うたかたショートストーリー、またはやる気のない短編集   作:塩崎廻音

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ねじまきラヴァーズ

 小学生のころ、いじめっ子のクラスメイトに意気地なしだといわれて言い返せなかったことがある。なぜ言い返せなかったかというと、実際に自分が意気地なしであるという自覚があったからだ。まあ、僕よりずっと大きいそのクラスメイトに口答えするのが怖かったというのもあるし、言い返さなかったこと自体が意気地なしであることの証明でもあったわけだが。

 普通だったらそのクラスメイトの標的にされていじめを受けることになったのかもしれないが、どうやら彼にとって僕はあまりいじめ甲斐があるように映らなかったらしい。たぶん、彼の言い返しもしなかったからだろう。代わりに、よく言い争っては泣かされている子がずっと標的にされていたが、幸いいじめっ子のクラスメートはそこまで質が悪い方ではなかったらしく、中学校に上がることにはいじめられていた方もケロッとしていた。ただ、助け舟も出せずはたから見ているだけになってしまった僕からしたら、いつまでも罪悪感が残る出来事であった。

 このことを周りの人間(弟とか)に話すと、決まってもう終わったことなのだし、大事になったわけでもないのだからうじうじと引きずるなと言われてしまう。もっともなことだとは思うが、結局忘れることができないのが自分の意気地のなさなのだと思う。

 

 そんなわけで、高校生になった今でも教室の隅で蠢いているだけの自分に恋人ができたのは、一種の奇跡の賜物だと今でも思っている。

 恋愛でなにより重要なのは積極的に行動することであると聞いたことがあるけど、ただのクラスメイトにもまともに話しかけられない自分のような人間は、友達すらほとんどいない。だから、はじめて早紀さんに話しかけられた時も、随分と挙動不審になってしまった。もちろん、やたらと話しかけてきてくれる早紀さんに密かな恋心を抱いていても、こちらから積極的にアプローチをかけることはできなかった。

 

 早紀さんは同じ部活の同級生で、肩にかかるくらいのセミロングヘアとぱっちりと大きめの瞳が魅力的な明るい女の子だ。どうやら帰る方向が同じらしく、部活の帰りにはいつも一緒に帰ろうと誘ってくる。

 最初のころは、何の接点もないはずの自分にこんなに話しかけてくるのは何か裏があるんじゃないかと無駄に警戒してしまったが、しばらく一緒にいるうちに単に積極的に人に話しかけられるタイプの人であるだけだということが分かった。そしてその頃にはもう、明るくかわいい早紀さんに僕はすっかり惚れ込んでいた。

 

 高校生で明るくてかわいい女の子とくれば彼氏の一人二人がいても(いや、普通二人以上はいないだろうが)おかしくはないのだが、早紀さんには彼氏がいたことがないというのを少したってから聞いた。なんでも今まではこんなに積極的に人に話しかけることが出来なかったとのことだが、僕からしてみれば部活の同級生というだけであまり関りがなかった人間に自然に話しかけられる時点で信じられないくらいの積極性であり、そんな彼女に恋人ができなかったのは、単に星のめぐりが悪かったんだろうと結論付けた。あるいは、早紀さんのお眼鏡にかなうような男性がいなかったのかもしれない。

 

 だから、早紀さんと一緒に帰るようになってから半年くらい経って、突然早紀さんから告白されたときには天地がひっくり返るんじゃないか思うくらいに衝撃を受けた。正直、そのあと三日くらいはそれが夢なんじゃんないかと本気で疑っていたくらいだ。でも結局、三日間うじうじしていた僕を早紀さんが押し切って、晴れて僕と早紀さんの交際がスタートしたわけだ。

 

 恥ずかしながら恋人同士になってからも僕は早紀さんにリードされっぱなしで、デートの約束もその計画もすべて早紀さんに任せっきりになっている。流石にこれは情けないと思い、何度か僕の方からデートを切り出してみようかとも思ったんだけど、こんなプランでがっかりされたりしないだろうかとか、早紀さんの趣味に合わせるにはどんな場所がいいのだろうかなどと考えているうちに早紀さんに先手を取られてしまい、いまだ一度も成功していない。最近はもう、流れに身を任せる感じで早紀さんにお任せしておけばいいかな、という境地に至っている。

