尻ぬぐいのエリダヌス~駆け抜けて聖戦~   作:丸焼きどらごん

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36,同盟の行方

「……何の用だ」

「…………。その言い草は感心しませんな、"使者"殿」

 

 扉を開いた先で真っ先に私を出迎えたのは、眉間にマリアナ海溝のような皺を刻んだしかめっ面だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリアナ海溝と出くわしてから、数刻後。

 

 

「おっ母様~!」

「だからですね女神(アテナ)! 呼び方!!」

「んもう、女神(アテナ)でなく、お名前で呼んでくださいまし!」

 

 デジャヴである。というか最近このやり取り自体が多い気が。

 辰巳殿……慣れたように見ないふりをしないでくださいませんか。少しはたしなめてください執事として。私からあまり言うと落ち込んでしまわれるのですよ。

 

「いや、あのですね。それは誰も居ない時の約束で……今ここには……」

 

 ここは日本、城戸邸の一室。この平和なひと時は、数日前に海界との交渉を無事に終えた証拠である。

 

 ぴょんっと跳ねるようにして抱き着いてきた亜麻色の髪の乙女が、そこで手腕を振るった女神様なのだからどうにも調子が狂う。……なんというか、他での毅然とした印象が嘘のように私の前では甘え上手なのだよな、この子は。

 私としてはつい最近まで漫画原作かアニメ原作の城戸沙織を想定していたため、名づけがきっかけでここまで変わるものか? と困惑しきりである。これも蝶の羽ばたき、というものだろうか。

 

 しかもこの少女、ここ最近はわざと甘えた上でからかっている節がある。年頃の少女らしいと喜べばいいのか、お戯れが過ぎると嘆けばよいのか。

 現在下手に同性なものだから「女神とあろうものがはしたない真似をなさいますな」と言ってくっついてくるのを諫めることも出来ない。困った。

 

(まあこれで多少の息抜きになるのなら、それはそれでいい……のかもしれないが。まだこれからも戦いは控えているのだし)

 

 そして確実に私も親しめる相手として認識し、ほだされているのだから苦笑するしかない。

 ……うむ、やはり娘も良いな。

 

 

 

 

 

 

 

 思い起こすこと数日前。

 

 我らが女神(アテナ)こと城戸沙織は、海底神殿にて見事に海皇ポセイドンとの交渉を成功させ同盟を結んだ。……交渉というには、いささか荒々しい……荒々しい? 押しが強い? 部分もあったが、まあ成功したのだ。結果良ければ問題ない。

 しかしそれに慢心はせず、彼女はすでに次への布石をうっている。今ごろ冥界の者達にはフェイクの情報が流れていることだろう。

 

 この情報操作であるが、同盟締結の恩恵とばかりにさっそく海界勢にも協力を願った。動いてもらったのは海魔女(セイレーン)のソレントと、リュムナデスのカーサ。

 ソレントが奏でる鱗衣のフルートは、海上をゆく数多の船をその美しい歌声で惑わせた海魔女……セイレーンの幻惑の音色。相手の脳に直接訴えかける攻撃は強力だ。その音色と「敵の心を読み取り、相手の最も愛するものの幻影を作り出す」という、これまた恐ろしい能力を備えた海の魔物リュムナデスの海将軍カーサの技を合わせ効果を調整し、偵察に来ていた冥闘士に強力な幻覚を仕掛けたのだ。

 そこに畳みかけるようにして念話の得意なシャカ殿、ムウ殿が偽の情報を具体的に刷り込み幻覚に説得力をもたせた。

 上位の戦士ならばともかく、偵察に来ていた下級の冥闘士には抗えまい。まんまと騙されてくれたわ。

 幻覚だけでなく、実際に互いの力量を計るための模擬戦も交えたしな。その小宇宙がぶつかり合う衝撃は冥界の入り口……もとはハインシュタイン城と呼ばれていた、現在冥闘士達が地上の拠点としている場所まで届いただろう。

 海将軍と黄金聖闘士の戦い……互いに必殺技を伏せてのものであったが、実に見事だった。

 

 

 それにしても、今回味方に引き込めたからよいものの海将軍の力は恐ろしいな。いざ目の当たりにして、改めて実感した。

 

