1,前途多難という言葉を助走をつけてぶん殴りたい
聖闘士星矢、という漫画がある。
もしもその漫画の世界に転生し生まれ変わったという者が居たならば、ほとんどの者は一笑にふすだろう。何を馬鹿な事を言っているのだこいつはと。
しかし私は歓迎しよう。
_________________ ようこそ、同士よ。
まあ、今のところそんな奴と出会った事は無いわけだが。はよ来いやというのが本音である。
共に色々分かち合おう。主にストレスをなぁ!!
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ヒマラヤ山脈……中国とインドの国境付近、その人里離れた場所にジャミールと呼ばれる険しい山岳地帯は存在する。空気が薄く険しいその場所へわざわざ立ち入る者など、現地人でもほとんど存在しない。
しかし現在その険しい山脈を力強く……あるいは荒々しく踏みしめながら進む者が居た。
その人物は長く癖の強い黒髪を無造作に束ねている一人の女だった。整えられていない前髪が、その白い面のほとんどを覆い隠している。その下から覗く眼光は鋭く、まるで鋭利な刃物のようだ。
元々の人相もあるのだろうが、現在その表情は苛立ちという感情によってよりいっそう凶悪さを増している。顔のパーツ自体は整ったものであるが、いくら美人であってもそんな顔をしていてはどんなナンパ男も道を譲るだろう。「殺されそうだ」と慄いて。
彼女はその華奢な肢体に似合わぬ巨大な箱を背負っていた。山脈を覆う雲の間から時折垣間見える太陽の光を照り返す、その箱が有する色は銀。身の丈の三分の一か半分ほどもあろうかというその大きな箱を、女は苦も無く背負い進む。迷いなく、息切れも無く、そして確かなバランス感覚でもって大地を踏みしめ揺らがず歩くその姿からは、体の強靭さが窺えた。
やがて彼女は目的地を目前にした場所へとたどり着く。そしてその場にて待っていたのは、傷つき破損した鎧を纏う数多の屍たち。白骨化したそれらが朽ちてから、おそらく短くはない年月が流れている。しかし彼らはゆらり、ゆらりと一体一体その身を起こしてゆく。もちろん生き返っただけではなく、その姿は正しく「亡霊」の名に相応しい。
彼らは女に語りかける。
『どこへ行く、女!』
『この先はムウ様の領域! 命が惜しくば帰れ!』
『だが! もしその命が惜しくないならば、我らを倒して進むがいい! それが出来るならなぁ!』
『しかし! お前が膝をついた時、お前は我らと同じモノになるのだ! 朽ちても彷徨い続ける、亡霊に!』
無数の亡霊の声がこだまする。しかし女は歩みを止めるどころかまっすぐ進み、しかもその速度は段々と早くなっていく。まるで助走でもつけているかのようだ。
さしもの亡者もそのあまりに迷いのない動きに一瞬戸惑うが、しかしそれもたかだが一瞬。すぐにこの無謀者の腕を試してやろうと襲い掛かる。
その瞬間、亡者の声をかき消すほどの女の怒声と共に銀色の光が空を割いた。
「亡霊のくせにやかましいわ馬鹿者ぉ!!」
『え?』
『え?』
『あれ?』
何が起こったかわからない。そんな間抜けな声をあげながら、亡者たちは遠く視界から離れた自らの胴体を見下ろす。そして仲良く吹き飛ばされた頭部たちは、一瞬空中浮遊を体験するもすぐに弧を描いて幽体ではなく本来の自分たちの躯が転がる幽谷へと落ちていった。さながらその様子は景気の良い……否、不景気極まりない亡者の雨である。もしこの光景を目にしたものが居たならば、思わず顔をしかめただろう。ちなみに女の顔はずっとしかめっ面だ。
そして行く手を塞ぐ亡者たちを薙ぎ払った女であるが、視界を埋め尽くす亡者の幻影が消えても一つ舌打ちしただけで、変わらぬ歩みで道を進む。今彼女が立っているその場所が、深く切り立った渓谷にかかる非常に細く頼りない道であってもお構いなしである。むしろ苛立ちが増したのか、早足になったくらいだ。
進むこと、少し。女の目的地である"塔"が見え始めた。五階建てのその石の塔は所々傷ついていたが、歴史を刻んできたその威容でもって女を出迎える。だが女は特に感慨を覚える様子も無く、ずかずかと無遠慮に塔に足を踏み入れた。
そして開口一番に叫ぶ。
「ムウ殿! あの鬱陶しいセキュリティラインはいい加減どうにかならんのですか!!」
