さて肝心のギルガメスの視界は、完全に暗転していた。……それが気絶の状態だと、彼はすぐに理解した。似たような経験は前にもあった。目を覚まさなければいけない。暗闇の中で、彼は懸命に手を伸ばし、もがく。
そのとき、目前に描かれた光景に彼は息を呑んだ。
あるはずのない崖が、夕陽に照らされている。その縁に、丈の長い民族衣装を着た、長い黒髪の人物が立っている。民族衣装は黒一色の簡素な作りだ。これは喪服ではないか。そしてこの人物のすらりとしなやかな体格に、少年の見覚えは十分すぎるほどあった。
黒髪が、風になびく。その人物はくるりと振り向くと、寂しげに微笑んだ。……切れ長の蒼き瞳には輝きなど失われていた。
彼女は縁の方を向き直すと、ゆっくりとくずおれる。
ギルガメスはアッと声を上げた。とっさに、右手を前に伸ばす。すると崖の縁の方へと、視界も一気に近付いていく。
少年は悟った。……きっとこれが、彼の憧れる女性が迎えた一つの結末なのだろう。宿敵を倒したが代償に愛する者を失った彼女は、絶望のあまり自ら命を絶とうとした。だがそれは深紅の竜ブレイカーが全力で阻止した。それでも彼女は立ち直ることができず、結局千年もの間、冷凍睡眠を続けたのである。
二度と見たくない結末を、優しい相棒はあえて少年に見せている。奮起してくれと、若き主人に願っている。
崖の縁までまたたく間にたどり着き、思い切り右手を伸ばすと、その先が光に包まれた。
ヘルメットのシールドを持ち上げたエステル。すぐさま刻印が輝く額に指を当てる。愛弟子の脳に直接語りかけて、叩き起こすために。……だがその必要はなかった。
再び円らな瞳に輝きが宿る。と同時に、刻印が消失していたはずの額に再び青白い閃光がほとばしる。詠唱を必要としなかったのだ。
切れ長の瞳が見開かれ、そして潤む。それを隠すように、彼女はシールドを再び下げた。愛弟子はまだまだ未熟だが、それでも過度に手を差し伸べずとも自らはばたけるほどにはなったのだ。例えそれが、これからも待ち受ける地獄を呼び込むものであったとしても。
ギルガメスの両手には、このような窮地に陥ってもなお、鍵たるナイフが収まっていた。彼は何ごともなかったかのように両手を強く握りしめると、天を衝くほど雄叫びを上げる。
それを耳にして、呆気に取られたのがブライドだ。
「目覚めた!? 馬鹿な!」
だがそれでも、自分の勝ちだ。そう、金髪銀瞳の美少女は動揺を打ち消すかのようにけたたましく笑いながら、前のめりになってレバーを押し続ける。
鋼鉄の床を削りながら、光の矢尻は急加速。一足一刀の間合いを、再び押し破ると両の前足で床を蹴り込み、主人同様の前のめりで跳躍。
互いの鼻先がかするほどの間合いに達したとき、深紅の竜は低く身構え、あごを大きく広げた。
解き放たれた光の槍は、今までのどの一撃よりも太く、まばゆい。
辺りに電流がほとばしる。その影響で、へし折れる鉄骨。床も、壁も、めちゃくちゃに弾け、めくれ上がる。
まぶしき激突は数十秒も続いた。お互い全く譲らない攻防の果てに弾け、散る槍と矢尻。
跳躍中の青い獅子は着地し、前傾姿勢を続けた深紅の竜は首を戻した。美少女も少年も、汗をびっしょり流し、肩で息を整える。
静寂が近付いてくる。薄闇が辺りを支配しかけたそのとき。
「翼の、刃よ!」
若き主人の叫びに応え、桜花の翼をひるがえせば双剣、展開。そのまま左、右と獅子の前足を横殴り。
美少女の方も、レバーは握りしめていたはずだ。捌こうとしていたはずだ。だが、間に合わなかった。恍惚から一転した激痛は、悲鳴とともに美少女の小さな身体をのけ反らせた。
