エステルはすぐさまヘルメットのシールドを下げた。戦場はたちまち太陽を二つも地表に叩きつけられたかのように、まぶしき白色で覆い尽くされる。ゾイドたちの輪郭を視認するのさえ満足にできない状態だ。これほどまぶしいとゾイドでない限り裸眼での直視は失明を余儀なくされるに違いない。
衝突した光の槍と矢尻は、雷鳴のごとき轟音を延々と鳴り響かせた。その最中、電流が幾本もうねって、辺りに弾け飛ぶ。ビークルはすぐさま旋回の軌道を広げて間合いを離すが、近場にいた骨鎧の獅子たちは何匹か巻き込まれ、むごたらしくのたうち回る。残る何匹かはほうほうの体で辺りから逃れると、呆然と見守るばかり。
全方位スクリーンも輝度が極端に下げられていた。だがそこまでしてもなお、まぶしさも電流のうねりも彼方の様子を容易には視認できぬほどに辺りを覆い尽くしている。
ギルガメスは円らな瞳を血走らせる。カギたるナイフを握る両腕はけいれんを始めていた。額を、頬を玉の汗が伝っていく。相棒たる深紅の竜ブレイカーは、この圧倒的な光の粒を完全に制御して吐き出すために全身を完全固定して踏ん張っている。その消耗ぶりが、彼の身体にも再現されているのだ。少年は、歯を食いしばって耐える。
そのとき、少年は自らの小さな身体から、力が急激に抜けていくのを感じた。魂が抜けたか、ひどい貧血かというくらいの喪失感。唇を噛んでどうにかこらえるものの、消耗は著しい。
彼が懸命にこらえるうちに、白色の閃光はようやく退行していく。電流のうねりも衝突音も収まっていき、全方位スクリーンの輝度がもとの状態へと回復し、骨鎧の残骸が散らばる荒野を鮮明に映し出す。
しょぼつく円らな瞳をまばたきさせ、乱れる呼吸を整えながら、ギルガメスはスクリーンの向こうをにらむ。
そこには焦げつきひび割れた荒野のみが広がっている。
事態がすぐには呑み込めぬまま、ひたすら呼吸を整えるに留まったそのとき。スクリーン左下にウインドウが開き、ヘルメットのシールドを持ち上げたエステルが怒鳴る。
「上よ!」
ハッと少年は我に返った。カギたるナイフから左右のレバーに両手を持ち替え、スクリーンの天井を見上げながら両足を踏ん張り、レバーを捌きにかかる。
とっさに地を蹴り込んだ深紅の竜。一歩前に踏み込んだそのすぐ後ろで、土砂が、岩盤が爆ぜる。地面を真円に削りつつ、桜花の翼をかざして振り向けば、青い獅子ブレードライガーが地面に突き刺さった右の前足を引き抜き、すぐさま次の突進に転じたところ。
深紅の竜は地を蹴り、一歩、また一歩と後ずさり。その間にも、紅い瞳はじっと宿敵の足元を見定める。
跳躍した青い獅子。依然として俊敏な巨体が描く緩やかな放物線は、ふところ深く飛び込む狙い。
一閃、深紅の竜は時計回りに尻尾の薙ぎ払い。その先端は着地寸前の獅子の鼻先をかすめた。獅子は首をすくめてかわし、追撃を断念したのかこちらも数歩、後じさりの跳躍。
その軌跡をにらみながら、深紅の竜は吠え立てた。桜花の翼も六本の鶏冠も目一杯広げて。
だがその一方で、ギルガメスの消耗は激しい。呼吸は乱れ、目はかすみ、高熱でも発したかのような汗をかいている。それでも円らな瞳は輝きを失わず、じっとスクリーンの向こうの宿敵を観察する。
一目見て獅子は無傷かに見えた。しかしよく観察すれば、たてがみはところどころ亀裂が走り、電流がのたうち回っている。光の矢尻を構築して荷電粒子砲の照射を長時間しのいだ結果、光を作り出すたてがみ自体に負担がかかり始めたようだ。
虚勢を張るかのように、ノイズがコクピット内に鳴り響く。
「やるじゃあないか、ギルガメス。決意した男はこんなにも変われるのか。
その情熱、何としてでも私に振り向かせてやる!」
けたたましく笑うブライド。……だがその一方で、白い肌には幾条もの汗が流れ始めていた。そして身体のところどころに、火傷やミミズ腫れが生じ始めている。美少女は表情にこそ出さぬものの、自らの身体に生じた異変に焦った。
(よもやカエサルに限界が生じているというのか)
ブライドが従える銀色の獅子カエサルはオーガノイドユニットだ。戦闘時にはブレードライガーのゾイドコアに合体、能力を劇的に高める他、パイロットがゾイドとシンクロする副作用で生じる身体へのダメージ再現を無効化する役割を備えている(※ギルガメスはユニットを持たないために、シンクロの副作用をもろに受ける)。だが戦闘が長期化するに至って、ユニットの処理能力が限界に達しつつあった。