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「セキュリティラインと言っても、あれはいわば自然発生したようなものですからね。どうにもなりませんよ」
私の文句に対してしれっと答えたのは、何やら作業に没頭している様子の薄菫色の長い髪を束ねた幼い少年だ。しかし子供といえど、私が属する組織の中で彼は最高峰たる稀有な立場を擁する。それだけでなく希少な技術を継承している彼に敬意を払う事に、ためらいは無い。師亡きあともたゆまぬ研鑽を続けていることが、その身に宿る
特徴的な眉……ではなく眉墨は、彼が受け継いだ聖衣修復師としての証だろうか。詳しく聞いたことは無いが、彼の師であった教皇シオン様も"これから"弟子となるはずの貴鬼も同じ眉墨を入れていたはず。まあ、今それはどうでもいいか。
……それにしても、いくら作業に集中しているからといって遥々訊ねた者に視線も向けないというのはどうなのだろう。こちらとしてはテレポーテーションが使えなくなったがために、それなりに時間をかけてここまで来たのだが。久しぶりに会うとはいえ、少々寂しい。
しかし話を聞いてもらえるだけましか。彼が現教皇に不信を感じて……同時に彼の師であった前教皇がお亡くなりになったと察してからまだ数年しか経っていない。ムウ殿は出来た人物であるが、その身はまだ幼いのだ。心の整理がついていないだろうに、こうして聖域に属する私に対しても冷静に対応してくれているだけ、ありがたいと思わねば。
「……それは失敬した。このような事で文句を言うなど、お恥ずかしい。まだまだ私も未熟です」
「別に、気にしていませんよ」
「そ、そうか。いやはや、その、しかし、申し訳ない」
「だから、気にしていませんよ」
気にしていない、が興味ない、に聞こえるのは気のせいだろうか。ムウ殿とはそれなりに交流があると思っていただけに、そのそっけない態度が地味に心に刺さる。……いや、しょうがない。しょうがないのだ! まだ心の整理がついていないだろうに訪れた私がわる「ところで、仮面はつけなくてよいのですか? あなた程度では私に勝つことは不可能でしょうし、愛されても迷惑なのですが」
「……え」
自分に言い聞かせるような私の思考を割いて、ムウ殿の平坦な声が問いかけてくる。見れば作業に集中していたムウ殿がいつの間にかどことなく冷めた視線で私を見ていた。
そこでようやく私は少し前に身に降りかかった災難と、それを目の前の相手に説明していない事実を思い出す。思わず頭をかかえた。
「……重ね重ね、失敬した。いや、その、私は良いのです。仮面は不要。女ではありませんからな……」
「何処をどう見ても貴女は女性ですが。それにその聖衣箱を見る限り、聖闘士でしょう? つまりあなたは女聖闘士。ここにたどり着けた事に敬意を表して応対はしますが、あまり時間をかけないでいただけるとありがたい。私も暇では無いので」
頭を抱えた。
聖闘士はその大半は男であるが、少数ながら女の聖闘士も存在している。基本として、聖闘士とはアテナを守る「男子」。そのため彼女らは仮面を身に着け、女であることを捨てた証とするのだ。素顔を異性に見られる事は裸を見られる以上の恥辱であり、見た相手を口封じに殺すか、または愛するか……というのが女聖闘士にのみ適応される掟。掟といっても強制されるわけでなく、そうなった場合の裁量は女聖闘士個人個人に任される曖昧なものではあるのだが。
そして今現在の私は何処からどう見ても女だろう。見る分には目の保養だが、自分の胸にぶら下がるものとしては非常に忌々しい重い二つの塊がそれを証明している。長年よりそったもう一人の自分も何処かに家出してしまった。
……いかん、改めて考えると話すのが憂鬱になってきてしまった。いやしかし、話すしかあるまい。そうでなくてはムウ殿に目の前の女が知り合いだと気づいてもらう事も出来ない。……非常に、非常に憂鬱だが話そう。
………………ああ、嫌だなぁ……。
「……です」
「? 声が小さくて聞こえませんよ。先ほども言いましたが、私も暇ではないのです。用件があるならはっきりと喋ってください」
「リュサンドロス、なのです。私は」
「は?」
何言ってんだこいつと言わんばかりのムウ殿の声が、表情が痛い! ひ、怯むな私。こうなれば一思いに喋ってしまえばいいのだぁ!!
