迎えた翌朝の空は依然として曇り、綿雪を降らせ続けていた。
むくりと起き上がったギルガメス。枕元に置いていた腕時計型の端末は九時を回ったと示している。……よく寝られたなと少年は我ながら驚いた。昨日の出来事、そして今日これからを思えばこそだ。
向こうからただようほろ苦いコーヒーの香り。エステルはジャージを着たまま目玉焼きを調理しているようだ。少年の起床は彼女もすぐに気付き、ちらりと振り向いて声を掛けた。
「おはよう」
「おはようございます」
起床時刻が違っても、寝床が変わっても、朝の儀式は大して変わらなかった。
師弟は朝食を済ませると早々に身支度してハンガーに向かう。ギルガメスは白のTシャツ、膝下丈の半ズボンはいつも通りだが、灰色のパーカーをまといフードを目深にかぶっている。昨日のような面倒は避けたいというエステルの発案だ。一方、エステルはいつも通りの紺の背広の上に黒のコートをまとう。ハンガー内でビークルごと待機することが決まっているが、あそこは外ほどではないものの長時間の薄着は厳しい。
ハンガー内のブレイカーが待機する一角が見えたところで、師弟は吹き出しそうになった。首をもたげた深紅の竜は、尻尾の先を垂直にピンと立てて盛んに振っている。
案の定、竜は少年が真っ正面に立つや否や、両手で小さな彼の身体をひしとつかんでキスを浴びせかけてきた。熱烈な歓迎に少年はうろたえたが、安心もした。
「あはは、おはよう、ブレイカー。
少し、身体を暖めたいんだ。手伝ってくれる?」
やんちゃな相棒は鼻先を離すと、元気よく鳴いた。そのときのことだ。
突如、薄暗くなるハンガー。そして鳴り響くメロディ。ヘリック共和国国歌のそれだ。そしてメロディの上に若くハキハキした女性のアナウンスが被さる。
「これより第51回ゾイドバトル新人王戦を開催します」
周囲で歓声が、そして拍手が鳴り響く。驚く少年。女教師は即座に目配せして、追随をうながした。少年もあわてて後に続く。
ハンガーの天井や壁面は派手な映像を映し出した。対峙するゾイドが次々に攻撃を決めていくそれは、過去の試合の名シーンと言ったところか。それもすぐに終わると立会人の挨拶に切り替わった。
挨拶は極めて手短に終わったが、続いて響き渡った女性のアナウンスはハンガー内をどよめきで包み込んだ。
「続いて本日の特別ゲストよりご挨拶があります。ヘリック共和国大統領!」
天井はずらり居並び整列する兵士・将校を映し出す。……手すりが見える。このハンガー内のギャラリーのようだ。
その場所はブレイカーが、次いでエステルが気付き、そろって首を傾けたことで、ようやくギルガメスも確認できた。この広々としたハンガーのずっと隅っこの方にライトが集中している。
将校たちが左右に分かれる。海が割れるような挙動を経て、現れたのは恰幅の良い、初老の男性。一見地味な軍服だが襟や左胸などに派手な衣装や勲章が施されており、他の将校らとは別格だということがわかる。いささか奇妙なのは七三に分けた頭髪で、その黒さは何とも年齢不相応に感じられてならない。
ギルガメスは少しだけ記憶の糸を手繰り寄せて、言われてみればあの顔はテレビや新聞で見た覚えがあるかなとようやく合点がいったが、特段の感動があるわけではない。ライトが集中して照らすあの辺はさすがに肉眼では厳しく、所詮は天井や壁面の映像越しに見ての感想だが、軍服以外にさほどの威厳を感じさせる要素はうかがえなかった。
大統領のスピーチもまた少年には退屈なものであったが、彼はじっと我慢した。
かたわらのエステルは内心ホッと胸をなで下ろした。愛弟子はよく集中し、余裕を持って我慢できている。良い傾向だ。……だがその一方、さしもの彼女も大統領が観戦に訪れた本当の理由についてまでは、考えるには至らなかった。
