雪のじゅうたんを走る銀色の竜の群れ。既に陽も落ち、夜空は星のカーテンで覆われていた。昼がZi人に与えられたものであるならば、夜はゾイドに与えられたものと言える。今日の晩も、野生ゾイドが群れをなして餌を探しに躍り出ていた。
とある丘に向けて、群れの何匹かが駆け上がっていく。高みに登って餌となるゾイドを探そうという腹づもりだ。
しかしその作戦は、早々に中止せざるを得なくなった。頂上からパラパラと、雪が崩れ落ちていく。と同時に、紅と銀に彩られた鶏冠の先端がひょっこり現れた。竜の群れはそろって背筋を強張らせ、一目散に斜面を駆け降り、退散した。遠目に見ても、鶏冠の先端だけで彼らの頭部ほどはある。この丘の上には彼らの何倍もの大きさを誇る恐るべき化け物が潜んでいるに違いない……!
事実、この丘の上には彼らをはるかに上回るゾイドが一匹、隠れていた。
この丘一帯を空高くから見下ろせば、大砲が着弾したかのようなくぼみが確認できる。その中には深紅の竜ブレイカーが腹ばい、伸びをしていた。先ほどは、逆立てた鶏冠が積もり積もった雪の壁に軽く触れたのである。
これは深紅の竜にとっては多分に意図的なものであり、少々首を起こして気配が遠のくのを察知した竜は、うっとうしげにため息をついた。
すると左の脇腹の辺りから、気遣うように声を掛けてきた者がいる。
「ブレイカー、何か外にいたの?」
ギルガメスだ。この竜の若き主人は寒い中、灰色のパーカーをまとって熱心に短剣術の「型」の稽古中だ。小気味良く鞘入りのナイフを振り上げ、突き、斬り払う。
辺り一帯だけは完全に地表が見えている。雪かきでもしたのだろうが、それでも一歩踏み込めば、霜が崩れてザクザクと音を立てる。そして正確に動きを止めるたび、吐く息は真っ白だ。
竜は眠たげな鳴き声で返しつつ首を伏せた。こうやっておとなしくすれば、主人も安心して練習に打ち込んでくれるだろう。……彼もその仕草に安心したのか、再び身体を動かしはじめた。
ギルガメスが家出してからはじめて迎えた真冬は「例年通り」至るところで数メートル規模の積雪を記録し、各地に陸の孤島を作り出した。一行も例外ではなく、こうして冬ごもりを迎えた格好だ。幸い新人王戦の賞金は中々なもので、それを元手にして臨むことができたのである。
深紅の竜は長い尻尾で胴体の左側を囲っている。その内側にはビークルとテント二つ、それに仮設トイレと仮設風呂が並んである。そして竜の外周を覆うのが数メートルほどもある雪の壁だ。
ちなみにビークルの後部には機体の半分ほどもない小型のトレーラーが増設された(それでも竜の手の平に収まるほどの大きさはある)。キャンプ用のもので、賞金の主な使い道となったものだ。室内は大人二名が横になれるくらいの余裕があり、簡易キッチン・トイレも備えた優れもの。……ただしトイレと風呂は結局、レンタルで借りることとなった。滞在前から陸の孤島化が予測できていたことから、特にトイレは故障したときを恐れて用意した。
トレーラーの購入はギルガメスとその師匠エステルにとって懸案だった。ビークルの飛行を妨げないほど小型かつ多機能、そして多少の銃撃・落下などにも耐え得る頑丈なものは中々に値段が張るため、優勝しようがしまいが奮発する予定だったのだ。特にエステルは、当初は旅が比較的短期間で一段落すると想定していたのだが、アーミタ壊滅というアクシデントによってまるっきり話しが変わってしまったことを憂慮していた。当て所ない旅を続ける上で、装備の充実化が不可欠だったのだ。
