尻ぬぐいのエリダヌス~駆け抜けて聖戦~   作:丸焼きどらごん

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24,磨羯宮

 星矢達の十二宮の戦いも、いよいよ終わりに近づいてきた。そして私たちの戦いも。

 ……しかしこの先こそ、最も油断出来ない場所だ。なにしろこの先の宮を守護する黄金聖闘士は、私が知る展開通りに進めば全員死んでしまうからな。

 そして死した彼らはのちに前教皇シオンと共に、ハーデス軍の先兵としてこの十二宮に送り込まれる。我が息子シュラもその中の一人だ。

 

 彼らは命欲しさに冥王に寝返ったふりをして、女神(アテナ)に女神の聖衣のことを伝えようとする。だがその件に関してはすでに私が知識を有しているため、ここで黄金聖闘士が死する意味は無い。というか死なせん。絶対にだ。

 それにもしも死んだ方が今後聖域や女神(アテナ)の利益になるとしても、そんなもの私にとっては二の次。思いがけず必要以上に沙織ちゃんに情が湧いてきてしまっているが、それでも私は我が子が一番である。どんなに強く逞しく大きくなろうと、自分の子供はいつまでたっても子供。贔屓して何が悪い。

 

 …………私は大義だけのために戦えるほど強くない、普通の人間なのだ。

 いま奔走しているのだって、結局は息子が、亡き妻が心穏やかに過ごせる未来が欲しいからだ。

 

 まあ聖域と私の利は今のところ一致しているため、目的の齟齬によって苦しむことは無いだろう。

 とにかくそういうわけで、私個人としても聖域と沙織ちゃんの今後を考えても、サガを含めた黄金聖闘士を誰一人として死なせるわけにはいかない。

 

 全員生き延びてもらうぞ、何があってもな!!

 

 

 

 …………だが改めて気合を入れてみるものの、磨羯宮(まかつきゅう)へ進む私の足は逸る気持ちに反して重々しい。

 

 いい加減沙織ちゃんや周囲に感情を気取られるのもまずかろうと顔に出さぬよう心掛けるが、現在私の心には不安が渦巻いている。それはこれから向かう磨羯宮での戦いを考えてのことだ。

 …………いや、だってだな…………。

 

(あの二人。宇宙、出てしまっていたなぁぁぁぁ………………)

 

 ズンッと重くなる心。

 それは自分の息子を助けつつ青銅達の成長を促すのが、なかなか難しいゆえに。

 

 この十二宮での戦はしばし宮以外にまで戦いの場が広がる。それは異次元であったり、冥界への入り口だったり、次元の狭間であったり、精神世界であったり、…………そして宇宙であったり、だ。

 物理法則? 知らんな、というような場所ばかりだクソ。

 

 しかもそのラインナップの中、宇宙が適応されるのがよりにもよって次の戦いであるのだから頭が痛い。いや宇宙と言っても成層圏を抜けたかまでは分からぬのだが。漫画では地球が丸く見えるアングルだった気がするが、私の記憶違いかもしれないし、漫画的演出の一つだったのかもしれない。

 というかそうであってほしい。楽観視できないため最悪に備えて、宇宙という前提で行くつもりではいるが。

 

 この後、磨羯宮では山羊座のシュラとドラゴン紫龍の戦いが行われる。

 そして最終的に決着をつけるのは、自らの死をも覚悟した紫龍の必殺技。技の名前は忘れたが、彼は自分ごと宇宙の塵となって消えると知りながら技を放つ。その覚悟や紫龍の心に感銘をうけたシュラは、自分の黄金聖衣を紫龍に着せて彼だけ地上に帰すのだが……うむ……。

 あらかじめシミュレートしてはいたが、これだけはどうあっても決着がついた後にシュラを回収、回復するという手段が取れない。

 私の一番大事な愛息子の命に関わることだ。こと磨羯宮の戦いについては、他の場面以上に必死になって魂の記憶を掘り起こした。そのためこの流れになることは、これまでの十二宮の戦いが私の知るものであったことからほぼ間違いないと思われる。…………思われるが…………よりにもよって何故宇宙なのだ……紫龍よ……。

 異次元の方がまだましというのも変な話だが、実際そういった系統の方が帰還が容易なのだから仕方がない。

 

 

 私は思わず出てしまいそうになるため息を押し込めると、並走していたアイオロスをちらと見る。

 それに気づいたアイオロスもこちらに視線を向けてきた。

 