さて大統領のスピーチは新人王戦という注目度の高い興行で行なわれたということもあって、世界的にテレビ放送された。深い感慨を持って視聴していた者は相当いるが、退屈に感じていた者もいたのは事実だ。ギルガメスのように品良く我慢していた者もいるだろうが、「彼女」はそうではなかった。
広々としたこの部屋は来賓室らしく、上等なじゅうたんが敷き詰められている。その片隅には両手を広げてもなお余るほどの巨大なモニターが設置され、その前にはベッドのように長いテーブルをはさんで、大人が三、四人ほど余裕を持って座れるほど大きいソファが並べられている。テーブルに置かれているのは白磁のティーカップとポット、それに若干の菓子を載せた皿が一枚。ティーカップは既に空だが、ポットの方からは依然、紅茶の濃厚な香りがただよっている。
ところでこの一室の反対側は分厚い窓ガラスで被われており、その向こうでは依然止まぬ降雪と、居並ぶカマボコ状のハンガー(格納庫)が垣間見えるから、どうやらこの部屋は我らが主人公たちの現在地点に随分近いようだ。
さて「彼女」は左手を頬杖にして寝っ転がったまま大あくびをした。白のワンピースをまとった、小柄で華奢な体躯の美少女だ。丸みを帯びた顔立ちは豪勢な手作りの人形と見紛う。長い金髪は左右の耳上で束ね、大きな瞳は銀色に輝く。その姿のままソファの上でじっとしていれば、無機質な雰囲気に誰もが目を奪われただろう。……だが美少女のあくびは全てを見事にぶちこわしてみせた。
「つまらん」
眠たげな、思いのほか低い声が一室に響く。
「つまらん演説だ。つまらんジジイだ。所詮、あいつはあんなものか」
「大統領閣下がお聞きになられたら悶絶なさいますよ?」
ソファの後ろで声が聞こえた。美少女は銀色の瞳をギロリと傾ける。
いつの間にやら、白衣の男が立ちすくんでいた。中肉中背、そして中年と呼ぶにはまだ十分に若く見える。髪には軽くパーマが当ててあり、黒ぶちの眼鏡は牛乳瓶の底のように分厚い。目立つのは左の頬にやけどの痕が見えること。それ以外は案外凡庸な雰囲気の男だ。
美少女は忌々しげにつぶやいた。
「知ったことか。あいにくジジイの面を見て欲情するような趣味は持ち合わせてはおらん。
それよりドクター・ビヨー、貴様の言う『面白いもの』は一体、いつになったら見られるのだ?」
「時間的には、もうそろそろですよ」
そう返事した白衣の男は、音もなくソファーの端に座った。寝っ転がる美少女が足を伸ばしても届きそうにない。
二人が見つめる巨大なモニターの向こうには、ゾイドがひしめくハンガー内部が映し出された。大小、そして様々な形状のゾイドが居並ぶ姿に、美少女はほんの少しだが興味を抱いたようだ。そのうち、番組のアナウンサーが有力なチームを紹介しはじめたとき、突如この美少女は立ち上がった。
彼女は呆然と立ち尽くし、銀色の瞳を見開いて食い入るように映像を見つめている。
モニターは、腹ばいになった深紅の竜を映し出していた。
そしてモニターが、竜の胸元辺りで立ったままストレッチを行なう若き主人を映したとき、彼女は息を呑んだ。最初の二、三秒は銀色の瞳をきらきらと輝かせ、次の二、三秒でその小さな肩をゾクゾクと震わせはじめた。同時に、年頃の乙女にしては何ともはしたない舌舐めずり。これは恍惚の証なのか。
だがその直後、竜の主人のかたわらに音もなく忍び寄る女教師の姿が映し出されたとき、人形のような美少女の顔立ちが見る間に強張った。……そして竜の主人と女教師が親しげに会話をはじめると、ドクター・ビヨーと呼ばれた白衣の男は身震いのあまり全身が硬直してしまった。この広々とした来賓室全体に電流が流れたのではないかと錯覚したのだ。
次の瞬間、この白衣の男は死の危機に直面した。
