「一応シュラには一言かけておいたが、大丈夫かあいつ……」
「すまんな、ミロ。私や
「僕では咄嗟に彼を止められるほどの面識がありませんしね」
磨羯宮を通り過ぎ宝瓶宮へ向かう途中。通り抜けざまにここは一応同僚である自分から声をかけておくべきではないか? と思い至ったミロが、シュラへテレパシーを用い呼びかけていた。
これで残してきたリューゼも説明しやすくなっただろう、という彼の気遣いである。……しかしその親切心は功を奏したものの、その後リューゼことリュサンドロスが自分で自分の首を絞め苦しんでいることを彼が知りようもない。知ったところで「自業自得」としか言いようがないだろうが。
ともかく今はこの身内争いを死者無くして終わらせようという
「む……。どうも中に居るのはカミュと氷河だけのようだな。師弟対決、というわけか」
「ならばまた二手に分かれますか? 星矢と瞬はすでに先に向かっているようだ」
オルフェの問いにアイオロスはしばし逡巡したが、何か言う前にミロが軽く手を挙げた。
「ここは俺が引き受けよう。アイオロス達は先に行ってくれ」
「いいのか?」
「ああ。全員ここに留まっていても仕方があるまい? カミュは気配には敏感な方だが、今は弟子に集中してるみたいだしな。こうなった時の奴はある意味で俺より直情的というか……クールなくせに熱い男だ。俺が気を引いておけば隣を抜けていくことは問題ないだろう」
「そうか、なら……」
ミロの言葉に思わず頼んだと頷きそうになるが、はたと思考を止めアイオロスは考える。
宝瓶宮を抜けていくことに関しては良いが、自分たちの一番の目的は星矢達
ミロにはダイダロスやオルフェにしたように「教皇は討ち果たすべき悪であるが、此度の事態は女神に与えられた試練と捉え、女神の代行者としての役割を青銅聖闘士達に任せ、出来る限り戦いを見守る」という旨を伝えてある。だがその戦いの過程でまさか黄金聖闘士の方が死ぬ事態になると予見しているなどと、事情の全て知らない彼が察せようはずもない。
ミロはこれまでの戦いで常に限界を超え続けた青銅達に敬意を覚えているようだが、よもや黄金聖闘士ともあろう者が青銅相手に死ぬはずがない……そう思っているはず。彼としては青銅達の方が死なぬように見ていてやろう、という心積もりだろう。
その認識で一人だけ残していった場合、いざという時カミュの命を助けられるだろうか。最初から死ぬ可能性を認識していなければ、取り返しのつかない事態になりかねない。
かといってこの先に居る魚座のアフロディーテも、下手に遅れると死ぬ可能性が高い。……今さらながら息子相手だからと、リューゼを説明係に置いてきたことに少々後悔を覚えるアイオロスである。
しかしもたついている場合でもない。ここはリューゼが早く追いつきミロと合流することを信じ、先を急ぐべきだろう。
「どうした?」
「いや、なんでもない。ではここは任せるぞミロ」
懸念を振り払いミロに笑顔を向けるアイオロスだったが、対してミロは一瞬言葉に詰まった。その様子に首をかしげるアイオロスだったが、次の言葉で「ああ」と納得する。
「任せる……か。あなたにそう言ってもらえる日を、頼れる男になれる日を、幼いころの俺たちは目指していたはずなのにな……。こうしていざ言ってもらうと、どうも居心地が悪い。俺たちはずっと、十三年間もあなたを誤解していた」
「過ぎたことだ、気にするな」
「そうは言ってもな。俺でこれなんだ、シュラなんかはもっときまりが悪いだろうさ」
ミロはそう言って苦笑しながらも「ほら、早く先に行け」と促す。
(これは……私が思っている以上に、気まずい思いをさせてしまいそうだな)
この件が終わった後のことを想像すると、十三年間死人だった身としてはどう顔を合わせたものかと思い悩むが……今はまだそれは贅沢な悩みだ。まず"無事に"この件を終わらせなければならない。
アイオロスは気を引き締めなおすと、風邪をひかぬようにと念入りに埃をはらったトレンチコートで
++++++++++
「ミロ、状況はどうなっている」
「お、意外と早かった……な……?」
磨羯宮を後にし後を追った私たちを、宝瓶宮前で出迎えたのはミロ殿一人だった。宝瓶宮にはカミュ殿と氷河しかいないようだし、先に進んだ星矢達をアイオロス達は追ったのだろうな。
…………というか、こちらを見て言葉尻を疑問符と困惑に変えていくミロ殿の視線が痛い……何故こんな、こんな状況に……!
