「ど、どうぞ……」
「ああ、すまん」
私が机の上に置いた安物のカップに入った茶をしばらく見つめたあと、シュラはそれを一気に飲み干した。淹れたばかりのため熱いはずなのだが、一気である。……一瞬動きが止まっていたが、大丈夫だろうか。
そして茶を飲み干してしまうと、特に何を話すでもなく沈黙が落ちる。……気まずいのは私も同じであるため、もう一杯茶を淹れた。
むぅ…………距離感を掴み損ねているのはありありと伝わってくるのだが、とても気まずい。
サガと二人きりで書類を片付けつつ愚痴というか懺悔もどきを聞いていた時の比ではないくらいに、気まずい。
沈黙に耐えかねて、先に口を開いたのは私だった。
「あの、妹だからと無理して距離を縮めようとしなくてもいいですよ」
本当はこんなこと言いたくないのだが……。シュラを困らせるのは、私の本意ではない。
私としては息子に嫌われなくなり、こうして訪ねてきてくれるようになったのはとても嬉しい。だがそれはこうして私が自分をシュラの妹だと偽っているからであるし、血のつながりを理由にシュラに無理をさせるのは忍びない。
今まで嫌っていた相手を、妹だからという理由で接する必要はないのだ。
(でも、真面目な子だからな。血のつながりがあると知って、放っておくことも出来んのだろう)
シュラは聖域がそこそこ落ち着いたころから、私がこちらに居る時はこうして訪ねてくるようになった。
かといって何を話すでもなく、ぽつぽつと「元気か」「無理はしていないか」などと短い質問を投げかけてくるのみ。顔が似ているからか、そのさまが昔の自分に重なってどうもむず痒い。
私も妻に初めて会ってからしばらくの間はこうして、当たり障りのないことを口にしてはもどかしい気持ちを味わったものだ。……当然、シュラが抱いている感情は私のように、照れからくる戸惑いではないだろうが。戸惑いのみが感情の大半を占めているに違いない。
……本当に、ごまかすためとはいえ何故あのような嘘をついてしまったのか。アイオロスには笑われるし、ムウ殿には心底呆れたといったような視線で見られるし散々だ。
「…………無理を、しているわけではない」
私が自身の過ちに眉間に寄った皺をほぐしていると、何か勘違いしたらしいシュラがうつむき気味だった顔を私に向けそう言ってきた。ああいや、これは自分の不甲斐なさに変な顔になっただけであってだな……! けして、お前に嫌な顔をしたわけでは!!
「ただ情けないが、何を話していいのかさっぱり浮かんでこんのだ」
「いや、それを無理している……と言うのですが……」
思わずつっこめば、シュラの声のトーンが落ちた。
「お前にしてみたら、この男は毎回何をしに来ているのだと……そう思っているのだろうな。このような兄、鬱陶しいだ」
「そんなことはない! あなたに会えるのはとても嬉しく思う。だが、あなたが無理をしている姿を見たくないのだ」
思わず言葉が終わる前に食い気味で訂正すれば、シュラは驚いた様子で目を見開いた。
「…………嬉しい? お前こそ無理はしなくていいのだぞ。これまで自分がどんな態度をとってきたかは、自覚している」
「え……」
どうもシュラは自分が嫌われている前提で話しているらしい。
普段は妻によく似て白黒すっぱりつける
しかしせっかくの機会だ。……せめて私が嫌っていないことくらいは、ちゃんとわかってもらおう。
「私はあなたを愛している」
「ぐほ!?」
ストレートに言ったら茶でシュラがむせた。
しまった、言い方がまずかったか!! え、ええい! 日本人でもあるまいしこの程度の言い回しで動揺するでないわ!
