星矢達を追ってリュサンドロス達よりも先に人馬宮への階段を上ってきたアイオロス。
現在彼はとてつもなくいたたまれない気分の只中にあった。
──────── ここを訪れし少年たちよ、君らに
砕かれた壁面から出てきたその遺書を前に少年が四人、溢れ出る涙を抑えようともせず泣いている。体の底から溢れ出てくる熱い心と感動に動かされるままに流す涙。そこに女々しさなど欠片もなく、彼らの若き魂の雄々しさと純粋さが見て取れた。彼らの感情は一心に言葉を遺した"今は亡き"アイオロスに向けられており、小宇宙と感情の波はまるでテレパシーのようにアイオロスへと押し寄せる。わざわざ探ろうとしなくても、四人の少年が今何を考えているのか赤裸々に伝わってくるほどだ。
気絶するほど小宇宙を使い切っていた瞬が目を覚ましたことや、無事に天蠍宮を通過した氷河が合流できたことなどは喜ばしい。喜ばしいのだが……。
「
「オレ達にアイオロスは
「もっともかけがえのないものを託してくれた……」
「オレ達を本当の男と認めてくれたのだな……」
紫龍、星矢、瞬、氷河。続けざまに遺書の感想を述べられ、じわじわと顔に熱が集まってくる。
「アイオロスの熱い思いが、あのわずかな遺書から伝わってくるようだぜ」
(う、うおおおおおおおおおおお!!)
止めの星矢の一言に、たまらずアイオロスは頭を抱えてうずくまった。
この人馬宮には先ほど空気を読んで城戸家の飛行機から飛んできた、射手座の聖衣が待機していた。……思いがけず教皇宮にてサガと対面してしまったアイオロスがとっさに行った「これは生アイオロスでなくアイオロスの魂」という雰囲気作りを、黄金聖衣が全てそろった共鳴で演出したのである。主人のピンチに駆けつける、まさに聖衣の鑑であった。
しかしその射手座聖衣……星矢達が人馬宮に入ってきたことを察知して何やら気を利かせたようなのだ。何をしたかと言えば書いた本人ですら忘れていた十三年前の遺書を、星矢達に見せるべく壁を矢で居抜いて砕き、掘り起こしたのである。
薄い石壁のひとつ奥の壁面に刻まれたその遺書は、確かに逆賊の汚名を着せられ
神殿よりサガの魔手から幼い女神を救い出したものの、ほとんど直感で自分の命は助からないだろうと感じ取っていたアイオロス。ゆえに短いながら、最期にと自宮の壁へ後を託す者たちへ向けた言葉を遺した。
当時としては自分がいなくなっても
とにかく咄嗟のことだからこそ余計に、心に浮かんだ素直な気持ちを記した。赤子をかかえて逃げる途中でよく短いとはいえ遺書なんて書いていられたものだと……アイオロスは自分の事ながら感心する。
が、遺書を書いた本人は現在ぴんぴん生きている。
リュサンドロスに助けられなければ死んでいた可能性が大きかったとはいえ、とても元気だ。
そんな折に突然掘り起こされた過去の手紙を目の前で読まれ、あまつ感動され涙まで流される…………。さしものアイオロスも、それには羞恥心で身もだえそうになった。
(せ、せっかく隠されていたのに、射手座聖衣よ……! 何故わざわざ掘り起こした……! というかリュサンドロス! このことを教えてくれてもよかったのではないか!?)