 模擬戦にて知れた地の戦闘力に加えて、各自が有する能力。それを思うと冥界などに比べ上位戦士の数こそ少ないが、質に関してはまったく劣っていない。

 特に偽の情報を掴ませるために奮ってもらった、セイレーンとリュムナデスの力……。個人の感想としては、あれらが特に恐ろしいな。サガが使う幻朧魔皇拳や一輝の鳳凰幻魔拳などもそうだが、幻覚というものはシンプルに強いのだ。

 いかに屈強な戦士といえど、精神に働きかけられると弱い。これは原作で運が悪いことに搦め手の相手ばかりにぶつかってしまった、牡牛座のアルデバラン殿を例に挙げるとよくわかる。

 ……いや、例に挙げるには申し上げないのだがな。彼は悪くないのだ本当に。彼は強い。 ただ本当に対戦表に恵まれなかったというか……いや、よそう。

 これはあったかもしれない、もしもの世界の話だ。

 

 それにいざ敵対した時に厄介ではあるものの、相手の能力が「こういうものだ」と分かっていれば、受ける側の心構えも違うし対応も出来るというもの。知っている事自体が牽制にもなる。作戦を提案するとき「何故こちらの能力を知っているのか」と、ソレントとカーサを驚かすことが出来たのはよかった。

 ともにひとつの作戦を実行した、ということで多少なりとも同盟関係を強く意識させられたのなら更に良いのだが……それは彼らの心がのみが知ることだ。

 

 能力については、対外的には古代の戦いを記した書物に書かれていた、と答えた。……そんなもの、実際はほとんどがこれまでの聖戦の最中消失しているんだがな。

 が、そもそも海界はポセイドンが封印されている間は無人に近かったであろう世界。情報量で優っていること自体は間違っていないし、せいぜい勘違いしてもらえたらありがたい。実際に失われた文章も文官たちが地道に修復しているわけだし。

 

 まあ、彼らの能力に関しては私の記憶だ。最初思い出せるか危うかったが、鱗衣の冠する魔物の名前がわかれば、多少はな。

 伝承を調べてそこから記憶を掘り起こした。オルフェといい、実在の伝説と符合しやすい能力だと助かる。埃をかぶっている私の記憶もこうしてなんとか機能してくれるというものだ。

 

 

 

 

 ともあれ、女神アテナは知恵と戦の女神。沙織ちゃんはポセイドンの交渉からその後の作戦の立案に至るまで、その手腕をいかんなく発揮したわけだ。私が出来たことと言えば、ちょっとした材料の提供のみである。

 ……沙織ちゃんが本当に頼もしくてな。頼もしいうえに、逞しくなった。もうここまでくれば私の役目など大してないのではないか? と思いそうになる。

 ……私は何を馬鹿なことを。彼女が完全勝利をその手に収めるまで、気を緩めるなど愚の骨頂。

 

 

 相手は強大な神、冥王なのだから。

 

 

 

 

 

 

 ついつい沙織ちゃんが醸し出す平和な空気に気が緩みそうになるが、それを引き締めつつ、ちらと視線を部屋の中心へ向けた。

 主従というには奇妙なやり取りをする私たちのすぐそばで、全ての気勢が削げたかのように机に突っ伏す男の姿がひとつ転がっている。

 いや別に転がっていないのだが、その力が抜けたかのような脱力具合は転がっていると表現するにふさわしく思えて、ついな。魂が抜けているかのようだ。

 

 

 

 男の名は海龍(シードラゴン)のカノン。またの名を双子座(ジェミニ)のカノン。

 ……現在名目上は「使者」。聖域と海界の中継役として駆り出されている男である。

 

 

 

 さきほど私からとある話をしてから優に二時間は経つのだが……まだ再起動には至っていない。あまりの様子に私も話し終わってからこの場を離れられずにいたのだ。

 

 しばらく呆けていたカノンだが、流石に気づいたか。沙織ちゃんが目に入ると、ばっと立ち上がり居住まいをただした。数日前まで考えられなかった態度だなと感心する。

 ……幸いなことに「お母様」は聞こえていなかったらしい。よかった。

 

「! あ、女神(アテナ)!」

「まあ、いらしたのですかカノン」

 