 

 今日も、部活の帰り道で話している時に、週末のデートのお誘いを受けた。ちょっと遠出して海を見に行ってみたと早紀さんは言っていた。僕も別に海は嫌いではないし、早紀さんと一緒ならだいたいどこでも楽しめるので問題ない。そんな感じの回答をしたら照れてしまったようで、早紀さんは赤くなってうつむいてしまった。普段は明るいキャラの早紀さんではあるが、ふとした瞬間のしぐさが結構おとなしい感じな場合があって、そこがまたかわいいと思う。流石にこれは、面と向かっては言えないが。

 

 そんなわけで、週末のデートに思いをはせながら、僕は家路に着いた。

 

***

 

 僕の家はほとんど何の変哲もないふつうの一軒家だが少しだけ変わったところがあって、それはリビングに古い掛け時計があるということだ。この時計は祖父が若いころに買ったものらしく、だいぶ古ぼけて見た感じは博物館にでも飾ってありそうな感じだ。でも、意外と丈夫なものらしく、いまだにねじを巻けば正確に時を刻んでくれる。

 

 レトロな雰囲気の掛け時計は今風のリビングにはちょっとミスマッチだけど、僕はけっこうその時計を気に入っていた。チクタクと、控えめながら常に時間を刻んでいますよと主張するその振り子の音が結構好きだし、一時間ごとに時間を伝える鐘の音もノスタルジックな気分になってたまらない。昔はあんまり気にしていなかったけど、高校に入ったあたりでふと気になってねじを巻いてみたところ、すっかりその時計の響きにはまり込んでしまった。

 

 ねじまき式のその時計は放っておくと一週間くらいで動きが止まってしまうので、とまったのに気づいたらねじを巻くようにはしている。ただ、僕もあまりマメな方ではないし、気に入っているとはいえいつも気を配っているほどではないので、とまったまましばらく放置してしまっていることもある。なにせ、その掛け時計は基本的には置物状態であり、時間を知るための時計としては普通の壁掛け時計がある。だから、ねじまき式の掛け時計が止まったとことで、誰が損をするわけでもないのだ。

 最近は比較的すぐに止まっているのに気づくのですぐにねじを巻いているけど、本当は期間を決めてとまる前に定期的に巻きなおすべきなのかもしれない。ただ、そこまでするのはさすがに面倒なのだ。

 

 今日もその時計が止まっているのに気づいたので、脚立をもってきてねじを巻きなおす。掛け時計は見えやすいように高い位置にかけるものなので、ねじを一つ巻くのにも面倒が多い。僕以外誰も気にしていないだろうし、壁から外して僕の部屋に置いてしまおうか。

 

「ああ、兄さん。またその時計とまったんだね」

 

 ねじを巻いていると、部屋から出てきた弟に声をかけられる。週一くらいでとまる時計のねじ巻きはもはや恒例行事となっていて、弟の反応も適当だ。弟は特にこの時計に興味はないようなので、とまっていても動いていてもどっちでもいいのだろう。うるさいから止めたままにしろと言われないだけマシかもしれない。

 

「そうだね。たっちゃんは、やっぱりこの時計の良さは分からない感じ?」

「んー、確かに結構いい音してるとは思うけどね。でもまあ、止まってたら止まってたで別に気にならないし」

「まあそうだよね。僕も別にものすごく気に入ってるとかじゃないし…」

「でも確かに、そういうアンティーク?みたいな時計が動いてるってのはけっこう面白いかも」

「お、じゃあ止まってのに気づいたら巻いといてくれる?」

「…まあ、気が向いたら」

 

 そんな感じで弟のこの時計に対するスタンスは放置安定。弟は僕と違ってサッカー部でレギュラーを張るくらいの体育会系で、この辺の感覚の違いはむしろ当たり前だと思えるくらい。気が向いたらとは言っているけど、まあ確実に巻くことはないだろうと思う。別に構わないけど。

