魔装竜外伝 完全版   作:◆.X9.4WzziA

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1. 紅塵の章(4)

 ギルガメスは安堵したのか、あぐらをかいて座り直していた。目の前では相変わらず深紅の竜がうつ伏せたままだ。一度、両者の視線が触れたのだが、そのときには竜の方がすぐにそっぽを向いてしまった。今からこれでは本当に乗りこなせるか心配である。

 彼の後ろではエステルが鼻歌まじりで着替え中だ。肝心の衣服も奇妙なやり方で用意された。床がいきなり穴を開けたかと思うとすぐにそこから円柱がせり上がり、きれいに折りたたまれた衣服が彼女の目の前に差し出されたのだ。先ほどの立体映像といい、全くこの部屋に詰め込まれた技術はギルガメスの理解を越えていた。

 それにしても、間が持たない。大体、これほどきれいな女性と、面と向かって話した経験さえなかった。困り果てた彼は、ともかく何か話題を出すことにした。

「この、ジェ……ジェノ、ブレイカーの名前は……」

 鼻歌がやみ、一拍の間を置いて返事があった。

「そうね、それはあなたが考えてあげて。

 ただし『ジェノブレイカー』って呼ばれるのだけは嫌なはずよ」

 えっ、とギルガメスは声を上げる。

「そうなんだ、ごめん」

 彼はあぐらのまま頭を下げた。深紅の竜はそっぽを向いたまま、ため息をつく。無反応でないことだけは少年にとって救いである。ただ、なぜそう呼んではいけないのかが疑問ではあるが。

 それより、また間が空いてしまった。

 そうだ、とギルガメスは膝を叩く。

「マニュアル! エステル先生、マニュアルを見たいです」

 着替えの手を止めたエステルは苦笑した。

「ないわよ。……刻印があれば乗っただけで大体わかるようになってるから、安心して」

 そういうものなのか。ギルガメスは二の句を継ぐこともできず、いぶかしむ。全く、何から何までわからぬことだらけだ。

 ふと深紅の竜が首をもたげた。何だろうと、ギルガメスも振り向く。

 彼の背後では、着替えを終えたエステルが両手を腰に当ててポーズを決めている。紺の背広が頭部と手首以外の露出を完全に隠し切った、一見はつつしみ深い格好。いわゆる「男装の麗人」という奴だ。しかしすらりとしなやかな彼女の肢体がかえって強調されているようで、ギルガメスはモヤモヤした気持ちを押し殺すのにも一苦労だ。

「お待たせ。……ふふ、似合うかしら?」

 返答に困るギルガメス。初心(うぶ)な彼には相当な難問である。

 と、エステルの背後で軽い地響きとともに、床がポッカリ大きく穴を開けはじめたではないか。今度は何ごとかとギルガメスは立ち上がる。

 開いた穴からせり上がってきたのはビークルであった。かなりの年代ものらしい。屋根やキャノピーはついていないが、座席のすぐ後ろは分厚い装甲で覆われており、必要に応じて屋根を覆うようだ。これ自体は竜が両手で抱えられるサイズで、後方にはコンテナが積まれている。

 ただこのすぐあと、ビークルの左右の床からマニピュレーターが数本伸びてきた。本体の倍ほどもある銃器を二つ持ち上げ、その両側からはさむように取りつけるとマニピュレーターはすぐ床に隠れていった。

 かくして準備されたビークルは相応の重武装だ。「銃器にはさまれたビークル」というよりは「ビークルをはさんだ銃器」と呼んだ方が正確なくらいである。

 せり上がってくる様子を眺めながら、エステルは背広に続いて黒のコートをまとう。重装備だ。むき出しのコクピットに乗って真夜中の山岳地帯を進むのだから、これくらいで丁度良いくらいだろう。

