うたかたショートストーリー、またはやる気のない短編集 作:塩崎廻音
雨の日は近所の公園まで散歩に出かけることが多い。自分でもちょっと変わってるかな?とは思うのだが、雨の日の街中の雰囲気は嫌いではないのだ。雪が降ると色々な音が雪に吸われて静かになるというが、雑音が雨音に隠されてざあざあという音だけになった世界も、なかなかに好みだ。
雨が降る街並みを進む。この街には越してきたばかりだ。今の大学に入ることが決まった際に、大学が実家から遠く離れていたため自然と一人暮らしをすることになった。恋人の椎菜と同棲するという選択肢もなくはなかったが、大学と椎菜の職場との距離がそこそこあったのでそれぞれで一人暮らしすることにした。通勤通学時間の問題はけっこう馬鹿にならない。
そうして俺の一人暮らしは決まったわけだが、住む町の選択肢はいくつかあった。この町は大学までそこそこ距離があり、歩けば40分から50分くらいかかる。不断は健康のために歩いて通学しているが、寝坊したときなんかは電車を使う。正直なところ、通学の都合だけを考えればもっといい場所があったのは確かだ。
雨が降る街並みを進む。数メートル先にちょくちょく立ち寄る古本屋が見えるが、今日は閉まっている。以前店長の爺さんに聞いた話によると、雨が降ると湿気で本が傷むため、とっとと閉店して本を守っているのだそうだ。ただ、個人的にはこの話は多少の欺瞞があると思う。爺さんが本を大切にしているのは確かだろうが、一番の理由は雨が降ると気分が盛り下がるのでとっとと休みたくなるからだと思う。爺さんは俺と違って雨が嫌いなのだ。
古本屋の斜め向かいにあるパン屋の店長は、古本屋の爺さんとは違って雨好きの同士だ。曰く、「雨の日はパンがよりしっとりふっくら焼ける」とのこと。これも眉唾で、単に店長のテンションが上がって調子が良くなるだけだと思う。ただ、いずれにしろ雨の日に店長の機嫌がよくなることには違いない。パンはいつもより安くなるし、雨の日の気まぐれ総菜パンなんてものが売り出されるので、わざわざ雨の日に足を運ぶ常連客もそこそこいる。今日も店内を覗いてみると数人の主婦が店長と談笑している。折角だし、公園の帰り道に寄って帰ろう。
さらに街を進む。路地の奥に見えるインテリアショップ?は前から気になっているが寄ったことはない。棚に並べられた商品にはなかなかに興味をそそられるのだが、かといって家に飾っても仕方がないという面もある。俺も椎菜もこういうのが特別好きなわけでもないので、それほど縁がないのだ。逆に今まで縁遠かったものに触れてみるのも経験だという思いもあるが、はてさて。とりあえず、今のところは後回しになっている。
酒屋を改装したらしいコンビニ(今時珍しい引き戸のコンビニだ)、坂の上の蕎麦屋。それらを尻目に先へ進むと、やがて道路から少し下がった川沿いの場所に公園が見えてくる。公園といっても川沿いだから、幅はそんなにない。ただ、対岸も同じように公園になっていて街路樹も沢山植えてあるため、見える景色はなかなか良かったりする。
他の選択肢もある中でこの街を選んだ理由は、単にこの街が一番住みやすそうだと思ったからだ。駅前の発展具合や交通の便で言うと大したことはないが、こうやって街中を歩いた時に見える景色が、他の街よりずっと俺の趣味に合っていると思ったのだ。
大学に通うのは二度目だが、前の大学に通っていた時に住んでいた街はあまり住みやすい場所ではなかった。色々な店が集まっていたので物を手に入れるのは楽だったのだが、街を歩いても大手のチェーンや量産品店ばかりで面白味がない。それに、何をするにも急かされているような気分になるあの街は、今になってみればだいぶ息苦しかったなと思ってしまう。
公園に着く。この公園に来るのは五度目だが、いつ見ても個々の景観は素晴らしい。緑が生い茂る地面と、川と、対岸の木々。川の水面が雨に叩かれて反射する景色が霞んで見えるのも、それはそれでいいものだ。
対岸の景色を横目に、木陰にあつらえられた木の椅子へと移動する。この椅子は上手く木々の枝の屋根に守られていて、よほどの雨が降らなければ濡れることがない。この公園に来るときはいつも、この椅子に座って本よ読むのが習慣になっている。晴れの日は木陰になり、雨が降っていると自然の傘ができるこの場所は、ゆっくりと時間を過ごすのにぴったりなのだ。