 

 時計を巻き終わり、ソファに座る。テレビでは良く知らないお笑い芸人が出演者のとぼけた珍回答に突っ込みを入れていた。この手のバラエティは別にそこまで好きというわけでもないが、別に見たい番組があるわけでもないのでそのままスマホに目を落とす。弟も別にそこまでは興味が内容で、関心はスマホとテレビで半々(いや、7:3くらい?)な感じだ。

 

 ふと、再び動き始めた掛け時計に目を向ける。別にこの古びた時計にシンパシーを感じているわけではないが、この時計と僕って似てるのかな?と考え出すとあまりそうは思えなくなってくる。あってもなくても誰も気にしない時計ではあるのだが、僕と違ってこの時計は自分がしっかりと時を刻んでいる事実を主張してくる。

 

 もしこの時計が人間だったとしたら、きっと普段は控えめながら、主張すべき時はしっかり声をあげられるような立派な人間なんじゃないかと、そんな益体もないことを思う。そう考えると、どこか早紀さんみたいかもしれない。早紀さんは明るくて積極的な人だけど、普段はどちらかというと控えめで、むやみに自分の意見を主張する方ではない。教室の隅でうじうじしているような自分でも気負わずに話すことができるのは、早紀さんのそんな性格によるところが大きいのだろう。

 

 だから僕は、早紀さんが好きになったのだろうか。そんな考えが頭に一瞬浮かぶが、すぐにそれを打ち消す。人を時計に例えるだなんてどうかしている(しかも自分の恋人を!)。

 変な考えを振り払ってスマホに目を向けると、早紀さんからのメッセージが届いていた。今週末のデートについてだ。なんか変なタイミングになっちゃったななどと思いながら、メッセージに返信していく。

 

 うん。今週末が楽しみだ。

 

***

 

 最寄駅から、電車で30分。有名な海岸というわけではないけど、それなりに綺麗な海辺の景色を僕たちは並んで眺めていた。

 

「意外と海ってじっくり眺める機会がないけど、やっぱり結構きれいだね」

「そーだね、こうやって眺めてるだけでも、結構楽しいかも」

「…あ、早紀さん早紀さん、カニが道路を横切ってる。珍しい光景かも」

「おお、いいね。写真撮っちゃろ」

 そうやって、はしゃぎまわる。そう遠くまで来たわけではないけど、やっぱり海っていうのは非日常な感じがして楽しい。

「ほら、せっかくだから砂浜を歩いてみようよ」

「いいけど、靴に砂が入らない?」

「そんなこといちいち気にしないの。ほら、こっちこっち!」

 軽やかに走り出した早紀さんを追う。走り出したといっても砂浜は走りづらいから、歩いているのとあまり変わらない。でも、そんなことは関係ないといた風で、早紀さんはとても楽しそうだ。

「ほーら、わたしを捕まえてー、なんて!」

「いや、そんなベタな…」

「いいから、早くつ・か・ま・え・て!」

「はいはい、今行きますよっと」

 そう言って走る早紀さんの後を追うが、なかなか距離が縮まらない。というか、思っていたよりも走りづらくて、全然スピードが出せない。

「あ、ちょっとこれ、おもったより、走りづらい…」

「こらー、早く追いつきなさーい!」

「いや、ちょっと早紀さん速くない?!」

 なにやら砂浜での走り方に慣れたらしい早紀さんがスイスイと進んでいくため、一向に追いつける気がしない。ちょっと運動不足気味の自分にとってはだいぶ辛いかもしれない。これは筋肉痛確定だ。

 

 そのあとかなり走り回ったけど、結局早紀さんには追い付けず、適当なところで元居た道路まで戻って終わりになった。

「もう、それはちょっとかっこ悪いよ?」

「うん、これからはちょっと運動するようにする…」

「そうして。私もあんまり運動する方じゃないけど、旅行とかでばてられてもあれだし」

 そうやって苦言を呈す早紀さんだけど、別に機嫌が悪くなったとかではなく、むしろケラケラと楽しそうだ。まあ、僕が運動ができないというのは元から分かり切っていたことではあるし。