さて少年が短剣を振り回していると、トレーラーの後部ハッチがせり上がった。エステルが身を乗りだす。焦げ茶のセーターにジーンズのスカートという、遠目には地味な出で立ち。
「ギル、入ってらっしゃい。ブレイカー、ごめんね?」
少年は「はい」と返事し、竜も小気味良く鳴いてみせた。
だがそんなちょっとした会話の中に少々奇妙なものを感じて、深紅の竜はふと首を傾げたのだ。我が主人の立ち居振る舞いに、妙な緊張感がある。そう、それは試合に臨むときのそれに似ている。
現実問題として、冬ごもりは少年主従の静養と稽古を兼ねていた。
積雪を考慮して頂ければおわかりのように、冬は一部のビックマッチを除いて興行が激減する言わば閑散期である。休むには都合がいいし、実際にギルガメスは日々の戦いを忘れたほどではないにせよ、死闘の連続から少し離れたことで、屈託のない笑顔を浮かべることが多くなっていた。
だからこそ、竜はいぶかしんだ。あんな緊張感、今この場でいきなり解き放たれるものではない。
せり上がったハッチの中に主人が乗り込む。深紅の竜は首を伏せたまま、視線だけはそっとトレーラーの方へと向けた。
トレーラーの室内は細長く、横幅はギルガメスが両腕を開いても届かない程度には広いが、縦幅はエステルが寝っ転がって両手を伸ばすとさすがにつっかえてしまう(ちなみに天井はどうにか、エステルの頭はぶつからない。彼女はひそかに安堵していた)。
そして左右の壁には頑丈な作りのカギつきの戸棚が埋め込まれている。ビークルで牽引する以上、急カーブや宙返りは当たり前だ。その結果、室内が滅茶苦茶になることを極力回避しているのである。ちなみに内部は食料と水、衣類で既に一杯だ。
さてギルガメスは靴を脱いで一歩踏み入れた途端、妙に緩んだため息をついてしまって頭を掻いた。空調と電気マットのおかげでびっくりするほど暖かい。これはいけないと、あわてて顔を横に揺さぶる。
室内の中央には膳が一つ。奥にはエステルが正座している。背筋を伸ばし両手を膝に乗せた姿は凛としているが、柔らかな体つきが同時にたおやかな雰囲気を醸し出す。そんな姿のまま、彼女はくすりと笑顔を見せるのだ。
「そんなに改まらなくても良いのよ?」
少年は恐縮しつつ、あぐらをかいた。
膳の上にはノート大の端末が載せてあり、少年の方にモニターが向けられている。ちなみに端末は我々地球人が使うものとそう大差はない。ただしZi人の、それもゾイドを頻繁に操る者に合わせてキーボードつきの非常に頑丈な作りである。
端末の隣りには何冊かのノートとそれに教科書らしき本が積み重ねられている。……エステルは当初、ギルガメスが故郷アーミタに無事凱旋できたら、ジュニアハイスクールに復学させようと考えていた。だがそれはアーミタ壊滅によって不可能となってしまったため、通信教育課程を修了させて全うさせることにしたのだ(※戦乱が長引いた惑星Ziでは兵士の社会復帰も長年の課題であり、通信教育以外にも様々な教育課程が用意されている)。少年も納得して勉学に励んでいるところだが、それはここでは本題ではない。
たおやかな女教師は一転して真顔になった。
「……さて。オファー、結構、来たわよ?
