ギルガメスとブレイカーのゾイドバトル・デビュー戦は、悲喜こもごものこの日より十日ほど経ってから行なわれた。もう少しで冬を迎えようとしているリゼリア民族自治区では、各地で収穫祭とそれを記念したゾイドバトルの興行が開催されている。書き入れどきのこの機会を逸してしまうと、すぐのデビュー戦は遠のくに違いない。そこでエステルはこの地のゾイドウォリアー・ギルドに日参して実現したのである。
夕の食卓で話しを切り出されたギルガメスは円らな瞳を一層丸くし、しばらく咀嚼(そしゃく)の動きも止まってしまった。
その様子が少々エステルのいたずら心を刺激する。彼女は少年の瞳をのぞき込みながらつぶやいた。
「……やめておく?」
たちまち血相を変えた少年は、椅子から立ち上がって自分の意志を訴えた。
「いや、いやいやいや! やります、出ます! 絶対に、出ますっ!」
エステルは口元を抑え、吹き出しそうになってしまった。年相応の反応だ。だがそれ以上に、ここのところ沈みがちな少年が元気を取り戻したかに見えたため、彼女は一安心できた。少年も表面には出さぬよう努力してはいるが、やはりあのトライアウト直後の襲撃が相当堪えたようだ。練習のときはさほどでもないが、普段ふとしたときに動きを止めて考え込んでしまう彼の姿を何度も目にしていた。
かくして食事を再開した少年の円らな瞳には、不思議な輝きが灯りはじめている。
(ああ、試合の組み立て方を考えているのね)
それが容易に想像できて、エステルは苦笑した。
向こうでも猫のように丸くなっていたブレイカーがしばらく首をもたげたが、ちらりエステルと目線を合わせると相づちを打って首を伏せた。この優しいゾイドは主人の心の傷が少し癒えたことに安堵したのだ。何しろゾイドは口が聞けないので、人が心を痛めているときは何の力にもなれないことも多い。ブレイカーにとってエステルは怖い女性だが、こういうとき本当に心強いと思えた。
デビュー戦の日まで、時間はあっという間に経過した。短期間だが、文字通りの練習漬けの日々はギルガメスに揺るぎない自信を与えたかに見えた。
それがにわかに揺らいだのは、彼ら一行が試合場に到着したときである。
試合場はよくあるクレーター型のものだ。「最後の大戦」下で地面に着弾してできた大穴を再利用していることが多い。外周は分厚い防弾ガラスの埋め込まれた防護壁で囲まれており、その内部に観客席が設けられている(※試合中の流れ弾などのトラブルから身を守るためだ)。防護壁内は一般的な競技場と同様に簡素なベンチが数十段に渡って配置されている。つまり競技場の客席部分に防護壁が覆い被さっているのだ。そしてゾイドの入場口は試合場の直径の両端に二つ設けられており、そこに向かう通路は花道となる。
ブレイカーが花道に立ったとき、左右にひしめく観客は突如、地鳴りのような雄叫びを上げた。
密閉された胸部コクピット内部の至るところに青白い輝きが向けられる。ギルガメスの額にほとばしる刻印の輝きだ。田舎の興行にしては何とも桁外れな音量はギルガメスも今まで耳にしたことがなく、それだけで身震いしキョロキョロと全方位スクリーンを見渡してしまったのだが、続く声援には頭を抱えてしまった。
「ガイロス! ガイロス! ガイロス! ガイロス!」
「ジェノっ、ブレイカーっ! ジェノっ、ブレイカーっ!」
ガイロスとはかつてこの星に存在した国家の名前であり、ブレイカーの故郷である(と、少年は伝承で知っている)。そしてこの深紅の竜がひどく嫌うジェノサイド(殺戮)を冠した己の名前の連呼、連呼、連呼。刻印から相棒の苛立ちが伝わってきた。次いで、奥歯より違和感を感じた。相棒は歯ぎしりをしている。
「ブレイカー、ブレイカー。無視だよ、無視。無視しよう?