「じゃあ、砂浜も堪能したことだし、水族館に行こっか」

「うん。そうしよう」

「地図を見た感じだと…あっち?」

「や、なんで発起人の早紀さんが疑問形なの。しかもそっちじゃなくてこっち…」

「いやあ、地図を見て動くのって苦手で…」

「…じゃあGPSのガイドで調べよう。僕も自信がなくなってきた」

 水族館に行くというのは、早紀さんが数日前に提案してきたプランで、なんでもこの辺の水族館でちょっとしたイベントがあるんだとか。事前にどういう水族館なのかは聞いていたから僕も調べてきたけど、どうやらアシカショーみたいなのをやるらしい。

 時間的には今から行けば問題ないけど、提案者の早紀さんがこれだから、迷ってしまわないかちょっと不安。付き合いが長くなって知ったけど、早紀さんはけっこうな方向音痴だ。そのくせ小旅行みたいなのが大好きなので、しょっちゅう迷子になる。今ではもう、早紀さんの行きたいところを事前に聞いておいて、僕が道を調べて案内するのが定番の流れだ。まあ、本人に自覚があるのが救いか。

「ほら、早紀さん。やっぱりあっちみたいだ。行こう」

「はーい。やっぱりケイ君がいないとだめだなあ、私」

「ほんとだよ。むしろ前はどうやって目的地にたどり着いたのか気になる」

「まあ、流石に一人で旅に出ることはなかったから、その時の同行者に任せてたかな」

「ああ、そりゃそうか」

「今まではだいたい友達の誰かが企画してくれたしね」

 そんなことを話しながら、水族館に向かう。アシカショーは11時と14時にやるみたいだから、順調につけば11時のやつを見れるだろう。そのあと、レストランでお昼を食べてから館内を回ればちょうどよさそうだ。色々考えながら、早紀さんの手を引く。色々僕を引っ張ってくれる彼女だけど、意外とこうやって僕が手を引くことも多い。方向音痴だからってのもあるけど、ちょっと不思議な感じだ。

 

 

 そのあとも順調にデートは進んだ。アシカショーは思っていたよりも本格的で、不覚にもふつうにはしゃいでしまった。思っていたよりも機敏な動きで、ボールを自在に操ったり投げられた輪を受け取ったりと、見ごたえバツグン。まあ、早紀さんも同じようにはしゃいでいたし、あまり気にしなくていいかも。

 お昼を食べた後に水族館の中を回ったけど、そっちも楽しかった。エイやサメなんかの大きな生物もすごかったけど、『なんでこんな形になったんだ…』って言いたくなるような変な生き物もいっぱいいて、二人して突っ込みをして回ってしまった。ダイオウグソクムシを見たときの早紀さんのテンションの上がりようだけは、ちょっとよくわからなかったけど。

 とにかく、今日見て回った何もかもが面白かった。早紀さんには感謝だ。

 

 今は、帰りの電車の中。早紀さんは疲れてしまったのか、僕の方に頭を乗せてスヤスヤと寝ている。というか、僕も少し眠い。でも、二人して眠ったら寝過ごしてしまいそうなので、頑張って起きている。

 ふと、早紀さんの方を見る。早紀さんはけっこう小柄で、この体のどこからあれほどの活発さが出てくるのかよくわからないときがある。こうして眠り姫をしている時の方がよっぽど”らしい”、なんて思ってしまう。

 いつも早紀さん任せにしないで、もう少し自分でも頑張ってみようか。そう、何度目か分からない決意をするが、正直なところ今回もその決意がうまく実を結ぶ気はしなかった。だいたいいつものパターンだと、僕が色々迷ってまごついている間に、早紀さんが次の計画をたててしまい、僕も特に反論することがないので、それで決定するという流れになる。今回も多分そうで、明日か明後日あたりに、早速早紀さんが次のアイデアを持ってくることになるだろう。

 

(まあ、少しくらいは考えるべきだよね…)