 沙織ちゃんは今気づいたとばかりに声をかける。いや、気づいていたでしょうに。

 無邪気な少女然とした様子から一変。慈愛の滲むそれは、まさに女神の微笑みだ。……切り替えが早いお方である。

 

 

 

 カノンが何故このような態度になったかといえば、簡単な話。

 かつて岩牢に閉じ込められていた自身の命が、当時まだ赤子だった女神の加護によって保たれていたことを知ったからだ。

 記憶にあまり自信はないが、確か本来は戦いの中で一輝が伝えたものだな。何故一輝がそれを知っていたのかは知らん。

 

 原作において彼はその事実を知った後、ミロ殿のスカーレットニードルを身に受け試されてもなお女神への忠誠を示し、冥界との戦いに加わった。なればポセイドンと盟約を結び仮初の仲間となった今……このタイミングで話さなければ嘘だろう。

 戦いの最中で妙なことをされても困るからな。しっかりとこちらに引き入れさせてもらおうか。

 彼と依り代であるジュリアンはポセイドンとの交渉の際に良い出汁にされたわけだが、まだまだ働いてもらわねば困るのだ。

 

 

 今現在、カノンは何処に居ても肩身が狭い。

 なんといったって未だ海龍の海将軍であることは許されているが、それも偽のものだとこの間の会議で海闘士たちに知られたのだ。その情報もしっかり交渉のダシにさせてもらったからな。

 

 長年温めてきた作戦が瓦解した上に、海界からも聖域側からも裏切り者扱い。やけになって何かやらかしてもおかしくないだろう。

 まあ沙織ちゃんに対してこの様子ならば、心配しなくてもよいのかもしれないが。

 

 …………あとでもう少し話をしてみるか。共に戦う仲間となるならば、裏切り者扱いのままではまずい。橋渡しくらいはせねばな。サガに任せてしまいたい所だが、彼本人が未だ聖域では肩身が狭い思いをしているので(というかサガが一番気にしているので)難しいだろう。

 それに打算ばかりで接して信用を得ようなどと、さすがに烏滸がましい。

 どの口が言うのかと私の中で呵責の念が大きくなるが、それも今さらだな。私は愛する息子が生き延びた世界を見たいのだ。

 

 

 

女神(アテナ)、俺……いや、私は」

「カノン」

 

 狼狽するカノンがなにか言いかけるが、それを沙織ちゃんが柔らかい声色で制す。

 

「わたしは聖域で生まれ育ったわけではありませんし、まだ自分の事ですら手いっぱいで……あなたに言えることは少ないのです。ですがわたしたちはこうして、語り合える時間を得ました。冥界との戦いを思えばゆっくりともしていられませんが……」

「…………」

「あなたをこうして我が家に招けたことがとても……とても嬉しいのです。今はまだポセイドンがあなたを海龍として手放しませんが、あなたは双子座(ジェミニ)。……いずれ戻ってきてくれたら嬉しいと、そう思います」

 

 カノンは自然と片膝をつき、(こうべ)をたれていた。

 意図してかそうでないのかはわからないが……今の沙織ちゃんは女神としての神聖で温かい神気を発している。かつて直にその気に守られていたカノンは、実際に感じ取ることで確信を得たのだろう。

 

 

 

 自分は確かに女神の加護により、生かされていたのだと。

 

 

 

 その後辰巳殿に次の予定があるとと呼ばれて沙織ちゃんは部屋を後にしたが、カノンはそれを跪いたまま見送った。うつむいているため表情は窺えないが、体が感極まったように震えている。

 

「…………お前の、いや。リュサンドロス殿の話は本当だったのだな」

 

 数分してから口を開いたカノンに、私は黙って頷く。

 

「……。誰も見てなどいないと思った。いくら研鑽しようと才があろうと、俺はサガの代用品。しかし少なくとも……生まれたばかりの御身でありながら、女神は俺を自分の聖闘士だと認め守ってくれていたというのか……。俺は今まで、なにを……」

「カノン殿ばかりが悪いわけではない」

 

 あまりに思いつめた声を出すものだから、つい口をはさむ。

 

「聖域の体勢は古めかしく、それによる弊害は多い。カノン殿の扱いもそのひとつだろう。むしろこの環境で不満をいだかない者のほうがおかしいのだ。……………と、父は言っていました」