恐らく過去には、彼女もオーガノイドユニット無しで全力で戦っていた頃があったかもしれない。だがこの時代に甦ってからの彼女はそういう機会を得ることがなかった。シンクロの副作用をたびたび受けてフラフラになってもすぐさま戦う底力だけは、今の少年の方が断然、上だ。
猛る深紅の竜。続けざま、左の刃を振り抜くと獅子のふところにまで飛び込み、右手の爪で引っかき。次いで左の肘を打ち込み、右足の爪先で蹴り込み。
戻した右足を軸に、時計回りに身体を回転。鞭のような尻尾の回し打ちが、獅子のあごを捉えた。
ぐらつく青い獅子。辛うじて踏ん張ったその目前に、双剣を左右に広げた竜が迫る。
「エックスブレイカー!」
神速の十字斬りが、青い獅子の右のたてがみを切り裂いた。鮮血が吹き出すように、辺りに閃光がほとばしる。不敵な獅子はついに悲鳴を上げた。
そんなことはお構いなしに、深紅の竜は最後の畳みかけ。剣を構えるように頭を振りかぶる。頭部の鶏冠が前方に倒れ込み鋭い短剣と化し、そして。
「ブレイカー、魔装剣!」
そのまま勢いよく、損傷した獅子の右のたてがみに短剣を突き刺した。
傷口よりほとばしる輝きは先ほどの攻防をはるかに凌駕する。
「1、2、3、4、5、これでどうだ!」
若き主人が勝利への秒読みを終えると同時に、竜は鞭を手繰るように勢いよく首を戻す。突き刺さった頭部の短剣を引き抜くと、軽やかに両翼を広げつつ一歩跳ねて後退。
着地の地響きが、決着の合図となった。
前足を振り上げて追いすがる青い獅子。だが爪が鋼鉄の床に叩きつけられたとき、獅子の巨体はバランスを崩した。力が入らぬ前足で、なおも身体を起こそうと試みるが、踏ん張りが効かない。
痛みをこらえる美少女は、シンクロの副作用で白いワンピースを血まみれにしながらも盛んにレバーを揺さぶり、叫ぶ。
「立て、立てぇっ! ええいカエサル!」
青い獅子は何度か立ち上がろうとあがいたものの、すぐに肘から崩れてしまう。そのうちに、肘や前足首に埋め込まれた突起が砕け、あるいは吹っ飛び、ついにその巨体は鋼鉄の床にひれ伏した。振動は壁や柱にまで伝わり、この古代鮫の内部を震わす。
床に叩きつけられた獅子の胴体から流れ落ちたものがある。水銀のような液体だ。人の身体以上もある液体溜まりを作り出すと、隆起して獅子の形になりかけるが、結局それはかなわず、辺りに再び銀色の液体がぶちまけられた。オーガノイドユニット・カエサルの最期だ。シンクロのダメージを無効化し続けたが、深紅の竜ブレイカーの畳みかけるような攻撃に処理の限界を超えてしまったのである。
だがその姿を金髪銀瞳の美少女が見届けることはなかった。キャノピーに描かれる映像も計器類も、全ての輝きが落ちてしまったこの青い獅子の頭部コクピット内で、彼女はのけ反ったまま荒々しく呼吸を繰り返すばかり。ワンピースを鮮血で染めるほどのダメージ再現は、彼女の小さな五体を刃物で滅多刺しにしたも同然の損傷を与えたのだ。
銀色の瞳は虚ろ。呆然と、美少女はキャノピーの向こうに見える深紅の竜の姿を見やる。
低い姿勢で宿敵が崩れ落ちる一部始終を見届けた深紅の竜。今までの猛り狂いが嘘だったかのように、じっと動かない。勿論、紅い瞳に輝きはしっかり宿っている。過去に受けた宿敵の暴虐ぶりを思い起こせば、警戒は当然と言えた。
辺りが静寂に包まれていく。その最中、竜はほんの少しだけ己が胸部コクピットハッチに視線を投げかけると、右手をそっと被せた。慈しむように、優しく。
その内部では、若き主人ギルガメスが両肩で息をしながら、ずっと全方位スクリーンの彼方を血走った瞳で見つめている。左右のレバーを握りしめた両腕はいからせたまま。既にあのやかましいノイズは失せていたのだが……。相棒同様、ことさらに宿敵を警戒するあまり、彼は著しい緊張が解けずにいた。だがふと、胸の辺りが少しくすぐったく感じたのだ。