「シュラ殿……その、そろそろ下していただきたく……! 自分で歩けますから……!」
「その怪我では俺が抱えた方が早いとさっきも言っただろう。それと遠慮はいらん。兄と呼ぶがいい」
「は? 兄? ……どういうことだ?」
シュラの口から飛び出た単語にミロ殿が更に困惑を深める。
それもそうだろうな! 私の方が何故こうなったのか聞きたいくらいだ! 自業自得だとは分かってはいるが!
今の私がどうなっているかといえば……シュラに俵抱きで運んでもらっている状態だ。横抱きでないのがせめてもの救いである。
精神力を多大に消費しながら説明を終えたあと、宝瓶宮へ向かおうとした私にシュラが自分が運ぶなどと申し出てきたのだ。
思った以上に切り傷による出血と体全体を打ち付けた打撲が響いていたため、申し出そのものは非常にありがたく、それ以上に八年前から先ほどまで一度も軟化しなかったシュラの私への態度が柔らかくなったことに喜びは感じるのだが……。
私はそれと引き換えに、非常に重大な過ちを犯してしまっていた。
現在の私はシュラにとって「離れて育った一つ下の妹」ということになっている。
何故こうなったのか自分でも本当に訳が分からない。いや分かってるんだが、すでに取り返しがつかなくなっている事態について深く考えたくないのだ。
まず「自分の妹ではないか」というシュラの予想外の問いに、頷いてしまったのが最初の失敗である。貧血で頭に血が回らなかったことを合わせても、あれは無いだろう。そこで何故頷いた私よ。
その後「それで父さんはお前にエリダヌスを……。いや、しかしそうなると母さん以外に女が……!?」とシュラが言い出して、妻一筋の私としては不貞を疑われ非常に焦った。焦ってしまった。
私は妻と出会ってからは断じて他の女にうつつを抜かしてなどいない! …………と、一番誤解してもらいたくなかったことを繕うために、嘘を重ねてしまったのだ……。
いわく、自分はリュサンドロスとその妻アナスタシアの実子であり、シュラの一つ下の妹であること。
いわく、自分は生まれた時とても体が弱く、一歳のシュラを育てる妻にこれ以上負担をかけられないと思ったリュサンドロス(私)が引き取ったこと。
リュサンドロス(私)はひそかに小宇宙による治療を試みながらリューゼ(私)を育て、その過程で体を強く保たせるために小宇宙の扱いを覚えさせ、体そのものも鍛えた。しかしリューゼ(私)を聖闘士の世界に入れるつもりはなく、いずれ成長後は一般社会に送り出すつもりだった。だからこそ死の直前まで兄の存在も伝えず、シュラにも妹の存在を明かさなかった。しかしその途中でリュサンドロスは古の神に敗れ致命傷を負ってしまい、その場に居合わせたリューゼ(私)は反対する父(私)を押し切って、自分(私)が遺志を継いで聖闘士になると誓ったのだと…………。
まあ、こんなオールキャスト私で構成されるトンチキな即興の作り話をしたわけだ。そして何故かシュラはそれをすんなりと信じてしまった。死ねないが死にたい。
シュラよ、いくら顔が似ているからといってそんなすぐに信じてしまってよいのか……!?