「こちらも用意できたわね。

 着替えもキャンプ道具も積んでるし、いざというときは援護もできるわ。

 ところで、あなたの荷物は?」

「荷物は、このリュックと……」

 先ほど、深紅の竜と立ち回ったときに使ったゾイド猟用のナイフを指差す。

「それは大事に持っておいて。きっと、力になるときが来るわ。さて……」

 リュックサックにナイフを突っ込み、すっくと立ち上がったギルの前に、積み荷を終えたエステルが向き合う。

 それにしても、背の高い女性だ。自分の頭一つ分も高い。文字通り、高嶺の花を見た気分だ。ため息をつきかけたギルガメスは、あわてて口元に手をやりせき払いしてごまかす。

 彼女は一向に意に介さず、言葉を続けた。

「私たちは今、レヴニア山脈の地下深くにいるわ。問題はここからどこへ行けばいいか。

 山脈の東側・レヴニアの街へ引き返す手はなさそうね。あなたの話しが本当なら、今ごろは共和国軍が駐留しているのでしょう。

 なので山脈の西側・リゼリア平野に出ましょう」

「リゼリア、ですか……」

 ギルは生つばを呑み込んだ。

「リゼリア以西は少数民族が結集して成り立つ『民族自治区』。共和国軍も下手に手は出せないわ。それに、物価も低いしね。

 そしてもう一つ。……これから、刻印解放の儀式を行ないます」

「刻印、解放……」

 エステルはにっこり微笑んだ。

「この子はオーガノイドシステム搭載ゾイド。……普通に操縦もできるけれど、『刻印』の力を備えたパイロットとシンクロすれば、無限の力を発揮できるわ。

 でも、今のあなたは自由に刻印を使うことができない。だから必要に応じて、私が刻印を解放するわ」

 こくりと、ギルガメスはうなずいた。

「じゃあ、まずは私の目を見て」

 声に応じた少年は、彼女の切れ長の瞳に魅入られた。心の中まで見透かされ、凍り付くような感覚。

「私に続いて。例え、その行く先が」

「……例え、その行く先が」

「いばらの道であっても、私は、戦う!」

「いばらの道であっても、私は、戦、うっ!?」

 ギルの額を襲う、急激な熱さ。あわてて押さえようとするが、その手に照らされた青白い輝きを目の当たりにし、自らの肉体が確かに変化したことを悟った。

「さあ、行きましょう。……ハッチを開けて」

 うながされた深紅の竜は、しぶしぶ胸のハッチを開けた。先ほど、ギルガメスが斬りつけた箇所だ。

「ありがとう」

 一礼しつつ乗り込んだ少年に一瞬きょとんとするが、結局はため息をつきつつハッチを閉じる。竜はエステルに対して何とも言えない視線を投げかけた。

「落とせるシステムは、落としちゃうから。……なあに、その顔は?

 これが私への裁きみたいね。あなたも自分の意志で今までついてきたんだから覚悟してね」

 一方、閉じられたコクピット内は、真っ暗闇が刻印の輝きで照らし出された。……室内は球の内側のようだ。とりあえず両手を左右に伸ばせる程度には広い。

 中央に据えられた座席につくと、彼の上半身に大きなハーネスがかぶさってきた。それを受け入れ、収まりを整える。

 すると、座席の手もたれに埋め込まれたさまざまな機器が明滅しはじめたではないか。続いて室内全体がぼんやりと光を帯びはじめた。

 この時点で、ギルガメスは棺桶のように密閉されたこのコクピットから外部を見渡す方法を、ようやく理解できた。……室内の壁面が、全てスクリーンと化している。言わば全方位スクリーンだ。彼は左右をぐるりと見渡し間を取ることで、何とか興奮を押さえ込む。

 さて全方位スクリーンの真っ正面には、見上げて話しかけるエステルの姿が映し出されている。……視線は自分に注がれていないようだ。

(エステル……先生と、このゾイドは何を話してるんだろう?)

 外の様子を眺めていると、彼女は颯爽とビークルの座席に飛び乗り、コントロールパネルを通じて何か色々いじっている。しばらく待っていると、不意に左手側のスクリーンにウインドウが開き、彼女の顔が映し出された。

「これから、ここの最上部のハッチが開くわ。あなたたちは私のビークルを抱えて飛び出してね。

 操縦の要領はさっきも言った通り。とりあえずレバーを握ってみて」

 彼女の声に呼応するように、両側の手もたれからレバーが伸びてきた。

 半信半疑で握ってみたギルガメス。すると額の刻印から青白い光が、放水でもするかのようにあふれ出したではないか。振り回されるかのように身体を揺らした少年は、ほどなくして光の放水が終わると、意を決してレバーを押し込んだ。

 深紅の竜は中腰になって、桜花の翼を大きくはばたかせる。

 従順な竜の挙動に満足したエステルはハーネスをかぶり、ゴーグルを着用する。

 竜は彼女が身体を固定したのを確認すると、そのいかめしい両腕からは考えられぬくらい柔らかな動きでビークルを抱え込む。

 腰を一段と落とし、そして跳躍。

 竜の巨体が宙に浮いたとき、ギルガメスは今までのゾイド操縦の経験とは全く異なる感覚に襲われた。……慣性の影響は確実に受けている。それも今までの経験とは比べものにならないくらいに、だ。しかしそれ以上に、自らの五体が宙に浮いたように軽く感じた、この奇妙な感覚は一体なんなのか。

 ギルガメスは確信した。

(このゾイドの感覚を、僕も一緒に感じ取っているんだ。これがシンクロ……!)

 深紅の竜は百メートル以上は確実に跳躍したであろう。直下の床を照らす輝きは夜空の星のように小さくなったが、頭上は依然、闇に包まれたまま。すると竜は、泳ぐように優雅な動きで桜花の翼を水平に広げ、そして背中に折りたたんでいた六本の鶏冠を一斉に広げた。

 たちまち鶏冠の先端から、勢いよく吹き出した蒼い炎。暗闇を駆ける流星と化した竜の頭上に、月明かりが届いた。

 一気に、視界が開けた。夜の帳(とばり)を彩る双児の月に、満天の星。竜はレヴニア山脈の頂上付近に躍り出た。振り向けば、はるか下方にあのレヴニアの街の灯りが見える。

 コクピット内に聞こえるのは計器類の不規則な電子音と少年の吐息だけ。密閉された部屋なのに、夜風に当たっているかのように肌寒いのはシンクロの影響なのか。

 竜が抱えるビークルの上では、エステルが余裕綽々(しゃくしゃく)で腕を組み、右手で頬杖していた。見上げると頭上に竜の頭部が見える。愛想良く首を傾ける竜に対し、彼女は右手でふもとを指差してみせる。

「目指すは暗闇の向こう、リゼリアよ。……さあ!」

 エステルにうながされて、ギルガメスはレバーを握りしめる。だがそれよりも早く、深紅の竜は桜花の翼を水平に、六本の鶏冠を扇状に目一杯広げた。

 たちまち蒼い炎が鶏冠の先端より吹きこぼれる。少年の意志など全く無視して、深紅の竜は地を蹴った。

 スケート靴で氷上を進むように、リゼリア山脈の急斜面を軽やかに、滑る。時折立ちふさがる岩や崖は、スキージャンプのように勇ましく、飛び越える。

 竜の胸部・コクピットハッチ内では、ギルガメスが悲鳴をあげっ放しだ。衝撃による揺さぶりは言わずもがな、自らの五体がシンクロにより感じさせられる異様な軽さには目まいをこらえ切れない。