少年にはそれがすぐに理解できた。相棒が胸に触れた感触が、シンクロを通じて伝わってきたのだ。彼はようやく、口元を緩めた。呪縛が解けたような気分だ。そのままそっと、Tシャツの上から己が胸をわしづかみする。着替えたばかりのTシャツは、気がつけば汗でぐっしょり濡れていた。
竜のすぐ左脇に、ビークルがふわりと寄ってきた。
少年はビークルのパイロットに話しかけられるよりも先に、自らの意見を全方位スクリーン左方のウインドウに向けて伝えた。
「行きましょう」
映し出された女教師エステルは、ヘルメットのシールドだけを持ち上げる(※彼女も相当に用心していた)。沸き上がる様々な感情をどうにか抑え込み、平静を装った彼女は無言でうなずいた。
そして深紅の竜ブレイカーも、少しホッとした様子で胸をなで下ろす。……若き主人が激情に駆られることなくこの場を立ち去ろうと決断してくれたことに、優しき竜は安堵した。
敗北した金髪銀瞳の美少女を始末することなど簡単だ。だがそれによって主人が背負う重圧を思えば、どうせ容易には立ち上がれない彼女など、放っておいた方がマシというもの。過剰に関わればどうなるか、その答えは竜自身が今までに背負った呪いを見れば明らかだ。だからきっと、ここが丁度良いタイミングなのだ。この宿敵の命運は、Zi人がよく言うイブとやらが決めてくれるだろう。
竜は肩や翼の力を抜きつつゆっくり一歩、また一歩後退。一足一刀の間合いを十分に外したところで、ようやくきびすを返そうとした。
そのときのことだ、グラリとこの古代鮫の巨体が大きく揺れたのは。
深紅の竜はとっさにうつ伏せ、両手の爪を鋼鉄の床に打ちつけた。それほど激しい揺れだ。
ギルガメスは見る間に眉間にしわを寄せ、レバーを握り直すと円らな瞳で前後左右を見渡す。
同じ衝撃を、敗れた青い獅子ブレードライガーの頭部コクピット内でも感じ取っていた。呆然たる表情の美少女ブライドは、輝きの失せた銀色の瞳で天井を見上げていた。依然として彼女に残る古代ゾイド人の能力ゆえに、キャノピーの向こう、またその向こうに展開する光景が透けて見えてしまった。だが今の彼女には、レバーを握りしめる力も残されてはいない。
天井がきしみ、ドブ板を叩き割るように打ち抜かれた。
落下する天井ごと、侵入してきたものがある。それは青い獅子の頭上に、あまりにも正確に降り注がれた。オレンジ色の頭部キャノピーが砕け散り、巨大なたてがみで覆われる獅子の頭部までもが四散する。
凄惨なありさまに、潤いが戻りかけたギルガメスののどは一気に渇いてしまった。急迫する鼓動。緩みかけていた緊張が再び彼の胸を圧迫する中、円らな瞳は獅子の頭部に落下したものの正体を捉えた。
水色の二足竜、ゴドスだ。獅子の首の辺りに覆い被さるように、落下してきた。巨大な頭部を打ち抜いた得物は、長剣を数本も束ねたような例の槍。床まで貫通したそれを片手で軽々と引っこ抜く。体格こそ深紅の竜ブレイカーに比べて劣るが、その威圧感たるや十分に凌駕する。
呆気に取られた少年だが、訪れかけた静寂を引き裂いたこのゾイドを目の当たりにしてしまっては、円らな瞳を剥かざるを得ない。額の刻印が青白い光をほとばしらせる。
「水の……総大将!」
同時に全方位スクリーン左上にウインドウが開き、鳥瞰図が表示される。古代鮫を模したワイヤーフレームの上に、巨大な楕円状のワイヤーフレームが重なっている。
その下のウインドウからは、シールドを持ち上げたエステルが切れ長の瞳を見開いて話しかけてくる。
「ギル、ギル、聞こえて!?