決着を、急がなければなるまい。そう考えるに至ったこと自体がこの金髪銀瞳の美少女にとっては驚くべきことであり、腹立たしいことであった。だが彼女がハーネスを弾かんばかりの勢いで前のめりになって、次の動作に移ろうとしたそのときのことだ。
キャノピー越しに映る、仁王立ちの深紅の竜。そのはるか後方で、爆音がこだまする。次いで演習場から施設へ上がる坂道の彼方より、尋常ならざる火柱と黒煙が次々と立ち上がった。
ブライドは銀色の瞳を剥いた。彼女の挙動に応えるかのように、キャノピーに浮かび上がるウインドウが、鳥瞰図を表示する。
演習場付近に熱源が次々に発生している。凄まじい高熱は、ゾイドが爆破した証だ。
坂道の彼方では、雲間から差し込む陽射しのような閃光が何度も放たれている。……遠目にもまぶしすぎるあの閃光と同じものは、彼女もさっき、間近で見たばかりだ。
その様子を覆い隠すかのように、別のウインドウが開かれた。ドクター・ビヨーだ。分厚い眼鏡をかけた白衣の男が憮然とした表情でブライドに話しかける。
「水の軍団・本隊が演習場施設に乗り込んできました。
施設内に投入したライガーゼロは既に九割、壊滅です。もうじき、演習場にも来ます。退却して下さい」
「退却だと!? ドクター・ビヨー、馬鹿も休み休み言え!」
金髪銀瞳の美少女は怒りをあらわにした。あともう一息で積年の恨みを晴らし、女としても充足のときを得るに違いないのだ。
そんな彼女のあからさまに透けて見える思惑を、白衣の男は彼らしからぬ憤怒の形相で吹き飛ばした。
「何を言っているんですか、あなた!
目の前の荷電粒子砲一本にこれだけ手こずっているのに、追加で百本以上、やってくるんですよ!? どうするつもりですか!
退却しないのならそこら辺のライガーゼロ全部、赤い奴に突っ込ませますよ? 自爆させますよ!」
一見して冴えない風体のこの男がここまで激怒した姿を見たのは彼女にとってはじめてのことだ。その上、言ってきたことは狂気の科学者に相応しい滅茶苦茶なもの。
ブライドは口惜しそうにうなるとボソリ、らしからぬか細い声で「わかった」と伝えた。
耳障りなノイズが急に止んで、ギルガメスはおやと首を傾げた。これから何が起こるのか。まだとんでもない切り札を用意しているのではないか……そう、いぶかしんでレバーを握り直す。
応えるように、深紅の竜ブレイカーも腰を落として身構える。
青い獅子ブレードライガーの前肢が、浮いた。深紅の竜も爪先に力を入れた、そのとき。
高々と巻き上る砂煙。その不自然な高さゆえに、竜はとっさに桜花の翼をかざす。その裏側に、銃器にはさまれたビークルも飛び込んで難を逃れる。
すぐ翼の下から宿敵の様子を垣間見た深紅の竜は、呆気に取られた。……砂煙ははるか向こうまで続いている。
骨鎧の獅子ライガーゼロの残党が一旦は躊躇しながらも、青い獅子のあとを追いかけていく。竜の両脇をいくつもの砂煙が横切っていくに至って、少年はようやく事態を理解した。
「逃げた……逃げたの?」
「追うわよ!」
全方位スクリーン左方のウインドウより、エステルが叫んでうながす。
ビークルを両手でガッチリとつかんだ深紅の竜。ひるがえす桜花の翼。六本の鶏冠を目一杯に広げ、先端より蒼い炎を吹かした。全身に埋め込まれた突起が回転、火花を散らし、勢いよく地を蹴り込むとたちまち荒野を駆ける流星と化す。
流星は砂煙の列の中を、ぐいぐいと割り込み、追い抜いていく。
左右の砂煙の中から次々に骨鎧の獅子が飛び掛かってくる。深紅の竜はすぐさま両翼の下より双剣を展開。頭上を、脇腹を狙って前肢を振りかざす獅子たちを、一匹、また一匹と斬り払う。
その間にも、青い獅子ははるか彼方へと駆け抜けていき、追いすがる竜との距離を空けていく。
青い獅子がちらり背後を一瞥したとき、突如として数歩前に、洞窟のような闇が浮かび上がった。吸い込まれるように闇の中へと入り込む青い獅子。