不意に、美少女の額が明滅をはじめた。浮かび上がったそれは金色の、刻印。色や形こそ違えど、モニターに映る師弟の額に宿るそれとそっくりだ。
と、同時に美少女の耳上に束ねた二本の金髪がヘビのようにうねる。それは獲物めがけて噛み付くかのごとく男の首に絡みつき、強引に彼の身体ごと、美少女の足元にまで引き寄せた。
二本の金髪はぐいぐいと男の首を締め上げる。悶絶する白衣の男。首に手をかけ振りほどく余裕すらもない。
「どういうことだ、ドクター・ビヨー。
なぜだ、なぜあの女が生きている!」
にわかに意識が薄らぎはじめた白衣の男。彼は首を締め上げられたまま、たどたどしくも何とかして質問に答えることで生き延びようとした。
「あの女は……エステルは……レヴニア山脈に眠っていた……あなたと同じ、古代ゾイド人、です……。
彼女に……接触した、ギルガメスは……刻、印、を……」
そこまで言いかけたところで、ヘビのような金髪は緩められた。亀のようにうずくまった白衣の男はしきりにせき込む。
美少女は気でも狂ったかのように大笑いをはじめた。だが銀色の瞳はモニターに映る師弟をにらみつけて離さない。
「……最後にね、ギル。雰囲気には呑まれないでね。
百二十チームもいれば中にはクズみたいな連中もいるわ。そういう奴らと戦って心が腐りそうになることもある。そういうときは、ブレイカーとともに戦っていることを思い出しなさい」
相棒の胸部コクピット内に、既に着席していたギルガメス。ハーネスに完全固定され、準備万端。その真っ正面にサングラスを外したエステルが立ち、愛弟子の両の頬を押さえてこんこんと解いて聞かせる。愛弟子は何度も何度も、うなずいた。そして。
「例え、その行く先が」
詠唱とともに女教師の額に浮かび上がる刻印。愛弟子も落ち着いた口調で追随する。
「いばらの道であっても、私は、戦う!」
愛弟子の額にも青白い刻印が輝き宿す。
女教師は柔らかく微笑んだ。ハッと息を呑んだ愛弟子は、胸を締め付けられそうになるが。
「いってらっしゃい。必ず、生きて帰ってきてね」
そのひと言に彼は深くうなずき、落ち着いた口調で「はい」とだけ、返事した。
ブレイカーの胸部から離れたエステル。その背後で胸部コクピットハッチが降りて閉鎖する。それを一瞥したところで、ハンガー内にアナウンスが響き渡った。
『ギルガメス選手、第三ゲートを通過して試合場に向かって下さい』
エステルは颯爽とコートをひるがえし、ビークルに飛び乗った。コントロールパネルの簡単な操作により、頭上を鋼鉄の屋根が、前後左右をキャノピーが被っていく。雪が依然降り止まぬための措置だ。
ビークルが先頭を進み、ブレイカーがゆっくりと歩いて後に続く。ビークルの左右をはさむ銃器にべったりと封印の張り紙が貼られているのはいつも通りだ。
多数のゾイドの奇異な視線に囲まれながら、ビークルとブレイカーは既にシャッターの開放された巨大なゲートをくぐった。
外に出るや、しんしんと降り積もる綿雪。次々と深紅の竜の羽根や鶏冠に束の間の模様を浮かべるが、竜自身が放つ熱気によって溶け消えていく。
雪かきによって確保された道を進み、それが二手に分かれたところが分かれ道だ。右へ逸れるビークル。キャノピー内でエステルが手を振っている。……新人王戦もまた、他のゾイドバトルの興行と同様、ビークルなど随伴機の乗り込みはできない。特にこの試合では物凄い数のゾイドがひしめき合う。巻き込まれて被害を受ける可能性がある以上、当然の措置と言えよう。
さて深紅の竜は左の道だ。少し進んだところで、若き主人は自らにも気合いを入れるように努めて大きく叫ぶ。
「ブレイカー、いくよ!」
爪先立ち。目一杯広げた六本の鶏冠の先端に、青白い炎が宿る。桜花の翼を水平に広げ、舗装された道を蹴り込んで疾走の開始。