メガマウスの上空に、タートルカイザーが貼り付いているわ」
雲海を泳ぐ古代鮫メガマウス。その背中の辺りに、さまよえる海亀タートルカイザーが覆い被さっていた。腹部の各所から、得体の知れない光線が幾条も伸びている。トラクタービームだ。物資や飛行不可能なゾイドを戦地に投入する上で活用されるこの光線を多数放射して、古代鮫に貼り付くことに成功したのだ。
彼女が話す間にも、水色のゴドスは強く地を蹴り、天井ギリギリまで跳躍した。
深紅の竜も地を蹴り後退して間合いを計り、ビークルは遠巻きに離れていく。
全方位スクリーンの真っ正面に躍り出た水色のゴドス。少年は瞳を見開き、レバーを捌く。
轟く雷鳴は、ゴドスの抱える槍の穂先が、十字に交叉された双剣に阻まれた音。槍はすぐさま回転、火花を散らす。強引に突き刺そうとゴドスは力を込めるが、さすがに真っ向からの力比べは深紅の竜ブレイカーに軍配が上がる。一気に盛り返し、双剣を開いて押し返す。
ゴドスは身軽に体勢を立て直しつつ後ずさり、獅子の残骸を足場に再度の跳躍、素早く間合いを詰める。そのまま槍の乱れ突き。
深紅の竜も一歩も引かない。双剣で捌き、桜花の翼でいなし。ついに横薙ぎの左の双剣が、槍の穂先の隙間にガッチリと組み合わさった。この状態では槍の穂先も回転できない。鍔迫り合いのような力比べ。両者の全身に埋め込まれた突起がうなりを上げて回転、火花が吹きこぼれる。
険しい表情でスクリーンの向こうをにらむギルガメス。いつ終わるのかもわからない死闘にもめげず、勝機を探し求めて円らな瞳を細め、見開いたそのとき。
今まさに鍔迫り合う水色のゴドス。その頭部を覆うオレンジ色のキャノピーが、突如として開かれた。
狭苦しいコクピットに着席していた異相の男が姿を現した。ヤモリのような眼から放たれる眼光は、竜の紅い瞳さえも射抜く威圧感で満ちあふれている。
「ギルガメスよ……刻印の力を自在に操れるようになった気分はどうだ?」
鋼鉄同士がこすれきしむ音が鳴り響く中でもよく聞こえる、恐ろしく低い声。
少年は返事のしようがなかった。彼にとって、それは別に到達点でも何でもなかったのだから。
全方位スクリーン左方では、エステルが目配せし、右の人差し指を口元に立てている姿が映る。……ビークルは深紅の竜の後方に身を隠すように回り込んでいた。動きが止まったこの瞬間は一見すれば彼女にとって秘策を繰り出すチャンスでもあったが、それ以前に相手の真意が計りかねていた。
無言を決め込んだ少年のことも竜の背後に回ったビークルのことも意に介さず、異相の男は言葉を続ける。
「とっくに貴様は、世界各地の野心ある者たちから狙われる身となっている。刻印の力は、制御不可能だったあらゆるゾイドを自在に操り乗りこなすことが可能なのだからな。
だが、それは問題の本質ではない!」
その頃ビークルのコントロールパネル据え付けのモニター上では、鳥瞰図に映る古代鮫メガマウスとさまよえる海亀タートルカイザーとの接合部に多数のゾイドコア反応が集結していることが確認できた。エステルは異相の男・水の総大将の語りかけが壮大な時間稼ぎであると判断した。……狙撃、できるのか?
だがそれは極めて困難と判断せざるを得なかった。そう決意が傾いたときに、このヤモリのような眼は深紅の竜の背後から垣間見えるビークルのキャノピーめがけて、斬りつけるような視線を投げかけてきたのだ。かの金髪銀瞳の美少女さえ、ここまでではない。唇を噛んだ彼女は、別の方法を探る。
「貴様のような者たちが多数、誕生すればこの惑星Ziは、いずれ二種類の人種に分断される。即ち『刻印を持つ者』と『刻印を持たざる者』だ。
人種の優劣が認められれば、それは決して消すことのできない火種となる」
異相の男の語りかけに、少年は直感することがあった。この男の話しが本当ならば、自身が火種として遠ざけられたと思われる局面に、大いに心当たりがある。
「ジュニアトライアウトは、もしや……」
「受験者には刻印の兆しを感知できるゾイドを使い、ふるいにかけていたのだ。若いうちにゾイドから遠ざけることができれば、覚醒の機会は激減する。せっかくつかんだこの平和だ、穏便に済ませられるのならそうすべきだろう。
だが、貴様という例外が現れた」
束の間の会話を続ける間にハーネスから解放された異相の男はすっくと立ち上がり、深紅の竜の胸部コクピットを指差してみせた。
応えるように、竜の胸部コクピットハッチも開かれる。あわてた竜は左手でかばうが、それでも少年は面と向かって言いたかった。
「僕は刻印のおかげで、ブレイカーと友達になれた。
刻印がZi人の進化の証なら、もっと長い目では見れないのかよ!」
異相の男は薄笑い。
「長い目……? それは何年後だ。何十年後だ、何百年後だ!