獅子の姿が消え去ったとき、周囲の風景をかき消すように、灰色の山ほどもある物体が浮かび上がり、視界の大半を埋め尽くしていく。……いや、これはゾイドだ。闇のあった辺りは巨大な口。そしてそれを先端としてこの荒野にずっと腹ばっていたのは、古代鮫のような風貌を持つ超弩級のゾイド。
全方位スクリーン左方のウインドウは、呆れ果てたエステルを表示する。
「メガマウス! こんなものまで……」
だがなるほどと、彼女は納得もしていた。彼女がメガマウスと呼ぶ巨大な古代鮫こそが、青い獅子をはじめあの鉄塔を大量に詰め込み、空中から射出していたのだろう。
巨大な古代鮫の外周より、砂煙の波紋が描かれる。風の勢いは強く、次々に到着する骨鎧の獅子たちもひとまず踏ん張らずにはおれない。
エステルははっと目を見開き、ウインドウの向こうから身を乗り出してくる。
「ギル、ギル、聞こえて? あいつに乗り込むわよ!」
切れ長の蒼い瞳の迫力に気圧されながらも、えっと少し声が出た少年だったが。
「それしか、手がないわ!」
彼女の声に合わせるように、全方位スクリーン左方に鳥瞰図が表示される。
深紅の竜を示す赤い光点の進行方向には上昇を開始する魚の姿を模したワイヤーフレームが。
そして赤い光点が進んできたその道には、やけに理路整然とした足並みで近付いてくる白い光点の群れが確認できる。追っ手だ。そのありさまに少年は思わずうなる。気持ちを切り換えるべく首を横に振ると、レバーを捌きに転じた。
巨大な古代鮫は、旋回しながら徐々に浮き上がっていく。
自然に首をもたげた深紅の竜。目標をにらみつけると強く地を蹴り、桜花の翼をはばたいた。
爆ぜる岩盤。舞い上がる砂煙。流星は空高く退却していく古代鮫めがけて飛翔を開始。流星の尾をたなびかせて、一気に高度を上げていく。
少年はちらり、全方位スクリーンの下方を見たが、すぐに目を背けた。鳥瞰図の様子から、彼には次に地上でどんな惨劇が起こるか容易に想像できたからだ。
逃げ遅れた骨鎧の獅子たちの背後から、洪水のように押し寄せる光の槍、槍、槍。獅子たちを次々に呑み込むと、火柱が続々と立ち上がる。
何十秒も光の洪水は地表を焦がす。全て流れ尽きたころ、どす黒い煙がただよい辺りを覆い尽くしていった。
頃合い良しと見たか、光が解き放たれた坂道の方から、銀色の二足竜ゴドスの群れが、理路整然とした陣形を維持して駆け降りていく。そして坂道の上・演習場施設の上空には鋼鉄の海亀タートルカイザーが、着々と下降しつつあった。
青い獅子ブレードライガーが暗闇の中に立ちすくむと、途端に天井・足元がライトで照らされる。それを合図に腹ばう獅子。すぐさま周囲にマニピュレーターが伸びてきた。
ここは鋼鉄の古代鮫メガマウスの腹部に当たる格納庫だ。幅はゾイド十匹分ほど、長さはその倍以上はある。鋼鉄の柱と配管が縦横無尽に張り巡らされ、左右の壁には地上にも放たれたあの鉄塔が横並びになっている。……ただし、現状においてこの格納庫内にいるゾイドは青い獅子たった一匹である。
腹ばう獅子の頭部キャノピーが開き、ブライドがワンピースのスカートをはためかせながら飛び降りた。辺りを一瞥するとフンと鼻を鳴らし、そそくさと歩を進めていく。
エレベータに乗り、廊下を歩き、そしてたどり着いた自動ドア。銀色の瞳を大きく見開くと、堂々たる態度でドアの前に立った。
左右に開かれたドア。当然のように中に入る。だだっ広く薄暗い一室だ。辺りには至るところに円筒型の水槽が埋め込まれている。その中に浮かぶ生き物は、金髪銀瞳の美少女の姿が視界に飛び込むと口々に、皆嬉しそうにささやいた。「ママ、ママ」と。
美少女は彼らの呼びかけを無視して中央の管制席に向かう。座席のすぐ後ろまで近付き見たが、その場は無人だ。彼女は首をひねった。留守を預けたあの男はどこに行ったのか。
そのとき、このだだっ広い管制室内の至るところから、青白い光線が鉄格子のように美少女の五体に照射された。光線は生身の人間を焼いたり切り裂いたりするような代物ではなく、ただ浴びせられただけだ。ところが光線を浴びた美少女は、突如として断末魔に等しい悲鳴を上げた。
悶え苦しむ金髪銀瞳の美少女。ワンビースを、両の耳上に束ねた金髪を乱し、よだれを垂れ流してその場にのたうち回る。
するととある水槽の裏側から、白衣の男がぬっと現れた。微笑を絶やさぬ男の手には、およそ表情には相応しからぬ巨大な銃器が握られている。