「すまんが、先に言っていた通りだ。私が言っていたような流れになった場合、次の宮では決着前に介入するぞ」

「それは先に聞いていた事だ。承知している」

「…………悪いな。ここまで極力変化させないよう来たというのに、私のわがままを通して」

「そうしなければ彼が死んでしまうんだろう? ならそれは、我がままではないさ。それに極力ばれないように行うことに変わりはない」

「おい、なんの話だ?」

 

 私とアイオロスの会話を奇妙に思ったのか、ミロ殿が問いかけてくる。彼には他の聖闘士にも話した説明までしかしていないため、私の正体や前世の記憶については知らない。オルフェもそうだが、そんな彼らにしてみれば私たちの会話は妙に聞こえるのだろう。

 少々ぼかしながら話しているが、私だってはたから聞いたら何のことかと気になるだろうしな。

 

 はてどう答えたものか。そう考えあぐねていると、背中から可憐な声がミロ殿に向けられる。

 

「ミロ、今は時間がありません。今はずっと前から動いている彼らを信じて、ついてきてくださいませんか?」

女神(アテナ)がそうおっしゃるのであれば……」

 

 驚いて沙織ちゃんを見ると、優しく微笑まれてしまった。

 ……彼女は私がリュサンドロスであることまで知っている。シュラが息子だと聞いたからか、また気を使わせてしまったか。ご本人の気質もあるのだろうが、名付け親というだけでこうも配慮していただくのは申し訳なく思う。

 私の中での優先順位は変わらないが、直接接してみて彼女に好感を抱いているのも事実。……この先、シュラと共に支えて行けたらいいと思う程度には。

 

 と、もうすぐ磨羯宮か。それならその前に……。

 

「! そうだ、オルフェ。ひとつ頼みたいことがあるのだが……」

 

 

 

 

 

 そしてたどり着いた磨羯宮だが、宮内は無人。……どうやら戦いは外で行われているようだ。

 磨羯宮の中を駆け、抜ける直前でとどまった私たちは中から外の様子を伺う。そこに居るのは紫龍と……シュラだけだ。

 

「シュラめ、あの階段の修理はどうする気なのだ」

 

 磨羯宮と宝瓶宮を繋ぐ階段が切り取られたような絶壁になっているのを確認し、ぼやいたのは意外にもミロ殿だ。

 直情的な部分はあるが、彼は意外と常識人なのかもしれない。黄金聖闘士の中では。

 

「星矢達は先に進んだようだな。……だが今度ばかりはこっそり横を通って先に進むのは無理だぞ」

(今度ばかりは……?)

「しかし小宇宙を感じ取る限り、階段を上る足は遅そうだ。これまでの疲労が蓄積されているのでしょう。戦いを見届けた後に向かっても、彼らが宝瓶宮にたどり着く前に追いつけるのでは?」

 

 アイオロスとオルフェが会話する中、私の視線はシュラと紫龍の戦いに釘付けになっていた。

 

 ドラゴンの聖衣をシュラの手刀によって引き剥がされ、無防備になってしまった紫龍だが、聖剣宿るシュラの手刀を真剣白刃取りで受け止めるという神業をやってのけた。

 その小宇宙は徐々に高まりつつあり、紫龍の背中に龍の刺青が浮かび上がる。…………そういえば老師は確か虎だったか。あの二人の小宇宙が高ぶると浮かび上がる刺青の仕組みは、いったいどういったものなのだろう。

 

 そのあとシュラを蹴飛ばして、その背に土をつけるにまで至った紫龍。猛攻は続き、シュラの表情から段々と余裕が消えていった。

 そして紫龍は自身の必殺技、廬山昇龍覇(ろざんしょうりゅうは)の弱点をあえて防御せずさらけ出し……胸に手刀が突き刺さるのも構わずに、シュラの左腕を折ってみせた。

 

「くっ、見事だ紫龍……。己の弱点にあえて誘い込み、このシュラの左腕を折るとは……。だが串刺しにならなかったとはいえ、お前の心臓も無傷ではあるまい」

 

 シュラの言う通り、代償として受けた紫龍のダメージは大きい。

 …………それでも紫龍は、動くことをやめなかった。

 

(少し、変わったか)

 

 紫龍との戦いの最中、少しずつ変化していくシュラの心境がその表情から見て取れた。

 敵は倒さなければならない。そういった確固とした意志を残しながらも、相手に敬意を抱き始めている。

 

 …………少々、悔しいな。

 七年ほど任務の間に訓練をつけられる事はあったが、その間私はリューゼとしてシュラの心をなにひとつ動かすことが出来なかった。彼の中で今の私は未だに「父の後を継ぐに相応しくない未熟者」だ。