君が優しい子だってことは僕もエステル先生もわかってるからさ。だからあんなのは無視、無視」
ギルガメスはハーネスで押さえつけられた小さな身体をできる限り前にのめり、懸命になだめた。すると全方位スクリーンの左側にウインドウが開いた。
「ギル、大丈夫?」
ウインドウにはサングラスを額に持ち上げたエステルの姿が映し出された。ギルガメスは笑顔で応える。
「大丈夫です、ブレイカーはいい子だから」
ところがエステルの表情にはどこか険しさがうかがえてならない。腹を立てているようには見えないが、この絶世の美女は恐ろしい予知夢でも見てしまったかのような深い憂いをかすかににじませている。
ギルガメスがそこに気付いて円らな瞳を軽く見開いたとき、エステルは笑顔を浮かべてにじみ出る憂いを押し込めた。
「そうね、ブレイカーはいい子だものね。ブレイカー、ギルの言うことをちゃんと聞きなさいね」
彼女がそう語りかけたところでウインドウは閉じた。ギルガメスはホッと胸をなで下ろしたのである。きっと一瞬垣間見えたあの表情は気のせいに違いないと、自らに言い聞かせた。
さてエステルは例の銃器にはさまれた年代もののビークルを駆ってブレイカーのすぐ前を先行していた(※積み込まれた銃器は銃口をはじめ至るところに封印の張り紙が施されている。試合中の援護を禁止するためだ)。席上から彼女は首を傾けると、苛立つ深紅の竜に対して先ほど愛弟子に向けたまなざしを向けた。
ブレイカーは少し尻尾の先をピンと上げた。エステルのまなざしに驚いたのだが、切れ長の蒼き瞳からは鋭さとはかけ離れた憂いがうかがえる。この深紅の竜はその意味を理解した様子で、胸に乗せた主人には気付かれぬよう小さくうなずいてみせた。
「ありがとう」
エステルも小声で気持ちを伝えると正面を向き直し、深くため息をついた。
(ギル……『あなた自身は』本当に大丈夫なの?)
そう言うべきかどうか迷った挙げ句、結局彼女は言わなかった。
ギルガメスが相棒をなだめるので手一杯なのは、饒舌にすぎる語り口を見れば明らかだ。そして原因は彼の心の傷が癒え切っていないからだと、エステルは思い至ったのである。自信に満ち満ちた者が主人なら、相棒のゾイドに一言「静かに!」と叱責するだけで十分だろう。ゾイドは沢山の罵詈雑言よりも主人との信頼関係を優先する生き物だが、少年はいまだそういう境地にたどり着けてはいない。
しかしそういう結論を出してなお彼女が深く追及しなかったのは、少年が何とか持ちこたえようと一人で懸命に頑張っているからである。彼の成長を願うなら、ここで口をはさむのはかえってその芽を摘むことにもなりかねない。
だから彼女は、さまざまな願いといざというときのための算段、そして決意とを全て胸に秘めつつおもむろに額に掲げたサングラスを戻したのである。
やがて覆い被さってきた巨大な影の彼方をブレイカーはじっと見つめた。試合場を囲む防護壁がそびえ、その中央に自分の三倍ほどの高さ・幅はあろうかという入場口が開かれている。
一旦、薄暗い闇に覆われる視界。入場口をくぐり抜けたところでブレイカーは両翼の先端を頭上にかざしてみた。不意の陽射しを防ぐためだ。胸部コクピット内のギルガメスは一瞬右手をかざしはしたが、竜のアイディアは案外に効果があった。
