うたかたショートストーリー、またはやる気のない短編集 作:塩崎廻音
春は出会いの季節と言うけれど、その言葉にはずっと実感が持てないでいた。確かに新学期が始まるのは四月であり新しい人間関係が始まる時期ではあるのだが、環境の変化がもたらす影響の方が大きく感じるため、あまり新しい出会いそのものに意識が向かないでいたのだ。
全く変わる学校までの道のり、新しい制服、新しい教室、新しい教科書。
何もかもが新しくなる新学期は、出会いがどうとか以前に移り変わるものが多すぎて、ボクはいつもその変化にいっぱいいっぱいになってしまう。
それは、父親の仕事の都合で学校が変わることになった今回も同じ事、いやむしろいつもよりももっと大事で、引っ越しに関わるドタバタや新しい学校への不安なんかが原因で、新しい友人たちとの出会いに関してはずっと後回しになるはずであった。まあ、新しい学校でちゃんと友達ができるかどうかはもちろん心配であったのだが、新しい学校前よりも進学校としての性質が強いらしく、勉強についていけるかどうかの方が心配になっていたのだ。
あの時。澄み渡った青空の下、桜舞い散るその丘で、彼女と出会うその時までは。
***
引っ越しが一通り終わって少し時間ができたボクは、ちょっと近くの丘を上ってみることにした。最初にこの街に来た時からちょっと気になっていた場所で(けっこう小高い丘で、遠くから見ても明らかに目立つのだ!)、そのうち一度は登ってみようと思っていたのだ。
丘の頂上へと向かう道はきちんと舗装されていて、すいすいと脚が進む。正直なところもう少し自然の山道みたいな物を期待していたので、このアスファルト敷きの道は好みでない。ボクは山道にはうるさいのだ。
そんなわけでやや落胆しながら丘を登っていたわけだが、頂上に着くとそんな気持ちは一気に吹き飛んだ。
まず最初に目についたのは、一面に咲く桜の木々。ちょうど満開のタイミングであったのか、どの桜も我が世の春とばかりに咲き誇り、風に舞う花びらも相まって、まるで桜色の雲に包まれているような光景だ。木々の隙間から差す日の光にまぶしさを覚えながらも、しばしその光景に見惚れてしまっていた。
また、桜の木々だけでなく、頂上からの見晴らしも素晴らしいものだ。最初に見たときに感じたようにこの丘はかなり高く、周りに視界をさえぎるような物はない。頂上にあつらえられた展望台からは街のすべてが一望できるし、遠景の山々もはっきりと見えるのでパノラマ写真さながらの絶景だ。
――この風景が見られるだけで、なんかもう色々許せちゃうな…
そんな風に思う。父の仕事の都合で半ばムリに決められた引っ越しでちょっと不満ではあったが、今日からいつでもこの絶景が見られるのであれば、まあ許してやってもいい。
そうして、ボクはしばらくその展望台のベンチに座って街並みを眺めていた。あの辺が新しい家で、あっちが商店街で、あれが新しい学校?上から眺める街はその中を歩くときとはだいぶ違って見えるので、よほど慣れていないと上手く位置関係をつかむのが難しい。まして、ここは越してきたばかりの街だ。何となくあの辺かなと見当をつけてみたものの、実際のところあまり確信はない。
――分かんないなあ…
そのあとも少し街並みを追ってみるが、ほどなくして諦める。ちょっと悔しい。もっとこの街になれたら再挑戦してやろう。
そこで、周りに目をやる。展望台はちょっとした広場といった感じであり、ちょっとした祭りが出来そうな広さだ。登ってくる道も何種類かあるらしく、今日もぼってきた道のほかにも下りる先がある。
崖の方にはもちろん柵があるが、桜の側にはない。近所の子供たちが中に入って踏み荒らしたりしないのだろうか?ちょっと気になったが、見たところは特に問題はなさそうだ。あまり子供には人気のない場所なのかもしれない。
しばらく、その桜並木を眺める。風にさらさらと揺れる桜の花を見ていると、ふと、横合いからてしてしと何かが地面をはねる音が聞こえてきた。はてなと思いその方向に目をやると、いつの間にやら桜色の着物を来た少女が手毬をついていた。
予想だにしていなかった光景にしばし硬直する。その少女はこちらには気付いていないようで、優雅な手つきで手毬をつく。少し遠いので何を言っているのかは分からないが、口元が動いている。わらべ歌だろうか。
そのまましばらく眺めていると、不意にその少女がこちらを向く。自分以外の人がいることに、今気づいたようだ。あちらとしても予想外だったようで、しばし見つめ合ったまま固まる。横顔を見たときから思っていたが、かわいらしい少女だ。肩にかかるくらいの黒髪に桜の髪留め、赤い帯がアクセントとなって少女を彩る。桜並木の情景に異様なまでに溶け込むその容貌は、どこか人ならざる気配すら感じる。
ざざ、と風に舞い散る桜の花びらが二人の間を通り過ぎる。はたと状況を飲み込んだらしいその少女は、こちらに一礼をして桜並木の中に姿を消す。後に残されたボクは、まだ夢見心地のままだ。
――あの女の子は、誰なんだろう?