進化とは、進化できない者が淘汰されることだ。そして進化の先にはさらに巨大な火種が待ち受けている以上、流れはどこかで断ち切らなければならない」
彼らが論じている間に、局面は激動した。
水色のゴドスのずっと後ろ……青い獅子の亡骸の上に、新手がさみだれ状に地響きを立てつつ馳せ参じた。銀色のゴドスの群れだ。いずれも例の槍を抱えており、その穂先には既に電流がうねっている。
援軍の参戦を合図に、水色のゴドスの頭部キャノピーも覆い被さる。
ハッと目が覚める思いの少年。すぐに深紅の竜の胸部ハッチも閉じられる。
先んじたゴドスは槍の穂先で双剣を跳ねのけると軽やかに跳ねて後退、銀色のゴドスの群れの中に隠れる。
一斉に槍の穂先を向けた銀色のゴドスたち。穂先は次々にうなりを上げて回転する。
ハッと息を呑んだギルガメス。ハーネスで上半身が固定されるとすぐさま相棒に指示を送った。
「荷電、粒子砲!」
声を合図に明滅を始めるコントロールパネル。少年はカギたるナイフを握りしめ、時計回りにねじる。額の刻印が、パネル全体が閃光に包まれる。
全方位スクリーンの真っ正面に照準が表示され、波紋のごとく周囲がぼやけた。
身構える深紅の竜。巨体の左右を覆う桜花の翼、逆立つ六本の鶏冠。尻尾を覆う装甲がノコギリ刃のように逆立つと、鶏冠の付け根辺りが大きく口を開き、光の粒を吸収していく。竜の口内に光がこぼれるまでの時間は撃つたびに速くなっているかのようだ。
裂帛の気合いを合図に、首を振りかぶった深紅の竜。太刀のように振り降ろすと、同時に放たれた光の槍。このだだっ広い古代鮫の体内を埋め尽くさんばかりの勢いは、今までに自身が放ったどの一撃よりも太くそしてまぶしい。
ゴドスたちの構える槍の穂先からも、光の槍が解き放たれた。時間差で、次々に発射される槍の穂先。一本一本は深紅の竜のそれに劣るが、穂先同士が重なり合うことで、またたく間に引けを取らぬ太さへと変貌を遂げていく。
激突する、光の槍と槍。電光が弾け、ほとばしり、辺りの壁や鉄骨に突き刺さる。ここに至って、壁はひび割れ、鉄骨はへし折れ始めた。
その最中、ビークルは依然、深紅の竜の後方に隠れていた。……エステルは直感していた。自分が水の軍団の一員なら、これは絶好のチャンスだと。
果たして彼女の予想通り、光の槍を放ち続けるゴドスたちの両脇に、別のゴドスたちがひょっこり姿を現したのだ。いずれも槍は持たぬが、この状況下では連中が常備する腹部の機銃だけでも、荷電粒子砲を撃つので手一杯の深紅の竜にしてみれば十分に脅威だ。
ついに躍り出たビークル。光の槍を吐いて踏ん張る深紅の竜の肩口から急上昇。キャノピー全体が青白く輝くと、機体側面のフタが一斉に開きたちまち無数の鬼火が放出される。
エステルは前のめり。額にほとばしる刻印の輝きはヘルメットのシールドを透過し、コクピット全体を照らしつける。
無数の鬼火は弾け合う光の槍と槍を迂回しかいくぐり、両脇から現れたゴドスたちに命中していく。砕かれるキャノピー。足をくじき、銃撃の軌道がそれて壁や床にぶちまかれる。
それでもわらわらと、両脇からゴドスは現れ続ける。エステルはコントロールパネルのモニターに視線を投げかけた。……しきりに明滅する警告に、シールドの下で切れ長の瞳を見開いた。残弾が尽きかけている。
彼女は何ごとか、口走った。呪いか、祈りか。意を決して今一度顔を上げたとき。
押し合う光の槍と槍は、その間に太陽とも見紛う球を作り上げていく。球は急速に膨張していき、そしてひときわまぶしく弾けた。
ゴドスたちもブレイカーも、その勢いで数歩は押し返された。すぐさま腰を落とし、膝をついて踏ん張る。ビークルは深紅の竜の背中を盾に隠れざるを得ない。
全方位スクリーンの輝度が急激に下がる中、ギルガメスは乱れる息を懸命に整えながら、真っ正面を凝視し続けていた。
球が爆発したその辺りは、めちゃくちゃにひびが入り、真っ黒に煤けている。そしてその向こうに並び立つ槍を抱えたゴドスたちも、何やら呆然としているかの様子。そのありさまを確認したとき、辺りには静寂がただよい始めたかに見える。
ギルガメスは戸惑い、四方に視線を投げかける。次に打つべき手がわからない。安易に立ち上がっても、力任せに光の槍を使っても、的になるだけかもしれない。カギたるナイフを握る両手を緩めて、左右のレバーの方を握り直すべきかにも迷う。頬を伝う汗が額の刻印の輝きに照らされる。
奇妙な均衡は、けたたましい警告音とともに突如として開かれた鳥瞰図のウインドウによって崩れ去った。陣形を張るゴドスのワイヤーフレームが並び立つ、そのすぐ後ろ!