「お帰りなさいませ、古代の姫君よ。そして、とんでもないことをして下さいましたね」
「ドクター、ビヨー……」
悶絶が止まらぬ彼女は男の名前をつぶやくのが精一杯だ。
白衣の男は微笑を絶やさぬままだが、吐き捨てるような口調で言葉を続けた。
「古代ゾイド人の王、ですか。
そういう野心を抱くのは構いませんけれどね、時期とやり方ってものがあるんですよ。こんなタイミングで大統領ひとり始末すればどうにかなるとでも思ってたんですか?
大体、王に据えるつもりだったギルガメスですら、従えることができなかった。あなたも私も、これではただのお尋ね者じゃあないですか。
とりあえずあなたには少し、阿呆になってもらいます」
そう言い放つと、抱え込んでいた巨大な銃器を床にのたうち回る美少女に向ける。
「あなたに降り注がれているのは、古代ゾイド人の細胞を急激に活性化させる光線です。あなたの分身をコントロールしている奴と同じですよ。
そしてこいつは、そのスペシャル版です。記憶を若干、吹っ飛ばさせて頂きましょう」
そう言いながらずしりと重い銃器を両手で構え、トリガーに指をかけた。
冷酷な一面をのぞかせたこの白衣の男ドクター・ビヨー。しかし彼は優れた武人がよく備えている気配を感じ取る力など、持ち合わせていなかった。……だから彼は、影伝いに足元へと近付いてくる銀色の液体には気付かなかった。
管制室内に、尋常ならざる悲鳴が響き渡る。
巨大な銃器が、床に叩き落とされた。白衣の男の首には銀色の液体が巻き付いている。彼は銃器を落とした両手で首が絞まるのを懸命にこらえるが、銀色の液体は容赦ない。やがてメキメキと音を立て、白衣の男は断末魔とともに床に崩れ落ちた。
銀色の液体は男が動かなくなるのを確認するとゴムまりのようにめちゃくちゃに跳ねた。室内の各所で精密な機械がへし折れるような軽い音がする。この室内中に仕込まれた青白い光線を放つ銃器が片っ端から破壊されたのだ。
青白い光線は消失し、室内はもとの薄暗さを取り戻した。よろめきながらも立ち上がる美少女。そのかたわらに銀色の液体が馳せ参じると、獅子の形状に変貌を遂げる。オーガノイドユニット・カエサルだ。
美少女は蒼白、玉の汗、呼吸の乱れもひどい。それでも銀色の獅子の背中に両手をかけ、どうにか立ち上がる。
足元に転がるドクター・ビヨーだった肉塊をひとしきり見つめた美少女。
水槽の中に浮かぶ胎児たちが「ママ、ママ」と呼びかけるが、何ら視線も投げかけず、言葉もかけず。彼女は足元がおぼつかないまま銀色の獅子の背中にもたれかかると、先ほど入室した自動ドアへと引き返していった。
雲海の中へと飛び込む深紅の竜ブレイカー。目標たる古代鮫メガマウスの尻尾は既に視界に捉えてはいるが、相手は追撃を振り切らんとますます高度を上げている。しかし竜の本当の自慢は思うがままに地を駆け空を舞うことだ。両手に抱えるビークルをひときわ強く握りしめ、竜は桜花の翼をはためかせる。
心配なことはもっと別にある。竜はちらり、己が胸元を見やる。
胸部コクピット内の若き主人ギルガメスは着替えをしていた。一時的にハーネスを上げ、座席下部の棚よりTシャツとタオルを取り出すと素早く脱ぎ捨て、汗を拭く。仕切り直しはもう今しかできないだろう。その一方で、息の乱れが回復しない。円らな瞳もしょぼつきが収まらず、タオルを持つときも両眼をつぶって休ませている。くわえて貧血のような脱力感は依然、抜けない。
光の槍・荷電粒子砲がシンクロの副作用によって少年に与えた消耗は、尋常ならざるものがあった。……だがそれほどの代償をもってしても、宿敵ブレードライガーの光の矢尻を完全には打ち破ることができなかった。矢尻を構成するEシールドくらいは消失できたかもしれないが、その程度で安心できるような敵ではなかったのだ。魂が抜けそうな状態を懸命にこらえながら、彼は思案と着替えを同時に進める。
そのとき、全方位スクリーン左方にウインドウが開いた。少年はあわててTシャツを降ろす。
ヘルメットを外したエステルが顔をのぞかせてきた。頬やうなじには汗が伝い、黒の短髪も濡れそぼっている。タオルで時折ぬぐいながら、彼女は口を開いた。
「ギル、ギル、聞こえて?