 しかし紫龍はその体で、心で、戦いの中でシュラの心を動かし始めている。……だからこそシュラも、死に際に紫龍に聖衣と技を遺したのだろう。聖剣を継ぐにふさわしい男だと認めて。

 

「よせ、お前の心臓は相当なダメージを受けている。これ以上動くと血が噴き出すぞ」

「…………」

「立ち上がって、何をするつもりだ……」

 

 相手が格上だろうと曇ること無き信念によって突き動かされる紫龍を見て、シュラが折られていない方の腕を振りかぶる。その動作にこめられたのは、敵を屠る殺意ではなく介錯の意。しかし紫龍は這う這うの体ながら転がって避けた。

 一見、勝利はシュラに傾いている。だが紫龍の高まっていく小宇宙を感じて私の緊張感は増すばかりだ。そして紫龍の尋常でない覚悟を秘めた小宇宙を、一番感じ取っているのは相対するシュラだろう。

 

 紫龍が、シュラの手刀を再び受け止めた。

 

「我が大恩ある老師に禁じられていた、ただ一つの技……」

 

 ! 来る!

 

「な、なんだと? 天秤座の老師にか……」

「この技を使えばどういうことになるのか、オレには分からない。……ただ一つ、これだけは言える! それはオレもお前も、間違いなく滅ぶという事だ!!」

「何!?」

「さあ、約束通りお前も連れて行くぞ!! ……老師、お言葉に背いて申し訳ありません! 星矢、氷河、瞬……女神(アテナ)をたのんだぞーーーー!!」

 

 紫龍の足にぐっと力が入り、天へ昇る龍がごとく上昇を続けていた小宇宙が最高潮に高まった!

 

 

 

廬山亢龍覇(ろざんこうりゅうは)ァァ!!』

 

 

 

 シュラの背後に回った紫龍が羽交い絞めにしたシュラごと、燦然と星々が輝き始めた夜空へ飛び上が……らせるかぁぁ!!!!

 

「でぁあァァァァァァァァァッ!!」

『ストリンガーフィーネ!』

 

 私は引き絞っていた弓を開放するように、体全体、脚全体のバネを開放し跳躍、恐るべき速度で上昇していく紫龍とシュラ……の足首を捕まえた。

 この体では二人分の胴体に腕を回すことが不可能だからな……!

 

 紫龍渾身の命をもかけた技だけあって、上へ向かう力は荒ぶる龍神のごとく。あっという間に掴んだ腕が引きちぎられそうになる。

 かろうじてオルフェのストリンガーフィーネが私の足首と胴体につながっているため、すぐに持っていかれることはないが……。もともとストリンガーフィーネは攻撃用の技。先ほど本当に大丈夫かと確認されたが、やはり聖衣無しではキツイか……! 小宇宙で防御は行っているが、肌に琴の弦が食い込み血が噴き出る。

 持ち運びと潜伏に邪魔だからとエリダヌス聖衣は置いてきたが、こんなことならば持ってくればよかった。

 

 ……いや、しかし今の私とは比べるべくもなく、身と魂を削り、血を噴き出しながら戦っている少年たちが居るのだ。むしろ成長のためなどと言って、彼らを戦わせている手前この程度どうということは無い……!

 むしろ私は甘んじてこの痛みを身に受けるべきだろう!!

 

(これしき……!)

 

 手首の骨が軋む。腕の筋繊維がはちきれんばかりに膨れ上がる。

 龍神のごとき力は今にも私の腕を食い破りそうだ。

 

 だが離してなるものかと、私は少年と青年の足首をぐいと引き寄せた。

 ……お前たちは両方とも、今ここで散るべき命ではない!! 自分の人生を最後まで生き抜いてゆけ! そして幸せになって出来れば私に孫を見せろ!!

 

 引き寄せるのに成功した。

 そう思った瞬間、落下が始まる。

 

「な!?」

「ぬお!?」

 

 先に頼んでいた通り、半ば地面に叩きつける勢いでオルフェのストリンガーフィーネとアイオロスのサイコキネシスによって地に体をつけた私とシュラ、紫龍。

 ここまで数秒に満たない出来事であり、幸いなことに砕け舞い上がった地面の残骸と土煙で視界が一時的にふさがれている。

 

 ガードはした……ガードはしたが、私の分のサイコキネシスをシュラと紫龍が直接地面に叩きつけられない方に使ったからな……。自分の防御がおろそかになり、体の前面が余すことなく地に叩きつけられた。情けないが、正直かなり痛かったぞ。多分鼻血も出ているな。鼻と喉の奥が鉄臭い。

 だが身もだえる間もなく、無様に地に伏せる私はぐいっと後方に引っ張られた。そして満身創痍の私は紫龍とシュラに存在がばれる前に、弦を手繰るオルフェにズリズリと引かれ回収される。