「馬鹿、もうちょっと優しく……!」

 深紅の竜はちらりと自分の胸を見たが、すぐにつんと顔を上向いて無視を決め込んだ。

 見かねてエステルが助け舟を送る。

「『主人』がああ言っているんだから素直に聞きなさい」

 両手に抱えるビークルを見下ろした竜の口から、カツンと澄んだ音が聞こえた。人の舌打ちのように、歯をかみ合せて不満の意志を表わしたのだ(※大抵のゾイドには舌がない)。

 ようやく乱暴さは影をひそめたが、少年が感じる異様な軽さの方はなかなか抜け切らない。

「すみません、先生」

「気にしないで。いずれこの子も機嫌を直すわ」

 気がつけば、何千メートルもあったはずの急斜面がふもとにまで差しかかっていた。深紅の竜は休まず駆ける。

 ギルガメスは異様な軽さが少し落ち着いたと感じた。竜はリゼリア平野に降り立ったのだ。稜線は高く月明かりをさえぎり、夜の帳(とばり)を高みから降ろして竜たちを取り囲む。街の灯りはまだ見えない。

 大した感慨もなく、竜は地表を滑り、駆け続ける。それでもこの竜の機嫌が少し良くなったことはギルガメスも感じていた。何しろシンクロによる体感が実に心地良い。

「走るのが、好きなんだね」

 ふと少年が口走ると、急に五体が揺さぶられる。竜が強引に加速したのだ。照れ隠しの行動だと理解し、少年は微笑んだ。気むずかしいだけで、きっと根は素直なんだろう……そう思いはじめたときのことだ。

 全方位スクリーンの左上に、突如ウインドウが開かれた。鳥瞰図のワイヤーフレームだ。中央の赤い点が竜を示す。下方はレヴニア山脈、上方はどこまでも広がるリゼリア平野。無人の野を進むはずの赤い光点に、無数の白い光点が立ちふさがった。

 だが障壁はスクリーンには見えない。どこだ、とギルガメスが首をひねるよりも早く鳥瞰図が傾き、リゼリア平野のはるか上空に集結していることを明らかにした。

 思わず天井を見上げるギルガメス。

 呼応してウインドウが開き、映像をまたたく間に拡大していく。……星空に紛れ込んで現れた翼竜たち。プテラスの群れだ。そして、それらに取り囲まれて浮かぶ巨大な海亀の姿にギルガメスは戦慄した。

「タートルカイザー! どうやってここまで……」

「あれがあなたの言っていた連中ね。なるほど」

 スクリーン左手にウインドウが開き、眼光厳しいエステルの顔を映し出す。

「相当空高く上昇して、山を越えたんだわ。レアヘルツも、レヴニア山脈のはるか上空なら届かないからね」

 次々と、プテラス部隊が急降下を開始した。網目状の翼を輝かせ、鱗粉のように火花を散らして。そして連中の胸が一斉にまたたく。あの辺りに銃器が取りつけられているのはゾイドを乗りこなす者なら誰でも知っている。砲撃の開始だ。

 竜の背後で、左右で、岩盤が爆ぜる。正確には命中寸前で竜が上手い具合に避けているのだが、ギルガメスの方は呆然、そして自失の瀬戸際だ。レバーを動かそうにも全く追いつかない。ゾイドウォリアー目指して訓練してきた経験など、この場では全く役に立たないのか。

 すぐにスクリーン左方のウインドウが開き、エステルが落ち着いた口調で助言する。

「避けるのは任せてしまいなさい。次の手を考える方に、頭を使って」

 深紅の竜は足を速めた。空の敵たちが高度を下げている間に駆け抜けてしまおうという腹づもりだが、それが困難であることは竜も少年もすぐに思い知らされた。

 数匹のプテラスが、闇夜の彼方へと急降下。一斉に、直下の土砂がしぶきのごとく舞い上がる。プテラスたちは深紅の竜の頭上を勢いよく駆け抜けていくが、竜もギルガメスも頭上をちらりと見やる以上の余裕はなかった。

 土ぼこりの中から、ぬっと現れた銀色の竜の群れ。ゴドス部隊だ。先ほどのプテラスは連中を地面に放り込んでいたのだ。

 次々に、急降下するプテラス部隊。深紅の竜の正面に、左右にと、地表に銀玉をぶちまけるようにゴドスの群れが降下していく。その匹数、十や二十で済むような数ではない。

 あの水色のゴドスもいた。頭部のキャノピー内では異相の男が相変わらず水色の軍服・軍帽のまま淡々とレバーを捌き、そしてつぶやく。

「ギルガメスはアーミタ出身の十五才。先日行なわれたジュニアトライアウトを不合格に『処された』。

 ジェノブレイカーと目される赤いゾイドに拉致されたが、手なずけたと思われる」

 異相の男は深紅の竜が抱えるビークルをひとにらみ。キャノピー内部にウインドウが開き、機上のパイロットの様子が拡大される。

「同伴の女は古代ゾイド人である可能性が高い。ギルガメスも女の手により既に刻印を覚醒したと考えられる。速やかに赤いゾイドとビークルを破壊し、ギルガメスと女を始末せよ。惑星Ziの、平和のために!」

 水色のゴドスはいち早く躍り出た。銀色の連中も勢いよく追随し、かくして地上にまぶしき荒波を形作る。皆前傾姿勢で疾走しながら腹部の機銃を細かく動かし、銃撃の準備だ。

 押し寄せる荒波を目前にして、ギルガメスは頭の中が真っ白だ。……そもそも、彼は一対一のゾイドバトルこそ数多く経験してこそすれ、このように圧倒的物量で取り囲まれたことなどちょっと記憶にない。