リュサンドロスとしては人馬宮に万が一、アニメ版聖闘士星矢のように罠が仕掛けられていないかの方が気が気でならなかった。しかも書いた本人が忘れているとは思わず、伝え忘れていたのだ。
そのまま隠されていればいいものを、まさか聖衣が必要以上に空気を読むとはアイオロスとしては計算外である。心なしか褒めてほしそうな小宇宙を
(まあいい……。後で会った時、私が多少気まずい思いをすればすむことだ……)
どんな顔をして彼らの前に現れればいいのか分からないが、過ぎてしまった事、見られてしまったものは仕方がない。やや顔を引きつらせながらもそう割り切ったアイオロスは、改めて先へ進む星矢達を見守ろうと心を切り替えたのだが……。
キリキリキリ。
そんな弓の弦を引き絞るような音に「ん?」とアイオロスは顔を上げた。星矢達も音に気付いて振り向く。
五者の視線の先に鎮座するのは、矢をつがえた射手座聖衣。
矢をつがえた射手座聖衣。
「待ッ!?」
アイオロスが止める間もなく、聖衣は壁を壊した時同様に矢を放った。それは放射線を描き人馬宮の空を切る。そして進んだ先には遺書が残されていた壁とは別の壁があり……一部、不自然に盛り上がっていた部分を押した。
見間違えようもない。それはアイオロスがこっそりトレーニング用に人馬宮内に作った、罠を作動させるためのトリガーである。
(さ、
聖衣としては主人不在の宮をただで通すのに、しかもそれが自身を継ぐかもしれない相手であれば不満があったのかもしれない。乗り越えるべき試練だと、自分を纏う資格があるかを見極めようとしたのかもしれない。だが主であるアイオロスにとってそれはまったく望まない展開である。のちに彼は「聖衣が空気を読みすぎてツライ」と語ったとか語らなかったとか。
ともあれアイオロスの心の叫びも空しく、罠は作動した。
星矢達はこの後、天井から迫りくる鎖に吊るされた鉄球や、何処からともなく降り注ぐ矢の雨から必死に逃げ惑う事となる。
+++++++++++
嫌な予感とはそうであればあるものほど当たるものだ。ミロ殿に説明した私たちが人馬宮まで追いつくと、中には襲い来る罠に対応する星矢たち。そして神妙な顔でばれない程度に罠を念力で阻害するアイオロスの姿があった。
幸いアニメのようなバカげた規模の罠ではなかったが、感動していただろう少年たちを突如襲った理不尽な罠に同情心しか湧いてこない。ここまで勝ち抜いてきた星矢達にとってこの程度の罠なら命の危機とまではいかないだろうが……。
結果的には「教皇め! 亡きアイオロスの宮にこんな卑劣な罠を仕掛けるとは!」といい感じに解釈されて逆にやる気がみなぎったようでもある。だがそれでも、真実を知る方としては微妙な気分にならざるをえない。
「いや、あながち間違っておらんぞ。次代の射手座の聖闘士が決まるまで、防衛機能として元からあった罠を活かすことになってな。すぐ作動できるよう教皇が手入れを指示していた」
「! ……どうりで十三年も経っているのに動くわけだ……。矢の数も無駄に多くなっていた気もするぞ」
「白銀だけに女神の護衛は任せられない」と言って天蠍宮からついてきたミロ殿の言葉に、少しだけアイオロスがほっとしたような顔になる。……いやでも、罠をそのまま使うサガもサガだがもとを作ったのはお前だからな……。
「それにしても、本当に生きているとは……」
十三年ぶりに再会した、逆賊の汚名を背負いながらも女神の命を助けた聖闘士の中の聖闘士。
なんというか、こう言うのも変だが十三年前のほうが質実剛健を絵に描いたような男だったからなアイオロス。今も本質は変わっていないのだが……重ねた年齢と聖域外で生きた経験が柔軟さとして加わった分、受ける印象は違うだろう。特に十三年前などミロ殿は七歳。年長者であるアイオロスは一層頼もしく見えていただろうしな。
「リュサンドロス殿に助けられてな」
ミロ殿の視線に苦笑しつつアイオロスが答えれば、彼は納得したように頷く。……にしても久しぶりに「リュサンドロス殿」などと呼ばれるとむず痒いものだ。
「なるほど、エリダヌスのリュサンドロス殿か。それでリューゼが共に行動しているのだな」
どうやらミロ殿はエリダヌス星座の前任リュサンドロス……私が、死に際にアイオロスに関してのことも聖衣と共に弟子へ託したのだろうと推測したようだ。まだ私の正体に関しては話していないからな。そのまま誤解していてもらおう。
「それにしても、リュサンドロス殿がな……。これで真実を知っても、シュラの心の負担は軽くなるだろう。何故自分に真実を話さず弟子などに託して逝ったのだと、リューゼに対するあたりはまた強くなりそうだが」
「……!」
ミロ殿の口から出てきた息子の名前に思わず体が硬直する。
「ミロ。それはどういう……?」
「ああ、
オルフェの説明に沙織ちゃんの視線が私に向く。ここにきて私事で気持ちを煩わせては申し訳ないので笑って誤魔化せば、逆に気遣うような視線が強くなった。…………情けないな、私は。この世界で生を受けてからすでに半世紀も経つというのに、息子の事を思うと容易く心が揺らぐ。ただでさえ最近顔に出やすいようなのだ。気を引き締めねば。
「…………行きましょう、リューゼ。全ては"全員"生き残ってからです」
差し出された手。それに一瞬動きを止めながらも、自らの手を重ねた。
「ええ。急ぎますので、しっかり背中に掴っていてくださいね」
外を見れば八番目……人馬宮の火時計が消える。真面目なダイダロス殿のことだ。きっちり一分一秒間違えず消してくれたことだろう。
次に向かうは
……けして死なせはせぬぞ、我が息子よ。