双児の月は、今日も惑星Ziの荒野を見守っていた。
いつもなら付き従う星屑も、今日は見られない。水入らずの夜更け。
その下では槍のごとく連なる山脈が、今日も天の神々をにらみ、切っ先たる頂(いただき)を突き上げる。だがそれらが本懐を遂げようはずもない。だから哀しき山脈はせめて高くそびえ立ち、光をさえぎることであらがうのだ。
稜線が、突如、揺らいだ。
幻か、否か。すぐに止んだかと思われたかに見えた揺らぎは、間を置いて、今度は尾根の中腹に浮かび上がる。
また、消えた。かと思えばまたその下方で揺らぎ、そのたびズン、ズンと鈍い響きが聞こえてくる。
揺らぎが下へ下へと降りてくるうちに、その正体は誰の目にも明らかになった。
果実のように紅い竜が、軽やかに跳ねて、降りていく。短い両腕は胸元に引き寄せ、長い後肢でのみ跳躍するごとに、もうもうと土煙が上がる。これが揺らぎの正体か。
竜はやがてふもとまでたどり着くと、素早い動作で小山の裏側へと潜り込んだ。
腹ばいのまま縮こまり、まずは辺りに静寂が再び訪れるのを待つ。その間にも、月明かりは竜の巨躯を艶やかに照らし、その異形を晒してみせる。
全身の大半を包み込む紅い皮膚は鎧のように無骨だが、鋼の光沢が何とも艶やかだ。一方、節々には杭のような突起が自らを戒めるように埋め込まれ、若干の彩りを添えている。頭は巨躯に比べて小さいが、皮膚同様に紅い瞳が光り、頭頂部には幾本もの鶏冠が伸びて何とも物々しい。尻尾は胴体よりも長く、しなやかだ。
だがこの竜をもっとも異形たらしめているのは、背中より二列三本……都合六本生えた奇妙に長い鶏冠と、桜の花弁のような形をした二枚の翼であろう。重い、業のようなそれらを窮屈そうに畳み込んで、自らの跳躍による土ぼこりが収まるのをじっと待つ。
禍々しき格好をしたこの深紅の竜は、やがてその姿からは想像もつかない愛嬌のあるしぐさで、小山からひょいと、首だけ伸ばして様子をうかがいはじめた。
小山の向こうは闇の帳(とばり)に包まれた荒野が広がっている。至るところに、銀色の竜の群れが身を寄せ合い、うごめいている。
深紅の竜は真っ赤な瞳で彼らをひとしきり値踏みしていたが、おもむろに、弓弦のように身を屈めた。
そして不意に、飛び跳ねた巨躯。放たれたる矢のごとく、群れの中央に突き刺さる。地響きし、もうもうと土煙が舞い上がる。
あわててふためく銀色の竜たち。数はいるものの、いずれも深紅の竜に比べて半分ほどの体格しかない。散り散りになっての逃走開始。
深紅の竜は桜花の翼を、そして背中の鶏冠を目一杯広げ、身構えた。鶏冠は二列三本ずつが扇のように開かれ、ただでさえの巨躯が倍近くにまで大きくなったかと錯覚させる。
同時に全身に埋め込まれた突起が張り裂けるようなうなりを上げて勢いよく回転。隙間からこぼれる火花が闇を削り、土煙を焦がす。
雑魚竜たちは皆一様に浮き足立ち、もつれ合い、転倒を余儀なくされた。
その中でも特にもたつき、逃げ遅れた幼い一匹を、深紅の竜は目一杯あごを広げて噛みつきくわえ、すぐさま小山の向こうへと飛び去っていったのである。
深紅の竜は着地の勢いのまま、くわえた獲物を地面に叩きつけた。ショックを与え、四肢を押さえつけると、鋼の鎧で覆われた獲物の腹部を噛み砕いていく。時折、あごからあふれる輝きは消化器官から発せられた高熱によるものだろう。徐々に獲物の動きが鈍り、やがて完全に静止したとき、深紅の竜は生きながらえることに成功したのである。
