尻ぬぐいのエリダヌス~駆け抜けて聖戦~   作:丸焼きどらごん

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回想録2

 ―――― 怖い人だと思った。

 

 それが一番最初にアイオロスが抱いた、一人の男への印象である。

 

 

 

 

 聖闘士になる者は世界各国から集まっており、ギリシャが故郷の者たちだけではない。そして他の地域出身の者達と違い幼いころから聖域で育ったアイオロスとサガは、おそらく黄金聖闘士の中でも一番リュサンドロスという白銀聖闘士に接する機会が多かった。

 ……だからこそ、昔の彼もよく知っているのだ。

 他の黄金聖闘士が接する頃には「強面だが意外と面倒見の良い男」という評価を得ており、女性になってからは「尻ぬぐいのエリダヌス」などと呼ばれるくらいには、白銀にも関わらず雑用のような仕事まで文句を言いつつもこなすのがリュサンドロスという男だ。

 

 

 しかし彼は昔、ひどく無関心な人間だった。

 

 

 幼いアイオロスを見下ろすその瞳にはなんの感情も無く、それがひどく恐ろしかったのを今でも覚えている。好きの反対は無関心などとはよく言うが、まさにあれこそが「興味を持たれない」という事に対する恐怖だったのだろう。嫌われている方がまだましだと思うくらいには、薄気味悪かった。

 

 

 温度のない目をしていた。温かくもなく、冷たくも無い。感情の色というものが無い無色の瞳。

 冷たい色を湛えるよりも、何もない方が恐ろしいのだと……幼心に思ったものだ。

 

 

 忙しなく世界をまわって後輩聖闘士の面倒を見始める前、リュサンドロスは任務が無い時は寝てるか訓練しているかのどちらかだった。

 彼の実力は昔から高く、当時すでに黄金候補として目されていたアイオロスとサガは教皇の命によって彼に教えを乞う事が幾度かあった。しかしそのやりとりもひどく淡々としたもので、とても師弟と呼べるような間柄では無かった。

 彼自身も「私の事は師などではなく、バッティングマシーンの類として考えろ」などと言ってきたくらいで、バッティングマシーンが何かは分からなかったがとにかく壁を作られた、という事は分かった。

 

 それが一転したのはいつからだっただろうか。周囲に気を配るようになり、雰囲気も柔らかくなったのは。

 

 その変化にほっとしたし、彼を頼りやすくもなった。人間とはどんなに強靭な意思の持ち主でも、楽な方へ流れやすいという性質をもっている。だからこそ安心したまま、アイオロスも昔の事などその内忘れていった。

 

 

 ……しかし、いざ"こんな事"になってから考える。彼の無関心は昔だけだろうか、と。

 今も「亡き妻への想い」と「最愛の息子への愛」という皮をはぎ取れば、その下には黒く、深く、虚ろな……ぽっかりと口を開ける(うろ)のような心が広がっているのでは、ないだろうか。

 

 そう考えてから、アイオロスのリュサンドロスへの疑念は生まれた。

 

 

 

 数日前リュサンドロスに助けられ、アイオロスは未来を聞かされた。その内容はすぐに受け入れられるものではなかったが、聖闘士は超常的な力に接することが多く、実際に教皇などはスターヒルと呼ばれる場所で星の動きを読み今後の世界の流れを占ったりもする。だからこそ多少疑いこそすれ、全てを嘘だと断じる事は出来なかった。しかも実際に今までリュサンドロスが知る未来の通りに未来は動いているのだというし、そのおかげで自分は一命をとりとめたのだから無視出来る事ではない。

 リュサンドロスの真剣な様子もあいまって、彼が積み上げてきた聖闘士としての信用と信頼を頼りにアイオロスも信じてみようと……そう考えた時だ。

 

 ふいに心に引っかかるものを感じた。

 

 死にかけてから数日が経ち怪我がある程度癒え、冷静に思考できるようになったアイオロス。その時改めてリュサンドロスの言動を咀嚼し、それについてよく考えた時……血の気の失せるような感覚を覚えたのだ。

 

 リュサンドロスは未来を語った。そしてそれを希望をつかみ取るために変えたいと言った。しかしその彼が言うには、その未来の知識は突然知ったものではないらしい。

 

 

 彼は知っていたのだ。ずっと。

 

 

 知っていたにも関わらず、リュサンドロスは教皇の暗殺を、海皇ポセイドンを謀り聖域とアテナに仇成すであろうジェミニのカノンという男が居なくなるのを、何もしないまま見送った。

