城戸財閥が聖闘士同士の戦い、
その日は一人の少年にとって、運命の分岐点であった。
冥王ハーデスとの戦いからおよそ二百年ぶりに、
そして、アテナ降臨から数日後。……あってはならない事が起きた。
アテナを補佐し、全ての聖闘士を統括すべき役割を持った聖域での実質的なトップ。……教皇が、黄金の短剣を未だ幼いアテナの胸に殺意をもって突き立てようとしたのである。
その事態に偶然気づき、直前でそれを防いだ少年。それが黄金聖闘士が一人、
アイオロスはアテナ暗殺を防いだ折に、仮面の下に隠されていた教皇の正体を知る。……自分たちの主を殺そうとした教皇は、少し前に行方をくらませていた自身と同じ黄金聖闘士、
いつ入れ替わっていたのか。前回の聖戦の生き残りである本物の教皇はどうしたのか。何故あの神のようだと慕われた高潔で心優しい男がこのような邪悪の所業に手を染めたのか。……アイオロスの疑問は尽きなかったが、ただ一つ分かった事はある。
この男から、
そして始まる逃走劇。追手には
なんとか追手をふりきり、満身創痍ながらアテネ近くの廃墟まで逃れたアイオロス。彼はそこで一人の老人に出会う。そしてアイオロスはこの見ず知らずの老人に、死にゆく自分の代わりに彼女を守ってほしいと、アテナと自身の黄金聖衣を託したのだ。その出会いを、アテナを生かすための運命だと信じて。
本来ならアイオロスの命はそこで終わるはずだった。
しかしアイオロスは現在も健勝であり、身を隠して生活してきたものの現在こうして成長したアテナの……アイオロスが彼女を託した城戸光政翁の孫娘、城戸沙織として美しく成長した姿を見る事が出来ている。
「アテナ……。ご立派になられた」
「感動している所悪いが、一応これは不法侵入だからな?」
「少しくらい構うまい。チケットは高いからな!」
銀河戦争が行われている場所は現代に蘇った闘技場ことグラードコロッセオ。満員御礼、チケットにはすでにプレミアがついており観戦が難しくなっているその会場で、現在タダ見をしている不届き者が二人。
隣の(元)男は呆れたようにアイオロスを見てくるが、キッパリとチケットが高いからという理由を述べたアイオロスに対して特に何か言うでもなく視線をそらした。彼も同じくチケットが高いと思っていることは明白。あまり懐事情が温かくないこの二人にとってチケットは高級品であるし、聖闘士として高い実力を有する彼らにとっては警備に気づかれぬよう会場内へ入るなど造作もない事なのだ。ちなみに完全に力の使いどころを間違っていることからは、都合よく目をそらしている。
アイオロスの命は十三年前、この共にタダ観戦をしている(元)男によって繋ぎ止められた。
エリダヌス座のリュサンドロスという男は、任務で若くして命を散らすことが多い聖闘士の中でも珍しくそれなりに古参の聖闘士だ。
鋭い目つきとあまり表情が変わらない鉄面皮、二メートルを超す鍛え抜かれ筋肉に覆われた体は威圧感を発していたが、恐ろし気な外見とは裏腹に意外にも面倒見は良い男だった。おそらく彼の後に聖闘士になった者は、多かれ少なかれ彼の世話になった事があるだろう。アイオロスを始め、黄金聖闘士の面々もまた例に漏れない。
というのも、聖域でも一部の者しか習得していないテレポーテーションが使えるため非常にフットワークが軽く、それを活かして世界各地で任務にあたる聖闘士のフォローをすることが多かったからだ。
時に直接助け、時に導き、時に単なる聖域からの連絡係となる。そんな事をする彼は、聖闘士の中でも珍しい存在だった。
実際のところ彼がそんな事をするようになったのは彼に息子が生まれてからであり、幼い後輩たちについ息子を重ねてお節介を焼き始めたらやめるにやめられたくなっただけなのだが。
ともかくアテナ降臨前の時代まで聖闘士の全体数は降臨後に比べて少なかったため、その存在は貴重だったともいえる。
前聖戦で深刻なダメージを受けた聖域は、教皇シオンが二百年という長くも短い期間で立て直した。しかしその中で人材を育て、任務に当たらせつつ生き残らせる……という事をするには、あまりにも人手が足りない。
そもそも聖闘士になること自体、たとえそれが青銅であろうと非常に低い確率なのだ。そんな中、後輩の聖闘士達の面倒を直接の弟子でない場合も見て回れる者というのは少ない。
そのためリュサンドロスは白銀でありながら、聖域ではそれなりに名を知られ、頼られる者だった。
そんな男が、命尽きる直前のアイオロスの元に現れた。『セェェェェェェェェッフ! ひとつ間に合ったセーェェェェッフ! すまん! 本当にすまん!! おい待て死ぬなアイオロス殿ー!』などと、普段の冷静なイメージとはかけ離れた様子で叫びながら。
そしてアイオロスが命を拾ったまではいいが、何故アテナをそのまま一般人である城戸光政に託し、聖域に帰還し聖闘士達に真実を伝え、偽教皇たるサガに反旗を翻さなかったのか。
その理由もまた、リュサンドロスだった。正確には彼が語る「未来の話」。
時は十三年前へと遡る。
「では十三年もサガを見逃しアテナを放っておけと言うのですか! リュサンドロス殿!」
「落ち着かれよ、アイオロス殿。傷にさわる」
寝台から包帯だらけの体を勢いよく起こしたアイオロスに対し、リュサンドロスはあくまでも冷静に言葉を返す。しかしその内心はといえば、けして落ち着いたものなどではない。彼は彼で目の前で激昂する彼とは別の意味で感情を波打たせていた。その波が何かといえば、動揺である。