舗装がやがて、土色に変わる。そしてまたたく間に、辺りは綿雪で包まれた。純白の、試合場。竜の爪先が雪に埋まるのだから、人の背丈ほどは十分に積もっている。
胸部コクピット内のギルガメスは少々不思議な気分だ。オーガノイドシステムのシンクロ機能により、全身は少々肌寒いし、ことに手足の爪先はしびれるようだ。しかし別段室内が寒いわけでもないし、むしろ暖かいくらいである。シンクロで再現される体感と実際との乖離(かいり)が見られるようだ。
一方、相棒自身は少し、気分が良いらしい。きっと人間なら鼻歌でも漏れそうな息づかいを肌で感じる。まだ数匹ほどしかこの試合場には乗り込んでいないこともあって、辺りは土の肌が見えぬほど真っ白い。
不意を突くように上空を翼竜プテラスが通過していく。審判団の各種判定用だろう、背中にレドームを搭載している。遠方には全身に派手な広告を施したダンゴムシ・グスタフがゆっくり進んでいる。マスコミの撮影用だ。広すぎる試合場だが、監視は確実に行われている。
深紅の竜は一旦立ち止まり、キョロキョロと辺りを見渡す。
見渡す限りの曇天と降雪の中、一カ所あからさまに風景をさえぎる純白の壁が広がっている。
「先生が言っていた丘は……あれだな」
再び走りはじめる深紅の竜。
今回の試合場は共和国軍の演習場を流用している。演習場は平野もあれば複雑な形状の丘などもある。……エステルは、ブレイカーでも十分身を隠せる丘がいくつかあるので、一旦そこに駆け登ってしまうのが良いと言う。そこから近付いてきたゾイドめがけて一気に駆け降り、襲いかかる作戦だ。相棒の脚力が大会参加ゾイド中屈指のものであることは間違いないだろうから、それを生かしつつ極力安全に戦う狙いである。
丘のふもとまで到着したところで、竜は首をもたげた。そうしないとこの丘の全体が把握できないくらいには大きい。
ふと全方位スクリーンに映る丘が透き通り、ワイヤーフレームで描き出された。そうすることで、白すぎて立体感に乏しいこの地形が本来持つ複雑な起伏を、ギルガメスも理解できる。レバーを握る少年の手の平もじわりと汗ばんできた。
軽快に、かつ一歩一歩を確かめるようにブレイカーは純白の丘を跳ね上がっていく。鋼の爪先で踏み込むたびにパラパラと雪が崩れ落ちるが、その無粋な音は丘全体を包む雪が吸収してしまい、すぐに静寂が復元していく。
純白の丘の頂上に到達して彩りを添えた深紅の竜は、ぐるりと辺りを見渡した。……この頂上は思ったより広い。半径にして竜の体格の四、五匹分はある。身を隠すならこの広場の中央でうずくまるだけでも、ふもとからは見辛いのではないか。
そして崖を、ふもとより広がる全景をも見渡してみる。先ほど竜が踏み込んで削れた地表も斜面も、早速雪が降り積もっていき、傷口がふさがっていく。その中にゾイドらしき影は見当たらない。
すると全方位スクリーン左方にウインドウが開いた。一瞬、肩をすくめるギルガメスだったが。
「ギル、ギル、聞こえて?」
聞き慣れた女性の声に胸をなで下ろす。
「はい、聞こえます」
「オーケー。こちらもよく聞こえるわ。あなたの顔も、ブレイカー視点の映像もきれいに映ってる。
ひとまず伏せて、待機しててね」
雪のじゅうたんの上に、深紅の竜はそっと腹ばう。
胸部コクピット内に、薄気味の悪い沈黙が訪れた。聞こえるのは少年の呼吸と、鼓動のみ。
そのとき突如、全方位スクリーンの左右に巨大な矢印が表示された。ハッと息を呑むギルガメス。矢印は後方を指し示している。
深紅の竜はすぐさま中腰になり背後を振り向く。
静寂を切り裂く地響き。綿雪が降りしきる中、黒点が急速に近付いてくる。それはまたたく間に丘のふもとまで近付くと、小刻みに跳躍して傾斜を駆け上りはじめた。
深紅の竜は抑え気味に低くうなり、若き主人に判断をうながす。