 

 そんな、消極的な気持ちで次のデートに思いをはせる。彼女に任せきりなことに情けなさは感じるものの、早紀さんのプランが魅力的なので、結局はそれで文句なしに決まってしまう。それがいろいろ楽なので、ついつい甘えてしまうのだ。

 

(とりあえず、明日か明後日の早紀さんの提案を聞いて…)

 

 そうやって今回も、いつもと同じ流れで早紀さんからアイデアを受けることが既定路線だと思っていた。今日この時は、少なくとも。

 

 でも、今回は違った。次の日も、その次の日も、それどころか次の週末になっても。

 早紀さんは何も言ってこなかった。

 

***

 

「うむむ、どうしたものか…」

 

 自分の部屋の勉強机に向かい、思い悩む。目下の悩みは二つ。一つはなにがしかのデートプランを考えなくてはいけないことで、もう一つは早紀さんのこと。

 デートプランに関しては、今まで付き合ってきていまさら何をと自分でも思うのだが、これまでうじうじと悩むうちに早紀さんにお任せ状態になってきたため、自分が考えるデートプランというのは、どうにも拙い。そこはとりあえず提案してみて早紀さんの意見を聞いてみればいいのかもしれないが、これまでさんざん早紀さん任せで色々なデートをしてきたので、いまさら適当な提案をするのも気おくれしてしまい、ちょっと手づまりな感じになってしまっているのだ。

 まあ、それに関しては色々やりようもあるのだろうし脇に置いてもいい。問題なのは、早紀さんの調子がおかしいことだ。

 

 これまで早紀さんは、ひとつデートが終わればすぐに、つぎのデートプランを考えてきた。いままでの実績で言えば、だいたいはデートの次の日かその次の日、長くても三日後には何か知らの計画を打ち出してきていた。それだけ早くプランが出てくるので、僕の案が固まらずに流されていったというのもある。

 でも、今回はもう一週間もたっているのに、早紀さんは特に何も言いだしてこない。それだけなら、たまには僕の側から案を出してほしいからと意図的に何も言わないだけだという可能性もあるが、それ以外にもちょっとした振る舞いの違いがあるのだ。例えば、部活帰りに一緒に帰るとき、今までは早紀さんの方から声をかけてき他のが、今はそれとなく合流して帰路につくようになったとか。あるいは、今までは校内でよく早紀さんに声をかけられたのが、今ではこっちから話しかけるのが主になったとか…こうして振り返ってみると、大体の行動で早紀さんからアクションを起こしてもらっているのが情けない限りだけど…

 

 とにかく、最近の早紀さんは、どうにも消極的だ。こちらから話しかける分には大体いつも通りの対応だし、特に体調を崩した感じでもない。そこは安心した。でも、早紀さんからアクションを起こすことがなくなったから、僕の方から話しかけたり会いに行ったりしないとなかなか接点が持てなくなっているし、一緒にいる時間も少しずつ減ってきている。このままだと、いずれ早紀さんと別れることになるかもしれない。

 それは、嫌だ。

 

 立ち上がって、部屋を出る。一人でいるとどうにも思考が暗い方にシフトしていってしまうし、リビングに行って気分転換をしよう。この時間なら弟がテレビを見ているだろうし、ちょっと相談してみてもいいかもしれない。弟はけっこうモテる方らしいので、恋愛関係ならいいアドバイスをもらえそうな気がする。

 

 リビングでは、やはり弟がバラエティ番組を見ていた。今日はけっこう当たりらしく、ケラケラと笑って機嫌がいい。これなら、いい感じにアドバイスがもらえそうだ。

 弟の隣に座って、テレビを見る。ちょうどコンビ芸人がネタを始めたところで、水族館に行ったシチュエーションを題材にしてショートコントを進める。先週の水族館のことが思い出されて、ちょっとナーバスな気持ちになってしまった。

 コント自体はとても面白くて、最初こそナーバスな気持ちになったものの最終的には弟と一緒に笑い転げてしまった。…これだけでも、ちょっと気が楽になったかもしれない。

 一連のコントが終わり、CMに入る。ちょうどいいタイミングだ。僕は、ここぞとばかりに弟に話しかけた。

 

「なあ、たっちゃん、ちょっと相談いい?」

「…彼女さんのことでしょ?」

 …なぜわかった?