 その後彼の未来の知識が予知ではなく前世の知識に基づく"物語"の記録という、もっと曖昧なものであると知る。だからこそ曖昧な知識に確証が持てず、それらの事件でやっと確信し辿る運命を認識したのだとしても。

 知っていたならば、未然に防げたのではないか。…………アイオロスはそう考える。

 

 そしてリュサンドロス……彼は言う。亡き妻の死後の安寧と、息子が生きて幸せになるための未来が欲しいと。

 それはとてもまっとうで、他者への愛に溢れた感情なのだろう。

 

 だが。

 

(ああ、この方にとって聖域もアテナも、世界の平和でさえも。単なるついで、おまけでしかないのだな)

 

 そうだと言う事も、分かってしまった。

 

 それが悪い事だとは言わないし、大切なものを守るために力を発揮する……それは実に正しい事だ。

 でも、だとしても。その想いが強すぎるがために、彼は愛する者のために容易くそれ以外を切り捨てられる。もしこの先の戦いの中で彼が愛する者と世界の平和……その二つが天秤にかけられた時。おそらくリュサンドロスは迷うことなく前者を選ぶだろう。

 

 そう考えだすと疑念の芽は育ち続ける。聞かされた未来の情報はそれが本当に全てか? 忘れてしまったという部分も本当は覚えていて、流れを自分の都合のいいように操るためにあえて黙っているだけではないのか?

 

 一度抱いた疑いは簡単に消えるものではない。アイオロスは怪我を癒す間、病床で今後この感情を抱きつつも、隠していかなければいけないのだろうと溜息をついた。

 

(もともと私は複雑な事を考えるのは不得意とは言わないが、苦手なのだ。だからこそ、次期教皇は当然サガが選ばれるのだと思っていたのに……)

 

 そこまで考えて首を振る。今そのもしもを考えても仕方のない事だ。

 

 そして怪我が治るまでの間散々考えて考えて、考え抜き。

 複雑に考えるのが苦手なら、とことんまで単純に、真っすぐに道筋を工事して整備して考えてやろうじゃないかと……アイオロスはありていに言って、開き直った。

 

 

 

「今は貴方を信じ、協力しよう。だけど安心してくれ」

 

 

 決意を込めて、一人呟く。

 

 

「貴方が愛を言い訳に、道を踏み外そうとしたならば。……私が殺してやるとも」

 

 

 

 

 言って、拳を強く握る。

 紡いだ言葉の内容は殺伐としているが、これも一人の男へ向ける敬意なのだ。

 

 尊敬すべき男が愛する者のために、愛する者の感情も考えずに行動する時が来たのなら……。アイオロスは男のために、世界の愛と平和のために、男を止める。

 

 たとえ、殺すことになったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 しかしそれから十三年。

 

 

 

 

 

 

 

「「あ」」

 

 そんな間抜けな声と共に、これからの聖戦で鍵となる青銅聖闘士達が富士山麓の地下に生き埋めになりそうな場面を自分と一緒に見過ごしてしまったこの男は……本当に全部の情報を提示したうえで、覚えてない部分は本気で覚えていないのではなかろうか。

 それに安心しながらも、少々不安も抱くアイオロス。しかしすぐに首を振る。その程度なら吹き飛ばせる不安だ。

 

 十三年という長い時間の中で、気づけば悪友のような間柄になってしまったこの元男、今女を出来れば疑いたくなどない。なら共に全力で、未来をつかみ取るために駆け抜けてみようか。

 

(複雑に考えるのは、向いていないものな)

 

 改めてそう考えて、アイオロスは笑う。

 

 

 

「すまないムウ殿! すぐにあとを追う!」

『ええ、そうしてください。まったく……』 

「す、すまんムウ」

『謝るのはいいですから、行動してください』

 

 二人して先んじて行動し青銅達を助けたムウに謝って、二人はすぐに後を追う。

 

「さあ、行くかリュサンドロスよ!」

「ああ! まったく、格好つかんな……。すまないな、情けない相方で」

「今さらかっこつけも何もあるか! 行くぞ!」

「お、おう!」

 

 力強く頷きあって、テレポートで天を駆ける。その道が、希望の未来へ続くことを祈って。

 

 

 

 

 

 その後すぐに複雑に考える事を投げ捨てた一時的な弊害として、少々暴走してしまうアイオロスが居たのはご愛嬌である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと短いですがアイオロスサイドの心境にちょっと触れた回想録でした。

選択肢をミスると善意による黄金の矢でぶすりとやられるかもしれません

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