ギルガメスはハッと息を呑んだ。こうもいきなり作戦通りの展開になるとは思っていなかったからだ。レバーを握る両腕に力がこもる。
「ブレイカー、いくよ」
「……いや、ちょっと待って!」
提案者であるはずのエステルが真っ先に待ったをかけた。ギルガメスは驚き、押し込みかけたレバーを強く握りしめて静止する。
ブレイカーもはばたきかけた桜花の翼をへの字に押さえて踏みとどまる。……それで、正解だった。竜の頭上を突っ切る幾条もの閃光。すかさず竜は巨体を伏せ、両腕両足を使ってバネ仕掛けのおもちゃのように後方へと跳ねた。土煙の代わりに雪が舞って深紅の竜のあとを追う。
ギルガメスはまさかと首を傾げる。
「もしかして、読まれてた……?」
ウインドウに映し出されたエステルはこくりとうなずく。
「そうね。だけど、それだけじゃあないわ。こいつは走りながらでも、相当正確に撃てる……!」
地響きはどんどん大きくなっていき、やがてその発生源が傾斜を上がり切った。深紅の竜はさらに後方へと跳ね、丘の端辺りまで下がるとぐっと身構え、力をためる。
躍り出たのは墨色の猛牛。深紅の竜と同等の体格の持ち主だ。白銀の二本角がこの曇天を切り裂くほどまぶしく光る。背中には、無数の大砲がこぶのように密集している。これほどの武装を背負っていても軽やかに傾斜を駆け上がり、その真っ最中にあっても深紅の竜を正確に狙い撃ってきたのだ。恐るべき脚力、恐るべき精度。これこそがゼネバスの守護神デスザウラーをも苦しめたと言われるゾイド・ディバイソンである。
ブレイカーは身震いした。強敵の予感。ギルガメスも生唾を呑み込み、改めて身構える。……だが次の瞬間、この二匹が対峙してさえも訪れる静寂を、無粋極まりない大音量の罵声がものの見事にかきむしってみせた。
「見つけたぞ、ギルガメス! 親の仇、クラスメートの仇、アーミタ住人の仇!
おまえを必ず倒して、みんなの墓前に報告してやる!」
沸騰しかけていた少年の血液が、一気に凍りつく。ラマスだ。そして音声は、ゾイド据え付けの拡声器から発せられている。ゾイドバトルではウォリアー同士の通信による会話は禁止されている(八百長対策が最大の理由だ)。だからあの若者はその縛りがない拡声器で怒鳴り散らしているのだ。……だがこれはとんでもなく迷惑な話だ。通信なら接続を切れば良いが、この方法ではそれができない。
不穏な一瞬に、エステルが切れ長の蒼き瞳をカッと見開き叫んだ。
「ギル、来るわよ!」
我に返った少年。レバーを握り直すが、既に墨色の猛牛は野獣のごとく地を蹴ったところだ。
綿雪がしぶきのごとく弾け飛ぶ。突進する猛牛。背中の大砲がギラリと光る。反時計回りに駆けてかわす深紅の竜。
幾条もの閃光が大砲より解き放たれ、丘の上を突っ走り、雪を焦がす。そのすぐあとを、角を振り上げ怒涛の勢いで迫る猛牛ディバイソン。ブレイカーは弧を描いて真後ろへと回り込む。雪上を滑りながら桜花の翼を水平にかざし。
「翼の、刃よ!」
双剣を展開、急接近。
墨色の猛牛は突進の最中、蹄(ひづめ)を強く地面に打ちつけた。巻き上る雪はさながら竜巻のごとく、あっさりと振り向いて二本角を低く構える。
澄み切った鐘の音が、丘の上に鳴り響く。一撃、もう一撃。
猛牛の膝めがけて打ち放たれた双剣の切先に、二本角が正確に合わされた。渾身の連撃が弾かれ、捌かれる。
目を剥いたギルガメス。だがそんな余裕も相手は許してくれない。またあの閃光が、背中の大砲から解き放たれる。
間一髪、翼をひるがえしつつ右へとかわした深紅の竜。そこへすかさず二本角が襲いかかる。さらに身を低くした深紅の竜。背中の鶏冠を目一杯広げると蒼き炎を吹き出し、雪のしぶきを上げつつ再び旋回、間合いを離す。
「どうした落ちこぼれ野郎、逃げてばかりか?