竜たちはここ、惑星Ziに生息する金属生命体ゾイドである。鋼の肉体と強大な力を持ち得た彼らであったが弱肉強食の掟には逆らえず、昼に夜に、いずこかで生き残りを賭けた戦いが繰り広げられている。
強引に、獲物をあごで引きちぎる。そのたび、油がしたたり落ちる。人や獣なら血液に相当するものだ。邪魔するものなどいないのに、大急ぎでの喰らいつき。勝者は相当に飢えていたのだ。
既にあごのきしみ、牙のこすれ合う音以外、辺りには静寂が戻っている。
なのにふと、深紅の竜はあごの動きを止めた。何の気配を察知したのか、首をもたげるとはるか彼方をにらみ、首を傾げる。
目前の食事すらも霞んでしまう興味の対象が、夜目の効く竜には見えていた。
巨大なダンゴムシが闇の荒野を走りゆく。鋼鉄の殻が双児の月に照らされまばゆい。彼らもゾイドの一種で、グスタフと呼ばれている。ゾイドは何も竜の形のみに限らず、我々の住む地球の生き物に良く似た姿を持つものが非常に多い。
ダンゴムシの両脇には、二匹のこれも巨大な鋼鉄の狼が随伴している。ただし地球のそれとは違い、狼の方がダンゴムシよりも小さいのが面白いところだ。コマンドウルフと呼ばれる彼らは白い鎧をまとい、背中に長尺の銃を背負いながら華麗に大地を疾駆する。二匹のいずれも左肩に、惑星Ziを月桂樹と稲妻で囲い覆ったヘリック共和国軍の紋章が描かれている。
狼たちの頭部には、大きなキャノピーが埋め込まれており、透けた内部にはパイロットとおぼしき人物の姿が確かに確認できる。……そう、ゾイドはコクピットを埋め込むことにより、人の手で操ることもできるのだ。
彼らはいずれも清潔感のあるパイロットスーツとヘルメットを着用している。腕や胸、ヘルメットには狼たちと同様、ヘリック共和国の紋章が描かれている。彼らは、軍人だ。
「進路より左30度の方向、中型ゾイド熱源、停止中。小型の群れは散開。
やっこさん、餌にありつけたようだな」
グスタフの左を固めるコマンドウルフのパイロットが、目前のコントロールパネルをにらみつつ無線で話しかける。
「全く、ヒヤヒヤしたぜ。イブと大自然の掟に感謝だ」
右の狼のパイロットが応じた。二人は深紅と銀の竜たちのやり取りを監視しながら狼たちを操っていたのだ。万が一、深紅の竜が狩りに失敗でもしようものなら、彼らに標的を変更する可能性もある。
惑星Ziの旅路は命がけだ。この星は見た目には地球人とあまり変わらぬZi人がゾイドを使役し、征服していったが、野生のゾイドは強大で至るところに生息している。
「それにしてもあの中型、最近『出る』って噂の……」
「さあな。でも本当に噂通りなら、俺たちの装備ではどうにもならんよ」
二人は肩をすくめた。
さてグスタフの尻より後ろには車両が数台、芋虫のように連結されている。車両の側面にはいくつかの窓が開いており、内部には横並びの座席とまばらな人影がうかがえる。
惑星Ziはゾイドが闊歩しているため、鉄道や高速道路などのインフラは都市部を除いてほとんど発達していない。代わりにこのダンゴムシのように車両を複数引っ張る定期便は非常に盛んで、昼夜を問わず運用されている。
とある窓際にはひとり、少年が頬杖をついていた。子供というほどの幼い雰囲気はないが、大人ぶるには身体も小さく痩せている。ボサボサの黒髪に大きめのTシャツ、膝下丈の半ズボン、そして素足に運動靴と、ありふれた格好だ。だが表情はむしろ正反対で、大きめで円らな瞳と真一文字に結んだ口からは際立った雰囲気が伝わってくる。