「熱源!?」
少年は泡を食ってレバーに両手を伸ばす。
応えて立ち上がる深紅の竜。首をもたげて紅い瞳でにらむその彼方。
依然、膝をつく銀色のゴドスたち。そのすぐ頭上に、勢いよく飛び跳ね躍り出た水色のゴドス。両手で抱える光の槍は、まぶしき閃光を帯びている。
立ち上がらないと。少年は両腕を左右のレバーに持ち替える。だがそのわずかな遅れは決定的な隙だ。
空中で、宿敵に槍を向けた水色のゴドス。穂先がうなりを上げて、のたうつ電流を帯びながら回転する。
異相の男は無表情のまま、だが決意と確信とを、ヤモリのような眼をひときわ大きく見開いて叫ぶ。
「ギルガメス、覚悟! 惑星Ziの平和のために!」
だが男の声に被せるかのように、凛たる叫びが響き渡った。
「伏せて!」
憧れの、女性の声だ。少年はハッと我に返るとレバーを思い切り下げる。
腹ばった深紅の竜。桜花の翼も六本の鶏冠も低く下げ、おもちゃのバネを仕掛けるようにうずくまる。
タイミングを合わせるかのように、ビークルが竜の背中より姿を現した。
闇を引き裂く、乾いた破裂音。アンチゾイドライフルの銃声がこの巨大な鉄の棺桶の中にこだました。
一秒も経ずして、ぐしゃりと砕け散る音が続く。……音源は、水色のゴドスの頭部。オレンジ色のキャノピーに、刻まれた弾痕。
同時に解き放たれた光の槍は、ビークルと竜の背中との間を怒涛の勢いで抜けていく。
こうして的を外した光の槍は、そのまま竜のはるか後方をふさぐ隔壁をぶち抜いた。大穴が、ポッカリ空いてしまった。しかしながら槍の軌跡は、わずかな時間で発射準備を整えたためか二、三秒程度で尻すぼんでいく。バランスを崩しながらも、どうにか両手と片膝をついてゴドスは着地する。左右に駆け寄る銀色のゴドス。
その間にも、エステルは「今よ!」と少年主従をうながす。
おもちゃの拘束が解かれた。飛び上がって尻尾を向けた深紅の竜。桜花の翼をひるがえし、六本の鶏冠を逆立て。その両手にビークルをガッチリと抱えると、鶏冠の先端に蒼い炎を宿らせて強く鋼鉄の床を蹴り込む。
つい先ほど開かれた大穴を、またたく間に流星が駆け抜けていった。
銀色のゴドスたちは次々に槍を、機銃を大穴に向けるが。
「待て」
低い、抑揚のないたった一言に対し、銀色のゴドスたちの側から歓声が上がる。
水の総大将はコクピット内で身体をひねり、どうにか狙撃をかわしていた。軍帽は足元に落ちており、彼は右手を伸ばしてそれをつかみ、軽くはたく。
貫通したキャノピーは用途に相応の頑丈なものだが、破片は若干ながらコクピット内で吹きこぼれた。男の目許にも小さなものが刺さっており、彼は無言でそれを残る左手で払いのけた。
そして銃弾はハーネスを砕き、座席をえぐっている。男は姿勢を正すと破損箇所をふさぐようにもたれ、軍帽を被り直し、そして。
「メガマウスを放棄し、撤退する。
魔装竜ジェノブレイカーは地上の同志に任せよ」
銀色のゴドスの側からはため息が漏れた。だが致し方ないと言えた。……古代鮫メガマウスは激戦の結果、崩壊まで時間の問題である。そして一旦は追い詰めたものの逃がす羽目になった目下の敵は、このまま行けば地上に広がる山岳地帯に逃げ込むだろう。タートルカイザーでは巨大すぎて着陸など不可能だ。だがこんなところに自軍を送り込んだところで、発見すら容易ではあるまい。
異相の男は表情は変えぬまま、自らが開けた大穴の方角をじっと見つめていた。
雲海を潜る深紅の竜ブレイカー。桜花の翼を広げ、勢いよくかき分ける。
やがて真下には、鋭くそびえ連なる山々が広がってきた。太陽はまだ沈む気配もなく、彼方の稜線付近は十分に青い。
するとずっと後方で、何やら途方もない爆破音が聞こえてきた。竜はちらりと視線を向ける。
雲海の中からバラバラと、火を吹きながら鉄塊が散乱、次々に落下していく。そのあと徐々に、古代鮫メガマウスだった巨大な鉄の棺桶がぬっと現れた。方々から炎や煙を吹き出しながら、深紅の竜よりも速く落下していく。何度も小爆発を繰り返した挙げ句、山脈の一つに鼻先がぶつかると大轟音を上げて爆発。その瞬間天を衝くほど炎が上がる。