しかし時間を無駄にするわけにもいかず、
非常にざっくりとした説明になってしまったが、細かいことは後で聞いてくれと言い残しアイオロスの後を追おうと……したら「その怪我では追いつけまい、俺が運ぼう。もとより体も強くないのだろう? ……今までの事は、すまなかった。色々話したいことはあるが、せめて今はお前を運ぶことくらいさせてくれ」と申し出られ、こちらが何か言う前に体は息子に抱えられていた。死ねないが死にたい。
下ろしてくれと頼んでも「先を急ぐなら俺が抱えた方が早い。自分の状態の確認も出来んのか!」と怒られてしまい、もとより息子に弱い私は黙るしかなく……現在こうしてミロ殿に恥をさらしているというわけだ。
私の正体を知るアイオロスに見られなかったのは救いだろうか。
ちなみに私の顔は現在布に穴をあけたもので隠されている。私の仮面を切ってしまったシュラが気にして巻いてくれたのだが、正直不審者度合いが増したぞ。今はそんな場合じゃないから気にしないと言っても頑として譲らなかった。私は素顔を見られようがどうしようが相手を愛しも殺しもせんというのに、何故周りの方がこうも気にするのだ!
「それで……中の……状態は……」
ぎりぎりと眉間に皺が集まり、羞恥で顔が赤くなることを自覚しながらも現在ここは宝瓶宮。場合によってはすぐカミュ殿の治療に入らねばならぬため声を絞り出すようにして問えば、ミロ殿はちらちらとこちらを気にしながらも宝瓶宮の中を指した。
「流石は氷河だ。カミュによく食らいついている。カミュのオーロラエクスキューションをくらったうえで立ち上がるとは驚いた」
ミロ殿は私たちの事情を知る前に自分が認め、先へと進ませた男が見事な戦いを見せていることが嬉しいのだろう。口の端がわずかに持ち上がっている。
「一度カミュの気を引くために中に入ったのだが……邪魔だと追い出されてしまった。奴も真剣に弟子と向かい合いたいのだろう。あれで情に厚い男だからな。一人の男と認め、立ちはだかることこそカミュなりの氷河への賛辞よ」
「紫龍もそうだったが……なるほど。女神がご自身の命運をかけた代行者に選ぶわけだ。見事に小宇宙を高めているな。氷河もまた究極の小宇宙、セブンセンシズを使いこなすに近い場所に居るという事か」
「……ちなみにシュラよ、お前どこまで話を聞いた? いや、俺も時間が無くてそこまで詳しく聞けたわけではないが」
ミロ殿の問いにシュラは眉間の皺を濃くし苦し気に顔をゆがめた。……シュラの心境を思えば、私が抱く羞恥など些末なことであったな……。
護りたいと思いながらも、この子には随分と背負わせてしまった。
「俺たちが……いや、俺が馬鹿だったということは、理解した。
「ふむ……だいたい聞いたようだな。まあ俺以上に思う事は多いんだろうが、馬鹿だったのは俺たち全員だ。まずは
「教皇……サガか。まさか、あの神のようだった男が女神に牙をむくとはな」
苦々し気にサガの名を口にしたシュラに、中の戦いを伺いながらもひとつ訂正を入れる。
「申し訳ない、言い忘れていた。そのことなのだが……サガ殿自身は昔の彼から変わっていない。問題は彼を野望に無理矢理駆り立て操っている裏の人格だ」
「何?」
「本来のサガ殿はその裏の人格を抑え、邪悪な野望を阻止している状態にある。私は……その、それをリュサ……父さんから聞いていてだな……」
「なるほど、監視していたわけか。そして父さんの代わりに父さんが助けたアイオロスと連絡をとり、今回満を持して
「あ、ああ。うん、まあそんな感じだ……」
全て理解したとばかりに納得顔で頷くシュラに、私が返す言葉は曖昧だ。もう……これは元に戻るまでこれで通すしかないが……アイオロス達に何と説明すればよいのだ……! 口裏を合わせてもらうためにどうあっても話さねばならんが、それを思うと気が重い。
「む、二人とも。どうも決着が近いようだぞ。……これは止めに入った方がよいか? 氷河の奴、聖衣が砕け散ってしまっている。どうやら師の技を真似て放つつもりのようだが、流石に勝てまい。このままだと死んでしまうぞ」
「!」
くッ、ええい! 今は私のことなどはどうでもよい! 救命こそが優先だ! つい考えにふけってしまったぞ!!