「どうしよう、どうすればいいんだ?」

 ひたすら左右を見渡し、円らな瞳を何度もまばたき。何もしていないのに、頬を、額を、背中を嫌な汗が流れ落ちる。

 そのときのことだ。ずっと闇夜を映していたはずの全方位スクリーンが、突如、極彩色に彩られた。

 いや、視界をさえぎられたことなど問題ではない。ギルガメスは似たような光景を見たことがある。ゾイドに騎乗しての練習中、地面に投げ出されてしまったとき、脳裏を襲った光景にそっくりだ。死ぬかと思った、あのときは……。

 では今、彩りとともに彼を襲う、この胸を引き裂かれるような絶望感は一体何なのか。

「ギル、ギル、聞こえて!?」

 元通りの闇夜が極彩色を打ち消した。全方位スクリーン左手にウインドウが開き、エステルが厳しいまなざしで叫んでいる。絶対に数秒は経過しているはずなのに、銀色の荒波は映像が消える直前と同じ位置から動き出した。

「は……はい、エステル先生!」

「囲みを突破しましょう。逃げるが勝ちよ」

 彼女の一声で我に返るとレバーを握り直す。自然に、両足を踏ん張るのは凄まじい慣性が予想できたからだ。

 しかし、予想は外れた。

(動かない)

 レバーをガチャガチャと揺さぶるが。

(動かない、動かない、なぜ!?)

「どうしたの、ギル!」

 異変はすぐにエステルも察知した。前のめりになってコントロールパネル据えつけのモニターをのぞき込んだそのとき、しびれるような振動が師弟の五体を震わせた。

 竜の肩に硝煙がただよう。銃撃がかすったのだ。

 思わず左右を見渡すギルガメス。だが射手を見定めるよりも前に、感電するような激しい衝撃に襲われた。

 一斉の、銃撃。暴風雨のような弾幕を四方、八方から浴びせられる。

 ビークルの機上ではエステルが身を低くしながら叫んだ。

「とにかく走って……あ、こら!」

 彼女の指示とは正反対に、深紅の竜はビークルを抱えたまま地に伏せる。

 弾幕は止むことを知らない。叩きつける豪雨のごとく深紅の竜を釘つけにしつつ、銀色のゴドスの群れはジリジリと間合いを詰めていく。銃撃を浴びせながら一歩、また一歩。

 先頭に立つ水色のゴドスの主人は、少々首をひねりながらもそれなりに手応えを感じていた。ゴドスに据えつけの機銃だけでどれだけの成果が得られるかは未知数なところではあったが、圧倒的物量をはじめ、さまざまな要因が功を奏している……今のところは。

「機体の不調か、それともまだ十分に服従していないのか……まあ良い。このまま一気に畳みかける。

 最前列が千メートル内に到達したところで格闘戦に切り換える」

 いつしか荒波は深紅の竜を正方形に取り囲んでいた。その各辺が徐々に、縮小していく。

 ギルガメスは呆然のまま。ただ、しびれるような振動が長く続けばそれだけ死に近付いていることだけは容易に理解できた。理解はできたが、打開策を考える心の余裕などありはせず、今はひたすらレバーを揺さぶることしかできない。

「動けよ、動いてくれよ!」

「落ち着いて、ギル」

 開きっ放しの左側のウインドウから、エステルが努めて抑えた口調で話しかけてきた。

 黒の短髪が斜めに傾いているのは、不安定な姿勢でビークルが抱えられているからだろう。だがモニター越しでも切れ長の蒼き瞳は鋭く美しい。

 ギルガメスは魅入られ、思わず息を呑んだ。エステルは胸をなで下ろす。

「オーケー、ギル。そのままでいて。

 あなたも、言いたいことがあるならさっさと言いなさい」

 エステルが『あなた』と言ったとき、その視線は彼女の頭上に向けられている。

 視線の先をギルガメスも追おうとしたとき、再びモニターが極彩色で彩られた。

 

 突然視界をさえぎられ、ギルガメスは声を上げる。だが奇妙な彩りはすぐにぼやけ、もやが晴れるように別の風景を浮かび上がらせていった。

 映像は薄暗い。だがその暗さは闇夜のそれではない。激しい雨音が、稲光りが正体を教えてくれた。

 円らな瞳を何度もまばたくギルガメス。全方位スクリーンを見渡せば、周囲はゾイドの死骸で埋め尽くされているのがわかる。地平線の向こうまで続く光景は、さながら鉄くずと、油の海だ。……ではこれらのゾイドは一体誰が殺したのか。

 そこに思い至ったとき、不意に、ギルガメスの頬を熱いものが伝った。レバーを握っていた右手を当てて感触を確かめたとき、少年はこれが涙だと、そして涙腺は自分の感情とは関係なしに強制的に緩まされたのだとすぐに理解できた。なにしろ視界に飛び込んできた竜の両手は油でどす黒く汚れている。

「これは全部、君が……」

 言いかけて突如、胸が張り裂けそうな気持ちになった。すぐに右手で心臓の辺りを抑えつける。ギルガメスは理解した。竜は嘆き悲しんでいる。少年が流す涙も感じる痛みも、シンクロを通じて竜が訴えかけてきたことなのだ。

 ひときわ大きな落雷が響き渡る。と同時に、鉄くずの中から銀色の竜が、何匹も躍り出た。深紅の竜よりもはるかに大きなそれらはめいめい雄叫びをあげ、俊敏な動きで襲いかかる。