彼女が消えていった桜並木を見つめ、ボクはずっとそこに一人取り残されていた…
***
それからしばらくの間、あの丘を上って頂上で桜色の少女を探すことがボクの日課になった。ちょっとストーカーみたいだなとも思ったのだけど、どうしてもあの少女のことが気になって仕方なかったのだ。
着物に手毬と時代錯誤もはなはだしい組み合わせではあったが、違和感はあまりない。昨日や今日にちょっと持ち出したようなものではないだろう。そうなると、どこぞの誰がそんな格好でそんなものをもっているのかという話なのだが。
そんなわけで、言ってしまえばボクは、あの少女に夢中だったわけだ。
あの後も何度かあの少女を見かけたが、見知らぬ女の子にいきなり話しかけるのもどうかな、といまだに話しかけることもできていない。あちらも特にこちらに話しかけるようなことはせず、毎回見かけると最初と同じように一礼して桜並木の中に消えて行ってしまう。
……ストーカーだと思われて怖がられていやしないかと、ちょっと心配だったり。実際ちょっと否定しづらい。
今日もあの丘を登る。うららかな春の陽気に気分がはなやぐ。桜の舞う丘の頂の光景は何度見ても綺麗だし、見晴らしもいい。あの少女のことを抜きにしてもこの丘に登る価値はある。何度来てもあまり人がいないのは少し不思議だが、地元の人間からしてみたら見慣れた風景でありさして面白いものでもないのかもしれない。
しばらく坂を上り、頂上に着く。あれから何日か経って、そろそろ桜が散ってきてもおかしくないのだが、まだまだ満開の桜並木は健在だ。もしかしたら、他の地域よりも咲く期間が長い桜なのかもしれない。
いつものようにベンチに座り、周囲を眺める。風で散った桜の花びらが積もって絨毯のようになり、展望台の地面を彩っている。ここの桜は白に近い桜色なので、どこか雪が積もったような景色にも感じる。
しばらくそんな景色を眺めていると、いつものように桜色の着物を着た少女が桜並木の中から姿を現した。これもいつも通り、手には紅い手毬を持っている。
その少女をじっと見ていると、いつもならこちらに気づくと桜並木の中へ消え去って行ってしまうその少女が、こちらに向かって歩いてきた。おやと、少し身を固くする。最近いつも付きまとっているボクに文句の一つでもあるのだろうか。
少女はボクの前まで歩み寄ると、ふわりと一礼してこう切り出した。
「こんにちは。最近、よくお会いしますね?」
「…ええ、こんにちは。ボクは最近ここに引っ越してきて。ここの景色が気に入ったもので良く来るようになったんです」
これは半分嘘。ここの景色が気に入ったのは確かだが、もう半分の理由は目の前の少女に会うことができるだろうかという「下心」からだ。
「そうなんですか、どうりで。いままでお見掛けしなかったのにと不思議に思っていたんです」
「そうですね。何日か前にちょっと登ってみて、それからです」
そうですか、と少女は頷く。この少女にとってはこの場所に見慣れない人間がいることに疑念があったのだろう。それでも、こうして面と向かって話したことで得心がいったようで、ちょっと考え込んだ後「お隣にいいですか?」と聞いてきた。頷くとベンチの隣に腰かけてくる。それは構わないのだが、初対面にしてはちょっと距離が近い。
「ここの景色は私も大好きなんですけど、あまりこの街の方には賛同が得られなくって」
「そうなんですか?よそ者のボクとしては、毎日見たいくらいに見事な景色だと思いますけど」
特に、今のような桜の季節は。
「ええ、普段から住んでいる人間にとっては飽きるほど見慣れたものなので。花見でも川沿いの公園の方が屋台も出るので人気があるんです」
「なるほど、そういうものなんですねえ」
「はい。私は個人的にこの丘の景色が好きなのでよくここに来るのですが。私以外がここにいるのは久しぶりだったので、ちょっと驚いちゃいました」
そういって、クスリと笑う。はじめて見たときからかわいらしい女の子だと思っていたが、その笑顔は特にかわいい。少し得をした気分になった。
「私たち、この場所好きの同士ですね」
「同士だなんて、ちょっと大げさな気もしますけど…」