ちゃんと教えた通りに、やってご覧なさい。そうすれば、勝てる。絶対に……」
彼女は少し、腹を立てているようにも見える。この土壇場で、少年は恐縮した。
だがウインドウの向こうをまじまじと見つめるにつれて、彼はかすかな異変を感じ取った。……憧れの女性は震えている。こみ上げてきたものが蒼き瞳からあふれ出るまで、さして時間がかからない。
懸命に手を伸ばせば届くかもしれない勝利という果実を目前にして、あまりにも裏腹なエステルの様子。歴戦の勇者であるはずの彼女をもってしても隠し通せぬその姿に、ギルガメスは自分に待ち受ける運命を悟らざるを得ない。
女教師エステルが教えた通りに戦いそして勝つならば、きっとその過程で彼の額に輝く刻印は完全なものへと覚醒するだろう。彼女がかつて話した「資格」とは、少年の刻印が古代ゾイド人の持つそれと限りなく同等になるということなのだ。
だがそこまでの境地に達すれば、水の軍団をはじめとする様々な権力者たちに、永久に追われることになるだろう。
この戦いに勝ち残れても結局、進む道は地獄でしかない。そこへ引きずり込んだのは彼女に他ならないと言える。かつて愛した男の顔によく似ていたからという理由で、家出少年とともに旅に出た。そのため少年は必要以上の困難に何度も迫られた結果、「墓所」にたどり着いた頃には刻印の完全な覚醒は時間の問題となっていた。
そのことを理由をつけて黙っていても、否応もなく時は来た。今を生き延びることはできるかもしれない。だがその先に待ち構えているものを垣間見てしまい、エステルは涙した。愛する者は、又しても辛い目にあうのだ。
少年はもらい泣きしそうになったのをぐっとこらえると、こくりとうなずく。
「そんな顔、しないで下さい。僕は先生に出会えて、良かった」
無理矢理にでも彼は笑顔を作ってみせる。
少し引きつっているが、円らな瞳の輝きだけは柔らかい。
エステルは鼻をすすり、少し腫れぼったいまぶたをタオルで拭う。
「ごめん……ありがとう」
かすれるような声でつぶやき、今にも涙で決壊しそうな表情を隠すように再びヘルメットを頭に被せた。
深紅の竜は時折ちらりと胸元を見る。極めて穏やかに話が進んだことに竜は胸をなで下ろしたが、その間にも、目標との距離は着々と狭まっている。徐々に大きくなる爆音。それとともに、雲海をかき分ける黒いシミが視界を占拠していく。古代鮫メガマウスの後方を捉えた。
古代鮫はその風貌ゆえか、悠然とも取れる雰囲気のまま雲海を泳ぎ続けている。だが左後方より深紅の竜が着々と近付いていくと、尾びれや左右に広げた両翼が一斉に火花を散らした。機銃掃射だ。
はばたく深紅の竜。背負いし流星が雲海に螺旋を描く。幾重にも回転し、古代鮫の尾びれの後ろにまで一気に追いついた。尾びれの砲塔はせわしなく旋回して竜を狙撃しようとするが、砲塔の根元の死角に飛び込み装甲すれすれを飛び回る竜に対し、狙いを定めることもままならない。
それにしても、古代鮫は何という大きさなのか。尾びれだけで自分の身長の数倍もあるだろう。では体全体は自分の体格何十匹分の大きさなのだろうか。竜は横目で見ながら古代鮫の脇腹をくぐっていく。
脇腹を越え、両翼(胸びれ)を越え。竜は古代鮫の頭部にまでたどり着いた。城門のようにそびえるあごは竜など軽々と呑み込むほどに大きいが、ポカンと開かれたままでおよそ生気というものが感じられない。真っ正面に回り込んだ竜は、意を決して口内に潜り込む。
踏みしめた床は、先ほどまでの戦場とは打って変わって実に固い。爪先に力を入れるとガリガリとこすれる音が響き渡る。