まだ解禁日にもなってないのにね」
モニターにはいくつかウインドウが広げられている。失礼しますと少年が端末に触れると、表示された画像の数々に彼はたちまち頭がくらくらしてきた。
いずれも電子形式の招待状。送り主は全てゾイドバトルの興行会社だ。主催興行の名称を見ると、駆け出しのゾイドウォリアーならば聞いただけで卒倒しそうな名称がいくつも出てくるではないか。獣皇戦、西方大陸杯、Ziマスターズ、などなど、その他諸々。どれもこれも彼がジュニアハイスクールで研鑽に励んでいた時分、試合の中継映像を見ては将来を夢想した興行だ。
ただ、これらはゾイドウォリアー・ギルドを通してのオファーではない。通信を介してはいるものの事実上直接コンタクトの上ねじ込んできたものだ。いずれも冬が閑散期であるのを狙って送られてきたのである。
新人王戦優勝という実績は、ギルガメスに対する世間の評価を激変させた。「水の軍団に追われているらしい」などという噂を差し引いても、あるいはその噂による話題性も含めて、彼を招聘する価値を多くの興行師が認めたのである。
少年は一つ一つ熱心に目を通していくうちに、いつしかあぐらから正座に変わっていた。ウインドウを選択するたび、ため息をつくようになる。
女教師はずっと腕を組み、右手で頬杖していたが、少年の手の動きが鈍りはじめた頃合いを見計らって語りかけた。
「フライングもいいところだから、返事なんてしなくていいわ。
でも、春になっても迷っているわけにはいかないわ。目標くらいは早めに決めておかないとね」
彼女の言葉に対し少年は、膝下丈の半ズボンの裾をぐっと握りしめると。
「あ、あの……」
そのたった一言を発するために彼が浮かべた必死の表情は、物凄い勇気と決意を振りしぼったかのようだ。
おやと思ったエステルは、努めて自然な微笑みを浮かべて返す。切れ長の瞳は極力細めて、鋭利な眼光を緩和させた。
「どうしたの?」
「僕は……僕は、そういうことより先に、決着をつけなければいけないことがあると、思うんです!」
一気に言い放って、彼は大きく息を吐いた。それだけで、まるでゾイドバトルの試合をこなした直後のように荒々しい。
呼吸を整える愛弟子の姿をまじまじと見つめる女教師。頬杖の姿勢を崩さず、ただひと言「続けて?」とささやいた。
「結局僕は、自分が何なのか、全然わからないんです」
そう答えた少年は己が額に右手を当てる。……それだけでは決して何も起きることはない。だがそこにこそ、あらゆる意味で根源的な力が眠っているのだ。
「刻印のおかげで、僕はブレイカーと友達になれた。エステル先生とも知り合えた。
だけど、今も僕の命は狙われている。それに沢山の人をひどい目にあわせてしまった……。
その原因が刻印に関係しているというのなら、僕は知りたい。
自分の中に何が起こったのか、わかっておきたいんです」
一気にまくし立てて、また荒々しく息を吐く。積雪も手伝い、訪れる静寂は底知れない。
女教師はそんな愛弟子を一瞥すると、抑揚を努めて抑えて問いかけた。
「もしかしたら、知らなくていいことも知ってしまうかもしれないわよ?」
「そんなこと、ないです!」
声をさえぎるように叫び、身を乗り出した少年。女教師が切れ長の瞳を丸くしたものだから、彼はあわてて姿勢を正す。
「……いや、確かに、都合の悪いことだってあるかもしれないです。
けれど、ブレイカーにも先生にも出会えたんですよ?
こんな良いことを全てひっくり返されるほど、知って悔やむようなことなんて、あるわけがない」
少年はそれだけ言い切ると、全てを吐き出したかのように肩で息をした。汗びっしょりだ。
ずっと右手で頬杖したままの女教師は、愛弟子の円らな瞳をまじまじと見つめ何度か、うなずく。
再びただよいはじめた静寂は少年を徐々に心細くさせていくが、それはそう長くは続かなかった。
「……わかったわ」
そのたった一言で愛弟子の表情がパッと明るくなったものだから、女教師は吹き出しそうになった。あわてて口元に手を当てつつ会話を続ける。