「いえ、私にとってはそれくらい嬉しいということです」
そう語るその少女は、確かにとても嬉しそうだ。ここにはずっと一人しかいなかったということで、寂しい思いでもしていたのだろうか。
「…まあ、そこまで言われると否定するのも気が咎めますし。じゃあ、これからは同士ということで」
「はい。よろしくお願いします」
再び、少女がふわりとほほ笑む。ちょっと妙な展開になったような気がするが、まあこの笑顔が見られるのであれば細かいことは気にしなくてもいいのかもしれない。
「では、同士となったついでに、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「ええ、構わないですよ。ボクは咲野薫といいます。よしなに」
そう名前を告げると、その少女は少し驚いたように目を見開き、こう続けた。
「咲野…もしかして、咲野梅子さんの縁者かなにかで?」
「…はい、咲野梅子はボクの祖母ですが、ご存じなんですか?」
少し、驚いた。この街に来たのは父の仕事の都合ではあるが、その転勤が決まった理由はこの街が父の実家がある街だからであったらしい。だから、この街に祖母の知り合いがいること自体はおかしくはないのだが、この少女はもちろん祖母とは年代が違うはずだし、祖母は結構前に亡くなっているのでどこで接点があったのかは気になるところではある。
「ええ、昔少しお世話になって…」
「…どんなご縁があったのか、聞いても?」
言葉を濁す少女に対し、少し突っ込んで聞いてみる。すると、少女はじっとこちらを見て話しを止める。この様子だともしかしたら言いづらいことかもしれない、早まったかなと思っていると、不意に少女は悪戯な笑みを浮かべてこう続けた。
「ええ、この手毬に関係して、少し」
そう言って、いつも手にしていた手毬を眼前に差し出す。今までは遠くから見ていたために気付かなかったが、よく見ると結構年代ものらしく、所々糸がほつれていたり薄汚れていたりする。ただ、こしらえはしっかりしているようで、古さの割にはしっかりと形が残っているようだ。
「手毬…祖母からお譲りしたものであるとか?」
「まあ、そんなところです」
あまり深く説明するつもりはないらしい。だったら、こちらから突っつきまわすのも野暮だろうか。そう思って、話題を変える。
「…ところで、こちらも名前をお聞きしても?」
ボクの方は名前を応えていたので、この少女の名前を聞いても問題ないかなと思っていたのだが、この問いに少女はしばし考えた様子で、終いにこう返してきた。
「…そうですね、サクラ、とお呼びください」
偽名、というか名前を隠してきたというところだろうか。ただ、何やらたくらんだような笑顔が気になるといえば気になるが。うふふとかいって笑ってるし。
「分かりました。桜さん」
「はい。桜です」
…なんなんだ、一体。
「では、今日はこの辺でお暇します」
「はい、また『近いうちに』お会いしましょう」
「はい。それでは」
そう別れを告げて、展望台を離れる。下り坂に入る前に少女――桜さんと呼ぶべきか?――の方を振り返ると、いつの模様にてしてしと手毬をついていた。桜並木の中で手毬を着く桜さんの姿は、異様に絵になる。とはいえ、ずっと見ていても仕方がないので、とっとと家に帰ることにする。桜さんが言った通り、ここに来ればどうせ、すぐにまた会うことになるだろうし。
***
――野さん、咲野さん!
その呼びかけに、はっと目を覚ます。昨日ちょっと夜更かしをしてしまったせいで、寝てしまっていたみたいだ。
転校先の学校は、基本的には前にいた学校とそんなに変わりはなく。進学校と聞いていたから授業が大変なのではないかと心配していたのだが、思っていたほどではなかった。ただ、そのせいで正直気が緩んでしまい、昨日は久々に夜更かししてしまった。そのせいで、今日はずっと眠くて、気がついたらこの通り寝てしまっていたのだ。
「はい、何でしょう?」
「起きた?お客さんだよ」
ボクを起こしたのは、隣の席の早山さんだった。話しをきくと、どうやら隣のクラスから誰かがボクを呼びに来たらしい。
――はて、隣のクラスに知り合いなんていただろうか?