人を巻き添えにする奴は逃げ足ばかり達者だな!」
今度は丘の上に罵声が鳴り響く。ギルガメスは唇を噛み、顔を歪める。罵声そのものへの不快感だけがその本意ではない。……ラマスが見せる徹底的な力押しの戦いぶりはジュニアハイスクール時代、ギルガメスがどうしても切り崩せなかったものだ。常に相棒と対話し、ペースをつかもうとする彼の戦い方を、ラマスは勢いのまま問答無用で潰してしまう。苦い記憶が、脳裏をよぎる。
それがレバー捌きに、一瞬の迷いを生んだ。舌打ちとともに記憶を払拭しようと試みたとき、全身が、ほんのわずかだが強張った。
「ギル、もっと大きく逃げて!」
ハッと少年が我に返ったとき、一瞬で全身の血の気が引いていくのを少年は感じた。
全方位スクリーンの真っ正面に、いつのまにか猛牛ディバイソンが仁王立ちしているではないか。両者の間合いは、我が相棒の体格三匹程度分しかない。大砲の攻撃を防ぐには近すぎる。かといってこちらから踏み込み、斬り掛かるには遠すぎる。そして……背後をちらりと見れば、数メートル先には傾斜が広がっている。主従は、追い詰められた。
吹き上がって舞い散る雪と、ゾイドたちが放つ熱気で立ちこめはじめた水蒸気。それがまたたく間に再度の静寂を作り上げていく。頭部を低く下げたまま低く鳴く猛牛。無論、背中の大砲は真っ正面の竜の胴体を、頭部の二本角は両足に狙いを定め、今にも解き放たんとする殺気をただよわせる。
対する深紅の竜も、巨体を地面すれすれまで伏せた。こうなっては仕方がない。いつでも地面を蹴り込み、猛牛の攻撃を何とかしてかわすつもりだ。
だがその一方で、ギルガメスはパニック寸前だ。絶対にやってはいけないミスを犯してしまったことが、彼の焦りを否応もなく駆り立てる。
(どうしよう、どうすればいいんだ!?)
それでも少年は出かかりそうな声を何とか我慢し、首を何度も横に振って冷静さを取り戻そうとする。
「ギル、落ち着いて! いい?」
早速全方位スクリーン左方にウインドウが開き、エステルがなだめにかかった。そのときのことだ。
「どうしたギルガメス! 怖じ気づいたか? さっさとかかってこいよ!」
再び、罵声だ。師弟の表情が凍りつく。
「できないのかよ、この落ちこぼれ! 人殺し!
おまえのような奴がやり直しなんか考えるから、沢山の人が巻き添えを食ったんだ。迷惑なんだよ!
親兄弟の顔をまだ覚えてるか? 覚えているなら懺悔して、首を差し出せ!」
少年は震えともけいれんともつかない、奇妙な衝動に駆られた。頭の中が、真っ白だ。玉のような汗を額に浮かべ、荒々しい呼吸のままレバーを握りしめようとした、そのとき。
「耳を貸すな!」
罵声をさえぎったのは、凛とした女声の一喝。少年は我に返った。
「……ギル、ギル、聞こえて?」
ウインドウの向こうで少年の師匠は面長の端正な顔を紅潮させ、こちらを懸命にのぞき込んでいる。じわりと潤む切れ長の蒼き瞳。少年は虚を突かれた。
「忘れたの? あなたを大事に思っている子もいるのよ。
迷い、悔やむならせめてその子のために戦いなさい!」
エステルの発する一言一句は力強く響き渡り、ギルガメスの頭のてっぺんから足の爪先まで電気のように駆けめぐる。
こらえ切れず、少年は息を漏らした。そのとき、彼の心臓に響き渡ったのは全く別の鼓動。彼は今、相棒の鼓動をシンクロによって感じ取っていた。不安が、どうしてやれることもできない悲しみが、安定しない小走りな鼓動となって少年の心臓を震わせている。
(ブレイカー、エステル先生、ごめん)
自らの胸元をぎゅっと握りしめた少年。ちらりと左方を見て軽くうなずく。……少し、我に返ることができたようだ。するとそのとき、彼はおかしなことに気がついた。
(なぜ、ラマス先輩は撃ってこないんだ?)