「心当たりが、全くないってわけじゃあないわ。あたってみれば、何か情報がつかめるかもね。
雪解けの頃合いを見計らって、ここを発ちましょう」
ギルガメスは満面の笑みを浮かべた。と同時に、こみ上げる疲労感にあらがい切れず両肩を脱力させる。
彼が見せる表情の落差は大きい。さしもの女教師エステルもこらえ切れず吹き出してしまった。たちまち怪訝そうな表情を浮かべる少年。
「ごめんね。だってギルったら、この世の終わりみたいな顔したり天国みたいな顔したり……」
合点がいった少年は恐縮して、頭を掻いた。
女教師は苦笑を続けつつ腰を上げると膝立ちで少年の右脇まで進み、そこから手を伸ばして彼の背後にあるハッチの開閉ボタンを押した。
するとどうしたことか、深紅の竜がギリギリまで顔を近付けているではないか。聞き耳を立てていたのだ。竜は不意打ちを食らった様子で肩をすぼめ、うなだれた。
女教師の笑いは止まらない。一方少年の表情は引きつった。
「ブレイカー、何やってるのさ……」
「あなたのことを心配してたのよ。
さて、小休止したら勉強、はじめるわよ?」
うなずいた少年は立ち上がると靴を履いた。ひとまず相棒をあやしてやらなければいけないと思ったからだ。
そんな彼の後ろ姿を、エステルは見つめている。……若干ながら、身体が大きくなったようだ。だがそれ以上に、雰囲気が心持ち、柔らかくなったのが嬉しい。まだ心の奥底には怒りや悲しみ、焦りや絶望が沢山眠っているに違いないが、それをどうにかして受け止めようとする前向きな気持ちが感じ取れる。
(また少し、強くなったわね、ギル。
あなたにどんな運命が待ち構えているのかもわからないけれど……)
そう思ったとき、ふと彼女の脳裏に気味の悪いノイズが走った。それが何か、あえて分析する必要はない。思い出したくもないその対象に、つい先日出会っているのだから。
(必ず、私が……!)
膝に乗せた両手の平で拳を握る。
そんな女教師エステルの決意を、愛弟子ギルガメスは知る由もない。
外に出ればたちまち吐く息が真っ白になる。キスをせがむ相棒ブレイカーだが、流石にこれほどの寒さだ。少年はまずは鼻先をタオルで拭いてやることにした。
勉強を終えたギルガメスは就寝すべく、ブレイカーにお休みのキスを済ませると自分のテントに戻った。……トレーラー内は実に暖かく、できればこの中で寝たいところだが、さすがに電力の消費が馬鹿にならない。非常時以外はいつも通り、テント内で寝る取り決めとなっていた。
Tシャツの上にセーター、ジャージを着重ねて寝袋に包まり、枕元の電気ランプのスイッチを落とす。すぐさま、訪れた暗闇。テントと地面の隙間から、雪の明るさが淡く漏れてくるからそう寂しくもない。
かすかに、地面が揺れた。相棒が餌を確保に飛び立ったのだろう。爪先立ちでそっと、だ。あの巨体だから完全に揺れを消すのは不可能に近いが、こういうときにいじらしく気を遣うゾイドだということは、少年も良く理解している。
それから何分経ったのか。天幕をじっと見つめながら、まんじりともしない。……正直、あのように話しを切り出したときはひどく緊張していた。だが話しを終え勉強もノルマを済ませたときにはごくごく自然な疲労感が残ったはずなのだが。
仕方なく、ぼんやりとしようと心掛けたときのことだ。テントの入り口からスッと漏れてきた淡い光。
何ごとかと少年が身体を起こそうとしたときには、侵入者は既に腰の辺りで膝立ちになっていた。……切れ長の蒼き瞳は潤みかかっているのか、薄暗いテント内を艶かしく照らし出す。
少年は女教師エステルがなぜ入り込んできたのか皆目理由が分からない。とにかく身体を起こそうとしたが、そのときはじめて、自分の身体に異変を感じた。……ピクリとも、動かない。身体どころか指先さえも。
動揺のあまり円らな瞳が一層丸くなる。そんな少年の顔をのぞき込んだ彼女は軽く舌舐めずりをして微笑んだ。
「そうね。私も、決着をつけたいわ」
そう告げると、焦茶色のセーターをめくり上げ、スカートを降ろす。