 条件反射的にレバーを握り身構えたギルガメス。だが彼の耳元に、ふと呪詛のような声がささやいてきた。響きはあまりにもおぞましく、たまらず両耳を手でふさぐ。

(死ネ、死ネ、死ネ、死ネ……)

(殺セ、殺セ、殺セ、殺セ……)

 あり得ないことだ、ゾイドがしゃべるなど。……だが深紅の竜の聴覚器官からは、銀色の竜たちの雄叫びがこう聞こえてくるのだ。

 覆い被さってきたそれらを一匹、また一匹と、爪で引き裂き、尻尾で薙ぎ払う。

 収まる呪詛。再開した竜の足取りは重い。

 だがその歩みもすぐに止まった。雨天の帳(とばり)の下に、鋼鉄の竜が、獅子や狼が群がっている。再び呪詛が、耳元にささやいてきた。

 ギルガメスの胸がキリキリと痛む。魔装竜ジェノブレイカーと言えば古代最強の一角を担う勇猛なゾイドだが、それゆえにむやみな殺戮を強いられてきた。しかもなまじ知能が発達しているから、狩った餌に投げかけられるだけで辛うじてすむはずの怨嗟の声までも、戦うたびに聞かされていたに違いない。

 幽霊のような足取りのまま、深紅の竜はヒステリックに吠えながら地を蹴った。

 向こうのゾイドたちも一斉に襲いかかる。終わらない地獄へ竜が飛び込もうとしたとき。

「やめろ!」

 ギルガメスの怒鳴り声とともに、豪雨も落雷も敵たちも、全ての風景が一切の動きを止めた。無論、深紅の竜までも。

 スクリーンにノイズが走る中、ギルガメスは涙を右手でぬぐった。

「僕も君も、戦わなければ未来なんて、切り開けそうにないと思う。

 だけど……だけど、つらいことも楽しいことも、せめて分かち合うことくらいならできるだろう?

 僕とともに生きよう。君の痛みは、僕が全部受け止める。

 だから僕の……僕の、ゾイドになれ!」

 精一杯ギルガメスが叫ぶと、スクリーン全体がまばゆい輝きに包まれたのである。少し、ホッとするように暖かい。

 

 輝きが収まったとき、スクリーンはもとの闇夜を映し出していた。押し寄せる銀の荒波も、スクリーンが極彩色に彩られた直前の位置と変わらない。

 一方、水色のゴドスの主人は部下とともに着々と前進と銃撃を繰り返しつつ、包囲網の最前列と標的までの距離を観測していた。二千……千五百……そして、千メートル。

「銃撃、やめ! 最前列、突っ込め!」

 前傾姿勢で、次々に疾走を開始するゴドスの群れ。銀の流星群は土ぼこりと硝煙が立ちこめる一帯へと突っ込んでいく。

 鈍い鐘の音が響いたとき、後続するゴドス部隊のパイロットたちは皆どよめいた。……ただ一人、あの異相の男を除いて。

 ほどなく、煙の海の中から銀のかたまりが一斉に吐き出された。ゴドスの群れは、いずれも受け身も満足に取れぬまま地面に叩きつけられたのである。

 どよめきはすぐさま息やつばを呑む音に変わった。異相の男はヤモリのような眼を大きく見開き、煙の彼方をにらみつける。

 数秒も経ずして躍り出た深紅の竜。引き絞った弓のごとく身を反り返しつつ、鮮やかな放物線を描いて群れの先頭に堂々と着地すると、すぐさまコマのように回転。長い尻尾で辺りのゴドスたちを薙ぎ払う。脇から、後ろから、他のゴドスが爪で、蹴りで串刺しにせんとするが、深紅の竜はがっちりと両腕でつかみ、払いのけ、敵陣へと押し返す。

 そのありさまに異相の男が叫んだ。

「上だ!」

 彼はすぐに気がついた。深紅の竜が抱えていたはずのビークルが消えていることに。

 だが声は一寸、遅かった(いや、相手が早すぎたと言うべきかもしれない)。……戦場のはるか上空に、あの銃器にはさまれたビークルがふわりと浮かんでいるではないか。機体の両脇から一斉に放たれたミサイルはクモの糸のような軌跡を残しながら、次々にゴドスの群れに命中させていく。

 機上のエステルは少々驚いてはいた。相当長い間、使わないでいた兵器だったが思ったより敵のゴドスにダメージを与えられている。だが、驚きはそれだけではない。

「完全に、シンクロできたようね?」

 コントロールパネルに面長の顔をのぞき込むと、苦笑いする少年の姿が映し出された。額の刻印が放つ青白い輝きが、明るく室内を照らす。

 ギルガメスは笑顔を見せながらも、不意の痛みに顔をゆがめる。

 完全なシンクロとはつまり、深紅の竜が負った痛みをも、自らの痛みのごとく感じ取ることだった。さっきまでは一斉の銃撃もせいぜい振動によってしびれる程度であったが、今は全身、めったやたらに殴られたように痛い。半袖から見える二の腕を見れば真っ赤に腫れ上がり、ところどころ血がにじんでいる。

 相棒が受けた痛みはこんなにも辛いものだったのかと、ギルガメスは理解した。……理不尽なシステムではある。しかしその代わりに、一気に形勢挽回を果たすほどの運動能力を、確かに獲得した。今や握るレバーは驚くほど軽く、イメージした通りに何もかもが動いてしまう。痛みの代償もまた相当なものだ。