ガラス越しに荒野を見つめる少年は虚ろげだ。他のわずかな乗客がことごとく眠りについている中、彼はあくびもせぬが、夜明けを楽しみに待っているようにも思えない。両手に小さなリュックサックを力なく抱えるのみだ。
突然、彼の両手が力んだ。途端にぺしゃんこになったリュックサック。それをすぐさま打ち捨て、立ち上がった少年は窓を開ける。一気に流入してきた風と冷たい外気に翻弄されながらも、懸命に首を伸ばし遠くをにらむ。
月明かりに照らされた荒野の、遠い、遠い向こう。
小山の裏側から、首を伸ばした竜の姿が見える。真っ赤な皮膚、真っ赤な瞳に頭頂部から背中にかけての奇妙な形状を目の当たりにして、少年は息を呑んだ。
それが彼らの出会いだった。
車両を引きずるグスタフは、彼らの都合などお構いなしに走っていく。お互いが闇夜に溶け込んでいき、やがて数十秒にも満たない出会いは終わった。
深紅の竜はひとしきり眺め続けていたが、やがて何ごともなかったかのように食事を再開した。
少年の方は、窓を閉めるとひとまずは座り直した。だが何やら興奮冷めやらぬ様子でリュックサックをより強く握りしめている。張りつめた表情のまま、円らな瞳を闇の彼方に今一度傾けたのである。
少年がレヴニアの町の城門前に降り立ったときには、既に夜も明け、陽は町の向こうのレヴニア山脈の稜線を越えた辺りまで昇っていた。長旅の疲れか、あくびと背伸び、そして空腹はこらえようもない。
青空をさえぎるほど高く長いコンクリートの城壁には、彼の利用していたグスタフと車両が横付けされている。まばらながら他の乗客も降り立ち、そこそこに騒がしい。グスタフ以外にも、鋼鉄の鎧を被った大小さまざまな生き物たちが地に伏せていた。
ここはゾイド溜まり。小さなものでも人の十数倍はある彼らをZi人の居住地域内に入れるわけにはいかず、こうして隔離するのである。例えば裕福な都市なら城壁をこさえて外に、貧乏なら高地に集落を作って彼らをふもとに集めるのが一般的だ。
堰のように大きな城門をくぐった少年は、耳に飛び込んできた祭り囃子にハッとなった。目前に伸びる大通りには屋台がひしめき合い、素朴な飾りつけが至るところで見受けられる。この活況、城外の閑散とは比較にならない。町は収穫祭の季節を迎えていた。
大通りの向こうでは、馬くらいの大きさをした竜たちが真っ赤な布切れと翼のハリボテを被せられて居並んでいる。パレードの山車(だし)として、これから町中を練り歩くのだろう。
少年は物珍しそうにキョロキョロしながら進んでいく。彼は夜中の出来事を思い出し、この町の伝承を理解できた。あの紅い竜は、ここでは祀られるほど身近な存在なのだ。
彼が自然に浮かべたはずの笑顔は、飢えて果てる寸前の獣のようなぎらつきを隠せない。だが喧噪は、そんなことなどお構いなしに絶頂を迎えつつある。と、そのとき。
「誰か、そいつを止めてくれ!」
声に反応し、少年は今来た道を振り返る。
向こうでは群衆が転んだり、散り散りになって逃げ回ったりしている。大通りの中央を駆け抜けてきたのは透き通る青い鎧をまとった竜だ。バトルローバーと呼ばれる種類で、馬くらいの大きさのゾイドの中ではもっとも一般的である。
バトルローバー一匹の暴走に喧噪が悲鳴へと取って代わられていく中、少年は何を思ったのか大通りの真ん中で仁王立ちとなった。
逃げろ、避けろと脇に退避した大人たちの怒号が飛び交うが、少年は向かってくる竜をにらんだまま。またたく間に縮まる間合い。彼は突如、竜に向かって走り出した。