たちまち一糸まとわぬ裸身が暗闇に晒される。鋭いまなざしに反発するように突き上がった豊満な乳房。一方細い腰はひとたび抱けばそれだけで砕け折れてしまいそうだ。
少年は唾を呑み込んだ。叫びたくてものどが渇き切ってしまっている。
「ギルってば本当、煮え切らないんだもの……。
もっと早く、こうしたかったんでしょう?」
女教師は涼しげに微笑みながら、ゆっくりと覆い被さってくる。
ついに少年は叫んだ。叫んで無理矢理、動かなくなってしまった身体を持ち上げ、どうにかして払いのけようとした。
寝袋ごと少年の上半身が垂直に持ち上がったとき、彼はようやく、辺りに誰もいないことに気がつきホッと胸をなで下ろしたのだ。夢を見ていたのか、金縛りという奴にあったのか。こんなにも寒いのに、どっと額に汗が浮かんだ。
乱れた息を無理矢理整えると、ため息をつきながら寝袋ごと横になった。ぽつり、うめき声を漏らす。
「ギルガメスの、最低野郎……」
年端もいかぬ少年だ、いかがわしいことは何度考えたかもわからない。実際、そうしてしまうだけの材料はあった。現実にはこの師弟、旅を続けて半年を越えたくらいなのだが、何しろ二人の距離が十数メートル以上も離れる時間帯は、深紅の竜ブレイカーの操縦が絡まない限りほとんどなかった。そんな状況下で、出会ったそのときから何度彼女の裸身を目にしたかもわからない(しかも見られても彼女は驚くほど堂々としているので、そのたび少年は困惑した)。
だが、そんな妄想を具現化させるのを終着点として今まで頑張ってきたわけではあるまい。
ギルガメスは唇を噛んで、きつく戒めた。既に故郷を失った今、戦う理由は二つしかない。その二つに見合う自分になれるか、どうか……。それが、今度の旅路だ。
春の訪れはいつだってゆっくりと、だがいつの間にか冬の厳しさに取って代わるものだ。
この年の春もそんな風に、気がつけば陽射しがより高くから降り注がれるようになっていた。ままならない雪解けも、急速に進行するに違いない。
深紅の竜ブレイカーはそんな、すっかり柔らかくなった雪のじゅうたんを滑るように駆けていた。一歩一歩、蹴り込むたびにシャーベット状の雪がしぶきのように跳ねる。
胸部コクピット内に乗り込むギルガメスは(ああ、ご機嫌なんだな)と肌でわかった。人ならばきっと、鼻歌でも唄いそうだ。もう何日もこんな調子なので彼はホッとしている。
一方、実際に鼻歌を唄っている者がいた。
深紅の竜が両手に抱えるビークルの中で、エステルは右手で頬杖しつつ、長い指で頬骨の辺りを軽く叩きながらリズムを取っている。……ビークルは真冬の仕様ということでコクピットをキャノピーと装甲で覆っている状態なのだが、女教師自身はいつもの背広ではなく、漆黒のパイロットスーツに身を固め、かたわらにはフルフェイスのヘルメットを用意しているのだ。出立してからというものの、日中はずっとこの格好である。
「辺境に行くから、いつ何が起こってもおかしくないようにね」
エステルはそう答えて笑顔を見せたが、切れ長の瞳は決して笑ってなどいない。
彼女は言う……もしギルガメスの身体の秘密を調べるとしたら、古代ゾイド人の遺跡をあたるしかない、と。それも彼女がずっと眠り続けていたレヴニア山脈よりもはるかに守りが堅いところだ。
「だけどそんなところは、とっくに水の軍団に目をつけられていると思うわ。
外部からの破壊は簡単にはできない。けれど、周辺で待ち構えている可能性があるわね」
そうつぶやく女教師の笑顔は不敵ですらある。いつでもかかってこい、とでも言いたげだ。だがその迫力に少年が押し黙ってしまったものだから、彼女は苦笑しつつ己が表情を崩してみせた。
「大丈夫よ、大丈夫。
最悪の可能性は大げさに考えておくってだけの話しよ。ね?」
ギルガメスは無言でうなずいたが、正直なところ勘が鋭いのはどちらなのかを考えると、中々憂うつなところである。水の軍団との接触は、できれば回避したい。どんなに強くなろうが、戦えばすぐさま死と隣り合わせになってしまうのだから。
そんな虫の良い願い事を、イブは容赦なく無視した。