木の椅子に座り、カバンから読みかけの小説を取り出す。この小説は電車での移動時間や授業の合間なんかに読み進めているのだが、普段歩いて通っていること、授業の合間は移動時間に費やされることが多いことから、なかなか先に進まない。それでも少しずつ読み進めて最近クライマックスに近づいてきたため、先が気になるようになって合間の時間では物足りないのだ。家で読んでもいいのだが、今日は折角雨が降っているので、こうしていつもの公園まで繰り出してきたのだ。
本を開く。小説の内容はごく普通の「入れ替わりモノ」で、親の言いつけに逆らわずに育った良家の女の子と、平凡な親を恥ずかしく思ってその言葉にいちいち反発する男の子が入れ替わり、それぞれの人生に影響を与えていくというもの。なんてことはない平凡な小説であったが、親の言うことに従うことを良しとしない男主人公の心情が、まるでかつての自分を見ているようでどうにもシンパシーを感じてしまうのだ。
俺の両親はごく普通の一般人だ。父は地元の中小企業で万年平社員をやっているような何の変哲もないサラリーマンだし、母はそんな父の収入の足しすべく少々のパートをやっている普通の主婦。強いて言えば、二人ともそこそこの大学を出ているらしいことだけは人並み以上なのだろうか。ただ、普段の両親の様子を見ていると、あまり優秀な人間であるという印象は受けない。
さて、そんな両親の元に生まれた俺であるが、両親を尊敬したことはほとんどない。流石に、これまで育ててもらった恩を忘れるほどの恩知らずではないが、かと言って両親の人生を見習って生きようと思えたためしもない。何せ両親そろって向上心の欠片もなく、いまだにパソコンの使い方ひとつまともに覚えなかったり、自分で料理が作れないから基本的にスーパーの総菜で済ませたりと、尊敬させてくれる要素が見当たらない。軽蔑こそしていないが、正直「こんな大人にはなりたくない」と幼いころから思い続けている。
そんなわけで、当然俺はそんな両親の言うことにいちいち反発してきたわけだ。高校入試で判定が厳しいから妥協しろと言われれば無視し、部活にのめりこみ過ぎで将来が心配だといわれればなおさら部活に精を出し。そんな風に何を言っても反発する俺などは放っておけばいいのに、なおのことあれこれと口を出す両親に対して俺は大いに反発した。極めつけは大学入試の時。当時音楽の道を志していた俺は、仕事がなくなるからとそれまでで一番の勢いで反対した両親をまたも無視して、東京の音大を受験した。幸いにしてその音大には受かったものの、流石に見限られたのかそれ以降は何をやっても口を出されることはなくなった。
その頃は静かになってよかったなんて思っていたけど、今思うともうちょっとこちらから歩み寄っても良かったかもしれないとは思う。
この小説の主人公は、まさしくそんな過去の俺と同じような道を歩んでいるように思えた。だから、特に新鮮さもないはずのその小説に妙にはまり込んでしまった。その主人公が親の言うことに逆らえない女の子を変えてやろうと決心すれば心からその姿を応援できたし、女の子の親に啖呵を切ったときは胸がすくようだった。そうやってはまり込んでいるうちに、いつの間にかその小説の最後まで読み切ってしまっていた。いつもなら周囲の様子を眺めつつ少しずつ読み進めるのに、今日はすっかり没頭していた。
興奮冷めやらぬままに、その小説のその後を妄想する。小説では、両親の束縛を振り切った女の子が自分の夢に向かって踏み出したところで終わる。かつて自分の夢のために両親の反対を押し切った自分としてはとても感動できるラストではあるのだが、それだけに自分の人生を投影した「その後」というのが、どうしても頭に浮かんできてしまう。
高校のころは、音大に入ることができれば音楽家への道は自然と拓けると思って居た。もちろん、プロオーケストラの新団員というのはとても狭い門であることは聞いていたし、世の中にクラシック音楽の仕事はかなり少ないものだということも知っていた。ただ、それでも大学で一生懸命頑張れば、何かしらの仕事に着くことはできるんじゃないかと思っていた。それまでは、自分の思う通りに色々なことに挑戦してきたし、そのすべてである程度の実績を残すことができていた。だから、自分が努力できる人間であることに自負はあったし、最終的にはそれが成果につながると信じて疑わなかった。
だけど、音大での生活はそんな俺の自信をたやすく打ち砕いていった。そもそも、音大に集まるのはそういう努力ができてきた人間ばかり。つまり、頑張ることができてようやく人並みであって、それ以上の何かがなければ同級生にすら勝つことができない。さらに、周りの人間の中には俺が努力してこなしていることを努力と思わずにできてしまう人間が何人もいた。といっても、才能の違いだとかそういうわけではない。音楽に対するスタンスの違い。彼らにとって、勉強や練習すらも「努力」ではなく「楽しみ」であったということ。俺がいくら気合を入れて頑張ったところで、同じことを楽しんでやっている人間に勝る道理がない。