重なり合う悲鳴。少年は飛び跳ね、竜の首元にがっちりつかまると胴にへばりつき、器用に背中まで伝っていく。あっという間に騎乗の体勢を確保すると、竜の首に頬を寄せてささやいた。
「落ち着いて。おとなしくしよう?」
慈しむかのように優しく、低い声。柔らかな手触りで青い鎧を何度もなでさすってやる。
十数秒も絶たぬうちにこの暴れ馬ならぬ暴れゾイドは暴走をやめ、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだのである。
地面に降り立った少年。熟練の技にも見えたが額や頬は汗でびっしょりだ。呼吸を整えようとしかけたところで、割れんばかりの拍手と歓声がそれを制止した。
先ほどまでの喧噪さえも上回る騒ぎだ。彼は気恥ずかしそうに頭を掻きつつ、足早にこの場を立ち去ろうと人ごみに紛れ込む。
ところがせっかくかき分けた人ごみが、一斉に背後からなだれ込んできた。驚いた少年はこらえる間もなく、まるで嵐に打ちのめされるかのように、何メートルも押し流される。
少年は為す術もなく倒れ込み、小さな身体を地面にへばりつくように伏せた。祭り囃子を悲鳴や怒号がかき消す。硝煙の匂いがただよってきたところで、ようやく彼は背後で何かが爆発したと理解した。
恐る恐る、頭を持ち上げ辺りの様子をうかがう。
死屍、累々。いや、うめき声はかなり、聞こえる。屋台や飾りつけは滅茶苦茶に壊れ、辺りに散乱していた。着飾られた竜たちは恐怖に怯えたのか散り散りになったようで、向こうでなお一層の悲鳴が上がっている。
立ち上がり、逃げ出そうとした者がいた。ところが乾いた破裂音が響くと、聞いたこともない悲鳴を上げて彼らは崩れ落ちた。
向こうから砂漠用のマントを着た男たちがやってくる。いずれも小銃を抱えている。少年は思わず顔を伏せた。それきり、小さな身体はすくんでしまい動かない。
連中の声が、これだけは恐怖心から解き放たれた両耳に飛び込んでくる。
「あんなガキが途中で止めちまうなんて予想外もいいところだぜ」
「いいさ、十分効果はあった。さっさといくぞ」
彼らは、テロリストだ。パレードを狙って襲撃したのだ。
惑星Ziはヘリック共和国によって完全統一された。しかし大半の小国家は強引に併合されたため、いまだに独立を夢見る者たちによる争いが絶えないのだ。
きっと少年が止めたバトルローバーには爆薬が仕込まれていたのだろう。パレードの真ん中まで突っ込んだところで爆発させたかったようだ。もし自分が乗ったところでそうされていたらと、少年は戦慄せずにはおれない。だがそれくらいのことを考えられる程度には落ち着きを取り戻せたようだ。
どうにかここを抜け出さないといけない。今度は伏し目で、辺りをうかがう。
異変は、すぐに起きた。だが少年には好機だとは到底、思えない。爆音が辺りに響き、へばりついていた地面までもが地響きを立てて揺れているではないか。
屋根瓦が吹っ飛び、辺りに四散。思わず頭を押さえた少年だったが、彼だけでなくテロリストまでもが驚き、ほこりと煙で半ば覆われた空を見上げている。
少年は連中の視線の向く先を恐る恐る目で追ったところで、突如視界に飛び込んできた物体に絶句した。
爆音とともに雲間から現れたのは、奇妙な形をした円盤だ。ヒレ状の長い翼が四枚、短めの尻尾と頭部が生えているのが確認できる。
テロリストたちは口々に叫ぶ。
「タートルカイザーだ!」
少年さえも噂に聞いたことのある、災厄の名前だ。