そのことに最初に気がついたのは、他ならぬ深紅の竜ブレイカーだった。……気持ち良さそうに走り続ける最中、ふと左方に視線を投げかけた。
積雪で埋もれた平野の彼方に純白の山々が連なり、真っ青なホリゾントが垣間見える。前も後ろも右も。なのに深紅の竜は左方を意識すると、自身の胸元に埋め込まれたコクピット内では、すぐさま全方位スクリーンの左上にウインドウが開かれた。
突如開かれたウインドウは、鳥瞰図の中央に無人の野を行く赤い光点だけが映されている。
ギルガメスは何が起こったのかわからない。「どうしたの?」と問いかけようとした、そのとき。
甲高いひと鳴き、強烈な蹴り込み。雪がひときわ高く跳ね飛ぶが、深紅の竜はそれよりもはるかに高く、虚空めがけてはばたいた。両手につかんだビークルを胸元にまで引き寄せ抱きしめつつ、逆立てた背中の鶏冠より蒼き炎を吐き出し、より高く、より高く。
たちまち少年の小さな身体に、重力の不意打ちが追いすがる。刻印を発動していない今の状態では、コクピットを大きく揺さぶる動作は身体への負担が大きい。それでもギルガメスは、上半身に覆い被さるハーネスに身を任せつつ、全方位スクリーン左上をにらみ、開かれたウインドウの真意を理解しようと試みた。
一見して何も見当たらない左方から、幾条もの白線が櫛のように伸びていくのがわかる。
と同時に、全方位スクリーン全体が薄暗くなった。……故障ではない。物凄くまぶしいものが近付いたら、このゾイドは勝手にスクリーンの輝度を落としにかかる。
今度は左中段にウインドウが開き、エステルが血相変えて見つめてきた。額より青白い輝きがほとばしる。
「ギル! 例え、その行く先が!」
詠唱だ。それほどの事態ということか。ギルガメスも身を乗り出して追随する。
「いばらの道であっても、私は、戦う!」
たちまち少年の額にも宿った青白い輝き。力強くレバーを握りしめ、全身で踏ん張ってみせる。
刻印の発動を確認した女教師は、自らもすかさずヘルメットをかぶった。
青空めがけて急加速する深紅の竜。地上より、突風が吹き上がって巨体を揺さぶるが、少年は巧みなレバー捌きで桜花の翼をコントロールし、どうにか姿勢を維持する。
足下に展開された光景に、二人と一匹は慄然となった。……太陽のようにまぶしく太い光の槍が、幾条も、そして何十秒も地面を突っ切っている。
ようやく光の槍が収束、消滅していく。それとともに、先ほどまでは積雪によって一面真っ白だった地表が、岩盤ごと削り取られて惨たらしい傷跡を青空の下にさらけ出した。辺りにただよう湯気は蒸発した積雪の成れの果てか。
少年は息を呑んだ。似たような光景を去年の暮れに、目にしたはずだ。
「エステル先生、これ、まさか……」
その名を呼ばれた女教師はウインドウの向こうでヘルメットのシールドを持ち上げると厳しい眼光のまま手短につぶやく。余計なことを言って動揺を与えるのは危険だし、そこまでの余裕もない。
「荷電粒子砲ね。……来るわ!」
鳥瞰図が、今度は無数の白い光点を浮かび上がらせる。これが荷電粒子砲を放った連中なのか。
どうやって今まで無人の野だったはずのそこらより、突如湧いて出たのか。地中深く潜伏していたのか、それとも高度なゾイドの感覚器官をもあざむく技術により偽装していたのか……。皆目見当はつかないが、問題なのは白い光点の群れが、まさに白波のごとく赤い光点めがけて迫ってきているということだ。
全方位スクリーン左方には別のウインドウが開き、鳥瞰図の上に被さる。白い光点の正体は、深紅の竜ブレイカーもすぐさまその目に焼き付けることができた。
銀色の、竜の群れ。頭頂部を覆うオレンジ色のキャノピーに、ギルガメスは強烈な既視感がある。ゴドスだ。群れなすゴドスたちは着々と横数列に隊列を整え、地を蹴り込み泥を跳ね飛ばして向かってくる。そのいずれもが、長い槍のような武器を両手でつかみ、右脇腹に抱えている状態だ。どうやらこれが荷電粒子砲らしいが、今は分析どころではない。
「水の軍団、本隊……!
