁぁ。な、な……羽依里何してるのよ!!?」
「こっちのセリフだ!ずっと我慢してる身にもなってくれ!」
ピンクな夢を見ていた彼女が俺に何をしたのかを懇切丁寧に教えてあげたところで、顔を真っ赤に染めて、煙を出していた。
「うぅぅ……ごめん……」
「……美味しかったしいいけどさ」
「美味し!!?何言ってんのよ!?もう。……早く行くわよ!」
「そうだな」
二人ともこの先は自重して、精肉店へと向かうこととした。今回は性欲よりも照れが勝ってしまった。
それにしても蒼が退院した時、凄いことになりそうだなぁ。
**********
羽依里とその……ちょっとだけいちゃついてたけど、精肉店に無事着いた。
「で、どれ買おうかしら?」
「豚バラ肉、鶏ムネ肉、ソーセージ辺りか?」
「リブロースとか肩ロースとかもちょっと食べたいわねぇ」
「じゃあ、そのへんも買っとくか」
「おっちゃん、これを900gと…あれを500g、それを……」
「あいよ!羽依里くん、よく食うねぇ」
「蒼が肉食べたいって言ってたんで、今夜はみんなでBBQしようかなって」
「おお、いいねぇ。蒼ちゃんも元気そうで何よりだ!おまけでコロッケも入れといたから帰りながら食べな!」
「コロッケありがとう!ふふん、もう少しで駄菓子屋の看板娘復活なんだから♪」
「おう!そうかい!そんときはまた駄菓子屋にも寄らせてもらうかな。じゃ、気をつけてな」
「はーい」
結構買ったわねぇ。でもバーベキューかぁ♪
ふふ、ちょっと楽しみ♪
こうして2人で買い物してると、ふ、夫婦みたいよね……。
あたしと羽依里が結婚……。
想像してみると、そんなに違和感もなくって。それに羽依里もそのつもりがあるって前にも言ってたし。
……
「どうした?蒼」
「ふぇあ!?」
「いや、顔真っ赤にして黙りこくってるからさ」
「な、なんでもないわよ」
「そっか」
「そうよ」
「ふーん」
……
「俺はこんな風に蒼と買い物して帰って笑いあってって、こんなのが日常だといいなってちょっと考えてたよ」
それって。
西陽であまり分からなかったけれど、よく見ると羽依里の顔も少し赤く染まっていた。
「あたしもよ……?」
「そっか」
「うん」
あたし今、多分とてもにやけてるんだと思う。
時々こんなに幸せでいいのかなって思うんだけど、いいのよね。
**********
野菜も買いに行き、日が沈む前にうちに着いた。家の中に入ろうとすると、近くの草むらがガサガサ揺れていた。
「ポーン!」
「イナリじゃない♪」
「まさかこの肉の匂いを嗅ぎ付けて来たのか」
「ポンポーン!」
「かなり買ってきたし全然足りると思うけどな」
「ポン!!」
**********
「おかえりなさい、蒼ちゃん」
「藍ただいまー」
「鷹原、買い出しおつかれだ。みんなもう集まってるぞ」
「藍、のみき、ただいま。ところで、みんなって天善と良一だけじゃないのか?」
「いや、それがな……」
のみきが歯切れが悪そうにしているから、庭を見に行くことにした。
「なんだこの数は……」
天善と良一どころか、紬に静久、しろはに鴎も居た。
「なんかバーベキューするって話がどこからか聞こえてきてね。来ちゃったよ〜」
「鴎か。久しぶりだな。今年もこの島に来てたのか」
「そうだよ♪今日はゴチになります♪」
「いやいや割り勘だからな?」
「そんな!?」
鴎はしずしずと財布を開いて俺にお金を渡す。
「これで足りる?」
万札だった。
「ブル……ジョワ!?」
蒼が目を見開いていた。
「ふふん?実はそうだよ。で、これで足りる?」
「いや、そんなにはいらん。だいたい2000円くらいだからもっと細かいの渡してくれ」
「ふむふむ、じゃあこれほい」
「これは二千円札!?」
「あー、うちにもあるわよ?」
蒼は驚くことも無くそう言った。俺の感覚がおかしいのか。
「パイリくんと蒼さんおかえりなさい」
「静久か」
「蒼さんはお目覚めおめでとう」
「水織先輩ありがとうございます!」
「静久、あの時はおっぱい体操教えてくれてありがとな」
「そんなこと。蒼さんのおっぱいの形が守られていて良かったわ。それに大きくなったでしょ」
「はい。水織先輩のお陰でちょっと大きくになって、形も整って、感謝しかありません!羽依里と藍はちょっとえっちな触り方してきましたけど……愛撫みたいな」
蒼と静久がジト目でこちらを見る。俺は目を逸らすことしか出来なかった。
蛇に睨まれたカエルの気持ちが分かる気がした。話を変えねば……。
「紬も連れてきたのか」
「そりゃそうよー。だって私の友達だもの。でも鳴瀬さんと意気投合したようで端っこで静かに二人で喋ってるわ。私を除け者にして……うぅ……」
嘆くふりはしているが紬に友達が出来たことを喜んでいるのも俺には分かった。
「ところで、静久。天善はなんでこんなに白くなってるんだ?」
「あー、イナリちゃんにその……さっきボコボコにされたみたいなのよ」
「グサッ!!」
イナリではなく、トドメを刺したのは静久のようだ。
南無……。
しろはと紬の方に目を向けると、二人で既に一品を食べていた。
「あれはしろはが?」
「そうみたいね。昼間釣ってたもの持ってきて捌いちゃってお刺身にしてたわよ」
「もう食べ始めてるのか……」
「私が釣った魚だし。釣った私が食べてもいいでしょ」
聴こえていたらしい。しろはが不満そうにこちらを見ていた。
「それはまあな。じゃあそろそろこっちも肉焼き始めるか」
**********
バーベキューが始まった。
バーベキューセットにはダッチオーブンも付いていたようで想像以上に本格的だった。
ローストビーフに、鶏もも肉、豚バラ。
野菜もバランスよく焼く。
蒼は「生きてて良かったーーー」という心の声が聞こえるような満面の笑みで肉を次々と食べていた。
そんな蒼を見ていると、自然と顔が綻ぶ。
鏡子さんが自分で肉を焼こうとしたり、良一が汗を塩として使おうとしたり、火を抑える時にのみきがハイドログラディエーターを使おうとしたりと波乱万丈のバーベキューとなった。
「羽依里!今日はありがとね♪」
こんな笑顔を毎日見ていたい。
俺はそう思った。
(つづく)