 

 ……投網漁の魚になった気分だ……。

 

「お疲れ様。リューゼ、大丈夫かい?」

「ずいぶん派手に叩きつけられていたな……。いや、やったのは俺たちなんだが」

「だい……じょうぶだ……」

 

 磨羯宮の冷たい床に仰向けでぶっ倒れながら答えれば、慌てた様子の沙織ちゃんが駆け寄ってくる。

 

「どこが大丈夫ですか! 力技にもほどがあります!」

「リューゼお前……体の張りっぷりは見事だが……。他にもうちょっとやり方は無かったのか」

 

 呆れた様子のミロ殿も倒れた私をのぞき込んでくるが、流石にさっき答えた一言が限界で返答する余裕が無い。喉に入った土を吐き出すようにせき込む。

 あれだけ叩きつけられても割れなかった仮面については、製作者のムウ殿に流石と言わざるをえんな……。おかげで鼻が折れなくてすんだ。鼻血は出たが。

 

 他にやりようが無かったのかと問われれば、まあ最初の予定は少し違っていた。なにしろオルフェが応援に駆けつけてくれるなど、聖域に来るまで予想していなかったのだからな。

 最初はムウ殿仕込みで鍛えられた、私とアイオロスのサイコキネシスだけで上昇を抑える予定だった。オルフェの協力のおかげで、私の分のサイコキネシスを落下後の防御に使えたのは正直助かったな。そうでなければ今頃、私もシュラも紫龍もこの程度の怪我ではすまなかっただろう。

 

 まあ当初の予定では、フィジカルのごり押しとサイコキネシスで上昇を抑えるのは最後の手段だったわけだが……。

 

 本当はもっと近くに待機し、タックルか何かで彼らが天に向かう前に引き倒す予定だった。

 だが紫龍とシュラの戦いを見て……気高き戦士の戦いを邪魔することに気が引けたのか、直前まで間に入れなかった。シュラの心を動かした紫龍に、憧憬のようなものまで向けてしまった私は彼らの戦いに見惚れていたのだろうな。

 

「ふっ、世話はない……」

 

 最も救いたい命を前に、そんな感情で予定を狂わせるなどお笑いだ。これで失敗していたら私は自分を幾億と殺しても足りないだろうに。

 

 そんな風に自嘲に浸っていた私だが、外から紫龍とシュラの会話が聞こえてきたので耳をそばだてた。シュラがこのまま紫龍を通してくれればよいのだが……。

 

 

 

 

 

+++++++++

 

 

 

 

 

「ぐッ、な、なんだったんだ……? 急に何者かに足を引かれたような気がしたが……!」

「ま、まさかこの紫龍渾身の亢龍覇が失敗した……だと……!? 馬鹿な、これでは星矢達に合わせる顔が無い……!」

 

 恐るべき速度で地面に叩きつけられたわりに痛まぬ体を不思議に思いつつも、山羊座(カプリコーン)のシュラは体に纏わりつく石材の破片をこぼしながら身を起こした。目の前には半裸の少年が悔しさに濡れた言葉を吐き出しながら、ぐったりと横たわっている。

 ……この少年、紫龍は先ほどの技を放つとき間違いなく、黄金聖闘士である自分以上に小宇宙を燃焼させていた。シュラの小宇宙までもを覆って飲み込むように立ち上っていたその小宇宙は、まさしく昇龍。

 ……正直な感想として、シュラは何故自分たちが生きているのか不思議だった。

 

「…………いや、お前の技は確かに完成していた。あのまま上昇を続ければ、摩擦熱に耐えきれず二人とも天空の塵となっていただろう。しかも黄金聖衣を纏う俺より、お前の方が先に死ぬのは明白。…………。紫龍よ、何故だ? 何故自分が死してまで勝利を求め、戦う。いったいそんな勝利になんの価値があるのだ」

「…………ふっ、無様に生き残り、もはや一歩も体を動かせないオレに問うかシュラよ」

「どうかな? 俺にはまだお前が動こうとしているように見えるが」

 

 シュラの言う通り、もはや常人ならば……否。たとえ聖闘士であろうと動かすことが難しいであろう体に、紫龍は残った力を籠め立ち上がろうとしていた。

 見かねて、シュラは折れていない方の腕を紫龍の脇に差し入れ抱き起す。

 

「! なにを……!?」

「…………いいから聞かせろ。何故、そうまでして戦う」

 