先生、逃げますか、それとも……」
「逃げるわ! このまままっすぐ飛んで……」
左中段のウインドウから今にも飛び出さんばかりの勢いでエステルが怒鳴る。
桜花の翼をひるがえし、六本の鶏冠を目一杯広げ。たちまち蒼い炎を背負って深紅の竜は空を駆ける。
だがこのとき、再び鳥瞰図が全方位スクリーンの左上に被さったから、ギルガメスは目を剥いた。白波の側から、たちまち解き放たれた無数の白線。
虚空を蹴った深紅の竜。古代の宝刀のような妖しい軌道で陽射しの中を横切っていく。
その上下をはさみ、取り囲むように、幾条も突き抜ける太い、太い光の槍。空中を駆け抜けていくだけで発生する尋常ならざる衝撃は、自在に飛び回る深紅の竜をも捉え、揺さぶった。
バランスを崩し、すぐさま整え。深紅の竜が泥のしぶきを上げつつ着地したとき、銀色の竜の群れはL字の陣形を組みつつ立ちふさがっていた。一辺は右手に、もう一辺は左手に。既に半径一キロ以内に入り込み、着々と間合いを縮めつつある。
ゴドスの群れがいずれも抱える長い槍は、柄と穂先がほぼ均等の長さに見える(つまり穂先が異様に長い)。そして穂先の部分は長剣が数本も束ねられたような形状で、長剣と長剣との間が放電した状態でゆっくりと回転を繰り返している。ドリルのような穂先を向けつつ一歩一歩ゆっくりとした足取りで進む、群れなす竜の何たる威圧感。
ギルガメスの額ににじむ汗。青白き刻印の上を伝い、それを右手でぐいとぬぐう。
「どうしよう、どうすればいいんだ?」
左中段のウインドウより、助け舟が出された。エステルの微笑みは何とも頼もしい。
「ギル、ギル、聞こえて?
安心できることもあるわ。これだけ接近されたら荷電粒子砲は使いにくいでしょう?」
あっ、と少年は声を出した。同士討ち覚悟で使うにしても、強力すぎる兵器だ。
「陣形の中央を突破しましょう。
ブレイカー、ビークルは抱えたままでね」
はいと元気よく返事する少年、甲高く鳴く優しき竜。女教師はうなずいてヘルメットのシールドを降ろす。
少年は胸一杯に息を吸い、そして吐いた。今一度吸い込み、吐き出す勢いとともに。
「ブレイカー、いくよ!」
レバーを強く押し込む。応えて雄叫びを上げる深紅の竜。右足を蹴り込み、泥と土ぼこりの花を咲かせて突っ走る。
呼応するように、ゴドスの群れも地面を蹴り込んだ。泥をかき分け、深紅の竜めがけて左右より押し寄せる銀の波。
そいつらに用はないとばかりに深紅の竜は前へ前へと突っ走る。このゾイドがその気になれば、銀色の竜の走行速度など問題にならない。十数秒も経ずして、次々続く泥の花を尻目に、深紅の竜は銀の波の中央へと迫る。陣形の端と端が包囲を狭めんと追いすがる。だがその間をするりと抜けられてしまい、閉じられるファスナーのように虚しく槍の穂先が交叉する。
しかしながら女教師エステルに誤算があったとすれば、相手が水の軍団の精鋭にして、装備も対・魔装竜ジェノブレイカー戦を十分に想定しただろうものだったことだ。
たちまち迫る深紅の竜を前にして、目前に立ちふさがる銀色の竜たちは一斉に槍を構えた。
槍の穂先として束ねられた数本の長剣が、百合の花のように大きく開く。
異変を察知した深紅の竜は、とっさに地を蹴り跳躍する。
