尻ぬぐいのエリダヌス~駆け抜けて聖戦~   作:丸焼きどらごん

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回想録6:ぼやけたリンゴと燻製肉

 ギリシャ______聖域(サンクチュアリ)

 

 鮮やかに晴れ渡るコバルトブルーの空の下、聖闘士候補たちは今日も訓練に精を出している。それを眼下に望む崖上の樹の上で器用に寝そべっていた少年は、冷めた目で彼らを見降ろしていた。深くフードをかぶっているために傍目から少年の表情は窺えない。が、機嫌が良いとは言い難い刺々しい雰囲気だ。

 手には真っ赤なリンゴが一つ。

 

(そういえば、我らが女神にもリンゴの逸話があったな。一人の人間の男を巻き込み、三柱の女神で美しさを競った……とか、なんとか)

 

 くだらん。そう一蹴すると、少年はがりっとリンゴに噛り付いた。

 

 

 少年は名をカノン。現在ここ……聖域にて双子座の黄金聖闘士を務める双子座のサガ。彼の弟である。

 その容姿は髪色に若干の差異こそあるものの、サガと瓜二つだった。

 

 秘めたる才能も実際の実力も兄であるサガに劣らぬものをもっていたが、しかし彼が表舞台に出ることは無い。……サガに何かあるまでは。そうやって育てられてきた。

 

(……俺はこのまま何者にもなれず、若い時代を食いつぶすのか)

 

 自分の歯形が刻まれた齧りかけのリンゴを見てさえそんな考えが脳裏を過り、流石に嫌になる。

 リンゴは色こそ赤かったが、残念ながら味は堅いスポンジに申し訳程度にリンゴの甘みがついたようなボケたもの。それが余計に曖昧な立場に居る自分と重なり、うんざりした。これなら酸っぱい方がまだましだ。

 

「……ふんっ」

 

 舌打ちして食いかけリンゴを放り投げる。腹は減っているが、どうにも苛立って食う気になれないのだ。

 

「おっと」

「!」

 

 しかし思いがけず近くから声がして、ばっと体を起こす。すると樹の枝葉下からぬっと顔……それも非常に眼光が鋭い強面が出てきて、思わず動きが固まった。

 

(で、でかい。二メートルはあるんじゃないか……!? というか、この俺がここまで接近されて気づかないとは!)

 

 現れたのは縦にも横にも大きい、筋肉の鎧を纏った巨漢の男。眼光は人を射殺せそうなほどに鋭く、うねりの強いくせっ毛の間から覗くそれにカノンは動きを止めたまま体を強張らせた。

 だがそんな威圧感のある男から発せられたのは、意外と柔らかい声色である。

 

「なんだ、先客か。私もサボろうと気配を消してきたが……お前もなかなかだな。リンゴが上から降ってくるまで気づかなかったぞ」

「サボり……」

「任務から帰還早々、教皇に書類仕事を手伝わされそうになってな。今日はそんな気分ではないから、逃げてきたというわけだ」

 

 見れば男の傍らには旅支度の詰まっていそうな背負い袋と、白銀の聖衣箱(パンボラボックス)

 

(……思い出した。こいつ、エリダヌス座の白銀聖闘士リュサンドロスか)

 

 エリダヌス。優美な響きの星座名とは裏腹に威圧感のある巨漢の男は、聖域でも古参に属する聖闘士だ。変わった男で、自分の任務以外にも世界に散って仕事をこなしている他の聖闘士のサポートも行っているらしい。

 遠目に見たことはあるが、ここまで近くで見るのは初めてだ。そもそもカノンの存在は秘匿されているために、誰かをそばで見る……という事自体稀有ではあるのだが。

 ……確か山羊座の黄金聖闘士、シュラの父でもあったはずだ。

 

「訓練生か? なかなか将来有望そうだが……ならば体づくりは大事だ。それに自給自足の聖域では食料はどれも貴重品。無駄にせず、しっかり食っておけ」

 

 そう言いながらリュサンドロスはカノンが捨てたリンゴを差し出すが、カノンは少々うろたえながらもそっぽをむく。

 

「……いらん。まずい」

「何?」

 

 眉根をよせるリュサンドロスを見て機嫌を損ねたかと身構えるが、白銀聖闘士の男はリンゴをまじまじと見た後豪快にかぶりついた。そして納得したように頷く。

 

「確かに、はずれだな。すかすかで味もそっけない。それでも投げ捨てるとは感心せんが……まあいい。なら、ほれ」

「!」

 

 背負い袋から出した何かを投げよこされる。反射的に受け取ると、油紙で包まれたそれは野趣あふれる燻製肉だった。香ばしい燻製の匂いに思わず喉がなる。

 

「出先で作ったが思ったより早く任務が終わったのでな。口止め料にくれてやる」

 

 にやりと口の端を持ち上げた男はカノンの返事も聞かずに、どかっと樹の根元に腰をおろした。ここはカノンもよく使う場所だが、男にとっても休憩場所のようである。「今度から場所を変えるか……」そんなことを思いつつも受け取った肉を突っ返す気にもなれず、なんとなくもそもそと噛り付いた。