こんなに好条件なのにも関わらず、一向に少年主従を狙撃しない。それどころか挑発ばかりではないか。
理由は、簡単なことだった。何とも狭い蒸し風呂のようなコクピット内で、憎悪に燃えたぎる若者ラマスはその実、狡猾に計算をしていたのだ。
(さあどうした、さっさと来やがれ。自暴自棄になって斬り掛かってきやがれ)
無防備のまま斬り掛かってくれれば背負いの大砲の餌食にできる。
気になるのは竜の背中に生える二本の翼とも盾ともつかない存在だ。あれをかざして突っ込まれた場合、至近距離でも防ぎ切られて衝突するかもしれない。
(……だがその場合、こちらには角がある。盾の下から角ですくって、ひっくり返してやる)
そこまで対策を用意しての挑発だった。若者はキャノピー越しに宿敵の様子をうかがう。
目前に見える深紅の竜は、依然、動かない。業を煮やしたラマスはスピーカーのスイッチを入れると。
「ビビって来れねえのかよ、この人殺し! 人殺し! 人殺し!」
再び口汚い罵声が丘の上を包み込んだそのとき、局面は動いた。
不意に弾けた雪の柱。強烈な踏み込みこそ、突撃の合図。勇躍、ラマスは雪の柱の中から躍り出てくる深紅の竜ブレイカーの動きを見極めんとレバーを強く握り、身構える。ところが。
どういう形であれ突っ込んでくると確信していた若者の視界に映し出された竜の動きは、異様極まりなかった。……桜花の翼を、長い尻尾をひるがえし、低く軽快に後ろ宙返り。しかし着地点に広がっているのは急傾斜だ。
深紅の竜が視界から消えかけたところで、ラマスはようやく宿敵が何をしたか、理解した。
「自分から、落ちただと!?」
力をためて踏ん張っていた猛牛ディバイソンも驚いて全身が上ずり、傾斜の向こうに視線を投げかける。当然見えるわけがない。すぐさまへりの方まで近付いた、そのとき。
猛牛の目前に広がる純白の風景が突如、紅色で覆い尽くされた。次いで、蒼き炎。深紅の竜ブレイカーだ。宙返りで傾斜に飛び降りると、斜面を蹴り込みつつ急上昇したのだ。
泡を食ったのはラマスの方だ。血相を変えて顔を上げ、レバーを捌いて照準を合わせようとするが。
深紅の竜は既に、墨色の猛牛十匹以上の高さまで跳躍したところだ。そのまま、六本の鶏冠の先端より蒼き炎を吹き出し急降下。
響き渡る轟音。丘の傾斜がたちまち雪崩を起こす。
深紅の竜は、猛牛の左脇腹辺りに着地。そのまま猛牛の胴体をガッチリつかむ。
ラマスはアッと声を上げた。真っ正面から飛び込んでくるなら迎撃の手段はいくらでもある。だが彼の憎むべき敵はいともあっさりと狙いをかわし、ふところに飛び込んできたのだ。彼はあわててレバーを揺さぶり怒鳴る。
「ふざけるな、ギルガメス! ええい離せ、離しやがれ!」
大暴れする猛牛だったが、少年主従は冷静だ。
「ブレイカー、脇腹に蹴り込んで」
鈍い音が一発、また一発。無防備と言って良い猛牛の脇腹めがけて、深紅の竜の鋭利な爪先が三、四発ほども叩き込まれる。
それで十分だった。猛牛は四肢の踏ん張りが緩み、ソリでも進めたかのように地表の雪が削れる。つかんだ両腕を緩めた深紅の竜。すぐさま後方へと跳躍し、低く身構えたとき、四肢をけいれんさせた猛牛は踏ん張りが効かず、そのまま雪で包まれたこの丘の上に腹ばい、力を失った。
「ギルガメス、この野郎! まだ勝負は終わってねえぞ!」
相変わらず口汚い罵声が辺りに響く。猛牛の四肢に埋め込まれた突起も回転し、火花を散らしている。闘志だけは失われてはおらず、空回りを続けていた。