ありがとうと少年が礼を言えば、深紅の竜も甲高く鳴いて相槌する。それで彼らは気持ちを切り換え、足元をぐるりと見渡す。
すり鉢状の斜面が数十メートルに渡って続いており、斜面のふもとはため池から水を抜き取り何年も風雨にさらしたかのような広場になっている。ギルガメスは円らな瞳で目算した。……直径だけ見てもざっと自分の相棒十匹分以上はある。
そして左右にはすり鉢のへりが伸びており、両手の指では数え切れないほどのゴーレムが待機している。彼らは何らかのトラブルで試合が継続できなくなったときに割って入る審判用のゾイドだ。
先行するビークルはここで右方にそれた。このへりはリングサイドであり、試合に臨むゾイド以外はここより下に降りてはならないのである。
さて機上のエステルは、立ち上がるとサングラスを今一度持ち上げる。鋭く輝く蒼きまなざしに、屈託のない笑み。そして何も言わず、ただこくりとうなずいた。……その笑顔が未来を予見し確信した戦女神のように力強かったから、ギルガメスは魅入ってしまった。彼女はまなざしの向こうに、少年の勝利以外の光景を万に一つも思い浮かべたりはしていないのだ。これ以上の激励があるものか。少年は顔を紅潮させた。
「ブレイカー、いくよ」
若き主人の呼びかけにこたえて、ブレイカーは短く鳴くとふわりと飛び跳ねた。すり鉢状の斜面をあっさり越え、地響きとともに広場へと着地すればそれだけで砂ぼこりが舞う。防弾ガラスが埋め込まれた防護壁の内側には既に多数の観客がベンチに座っているが、彼らは一斉に歓声を上げた。その振動は十分、この試合場内へと伝わってくる。
この深紅の竜はそんなものなど気にする様子も見せず、ただ腰をじっくり落として向かいの斜面でもうもうと舞い上がる砂ぼこりをにらんだ。
軽快に、斜面を蹴って降りてくる紺色の獣が一匹。槍の穂先のように鋭い面構え。全身至るところが金色に彩られており、華々しく疾駆すれば美しき軌跡を残す。ただ一点、背中には無骨なガトリング砲が積まれ、華美な中にも戦いに生きる宿命を背負う者とはっきり見て取れる。その名もシャドーフォックス。ヘリック共和国の歴史的には吸血部
隊「閃光師団」の主力として名高い狡猾な狐によく似たゾイドである。
紺色の狐・シャドーフォックスが広場に降り立つとたちまち四方の防護壁から沢山のブーイングが上がった。既にこの試合場では善玉・悪玉の見立てがはっきり決まっている。だがこの紺色の狐は知ったことかといった風に天を見上げ、遠吠えしてみせた。その体躯は物々しい翼や鶏冠がない分深紅の竜より小さく見えるが、裏返せばまことに精悍と言える。
そのわずか一挙動だけで、ギルガメスは目前のシャドーフォックスとそのパイロットが相当な経験を積んでいると直感できた。何しろ堂々としすぎている。少年は思わず身震いしてしまう。
するとトントンと、胸を軽く叩かれるような感触を受けた。相棒が、コクピットを指先で叩いているのだ。若き主人を落ち着かせるために……。
シンクロを通じて伝わる感触は優しい。鼓動は否応無しに高まっていくが、それでも少しはマシな状態になった。少年の頬は心持ち緩んだが、彼は決意を新たにすると全方位スクリーンの向こうを厳しくにらむ。
秋晴れの空に両者のコールが、そして試合開始を告げるブザーが高らかに響き渡った。