「しかし! ……命を助けて頂いた事には感謝しますが、この事態を黙認しろとは……」
「黙認ではない。時を待たれよ、と申し上げているのだ」
「…………。正直、貴方のお言葉であろうともにわかには信じられん。この先の、未来を知っているなど」
そう。リュサンドロスは転生者としての知識をこの世界に生まれて初めて別の誰かに打ち明けたのである。
彼はこの世界に生まれる前の、もう一つの記憶を有していた。その中に紛れ込んでいた知識こそ「聖闘士星矢」。……まさかいきなり前世だの漫画だアニメだのと言っても信じては貰えないだろうと、リュサンドロスはそれを「予知」としてアイオロスに語ったのだ。超常的な力に接することが多い聖闘士にとっては、そちらの方がよほど信憑性がある。とはいえ、そう簡単に信じてもらえるかと言えばそうでもないが。
「……信じる信じないは、アイオロス殿の自由だろう。だが」
「! リュサンドロス殿!?」
「どうか私に、貴方の十三年間をあずけてはくれませんか」
突如目の前で膝をつき深く頭をさげた男にアイオロスは狼狽える。リュサンドロスはアイオロスをはじめとした黄金聖闘士に対して、年下であろうと関係なく常に敬意を払っていた。しかしかといって、世話になった記憶も多い年長者にこうして頭を下げられてはアイオロスとしても、どうにも居心地が悪い。
「……頭をあげてください」
「……まず、考えてみるだけでもいい。傷が治るまでの間に」
真剣な声色と相変わらず下げられた頭に、アイオロスは深くため息をついた。
「……分かりました。では、貴方が言う未来の話をもう少し詳しく教えてはくれませんか。それを聞いてから、考える事にします」
そして語られる未来の出来事。
「…………え、いや、ちょっと待ってくれ」
「ええ」
アイオロスはたった今ぶちまけられた話の内容を、「何を馬鹿な」と一蹴したい気持ちを必死に押さえつけながら話を咀嚼する。彼は未だ十四歳という若き身であるが、前教皇に次期教皇にと推奨された心技体を兼ねそろえた男なのだ。これしきで動揺してどうすると、アイオロスは自身に言い聞かせた。
「少し、その、理解が追い付かないというか受け入れられないというか……」
「そうでしょうとも」
しかしやはり、彼も十四歳の少年。たとえ大人のように立派な体を持っていようと、心はまだ繊細なのだ。今しがた聞いた話は簡単に受け止め切れるものでも無かったらしく、その声には動揺が現れていた。そしてそれと相対するリュサンドロスの声は落ち着いていたが、そこには冷静さよりも同情心がにじんでいた。「ああ、まあそうなりますよね。わかりますぞ」と。
「何ですか? このまま貴方が知る未来通りに進むとしたら、身内争いで白銀聖闘士と黄金聖闘士を多く欠いた状態で冥王と戦うことになると? 海王を相手にした後で? しかもアテナは二度も単身敵地に乗り込むと?」
「事実です。あ、いや冥界に行くときは確かシャカ殿が一緒に居たような……」
「それがもし本当ならなおさらアテナもサガも放っては置けないではありませんか!! 何のための十二宮なのだ! お守りするアテナを直接敵地に赴かせるほど窮地に陥るなどあってはならぬ事だろう! こ、こうしてはおられん! やはりすぐにサガを討たなければ! サガよ、お前がどうしてそのようになってしまったかは分からん。だが! アテナに仇名す結果となるならばせめてこのアイオロスがこの手で……」
「あ、アイオロス殿! 分かる! 言いたいことは分かる! しかし、少々落ち着かれよ! もう少し、その、話を聞いてくださいませんか! 詳しく私の考えを話させていただくゆえ! サガ殿の状態についても私が知る限り話そう!」
「これが落ち着いていられますか!」
アイオロスの怒声が空気を震わせた。
そしてその瞬間、ぷしゅっと赤い飛沫が飛び散った。
「あ」
バタンっと、糸が切れた人形のようにアイオロスはぶっ倒れた。顔面を蒼白にして、頭に巻かれた包帯を真っ赤な血で染めながら
「あ、アイオロス殿ーーーーー!」
その日二度目のリュサンドロスの野太い悲鳴が、ギリシャの地に響き渡った。
そして現在。
「おい、フェニックスと
「なに、これも青銅たちの試練よ。ここは静観しようではないか」
アイオロスとリュサンドロスは
ちなみに十三年の付き合いともなれば気安く話せる仲にもなろうというもので、堅苦しさはない。
十三年の間にリュサンドロスが女になるというアクシデントはあったが、アイオロスにとって彼が同志であることに変わりはなく、その程度些細な事だ。それを言えばこの(元)男は怒るだろうが。
ともあれ、十三年。共に息をひそめて生きてきた。それがこの先、運命は怒涛の勢いで加速していくだろう。何もかもを巻き込んで。
そして、つかみ取るのだ。
光に満ちた、"先"を。
そして現行のイベントは見逃すものの、始まりは目前に迫っている。
「とにかく今は英気を養っておくぞ! これから忙しいからな」
「ああ! 彼らに頼らねばならんのが少々不甲斐なくはあるが、万全を期すためだ。しかたがあるまい」
「そうだ。とにかく我らは裏方に徹するぞ。戦いの鍵となる青銅たちの成長を促しつつ、彼らに倒される聖域の戦力を可能な限り助け確保せねばならんのだ。地味だがなかなかに骨が折れる」
彼らの戦いが始まるまで、あとわずか。