ギルガメスは油断などせず、レバーを握りしめたままスクリーンの向こうの敵をにらみ続ける。そのとき突如、全方位スクリーン右方にウインドウが開いた。たちまち膨大な規模の表を描き出すと、欄の一つが明滅し、そして消失していく。そこには目前の強敵の名前が表示されていたのだ。……戦闘不能になった相手ゾイドの状態が、運営側に信号として送られた結果である。一方、少年の名前の欄には白星が一つ、追加された。きっと、勝敗が一つ確定したに違いない。
深く、深く少年は息を吐いた。……いまだ、猛牛の主人は口汚い罵声を吐くのをやめない。
「ギルガメス、これで逃げ切れると思ったら大間違いだぞ!」
何も言い返すことなどできなかった。
ブレイカーは己が胸元に鼻先を近付けると、か細く鳴いて我が主人を案じた。そのときのことだ。
同じように若者の罵声を聞かされ、忌々しげに舌打ちをしていたエステル。だが腹を立てても彼女は務めを忘れず、コントロールパネルを叩いて情報を引き出そうと試みを続けている。するとモニターに映し出された鳥瞰図が、丘の外周に集結するいくつもの光点を確認した。
「ギル、逃げて!」
その言葉に少年は一瞬、躊躇した。逃げるということは、先ほど自分が倒した猛牛とその主人をそこに打ち捨てるということだ。
だが相棒の方はそうはいかない。己が胸元に鼻先を向けつつ甲高く鳴いて詫びると、すぐさま地を蹴り、飛び跳ねた。少年は仕方なく、レバーを再び握って相棒の制御に乗り出す。
着地は丘の中腹。そのまま滑って下降する深紅の竜。背後で轟いた無数の着弾音。……音は竜がふもとに降り立つまで、延々と続けられた。そして地響きとともに雪崩が追随する。
全方位スクリーンの後方に映し出された阿鼻叫喚の光景を、少年は呆然と見つめるよりほかない。そのとき、爆音をかき分けるほどの音量で狂気じみた声が響き渡った。
「ラマスもギルガメスも倒したぞ!」
「誰の弾で倒した!?」
向こうで、まちまちな大きさのゾイド数匹が隊列を組んでいる。白き狼コマンドウルフや角竜レッドホーンなど、脈絡のない構成。彼らが声の主だ。……百二十チームも参加する以上、ときには手を取り合って強大な敵を倒すこともあるだろう。
ギルガメスは怒りに打ち震えた。ルール上は認められていることをとやかく言うつもりはないが、それにしてもあれだけの弾をわずか二匹めがけて撃ち込む理由はどこにあるのか。
駆ける深紅の竜。吠える少年。
双剣を振りかざし、またたく間にこの数匹のゾイドたちの足を、腹を、斬り払う。たちまち三匹ほどがその場に倒れ、残る数匹はクモの子を散らすように逃げ出した。
まだ彼らの仲間は近くにいるのかと少年は周囲を見渡したとき、この新人王戦という大会の異常さを思い知らされた。……既に至るところでゾイド同士がぶつかり合っている。あるゾイドは背後から狙撃され、またあるゾイドは数匹で取り囲まれてなぶられる始末。一応のルールがあるという以外は、戦場と何ら変わりがない。いやそのありさまは、下手をすれば戦場などよりよほど醜いのかもしれない。この場では、数秒前まで味方だった者が、敵にも変わるのである。
「ギル、落ち着いて。雰囲気に呑まれたら駄目よ」
見かねてエステルが努めて穏やかに声を掛けた。少年はうなずき応える。やり切れない想いを、相棒の鼓動を感じ取り、憧れる女性の憂いにあふれたまなざしを横目に見ることで打ち払い、少年は今一度自らを奮い立たせた。