 だからこそ、ギルガメスは決心した。

(僕がこの痛みに耐えかねて逃げ出せば、このゾイドはきっと死んでしまう。それだけは……絶対に、しない)

 一方、敵のゴドスたちはすぐさま陣形を戻しはじめた。倒れた連中もすぐさま立ち上がる。

 異相の男が抑揚を抑えた声で指示をくだす。

「全機、後退しながら銃撃。弾幕で、目標を再度固定する」

 ギルガメスも負けてはいない。

「武器は!? 何か、武器はないの?」

 少年の声に応じて、全方位スクリーンの左下にウインドウが開いた。竜の姿をワイヤーフレームで表示した映像が映し出され、背中の部分が点滅する。少年は頼もしげにうなずいた。

 ゴドスたちは軽快に、跳ねながらの後退を見せる。着地しては銃撃、また跳ねながら銃撃の繰り返し。ただ退くのではなく、安易に狙いを定められぬようにして陣形を整備するつもりだ。

 そうはさせない。地を蹴る深紅の竜。水柱のように土砂が爆ぜる。銃撃をかいくぐりながら疾走し、敵陣近くにまで接近すると、桜花の翼を目一杯に広げた。

 叫ぶギルガメス。額の刻印を明滅させながら。

「翼の、刃よ!」

 翼の下から折りたたまれていた二本の剣が、バネ仕掛けのように躍り出ると、先端が合わさって太い剣と化す。それが左右の翼に一本ずつ。

 右に、左に、深紅の竜は風車のごとく双剣を振り回す。間合いは想像以上に広く、これだけで自分の体長くらいはカバーできている。さしものゴドスの群れもあわてて間合いを離さざるを得ない。

 徐々に、強靭なる包囲網が崩れはじめていく。それでもゴドス部隊は多勢の利を活かさんと、深紅の竜の左右や背後から狙撃せんとする。だがそれは上空のビークルが許さない。座席の後方から伸びた物干竿のような銃が一発、また一発と、銃器を構えたゴドスを正確に狙い撃ち。アンチゾイドライフルだ。機上のエステルに案ずる様子は見受けられない。今や少年と一体となった深紅の竜にピタリと付き添いながら、正確な援護をするのみだ。

 推移を見守っていた異相の男。無表情のまま次なる指示をくだそうとしたとき、不意にキャノピー左側面に展開されたウインドウを目にした。彼はほんのわずかだが眉を潜めると。

「待て!」

 天を衝くほどの一喝が、闇夜にこだました。

 水を得た魚のように生き生きとした深紅の竜も、疲弊の色を隠せないゴドス部隊も、ピタリと動きが止まった。……ビークルのみがすぐさま旋回し、声の方角に銃口を向ける。

 闇の大地を埋め尽くす銀色が、海が割れるように二手に分かれた。その向こうから、ゆっくりとした足取りで水色のゴドスが現れた。今までの激闘が嘘のように静まり返り、ただひたすら、この敵の親玉とおぼしき水色の竜の、硬き鋼鉄の皮膚がこすれ合う音だけが辺りに響き渡る。

 ギルガメスは生つばを呑み込み、深紅の竜は姿勢を低くして強敵をにらみつける。……強敵の体格は深紅の竜の半分もないはずだが、尋常ならざる威圧感は体格の倍以上の迫力を解き放ってあまりある。

「私が相手になる」

 一方、ビークルを駆るエステルはこの異様な空気にも呑み込まれることなく、周囲を、そしてコントロールパネルが見せるさまざまな情報を注意深く観察している。それらの微妙な変化に気付いたとき、彼女はモニターに映る生徒に向けてささやいた。

「ギル、ギル、聞こえて?」

「はい、エステル先生」

 思いのほかしっかりした口調に、彼女の口元は少し緩んだ。

「どうやら、あいつが親玉のようね。一騎打ちを望んでいるわ」

「……受けて、立ちます」

 円らな瞳も生気に満ちあふれている。モニター越しに少年の状態を観察したエステルは、切れ長の蒼き瞳を一層細めた。彼女は力強くうなずいてみせた。それが合図だ。

 双児の月をあおいで雄叫びをあげた深紅の竜。すぐさま地を蹴り、深々と割れた銀の海の彼方へと突っ込んでいく。

 水色のゴドスは吠えもせず、静かに地を蹴ってみせる。

 土砂が舞い上がり、大小二匹の竜が向かっていく。ギルガメスは息巻いた。相棒の双剣で薙ぎ払ってみせる決意だ。間合いに入ってしまえばこっちのものだ、と。

 二匹の距離が縮まっていく。徐々に、徐々に。少年の手ににじむあぶら汗。ところが間合いまであと数歩となったところで、標的は高々と地を蹴った。

 前のめりで急停止した深紅の竜。ギルガメスの故郷アーミタに海はないが、もしかしたら津波とはこういうものではないかと彼は直感した。相棒の体格をもってしても夜空を見上げるよりほかなかったのだ。

 津波が、竜の巨体に襲いかかった。渾身の飛び蹴りだ。

 深紅の竜は桜花の翼をかざして受け止める。だがその圧力たるや、翼の堅い装甲にゴドスの蹴り足がめり込んだ。たまらず竜は片膝をつき、両腕を地につけてようやくの受け切り。ギルガメスはすぐさまレバーを押し返す。この強敵を跳ね返して逆襲に転じるつもりだ。