大きく息を吐き出すギルガメス。両手のレバーを捌こうとしたとき、早くも全方位スクリーンの左側のウインドウが開いた。
「ギル、右に! 右に跳ねて!」
試合開始からいきなりエステルの怒号が耳に飛び込んできたものだから、ギルガメスははっとなった。それもそのはず、彼が息を吐いたその瞬間、既にシャドーフォックスは反時計回りに軽快なダッシュを仕掛けてきたのだ。あまりの速さに、彼は視界から消えたという事実さえすぐに認識できていない。
とっさにギルガメスはレバーを押し込み、アクセルを踏む。
砕ける岩盤。ブレイカーの強烈な踏み込みは、だが神速で鳴らすこのゾイドの弱点そのものでもある。この深紅の竜は恐ろしく速いが、すぐには加速できないので地面を強く蹴って勢いをつけるのだ。
そこを突かんとすべく、怒涛の勢いでシャドーフォックスが地を駆ける。またたく間に間合いを詰め、そして跳躍。右前足を振り上げ、鋭い爪で狙うは竜の首。
跳ねる岩盤を切り裂くように飛び込んだシャドーフォックス。着地点は、竜の足元わずかに半歩付近。すかさず、ゴムまりのごとく二度目の跳躍に転じる。
ブレイカーは再度、右へ跳ねてかわす。砂ぼこりが舞う中、紺色の狐が到達した二度目の着地点には竜が地を蹴った痕跡がくっきりと残っている。間合いを着々と縮められているのは明らかだ。
次はブレイカーの足首に爪を突き立てられてしまうに違いない。そう直感したギルガメスはレバーを細かく刻む。
かくして三度目の跳躍に両者が転じたとき、攻防は別の彩りを放った。紺色の狐は同じようにゴムまりの跳躍。対する深紅の竜は一旦右足を後ろに、左足を前に伸ばして踏ん張ると、低い姿勢で疾駆に転じる。
地を滑る深紅の竜。頭上を狐が抜けていく。交叉し、そして勢いのまま十分に離れた両者の間合い。くるりと両者が振り向いたとき、異変は竜の左肩に生じていた。……装甲をえぐる弾痕が数発。
狐の背負ったガトリング砲の銃身が、バチバチと放電している。狐はこれみよがしに屈んでみせると、ガトリング砲の基部が機械仕掛けのおもちゃのように右に左に回転する。すれ違いざまに基部を動かし浴びせたというわけか。
「ギル、肩は大丈夫!?」
全方位スクリーン左方にウインドウが開き、今にも飛び出さんばかりの形相で怒鳴るエステルの顔が映し出された。オーガノイドシステムのシンクロ機能はパイロットの五体にもダメージを再現する副作用があるが、彼女の心配は必ずしもそこではない。
ビークルに据えつけられたモニターが愛弟子の姿を映し出す。覆い被さるようにして見つめた美貌の女教師は、暗い炎のような怒りに駆られた。……愛弟子の着るTシャツは、左肩が鮮血で染まっている。だがいくらシンクロの副作用とはいえ、彼の身体に再現された傷はゾイドバトル用の銃砲で受ける限度を大幅に超えているではないか。明らかに、レギュレーション違反だ。
「ちょっと大丈夫じゃあないかも……ブレイカー、ごめん」
ギルガメスは見上げると申し訳なさそうに、コクピットを覆う装甲の上にあるだろう相棒の頭部に向けて話しかけた。
だがエステルは愛弟子の様子に少し安心もした。レギュレーション違反については気付いていないようだが、相棒を気遣う余裕は十分にある。彼女は沸き上がる怒りを押し込めると努めて口調を抑えつつモニターに向けてささやいた。
「ギル、そいつの技は『すれ違わなければ使えない』のだからね?