「びっくりしてるみたいだけど、兄さん分かりやすいから。彼女ができてから露骨に機嫌よかったし。で、今週出かけなかったのが関係してるんでしょ?」

「…そこまでわかっちゃうんだ」

「兄さんほんとに分かりやすいから」

 そこまで把握されているなら話は早いので、今の状況をかいつまんで説明する。いつもはとっくにデートプランを考えてくる早紀さんが何も言ってこないこと、学校でも避けられているわけでもないのに早紀さんから話しかけてこないこと。

 弟はだいたいあきれたような表情で話を聞いていたが、まあ理由は分かる。自覚はあります。

 

「バカじゃないの?」

 

 一通りの説明が終わった後、第一声が、これ。でも言い返せない。泣きそう。

 

「相談するまでもないでしょ。避けられてるわけじゃないなら自分から話しかければいいだけじゃん」

「いやあ、頭じゃわかってるんだけど…」

「実際行動に出せないんなら分かってないんだよ。そのまま別れることになってもいいの?」

「…それは嫌だ」

「だったらどんどん自分から話しかければいい。それで話は終わりでしょ」

「でも、早紀さん明らかにいつもと違うし…」

「知らないよ。単に忙しいだけじゃないの?」

「そうなのかな…」

「仮に何かの事情があったとして、それに口出しできるの?」

「…」

 確かに、早紀さんが何かの都合であまり積極的な行動を起こさなくなっているとして、僕がそれに対して何かできるような気はしない。そして、早紀さんからのアクションがないというだけであれば、僕から積極的に話しかければ解決する問題でしかない。

「そう、だね。」

「はい。じゃあ話は終わり」

 

 僕としてはもう少し相談に乗ってもらいたい気持ちがあったが、弟はもう話す気はないようだ。CMが明けて再開したバラエティー番組に視線をもどし、こちらの話に付き合う気はないと暗に告げてくる。でも確かに、僕が頑張ってみればいい話であり(それが僕にとっては難しいから困っているんだけど!)、弟にとってみればばかばかしいのだろう。

 

 仕方なく部屋に戻ろうとすると、古びた掛け時計がまた止まっているのが目に留まった。そういえば、最近は早紀さんのことばかり気にしていたから、この時計のことなんて全く気にかけていなかった。心なしか放っておかれた時計は悲しげにしているように見える。…いや、気落ちしているからそう見えるだけかもしれないけど。

 でも、気づいてしまうとどうにも気になって仕方がないので、脚立を持ってきてねじを巻く。弟はちょっとうっとおしそうにしているが、これくらいは許してほしい。

 ねじを巻く。さっきまで静かに黙り込んでいた時計は、目が覚めたかのようにチクタクと時を刻み始める。こうして動き出してみると結構主張が強く、それが止まっていたのにしばらく気づいていなかったのが不思議に思うほどだ。

 気に入っている時計の動く姿を見て、ちょっと気分が晴れる。明日、いつもより頑張って早紀さんに話しかけてみよう。

 

 そんな風にちょっとした決心を抱いていたわけですが、次の日学校に行ったら、早紀さんは普段の調子に戻ってたくさん話しかけてきました。

 

 解せぬ。

 

***

 

 その後もつつがなく日々は過ぎていく、と言いたいところではあるけど、少し妙なことに気づいてしまった。

 

 初めに違和感を覚えたのは早紀さんの調子が戻ったちょっと後。

 いつも通り週末のデートの約束をして、いろいろと計画を立てていた早紀さんだったけど、三日か四日後にまたひかえめになった。そのときの僕はちょっと前向きで、自分から話しかけるようにすればいいとあまり気にせず、特に気落ちもしなかった。だから前みたいに周囲の変化に気が配れないほどの精神状態でもなかったわけで、また掛け時計が止まっているのに普通に気が付いて、何も考えずにねじを巻いた。