「か、家族としてですもちろん! 家族として!!」
「そ、それは、もちろん分かっている! だがそこまで盛らなくていいし嘘もいらん!」
これには少しピリッときた。
世界で一番愛している。
これは偽りなき、心からの私の気持ちである。妻亡き今、この世で最も愛しく大事な存在は間違いなく彼だ。私の大事な息子。
「嘘ではない! どうしたらあなたは信じてくれる!」
「俺がお前に今まで何をしてきたと思う!? 体の弱いお前を痛めつけ罵倒した! それのどこを好きになれる!」
「いずれも訓練の範囲内でしょう! それに私が弱く情けなかったのは事実です! あなたは私を強くしてくれようとしただけだ!」
「ああ、強くしようとしたさ! だがその訓練の中で、必要以上に辛くあたったのも事実! 本来聖闘士の世界に足を踏み入れるはずが無かったお前が、父の意志を継ぐために意を決して聖域に来たというのにだ!」
「きょ、きょきょきょ兄妹だと教えなかったのは私が臆病だっただけにすぎません! とにかく、私はあなたを嫌っていない! 訓練で接することが出来るのは嬉しかった!」
段々と互いにヒートアップしてきていたことは分かっていたが、双方が主張を譲らないため平行線だ。
どちらともなく、間にある机に激しく手をついて立ち上がる。
「ええい、頑固な!」
「どっちがだ!」
そのまましばらく睨み合い……頭に登った熱が冷めてきたところで微妙な空気が流れ始め硬直する。つ、次に何を言えばいいのだ……。ついけんか腰になってしまったが。
しかし意外にも、先に折れた? のはシュラだった。
大きなため息を吐き出すと、まっすぐに私を見る。私も仮面越しにシュラを見た。
「…………お前はいつも俺の顔色を伺うような情けない態度だったが、今は視線をそらさず見てくれるな」
「そ、それは」
シュラから嫌われている事実が辛くて、どうしてもオドオドした態度になっていたことは否めない。…………自分で言うのもなんだが、中身二メートル超えの五十代大男がオドオドなどと気持ち悪いな。
「リューゼ」
ふいに呼ばれた名前。流石にもう八年の付き合いともなればタイムラグなしに反応できるようになった女としての名を、シュラは自分の妹の名だと認識している。複雑だが、名前を呼ばれたのは嬉しかった。
「お前もまた、今まで存在すら知らなかった兄に戸惑っていたのだろうな。まったく、父さんも人が悪い。お前のこともそうだし……アイオロスのことだって、俺にも教えてくれてよいものを」
「それはっ」
「言わなくていい。事情があったのだろう? …………あの後から俺は教皇……アーレスの「力こそ正義」という考えに傾倒していっていたからな。父に信頼されなかったのは悔しいが、もしアイオロス生存を知ったら報告していたかもしれない。それでは
「それは違う。わた……と、父さんは真実を知ることで、に、兄さんが危険にさらされることを避けたのだ」
「…………!」
ぐ……! 自分のことを父と言ったり、シュラの事を兄と呼ぶのはどうもまだ慣れんな……!
実際は物語の流れを極力変えないために事実を知る人間は極力少なく、という方針のもとシュラには事実を伝えなかった。だが真実を知ってシュラが教皇こと裏サガに殺される危機を避けたかったのも事実であるし、なにより物語の流れを変えないと言うのはシュラの命を救うためでもあったのだ。
多少言い方を変えてはあるが、彼のため、という事実は私の中で揺るがない。
「まあ、その、あれだ。あなたも突然妹などと言われて、戸惑っているだろう。それはお互い様だ。……どうも私たちは互いに面倒くさい性格のようだし、ここは一回これまでのことを水に流すというのはどうだろうか」
「水に……?」
「あ、ああ。……これから新しく、兄妹として関係を築いていけたらと思う」
…………なにやら私は余計に自分を追いつめている気がしてならないが、愛する息子が私の事なぞで思い悩んでいる方が問題だ。
それに当面もとには戻れぬようだし、ぎこちない関係よりも少しでもいい関係でありたいと思うのは我がままだろうか。だが私は八年もよく我慢した方だとも思うのだ。
少しくらい、自分に褒美があっても良いではないか。そろそろ息子と仲良くしたいんだ私は。
その形に大いに問題があってもな!!
胸中で様々な思いを渦巻かせている私だったが、頬を緩ませわずかに笑んだ息子の顔で全部ふっとんだ。
「…………。そうだな。不甲斐ない兄だが、これからよろしく頼む。何かあれば、頼れ」
「…………はい!」
なにが「はい!」だと脳内で自分を殴り倒すもう一人の自分を感じたが、私は気づけばいい笑顔でそう答えていた。
「そうだ、この後予定はどうなっている。大したものは作れんが、夕食でも一緒にどうだ」
「是非! ならば私もなにか作りましょう。アテネまで走ってタコでも仕入れてきましょうか!」
「いや、今からでは店が閉まっているだろう。ある物で十分だ」
息子と夕食! そう思ったら妻が得意だったスペイン風のタコ料理でも作ってやろうかと考えたんだが……いかん……少々はしゃぎすぎてしまった……。
シュラもこんな落ち着きのない女が、よもや父だとは思うまいな……。
羞恥に項垂れていると、硬い皮膚の手のひらが私の頭にのせられる。撫でるでもなくただ乗せられた手のひら。……それは昔、私が息子にしていた動作によく似ていた。
「タコ料理はまた今度、ご馳走になろう」
何年も聞いていなかった息子の穏やかな声に私はただただ安心し…………とりあえず、もとに戻った時のことは考えないことにした。
今この時は、数年ぶりの家族との食事を楽しむことにしよう。
キリキリキリキリ(主人公が作者と自分の首を絞める音)