だからもっと、もっと引きつけて」
彼女の一言に、少年はハッとなった。円らな瞳に勝負師の野心と研究者の好奇心とが同時に降臨したかのような不思議な輝きが宿る。
エステルは相手のレギュレーション違反についてギルガメスに告げなかったことに若干の迷いがあった。抗議をしないのは、甘いのではないか。抗議次第では試合が一時中断され、場合によっては即刻相手の反則負けもあり得るからだ。だがそれが少年にとって得難い経験になるかと問われれば、それも言葉が詰まる。
彼女はモニター越しにもキラキラ輝く円らな瞳をじっと見つめ、迷いを断ち切ると座席に着席した。実はもっと大事な不安がそこにはあるのだが、今だけは全て彼のために我慢を決め込んだ。
ささやいている間にも、シャドーフォックスは雄叫びを上げつつ急接近。円らな瞳はその輝きを標的に向け放つ。ブレイカーはまたしても右へ、右へと跳ねてみせる。
さっきと同じように、ゴムまりが跳ねる。一撃、また一撃、間合いがあっという間に縮まる。次の跳躍で両者の交叉は確実だ。息をつかず、跳ねたゴムまり。間合いが一気に縮まったとき、ギルガメスは叫んだ。
「ブレイカー、尻尾だ!」
すかさず巨体をひねった深紅の竜。左足を軸に時計回りに回転すれば、長い尻尾は太く長い鋼鉄の鞭と化す。
尻尾の回し打ちは今まさに、跳躍の勢いのまま竜の右側をすれ違わんとした紺色の狐に浴びせられた。空中ではたかれたゴムまりは、奇妙な角度で地面に叩きつけられゴロゴロと転がっていく。
ブレイカーは無理には負わず、さっきよりもまた大きく間合いを離すと巨体を低く構えて強敵を厳しくにらむ。余裕とも用心深いともとれる格好には防護壁内の観客も静かではいられない。歓声が上がれば怒号も飛び交う。
一方ギルガメスはすぐにやり返すことができたからなのか、鼻高々だ。
「これも相手の『攻め』を責め』る……ですね? エステル先生!」
少年の声は明るい。戦う者にとって一番の良薬は勝つことだ。そこにまだ至ってはいないが、少し近付いたかに見えるのは大きい。この調子のまま行ってくれれば……とエステルが淡い希望と願いを抱いたとき、強敵は動いた。
シャドーフォックスは一旦、すり鉢の斜面辺りまで大きく間合いを離すと右に、左に、稲妻のような軌跡を描く。……いやそれだけではない。その側面から噴出し、巨体を覆う真っ黒い煙。これは煙幕だ。稲妻の軌跡と相まって、地上に黒雲を演出するとそのままガトリング砲の乱れ撃ち。
ブレイカーはすかさず桜花の翼を前面に向けた。銃撃を受け止めながら、翼の下から反撃の隙を待たんと黒雲の中をじっとにらむ。
いくら黒雲に隠れようが、銃撃の軌跡は読めるのだ。ギルガメスもスクリーンの先をにらみつけ、今まさに銃撃が止んだ瞬間を円らな瞳に捉えた。つまり跳躍し、爪を振りかざして突っ込んでくるときだ。
黒雲の中から躍り出たシャドーフォックス。跳躍の高度は思いのほか、低い。桜花の翼を広げるブレイカー。ところがそのとき、全方位スクリーン左方のウインドウは血相を変えたエステルの表情を映し出した。
「ギル、逃げて!」
そう彼女が叫んだとき、ギルガメスは目前に迫る敵を翼の刃で斬りつけるつもりでレバーを大きく押し出そうとしていたところだ。少年は一瞬、躊躇した。
果たしてシャドーフォックスは、ブレイカーの目前で着地するやクルリと尻尾を向けてみせた。そこそこ長い尻尾の中より、放たれたのは鋼鉄の投げ網。紺色の狐は射出するとすぐさまUターンして遠ざかる。
大きく広がった網はブレイカーの巨体を覆うや、バチバチと音を立てる。
たちまち少年はハーネスを跳ね返さんばかりの勢いで仰け反った。声にならない悲鳴がコクピット内部に響き渡る。投げ網には電流が流れている。