あごの中は薄暗く、分厚い鋼板と竜の胴体ほどの太さもある鉄骨が張り巡らされている。天井までの高さはざっと竜の背丈の倍以上、幅は両翼と双剣を広げてもなお半分にも満たない。そして、のどの先は隔壁で封鎖されていた。竜は桜花の翼をひるがえす。双剣が展開、素早くひるがえすと、隔壁は紙のようにあっさりと切り裂かれた。その奥に、奴がいる。
腹ばったままマニピュレーターによる整備を受けていた青い獅子ブレードライガーは、銀色の獅子カエサルの背中にもたれかかりながら戻ってきたブライドを見ても、さしたる反応を示さなかった。本来、人とゾイドの関係はもっと冷淡なものだ。ゾイドが死にかければ人はあっさりと乗り捨てるし、人……つまりパイロットが死ねばゾイドは晴れて自由の身となる。しかしながら金髪銀瞳の美少女とこの青い獅子との間にはいまだ、主従という契約が生きていた。青い獅子は吠えもうなりもせず、黙って頭部キャノピーを開放した。
銀色の獅子の背中にブライドがしがみつくと、獅子は跳躍。開放されたコクピット内にどうにか着地し、ようやくこの美少女はもとの座席にたどり着いた。それを見届けてから銀色の獅子は青い獅子の背中にかけ上がっていった。ゾイドコア内部に侵入、融合するためだ。
金髪銀瞳の美少女が着席すると、おもむろにキャノピーも、ハーネスも降りる。彼女は乱れ切った呼吸を整えようとするが中々追いつかない。その間にもキャノピー上にウインドウが開かれた。……拡大映像は、のこのこやってきた獲物の姿を映し出す。美少女は疲れ切っていても、なお狂気の笑みを浮かべてみせた。
獲物たる深紅の竜ブレイカーは映像の彼方からゆっくりと、足場を確かめるように歩を進めている。どんな罠が待ち構えているかもわからないからだ。そうして途中、途中で閉鎖された隔壁を一枚、一枚切り裂き乗り越えていく。
だがふと、何を思ったのか腰を落として身構えた。そのまま、かすかにうなる。
胸部コクピット内でギルガメスは一瞬、首をひねった。鳥瞰図を示すウインドウにゾイドコア反応を示すものは見られない。隔壁が消し去っているのかもしれない。だが我が相棒こそは、戦うことを宿命づけられたゾイドなのだ。機械では決してわからぬ殺気を、百戦錬磨の相棒は感じ取っているに違いない。
「そうか、いるんだね。
エステル先生……」
全方位スクリーン左方のウインドウでは、ヘルメットのシールドを持ち上げていたエステルがこくりとうなずく。そして愛弟子の視線が離れたとき、彼女は祈りを捧げるようにシールドを下げた。
そのとき、この古代鮫の内部全体が地響きのような機械音で震え出した。それとともに、隔壁が一枚、また一枚と開放されていく。
深紅の竜は両手の爪を広げると、軽くうなずいてみせる。うながされるままに、握りしめられていたビークルは解き放たれた蝶のように左脇へと逃れていった。
身軽になった深紅の竜は、展開していた双剣を桜花の翼の下に収めると、開放されていく隔壁の向こうをにらみつける。
まぶしい鋼鉄色の道は、ゾイド十数匹分はあろうかという長さと幅を誇る。慎重に、竜は床を踏みしめる。開放された隔壁を通過すると、背後で一枚、また一枚と閉鎖していき。
そのずっと奥に、奴はいた。
周囲をマニピュレーターに囲まれていた青い獅子。だが隔壁の開放を合図にそれらも獅子の巨体から離れていった。獅子はおもむろに立ち上がると、天井を見上げて低く吠える。
それを合図に、胸部コクピット内部をあのノイズと、狂気の高笑いが鳴り響いた。
「待っていたぞ、ギルガメス! 荷電粒子砲で、来い!」
疲労困憊の美少女の額に金色の刻印が宿り、コクピット内部をまぶしく照らす。
青い獅子の頭部も光の壁が覆い、巨体を光の矢尻へと変貌させていく。