 ……そのままぺろりと平らげてしまったあたり、この白銀聖闘士はなかなか料理が上手いらしい。

 

「訓練に精を出すのもいいが、お前みたいに適度にサボってくれると助かるんだがな」

「…………白銀聖闘士がそんなこと言っていいのか?」

 

 ふいに訓練生たちの様子を見ていた男に話しかけられ、肉を食い終わり手持無沙汰だったがために気まぐれに問い返す。

 

「白銀だからこそだ。……とはいえ、まあ私個人の意見だ。今は少々疲れているから口が軽い。戯言だと思って流してくれ」

 

 相手もまた気まぐれなのだろう。さわさわと葉がこすれ合う音が響く中で正体を隠しているフードの少年と、巨漢の古参聖闘士の奇妙な語らいの場が形成される。

 それはどこか現実味がなく、白昼夢じみていた。

 

「聖域に属した以上聖闘士にならぬ限り出られぬようなものだが、命を落とすまでやっては……な」

「だが俺たちにはそれしかない。他に選択肢もないのだから、力を求める他ないだろう」

 

 ……力を手に入れたところで、俺にはサガが死ぬまでその選択肢すら与えられぬがな。そんな言葉を飲み込んで、少し困ればいいと言葉をかえす。するとリュサンドロスはふっを息を吐き出す。

 

「だよな。そういう場所だ、ここは」

 

 少し砕けた口調で肯定されてしまい言葉に詰まる。

 

「だがこれから時代は急激に変わっていく。それに合わせて、いずれ聖域自体が変わらなければならない時がくるだろう」

「変化? どうだか。カビがこびりついた聖域がそう簡単に変わるとは思えんな」

「ふっ、なかなか言う奴だ。嫌いではないぞ、お前のような奴は。……まあ、変化があることは確定だと思っていい。それが良いものであることを期待して、今は食って寝て訓練して生き残るんだな。適度なサボりは推奨するが、ほどほどに……とは一応建前として言っておこう」

「建前……」

「私もこうして休んでいる身だ。口止め料はしっかり食い切ったんだ、言うなよ? 教皇にならばれてもいいが息子にはあまり知られたくない」

「ふんっ、息子とはいえ格上の黄金聖闘士様相手だと気まずいか?」

「いや、単純に格好悪いところを見せたくない。私はかっこいい父でありたいのだ! シュラは優秀で真面目だからな。こんな姿を見せては落胆させてしまう」

「……………」

「……口が滑ったな。忘れろ」

「……親バカという奴か。初めて見たな」

「忘れろと言っている。…………はぁ、らしくないことを。やはり少々疲れているようだな。少し寝るか」

 

 人を射殺せそうな眼光を持っているくせに肩をすくめて気まずそうにする様が滑稽で、カノンは少し笑った。

 

「はっ! 世界中を飛びまわる白銀様は大変だな。ご苦労なことだ」

 

 皮肉のつもりで言ったはずが、思いがけず声が弾んでいて自分で驚いた。……そして心の奥で生まれたわずかな羨望には蓋をする。

 屈辱なことに、わずかにでも山羊座のシュラに対して羨ましく思ってしまったのだ。「自分をこれほどに見てくれる身内がいたら、それはどんな感覚だろうか」と。

 身内でなくてもいい。自分の存在を認めて、見ていてくれる相手がいたならば。

 

 世界をひっくりかえせるほどの力の片鱗を身の内に感じている。女神(アテナ)などに仕えなくとも思うように力を振るえば、ひっくり返すどころか世界はこの手中にすら収まるだろう。力を自分のために使って何が悪い。自分は何のためにここに居る。存在すら認められていないというのに!!

 

 行き場のない野望と怒りが体の中で渦巻いている。それが発露する瞬間はそう遠くないだろうと自覚しているが……もし。誰かが見ていたら。認めていたら。この力を振るう先を示してくれたなら。

 

 世界の見え方は、少し変わるだろうか。

 

 この燻る思いは、憎悪とは別の何かへ昇華できただろうか。

 

(……何を考えているのだ、俺は。こんな戯れの時間で)

 

 

「……まあ俺は強いから、言われなくとも死なんが」

「大層な自信だ。いいぞ、そのまま力を磨け。……将来を楽しみにさせてもらおう」

 

 リュサンドロスはそう言うなり大きなあくびを発する。どうやら本当に疲れているようだ。

 カノンはぱっと樹から飛び降りると、軽く手をあげて振り返ることなくその場を後にする。リュサンドロスもまた引き留めず、結局名前すら問うてこなかった。聞かれたかったわけでもないが。

 

 

 ただこのわずかな時間が、何故だろうか。

 その後カノンの心の片隅に、長く留まることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




主人公は覚えてないけど実は顔隠したカノンとは会ってたよ、というエピソード。
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