コクピット外ではどうか。ブレイカーの全身を覆う装甲の隙間に投げ網が食い込んでいく。やむを得ず、竜はひとまずうずくまって急場をしのぐ。むやみに暴れたら状況は悪化の一途をたどるのみだ。しかし敵は容赦ない。
シャドーフォックスは十分に間合いを離した上で背中のガトリング砲を乱射、乱射。そうしてゆっくりと歩を進めてくる。遠い間合いからの射撃ゆえか、序盤の交叉のように一気に装甲をえぐられたりはしない。だが時間の問題とも言える。
まじまじと戦況を見つめたエステル。背後の防護壁より怒号や悲鳴が飛び交う中、彼女はサングラスを外すとモニターに向かってささやいた。
「ギル、ギル、聞こえて?」
「はい、エステル先生」
モニターに映る愛弟子は肩で息をしている。……これまでか。だが円らな瞳に輝きは失われず、おまけに何かしようとしきりにレバーを細かく刻んでいるではないか。彼女は意を決した。
「……ギル、私が逃げろって言ったとき、反応できた?」
そう、話しかけると少年は悔しそうに答えた。
「反応、し切れなかったです」
エステルは切れ長の蒼き瞳をカッと見開く。
「どっちに逃げようとしたの? 右? 左?」
「え……ひ、左です。左のはずです」
ギルはとっさに返事した。エステルはうなずくと、努めて抑えた口調で説いて聞かせた。
「左の鶏冠を、広げられるだけ広げて」
言われるままに、ギルガメスはレバーを刻む。
求めに応じてブレイカーは左の鶏冠三本を持ち上げられるだけ持ち上げてみせる。左に逃げようとしたということは、身体の左側が若干でも投げ網から逃れている可能性があるからだ。投げ網は思いのほか強靭でそれほど持ち上がりはしないが、心持ち、被さった投げ網の各部が引っ張られて広がっている。それで十分とエステルは深くうなずいた。
「次はね、左の肘よ。肘のとがりを網に引っ掛けて、後ろに肘打ちする要領で隙間を広げて」
銃撃の乱射で全身しびれる中、それでもギルガメスは懸命にレバーを引き絞ってみる。何度も、何度も。
果たして徐々に、徐々に、投げ網を構成する太く寄り合わされた鋼鉄のロープが切れ始めたのだ。
そこでエステルははじめて叫んだ。
「左手を出せれば十分よ。
地面に手をついて、あお向けに勢いよくひっくり返りなさい。そして翼も鶏冠も目一杯、広げなさい!」
そう、彼女が指示を送っているときのことだ。鋼鉄のロープが数カ所、弾けるように切れたのは。投げ網が、破られた。
すかさずブレイカーは破れた箇所から左手を伸ばすと、そのまま地面に叩きつける。強力なつっかえ棒だ。
メキメキと地面がヒビ割れ、その反動で竜は勢いよくひっくり返った。強靭な鋼鉄の網も所詮は覆い被さっていただけだ。至るところが緩み、めくれ上がる。
すぐさま竜は翼を目一杯に広げ、鶏冠を逆立て蒼い炎を吐き出してみせる。
深紅の巨体はあお向けという奇妙な格好でふわりと浮き上がるとともに、至るところがほつれ、引き裂かれた投げ網の成れの果てがバラバラと地面に落ちていた。
「やった! 外れたぞ!」
天地逆転のおかげでボサ髪もTシャツもひっくり返ったまま、ギルガメスは思わず叫んだ。気持ちのわずかな緩みをたしなめるように、エステルが言い放つ。
「ギル、来るわよ!」
猛然と駆けはじめたシャドーフォックス。こんな馬鹿げたやり方で必殺の罠を抜け出されたのだ。あっさり形勢を挽回されるわけにはいかない。
空中で一回転し、ふわりと着地した深紅の竜。全身の突起がたちまちうなりを上げて回転し、火花を吹きこぼす。
そこにひときわ高く跳躍してきた紺色の狐。振り上げたるは右の爪。狙うは深紅の竜の胸部コクピット、小細工なしの一撃必殺狙い。
それが今日、はっきり見て取れたギルガメス。額の刻印がひときわまぶしく輝いた。やるべきことはただ一つ。相手の「攻め」を「責め」る!