結局、俺は音大を卒業することはできたものの、その先の仕事につなげることはできなかった。そもそも、音大で見てきた俺とは違う同級生たちと同じステージで戦うことに耐えられなかったわけだが。
そういうわけで、俺は夢に向かって挑戦することは必ずしも成功への道ではないことを身をもって知っている。だから、小説の中で親の意向に逆らって一歩踏み出した女の子のその後が、無性に気になってしまうのだ。あの子は、自分の夢をつかみ取ることができたのか。それとも、志半ばで挫折し、俺のように別の生き方を模索するようになったのだろうか。
しばらく考え事をしていると、対岸の道に楽器のケースを背負った大学生の姿が見えた。雨で楽器が濡れないようにと四苦八苦しながら歩いている。恐らく、大学の音楽サークルに入っている人だろうか。俺は大学に入りなおしてからは音楽とちょっと距離を置いているので、サークルにはまだ入っていない。音楽との付き合い方も模索中なのだ。
音大の生活で学んだことで一番大きなものは、俺にとって音楽は趣味の域を出ないということだった。人生と音楽を切り離すことはできないものの、それを人生の主軸に置くこともできない。だから、それがあって当然のように音楽に対して向き合っているような同級生たちに勝ることができなかった。そして、それが悔しいと思うことも最後までできなかった。仕事が見つからなかったのは、実力不足以外にそういった自分に対する迷いがあったというのも大きい。
自分にとって音楽は人生を賭けるものではなかった。だから、もう一度自分が何をしたいかを見つめなおすために、大学へ入りなおすことにしたのだ。父親には散々嫌味を言われた。まあ、当たり前だ。あれほど反対されたのを押し切って音楽への道へ進んだ癖に、あっさりと挫折して普通の生き方に戻ってきてしまったのだから。やはり世の中は甘くない、お前はそれを分からずに人生を何年も無駄にしたとは父の談。これは甘んじて受け入れようと思う。
ただ、俺は音大での日々は無駄ではなかったと思っている、確かに、あそこで勉強したことが今後の人生で役立つかといわれれば微妙だし、楽器を弾けることが何か有利に働くかといわれればまずそんなことはない。そして、もともと普通に進学していれば終わらせているはずの大学生活を今から始めることになったというのは、父からしたらとんでもない無駄なのだと思う。
でも、違うと思う。人生に回り道はあっても無駄な時間はない。音大でがむしゃらに頑張ったあの生活の中で、俺は音楽のこと以外もいろいろと学んだ。努力を努力と思わずに楽しんで邁進できること、「頑張ること」がそれ自体は何でもないこと。それに、自分の人生をかけるだけの何かに打ち込めることが、とても素晴らしいということ。この経験は、多分あのまま素直に進学していたら一生得ることはできなかった。そして、そうやって漫然と生きていた場合、自分が何がしたいのかも分からず無為な日々を送っていたんじゃないかと思う。
だから、あの日々は無駄じゃなかった。あの回り道も含めて俺の人生だし、それが俺のこれからを形作って行く。
何より、椎菜と出会えたのはあの音大に入ったからだ。椎菜だけじゃない。今までの人生のすべての出会いは、その人生を送ったからこそ得られたもの。音大での学びはこれから役に立たない回り道だったのかもしれないけど、その日々での一期一会の出会いは俺の人生の宝物だ。
いつの間にか、雨は晴れ上がって雲間から太陽が覗いていた。随分と長く物思いに耽っていたようだ。既に気温も上がってきていて、雨で湿った空気がほのかに暖かい。
木の椅子から立ち上がり、帰ろうとする。ふと、来た時の方向とは逆に目を向ける。この公園への最短ルートはいつも使っている道だが、逆側から歩いて行っても家には着くはずだ。方向が逆なので単純な遠回りにはなってしまうだろうが、今日はそれでもいいかなという気分になっていた。遠回りであっても、きっと無駄じゃない。多分、道すがらに何か面白いものが見つかるような気がするし、もしかしたらいい感じのカフェでもあるかもしれない。雨が上がってパン屋のセールも終わってるかもしれないから、他の場所でコーヒーの一杯でも飲んでいけばいい。
新しい道へ、足を踏み出す。遠回りして、新しいことに挑戦して、そうやって前に進んでいこう。