 次の日に早紀さんに会うと、早紀さんは普段の調子に戻っていた。この時僕は、時計のねじを巻いたらまた早紀さんが元気になったし、なんだか早紀さんのねじを巻いたみたいだなとか、そうのんきに考えていたんだ。

 

 でも、このあとも同じことは何回か続いた。

 どうやら時計のゼンマイが老朽化してきたみたいで、前は一週間くらい動いていた時計が三日やそこらで止まるようになってしまったんだ。そして、時計が止まるたびに早紀さんは静かでひかえめな女の子になって、ねじを巻きなおすといつもの活発な早紀さんになった。

 最初はそんな馬鹿な妄想があるかと思っていた僕も、三回四回と同じことが続けばその相関関係に疑いは持てなくなる。そのうちに僕は、時計のねじが切れて止まってしまっていないか、常に気にするようになっていった。

 

 時計が動いている限り、早紀さんは前と同じように積極的に振る舞う。

 でも、そんな馬鹿な妄想が現実だったとして、早紀さんは時計の力で積極的にされているだけなんじゃないだろうか。そういえば、早紀さんは昔はひかえめだったんだよと言っていた。その時は、その闊達さで何を馬鹿なと本気にしていなかった(というかリア充のコミュ障アピールみたいなもんだと思っていた)けど、もしかしたらあれは本当だったのかもしれない。僕が時計のねじを巻きだしたのは高校に入ってからで、早紀さんに初めて会ったのも高校の部活に入ってから。僕が知っている早紀さんは「ねじを巻いた後の早紀さん」だけだ。

 

 そう思い至ると、恐怖が頭をよぎる。

 早紀さんに影響を及ぼす不思議な時計に対する恐怖もあるけど、時計がなくなったときに早紀さんが僕のもとを離れるんじゃないかというのが一番怖い。意気地なしでダメ人間の自分に早紀さんがかまってくれるのは時計の力が理由なのだとしたら、きっと時計がなければ早紀さんは僕から離れていく。だって、今だって時計が止まれば早紀さんは自分から話しかけてこない。

 

 そんな恐怖が形になったように、ある日時計は動かなくなった。もともとかなり古い時計だったから、いつ動かなくなってもおかしくないとは常々思っていた。それでも、ねじを巻いても動きださない時計を見た時、僕は早紀さんを失う恐怖に恐れおののいた。

 

 母に頼んで時計を修理に出したのだが、何分もう古い時計であるので修理がいつまでかかるかは分からない。単純なゼンマイの老朽化程度の原因であれば交換するだけで終わるかも入れないが、ほかの機構に問題が発生していればうまく直るかは分からない。

 

 …もし時計が直らなかった場合、早紀さんとの関係はどうなるんだろう。

 今日はまだ、僕から頑張って話しかければ普通に会話はできた。でも、もしこのまま時計の影響がなくなれば、ずっと早紀さんはこのままだ。そうなれば、早紀さんと僕の関係はどんどん薄くなっていき、やがて完全に失われてしまうのかもしれない。もしかしたら、僕から話しかけても迷惑だと避けられてしまうかもしれない。だって、しょせんこの関係は時計の力によって成り立っていたものだったんだ。

 

 その恐怖は僕の足を鈍らせ、早紀さんと会って話をする時間はどんどん少なくなっていった。

 そうなれば、教室の隅で蠢いているだけの自分は誰と話すこともなく、一人になってしまう。それは高校に入ったころであれば僕の日常であり特に気にもしていなかったが、早紀さんと付き合うようになって人と一緒に話したり遊んだりすることを知った今となっては、一人でいることがつらくて仕方がない。

 

 もう一度一人になって、僕がどれだけ早紀さんに助けられていたかがよく分かった。

 

 

 

 そうやって早紀さんのありがたみを実感するほどに、僕は自分が情けなくなる。早紀さんが僕に話しかけてきてくれたことで、僕の高校生活はよくなった。それは時計の力の助けがあったからかもしれないけど、それでも今まで早紀さんはうじうじと悩んでばかりの僕と違って積極的で、いつも明るく僕の前を歩いて道を拓いてくれた。