少年は全方位スクリーン左方のウインドウに映る憧れの女性をちらり、一瞥した。……既にヘルメットのシールドを下げていた彼女は無言で、ただうなずくのみだ。互いの表情が確認し辛いのは師弟にとってむしろ幸いだった。少年は今一度深く息を吐くと。
「荷電、粒子砲!」
再び、コントロールパネルが至るところ明滅を始める。
既に差し込み済みのカギたるナイフの柄を再び操縦桿のように両手で握りしめ、時計回りにねじればコントロールパネル全体が明滅開始。呼応して少年の額に宿る刻印も輝きを放出させる。
いや、もはや放出というよりは、輝きが牽引してコントロールパネルに引き寄せられているとでも言うべきところ。度重なる戦闘によって、少年の小さな身体に蓄積された疲労が彼自身の意識を飛ばそうとしているのだ。そうはいかないと、彼は歯を食いしばる。
若き主人に応えるように、深紅の竜は尾を、鶏冠を目一杯に伸ばし、広げた。桜花の翼は巨体を覆い、尻尾を覆う装甲はノコギリ刃のように逆立つ。そして鶏冠の付け根辺りが大きく口を開き、電流をほとばしらせながら光の粒を吸収していく。竜の口の奥より、徐々にこぼれる光。
機は熟した。スクリーンの真っ正面に照準が表示され、波紋のごとくその周囲がぼやける。
照準の彼方に、浮かび上がった青い獅子。光の矢尻と化した頭部を振りかざすと、背中を覆う装甲の下より金色の閃光を解き放ち、鋼鉄の床をへこませるほど強く蹴り込む。
一直線の、助走、疾走、そして肉迫。光の矢尻は電光石火の勢いで一足一刀の間合いを突破した。
少年はカギたるナイフを握りしめ、裂帛の気合い。
竜の足元もまたへこみ、ひび割れ。短い首をもたげた竜は、雄叫びとともに振り降ろす。
鋼鉄の壁を、柱を、床を震わせ、竜の口より光の槍が解き放たれた。
竜の目前で、衝突した槍と矢尻。古代鮫の腹部内は太陽が放り込まれたかのようだ。電流がうねり、弾け、壁や柱に幾本も突き刺さる。その間をぬうようにビークルは旋回、両者よりひたすら遠く離れる。もはや介入しようのない戦いだ。
円らな瞳を血走らせるギルガメスの視界に、その様子がちらりと入り込む。照準外のためぼやけて見えはするが、動きを見ればすぐに彼女のビークルだとわかる。少年の口元は心持ち、緩んだ。と同時に、彼女の助言が脳裏をよぎる。
(ちゃんと教えた通りに、やってご覧なさい。そうすれば、勝てる。絶対に……)
少年は無言でうなずいた。
消耗をこらえながら、彼は白色に包まれた全方位スクリーンの彼方を凝視した。放電が徐々に、徐々に弱まってきたそのとき。円らな瞳は刮目。
ボールを投げつけたかのように、光の矢尻が後方へと飛び跳ねた。鋼鉄の床に爪をめり込ませながら着地するとすぐさま全身に力を込める。矢尻を構成する光の壁が、ますます分厚くなっていく。一層低く身構え、渾身の蹴り込み、そして助走。背中より吹き出す金色の閃光が風のように獅子を押し流す。
今一度カギたるナイフを強く握りしめ、少年は天を衝くほどの雄叫びを上げた。応えるように目線を上げた深紅の竜。
光の矢尻が、目前にまで迫ってきた。だが竜の口の中にも、光は再びこぼれ始めている。
辺りがもとの薄闇を取り戻す余裕などない。二度目の激突。放電は、むしろ先ほどよりも激しい。
竜の鼻先で押し合う、槍と矢尻。矢尻と化した青い獅子は空中で静止し、背中より吹き出す金色の閃光は自身の体格の倍ほどに膨れ上がっている。竜の足元には亀裂が走り、鋼鉄の床がへこんでいく。
視界がぼやけて見え始めた。少年はすぐさま首を横に振ると、今一度叫んで気合いを入れ直す。
ビークルの機上で遠巻きに見つめるエステルは、愛弟子が教えた通りに戦っていることを確信した。目前の宿敵はあまりにも強大だ。だが彼の相棒にも、強大な武器が残されているのだ。だから彼女は、こちらも当たり負けせず何度も強く跳ね返すよう伝えたかった。鞘入りのナイフで空気警杖の突きを何度も払わせ、最後に彼女が見せた隙を捉えさせたように。