そもそも転入してきたばかりのボクは同じクラスにも友人が少ない。まして、隣のクラスの人なんて、顔も合わせたことがない人がほとんどのはずで、ボクからは心当たりがなかった。
とりあえず、早山さんに促されるままに扉の方を向く。
そこには、制服を着た桜さんがいた。
「え?」
完全に予想外の展開に、思考が停止する。いや、確かにあのかわいらしい容貌は何度も見た桜さんそのものだし、桜の髪飾りも昨日見たものと同じだ。若干幼い容姿の桜さんが制服を着て高校にいるというのはちょっとミスマッチな感じがするが。
――桜の精とかじゃなかったのか…
正直なところ、今時和服で手毬をついて、いつも桜並木から出てきて、名前もなんだかぼかして来たから、桜の精とかそんな感じのファンタジーな存在なんじゃないかと疑いだしていたところだった。安心したような、残念なような。
ひとまず、桜さんのもとに向かう。昨日名前を聞いた時のように悪戯な笑顔をしているので、放っておくと何かしでかしそうだ。
「こんにちは、桜さん。で、いいですよね?」
「はい。こんにちは、咲野さん。一緒にお昼を食べませんか?」
桜さんに連れられて中庭へ向かう。春の陽気で中庭は過ごしやすい環境になっている。お昼ご飯を食べるのにもちょうどいい。
中庭に着き、ベンチの一つに座る。二人並んで座ると、ちょうど昨日と同じような距離感だ。
「桜さん、この学校の生徒だったんですね」
「はい。というか、選択授業とかで、何回か顔を合わせていますよ?」
…あれ?そうだったっけ?
「…ええと、ごめんなさい」
「私は展望台で最初あったときから咲野さんのことは分かっていたんですけどね。咲野さんは全く気付いてくれないんですもの。ひどいなあ」
そう言って口では非難するようなことを言う桜さんだが、表情はにやにやと笑っているので、ボクを揶揄っているのがわかる。昨日名前をぼかしたときと同じ表情だ。
「…ごめんなさい」
「まあ、咲野さんは転入してきたばかりで大変でしょうし、いいんですけどね」
「次からは気を付けます」
「はい。まあそんなわけでちょっと揶揄ってみたわけですけど、いい感じに混乱してくれたみたいで面白かったです」
そう言って、クスクスと笑う。見た目はちょっと幼くてかわいらしいけど、結構「イイ」性格をしているらしい。展望台で見た桜の精のような雰囲気とは大違いだ。
「そういえば、なんで展望台で手毬をついていたんですか?しかも和服で」
「ああ、あれは趣味が半分、あとは部活の練習が半分ですね」
「部活…」
「私は『日本文化研究部』に所属しておりまして。昔ながらの遊びだったり、地域の歴史だったりを研究してまとめているんです。手毬遊びもその一環です。昔、咲野さんのおばあ様から少し教わって練習していたんですよ」
「なるほど。それで祖母との面識があったんですね」
「ええ。といっても、おばあ様から手毬を教えてもらったのは子供のころで、その頃は部活だったりは関係なかったのですが」
得心がいった。そういえば祖母は地域の文化センターみたいなところで子供に昔の遊びを教えていたころがあったとか聞いた気がする。桜さんもそこにいたのだろう。
「なるほど。『日本文化研究部』ですか。面白そうといえば面白そうですけど、授業以外でも文化の研究だなんて大変そうですね」
「まあ、私は趣味と合致しているので楽しんでいますけど、確かにあまり人気はありませんね」
「部活というと、やっぱりスポーツ系統が一番に思い浮かびますからね」
ふと、桜さんからの視線を感じる。
「咲野さん、『日本文化研究部』に入ってみませんか?」
「……」
その勧誘にどう答えたものか、少し迷う。転入したばかりで部活が決まっていないボクは、どれに入ろうか模索していたところだ。とはいえ、スポーツの類にはあまり関心のないボクとしては体育会系は候補外。ほかの部活を見て回っているところだが、まだこれといった「当たり」には出会えていなかった。
しかし、部活でも勉強みたいなことをするのはちょっと疲れそうだ。どうしようか。
しばしそう悩んでいると、こちらの答えに期待する表情の桜さんが目に入る。その表情からは、断られるかもしれないという不安は見て取れない。…あの展望台の同士だから、信用されているのだろうか?そんな顔をされると、ちょっと断れない。
「…じゃあとりあえず、見学からで」
「はい!では、今日の放課後に、また声を掛けますね?」
そう答えると、桜さんは今日一番の笑顔を見せる。『日本文化研究部』が自分の気に入るかどうかは分からないけど、まあ、桜さんと一緒に部活動ができるなら、それもいいかもしれない。
何となく、空を見上げる。澄み渡る卯月の空が、ボク達を包み込んでいる。
春は出会いの季節。ボクはこの卯月の空の下で、桜さんと出会うことができた。
この一年は、去年までよりずっと楽しくなるに違いない。