そしてその間にも、雲海の中から抜け出すタートルカイザーが確認できた。このさまよえる海亀は演習場の方へと向かっていく。
ギルガメスはそのありさまを、首を傾けてじっと見つめていた。既に全方位スクリーンは輝度が戻っている。依然として左右のレバーは握りしめたままだが、ここまでくれば大分、相棒任せにして良い状況ではある。
逆方向へ遠ざかっていく海亀の姿を目の当たりにすると、彼は天井を仰いで脱力した。自然と、口元がほころぶ。
「助かったのかな、ひとまず」
少年の相棒は小気味良く鳴いて応えた。
左方のウインドウでは、エステルがヘルメットを外す様子が見える。汗で濡れそぼった黒の短髪がまぶしい。
「……ひとまずは、ね」
彼女の一声に、少年はうなずいた。
このまま無事着地したところで水の軍団のことだ、別働隊を山岳地帯に潜り込ませるに違いない。それは仕方あるまいが、それでも、ささやかながら休息の時間は確保できそうだ。
ふとエステルは、何を思ったのかコントロールパネルのスイッチの一つを押してみた。
モニターに開かれたウインドウはテレビのニュース番組だ。
「英雄誕生」
「ギルガメスとジェノブレイカー、テロリストを撃破」
チャンネルを変えるたび、少年主従を賞賛する番組が流れていることに気付いた。しばらくは表に出辛い事態にはなったと言えるわけで、彼女は苦笑を禁じ得ない。
「成り行きとはいえ、変なことになっちゃったわね」
彼女の言葉に、少年はただ微笑みだけを返した。……彼にはそれで十分だった。真実を知っている人間は別に限られていても良いのだから。
細まる円らな瞳をモニターから眺めていたエステルは、ふと、息詰まるものを感じた。急激に、胸を抑えつけられるような感覚に襲われる。彼女は切れ長の瞳を見開いたまま、ぎこちない表情で視線をよそに反らした。そしてゆがむ口元を、長い指で覆ってしまう。
反らさざるを得なかったのだ。モニターの向こうの愛弟子は、この瞬間にも、かつて己が愛した若者の浮かべた表情に近付きつつある。
表情だけではない、体つきだって、しゃべり方だって、どんどん似てきていることに、とっくの昔に気付いていたではないか。
エステルは葛藤がこのような状況下でピークに達してしまったことに困惑し、途方に暮れてしまった。
愛弟子が困難を乗り越えるたびに、その姿は在りし日の面影と重なって見えてしまう。あの金髪銀瞳の美少女が言い放った通りだ。その気持ちを覆い隠すためにも、彼女は今まで奮戦し、ときに厳しく接してきた。
だがそうした行為は、愛弟子の気持ちを裏切ることにすぎなかったのではないか。愛弟子のためのつもりであっても、結局は代償行為を繰り返しているだけだ。
大きく成長を遂げた愛弟子に対し、自分のようにふしだらな女がせめて果たすべき誠実な行為は、極めて限られている。
(私がすべきことは……)
「先生? エステル先生?」
モヤモヤした気持ちを一瞬で吹き飛ばしたのは、モニターの向こうから語りかける愛弟子の声であった。
「ギル!?」
丸くなった切れ長の瞳をウインドウの方から垣間見て、ギルガメスは胸をなで下ろした。
「あの、ちょっと、良いでしょうか」
「ど、どうしたの急に、改まったりして」
キョトンとした憧れの女性を見つめながら少年は話す。
「地上に降りたら、その、話したいことがあります……」
かしこまって述べてはみたが、最後の方はたどたどしくなってしまった。言い終えて、少年は何とも気恥ずかしい表情を浮かべるとうつむいてしまう。
耳まで真っ赤にした彼の姿を、エステルはひとしきり眺めていた。
「わかったわ。地上に降りたら、ね」
うつむいていた少年が顔を見上げてみると、ウインドウの向こうでは、切れ長の瞳を一層細めて微笑む憧れの女性の姿が映し出されている。
映像を介していてさえ、この少し年齢の離れた男女は見つめ合い続けることはできず、互いに視線を反らしてしまった。