「エックスブレイカー!」
両翼の双剣を展開させると左に、右に、神速の十字斬り。左の袈裟斬りで狐の右の爪を払い、右の袈裟斬りでなおも食い下がる狐の二の矢・左の爪を払ってのける。
失速し、頭上に落下してきた紺色の狐を、深紅の竜は桜花の翼で受け止め、跳ね返した。
かくして固い地面に叩きつけられ、海老反るようにけいれんする紺色の狐。
ブレイカーは桜花の翼を地面と水平に広げたままにらみつける。けいれんする狐の身体が停止してもじっと、じっと。
停止したまま二秒、三秒と待ってみても、狐は身体を持ち上げはしない。……ギルガメスは全身から沸き上がる衝動を抑えるので手一杯だ。ゾイドウォリアーとしての、プロフェッショナルとしての、初勝利の瞬間。エステルも切れ長の蒼き瞳を晒したままビークルから身を乗り出す。
だがそれはひどい悪意によってかき消されてしまったのである。
胸部コクピットの頭上に、そしてビークルのスピーカーに響いたノイズ混じりの低い声。ギルガメスは戦慄し、エステルは目を剥いた。
「惑星Ziの平和のために……!」
声とともに、ゾイドバトルという興行では決してあってはならないことが起きた。爆発。天を衝く轟音とともに紺色の狐はバラバラに砕け散り、固い地面までもが弾け飛んだ。
少年も美貌の女教師も呆気に取られた。とっさに桜花の翼をかざしていた深紅の竜もポカンと口を開けてしまった。
さっきまでそこに立ちこめていた異様な殺意は、師弟にはあまりにも簡単だが重大なヒントを残し、そこから消え去っていた。
そんなことは露知らず、防護壁に隠れる観客はこの理不尽な結末を前にして、床を一斉に踏み鳴らして歓喜の声を上げていたのである。
秋晴れの空に銃声と轟音、野次と怒号が今も鳴り響いている。
ギルガメスはただよう雲を仰ぎ見てため息をついた。円らな瞳はずっと潤んだまま。すると頭上から彼の顔の辺りにぬっとブレイカーの鼻先が近付いてきた。竜の両手にはビークルが握られ、その座席上に少年はちょこんと座っている。
相棒の鼻先にキスしてやる少年の表情には、なかなか憂いが抜けない。……ギルガメスの初陣は勝利で終わったが、ひどい難癖がついた。彼の監督役であるエステルは今も審判団に尋問を受けている。
相手のゾイドは試合終了直後に爆発、パイロットは死亡した。ジュニアハイスクール時代も含めてゾイドバトルの試合としてははじめての経験であり、これだけでもギルガメスの心情はひどく揺れ動いてやまないのだが、くわえてその故意性が疑われたのだ。ただしギルガメスは未成年であるため、まずは監督役であるエステルが呼ばれたわけである。
少年主従はここ、試合場を囲む防護壁の一角に設けられた審判団の詰め所前の広場に留まっている。……今の彼が置かれる状況は、一歩引いて彼らの周囲を見ればよくわかる。十数名の無骨な鎧をまとった兵士、それに数体のゴーレムが包囲・立哨中ときた。万が一の逃走を警戒してのものだ。
ならばパイロットとゾイドは引き離すのが筋であろうが、まだ容疑の段階にすぎない上に、この広場を隔てるずっと向こうの金網には多数の観戦者がこの若き英雄の姿を拝みにきている始末だ。連中は今もやかましく、兵士らに向かって「おまえらどけよ!」「ジェノブレイカーが見えないだろ!」と騒いでいる。暴徒化されてはたまらないから、審判団も下手なことはできない。
もっとも傷心のギルガメスがそこまで思い至るはずもなく、彼はひたすらエステルが無事に帰ってくるのを待つしかなかった。