……二人は向かい合い、現在同じポーズで構えている。あれは
普通に考えればミロ殿の言う通り、勝つのは師であり技と経験に勝るカミュ殿だろうな。だがそこを超えていくのが彼ら、
安全性を考えればここで止めておきたくはあるが、氷河の小宇宙が十分に高まっているとはいえ……おそらくここは彼の成長の肝となる。きっと氷河はここで完全に師の技をものにするのだ。
(ふむ、そうだな……。ここはせっかく黄金が二人も居るのだ。協力を仰ぐか)
確か技を受けようとも即死ではなかったはずだから、私の回復手段でも間に合うだろう。が、出来ればリスクは最小限にとどめたい。
そうなればミロ殿の必殺技よりも……。
「シュラ殿。申し訳ないが、お力を貸していただきたい!」
時間も無いためシュラの腕をひき宝瓶宮内へ足を踏み入れようとするが、シュラはその場から動かない。や、やはり急すぎたか……!
そう思って手を放し私一人で行こうとすれば、今度は逆に腕を掴まれ後ろに引かれた。それと入れ替わるようにしてシュラが前に出てずんずんと中へ進んでいく。
「な、なにを!?」
「ここまで高まった小宇宙に横やりを入れるのだ、ただではすむまい。お前はここで待っていろ」
そう言い残すとシュラは氷河の横を通り過ぎ、丁度カミュと氷河の中間に位置する場所に陣取る。
「な、シュラ!? くっ! ……受けよ氷河! オーロラエクスキューションの神髄を!」
それに気づいたカミュ殿が驚きに目を見開くも、もう技は互いに完成している。
カミュ殿と氷河、二人の技が炸裂した。
『オーロラエクスキューション!!』
互いに重ね合わせ体の前に突き出した拳から凍気の嵐が吹き荒れる。その勢いはすさまじく、入り口付近に居た私の表皮までをも凍らせた。すぐさま小宇宙を高め凍結を防ぐが、思った以上に寒気が傷に響く。しかし事態から目をそらすわけにもいかず、凍気の勢いに転ばぬよう足を踏ん張りながら張り付きそうになる瞼を持ち上げた。
するとその視線の先でシュラが小宇宙を最大限まで高め……振り上げた手刀を振り下ろすさまを目視する。
途端、これまでの比でない暴風が宝瓶宮内で吹き荒れる。
当然だ。黄金とその黄金に迫り、超える小宇宙がぶつかるその中心点に……更に同等の力がねじ込まれたのだ。……これはシュラが止めてくれなければ、私など千々に引き裂かれていたかもしれんな……。治療どころではなかったぞ……。
それにしても、くッ……! これはさすがに、踏ん張りが……!
「うおぉぉぉぉお!?」
「おい、大丈夫か!? いやしかし、これは俺もキツイ……!」
吹っ飛ばされそうになった私を柱に手をかけたミロ殿が捕まえてくれるが、それでもすでに床から足が離れ体が宙を舞っているため気を抜けない。
あと少しで宮外へ吹き飛ばされると思った、その時だ。
『クリスタルウォール』
落ち着いたその声が聞こえた途端、暴風が嘘のようにおさまり浮力を失った私は床に落ち、腰を強かに打ち付けた。
「む、ムウ殿」
腰を摩りながら振り返れば、そこには先ほど分かれたムウ殿。どうやら処女宮から追いついてきたらしい。
そして腰の痛みに呻きつつもはっと我に返り宝瓶宮内を見れば、依然として小宇宙の嵐が吹き荒れている。どうやら現在私たちは、ムウ殿の技でその空間から保護されているようだ。
「やれやれ、ずいぶんと力技に出ましたね」
「は、はは……」
言えない。ここに来るまでほとんど力技でのごり押しだったなどと。
曖昧な顔で誤魔化すように頭をかいていると、ばんっと背中を叩かれた。
「お前の役割は回復なんだろ? ほれ、もうすぐ収まりそうだ。カミュと氷河、それと妹を気遣ってくれた兄の心意気に応えるよう、ここからはお前が頑張るのだぞ。俺も手は貸してやるから」
「ミロ殿!? それは承知しておりますがッ」
「妹? 兄?」
遅かった。
しっかり聞かれていた。
私は早くも我が身から出た錆の説明を、事情を知るものに話さなければならない悪夢に頭をかかえた。
そしてまずは自分のやるべき事をやらねばと切り替えると、心を奮い立たせ床に倒れ伏す三人の元へ向かうのだった。
…………ツライ。