そのあとを追うように、花咲く百合の花弁から、ほとばしった輝きが銀の波を包み込む。構築された光の壁は空高くそびえ立ち、懸命に跳ね越えんとする深紅の竜の足を捉えた。……墜落の最中、女教師はその正体を確信した。大変な消耗を伴うが彼女自身でも発動できる、その武器をEシールドと言う。
腹ばいの姿勢で着地した深紅の竜。だがビークルを抱えたままの状態での着地は困難を伴う。泥を削りつつ、何十メートルも滑り込み、前のめり。
師弟が、竜が歯を食いしばり、どうにか衝撃を押さえ切る。両腕を強張らせたまま少年が左右を振り向いたとき、彼は今までに感じたものとははるかに異質の悪寒を感じた。
槍の穂先を向けた竜たちが、すぐ目の前まで近付いている。まぶしき陽射しが銀色の鎧を照らし、その足元から闇より深い影を伸ばす。
少年は頭の中が真っ白になりそうだ。死が間近に迫ったことによる強烈な絶望感が彼を揺さぶる。どうにかして我に立ち戻らなければと何か口走ろうとするが、歯の根が全く合わない。
一方、女教師の方は衝撃に揺さぶられて顔を歪めてもすぐに平静を取り戻してはいる。すぐに体勢を立て直さんとモニターの方を見やったが、愛弟子の動揺はどうだ。彼女はすぐさまヘルメットのシールドを持ち上げて叫んだ。
「ギル、落ち着いて! 大丈夫、まだどうとでもなるわ!」
モニターの向こうの愛弟子に変化がない。まずい。
師弟の名誉のために述べるなら、結局はこの危機さえも彼らの力のみでどうにか脱出できたに違いない。この直後、不意を突くようになされた介入は、危機を回避する代わりに代償を求めたのだ。悪魔のささやきのように……。
突如、地の底から鳴り響く、低い、低い雄叫び。
心臓を突くほど鋭いそれには、魔装竜ジェノブレイカーと唄われた深紅の竜も、水の軍団の精鋭たる銀色の竜ゴドスの群れも、一斉に動きを止め、辺りをキョロキョロと見渡した。
この一瞬、途切れた殺気のおかげか、少年も我を取り戻した。だがすぐに背筋を走る別の悪寒によって全身が強張る。
異様な気配が、はるか彼方からゆっくりと進んでくる。……自分だけは決して汚れるわけがないとあざ笑う、この空のように青い獅子だ。矢尻のような面構え。頬に広がる白いたてがみ。よくよく見れば青い部分は顔や胴体以外にほとんどなく、あとは底知れぬ黒が大半を占める。
頭部にはオレンジ色のキャノピーが覆い被さりその本性を隠さんとするが、背中には黄金色に輝く太刀が、二本。間違いない、この獅子の闇に目を奪われたら黄金色の二本太刀によって切り捨てられる。
青い獅子の様子は、全方位スクリーン右手に開かれたウインドウが映し出した。……未熟な少年でも、その姿自体は何度も本で目にしている。ジュニアハイスクールの教科書にだって載っているのだ。
そのとき、途端にスクリーン全体が極彩色で彩られた。少年は確信した。間違いない、この優しき相棒が何らかの理由で動揺している。危機は若干だが遠ざかったはずなのだから、この瞬間でこの現象が起きるのはおかしい。
「エステル先生、これは、一体……」
その名を呼ばれた女教師は、我に返った愛弟子の様子に喜ぶ余裕など全くなかった。押し黙り、唇を噛み締め、彼女自身に押し迫るかつてない動揺を何とかして抑えつけつつ策を練らんと、切れ長の蒼き瞳でモニターの向こうに映るこの青い獅子をにらみつける。
青い獅子は英雄が乗りこなすと言われる。特にそのゾイドは太刀を背負った姿からいつしかこう呼ばれていた。「ブレードライガー」と。災厄がひたひたと歩を進めてきた。