少年の憂いの時間は、彼の体感とは裏腹にそれほど掛からなかった。詰め所の玄関から現れた背広姿の女性は、先導する数名の兵士よりも背が高い上にサングラスと肩にも届かぬ黒の短髪がよく目立つ。エステルだ。まるでファッションショーの人気モデルのように優雅かつ軽快に歩いてきた。
感極まって立ち上がると、ビークルから飛び降りて駆け寄っていったギルガメス。ブレイカーもまずは一安心と短い首をもたげて見守るが、早速少年は、円らな瞳に溜めに溜めていた涙をぼろぼろとこぼしはじめたものだから、深紅の竜は何か言いたげに口を半開きにした。
髪をかき上げたエステルは最初は申し訳なさそうに、次いで優しくも少し呆れた風に応えた。
「待たせて、ごめんね。……なぁに、そんな顔して」
ギルガメスは答えようもない。エステルはため息をつくとポケットのハンカチを差し出した。
「まだ言ってなかったわよね。初勝利、おめでとう」
顔を見上げた少年は、女教師がサングラスで表情を隠しながらも口元は自然な微笑みを浮かべていたことに心底安堵した。黙って差し出されたハンカチを受け取り、涙を拭き取る。
彼が顔を伏せている間に、女教師はサングラスを額に上げた。切れ長の蒼き瞳でギロリと周囲の兵士をひとにらみ。斬りつけるようなまなざしを浴びた彼らは皆一様にひるみ、顔を引きつらせると、ほうほうの体で詰め所に引き上げていった。
その様子を見つめたブレイカーはエステルに向かって小さく鳴いてみせる。
「そうね、ギルもブレイカーも、傷は大丈夫?」
ギルガメスは着替えたばかりのTシャツの左肩をめくる(※試合中に来ていた分は鮮血で染まってしまったため、試合終了後すぐに着替えた)。大きなカサブタが数個、残っている。相棒の治癒能力のおかげだ。ブレイカーの左肩も傷跡は目立つが油の漏れは止まっている。優しい竜は甲高く鳴いて答えた。
エステルは安堵の表情を浮かべるとつぶやいた。
「宿に行きましょう。その間に色々話してあげるわ」
昼下がりの平原を深紅の竜は軽快に駆ける。試合終了後間もないこともあって速度はこのゾイドにしては控えめだが、余力ありなのか、それとも回復したのか……いずれにしろ思いのほか元気だ。
例によって竜の両手にはビークルが抱えられている。ビークルに搭乗したエステルは右手で頬杖しながら淡々と、竜の胸部コクピット内に着席する愛弟子に語って聞かせた。
彼女が釈放された直接の理由は簡単だ。絶命したシャドーフォックスのボイスレコーダーに例の断末魔が残っていたからだ。エステルとともにこれを聞いた審判団の連中は皆一様に青ざめ、尋問はいきなり中止された。……誰もが水の軍団とは関わりあいたくないと考えているのであれば、当然の対応かもしれない。
だが問題は、どういう手を使っているかわからないが、こんな奴がゾイドウォリアーとして登録されているということだ。そして連中との試合を回避するのは難しいということ。また、試合では確実かつ巧妙にレギュレーション違反をしてくるだろうこと(当然だ、連中は試合中の事故に見せかけてギルガメスたちを始末したいのだ)。今後、ギルガメスは試合の形をとった殺し合いを宿命づけられたと言える。
ギルガメスはぽつりとつぶやいた。
「わかりました。……負けないように、頑張ります」
少年が浮かべた微笑みをビークルのモニター越しに見たエステルは口元を抑え、ため息をこらえた。己の余命がいくばくもないと知ったとき、ほとんどの者はこういう諦めのにじみ出た笑顔を浮かべるのだ。それを察してしまって、エステルは唇を噛んで悔やんだ。