 

 とってつけたように父が、と強調する。

 彼から見たら私は若輩者の白銀聖闘士。それにとやかく言われたくはないだろう。

 

 

 

 

 私は少々の気まずさを覚えながらも、つい先ほどの出来事を振り返った。

 

 

 

 

 カノンをほだすため、女神に救われていた事実を誰が伝えるのか。話す者によっては逆に疑心暗鬼を呼ぶだろうと、慎重を重ねアイオロスや童虎殿に相談したのだが……結果何故か私にお鉢が回ってきた。

 私というか、正確には前の私……リュサンドロスだな。今の私ことリューゼは話の中継役である。

 

 面識がないうえに当時まるっきりカノンを気にかけていなかったので非常に心苦しくはあったのだが、他の者など更に彼の事を知らない。アイオロスですら存在をわずかに知っていた程度だ。

 ならば年だけはくっている私が作り話をするうえで適当だろう、と抜擢されたわけである。釈然としないが。

 

 ……これを顧みると聖域の年齢層はやはりとても若い。文官など戦闘に関わらぬ者ならばまた違ってくるが、聖闘士達はどうしても若くして命を散らすものが多いのだ。見習い達に関しては訓練段階で死ぬものが多い。かつての私がひとりサポートに入ったところで、それは大して変わらなかった。

 やはり冥界との戦いに勝つことができたら、聖域の体勢は変えていくべきだろうな。特にこれから前の私が生きた時代と同じ巡りになるのなら、情報を得る手段も目まぐるしく変化していく……神秘を秘匿できないほどに。

 

 時代に合わせて変わるべきなのだ、聖域も。

 

 沙織ちゃんならきっとその船頭となれるだろう。なんといったって彼女は女神であると同時に城戸財閥の総帥。もちろん私やアイオロスも力を尽くすつもりだが、上司が世界的企業の総帥という点は実に頼もしい。

 

 と、今はそれよりカノンだ。

 

 今の私……リューゼはまず自分がリュサンドロスの娘(くっ)であり、エリダヌス座の後継者であることを名乗った。

 そのうえで父から伝え聞いたことなのだが、というていでカノンに例の話を伝えたのである。

 当然最初は「なんだ貴様は? さっさと出ていけ」と言わんばかりの、ものすごいしかめ面を貰ってしまったのだが……。不思議なことにリュサンドロスの名を出した途端に「手短に話せ」と態度が変わった。これについては謎である。

 はて、本当に面識などなかったはずだが。

 

「父は声こそかけなかったが、ずっとあなたを見ていました。さすがに岩牢に閉じ込められたときは環境が環境。死ぬ前に出そうと思ったようですが……あなたは生まれたばかりの女神に加護を受け、生き延びていた。なればこれも試練かと、一日見送ることにしたようです。その間にあなたは消えてしまったらしいのですが」

 

 …………作り話である!

 

 まあ、あれだ。こんな内容から女神の加護の説明につなげたのだ。

 面識なくとも、年長者として見ていたと言えばこういう時無駄に説得力が生まれるからな。私の実年齢様様である。

 

 そしてそのまま何やら考え込み、魂が抜けたかのような呆け面を晒していたカノンだったのだが……やはり直接女神の小宇宙を感じたのが決定打だな。

 あとで会ってもらおうとは思っていたから、沙織ちゃんの方から来てくれて助かった。

 

 

 

 こうして私たちは無事、当初の目的を達成した。ポセイドンとの交渉の成功、カノンの確保。

 あっという間に終わったな海界編……いや、よいことだ。

 

 

 

 しかし油断は禁物。どこに落とし穴があるのかわからな……そういえば。

 

 

(万全を期そうと調べていたあの件も、結局分からなかったな。ポセイドンに尋ねたところで素直に答えてくれるとも思えないし……そもそも知っているかどうか)

 

 

 かねてより冥界との戦いに備え、私はある神を探していた。神そのもの、もしくはその痕跡を。

 

 

 

 

 

 冥王の妃、ペルセポネ。またの名をコレ―。

 

 女神(アテナ)との最終決戦時……消える間際に「愛など人間が作り出した妄想」と言い切ったハーデスが、"愛した"女神の名である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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