 先ほどまでの熱気が嘘のように、聖域には夜の静けさが満ちていた。遠方でぼんやり揺れる火時計がやけに明るく浮き上がって見える。

 間近で対する黄金聖闘士からはすでに殺意を感じない。紫龍はその様子に戸惑うも、何故そんなことも分からないのかと苛立ちも込めて答えた。

 

女神(アテナ)のためだ!」

「!!」

 

 実にシンプルなその答え。しかしそれだけに、紫龍の言葉はシュラの心に深く突き刺さる。

 

「俺たちは沙織さんを女神(アテナ)と信じ、ここまで戦ってきた。そしてこの十二宮の戦いで、それを確信した!」

「………………」

女神(アテナ)は邪悪と戦うために数百年に一度生まれるという……。沙織さんはこれからその邪悪と戦わなければならない大事な人……! 沙織さんが悪をうちはらい、この世が平和になり、それによってオレ達のような不幸な子供たちがいなくなるなら……。この紫龍一人の命など、安いものだ……!」

 

 最後まで紫龍の言葉を聞いたシュラは一度大きく目を見開いた後、瞼を閉じ数秒かけて息を深く吐き出した。

 一瞬磨羯宮の中から鼻をすするような音が聞こえたが、気のせいだろう。

 

「……お前のような男が世の中にいるとはな……。…………悪いが、俺の話も少し聞いてくれるか」

「あ、ああ……。構わんが……」

 

 激情のままに言い切ったが、返ってきた語調はあまりにも静か。戸惑いが更に深くなるばかりの紫龍が思わず頷けば、シュラは星の輝く空を見上げた。

 

「俺は人間すべてが自分のために戦うのだと思っていた。自己の利益のためだけに、命を懸けるのだと。……いつからだろうな、こんな風に考えるようになったのは。俺の父は自己の利益など考えず、他者を助けるような人だったのだが」

 

 これも、己の弱さか。

 

 きっかけはおそらく十三年前。信頼し、尊敬していた黄金聖闘士が聖域を裏切ったという怒りのままに、下された命令を遂行した。

 次いで八年前。同じく信頼し、尊敬していた父が死んだ。……形は違えど頼もしかった先人を失った中、それでも時間は進んでいく。

 

 心が弱くて、何かしらの自己の利益を求め裏切ったのか。強さが足りずに死んだのか。そうした考えは自然とシュラを力こそ至上という考えに駆り立てた。どこで掛け違ったのか、もはや詳細には思い出せない。

 聖域内で教皇に不信感が募り始めても、教皇は強い。力がある。……そう思えばこそ、従ってきた。今思えば盲目的だったと言えよう。心に生まれた自身の疑問にすら蓋をして。

 

「たとえ教皇が悪であれ、力をもって貫けば正当化されるのではないかと思っていた……。力ある者が、勝ったものが正義を名乗る資格があるものだと思っていた。ふ、そう思わねばやり切れんかったのかもな。……間違っていたのは俺の方だ。もし教皇を悪と認めれば、正義はアイオロスだったということになる。ならば俺は正義を殺した男。…………黄金聖闘士失格だ」

「シュラ……」

「……はっ。情けないうえに、いまいち纏まらぬ話を聞かせたな」

「いや……」

 

 どう言葉を返せばいいのか分からない。そんな紫龍の心境を感じてか、シュラは笑った。自分もまた己の心をつかみ切れていないのだ。むしろ心を整理する目的もあって言葉にしたのだから、聞かされる方はいい迷惑だろう。

 

 だが、これだけはハッキリと言える。

 

「お前に目を覚まされた、礼を言う。……紫龍よ、お前は死んではならん男だ。お前のような男こそ、生きて女神(アテナ)のために戦わねばならん」

「! なら、シュラ!」

「信じよう。お前たちが信じる城戸沙織が女神(アテナ)だと。もう俺はお前を攻撃しない」

「そう……か……」

 

 限界だったのだろう。紫龍はシュラの言葉を聞くと、一瞬踏ん張ろうとしたが全身から力が抜けて脱力状態となる。

 

(無理もない。とっくに限界を超えている)

 

 だがそれでも、シュラが敵対しないと分かった時。彼の視線が向いたのは十二宮の上だった。彼の仲間が進む先だ。

 これほど身を挺してなお、まだ歩を進めようとした男にシュラは心の底から敬意を抱く。

 

 

 何年ぶりかに抱く、実に清々しい気持ちだった。

 

 

「さて」

 

 シュラは紫龍の真央点をついて止血すると、息を深く吸った。そして。

 

 

 

「いい加減出てきたらどうだ!!」

 

 

 

 

 無人のはずの磨羯宮に向かって、静寂をつんざく怒声を解き放ったのであった。

 

 

 

 

 

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