 ところが跳ね返すはずの桜花の翼が空を切った。思わぬ肩透かしにギルガメスは思わず息を呑んだ。

 水色のゴドスは桜花の翼を蹴り返した。バネのように跳躍すると、空中で車輪のごとく一回転。

 ギルガメスは強敵の正体を見失った。……人間同士の戦いなら相手の目をよく見て動きを観察するものだ。ゾイド同士も大差なく、頭部のコクピットをしっかり見つめる。それが強敵の空中回転で一瞬、どこにあるのかわからなくなってしまったのだ。

 あっ、と声を上げたとき、水色のゴドスは既に飛び後ろ蹴りを放つところ。少年はあわててレバーを捌く。深紅の竜は巨体を左に傾ける。

 肩口にかすった後ろ蹴り。たったそれだけで、深紅の竜の足元がふらついた。

 好機を逃す強敵ではない。水色のゴドスは着地とともに踏み込み、竜のふところまで飛び込むと両腕の爪で続けざまの突きをお見舞いする。

 コクピット内のギルガメスは、為す術もなく揺さぶられたままだ。水色のゴドスは体格などものともせず少年とその相棒を窮地に陥れている。

 彼らの危機は、後方より高鳴った数発の銃声がひとまず救った。ビークルから放たれた銃弾が、正確に狙撃を決める。

 水色のゴドスは両腕でガードを固めた。強敵の硬直を目にして、深紅の竜はすかさず後方へと飛び跳ね、間合いを取った。竜は少々、ギルガメスは荒々しく肩で息をする。

 後方に浮かぶビークルの機上で、エステルはぐるり、四方を見渡しにらみつける。……戦いを囲む銀色のゴドスの群れに動きはない。どうやら水色のゴドスとその乗り手は相当実力を信用されているようだ。

 彼女は内心ホッと胸をなで下ろすと、次いでコントロールパネルのモニターに映る少年の姿を観察する。……疲労の度合いは濃いが、円らな瞳はまだまだ、輝きを失っていない。彼女はうなずくと、モニターの向こうへとささやいた。

「ギル、ギル、聞こえて?

 受け切れそうにないなら、相手の『攻め』を『責め』なさい」

 奇妙なアドバイスに、ギルガメスは刮目した。

「相手の『攻め』を『責め』る……相手の、『攻め』を……」

 何度も反芻する。ウインドウが閉じられるや、少年は自らのTシャツの襟元をぐいとつかみ、双児の月を、星屑を映す天井を見上げて言い放つ。

「技を知りたい! この世で一番堅いものを、砕ける技はないか!?」

 声に応じて、ウインドウが開かれる。ワイヤーフレームの竜が軽快に動く姿を見て、少年はうなずいた。

 一方、水色のゴドスは余裕綽々で小刻みなステップを繰り返す。頭部コクピットに乗り込む異相の男は何とも自信ありげだ。

「ビークルの援護つきでようやく一人前か。ならば今のうちに倒すまで」

 水色のゴドスは再び疾走を開始。深紅の竜も負けじと地面を蹴り込む。

 土砂が爆ぜる中、竜二匹は引き寄せ合う磁石のように急接近。再び水色のゴドスは高々と跳躍。

 強敵の秘技を仰ぎ見た深紅の竜は、すぐさま腰を落とす。両翼の先端を空高く突き上げると、伸びる双剣の切先を交叉させて照準とする。

 強敵の飛び蹴りはいかに速く、重い一撃であっても、途中で軌道を修正できない。それが狙い目だ。ギルガメスは、深紅の竜は叫び、吠えた。

「エックスブレイカー!」

 一太刀目は左翼の剣で袈裟斬り。空気を震わす衝撃音とともに、空中で一回転をはじめる水色のゴドス。すかさず深紅の竜は、右翼の剣でも袈裟斬りを放つ。エックスブレイカー……神速の十字斬りは、回転とともに繰り出された水色のゴドスの二発目の蹴り足を正確に捉えた。

 蹴りと剣との激突は轟音を響かせ、夜空に火花を散らせる。蹴り足を捉えた右翼の剣を、深紅の竜は勢いよく振り切った。弾き飛ばされる水色のゴドス。

 しかし強敵の一撃も相当に重い。深紅の竜は足元をふらつかせる。衝撃の影響はギルガメスにも激しい目まいをもたらした。

 後方のエステルは異変の兆候を察知すると、すぐに前のめりになって檄を飛ばす。

「ギル、ひるまないで!」

 ハッと我に返った少年は、すぐにレバーを前に押し込んだ。額の刻印が、鼓動のように激しいテンポで明滅する。

 踏ん張る深紅の竜。勢いよく地面を蹴り、爆ぜる土砂を押しのけて間合いを詰める。

 水色のゴドスも負けてはいない。弾き飛ばされても自然に着地し、軽やかに地面を踏んで迎撃の開始。

 右腕を振り降ろす深紅の竜。右の爪を突く水色のゴドス。激突する両者の右手。二匹の竜の全身に埋め込まれた突起が凄まじいうなり声をあげて回転し、火花をふきこぼす。

 ギルガメスは脳天がしびれるような感覚に襲われ、目を白黒させていた。額の刻印が不規則に明滅し、彼の受けたダメージを表わすかのようだ。しかしこちらのダメージもさることながら、水色のゴドスが何らのダメージを受けた様子もないことに驚きを隠せない。

 エステルは依然、ビークルで後方からその様子をうかがいつつ、周囲の銀色のゴドスたちへの警戒を怠らない。このままだと攻防は硬直する……その予感はある。そうなった場合、いかに主君への忠誠心厚い連中と言えど、打てる手は打ってくるはずだ。