今、彼女の目前で少年は拙いながらも、それを実践しようとしている。ふところ深く飛び込んできた青い獅子を光の槍で見事に捉え、堂々と押し返しているではないか。
同じことを、他ならぬギルガメス自身も確信していた。何より憧れの女性に教わった通りに動ける今の状況が嬉しい。このまま、何度でも押し返してやる。その果てに、目前の宿敵はわずかでも隙を作るはずだ。そう強く信じて、彼は強く操縦桿を握りしめる。
そうして円らな瞳をカッと見開き、宿敵のわずかな隙をも捉えんと少年が決意したときのことだ。
視界が、不意に暗転していく。突然、何が起きたのか彼はまだ、わからない。
一方、彼の異変などお構いなしに、放電は弱まっていく。再び跳ね返る光の矢尻。先ほどよりもさらに遠く離れ、さらに数歩、後方へと跳ねて間合いを取ると低く身構え、うなり声を上げる。矢尻を構成する光の壁が今一度まぶしく輝き始めた。
その一見した限りでは用意周到な動きに、エステルは愛弟子の勝機を感じ取った。青い獅子ブレードライガーは「息が上がっている」。深紅の竜が放つ荷電粒子砲の威力に勝てる見込みがあるなら、このまま休みなく突っ込み続ければ十分である。勝ち目が薄いと判断したから、わずかでも仕切り直しのチャンスを求めたのだ。
彼女は愛弟子に助言すべく、コントロールパネル上のモニターをちらりと見た。……どんな叱咤激励が適切かは彼の表情を見て決めるつもりだった。だから想定をはるかに外れた(※本来はそれすらも想定していなければいけなかったが、結果として甘く見ていた)愛弟子の表情に彼女は愕然となった。
ギルガメスは円な瞳を見開いたまま。よもや、失神しているのか。口をポカンと開けたまま、瞳は焦点が定まらない。そしてなにより、あれほどまぶしく額よりほとばしっていた刻印の青白い輝きが消失してしまっているではないか。シンクロの副作用に脳が耐え切れなくなったのではあるまいか。
エステルは身を乗り出して愛弟子に呼びかける。
「ギル、ギル、聞こえて? ……ギル!?」
このとき青い獅子の頭部キャノピー内部では、ブライドが両肩で息をしながら、目前の牙剥く獲物をにらみつけていた。大量に流れ出る汗は白のワンピースが素肌に貼り付くほど濡らしている。
そしてこの息切れするほどの消耗こそは、オーガノイドユニット・カエサルの処理が限界に達している証拠。青い獅子ブレードライガーのゾイドコアに合体することで無効化されていたシンクロ機能が解除されかかっているのだ。この状態で相棒たる青い獅子が一撃でも喰らえば、彼女の身体にそれが再現されるだろう。本来はか弱いこの美少女の身体などひとたまりもあるまい。
冗談じゃあないと、ブライドは肩をいからせる。次で必ず仕留めてやると決心したとき、耳元に飛び込んできたささやかな異変。彼女は今一度、キャノピー越しに彼方をにらむ。
低い姿勢で身構える深紅の竜。口元より光が充填しつつある。だがその一方で、紅い瞳は不規則に明滅している。不安がっているかのように。
この状況、そして聞こえてきた異変が事実ならば、光の槍は撃ち切れまい。現状の深紅の竜はパイロットに感覚の大半を委ねてしまった以上、それを自らが取り戻すには一寸の時間がかかる。それは百戦錬磨のブライドにとって、至極十分な時間だ。彼女は美少女としてはおよそ相応しくない嗜虐の微笑みを浮かべると。
「勝ちだ! アッハハハ、私の勝ちだ!」
歓喜の声とともにレバーを強く押し込む。
青い獅子の背中より金色の閃光が日輪のように弾け、その勢いに乗って獅子は地面を蹴り込んだ。