 

 僕はそんな早紀さんの好意に甘えてばかりだった。いつ話しかけてくるのは早紀さんのほうだったし、デートの計画を立てるのも早紀さんで、僕は悩むだけで終わり。新しいことに挑戦するときも、いつも早紀さんが前を歩いてくれるから心置きなく挑むことができたんだ。

 

 ふと、机に置いてあった写真を見る。初めて二人で旅行に行った時のこの写真は、二人で映るのを恥ずかしがる僕を早紀さんが無理やり押し切って、いらないと言っているのに現像して渡してきたものだ。この時の僕は、早紀さんの強引さに翻弄されっぱなしで、行く先々で撮らないといったはずの写真を撮られて恥ずかしい思いをしていたっけ。

 当時はちょっと勘弁してほしいなんて思っていたけど、振り返ってみればすごく素敵な思い出だ。この旅行で僕は、物おじせずに試してみれば、楽しいことはたくさんあることに気づくことができた。恥ずかしがらずに踏み込んでみれば、いい思い出がたくさんできることに気づくことができた。

 全部、早紀さんのおかげだ。

 

 もしかしたら、それは全部時計の力のおかげだったのかもしれない。それでも、僕はそうやって早紀さんに貰ったいろいろな思い出のお返しをしたいと、そう思った。

 

 そうやって心を決めると、今までさんざん悩んで来たのがばからしいほどに心が晴れやかになった。

 早紀さんにはたくさんの新しい光景を教えてもらった。もしそれが時計の力によるものであり、今の早紀さんがかつての僕と同じように一歩を踏み出せなくなっているのであれば。

 

 今度はぼくが早紀さんに、それを教えてあげればいい。

 

***

 

 最寄駅から、電車で20分。今日は、近くの映画館で最新作の映画を見ることにした。

 この映画は、有名な俳優(どんな俳優なのかは寡聞にして知らないけど)が主演を務める恋愛映画で、早紀さんが前から見たがっていた映画だ。この映画を見に行こうと提案した時の早紀さんは、見たい映画を見に行ける嬉しさやら僕を付き合わせてしまう申し訳なさやらをもにょもにょと口にして、これまでの早紀さんの振る舞いからしたら別人のようだった。でも、自分でも意外なことに、僕はそんな早紀さんの様子にそこまでの違和感も感じていなかった。時計の力に気づいたころから元々の早紀さんがあまり積極的な質でないことはわかっていたし、昔の僕と似たようなものだと考えれば、ひかえめながらも自分の気持ちを伝えてくる早紀さんは、やっぱりあの早紀さんなんだなと思うくらいだ。

 

 そんなわけで、早紀さんと僕の関係は(役割が逆になったくらいで)前と同じようになっていた。こうしてちょっと頑張っただけで望みがかなったことを鑑みると、もっと前から勇気を出して踏み出して入ればよかったなと思う。

 誰かの力を借りなくても、幸運が訪れることを待たなくても、自分の足で踏み出せばこんなにも簡単に世界は変えられるんだって、そう気付くことができた。

 

 だから今日も、早紀さんの手を取って前に進む。今まで前を歩いて貰った分、これからは僕が早紀さんを引っ張って行ってあげたいんだ。

「ほら、早紀さん、こっち。逆だよ」

「…ありがとう。ケイ君。」

「相変わらず方向音痴なんだから。まあ、そんなに急がなくてもいいんだけど」

「そうだよね、まだ始まるまでは40分くらいあるし…」

 

 そういって時間を確認する早紀さん。今気づいたけど、今日の早紀さんは今までしていなかった腕時計をしている。

 

 親から貰った時計のかなと、不思議に思う。だってその時計は、女の子がつけるにはちょっと武骨だし、何よりだいぶ古ぼけていてメッキが剥がれたりフレームがへこんだりしている。

 

 あれ、あのツマミ、もしかしてゼンマイ式の…

 

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