 ところがそのとき、水色のゴドスの頭部キャノピーが突如として、開いた。

 中から現れた異相の男の姿をギルガメスはしっかり覚えている。昼間、あらぬ嫌疑をかけて連行しようとしたあの男だ。

 異相の男はヤモリのようなまなざしでにらみつけながら大喝する。

「大したものだな、ギルガメス! そして魔装竜ジェノブレイカー」

 すると深紅の竜の胸部ハッチも開いた。円らな瞳をぎらつかせて少年が吠える。

「『ブレイカー』だ! こわすのは、運命だ!」

 にらみ合う二匹、そして二人。

 視線の交叉を断ち切ったのは水色のゴドスの側であった。

「その意地、どこまで貫き通せるか見せてもらうぞ。

 私は『水の総大将』。率いるは『水の軍団』である」

 オレンジ色の頭部キャノピーが閉じると、水色のゴドスは伸び切った右腕をスッと引き抜き、とんぼ返りして間合いを離す。

 それとともに、銀色のゴドスたちも潮が引くかのように一斉に後退していく。

 呆気に取られたギルガメス。だが全方位スクリーン左方と右方とに開いたウインドウから、その理由が告げられた。

「ギル、リゼリアの守備隊が近付いているわ。私たちもさっさと行きましょう」

 左方のウインドウは彼女の美貌、右方のウインドウは付近の鳥瞰図が映し出される。

 鳥瞰図は南北から接近する無数の光点を明らかにした。水の総大将と名乗った異相の男は、守備隊の接近を察知したがためにギルガメスと彼がブレイカーと呼ぶ深紅の竜に一騎打ちを挑んだのである。だが少年たちはどうにか持ちこたえたため、連中はあえなく撤退となった(※水の総大将が一騎打ちを挑んできた際、守備隊の接近が確認できたからこそエステルも受けて立つのを承諾したのだ)。

 胸部ハッチが閉じると、深紅の竜の胸元にビークルがふわりと降りてきた。それをガッチリつかんだ竜はきびすを返し、西の闇夜に向けて疾走を開始した。ほどなくして全方位スクリーンのウインドウが、東の星空に鋼鉄の海亀が浮上していく姿を映し出したところで、ようやくギルガメスは胸をなで下ろしたのである。

 

 小高い丘の上に深紅の竜が駆け上がったとき、朝焼けが闇の底からにじみはじめていた。

 深紅の竜は夜通しリゼリア平野を走り続けた。ひとまず水の軍団と名乗る連中からは逃れたが、かといってリゼリア守備隊が彼らを保護してくれる保証もない。……もっとも途中からは敵の影もなく、深紅の竜からすれば散歩同然の心地良い旅路と化していった。

 そして丘にたどり着くまでに、竜の胸部コクピット内ではギルガメスの負った傷が異様な早さで治癒していった。何しろ傷についてどうしようかと考えているうちに血のにじんでいた部分が妙にかゆくなっていったのだから驚く(※カサブタができた)。

 エステルはこれもこの不思議なゾイドの持つ機能だと言う。ギルガメスはとりあえず戦うたびにボロボロにはならないようだと、そこは現実的に考え安堵したが、それにしても奇妙な仕掛けである。なぜこんなにも仰々しい仕組みなのか。疑問は、残った。

 さて深紅の竜は丘に駆け上がると静かにビークルを地面に置き、次いで腹ばいになった。胸部ハッチが開き、中から疲れ切ったギルガメスが足元をふらつかせながら出てきた。それでも円らな瞳は生気を失わず、額の刻印も青白い輝きを放ち続けている。それが生き残ることができた証だ。

 ビークルからはエステルがコートをひるがえして降り立ち、つかつかとギルガメスのそばに寄ってきた。少年が不覚にも(ああ、良いにおいがただよってきた……)と感じている間に、彼女は自らのコートを少年の肩に引っ掛けてやった。

 ハッと我に返った彼の目の前に、エステルはタオルを差し出す。

「お疲れさま」

 切れ長の蒼き瞳を一層細め、微笑んでくる。ギルガメスは恐縮してタオルを受け取るよりほかない。おまけにタオルからも良いにおいが発せられているようで、彼はこのようなときによこしまなことを考える自分に呆れていた。

 この寒空でも止めどなくあふれる汗をぬぐいながら、ギルガメスは何か言葉を発しようとしたが、エステルが機先を制するようにつぶやいた。

「少し、休みましょう。陽が昇ったら近くの村に食べ物とか色々、調達してくるわ」

 その一言で、ようやく少年は安堵の表情を浮かべた。とりあえず今、追っ手を恐れるほどの危機は失せている。それがようやく実感できた。

 すると横から深紅の竜がぬっと鼻先を近付けてきた。そのままギルガメスの顔にピタリと押し当てる。いかに少年のほてり顔でも、夜風に当たり続けていた竜の鼻は相当に冷たい。

「ブレイカー、やめて!」

 彼は思わず叫んだ。しかし深紅の竜は両手でこの若き主人をつかむと、機嫌良さそうに顔や胸に押し当てていく。

 エステルは苦笑したが、同時に安心もした。

「どうやら仲良くなれたようね。『ブレイカー』……なるほど、良い名前だわ」

 ギルガメスとしては相棒が名前の一番嫌っていそうな部分を外しただけだが、あの強敵と相まみえていたとき、思いつくままにしゃべってみて、良い具合につじつまがあったのにすぎない。それでも相棒が喜んでくれたのは嬉しかったが、今はそれどころではなかった。

「エステル先生、やめさせて下さい! ブレイカー、やめて、やめてよ、冷たいから!」

 着々と夜は白んでいく。止まりかけていた少年の時計のネジは新たに巻き直された。釣られるように、止まっていた美女の時計も再び時を刻み始めたのである。

 

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