私は体中に駆け巡る羞恥心を振り払うように顔を左右にふると、背負っていた
「私は
一気に話そうとしたのに、私の声はだんだんと尻つぼみになっていく。しかしなんとか、最後まで絞り出した。
「このたびは…………聖衣のサイズ調整を…………お願いしに……。…………あまりにも……大きさが……ちがってしまったので……」
が、最後まで言い切ったところでガクンと膝をついてうなだれてしまった。……それなりに落ち着いたと思っていたが、知人にそれを話すとなると受ける精神ダメージが桁違いだ。くそっ、なんでこんなことに。
……どうしよう。顔をあげるのが怖い。
「……え?」
大人びたムウ殿にしては子供っぽい戸惑いの声が心に刺さる。思い切り困惑させているではないかぁぁぁぁ!!
「は……、え? リュサンドロス、殿? いや、でも多少変質していますがその小宇宙は……」
ムウ殿がまじまじと私を見る。そして納得したのかひとつ頷くと、呆れたようにのたまった。
「……あなた何やっているのですか」
「好きでこうなったわけではない!!」
「まあ、そうなんでしょうが」
思わず叫ぶが、ムウ殿は早くも困惑から立ち直ったのか冷静だ。ゆっくりと私を頭のてっぺんからつま先まで眺めると、顎に手をあてつつやはり呆れたような声色で言葉を続けた。
「また随分と奇妙な呪いを受けましたね。あの巨体がよくもこんなにしぼんだものです」
「し、しぼんだ?」
「ええ、その表現が相応しいと思いますよ? 二メートルを超えていた筋肉の塊が華奢な女性になってしまったのですから。初見で気づけというのは難しい」
「は、はは……。そ、そりゃあそうですな……ははっ……」
最早乾いた笑いしか出ない。ムウ殿が個人の小宇宙を読み取る能力に長けていたおかげですぐに信じてもらえたが、信じてもらったら信じてもらったでどちらにしろ羞恥心は湧いてくる。あああああ……!
おのれ、おのれおのれおのれあの神め……! 私には力が必要だというのに、まさかこんな形で力を失おうとは……!