大空を降下し続ける深紅の竜は、己が胸元をちらりと見つめると軽くため息をついた。それでも、多少は理解しているつもりだ。独りぼっちは、やはり寂しいものである。
真下に続く山肌には、流れるように飛ぶ竜の影がくっきりと映り始めた。稜線の彼方は依然、真っ青である。
(完)
あ と が き (※2017年12月発行の同人誌「魔装竜外伝完全版」に収録したものです)
魔装竜外伝シリーズは2003年頃から6年ほど、2ちゃんねるゾイド板に投稿していたものです。
「楽しみ方は人それぞれ」という気持ちで続けていましたが、しかしながら挫折の連続でもありました。最終的に無理矢理お話しをまとめて筆は折ったつもりでした。
今回はそうした過去に書いたものを全面改稿しました。9割以上手を入れた結果、投稿当時よりはまともに読めるものになったと思います。
執筆にあたって心がけたことがいくつかあります。せっかく二次創作・同人という商売っ気の薄い方法で書くのですから、独自性は強く追及したつもりです(※皆様がある程度ゾイドについてご存知だろうという前提で述べたいと思います)。
・ゾイドを重要な登場人物に格上げする
いわゆる「相棒」という存在からさらに一歩踏み出して、ある時は主人公と反目し合い、ある時は共に泣く。互いをいたわり、姿形は違えど困難を乗り越えるため一致協力し合う、そんな存在を描きたかったのです。
そして本編の登場人物は「One Hero,One Heroine,One Zoids」を心掛けました。ヒーローとヒロイン、そしてゾイド一匹のみに絞り込み、この二人と一匹が時にはぶつかり合いながら成長していくドラマが描けるよう心掛けたつもりです。
・戦争の捉え方について再考する
よく「硬派な戦争もの」と言われますが、硬派とは自分の置かれた時代や状況などになるべく正面から向き合う努力だと思います。そう考えたとき、自分にとっての戦争ものは「いずれ戦争が起こるに違いない」そういう状況下での雰囲気を描くことだと結論づけました。
十年以上昔に描いた作品であり、当時と今とでは激変したこともあります。しかしこの奇妙な雰囲気は依然として継続しているのではないでしょうか。そういう意味では、あの頃はよく頑張って描いたなと思います。
あと主役ゾイドであるブレイカー(ジェノブレイカー)について。
最初にその絵面を目の当たりにしたとき思い起こされたのは「醜いアヒルの子」でした。いかに「美しい白鳥」として羽ばたかせてやれるかが大きなテーマとなったのです。
ブレイカーは「やんちゃな末っ子」という性格付けとなっていきました。心が強い子の方が醜くともいつか元気で羽ばたけそうだということです。すると主人公ギルガメスはブレイカーを理解してやれる「優しいお兄ちゃん」そして彼らを保護する「お母さん」的存在としてエステルが生まれた……というのが自然な成り行きでした。ゾイドが中心でキャラが出来上がっていったのです。こんなキャラ作りの方法もあるということで、書き残しておきたいと思います。
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
実は2015年の6月ごろに、原稿は完成していたのです(※それまで約2年半、改稿と校正に明け暮れました)。ですが発売までが本当に長かった……。この本に致命的に足りないものがあって、それが理由の一端です。ある時点で「もう、それでもいいよ」という心境になって、体裁上作らなければいけないものだけは全て自分で作り、ようやく入稿となりました。
今は若干の諦めと、これで今度こそ終わったという晴れやかな気持ちで胸一杯です。
できあがった本を手に取ってくれた方が「世の中には色々な人がいるんだな」と感じてくれれば、作者冥利に尽きます。
2ちゃんねるゾイド板にて投稿していた際、レスを書き込んでくださった方、そして今回こうして手に取って下さった皆様には厚く御礼申し上げます。