「まあ、立ち話もなんです。お茶を入れてきますので、よかったら座っていてください」
「あ、ありがたく……」
ひとまず私が知人の「男」であると気づいてくれたムウ殿は、そう言って椅子を勧めてくれた。私はかつての私ならば座れば軋んだであろう椅子に、なんの問題も無く座る。……尻が椅子から飛び出なくて虚しい気持ちになる日がこようとは。もう、壊さないように恐る恐る座る必要もないのだな……。
ここに来るまで理不尽に身に降りかかった悲劇とも喜劇ともつかない深刻ながら馬鹿馬鹿しい問題に怒りを感じていたが、冷静になればなるほど無力感に襲われる。……"あの戦い"までの時間はもう決して長いとはいえない。だというのに、私は積み上げてきたものを失ったのである。この体で一から鍛え直して、果たして間に合うのだろうか。呪いが解ければ最良だが、呪いを受けた身だからこそ分かる事もある。……この呪いは、相当根深い。
……いや、こうなればなりふりかまってはいられんな。そもそも初めから一人でどうこうするには問題が大きすぎるのだ。なれば、私に足りない部分を補う人材を巻き込むまで、か。……どちらにしろ、すでに一人巻き込んでいるしな。問題あるまい。
私がふと脳裏によぎった案を咀嚼していると、ムウ殿が湯気の上がるカップを手に戻ってきた。
「お待たせしました。……それにしても、その呪いの本質はもしや力の封印ですか? ずいぶんと弱く、そしてお若くなられたようで」
「ああ、その通りだ。流石に察しがよろしい。相変わらずの聡明さですな」
「世辞は結構ですよ」
「本心です。……この通り、鍛えた肉体は失われ、封じられたのか燃焼させられる小宇宙も弱くなった。テレポーテーションも現状の不安定な小宇宙では失敗してしまうため、ここまで歩いてきたのですよ」
「そうでしたか……。聖域に報告は?」
「まだ、これからです。任務地からは聖域に帰るよりもこちらの方が近かったので」
「では彼もこの事を知らないのですね」
「……簡単に言えそうにはない」
ムウ殿に出してもらった茶を口に含みながら答える。……バター茶か。標高が高く気温が低い山道を歩いて冷えた体にはありがたい。前ならそんな事は無かったのだが、やはり女の体は冷えやすいのだな。胃からじんわりと体全体が温まるようだ。
「報告……はぁ……」
バター茶に緊張がほぐされたのか、つい情けないため息が出る。この間抜けな現状を報告せねばならんのか。嘘だろう。はぁ……。
何よりムウ殿が言ったように、可愛い息子にこの事実を伝える事が何よりの憂鬱だ。ああ、今は亡き愛しの妻よ。私はどうすればよいのだ。
「まあ、そう気を落とさずに。と言っても無理でしょうが」
「いや、気を遣わせて申し訳ない。ま、まあなんとかやっていきますよ! 弱体化したとはいえ、わ、若返ったのは儲けものですからな! わーはっは!」
「そう無理に取り繕っては逆に痛々しさが増すだけでは?」
「痛々しいって言いました!?」
「あ、いえ。お気になさらず。……では、聖衣の調整の件は承りましょう。これからすぐに作業に取り掛かるので、完成までお待ちいただけますか?」
「あ、はい。その、お願いする……」
私のせいではないのに痛い奴だと思われるのか、この姿は……。なんてことだ……。
って、ムウ殿ぉ!
「今、今笑いましたね!? 顔をそむけたからって見えないとでも思いましたか!」
「何のことです? ……ぷっ。おっと失礼」
「…………」
「そう恨めしい表情で見ないでください。もとの貴方を知っているだけに、つい。ああそうだ、いっそのこと恥ずかしいのならば別人を装っては? そこまで変わってしまっていては、言われなければ誰も貴方をリュサンドロス殿だと気づきませんよ」
「他人事だと思って……」
「他人事ですから」
……ムウ殿は確かまだ十二か十三ほどの
しかし、別人を装う……か。いや、これはなかなかいい案なのではないか? 弱体化した今、下手に実績のある立場でいるよりも新参者になった方が色々と動きやすいかもしれん。聖域へ帰るまでに決めておくか。
(……ずいぶん、遠くまで来たものだな)
ふと、考える。今こうして白銀聖闘士として「この世界」に足をつけて立っている自分の境遇を。
よくよく考えれば男が女になる程度、些細だと思える程度に私は奇妙な人生を送っている。通算二回目の人生だ。この時点で変だろう。
ああ、我が妻アナスタシア。君に出会ったからこそ今私はここに居る。だというのに君はもう居ない。その事実がひたすらに悲しく寂しい。そんな事を言ったら、君はまた怒るだろうか。それとも笑うだろうか?
「あなたは本当に臆病者よね。図体は必要以上に大きいっていうのに、まったく情けないわ。やっぱり私が居ないと駄目なのかしら?」と言って、目の前に現れてくれたらどんなに幸せだろうか。
……それが叶わないことは知っている。だが、せめて。君が住まう世界が少しでも幸せであるように、私は尽くそう。
世界のためでも自分のためでも、不敬ながらアテナのためでもなく。
君と愛しい息子のために。
だが、すまん息子よ。
父は女になってしまった。
………………ツライ……。